3月25日

 布団の中で揺れに気づいた。それほど大きな地震ではない。長さと揺れ方が「なにか嫌な揺れだな」という予感を与えたものの、そのまま再び寝る。いや、今日は仕事なんだけれど。

 稲沢にいた後輩がこの3月に七尾に異動になったばかり。稲沢市の広報担当者から電話がかかってきて「Tさん大丈夫?」と聞いてきた。が、僕は地震後、江南市が震度2だったことだけ確認しただけでテレビやネットを見ていなかったので「へっ? なんのこと?」とまったくかみ合わない会話をしてしまった。担当する地域であった以外のことだと、一般市民並みの情報収集能力と関心しかないので、まあ仕方のないことだ。

 テレビを見る限り、そう大した被害はなさそう。一人亡くなっているのでご冥福をお祈りしたい。灯籠の下敷きになってしまったということで不運というしかない。

 温泉街の影響はかなりあると思うけれど、生きる死ぬの話じゃないので、まあ、淡々と仕事をしていってもらうしかないかな。

3月24日

 昨年4月に換えたばかりのデミオのタイヤがもう減ってしまった。ショルダー部分だけ減ってしまってそろそろワイヤーが出そう。雨の日もハイドロが起きまくる。日ごろの運転のまずさ&不適当な空気圧が原因だろうか。中古タイヤだったとはいえ、あまりにもライフが短かったので反省。

 いつも使っているガソリンスタンドで「そのタイヤ、いくら何でもまずいでしょ」と指摘されたので、一番安いタイヤがいくらかと聞いたら工賃&処理費込みで3万円だという。

 いつも世話になっているので、たまにはタイヤでも買おうと、注文する。ヨコハマのA200というタイヤ。仕事の途中で車を預けて交換してもらう。前回は1本1500円の中古タイヤで込み込み13500円ぐらいだった。新品タイヤは気持ちが良い。

 とはいえ、75000円で買った車に30000円のタイヤを付けるのはなんだか複雑な気分。

3月22日

 買ったパソコンをデミオに積んで仕事に出る。一件、ちょちょっと仕事をした後、一宮に向かい、買ったお店に持って行く。「メモリーがおかしいみたいなんですけど」と伝えると、すんなりと「じゃあ、こちらでもチェックしてみます」と引き取ってくれた。

 2時間ぐらい後で電話がかかってきた。「やっぱりメモリーが悪いみたいで新品に差し替えておきました。メモリーのせいでXPのインストールがうまく行っていないみたいですが、こちらでOSを再インストールしておきましょうか」と店員さん。もちろん、販売時にはVistaを入れていたので、再びVistaを入れておきましょうか、ということである。気の利いた対応だけれど「そのままで良いです」と断った。

 不具合がありながらもインストールしたXP。起動してみると、早い早い。スイッチを入れてあっという間に起動する。「ようこそ」の画面が一瞬だけ出てすぐにデスクトップが表示される感じ。使っているノートパソコンのハイバネーションと同じぐらい。もしかすると、フロッピーベースのMS-DOSよりも起動が早いかもしれない。それだけで、ものすごく快適。

 Vistaは何をしても重い。速いパソコンを買ったのに、速さを感じられない。気の利いた演出が満載ではあるけれど、そんなに必要じゃない機能のためにものすごいリソースが費やされている気がする。操作するたびにいらいらすることもしばしば。エクスプローラーではバクじゃないかと思うような挙動をすることがある。画面がきれいなのは良いと思うけれど、道具なのだから快適に動いてくれた方がうれしい。

 1週間ぐらい使ってきて「Vistaじゃないとできないこと」を考えてみても、まったく思いつかない。いや逆に、VistaにしたらMIDIシーケンサーが動かなくなっちゃって困った。

 なので、もう一度インストールするのはVistaじゃなくてXP。Vistaを入れてもらってもすぐに消す運命だから、不具合のあるメモリーさえ差し替えてくれればOKなのだ。

