4月15日

 午前5時に目覚ましをかけて、確かに鳴ったことは覚えている。が、気が付いたら午前6時50分。しばらく、ぼう然としてしまったが、深刻な事態に気が付いて、素早く市場の魚屋さんに電話を入れた。「今から、向かいます」と。大寝坊である。仕事は魚屋さんが何とかしてくれた。寝不足なのに、仕事から帰ったのが午前2時ぐらいだったから、ま、仕方がないだろう。

 東名阪と名古屋高速を駆使して7時30分には市場に着いた。速すぎる。

 寝坊してしまったのでゆっくりできる朝があわただしくなってしまった。10時40分すぎののぞみに乗って新横浜に行き、八王子まで行かねばならない。ばたばたしていたら時間ぎりぎりになってしまい、のぞみに滑り込んで事なきを得た。

 本を読もうと思っていたら、意識を失ったらしく、次の瞬間に新横浜にいた。横浜線に乗って八王子へ。松本から上京したときにあずさで通ったことしかない場所である。ちょっとのどかなイメージがあったのだが、十分都会だったのでびっくりした。

 駅前のすかいらーくで人と会い、そのままとんぼ返りして午後7時には会社に戻る。今日までにやらなければならないことがあった。5月16日のスーパー耐久の前座レースの申し込み期限だったのだ。中央郵便局へ行き、書類をあれこれ書いて何とか間に合った。

 会社に戻ると上司が冷たく言い放つ。「明日の朝までに仕事を提出してくれ」。まったく手を付けていなかったので、徹夜である。人質解放のニュースを聞きながら、朝までかかって何とか仕事を終えた。土曜は練習、日曜はレースなのにこんな日々で良いのだろうか。

4月14日

 仕事をしているふりをして、鈴鹿に行ってしまった。とある方がフォーミュラEnjoyの試乗をしたので、付き添いである。

 せっかくの試乗だったのだけれど、あいにくの空模様。しかも、鈴鹿に近づけば近づくほど雨足が強まる。試乗した鈴鹿南コースは水たまりがあちこちにできるほどの悪条件だった。

 Enjoyという名だが、中身はやはりフォーミュラだ。ドライでもシビアなのに、さらにウエットとなったら大変。初体験であれば、全員がスピンしまくりに違いない。

 やっぱり、スピンをしてしまったのだが、そこは昼休みの時間を利用した試乗である。ほかに誰も走っていないから、スピンし放題、回り放題で、これはこれで気分がよいかもしれない。それでも、ちょっと攻めるとくるりと回るため、我慢の走りを強いられる。フロントに過重がかかりすぎたままステアを切り始めると、あっという間にリアが流れて、カウンターも間に合わない。だんだん慣れてきて、スピンをしなくなったのだが、ウエットに慣れる、というのは要するに我慢することであるので、1時間の間、思う存分走ったというよりは、ストレスがたまってしまったかもしれない。

 ウエットでもフォーミュラならではの非日常を味わって、満足した様子。車を借りて走って27000円なのだから、とっても安い。

4月13日

 朝っぱらから家の近くの大学病院に向かう。なぜだか分からないのだが、僕は不思議と病院に行く機会が多い。仕事でもプライベートでも。

 さらに不思議なのは、かなり頻繁に足を運ぶのだが、自分がお医者さんにかかっているわけじゃない、ということである。10年前に足を折ったとき入院して以来、健康診断か、風邪薬をもらいに行ったときぐらいしか医者に診てもらっていない。決して、看護婦さんと仲が良いだとか、そんな話があるわけじゃ、ないんだよ。

4月12日

 仕事でなぜか池袋の東京芸術劇場へ向かう。お昼すぎ到着だから、10時前ののぞみに乗らなければならない。

 東京駅から池袋へ。山手線を待っていたら、同時に京浜東北線の快速が来たからそちらに乗って田端で山手線に乗り換える。まだまだ東京には慣れないが、それぐらいの判断はできるようになった。

 東京芸術劇場ではなぜか楽屋口から入って、舞台の横を通って観客席に座った。ミュージカルを鑑賞。その後、なぜかホテルビーナスの老オカマオーナーに会った。

4月11日

 久々に、しなくてはならないことがない一日だったので昼過ぎまで寝て、ロードスターで出かけた。

 桜巡りツアーである。久しぶりにのんびりとツーリングして、骨休めをしたい。名古屋周辺の桜はすでにほとんど散ってしまっているので岐阜を目指すことにする。最初は郡上八幡周辺へ行こうと考えていたのだが、遠いから恵那峡にした。

