10月9日

 7日夜。友人Kは四谷のラーメン屋「温州軒」へ行くとのこと。飛行機は台風の影響もなく定刻通りに到着。電車を乗り継いで、ホテルにチェックイン。少し台風の影響が出てきた国道20号を歩く。

 良い感じの居酒屋街を抜けてラーメン屋に到着。6席しかない狭いラーメン屋だが、以前は文化放送近くにあったから、出演者らが愛したラーメンらしい。なんと10日で閉店。友人Kが来たいと言った意味が良く分かった。支那そばを注文する。

 ラーメンは「昔ながら」という言葉がまさにぴったりで、あっさりしたスープに細麺でおいしくいただいた。最近は豚骨こってり系ばかり食べていたので、シンプルラーメンのすばらしさに開眼した思い。が、最初で最後の1杯だ。

 近くにビートルズパブがあったので、飲む。ビールをひたすら。オリジナルカクテル「ダコタハウス」も。子供用風邪シロップみたいな味だった。酔っぱらったころには雨がかなり強くなっていて、ずぶ濡れになりながらホテルに戻って意識を失う。

 8日朝は雨は上がっていたが、窓の外を見ると風が吹き荒れて葉っぱやらゴミやらが真横に吹っ飛んでいた。テレビは山手線の運休を伝える。地下鉄とはいえ、半端じゃない影響を受けていることは必至で、霞ヶ関まで歩いて行こうかとも思ったが、時間がたっぷりあるわけではないので、丸の内線へ。予想通り、9時すぎにもかかわらずすし詰めの車内で2駅我慢し、永田町駅から歩いて国○省へ。

 前○大臣と富山をはじめ4県の知事たちの会談があるので、東京まで足を運んだ。なぜなら、間瀬がある県の知事が新幹線建設を巡って駄々をこねているから。地元の利益のためということは良く分かるのだけれど、開業時期までずれ込ませるような聞き分けのないやり口はいかがなものか。結局、物別れに終わり、なんだか煮え切らない感じで仕事は終了。

 最終の飛行機で帰れたけれど、とんぼ返りも疲れるので朝イチで帰ることにする。当然、社内の人たちで飲もう、ということになり、赤坂の居酒屋で再びビールをがぶ飲み。7時前の飛行機なので、羽田に近い蒲田に宿を取った。コーラ色の効きそうな温泉があるなかなか良い宿なのだけれど、零時半にチェックインして「少し横になろう」とベッドに横たわると、次の瞬間、4時45分のモーニングコールが鳴った。

 8時前には富山に到着し、1日ぼんやりすごそうかと思ったが、昼前に「○原大臣新幹線認可」の一報が入り、ダム凍結の話もあってばたばたする。5時から活動しているから夕方ですでに眠い。

 しかし、同意なしで認可した、ということは○交省から正式に「ちょっとあれな知事」認定を受けたようなものだな。

10月7日

 明日、午前11時に霞ヶ関に行く用事があり、富山空港を朝出発すれば間に合うのだけれど、台風直撃タイムらしいので、前泊することにする。四谷に宿を確保し、松本時代からの友人Kと新宿あたりで飲むのだ。

 東京に行くのは2年弱ぶりかしらん。すっかり富山の空気と水になじんだ僕にとっては息苦しく感じるかもしれない。台風が来ているから、楽しむどころではないか。

 それよりも、留守にする富山が気になる。7日夕方の予想進路では、富山直撃コースをたどっているではないですか。何もないことを祈るばかり。

10月6日

 耐久レース翌日、月曜日も休みにしてあったので、雅号を開幌状態にして、有峰林道を通り、安房峠、平湯温泉、高山と250キロぐらいのツーリングに出かけた。帰ってきたらさすがに疲れていたのでビールを大量摂取して意識を失い、報告を書く時間がなかった次第。

 チーム「マッサGOGO☆TORF」はN-ZERO耐久クーマックカップ2009で第3戦で優勝、年間シリーズチャンピオンを獲得しました! ぱちぱち。

 スノコシビックのあまりの速さに予選時点でシリーズチャンプは半ばあきらめていたのだが、第1ヒートを完勝された後の第2ヒートでまさかのエンジントラブルが発生、第3ヒートも1周のみ周回しただけで、優勝が転がり込んできた。レースでやりあったほんだシビックも、第3ヒートでミッショントラブルが発生、最後のドライバーを務めた僕は淡々とラップを刻んでトップチェッカー。第1ヒート2位、第2ヒート2位、第3ヒート1位で第3戦トップ。

 まさに耐久レース。これまで7回出場した全レース、元気に動いているエンジンやミッション、デフのおかげ。マツダの耐久性が耐久レースでも生きたということか。速さで勝ったわけじゃないけれど、これもレース。チェッカーを受けて初めて結果になる。