 夕方、お店に取りに行くと「すみません、二度とこんなことのないように努めますので」と丁寧な対応。OSが普通に起動するのだから、組み立てたときには気づかなかったのも仕方がない。迅速に気持ちよく対応してもらったので、このお店で買って良かったなと思いながら店を後にした。

 「これはVistaじゃないとできない!」とかそういう事態になったら、改めてインストールしよう。あ、サービスパックが出るまでは何があっても入れないかも。

3月21日

 XPのインストールの途中でエラーが出る…。

 いくらなんでもおかしいので、ハードウエアの初期不良を疑う。ディスクであれば、もっと分かりやすいエラーが出るはずなので、疑ったのはメモリー。そこで、Memtestというフリーソフトをダウンロードしてメモリーをチェックしてみる。

 CDにプログラムを焼いて、CDからブート。チェックが始まった途端、画面が真っ赤になり、エラーを延々と表示し続けた。閉口するぐらいのエラー。どうも、メモリーの初期不良が不安定の原因らしい。起動直後のメモリーチェックでは問題は出ず、OSもちゃんと起動するのだから、かなり微妙なエラーである。

 Vistaが原因ではなかったらしい。こういうときにこそ、出来合いパソコンの強みが出る。自分で組み立てたわけじゃないから、メモリーの不具合があるとすれば、それは初期不良であって、僕の取り扱いが悪かったわけではない。明日にでも仕事をさぼって、交換してもらいに、ショップに行こう。 

3月20日

 ここ1、2年消費を抑えてきた反動か、最近、ものすごくさまざまな買い物をしている。なぜか、家電を買い直したり、腕時計を買ったり。何十万単位でお金を使いのはなんとなく後ろ暗い気分になるものだが、FJで走っていたときのことを考えれば、あまりたいした消費でないことは確か。

 で、最近、更新したのが、デスクトップパソコンだ。WEBの更新とか、仕事とか、知的作業はすべて会社から支給されているノートパソコンに集約しているのだが、音楽とかビデオとかゲームとか、ホビーの分野はデスクトップパソコンで楽しんでいる。仕事用のパソコンに、変なプログラムをインストールして、不安定にさせるわけにはいけないから。で、デスクトップパソコンはこれまで、自作パソコンを使ってきた。1999年ぐらいに1度、パソコンショップで部品をかき集めて作った。Celeron300MHzを1.5倍の450MHzで駆動する安上がりパソコンである。

 そのパソコンをハードディスクを変えたり、CPUをPentium3の700MHzに変えたり、グラフィックボードを買えたりして延命してきた。

 が、そろそろ限界。なので、思い切って最新仕様のパソコンに丸ごと変えてしまおうと思った。

 下調べしてから一宮にあるパソコンショップのGOODWILLに行き、パーツをリストアップしてみる。マザーボードは現在のものよりも3世代も代替わりしていてびっくり。Core2DuoにGeForce
7600に、ケースも放熱性と電源の容量を考えれば新しく…などと、うんうんうなりながらパーツをピックアップ。ケチるとつまらないので、そこそこの部品を組み合わせ、合計すると14万円弱。

 ここで悩んだのが、OS。1つのパソコンを組み立てれば、OEM価格でWindowsVistaが買える。HomePlemiumで15000円ぐらい。Vistaが必要なわけじゃないが、将来、もし欲しくなったとしたら新品で買うと+10000円ぐら払わなければならない。今、買っておけばOEM価格。

 どうしようかな、と店内をふらふら歩いていると、ショップオリジナルパソコンが目に入った。見ると、自分が組み立てたパーツとほとんど同じ感じの組み合わせのものがある。価格を見てみると、ほとんど自作と変わらない。いや、組み立て工賃と、部品同士の相性の問題などを考えるとかえって安いぐらいである。

 なんだか、組み立てるのが馬鹿らしくなってしまった。出来合いのパソコンを買った方が良く思えてきた。そんなにこだわりがあるわけじゃないし。なので、パーツのグレードを落とした10万ちょっとの出来合いパソコンを選ぶ。Vista抜きだと-15000円なので、店員に「OSなしバージョンはないか」と聞くも「在庫があるわけじゃないので5日ほど時間をください」との返答。買う気満々で来ているのだから、待てるわけもなく、Vista仕様のパソコンを購入し帰った。

