8月25日

 深夜の作業中、午前4時ぐらいに仕事場のソファで寝てしまった。クーラーを付けていたので、起きたら喉が痛い。一日中痛さが続いているので、どうやら風邪を引いちゃったらしい。

 これから、富山に向かう。明日は石川県。明日中に帰ってきて、月曜日は早朝から起きだして大町に行かねばならない。また、嫌いな田中康夫を見ることになる。

 いつ休めばいいのでしょう?

8月24日

 日曜日はとても楽しみにしている日本海RSミーティング。石川県の某所で開かれるらしい。土曜日の夜に仕事が終わってから、富山県内で合宿することになっている。ああ、楽しみ。

 現在、25日に変わる直前の時間帯。これから、明日の午前中までに仕上げなければならない仕事に取りかかる。こりゃ、朝まで掛かる。朝の早い時間に、猫の足跡でドロドロに汚れたロードスターを洗いたい。ついでにワックスを掛けることができたら完璧。

 徹夜して、仕事して、富山へ行って、深夜まで合宿。翌日は石川へ行って、1日楽しく過ごし、その日の夜遅く、松本に向かわなければならない。

 次、寝るのはいつ?

8月23日

 ディーラーから請求書が届いた。ヘッドガスケットにバルブシール、タイミングベルトに、インマニ、エキマニのガスケット。水のホース1本。注文したまま1カ月ぐらい放置して置いたら、怒られちゃった。締めて18000円。いつ、組み込むことになることやら。

8月22日

 飲み過ぎで、記憶が2時間ほどまったくなくなっていることが分かった。3次会の会場からどうやって帰ったのか。人に暴力でもふるっていないか。心配で、一緒に飲みに行った後輩に聞いてみた。

 2次会のショットバーの店長とともに午前3時前ぐらいに、店の真下の居酒屋に出掛けたことは覚えている。3次会に当たる居酒屋で、「これ以上飲むとやばいかも」と思いつつ、2杯目の生ビールを飲んだところで記憶が途切れ、午前9時にジムニーで気が付いた。

 後輩の証言により、何と、3次会だけでなく、4次会の寿司屋に行ったことが判明! しかも、他の人がおなか一杯であまり食べない中、僕一人ががつがつ食べていたらしい。本当にまったく何も覚えていません。飲み仲間にちょっかいを出していたらしいが、問題になるほどではなかったらしい。それでも、たばこを分解して水をかけたり、壁を殴っていたりしたらしい。どうりで右手が痛いわけだ。ちゃんと支払いをしたのか、とても気になる。

 帰り道では仕事場の仲間とはぐれたものの、1人歩きで仕事場にふらりと帰ってきたらしい。それが5時前のことだという。きちんと自分の荷物を片付け、「帰る」と言って仕事場を立ち去った。後輩も帰ろうとしたら、車の中で寝ている僕を発見したという。

 後輩に、壊れちゃっていたはずのそのときの僕の様子を聞いてみたら、「めちゃくちゃ飲んだわりには普通でしたよ。仕事場で荷物を片付けている姿は理性的でしたし」とのこと。かすかにすら、覚えていないのでにわかに信じがたいが、狼藉を働いたようなことはなかったらしい。

 ひとまず安心だが、ここまで見事に記憶をなくしたことは生まれてこのかた、ない。たぶんスピリタスをなめてしまったのが失敗した主な原因だろう。このお酒、ポーランド産のウォッカで、世界最強とうたわれているらしい。アルコール度数は何と96度! 純粋なアルコールみたいなもの。口に含んだだけで、舌が腫れたようになって、感覚が無くなる。こんなお酒を飲んだから、ぷつんと記憶が途切れちゃったに違いない。

 けれども、社会人になってこんな学生のようなことをやっていたらまずい。今回は大反省。「大人の飲み方」ができるよう、努力しなければ。

8月21日

 飲み過ぎた。仕事場の人たちと安居酒屋で軽くメシを喰らい、行きつけのショットバーでスコッチストレート。がばがば飲んで、再び居酒屋に行き、生ビール2杯目を飲んだ辺りで、記憶が途切れている。どうやって仕事場に戻ったのか分からない。

 朝は9時に起床。ジムニーの中だった。仕事場の駐車場。勢いで運転しなくて良かった。

 家に帰り、睡眠の質が悪かったらしく再びぶっ倒れた。午前中は仕事にならず。午後も思考がはっきりしない。ふらふらしていたら1日が終わってしまった。

 台風が直撃しそうな感じ。夜遅くまで、警戒しなければ。

8月20日

 仕事をさぼってデジカメを物色に行った。一番見ておきたかったのはカシオのQV4000。400万画素のCCDに、光学3倍ズーム、マニュアルでさまざまな設定ができ、単三電池で動く。いま、デジカメに求めている、だいたいの機能を備えている。

 某電気屋で手に取ってみた。第一印象は「でかすぎる」。電源が入らなかったので、動作の具合は分からなかったのだが、コンパクトカメラにしてはでかい筐体が気になって、購入には至らなかった。

