12月26日

 二日酔いで体がだるいな、と思っていたのだが、どうも様子がおかしい。午後すぎになっても夕方になっても、頭が少し痛いし、思考もはっきりしない。これはもしかしてと思い始めたころに寒気がしてきた。風邪だ。

 いつもはのどから兆候が現れるのだが、今回は体のだるさだったみたい。何となく仕事をこなし、夜の忘年会に臨む。とりあえず、宿直が当たっていたので、アルコールは控えることに。ほっとウーロン茶などを飲みながら、ひたすら飯だけ食べて体のだるさに耐えていた。

 1次会がお開きになり、2次会へ。みんなでカラオケに行くという。せっかくの機会だから付き合うことに。

 元気の良い連中ばかりなので、気がついたら午前4時を回っていた。風邪を治すにも睡眠不足じゃあ、なんともならないな、と分かっているけれど、寝る前にこんな文章を書いている僕がいたりする。

12月24日

 振り替え休日だが問答無用でお仕事。がらんとした県庁内の一室(でも同業他社は3人もいる。仕事熱心な人たちだ)で、ちょっとできた時間にくだらない文章でも書いてみる。

 と、ここまで書いて気がついた。同業他社の人が電話で「クリスマスなのにすみません」と話したから。

 クリスマスイブじゃねえか…。

 とここまで書いたら既視感(デジャブ)におそわれた。あっと思い、2002年の日常を読み返してみると

 年内には金曜日に東京に行く以外は、すでに仕事らしい仕事がない、というか年内に仕事らしい仕事をするつもりがないので、かなり余裕たっぷりに過ごしている。だから、Freedomネタ更新2連発目! ネタの大盤振る舞いなのだが、今日、更新作業をしていて気が付いたことが一つ。

 年内には金曜日に東京に行く以外は、すでに仕事らしい仕事がない、というか年内に仕事らしい仕事をするつもりがないので、かなり余裕たっぷりに過ごしている。だから、Freedomネタ更新2連発目! ネタの大盤振る舞いなのだが、今日、更新作業をしていて気が付いたことが一つ。

 クリスマスイブ、じゃねえか…。

 クリスマスイブ、じゃねえか…。

 車野郎、すなわち、「Car is my life!」というか「Car is my wife!」と言い切ってしまえるぐらい危ない領域に達してしまった、「ヲタク」青年、すなわちギャルギャルにまったくもてない代表格の男である僕が、いくらクリスマスイブのことに対し、「キリスト教信者でもないのにクリスマスを祝うなんて、ただ商業主義に踊らされているだけじゃねえか。けっ」とすこぶる正しく吐き捨てようが、やはり、世の中のアベック(死語?)は一緒に過ごしていて温かい気持ちになっている厳然たる事実が存在するのである。いくら僕がクリスマスを祝って除夜の鐘を突いて、初詣に行くような3つの宗教を渡り歩く節操のない国民性を攻撃する、まったくの「正論」を吐こうが、世の中はそんなことにお構いなく、ハッピーであって、吐いた正論はただのひがみであって、ジェラシーであると断罪されるのがオチだから、やはり僕はただのロンリーな車野郎なのかもしれない。

 車野郎、すなわち、「Car is my life!」というか「Car is my wife!」と言い切ってしまえるぐらい危ない領域に達してしまった、「ヲタク」青年、すなわちギャルギャルにまったくもてない代表格の男である僕が、いくらクリスマスイブのことに対し、「キリスト教信者でもないのにクリスマスを祝うなんて、ただ商業主義に踊らされているだけじゃねえか。けっ」とすこぶる正しく吐き捨てようが、やはり、世の中のアベック(死語?)は一緒に過ごしていて温かい気持ちになっている厳然たる事実が存在するのである。いくら僕がクリスマスを祝って除夜の鐘を突いて、初詣に行くような3つの宗教を渡り歩く節操のない国民性を攻撃する、まったくの「正論」を吐こうが、世の中はそんなことにお構いなく、ハッピーであって、吐いた正論はただのひがみであって、ジェラシーであると断罪されるのがオチだから、やはり僕はただのロンリーな車野郎なのかもしれない。

