11月1日

 愛知・瀬戸に住んでいる兄貴から電話が。「優勝、おめでとう」と。普通に仕事場にいてだらだらと過ごしている僕のテンションの低さに、とまどったみたいな兄貴。

 53年ぶりの日本一なのだが、中継をやっていても見て応援するわけでもないし、ときどきスポーツ欄で何位にいるかを把握するぐらい。いくら親会社にいるとはいえ、興味がなければ、うれしいというわけもなく、ライコネンの優勝を見ていたときの興奮の100分の1ぐらいか。社内で激しくアピールすれば、毎日落合監督と顔を合わせる部署に行くかもしれないが、モータースポーツ以外のスポーツは書く自信がないのでそれも絶対ない話。

 53年ぶりの日本一だと、冬のボーナスに少しぐらいは反映されるかもしれない。ちょっぴり、期待していよう。

 野球どころではなく、僕の頭は3日の耐久レース。デジカメはなんとかなりそう。ステッカーチューンは明日完成させなければ。エントリーはがきはもう届いた。ガソリンも満タン&60リットル準備。あ、ジャッキはどうしよう。工具もちゃんと積まないとね。なにげに、僕も直管音。触媒とリアの2カ所交換しなければならない。

 変な事件でも起こらなければ、このまま走ることができそう。この3カ月、引っ越しに新しい仕事に車の製作にと、ばたばたと忙しく過ごして来たが、とりあえず、最終戦で走るところまでこぎつけた。

10月31日

 休みだが、午前中は仕事をする。昼にオオミチさんと合流し、カメラのキタムラにてデジタルカメラを物色。画角が35mm判換算で28mmぐらいないと、ドライバーの姿まで写らない。多くの製品は38mm相当で、これぐらいだとハンドルの端っこぐらいしか記録することができないのだ。

 じゃあ、パナソニックとかの広角デジカメで動画を撮ってみたら…、ということになったのだが、どの製品も記録できる最大の長さが1時間弱。1時間の耐久レースなわけで、ピットアウトしてグリッドに並ぶ時間まで考えると、チェッカー10分前ぐらいで映像がとぎれてしまう計算。使えない。

 SDカードで動画を撮るザクティは、映像を撮る分には申し分ないのだが、ネックが画角。とりあえず、いろいろ物色して、ベストなものは探せなかった。ネットで調べてみると、ザクティに自作アダプターでワイコンを付けて使っている人がいるみたいなので、とりあえず今回は広角を我慢する、というところか。

 で、午後はステッカーチューン。ボンネットに3つの社名ロゴが付き、ただ者ではない姿にはなった。

 夜は、前任地の愛知・一宮から後輩が高岡に仕事に来る、というので、富山のおいしい寿司をおごることに。富山の後輩も入って3人が遠慮なしにわしわし「キトキト」なお魚を食べてくれたので、耐久のエントリーフィーぐらいが財布から消えた。

10月29日

 レースに向けて、残る準備はステッカーチューンぐらい。これがセンスがもろに出てしまうから、頭を悩ませるところ。生意気にも、というかご縁があって初戦からスポンサーがあるので、スポンサーが目立つようにとあれこれ考える。

 3時間の耐久レースなので、消費するガソリン量も馬鹿にならない。レース中だけで少なくとも40リットルは消費する。うちのチームの場合、行き帰りは自走なので、それも視野に入れて60リットル持ち込むことにする。雅久号のガソリンタンクは満タンにした。会社の経費で給油できるデミオに入れたふりをして、すでに携行缶で40リットルを確保してある。あとは縦型給油缶を満タンにしてこれば、ガソリンは準備OK。

 ノーマルエンジンなのでレギュラーでOKなのが助かるところ。11月に入ると大幅値上げがあるみたいなので、他の耐久参加者は10月中にガソリンを確保すべし!

10月28日

 勤務日だが、午前中に1時間ぐらい作業できそうだったので、夜勤明けでふらふらの中、工場へ。LAP-SHOTのステー作り。アルミ板を切って曲げて穴を開けてビス留めするだけ。

 あまりがんばって仕事をしなくても良い感じだったので、夕方、再び工場へ。勝手に入って勝手に電気を付けて、もう好き放題。お世話になっています。

 ラジエーター下のアンダーカバーが付いていなかったのでちょっと加工して取り付け。マスターシリンダーストッパをどうするか考える。

 シェイクダウンのとき、びっくりしたのがNA6CEのブレーキ。ゴムホースだったこともあるけれど、ふかふかのぼよぼよで最悪のタッチ。僕の車の場合、NA8Cのブレーキを移植してあって、フロントにステンメッシュが入れてある。これだけでマスターシリンダーを固めなくてもかっちりと良いフィーリングで満足していた。