 ハードトップ仕様にして、バンパー下のアンダーパネルを製作、ドラッグを極力減らして直線でのスピードを得る考え方で車をアップデートした。確かに速くなったのだけれど、ラップタイムが上がるとそれだけタイヤにも負担がかかるし、足回りのセットアップが変わってくる。新品ブレーキローターも1ヒートだけでゆがんでジャダーが出る。予選から思いがけないアンダーステアに悩んで、第2ヒート前にセッティングをやり直した。なんとかレースで走れるようになった。もう1度、車作りをやり直す必要あり。

 レースと言えば、T氏が最大の見せ場を作っておいしいところを持っていった感じで、僕はと言えば、コンマ1以内でタイムをそろえて走る地味さで「オーラがない」なんて言われる始末。べいべはあり得ないぐらい遅いタイムなのに、うまいドライバーに30分押さえられてトップを守られてしまった。ぐだぐだだけど、優勝は優勝さ。

 また、レポートを書くけれど、とりあえずともに走った2人と、車を作ってくれたT.O.Racing Factory、応援に駆けつけてくれた皆さん、僕が知らないかもしれないけれど、ここを読んで楽しんでくれている人、皆さんがチームに力を与えてくれました。ありがとうございました。

10月3日

 最後のメンテナンスとばかりに朝から工場へ。少しでも速くしたい!と、トランク内でごそごそいろいろやって、軽量化作業にいそしむ。2時間がんばって、600グラムぐらいだった。これを多いとみるか、少ないと見るか。

 ワックスもかけたし、ぴかぴかの雅久号。仕事の合間の限られた時間の中で、やれることはやり尽くした。自分のドラテクで今、間瀬で何秒で走れるのかもだいたい分かっている。これでライバルより速ければ、勝つし、遅ければ負ける。それだけのことだ。

10月2日

 10月4日はクーマック最終戦。チーム・マッサGOGOの位置づけはというと…。

1位 56p スノコμKEWシビック
2位 52p マッサGOGO☆T.O.R.F.
3位 42p ほんだレーシング
4位 30p ファーストウェイMシビック
5位 23p T.O.R.F.☆スターレット

 こんな感じ。第2戦はトップだったけれど、1戦が3位だった関係で、スノコシビックが年間ポイントではトップ。でも4ポイント差。

 これは、やはり年間チャンプも狙わなければならないでしょう。狙うとすると、全ヒートで激速スノコシビックの前でチェッカーをもらわなければならない、いや全ヒートトップチェッカーを受けなければならないわけで、実際にレースをやっている当事者としては、ものすごくハードルが高い。

 こちらも、ちまちまと車のアップデートしているけれども、相手チームもアップデートを重ねているから、例えノーミスで全周回をラップしても、追い付かないかもしれない。こちらも、向こうも車を速くしたとして、結果、車の差がない、としたなら、あとは気持ちの差の問題だ。がんばります。

 もう、ライバルチームにはばれているから、事前に書くけれど、雅久号をハードトップ仕様にした。オープンの状態では、巻き込んだ風の抵抗で150キロから上はなかなか伸びなかった雅久号を、もう3、4キロストレートで車速を延ばすために軽量ハードトップを取り付けた。前回の間瀬走行では効果が確かめられて、ちょこっとだけスピードが乗るようになった。

 今日届いた参加受理書によると、午前7時半が入場と受付開始。ミーティングが午前8時半で、耐久クラスのフリー走行が9時からだって。タイムアタッククラスが10時10分、走行開始になっているところをみると、10時50分ごろからの第1ヒートかも。スケジュールは「当日発表する」としているので、なかなか読めない。

 第2ヒートは午後からあることには間違いないので、朝イチで来る必要はないかも。第2、第3ヒートでも、相変わらず全開のバトルが繰り広げられているので、見に来たい人は参考にしてください。

 入場料2000円というあこぎな請求があるので、そこだけは勘弁してちょうだい。間瀬が存続しなければ、耐久レースもなくなってしまうのだから。

9月27日

 雅久号で家に帰ると、今のアパートからの排斥運動が起こるに違いないので、雅久号を工場において、インプレッサでアパートに戻り、意識を失った。やっぱりみそじーずになると片道250キロを往復しただけで疲労がたまったらしく、午前中は死んだように寝て、午後から再び工場へ。

 雅久号のレース準備。オイル交換のほか、タイヤ交換も。買ったばかりのホイールが、カーボンまみれになって汚くなっていて、このままだとどろどろになったままゴミみたいになるに違いないので、ちまちまと汚れを落とした。

 ホイールの塗装にカーボンが突き刺さってたわしでこすったぐらいでは取れない。こんな汚れにもっとも有効なSSTは「爪」なのだが、4本分の汚れを取る頃には爪がはがれて出血しそうなので、割り箸を使ってちまちまこすり、一つ一つのダストを取っていく。