 なぜか、このときと同じ状況にいる自分が不思議だ。

 ちなみに2001年のクリスマスイブ。

 世間がお祭り気分で華やいでいるときに出勤。どうせ休んでいてもなんの予定も入らないから、仕事をしていた方が気が紛れる、とも言える。ハードに車をいじった若者の、悲しい末路を暗示している気がする。

 世間がお祭り気分で華やいでいるときに出勤。どうせ休んでいてもなんの予定も入らないから、仕事をしていた方が気が紛れる、とも言える。ハードに車をいじった若者の、悲しい末路を暗示している気がする。

 クリスマスで騒いで、大晦日に除夜の鐘を付いた直後に、初詣に行く。何の矛盾も考えずに、ただお祭り騒ぎしている国民性が最近まで嫌いだった。だから、今日みたいな日に、街中で幸せそうに手をつないで歩いているカップルを見かけたりすると、わぁ、と叫んで走って間に割って入り、突然の蛮声にひるんだ2人の間で「馬鹿馬鹿しいからやめろ!」と奇声を上げ、どんどんと地団駄を踏んでやりたい気分になったものである。いや、これはただのひがみか。

 クリスマスで騒いで、大晦日に除夜の鐘を付いた直後に、初詣に行く。何の矛盾も考えずに、ただお祭り騒ぎしている国民性が最近まで嫌いだった。だから、今日みたいな日に、街中で幸せそうに手をつないで歩いているカップルを見かけたりすると、わぁ、と叫んで走って間に割って入り、突然の蛮声にひるんだ2人の間で「馬鹿馬鹿しいからやめろ!」と奇声を上げ、どんどんと地団駄を踏んでやりたい気分になったものである。いや、これはただのひがみか。

 無宗教ならかまわないのだが、これだけの短期間に3つもまたいで騒いでいるのは閉口していた。ま、世間が騒いでいるときに、うつむき加減に、無邪気だねえ、と両手を挙げながらニヒルにつぶやいている人間はいやな奴だけれど。

 無宗教ならかまわないのだが、これだけの短期間に3つもまたいで騒いでいるのは閉口していた。ま、世間が騒いでいるときに、うつむき加減に、無邪気だねえ、と両手を挙げながらニヒルにつぶやいている人間はいやな奴だけれど。

 最近、ふとしたことから、これが日本人の感覚なんだな、と思うようになった。昔の人は北アルプスだとか、御嶽山だとか、ぶっとい大木だとか、巨大な岩だとかを「神」としてあがめていたんだな、と。自然全体が神でたくさんの神がいることが普通だったのだから、仏様がきてもキリスト様が来ても神の一つに組み込んじゃったのね。そう思ったら、さまざまな宗教の節目に騒いでいるにも悪くはないかな、と思い始めた。ホントに、つい最近。

 最近、ふとしたことから、これが日本人の感覚なんだな、と思うようになった。昔の人は北アルプスだとか、御嶽山だとか、ぶっとい大木だとか、巨大な岩だとかを「神」としてあがめていたんだな、と。自然全体が神でたくさんの神がいることが普通だったのだから、仏様がきてもキリスト様が来ても神の一つに組み込んじゃったのね。そう思ったら、さまざまな宗教の節目に騒いでいるにも悪くはないかな、と思い始めた。ホントに、つい最近。

 しかし、クリスマスだけは、騒いでいるのが許せないのである。なぜならば、ただひがんでいるからである。こんなことを言っておいて、来年あたり、無邪気に騒いでいたりして。

 しかし、クリスマスだけは、騒いでいるのが許せないのである。なぜならば、ただひがんでいるからである。こんなことを言っておいて、来年あたり、無邪気に騒いでいたりして。

 ハードに車いじりしている限り、無理か。

 ハードに車いじりしている限り、無理か。

 なみだが出るほど悲しい20代半ばのクリスマスを過ごしていたらしい。30代になっちゃった今も、変わらない状況も涙を誘うカモ。

 

 2002年の今日、ちゅうとろ君が誕生した。その子と今、グランツーリスモで競争したり、自転車に乗って追いかけっこをしている。子どもの成長は早いもんだ。

 ということで、素直に5歳の誕生日を祝福しよう!