 やはり、コンパクトさは重要なポイント。一眼レフとともに持ち歩くことがあるので、小さくて、普段から無意識に持ち歩ける大きさのデジカメが欲しい。そうなると、やはりキヤノンのIXY300が気になる。値段も5万円後半。手に入れたい衝動に駆られたものの、いまいち踏み出せなかった。

 こう考えると、Coolpix700は、単焦点のレンズが少々不安な以外はなかなか良いデジカメだと思う。ゴミさえ写らなければ、まだまだ使えるのに。

 腰下の分解までにはまともなデジカメが欲しいのだけど…。会社から支給されないかしら。 

8月19日

 夜勤をさぼってビアガーデンに行ったダメージで、午前中は寝て過ごす。昼前まで寝ていても大丈夫。やはり真夏は過ぎ去ろうとしている。

 寝ていてはもったいないので、久しぶりに「でたらめドライブ」に出掛けることにした。出発したのは午後1時半。

 ひところの暑さではないとはいえ、開幌状態にすると、刺すような日差しでたちまち汗だくとなる。でたらめドライブなので行き先はない。とりあえず進路を北に取る。長野県の東部や南部は良く走るのだが、北部は新潟へ行くときに通過したことぐらいしかなかった。まだまだ暑いことだし、長野県北部の高原を目指すことにした。高原で景色の良い静かなところが見つかれば、しばし止まって本でも読んでいたい。

 松本の北、筑北と呼ばれる地域の走り慣れた道をゆく。松本と長野の境とも言える聖高原を抜け、長野市へ入る。善光寺の横を抜け、七曲がりという急坂を上ると、飯綱高原へ出る。ごみごみしたリゾート地ばかりで、いいところはあまりない。野尻湖を見たくなったので、向かう。

 ちょっと脇道をすると、黒姫高原。黒姫山が迫って見えて、なかなか景色がよいが、あまり標高が高くないので涼しくない。野尻湖畔でのんびりしようかな、と思ったものの、湖上にスワンの遊覧船が大量に浮かんでいるのが目に入り、一瞥をくれただけで走り抜ける。こうなったら、目標は高原巡り、ということにして、斑尾高原に向かう。この時点で午後4時前。

 斑尾は、そこそこ標高が高く、飯山の街を見下ろす景色はなかなか良いのだが、やはりありきたりの観光地。リゾートホテルに乗用車がずらりと並び、テニスコートにうじゃうじゃ人がいるような場所。車を降りる気にすらならない。

 千曲川に向かって急坂を下る途中で地図を見る。志賀高原はまだ行ったことがない。野沢温泉村から奥志賀高原に入ることにする。地図を見ると、いかにも心細い道。走りたい放題だろう。

 野沢温泉村の温泉街を抜け、山を上り始めたのが午後5時すぎ。林道のような心細い道が50キロほど続いている。暗くなる前に走り抜けたい。なんせ、携帯電話も通じないし、崖から落ちたら、だれも救助に来てくれない。路肩には「自信のある人だけ入山してください」などと、空恐ろしい言葉の看板が立っている。

 標高1200〜1300メートルほど。くねくねした細い道が延々と続く。対向車もほとんどいない。走っているうちに、雷雲へ向かっていることに気付く。これぐらいの標高になると、雲が近い。いかにも電気を発生しそうな不気味な雲が真っ正面に見えて、しかもそこへ突っ込もうとしているのだから、不安になる。せめて幌でも閉めようかしら、とも思ったが、面倒なのでそのまま走る。

 しばらく走ってようやく奥志賀のスキー場やホテルが現れた。人気のないところをしばらく走ったので、人の気配を感じてホッとする。

 志賀高原へ。国道292号に入り、横手山のわきをすり抜けると群馬県。ここら辺は実に標高2200メートル。森林を抜け、切り立った岩がつくり出す絶景を横目に、走る。雲が多かったのが残念。改めて来てみたい。

 万座ハイウエイに入った頃には辺りが暗くなって来た。しかも、分厚い雲の中に突入。厚い霧で前がよく見えない。霧がフロントガラスにぶつかって水滴となる。まだ開幌状態。稲妻が光らないことを祈る。標高が下がってきて、小雨となっても、意地で開幌状態。料金所のおじさんが変な顔をしていた。

 国道144号に入り、小雨の中、一般車と走りながらも、まだ開幌。鳥居峠を越え、長野県の真田町に入った頃には雨もやんでいた。さすがに菅平高原に寄る気にはならず。上田市内で給油。燃費が悪い。

 国道143号で松本に向かう。青木峠に地蔵峠。国道とは思えない心細い道。街頭すらないので、突然現れるヘアピンカーブに驚きながら、走り抜ける。

 ようやく松本に戻る。そういえば、朝から飯を食べていないことに気付き、中華料理屋で回鍋肉定食を喰らう。店の前でようやく幌を閉めた。午後9時すぎ帰宅。

 さすがに、6つの高原を回り、曲がりくねった道ばかり350キロほど走ると疲れます。さあ、オイル、どのくらい減っているかな。

8月18日

 何となく、秋めいた1日。こんな日は仕事をさぼって、ロードスターの屋根を開け放ち、山道を軽やかに走り抜けてさわやかな空気を思いっきり吸いたいのだが、仕事場に張り付けの刑にされてしまったので、かなわず。

