2月3日

 仕事が終わらず、帰ったのが午前2時すぎだった。普段だったら午前中ずっと寝て、昼過ぎに大きな顔して出勤するところなのだが、今日は悪いことに午前10時から東京・虎ノ門で仕事が入っていたのである。ろくに寝る間もなく起きて、7時30分すぎののぞみに乗り、東京へ。浜松までは意識があったのだが、気が付いたら新横浜だった。

 地下鉄を乗り継いで神谷町へ。東京タワーを横目に見ながら、歩き、約束の場所に向かう。ちゃちゃっと仕事を終えて、歩いて厚生労働省に向かう。こちらもちゃちゃっと仕事を終えて、昼前にはすべての用事を終えてしまった。

 昼メシでも一緒に食べようと、2人の友人に電話したが、繋がらない。仕方なく八重洲ブックセンターで本を物色してから名古屋に帰る。仕事場に戻り、さすがに寝不足だったので、ソファに座って2時間ばかり意識を失っていた。

 明日はいよいよFJに乗る。

2月2日

 市場のおっちゃんに頼んで、ツバスを1本、さばいてもらった。房州・大原港直送のツバスは1キロほどの目方。ツヤツヤしていて、それはそれはうまそうであった。名古屋あたりでは、ツバス、ハマチ、ブリと言う。どこまでがツバスで、どこからがブリか、というのはけっこういい加減に決められているらしい。

 出刃でざくざくとおろしてゆく。がりがりっと鱗を削り落としてから、胸びれの下から斜めに包丁を入れて頭を落とし、腹を切ってワタを抜く。背側から背骨に沿って包丁を入れてまっぷたつ。血合いに沿って2すじ切れ込みを入れて、骨を抜く。さすが魚屋さんだけあって、鮮やかな包丁さばきである。

 頭の目の回りの部分や、皮、骨の部分は吸い物にするとうまいらしい。知多・師崎港出身のおばちゃんが、うれしそうにもらっていった。僕は皿にてんこ盛りになった刺し身をたらふく食べた。脂が程良く乗っていて、うまいのなんの。

2月1日

 自分の中ではやっかいな仕事を抱え、休日を半分つぶして取りかかったものの、なかなかはかどらずにもんもんとすごした土日になってしまった。睡眠時間削ってまで仕事に向かったのに、まったくはかどらない、この歯がゆさ。いやになる。

 それでも映画を2本見た。無駄にすごしたわけではないと自分に言い聞かせる。

1月30日

 Aライセンスが届いたと思ったら、Bライセンスの正式版が届いた。Aが届いたらやっぱりBは返却しなければならないのだろうか。

 レーシングスーツやらグローブ、シューズなど、レースに参加するにはきちんとした身だしなみが必要だ。ないと、レースへの参加を認めてもらえない。1月上旬にインターネットの通販サイトで注文してあったのだが、なかなか届かない。アライのヘルメットが在庫切れで、入荷しないためだという。

 2月4日にFJをレンタルして乗るのだが、さすがに身だしなみぐらいはちゃんとしたい。何より、狭いコックピットだから、きちんとした専用シューズを履かないとまともに走ることすらままならないかもしれない。最低限、シューズだけは間に合わないと困る。

 仕方がないからヘルメット以外を先に送ってもらうことにしたら、今日届いた。スパルコのスーツやグローブ、シューズと頭にかぶる目出し帽。さっそく着てみたら、ぴったりであった。だが、先が尖っている靴の形だとか、スーツの肩幅の広さだとかがイタリアンな感じだ。

1月28日

 国内Aライセンスが届いた。まだ、紙に印刷されただけの仮ライセンスであるが、JAF公認レースに出られるようになった。FJやろうかしらん、と思い立って、ライセンスが必要なことを知り、慌ててBライセンスの講習会の日程を調べたのが12月中旬だったから、かなり早いペースでAライセンスまで取ったことになる。Bは取ったものの、Aを取るには1回はジムカーナーかサーキットトライアルに出なければならない。

 最短で取れる講習会を調べて行ったら、サーキットトライアルまでセットになった講習会を発見したのが幸いだった。届いたライセンスをしげしげ眺めると、はるばるセントラルまで行ったかいがあったと思う。車や宿を提供してくれた大阪の仲間に感謝である。

1月27日

 2月29日の鈴鹿クラブマンレースの第一戦に出るためには、どの日に練習すればよいのか、とあれこれ考えてきた。とりあえず、鈴鹿本コースに出る前に、南コースでまともに走れるよう練習するのが、鈴鹿のオキテらしい。2月上旬には練習を済ませておきたいところなのだが、あいにく鈴鹿サーキットは1月下旬から2月5日までの間、改修工事でお休みなのである。南コースの2月のスケジュールを見てみると、フォーミュラで走れる枠は僕の仕事の都合も考えると19日までない。これはこまった。

 南コースをどれだけ走ったら本コースを走って良いという目安の時間があるらしいのだが、タイムが出ていればこの限りでもないらしい。それでも19日に初走行していたのでは、10日後のレース出場となるため、無謀なことになる。第一戦はあきらめるか。

 簡単に引き下がるのもシャクなので、最後のあがき、2月4日に開かれるオリーブボール走行会に飛び入りで参加することにした。正午から午後1時までの昼休みの時間を開放してもらい、貸し切り状態で走るのだ。まだ車はできていないから、レース屋さんの斡旋でレンタルする。メンテ料もレンタル料も1日単位でかかってくるから、本当なら最低3枠ぐらい走らないと割高になってしまうのだが、時間が迫っているので、仕方がないだろう。

 とりあえず、一から練習が必要なのか、そこそこ走れるのか、乗ってみなければ分からない。

1月26日

 まだ調子が悪かったので、昼過ぎまで家でごろごろすごす。もちろん無断だ。で、仕事場に出ておもむろに仕事に取りかかったのだが、頭痛のためあまりはかどらない。だらだらしているうちに、午後11時。なんのために遅く出たのか分からない一日であった。

1月25日

 鈴鹿が寒かったのがいけないのかもしれない。土曜夜、ご飯を食べに出かけたら、前菜を食べた時点で胃が受け付けなかった。かぜが胃腸に来たらしい。料理店にとっても迷惑をかけて、退散。家に戻って布団に入り、ゲリラ活動と対決する。が、こっちは有効な手段はなにもなく、トイレに駆け込むだけの数時間であった。

 寝てりゃ治ると思って1日ごろごろしていたが、ゲリラ活動自体は収まってきたものの、頭痛が治らない。熱はない。せっかくの休日、ホームページの更新をすることもなく寝てすごしてしまった。 

1月24日

 朝から鈴鹿サーキットへ。鈴鹿サーキットを走るために必要なSMSC会員になるため。簡単な講習を受けて、晴れてライセンス関係がそろった。それにしてもお金がかかる。でも、国内格式のレースであれば、入場料金を取られないとのことなので、なかなか使いではありそうである。

 昼からオリーブボールへ。マキシムOEMのマツダスピードエキマニが割れて、室内が臭かったので修理してもらった。大阪の某氏とともにちゃちゃっと外して溶接してもらう。臭いのが直るぐらいで大した変化はないだろうと高をくくっていたら大きな間違いで、アクセル開き始めに出ていた気持ちが悪いフィールがなくなったばかりか、全域でエンジンがスムーズに回るようになった。上から見たより、裏側の割れ方の方がひどかったから、かなり排気効率に悪影響を与えていたとみられる。これで触媒ごにょごにょと二寸管を付けたら、すげえパワーになりそう。