12月23日

 体力ばてばてで、金曜日夜に飛行機で富山に帰ってこようかと思ったのだが、羽田空港に行くには40分ぐらいはかかる。ばたばたっと出発すれば何とか、間に合ったとは思うのだけれど、ばたばたと行ったあげくに間に合わなかったのではホテル探しとかでかえって疲れるだけ。8時すぎに東京駅から新幹線に乗れば、新潟経由で戻ることはできたのだけれど、3時間以上電車に乗ったらかえって疲れを増幅させてしまう。なので、おとなしく宿取って泊まって帰ることにした。

 愛宕山のホテルに泊まり、朝目覚める。とりあえず、一刻も早く帰りたいと思った前日よりは体力もちょっと回復した。今日中に帰れば良いので、朝一番で帰るのはもったいないと思い、東京の街を徘徊することにした。

 何となく、浅草に行きたくなったので、地下鉄で浅草へ。土曜日だったためか、ものすごい観光客でごった返していた。ああ、浅草ってすっごく歩行者でにぎわっているけれど、観光地なんだな、ということがよく分かった。商店街に客が集まっているのではなくて、観光客が群がっているというこの現実。空洞化に悩む多くの地方都市にはまったく参考にならない商店街ではある。

 一つ、東京の街が分かったと満足して羽田から富山に戻ったのは午後4時ごろ。戻って分かったが、やっぱり富山の方が落ち着く。大都市嫌い。

 やりのこした仕事をこなしたら、午後7時ぐらい。土曜日は毎週おおとろ亭で宴会の予定なのだが、体力的にきつく、寝たかったので家に帰ってビールを大量に摂取して意識を失った。

 朝起きて、昼起きて、おおとろ亭へ。元祖雅号のシフトレバーが、雅久号に奪われて不動車になっていたので、とりあえず動く状態にする。来年も走る耐久レースのドライバーがおわらサーキットに走りに行くとのことなので、一緒に走りに行くことに。今年のおわら走り納めだ。

 考えてみると今年のサーキットは4回目。無心に走ることができたのは今回が初めての気がする。耐久ドライバーに軽くタイムで負けてしまったが、10月のときより1秒上がったのでよしとしよう。

 家に帰って麻婆なすを作って、ビールを大量に摂取して意識を失った。

12月19日

 午前5時すぎに起きて朝一番の飛行機にて、富山空港から羽田へ。富山県の幹部のお供って感じで。東京国際フォーラムでちょびっと仕事をして、ご褒美にお昼ご飯をもらう。なかなかおいしい弁当だとご機嫌で平らげたのだが、1つ4000円と聞いてちょっと引いた。

 午後は少し時間があったので、松本時代の元同業他社で現在デンジャラスタウンのNKにて花屋さんの店長を務める友達と会う。軽くお茶でもしようかとも思ったのだが、なぜか入ったのはステーキ屋。4000円の弁当に続き、サーロインステーキ200gを平らげる。

 夕方、東京本社にて打合会。まだ口の中が肉くさいぐらいなのに、弁当が出てきた。上司を前に残すのも気が引けるので、全部平らげる。

 午後10時すぎに歩いて財務省入り。大蔵官僚からレクチャーを受ける。深夜3時まで延々と続くレクチャー。群がる人々。なんだか、完全に世間の常識とずれた光景だが、彼らにとっては普通のことなんだろう。官庁の中の官庁と呼ばれる財務省の、キャリアなのだから、よっぽど威張っているのかと思ったのだが、見下す感じもなくとっても丁寧に対応してくれてびっくりした。尋常じゃない構造の脳みそを持っているんだなってことだけはいやと言うほど思い知らされた。

 愛宕山のホテルにて3時間ぐらい寝て、本社に上がってぼちぼちと仕事。お昼ご飯を食べて、午後3時すぎに国土交通省へ。5センチぐらいある分厚い資料をもらう。寝不足の頭に数百ページの紙の束はちときつい。うろうろと省内を回った後、都道府県会館を回って再び本社。