 とにかく、踏みごたえではなく、ブレーキのストロークだけで効きを判断する感じにがまんできなかった。ま、慣れてこればそれなりにコントロールできるんだけれど。

 マスターシリンダーストッパはRSファクトリーSTAGEで車を買ってきたとき、Tさんが「あげるよ」(商売っけまったくなし)と言ってもらったものがあったが、取り付け時にぶっ壊れたみたい。シリンダーを固定できれば良いのでしょう、とエンジンルームをのぞくが、ロードスターの場合、近くにステーをとめるような場所がないので、ボディーを利用した固定はけっこう大変そう。素人なら製品を買って付けた方が早い。

 そこら辺を見回したら、ぶっ壊れたストッパがあったので、あてがってみる。ストラットタワーに固定して、動きを規制するタイプ。シリンダーと3ミリぐらいの隙間があって、その隙間をボルトを締め込んでいって固定する仕組みなのだが、ボルトがねじ切れて使用不可能。

 ドリルでもむかとも思ったが、シリンダとストッパの間に何かを挟めば良いことに気づいて、そこら辺に転がっていた部品をプラハンで打ち込んで、走行中に落ちないようにテープで固定して終了。たぶん、効いてる。

 ブレーキフィールを確かめたくて、ふらふらとドライブ。かっちり感が出てかなり良い感じ。

10月27日

 木、金と連休。本当は今日も休みだったのだが「あ、ごめん、出てくれる?」という上司の一言で終わった。おわらサーキットに行く予定だったのに。

 連休で、ばりばりに電気配線をやりまくる、というか悩みまくる予定だったのだが、木曜日に工場に行ったら、すでに配線が終了していた…。内装もできあがっていて、あとはLAP-SHOT本体を固定するだけ!という状況。向学のために、水温センサーやLAP-SHOTの配線処理を見る。実にきれいに配線されていた。

 NARDIの33センチのステアリングが届いていたので、タイロッドとともに交換。昼食後ホームセンターに行き、ガソリン携行缶を購入。すでに2缶持っていて、40リットル運ぶ能力があるのだが、自走だからもう1缶ぐらいあった方が良いかな、と。ポピュラーなのは赤くて平べったい形なのだが、この缶だと積載性が異常に悪い。なので、ポリタンク型の縦型携行缶を買った。価格は倍するが、積む場所がないロードスターの場合、縦型だとシートの後ろに積めるので少々の出費は仕方がない。色はネオグリーンをもう少し暗くしたコンバット色なので、Vスペにぴったり。

 コックピット回りはだいたい完成したので、慣れるためにもドライブへ。ここら辺はナンバー付き車の特権。

 立山通りを普通に流してドライブ。エアコンもパワステも取っ払って軽いためか、とってもフィーリングが良くて楽しい。ダンパーの減衰がそのままなので、段差があるとはねたりするけれど、それほど不快でもなく、危険も感じない。思ったよりも速い。

 立山駅周辺はすでに紅葉。なかなか景色が良い。富山って北アルプスをはさんだ裏側の松本かいわいと似ていて、北アルプスが突然壁のように立ちはだかるので、途中のなだらかな山間部がない。山に向かう多くの道は、谷を走ってそのうち行き止まりになってしまう。狂ったように山道を走っていた松本時代が懐かしい。

 同じ道を引き返してもつまらないので、別のルートを選ぶと、川の対岸側になかなか良い道があった。攻めるとちょっと速度域が高くなってしまうので、もう少し曲がりくねっていても良いのだが。テストコースにはなりそう。

 帰ってきて、洗車。日が暮れて、おおとろ亭になだれ込んで、ビールを飲んで意識を失う。

 金曜日は、エンジンルーム内の部品を、オレンジ耐久号のものをコピってアルミ板で製作。適当に作ったら、適当にしか付かなかった。ステッカーチューンに備えてボディーを磨く。そこは自動車工場なので、ポリッシャーや業務用磨き剤などを使い、本格的に。簡単にやっただけなのだが、けっこう疲れる作業だった。リアとか塗装がどうしようもないぐらい劣化しているのだが、まあ普通に見られる車になった。なにせ、レースカーだから、見た目も重要。