 1本当たり20分ぐらいかけて、完璧じゃないけれど、きれいにして、タイヤチェンジャーでタイヤを装着。足回りの増し締めをして、清掃をして、洗車をして、とりあえず10月4日の本番に向けた準備は完了。あとは、荷物を載せるだけ。

 さて、1週間はイメージトレーニングの日々だ。

9月26日

 新幹線の建設で現在もめている新潟県と富山県。トキめき国体の開会式で、富山県知事が新潟県知事と同じ場所に行く、という情報を得れば「行くしかないでしょ」と上司を説得して、富山での仕事を放って置いて新潟県に出掛けた。

 間瀬サーキットの会員に1カ月に1度送られるスケジュール表によれば、27日(日)の午前中は、会員のため(非会員でも走れるけれど)の走行枠が3枠あった。おわらサーキットでセッティングを取ったのだけれど、やはり正しいかどうかは戦場で確かめなければならないでしょう、と、走行することに。そんなことを考えていた金曜日に「仕事で新潟に行けるかも」という情報が舞い込んできたので、迷うことなく「行きます」と志願したのであった。もちろん、雅久号で出張して、帰りがけに間瀬で走ってこようという魂胆である。行き帰りの出張旅費を会社に請求してしまう、という裏技があることは、ここでは伏せておく。

 朝一番で工場に出掛け、スーツ姿の自分をバケットシートに押し込めて、トキめき国体の開会式の会場近くまで、雅久号で出掛ける。

 国体の開会式って天ちゃんが来る。国内随一のVIPなわけで、競技場周りには警官がうじゃうじゃ。事前に申請していなかったので、会場に入れないことは分かっていたのだけれど、何とか知事にぶら下がれないかと会場周辺に出掛けるも、上空にヘリコプターが数機飛んでいるわ、沿道には警官や警備員がうじゃうじゃ立っているわで、やばい雰囲気。だって、ステカー張りまくりだし、GTウイングも付いていて、まともな車には見えないから。

 たんぼ道から競技場に近づいて、高速道路の高架下に車を隠し、歩いて競技場に向かう。途中、警官にすれ違うが堂々と歩いていれば大丈夫。それでも、入り口ではパスの提示を求められ、国内最VIPが来ている会場に、突然来た僕はお呼びじゃない雰囲気だったので、あきらめて次の会場に出掛けることにする。

 歩いて戻るのだけれども、ここであることに気がついた。ジャージみたいなイージーな格好でリュックサックを背負って歩いている人たちは皆、耳にイヤホンを付けている。私服の警官だった。会場に入れずうろちょろしている僕は怪しい人間に違いなく、散歩していたら私服な警官につけられた。やましいことはないから堂々歩いていればよいのだけれど。いや、車がやましいから、ついてきてほしくはない。何とか、会場から離れて車に戻ったら、正面から怪しげな人がこちらを伺っていた。にらみ返したら、どこかへ行ったところをみれば、やっぱり警官だったのだろう。

 ぼーんと、怪しげな音を出して会場を後にし、次の会場のホテルへ。遠回りしてやばい道を外したつもりだったのだが、どうもドンぴしゃな道を選択したらしく、沿道には100メートルおきに制服警官と私服警官がうじゃうじゃ立っている。そんな人たちの視線が突き刺さる中、ぼーん、と怪しい車高で通り抜ける。ま、テロやるつもりだったらわざわざ目立って行くはずはないので、警察に呼び止められないためには、雅久号でかえって良かったのかも知れない。

 萬代橋たもとのホテルなので、信濃川北側の駐車場に雅久号を止めて歩いてホテルに近づく。国道7号沿いとかは、まじで職務質問されそうで近づけない感じであった。

 とりあえず、時間があったので、萬代橋を歩いてわたってその先の伊勢丹方面へ。伊勢丹に用事があるわけもなく、歩いて新潟駅へ。再び歩いて伊勢丹方面に戻り、万代シティのマクドナルドで時間をつぶす。そろそろ時間と夜に出掛けるも、県の担当者に電話を掛けたら「自分の口からは言えません」などとわけの分からないことを言われて切られてしまう。まあ、いいや、知事を出口で待って捕まえれば、と思ってSPがうじゃうじゃいて、そいつらの視線が突き刺さる中、ずっと待っていたのだけれども、知事は出てこず。たぶん、待っていたのとは別の出口からすでに帰ったっぽい。

 出張してきたにもかかわらず、成果ゼロの空振りで終わった。まあ、仕方がない、長岡あたりに泊まって翌日午前は間瀬で最終調整だ、と思っていたら、お誘いしたT氏曰く「走行会が入ってるぞ」だと。なんと、会員に送ってもらった情報後に走行会が入ったらしく、本当に走れないとのことだったので、危ない橋を渡って雅久号を新潟に持ち込んだのに、その日のうちに、雅久号に乗って帰る羽目に(ioi)。