 わざわざOSを入れ替えるのもめんどくさいので、そのままVista仕様で使っている。ユーザーインターフェイスは美しくなっているけれど、「だから何?」と言われてしまうとつらい。

 安定性に問題があるように思う。もしかするとメモリーかなにか、ハードウエアの問題かもしれないのだが、OSが丸ごと変わってしまったので何とも判断しがたい。ちょっと閉口するぐらいプログラムが落ちる。Explolerが何度も落ちるのはどうしてなんだろう。

 で、いま、XPのインストール中。

3月19日

 はだか祭で何かあった訳じゃないのだが、慢性的な運動不足の中、1時間も肉弾戦を繰り広げたものだから、疲れ果てて1週間ぐらい疲労が残った。まあ、祭当日に午前2時まで飲んでいる僕がいけないんだけれども。

 結論から言うと、祭は良いよ。各地の有名な祭の地元の人で「祭のために1年間暮らしている」という人がいるけれど、分かる気がする。

 国府宮のはだか祭は「厄」を落とす祭である。ざっくりと言ってしまえば、近隣の人々の厄をかき集めて、その年に選んだ「神男」になすりつけるのが祭の意味である。

 裸になる人の大部分が厄年の男。地元から裸で出発し、国府宮まで歩きで向かう。国府宮に参ることができない人たちの厄をのせた「なおいぎれ」を巻いた笹を担いで、道中で酒を振る舞ってもらったり、交差点で暴れたりしながらえっちらおっちらとやってくる。今年は3月の暖かい日だったけれど、普通は2月の厳寒期である。参道にたどり着いたところで、ほとんど戦意を喪失し、そのままバスに乗って風呂&宴会場に向かうというパターン。

 僕はといえば、ずるをして参道脇の建物でふんどし姿になって出て行くだけである。横は入りみたいでなんだか申し訳ないのだけれど、これも仕事なのだから仕方あるまい。

 なぜか、稲沢市長に下帯を巻いてもらう。「神男を目指すのはお前だけだから、解けないように」と、とびっきりがっちりと締めてもらった。はっきりいっておしりの穴が痛い。これでもか! ってぐらいにぎゅっと締め付けられ、ばっちり気合が入った。あまりにも強く締めたため、座ることもままならない感じ。座ろうとすると、おしりの穴が圧迫され、やばい。

 はだかで外に出ると、参道にいる人たちの注目を浴びる。裸男が着けているはちまきとかの布きれは「なおいぎれ」といって、お守りとなるのだが、それを求めて、わらわらと寄ってくるのだ。逃げようと思ったら参道に行けばよい。この日ばかりは参道が裸男の聖域となる。服を着ていて中に侵入すると周りの酔っぱらいどもから怒声が浴びせられるのだ。

 それにしても裸になって布きれを持っているだけで、女子高生から声をかけられるこの不思議な感覚。僕自身に興味があるわけじゃなくて、布が欲しいだけなのだが、かなり気分が良いものである。

 市役所職員の笹の奉納に合流し、参道をスラローム走行。まっすぐ走ればあっという間に到着する距離なのだが、東の壁に向かい、西の壁に向かい、ふと思いついたように担いでいる笹を地面に立てたりと、とにかく暴れまくる。裸で笹を担いでいるわけだから、肩や首は擦り傷だらけとなる。

 奉納を終わらせると神男登場までにしばらく時間が。本来なら、寒風吹きすさぶ中、ふるえながら酒を飲んで待っているのだが、僕はとっとと建物の中の控え室へ。本当にずるばかりしている。

 日が暮れかかったころ、ようやく神男が登場し、裸男が触ろうと殺到する「もみあい」となる。

 もみあいに欠かせないのが、潤滑油代わりとなる水。乾いた肌同士でこすれ合ったら、それだけでけがをする。冬の夕方に裸で表をうろうろしていて、水をぶっかけられたら、それこそ寒くて死にそうになるのだけれど、こればかりは仕方がない。