 再びおおとろ亭にてごはんにビールで意識を失う。

 今日は、仕方がないから午前中に仕事に出る。ちゃちゃっと2件こなした。2件目で空港近くでやっている「食の王国フェスタ」というイベントに行ったので、旧大山町名産のミョウガ寿しを買って再びおおとろ亭に行き昼食。もう、自分の表札を付けちゃいたいぐらいの入りびたりぶりである。

 夕方は仕事をさぼって、STIKAでステッカー製作。ステッカーチューンで、見た目3秒アップの予定。

10月24日

 修理に出していたレンズが戻ってきた。

 伝票を見ると、絞りユニットに不具合出ていて、交換した、とのこと。部品代と技術料、返送&代金引換の手数料でしめて9975円。

 キヤノンのホームページで修理受付の場所があったから、それを利用した。壊れた部品の型番や、不具合の状況をあらかじめ登録しておき、修理番号を発給してもらってから、その修理番号を添えて、センターに送る仕組み。富山からだと名古屋が近いので、名古屋のセンターに送付する。

 この方式だと、現在、修理がどこまで進んでいるかを表示できる。修理が終わって返却する際、ちゃんとメールをくれるから、あわてることもなく、受け入れ準備も可能。けっこう便利。

 何よりも1週間ちょっとで帰ってきたこのレスポンス。いちおう、我が社は大口な顧客なはずなので、なにかおまけがないのかな、と淡い期待を抱いていたのだが、どうやらなにもなかったみたい。

10月23日

 岐阜・富山県知事が群がるということなので、高岡方面へ。高岡入りする前に、伏木富山港を視察するというから、まずはそちらへ寄る。

 新湊のターミナルへ行く、ということなのだが、なにぶん、まだ土地に不案内なので携帯ナビを駆使。検索したら、それっぽい名称の事務所名が出てきたので、そこへナビってもらう。

 なんか、新湊の市街地を通って変なルートを通らされた。時間ぎりぎりに到着すると、そこは国の事務所。ターミナルは県営なので、根本的に間違っている。まあ、海沿いに走ればなんとかわかるでしょうと、海岸線を東に走ると、それっぽい施設がないまま海王丸パークへ。おかしいと思い、地図を見ても載ってない。まあ、いいや、と海岸線ドライブに切り替えた。本当は、海王丸パークからもう少し走れば、目的地だったらしいのだけれど。

 再び海岸線を西に走る。どうしても目に入るのが二上山。やっぱりむらむらっと来て、万葉ラインへ。

 実に久しぶり。コースはちょっとは覚えているけれど、初めて走るようなもの。ま、どうせデミオなのだから、いくらとばしたところで上り坂では加速しない。それでも、どうりゃあ、と細いタイヤ4本をきしませて、攻める。たぶん、はたからみたら、攻めているようには見えないに違いない。

 のろのろデミオだが、操ることの楽しさって別に変わらない。水温計も付けていないし、ブレーキもノーマルだから、そこら辺を気遣わなければならないのが残念なぐらいで操っていることには変わりがないのだ。

 カントリーレストハウスの横を猛スピード(のつもり)で通って、パーキングまで突っ走り、Uターンして猛スピード(のつもり)で引き返す。昼間走ると展望が良くてなかなか良い道。

 高岡の仕事拠点で、高岡のボスに昼飯のうどんをおごってもらい、ホテルオークラへ。知事同士の密談は聞かせてくれないということなので、1時間ちょっと時間が開いた。だったら、街中を歩くしか、あるまい。

 高岡大仏は修復工事中で足場で囲まれていてほとんど見えなかった。高岡古城公園に入って、堀のそばとかを歩いてぐるりと一周。ぐるぐると歩いて、盛り場の恵比寿通りへ。デパートの大和があったが、周辺も含めて、最近は富山市の方が元気があることが実感できた。この差は、市長の手腕か。

 2人の知事のお話を聞き、高岡の仕事拠点でちょちょいと仕事をし、富山に戻った。

 高岡の中心市街地の一断片を体感して富山に引き上げる。国道8号は味気ないから県道44号で富山へ。この県道が走っているルートや、途中の街並みから、昔の国道8号じゃないかしら、と思って家に帰って調べたら、やっぱりその通りだった。

10月22日

 いろいろパーツがついてきた雅久号。そろそろレースに出場するための細かなことを決めなければならない。その中の一つが、エントリー名。

 作業でいい加減疲れてきた頭の中、せっかくVスペで耐久を走るのだから、ヘッドカバーをショッキングピンクに塗り、バンパーを黄色く塗って「すたげハッピー1.5号」みたいなエントリー名にしようか、などと半ば本気の冗談を言っていた。大人が本気でやるネタとしてはなかなかいけてる。