 なんとか、仕事を片付けてくだらないことを書いている次第。頭はすでに眠っているのだが、これから銀座で飲み会だったりして。

12月16日

 おおとろ亭のリビングにて目を覚ます。木曜日に3時間睡眠で名古屋から富山に戻った後、金曜は宿直だったので、あっという間に撃沈してしまった。

 とりあえず、デミオのサーモスタットの修理をしなければ。ラジエーターのアッパーホースの、エンジン側の付け根にあると思われるので、ばらす。デミオはロードスターと同じB型エンジンだが、ヘッドがシングルカム(でも16バルブ)で形がけっこう違う上、横置きなので素人だとけっこうとまどう。

 デスビがじゃまだったので、さくっと外す。水回りのホースは、14万キロ近く使っているものなので、間違っても外してはいけない。パンクするまで使うのです。ホースはいじらずにサーモスタットのカバーを外してサーモスタットとご対面。案の定、固着して半開きの状態だった。

 工場やガレージをうろうろとあさって、適当なサーモスタットを探すも、出てくるのはローテンプサーモばかり。ヒーターが効かずに寒いから修理しているのに、ローテンプを入れたら意味がない。

 これ使って良いよ、とのことだったので、NBの中古B6エンジンから摘出することに。ロードスターは本当に外しやすい場所にある。さくっと外して見比べると、けっこう大きさが違う。NBのB6のやつが一回り大きい。

 一瞬、水路に当たって入らないかと思ったが、ピンポイントでぴったりとはまる場所があったので装着。それにしても、B型エンジンの水回りのガスケットって本当にやっかい。きれいにはがれてくれないからスクレーパーで根気よく掃除をする。傷がついて水が漏れると面倒なので、薄く液体ガスケットを塗って取り付けて完了。

 水を入れてエンジンをかけ、きちんとサーモスタットが動くかをチェック。いつまでたってもアッパーホースが温かくならないから「固着か」と焦ったが、スロットルをあけて回転を上げたら、しばらくして一気にお湯が循環し始めた。ばっちり。

 一度、水をすべて抜き、もったいないから、抜いてあったクーラントを再び注入しようと思ったら「普通は替えるだろ」とオオミチさんに突っ込まれた。工場にあった缶から勝手にクーラントを取り出してきて、ラジエーターに注ぎ込む。

 水温計がど真ん中まで上がるようになり、きちんとヒーターが効くようになった。当たり前のことなんだが、なんだかうれしい。

12月14日

 先週、土日の名古屋行きで気を遣ったのは水温。

 雅久号のエンジンにはサーモスタットが入っていない。レースで走る目的なら基本的にいらないでしょう、と外して最終戦も戦った。冷えすぎるときにはガムテープをラジエーターに張って調節するのだ。

 が、行き帰り自走の雅久号。冬の高速道路では明らかにオーバークールとなってしまう。けっこうな面積をふさいであったのだが、高速に乗った途端にぐんぐんと水温が低下。50度を切るぐらいまで冷えてしまうので、あわててサービスエリアに駐車。追加してぺたぺた。再び、走り出すも、あまり変わりない感じで、再びサービスエリアへ。まだ、オーバークール。こんな感じで、サービスエリアごとに止まる感じで間瀬にたどり着いた。帰りは面倒だったから、新聞紙をつっこんでやったらちょうど良かった。

 今回の名古屋行きで、ちょちょいとサーモスタットを入れようかとも思ったのだが、見あたらなかったので、時間もないことだし、おおとろ亭ガレージに転がっていた淡麗の段ボールをつっこんでラジエーターの8割方をふさいで出発。下道区間は調子が良かったのだが、高速道路に乗った途端にぐんぐんと水温が下がっていく。

 なにせ、飛騨清見インターから東海北陸道に乗ると、すぐに標高1000メートル以上を走ることになる。午前中とはいえ、気温は3、4度しかないので、冷えて当たり前。気がつくと、70度台前半まで水温が落ち込んでいた。

 あんまり低い温度で走っていると、気になるのがエンジンの摩耗。温度が低い分、パーツのクリアランスが広がっているわけで、エンジンにとって良い状態とはいえない。レースで走って摩耗していく分には別にいいのだが、街乗りの状態でエンジンに悪い状態で走るのは精神衛生上良くない。

 かといってサービスエリアに止めてガムテを張るのも面倒なので、4速とか3速で走って80度ぐらいをキープした。ヒーターを付けるとその分、水温が冷えてしまうので、付けないまま、ぶるぶるとふるえながら走る羽目に。