 水をかける役割を担うのが「手おけ隊」。国府宮近くのある地区の人たちだけができる特別な仕事である。笹奉納の列の最後尾にやってくる。手に持ったおけを肩の上に高らかに掲げて登場するのがとってもかっこいい。

 手おけ隊は参道わきにある水場で水をくむと、走って裸男に突進してきて、神男を待ちわびる裸男たちに水をぶっかける。

 「寒い」と水から逃れようとしたが、それを狙うかのように水をかけられた。開き直り、一人では寒いものだから他の裸男とともに「わっしょい、わっしょい」と叫びながら水を浴び、神男が登場するのを待つ。10回以上水を浴びていると、突然、裸男たちが一方に動き出した。

 「神男だ」と直感し、走り出す。すでにもみ合いが始まり、裸男の集団は右へ左へと一つの固まりのように動き回る。意を決して裸男たちをかき分けかき分け、神男に近づこうとする。が、突然ものすごい圧力を受けて外にはじき出された。

 再挑戦するも今度は下帯をつかまれて、外に引きずり出された。もう一度入ったが、疲労でひざががくがくと震えて思うように進めない。たぶん神男は2メートルほど先にいるに違いないのだが、神男は低く身をかがめていて、その回りを過去の神男たちがボディーガードをしているものだから、一度もその姿は見えない。

 一度仕切り直す。もみ合いが境内へと通じる「楼門」の中に入ったところで後ろから付いていく。が、神男に近づくことは不可能と悟った。あらゆる方向からもみくちゃにされ、自分が思う方向に進むことができない。

 進むどころか神男から離れてしまい、手おけ隊の水すら届かない場所になり、体が乾いてしまって、周りの裸男とこすれあってとても痛い。行き場所がなくなってつぶされ、息すらできない瞬間も。圧死するかと思った。集団に翻弄されるままになっていると、神男はゴール地点である儺追殿に到達してしまった。

 「あーげーろっ。あーげーろっ」。裸男たちが手を振り上げて叫び始めた。ここまで1時間近く。外野の僕ですら、ものすごい疲労を感じているのに、裸男たちの圧力の真ん中にいた神男は死にそうになっているに違いない。「もういいから早く上げてくれ」と思いつつ、同じように叫んでいた。

 叫びながら儺追殿を見つめると、裸男たちの間から、建物の中へ引きずり上げるられる神男がちらりと見えた。神男経験者が腰にひもをまきつけて儺追殿から飛び出し、裸男たちの上を走って神男にすがりつき、建物の中に引っ張ってもらうのである。儺追殿に到着してから10分以上かかってようやく収容された。神男を見たのはこの瞬間だけだった。

 祭りは終了。神男に触れなかった悔しさを感じながら、とぼとぼと参道引き上げていると、参拝客から拍手を送られた。自分も祭のスペクタクルをつくりあげた裸男の一人。そう実感し、胸が一気に誇らしさと充実感で満たされた。

 裸になってしまえば日ごろの肩書は関係なく、皆平等。自分も主役の一人となれるのが、はだか祭の気持ち良さだと分かった。もしかして、また来年もやりたくなるかもしれない。

3月1日

 ついに来てしまった2日のはだか祭り。

 初めて買ったコンタクトレンズを着けて、ふんどし締めて裸男になり、数千人の裸男とともにもみ合うのだ。

 裸男の圧力は、息ができないほどだという。過去には死んじゃった人もいるので危険極まりないことには間違いない。

 とりあえず、今日はなぜか稲沢市長からはだか祭りの肝を教わった。圧力に屈して、転んだとしたらうつぶせに。仰向けになったら、踏みつぶされてあっという間に瀕死である。いろいろレクチャーを受けたのだが、聞けば聞くほど顔が青ざめるばかりなのである。