 せめて、夜勤をさぼってビアガーデンに行こう。

8月17日

 ビールは注ぐ人によって味が変わる。

 そんな話を偶然に喫茶店で会った庭師から聞いた。注ぐ人の人柄や態度、生き方のようなものが味に出るのだという。まじめに話すものだから聞き入ってしまった。

 居酒屋のママ。心を込めて客にビールを注ぐ店ははやるが、ぞんざいな注ぎ方をするような店は客足が途絶えてつぶれるのだ、という。そんなものかな、と思いつつ、味にどう現れるのかを聞いてみた。

 まじめな態度で注ぐの者は、やはりビールがキリッとうまいのだそう。逆に、軽い気持ちだったり、普段からいい加減な性格の人が注いだビールは軽い味がしてまずい、という。微妙な話ではある。

 この庭師、昨日、一緒に飲んだ学生に「惨敗」した。学生の就職が決まった祝いに、学生と学生の先生に当たる人とともに飲み、先生から、ビールの味が確かに変わる、という話を聞いた。半信半疑で自分の注いだビールを飲み、次に学生のビールを飲んで、驚いた。「確かに、学生の注いだビールがうまい」。人生にまじめに向かい合っている、そんな味だったという。

 逆に自分の注いだビールは「オレの軽い性格、そっくり」。人生の年輪はあまり関係がない。「そのとき、その時点での注いだ人の人間性が現れる」とも。

 確かに注ぐ人によってビールの味は変わる。今度飲むときから試してみよう。けれども、人の人生を推し量るような微妙なテイスティング。いわば、「人生のきき酒」。まだまだ青い僕には、当分、微妙な違いは分かりそうにもない。 

8月16日

休み中に、2つの盆踊りに繰り出した。夏、男は黙って、盆踊り。

祖父母は愛知の長野県境、「奥三河」と呼ばれる地域に住んでいる。奥三河と言えば、設楽あたりを指すらしいが、祖父母の住んでいるところはそれよりさらに奥の「奥奥三河」と言える地域である。この地域と、長野の天竜峡周辺とは国道151号でつながり、ほぼ同じ文化圏。この地域に伝わる盆踊りは、起源が鎌倉時代の「踊り念仏」にさかのぼるとされていて、屋台の上に三味線や太鼓が陣取り、盆唄をその場で歌う生演奏。情緒がある。

14日夜には、長野県阿南町の「新野の盆踊り」に初めて出掛けた。小さなころから、祖父母の家へ夏に行くたびに、にぎやかさを聞かされ「いつかは新野で踊りたい」という思いを抱いていた。長年温めていた思いを、ようやく果たすことができたのである。

ここの盆踊りは、三味線や太鼓は使わず、盆唄だけで踊る。国の重要無形民俗文化財にも指定されている。「商店街の端から端まで何重にも踊りの輪ができ、1回り1時間はかかる」と聞いていた。期待を胸に会場へ歩くが、高原中に響き渡っていると想像していた盆唄が聞こえて来ない。会場に着くと、やぐらを囲んでいるのは百人ほどだけだったので、いささか拍子抜けした。

それでも「高い山」「十六」「おさま甚句」など、愛知県側でも踊られている唄が聞こえると、勝手に体が動き出す。最近作られたものとは違い、数百年続いてきた素朴な踊り。参加者も唄を歌いながら、ゆったりと踊る。昔は1000人は踊ったという会場は寂しくはなったが、踊り手に多少の増減はあっても、今後も伝承されて行くであろう力強さを感じた。

15日夜は、愛知県津具村というところであった盆踊り。こちらは、三味線、笛、太鼓の生演奏付き。こちらの盆踊り、新野とは様子が全く違う。人がたくさんいることもさることながら、踊り子の年齢層が、10〜20代が中心なのだ。こんな山奥の村に、よくもまあ、こんなに若者がいて、集まったものだ、と感心する。運営も若者が握っていて、この分なら、ここ数年は盛り上がりそうな勢い。

こちらで踊って楽しいのは、「チョイナ節」というテンポのよい踊り。最初はのんびりとしたテンポで、数十分踊るうちにテンポが上がり、しまいには駆けないと追いつかないほどまで早くなる。ゆっくりとウオームアップしてだんだんと興奮して行き、最後、上り詰めてトランス状態で踊り狂うのが楽しいのだ。

けれども、以前来たときと踊りの様子が違う。若者がやっているだけあって、「踊り」というよりは「ダンス」になっているのだ。やたらめったら、叫び、腕を振り、飛び跳ねる。テンポアップしてきたときの狂いようといったら、一緒に踊っていても興ざめする。普段パラパラを踊っている連中が盆ダンスにやってきたんじゃないか、と思う。ノリは「盆パラ」。付いて行けない。

新野は寂しくなったけれど、正しい盆踊り。真に楽しむならこちらかな。