 鈴鹿から引き上げるときに帰りのことも考えて、ほとんどラジエーターをふさぐぐらいの勢いでガムテぺたぺた。平地を走っているときは調子が良かったのだが、標高があがって気温が0度前後に下がったら、やっぱりオーバークール。ラジエーターを風が抜けなくても、ある程度は放熱しちゃうらしい。やっぱりヒーターが使えなくてぶるぶるふるえながら富山に戻る。

 で、木曜日は名古屋の本社で会議があったので、朝からデミオで出発。今度は水温の心配もなく、ヒーターでぬくぬくと移動できるはず。

 が、様子がおかしい。国道41号を走っている状態で、純正水温計の針の位置がちょっと下気味。高速に乗ったら、ほとんど始動直後の場所まで下がってしまった。ヒーターを入れても冷たい風が。どうも、サーモスタットが固着しちゃったらしい。

 行きはまだ気温が高かったので気にならなかったのだが、今朝帰ってきたとき、飛騨清見周辺は雪。サーモスタットも決定的に壊れたみたいで、水温計は一番下を指したまま動かない。ヒーターを付けても冷風が出るのみ。ぶるぶるふるえながら富山に戻る。

 まさか、デミオでも同じ目に遭うとは思わなかった。 

12月9日

 朝、東郷町の魚屋さん宅に寄って、伊勢湾岸道、東名阪で鈴鹿入り。

 午前11時からF4の日本一決定戦を観戦。サーキット単位だと台数が少ないけれど日本一決定戦なので22台のエントリー。ずらりとグリッドに並ぶ光景はなかなか壮観。

 F4のスタート直後に虹がかかっていた。虹がかかる、ということは向こうは天気がちょっと悪いわけで、西コース方面に雨がぱらついているかもしれない、ということでもある。天気が崩れないことを祈る。

 FJのスタートは午後3時。それまではほかのレースを見たりしてひたすら待ち時間。レース屋さんからいろいろ情報を仕入れる。

 FJ1600はスバルEA71エンジンの在庫が尽きてしまったので、フィット1500ccのエンジンを使ったスーパーFJに切り替わる。今は、両方ともレースが開催されていて、スーパーFJは11台が出走していた。来年は、さらに増えるに違いない。FJ1600は残念ながら正式な選手権としては来年いっぱいで幕を閉じると思われる。レースの開催はその後もあるかもしれないとのこと。

 いま、FJ1600は中古価格50〜70万で手に入るみたい。「おまえも走るか」と誘われるが、さすがに今の仕事をこなしつつ、富山から鈴鹿まで往復してレースはできないので、断る。仕事も大事だし。以前なら、1台200万前後だったので、来年1年ならレースがある今が本当の意味で底値かもしれない。興味がある人がいたらレース屋さんを紹介します。伊藤大輔がマカオで3位になったときにメンテした人。

 そのマカオの笑えない話を聞いた。表彰台ということでお祝いのパーティーがホテルを貸し切って開催された。レース屋さんも「マカオで成績を残すということはこういうことか」と、葉巻とかも吸っちゃって、どんちゃん騒ぎの翌日、ホテルをチェックアウトしようとしたら、費用請求が。「おれが払うのか」と目が点になったという。他の人はもう帰っちゃって、だれもいない。250万円をかぶったという。おそろしや。ちなみに葉巻は1本2万円だったそうな。

 他人にスリップを使わせたのに自分は使えなかったDさんは不本意の予選。グリッド上で魚屋さんが「表彰台上がったら伊勢エビだぞ!」と気っぷの良い約束をしていた。たぶん、集中力10%アップぐらいの効果はあったに違いない。

 レースはといえば、スタート直後から1台1台と抜いてナイスレースを展開していったDさんだったが、中盤になってタイヤのたれか、徐々に先頭グループから離れてしまう。6位までの先頭グループはスリップを駆使して団子になっていったのに対し、そこに加われなかったDさんはやや置いていかれる形になった。で、8位。本人にとっては不本意な結果とはいえ、僕から見るとやっぱり立派。予選にしても決勝にしても、いかに他車との間合いを取って、スリップストリームを有効に使うか、使われないようにするか、その駆け引きの重要性がとってもわかったおもしろいレースでした。