 恵那峡の公園はちょうど桜が散り始めたころで、ダム湖の景観も良く、なかなかのものだった。ほとりでのんびりすごして、開幌状態で中津川に向かう。

 行く先々に桜が植えてあって、本当に日本人は桜が好きなんだな、と実感。中津川の街の川沿いに桜が植えてあって、遠くから見ると上流から下流へと帯のように見えてなかなか良かった。国道363号を登って岩村町に至り、瀬戸に抜けて帰宅した。途中、満開の桜の大木や、上り坂の並木道がライトアップされている場所に車を止めて、桜三昧。ソメイヨシノも綺麗だが、しだれ桜も良い。

 久々のツーリングで気持ちが良かった。が、ツーリングを楽しむには足が固すぎる。

4月10日

 鈴鹿フルコースで練習。快晴で、路面は完全ドライだ。3月7日の西コースは雪がまっていて、ちょっと湿っていた上、未体験のスピード域にまともに走れなかった。2回目の20日は、午前中が完全ドライだったものの、午後からウエット。4月4日の西コースは、一日中雨。要するに、ドライで思いっきり走った経験って、まだ少ないのである。

 4日のウエットでそこそこ走ることができて、ちょこっと自信を持っちゃったのだが、その自信はまったくあさってな勘違いであることを思い知った。朝一番の1本目、けっこう攻めているつもりなのに、一向にタイムが伸びない。前回3月20日のフルコースで走ったときよりも、遅いのだから、かなり焦ってしまった。頭から血の気が引く思いで走っていたら、トラブル発生。アクセルオフしているのに、車が前に進む。シフトアップのとき、クラッチを切っているのに、1秒ぐらいエンジン回転が落ちてこない。たぶん、アクセルワイヤがしぶくなって、スロットルの動きが悪いんだろう、と思って、ピットイン。CRC吹いてもらったら治った。やはり雨の中走った車だから、注油しないと不具合が出る。

 走行再開するも、良いところがなく終了する。総監督曰く「今日は元気がないな」。1周2分半かかるコースで与えられた時間は30分。のんびりしている暇はない。

 2本目。やっぱりタイムが伸びず。焦りまくる。

 午前中の走行を振り返り、まだまだドライ路面のスピードに慣れていないのが一番の敗因だと思う。ドライバーが勝手に車の限界を作っちゃって、それ以上の速さで走れないのだ。でも、ドライバーにしたら、怖さを抑えていっぱいいっぱいで走っているのである。

 3本目。強制的に先頭でコースインさせられる。レース屋さん曰く「荒っぽいけど、速い車に付いていくしかない」。覚悟を決めてコースイン。付いていくのだけれど、あっという間に離されてしまう。速い車に付いていったときはタイムがちょこっと上がるのだが、一人になるとぐんぐんタイムが落ちてゆく。そうして、コース上にひとりぼっちになってコーナー進入速度の指標がなくなり、怖いな、と思っていたら、逆バンクでリアが流れ、慌ててカウンターを当てるも回復できず、スピン。ぐるりと180度回ってコースアウトした。出られると思ったが、左リアタイヤがくぼみにはまって空転してしまったため、車を降りる。総監督曰く「走りを見ていたら次の周は戻ってこないと分かったぞ」とのこと。ドライバーが原因のアンダーオーバーが出まくりで、はたから見ても雑な運転だったらしい。確かに、ひとりぼっちになって怖くなったら、集中力が切れていた気がする。

 散漫な気持ちで走っていたら、それこそ高いお金を出して走っている意味がない。次の走行開始までの数十分の間に、なるべく集中する努力をする。走行前、早めにヘルメットやグローブを付けて、いすに座って気持ちを落ち着けて、次にどう走るのか、イメージをつくる。

 4本目。やっぱり先頭からのコースイン。速い車からコースインするのが普通だから、あっという間に追いつかれ、抜かれ、そして付いていけなかった。

 課題は1、2コーナーとスプーンカーブ、130R。いずれも高速コーナーですっごく怖いコーナー。特にメインストレートから1コーナーのブレーキングの最中に、ものすごい勢いで抜かれていくから、それだけ僕が遅いということになる。Dさんによると「かなり突っ込んでも大丈夫。ブレーキングしながら1コーナーを曲がっていく感じ」と聞いていた。速い人に付いていき、どこでブレーキを踏んでいるかを学ぶ。何周かするうち、明らかに前より速く進入できるようになった。体力的には3本目よりきつかったけれど、集中力は切れなかったので、冷静に走ることができる。トップの人たちより1周4、5秒落ちぐらいのタイムにまでこぎ着けた。

 赤旗中断。残り5分でコースイン。タイムが計測できるのは2周目だけである。気合を入れて走り、自力で先ほどまでのベストと同じぐらいタイムが出せた。

 3本目まではタイムがろくに上がらず、焦ってしまったけれど、4本目でようやく進歩がみられてホッと一息ついた形。今回、向上したから良いけれど、タイムが良くならなかったら、かなりへこんでいたに違いない。