 とにかく、生きて帰ってこれば良いや。

2月25日

 3日連続で飲み会。

 1日目の水曜日は後輩の送別会。一宮で市役所の人たちとかと飲む。この日は夜勤だったので軽く飲んで終了。

 木曜日は江南市役所を3月いっぱいで退職する部長さんと。定休日の寿司屋をにわざわざ開けさせての一杯会。さすがに2日目になると、なんとなく胃腸の調子がおかしい。

 金曜日は東京に転勤になる同期の送別会。いろいろ世話になった人なので、とことんつきあう。とことん、飲んで歌っていたら、午前6時になってしまった。

 電車で帰っている途中、電話がかかる。仕事でミスをしてしまった。のほほんと飲んでいる場合ではなかったみたい。

2月20日

 生まれて初めてコンタクトレンズを買ってみた。

 考えてみると、生きてきた時間の半分ぐらい、眼鏡をかけていることになる。もっとも、物心付く前の時間を考えれば、眼鏡と僕ってもう切っても切り離せない感じになっちゃっている。眼鏡をかけていない自分の顔がなんとも間抜けに見えてしまうのだ。

 これまでも何度か買おうかと思ったこともある。鈴鹿で走ったときとか、減量のためにランニングしたくなったときとか。が、手入れが面倒なのがいやなのと、なにより、目に異物を入れちゃう恐怖心からとりあえず、眼鏡をかけていれば問題なかったので、こんな年齢になるまでコンタクトレンズとは無縁な日々を送ってきたのである。

 今回、どうしても買わなくてはならなくなってしまった。それは、3月2日の国府宮はだか祭に参戦するから。ふんどしして酔っぱらった男どもの群れの中に、自分もふんどしして分け入って、いくのだ。

 国府宮はだか祭りは裸の男がただ押しくらまんじゅうしているんじゃなくて、目的があってある一点に向かってなだれ込んでいるのである。

 祭り当日、参道と境内は裸男のためだけの聖域となる。僕は去年、仕事のために服を着て参道に入ったことがあるけれど、周りからの怒声がひどかった。服を着ているやつが神聖な場所に入ってはいけないのだ。裸になって清めの儀式を経た人間じゃないと基本的には立ち入っちゃいけないのである。

 裸男の目的は、「神男(しんおとこ)」にさわることなのである。さわると何かよいことがあるのか、といえば、さわることで自分の厄が神男に移り、厄落としになるのである。

 酒に酔って目が血走った神男が数千人、参道の中で手ぐすね引いて待ちかまえる中、タイミングを見計らって神男がどこからか参道に入る。神男が入る場所は毎年変わり、極秘事項である。神男にさわるのが目的で裸になっているのだから、みんな神男に大挙して押し寄せる。ただでさえ、満員電車並の込み具合なのに、ある一点に向かって押し寄せる姿を想像してほしい。中に入ってしまうと、息もできないぐらいの圧迫を受けるし、下手して転んでしまった日には、踏みつけられて死んでしまうかもしれない。

 そういうデンジャラスなお祭りなのだが、もっとも危険が危ないのが神男。まさしく、群衆の圧力の中心にいて、普通にタッチするだけならかまわないけれど、酔っぱらいもいる。無理矢理手を伸ばしたり、飛び込んだりしてくるやつもいる。参道に入って、ゴールの儺追殿(なおいでん)に抱え上げられるまでの1時間で、前身打撲を負って動けない状態になってしまうのである。鉄鉾会(てっしょうかい)
という神男OBの会がボディーガードを務めるのだが、それでも最後にはほぼ意識不明の状態で儺追殿に引きずりあげられるのである。

 で、そんな危険なところにふんどししめて突入することになった。好きで行くのではなく、仕事なのである。群衆の中で何が起きているかを見てこなくてはならない。

 場所は、将棋倒しよりももっと状況が悪い場所。眼鏡なんかしていたら危険この上ない。僕は眼鏡を外すとまったく何も見えなくなるので、仕事をちゃんとしたかったらコンタクトを買うしかないのである。