 魚屋さんを送って、実家に戻り、すぐ帰ることに。NEOVAはきっぱなしの雅久号で雪に降られたら大変なことになってしまう。飛騨清見から飛騨市方面へ抜ける卯の花街道で雪に降られたものの、融雪剤のおかげで路面はウエット状態だった。もう2時間遅かったら、もしかすると雪が路面を覆っていたかも。

12月8日

 僕を富山に飛ばした元上司がリーダーを務めるバンドが毎年開いているライブに行くことに。ビートルズバンドなので、ジョン・レノンの命日に毎年ライブを開いている。とりあえず、いろいろなことがあったので、みんなが心配しているといけないから、顔を出す。これ重要。

 名古屋に行くのであれば、まっさGoGoのスポンサーである魚屋さん(スポンサー料は魚)にレースカーを見せに行っちゃおう、ということで、朝から雅久号に乗って名古屋に向かう。

 昼すぎに名古屋に着いて、名古屋市中央卸売市場の定食屋でパワーランチ。普通はビジネスの相手同士とランチを食べることを指すらしいのだが、魚屋さんと僕の間では、馬鹿みたいに大量に喰らうことを指す。刺身の盛り合わせにでっかいエビフライ、ウナギの長焼きに貝汁などなど、うまいものを大量に摂取。ごちそうさまです。

 で、事務所にてマニアックな車談義。あれこれ話しているうちに、夕方。話題が鈴鹿話になり、またFJドライバーのDさんの応援に行きたいね、という話に。Dさんに電話をかけたら「いま、予選が終わって帰るところ」。明日が決勝という。

 それなら、明日は雅久号に乗って鈴鹿に行こうと即時決定。すでに暗くなるような時間だったのであわてて実家に戻り、地下鉄で東区泉のビートルズ・ライブハウスへ。この日は、昼にもライブをこなし、おじさんたちばかりなもんだから、もうへろへろな感じだったのだが、演奏のうまさではなく、ステージのうまさがあるバンドなので楽しく聴けた。

 沖縄料理屋で飯と酒と焼酎を喰らって地下鉄にて帰宅。

12月5日

 二日連続の生ぬるい殺気に負けて、総曲輪の何となくおしゃれな居酒屋へ元ラガーマンと向かう。

 完全に場違いな感じではあったのだが、食事はなかなかのもの。ビールをたくさん。閉店の時間なって後輩「次、行きましょう」。

 引きずられるように地下のショットバーへ。ワインを飲みたいというので、どうせがぶ飲みするからボトル1本オーダー。やっぱり足りなくてグラスワインをがぶがぶ。

 完全に飲み過ぎ。失敗。

12月4日

 夜、仕事場で座っていて、生ぬるい殺気を後ろから感じて、はっと振り向くと、後輩が立っていた。

 「行きませんか」と一言。飲みへの誘いである。

 とにかく飲むのが好きな2年目の後輩。元ラガーマンなので、とにかく良く飲む。何となくこちらも同じペースで飲むから、食事が終わるころには相当酔っぱらっている。で、後輩から出てくる言葉が「次、行きましょう」。

 「もう無理」と正直思うのだが、いつもなんとなく付き合ってしまう。で、気がついたら桜木町の怪しげな店で寝ていたことも。

 と、一緒に飲みに行くとだいたい失敗しているので、まず「今日はどうしよう…」と言葉を濁したり、目線をそらして無視してみたりするようになった。後輩も先輩を立てて「じゃあ、今日は帰りますか」といったん話が終わる。が、あきらめが悪い後輩は、帰るまで隙あらば生ぬるい殺気を投げかけ続けてくるので、かなり手強い。強い意思で望まないと負けてしまう。いや、けっこう負けている。

 冷え込んだ上に雨だったので、意を決して断る。それに、昨日トマトソースを作ったから食べなきゃならないのだ。

 昨日と同じトマトパスタを作るのでは飽きてしまうから、野菜をぶち込んだスープを作ってみることに。ブロッコリーとか丸ごとぶち込んだら、大量のスープが完成。うまかったが一人では食べきれない。

 ということで、3日連続、トマト風味の食事が続くのであった。