 タイムを上げる過程は、自分の壁を一つ一つ乗り越えていく作業だ。壁は次から次へと現れる。たくさんの壁の向こう側に、トップグループの人たちがいる。

4月9日

 明日は間瀬サーキットで北陸ミーティングの走行会が開かれる。

 昨年の走行会に参加する予定だったのだが、3月中にエンジンがブローしてキャンセルした経緯がある。2年前は初参加した。初めて間瀬サーキットを走ったのだが、走行前に無視できないほどのオイル上がりがあることが発覚し、直後にエンジン積み替えをした。なんだか、ここ2、3年は同じことを繰り返している気がする。

 今年は、間瀬の走行会の成功を祈りつつ、鈴鹿でFJの練習をすることになった。明日、午前9時ぐらいからサーキット入りし、フルコースを4回走る。レース直前だから、気合を入れて走ろう。

4月8日

 久しぶりにタイトル画像を変えた。これまでの画像は昨年5月連休にエンジンを組んだときのものだから、1年近く変更しなかったことになる。

 今回は昨年10月18日の筑波走行会のときの写真である。FJで走っていたという「くろはち」さんが一眼レフと望遠レンズを駆使して参加者の車を撮ってくださった中に、僕の車もちゃんと写っていた。写りが素晴らしかったので、思わずタイトル画像にしてしまった。

 やっぱりきちっとした写真を撮ってもらえるとうれしいものだ。僕も、走行会に出かけたとき、余裕があればほかの人の写真を撮ることもある。プリントしてあげることがあるが、やっぱりそうやって写真をもらうとうれしいものだと、実感した。最近FJの練習では、走ることばかり考えていて、写真にまで頭が回らないから、極端に枚数が少ない。Road&Sterの取材では走っているところを流し撮りしてもらい、けっこう大きく乗っていたので感動した。プロに撮ってもらうとやはり違う。一生の宝物だ。

 筑波の写真は僕が写っているものだけダウンロードしただけなのだが18枚もあった。もったいないから、もう一つお気に入りの写真をここに張ってしまおう。

4月7日

 4月18日の鈴鹿クラブマンレースRound2に参戦することになった。

 FJで本格的な練習を始めたのが、3月5日の鈴鹿南コース。7日に西コースを走り、20日のフルコース、4日の西コースとまだ4回しか走ったことがない。たったこれだけの経験で出るかどうか迷ったが、「いい結果はでないかもしれないが、出るんだろ?」とレース屋さんに言われたので、腹をくくった。限られた期間の限られた回数しか開かれないレースである。1戦たりとも見過ごすのはもったいない。10日と17日の2回の練習で形になるようにがんばろう。

 で、エントリーの書類を書いた。経験者のDさんに書き方を教えてもらう。基本的に箱のレースと違ってフォーミュラだから書く内容は少ない。

 一番、悩むのがエントリーネームかもしれないが、僕はあまり悩まなかった。レースに出るきっかけを作ってくれた総監督のチーム名「飛騨石倉組」と、オイルを提供してくれるメーカーの「アップワード」、メンテナンスガレージのスキルスピードの「スキル」で14字。それぞれの単語の間に空白を入れると見栄えが良くなるが、2文字増えると16字で上限の15字を超えてしまう。あと1文字をどうしよう、と思ったのだが、このサイトを見てくれる人が一発で分かるように「雅」を入れた。ゼッケンも自分で決めるのだが、一けたの数字はすでに他の人が押さえている。二けたの数字で決めるのだが、これもこだわりがなかったので、ある人に「二けたの数字で何番が一番好きか」と突然聞いたら、「72」とのことだったので、72番に決定した。

 飛騨石倉組アップワードスキル雅 ゼッケン72

飛騨石倉組アップワードスキル雅72

というなんともちんどん屋チックな名前になった。総監督曰く「速そうじゃねーな」。

 とにかく、4月18日レースに出ることになった。西コースは東コースのようなスタンドはなく華々しさはないけれど、草レース的な雰囲気を楽しめると思う。ご都合の付く方はぜひ、観戦を!

4月5日

 最近、エンジンからノッキングが出まくりである。

 気温が低い時期は問題なくても、暖かくなるに従ってノックの限界が下がってくるらしい。4000回転あたりでアクセルを踏むと、かりかりと音が聞こえる。最近はFreedomをいじるのも面倒になってきたから、そのまま放置してある。サーキットでがんがん走っているわけじゃないから壊れないでしょう。

 そのエンジンもすでに25000キロを走行した。まだまだ壊れなさそう。