 オーバーホールしたHLAがちゃんと機能するか検証できたので、よしとしよう(涙)。

9月25日

 母親が節目の年齢を迎えたので、23日にみんなでお祝いってことになり、22日夜に名古屋に戻る。ロードスターの方がハイオクだけれど燃費も良いし楽ちんなのだが、4人乗せないと行けなかったのでインプレッサで向かう。GF-GF5のオートマなのだけれど、ギア比の設定とオートマのプログラムの関係で、高速を飛ばそうとすると遅くてストレスがたまる。

 シルバーウイークの混雑も、午後9時出発だと問題なし。深夜に到着して、酒盛りして意識を失い翌日昼まで。起き出して、せっかくお祝いで来ているのだからと母親に働かせるのも悪いので、お昼ごはんはカレーライスを作った。

 両親は、デジカメ時代になったのに、パソコンがなく、写真鑑賞はもっぱらプリントしてからという感じだったので、近所の家電量販店を回ってデジタルフォトフレームを物色。知らないメーカーのを買ったらどうせ使いこなせないだろうな、と「マニュアルがしっかりしていそう」という先入観でSONY製を購入。さっそく写真を転送して表示。いろいろなパターンで写真順をランダムで表示するよう設定したら好評だった。

 夜はなじみのいけす活魚店で刺身にマツタケにのごちそう。鮎釣りのために竿とガソリン代でお金を使い果たしているはずの親父がおごってくれた。ごちそうさまでした。

9月20日

 土曜日。午後からおわらサーキットが「4輪グリップ」の枠だったので、雅久号のセッティングへ。午前中に車高をいじったりして、1時前に到着すると、間瀬耐久の最強ライバル、チョコインチョさんの走行会が午前中にあったようで、さっそく雅久号のあちこちをチェックされた。「ロードスターもおもしろそうだよね」「そうなんですよ〜」と和気あいあいと語り合う。

 べいべも呼んで2人で乗って、ああでもない、こうでもないとセッティングを進める。25分区切りで走行枠が設定される間瀬と違って、1時から5時までの4時間、自由に走ったり、いじったりと時間を使えるので、セッティングにはもってこい。徐々に良いバランスになり、納得のいく感じになったものの、おおとろ監督が6月にさくっと出したタイムにはコンマ4秒及ばず。壁は高い。

 おおとろ亭に戻って、反省会をしてビールを飲んで、意識を失う。ハッと夜中起き出して、寝ぼけたままうろうろしたら、自分の眼鏡を踏みつぶした。眼鏡崩壊。

 日曜日。朝から雅久号をいじる。エンジンのメンテナンスを夕方までかかってやる。丸二日間、ロードスターをいじって過ごして、体力的には疲れたけれど、すっごくリフレッシュ。仕事もがんばれそうな感じ。

9月18日

 親父から「水曜日夜に行くから」と電話が入る。去年、神通川で鮎釣りをして「すっごくたくさん釣れた」と喜んでいた。決して、息子の顔を見たいのではなくて、宿を当てにして鮎釣りに来るのだ。鳩さんのおかげで忙しい日だったけれど、うわっと仕事を片付けて午後8時すぎに時間つぶしでスーパー銭湯へ行っていた親父と合流し、すし屋へ。ノドグロを焼いてもらって、アオリイカにバイガイ、刺身ににぎり寿司にと幸せなおつまみとともに、ビールを大量摂取。親子だから、実にペースがぴったりと合って笑えた。

 すしをおごってあげたので、「釣った鮎はすべて置いていってもらおうか」と身ぐるみはいでみることにした。「今回はあまり釣れなかった」と親父。自動車に戻ってクーラーボックスを持ってきた。ぱかっと開けたボックスの中には30匹ぐらいの鮎。たくさん釣れてるじゃん。長良川が主戦場の親父にとって、神通川は2度目の完全アウェーなはず。それでも、それだけ釣ってきて「釣れない」とぼやくということは、うまいのか? 親父。

 親子そろって趣味に打ち込んでいるんだから、血は争えない。

 全部を一気に消費するのは難しそうだったので、半分は冷凍して、残り半分は、カントリーレストハウス二上で焼いてもらうことにする。せっかくの鮎だから、きちんと焼ける人にお願いする。電話でその旨伝えると、二つ返事の快諾。山菜料理も出してもらうことにして、仕事が終わって夜に二上山へ登る。

カントリーレストハウス二上

 15匹ぐらいだから、3人集めて喰らう。どちらかというと小ぶりなのが多かったので、ひれだけむしって頭からがぶりと。山菜に松茸ご飯、松茸の土瓶蒸し。最後は鮎雑炊でしめて、デザートはもちもち杏仁豆腐。大満足のご飯でした。