 で、江南市内の眼科に行ってコンタクトを買う。眼科だから親切丁寧に説明と装着指導をしてくれた。入れようとすると、無意識に目を閉じてしまったり、頭が後ろにのけぞったりする。何とか入れて診察を受けて無事購入。1回使い捨てタイプである。慣らすために、ここ何日かはコンタクトで過ごしてみようか。眼鏡をしていない僕は、たぶんほかの人から見たら「誰?」という事態になってしまうから困った。マジックで顔に直接眼鏡のように線を書いたら、案外、自然に見えちゃうかもしれない。

 ちなみに、みんなが裸の中で、どうやって神男を見分けるか。簡単である。彼だけは本当に裸なのだ。

2月17日

 一宮の仕事場に関係者でもないのにフラリと毎日現れ、テレビを見て新聞各紙を見て帰る80近いおじいさんがいることは、ちょっと前に書いた。昔は関連会社で働いていたのだが、退職して庭師になった後も毎日夜になると来る。とにかく毎日来る。たぶん1年に350日以上。もう空気みたいな存在になっていて、仕事場のみんなも「なぜいるんだろう」という疑問を感じつつも、戦後の武勇伝だとか裏社会の仕組みだとかを聞いて感心しているのだ。

 ところが、最近ぱったりと来なくなった。選挙があるときだとか、忙しいときならばあまり気にかけないのだが、いまはそんな時期じゃない。1日だけだったらときどきあるのでよいのだが、2日来ないと「昨日も来てないよね」と心配になる。3日目には「これは異常事態だ。たぶんこれは、ここ20年は起きたことがない事態だ」というちょっとした騒ぎになった。が、奥さんの体調が悪いという話を聞いていたので「奥さんが悪くなったのかしら」と思っていた。それでも、会社に所属しているわけでもないし、ぱったり亡くなっていたらさすがに誰かから連絡が来るはずなので、気にしつつもそのまま数日が過ぎていった。来ない毎日に何となく寂しさを感じ始めた今日この頃、さすがにそろそろ自宅に電話をしようかと思っていた。

 で、今日、仕事が一段落したので後輩とともに食事へ。11時すぎに帰ってくると、出たときにはなかった傘が入り口付近に。もしかして、と思って玄関を開けると鍵が開けてある。やっぱりと思い事務所内部を見回したが、だれもいない…。あれっと思った瞬間、ソファーの上でむくっと人影が起きあがった。

 間違いなくおじいさんなのだが、首にコルセット。瞬間、なにか事故にあったことを悟る。「どうしたの?」と少々大きな声で聞いてしまった。

 10日前に、松の木の剪定をしていたとき、細い枝に足をかけてしまって、3メートルぐらいの高さから落ちてしまったのだという。最大級の尻餅を付いて、救急車で運ばれ、そのまま入院した。

 人間、70にもなると、転んだだけで手足の骨を折り、それがきっかけで寝たきりとなる場合も少なくない。んが、このおじいさんは、80を目前にしながら元気に松の木の上に登り、「上の方で作業していれば緊張しとるが、下の方に下りてくると庭師はだれしも油断する」と彼が言うその通りの理由でぶち落ちてしまった。

 ところが、骨一つ折ることなく、10日の入院だけで病院を出てきてしまった。おじいさん曰く「もう良い、こんなところにはもうおれん、と自分から出てきた」。

 3メートルの高さから落ちたら若者だって、下手をすると死ぬことさえある。それが首のコルセットだけ。年齢が年齢だけに、頸椎の1つでもつぶれてしまっても不思議じゃないのに。こりゃ、100までは楽勝に生きるな。

 「庭師が落ちたと知られたらみんなに笑われるわぃ」とがははと笑うおじいさん。病院のごはんはさぞかしおいしくなかったでしょう、と、まだ残っていた巨大ハマグリと巨大貝柱を食べてもらった。「こりゃ、また3年は長生きするぞ」とおじいさん。今の目標は3月2日にある国府宮のはだか祭ではだかになることだという。