 おおとろ亭ラクティスにてお出かけの途中。たんぼ道の真ん中でオオミチさん、突然ひらめいた。

 「まっさGoGoだろ」

「まっさGoGoだろ」

 僕はまさであって決してまっさではなく、ライコネンの威光の陰に隠れて、本当に速いのかどうか、微妙な感じのドライバー名をぱくってしまうと、なんだか自分まで微妙な感じになってしまいそうで怖いのだが、ちゅうとろ君も最近は「まさ」から「まっさ」と「ま」と「さ」に微妙に力を入れて呼び捨てするようになり、なんだかもうまっさが既定路線になりかけてしまっている。「フェラーリレッドで塗ってやろうかw)」などとマジな目つきで話してくるし。

 もうすでに、まっさGoGoも既定路線になりかかってきた今日この頃。ま、ひらめいてしまったものは仕方がない。ドライバーもほぼ固まった。とりあえず最終戦は、TORFから控えドライバーに参戦してもらうことになるかも。控えが一番速いという噂は聞かなかったことにしてください。

 あ、出るのはこのレースです。ページを見てみたら、自分の車が出ていてびっくり。

レース

 いちおう、TORF3号車という扱いで間違いないのだが、一応、プライベート参戦ということで。

10月21日

 がんがん飲み過ぎて寝坊。二日酔っぱらいで、朝から頭が回らない。のろのろとしか作業を進めることができず、全然、車づくりは進まない。今日は、車づくりを進めた、というよりは進めてもらった。

10月19日

 昔っから名古屋の方では都市伝説として語り継がれていたことが、あながちまったく外れではなかったことが発覚して驚く今日この頃。

 都市伝説は、名古屋駅とかで夕方以降も赤福がうず高く積み重ねられて売られているのを見て「絶対、毎日売れ残っているに違いない」という疑惑から、ささやかれていたもの。曰く、「赤福の売れ残りは回収されて、あんともちが分離された後、あんはI村屋のあずきバーに、もちはMスヤのおにぎりせんべいに生まれ変わる」というもの。いずれも三重県に本拠を置くメーカーの商品だ。「赤福を回収したトラックをつけていったら、両メーカーの工場に入っていった」なんてリアルな証言までまことしやかにささやかれていた。

 実際、マSヤのホームページのQ&Aでは「おにぎりせんべいは、赤福餅の残りでつくっているとの「うわさ」は本当ですか? 」という質問があり、

 「質問の意味がよくワカラナイ…という方も多いと思います。実は、創業294年の歴史を持つ伊勢名物『赤福餅』の社長(10代目)が昭和40年にマスヤ食品(株)を設立、昭和44年『「おにぎりせんべい』が発売となりました。このような事から、ご質問のうわさにつながったのだと思います。原料は同じお米でありますが、赤福餅はモチ米、おにぎりせんべいはうるち米を原料としており、まったく種類が違うものです。どうぞご安心下さい

質問の意味がよくワカラナイ…という方も多いと思います。実は、創業294年の歴史を持つ伊勢名物『赤福餅』の社長(10代目)が昭和40年にマスヤ食品(株)を設立、昭和44年『「おにぎりせんべい』が発売となりました。このような事から、ご質問のうわさにつながったのだと思います。原料は同じお米でありますが、赤福餅はモチ米、おにぎりせんべいはうるち米を原料としており、まったく種類が違うものです。どうぞご安心下さい

 という説明が書いてある。

 とっても大人の対応な感じで回答が書いてある。が、売れ残りの赤福から分離した餅を「むき餅」と呼び、分けたあんは「むきあん」と呼んでいたことを考えると、今回の問題が発覚したからには、このマスYの説明もなんだか素直に信じられない感じ。約半分を赤福とおにぎりせんべい、ピケ8
の関連会社「和菓子の万寿や」に売っていた、という記述を読むと、あながち噂でなかったんじゃないかと勘ぐってしまう。

 井M屋のホームページを見る限り、事件を受けた記述はないから、たぶんあずきバーは白だと思うが、おにぎりせんべいは調査が終わらない限り、なんとなくグレーな気分。

 それにしても、白い恋人といい、赤福といい、けっこういい加減な品質管理がまかり通っていたんだなと思う今日この頃。日々、行政とかに接していると、「いい加減だなあ」と思うことが多々あるけれど、日本社会全体が一つ、気合いを入れる時期なのかもしれない。

 と自分のことは棚に上げて、書いてみる。