12月3日

ジョージハリソンが死んじゃった。実はビートルズファン。ビートルズのファンだなんて、ありきたりで、こんな場所で表明するのは興ざめ。気後れするのだが、募る思いは隠せない。

このサイトを書いているパソコンには、学生時代にアルバムのジャケットをスキャナーで取り込んで自作した壁紙が張ってある。高校時代に坂崎幸之助の深夜FM番組でよく流れて気に入り、名古屋大須の電気街で1枚800円ぐらいのばった物のCDを買い込んで、熱中したのが懐かしい。

実は、4人の中でも「一番目立たない」とされるこの人が好きだったのである。レノン・マッカートニーのまぶしすぎるコンビを前には、少しぐらい優秀でもまったく注目されない。道化者で最後にメンバーになったリンゴスターにさえ、知名度で負けている、お茶目な人なのである。デビュー以前の曲を集めたアンソロジーというアルバムで、妙に下手なギターソロはきっと、彼の演奏に違いない。「ギターうまくなれよ」とメンバーにいわれて殴り合いになったという話もあるらしいのだが、やっぱりビートルズ。後期になると、才能が開花するのである。シングルのA面を獲得するほどの名曲揃いとなる。

基本的に目立ちたくない性格なのかもしれない。2枚目のアルバム「With the Beatles」には、初めて彼が作ったという「Don’t Bother Me」という曲が収められている。意訳すると「僕のことはほっといて」。ある人から「お前も曲を作れ作れ」と催促されて作ったという説があるらしいけれど、それに答えて「うるさいな」という曲を作るところが、彼らしい皮肉かも。最強コンビのおかげで有名になってしまって、彼自身とまどって、遠慮していたのかも。いや、すねていたのか。彼のニヒルで投げやりな感じの歌い方や、皮肉たっぷりで嘲笑的な歌詞が、僕の心をとらえているのかも知れない。「Something」「Here Comes The Sun」といった美しい曲も作っています。

ビートルズ解散後、盗作で訴えられて、しかも負けちゃった話を聞いても、やはり好きなのである。ほとんど神格化された最強コンビと違って、人間臭さを感じるから。ビートルズ以外の活動もたくさんして、たくさん失敗した人なのである。

死の直前に、盗作疑惑のかかった「My Sweet Lord」がカーラジオから流れていた。今度こそ危ない、という話を聞いていたのだが、これほど早いとは。

ビートルズ時代にインド哲学に傾倒していた彼は、死亡発表前に自らを火葬させ、遺灰はガンジス川に流すのだそう。幕の引き方まで格好いい。

12月2日

 早い時間に撃沈したはずなのに、朝10時ぐらいまで、虐殺されたかのごとく、うんともすんとも言わない人間が部屋に転がっていた。みんなでのろのろと起き出して、食器を片付ける。鍋は片付けが楽でよろしい。

 なぜかあったポップコーンの素を炒ってはじけさせる。缶コーヒーを買ってきてもらい、それが朝食。

 廃人状態からなかなか立ち直れない人のNB2を貸してもらえることになった。我がロードスターを不動車にしてから、2週間。そろそろ禁断症状が出てきたので、好意に甘えて3台でドライブに行くことにした。廃人は捨ておく。

 シートに座った感じは、やはり同じロードスター。クラッチを踏んで、セルを回すと、ロータリーエンジンのような起動音。BPはかかりが悪い?

 ギア比が違うのに少しとまどったものの、剛性の違いが感動的。ビルシュタインの足回りは乗り心地がよい。開幌状態でいつもの山道へ行き、いきなりの7500回転。フラットトルクでモーターのように回転が上がっていく。我がB6では、7000回転を超えると、怪しげな音と振動が発生するのだが、排気音も静かで、心地よいノイズである。ヘアピンカーブで、ブレーキを踏むと、踏みごたえがあまりないのに、がん、と利く。軽く踏んでいるのに、我がロードスターなら、フルブレーキぐらいの領域の減速だった。もう少し、ダイレクトな方が好きかな。

 6速ミッションはいつもの山道にぴったり合って、なかなかリズム良く走ることができる。ノーマルタイヤはリアが滑る感じが、よく分かって、あまり緊張しない。ちょっと飛ばすと、ぎゃあぎゃあうるさいぎゅーんとは大違い。

 ああ、楽しいと調子に乗って走っていたら、やはりブレーキには負担が掛かっていたみたい。車を降りると、カチカチという音とともにブレーキが焼けたにおいがした(持ち主の某氏ごめんなさい!)。

 美ヶ原に向かって登る。標高1900mの武石峠の先で、路面が氷結していた。ロードスターだと、スタッドレスタイヤを履いていてもつらい路面。仕方なく引き返した。気温は氷点下だったらしい。

 仲間と別れて、夕方からエンジン製作。バルブリセスを仕上げて、クランクに連結し、オイルポンプ、ウオーターポンプ、リアのオイルシールまで組んだ。オイルパンのパッキンを取る作業に時間を取られる。オイルパンが付いたら、完成も近い。

 気が付いたら、ポップコーン以来、メシを喰らうのを忘れていたのであった。宴の後に残ったバランスアップとポテトチップス、ビールにワインで空腹を紛らわす。

12月1日

 仲間5人で鍋パーティー。堀金村の物産センターで買っておいた「じこうぼう」というキノコの加工品と農家で栽培された「ヒラタケ」、スーパーで買ったマイタケ、シメジといったキノコ。豚肉、白菜とともに、煮込んでやった。さすがに、旬のキノコを煮込んだ鍋にはかなわないけれど、なかなかの味でした。

 午後11時前ぐらい、僕を含む4人が同時にダウン。2時間ほど寝て回復し、現在3人のいびきや寝言を聞きながら、現在、3リットルサイズのワイン「CARLO ROSSI」を飲みながら、デルソル乗りの人と2人で飲んでいるところ。

 いいね、仲間は。

 

11月29日

 特定非営利活動法人を立ち上げて、介護問題に取り組んでいる人と会った。この人、28歳の男性である。まだまだ若いのに、すごい行動力だ。

 東京の大学の語学関係の学部に入ったものの、高校時代の勉強の延長のような詰め込み学習に愛想が尽きたらしい。世田谷に住んでいる、重度身体障害者の介助をするボランティアに出合って、のめり込んでいった。

 1年で大学を中退。老人介護の仕事で稼ぎ、夜間の学校に通いながら、資格を取った。「人と人と会うのが楽しい」と、介護の仕事が思いのほか、自分に合ったらしい。将来はこの道しかない、と決めてしまった。

 就職したのは介護保険がスタートする前夜。故郷である長野県でも事業所ができることを知り、ある介護会社に入った。

 しかし、急に規模を拡大したためか、ろくなマニュアルも、ノウハウ伝授もなく、ただ地方に任されるだけの運営。「長野県に合ったやり方があるはずなのに」と疑問を持ち始めたのだとか。この業界ではなかなかの給料がもらえていたのだから、普通の人だったら、疑問を持っただけで流され、そのままただなんとなく、毎日を過ごしていたはずだ。

 ところが、この人は違った。働きながら、NPO法人の設立を準備しちゃったのである。勤めながら昨年10月に法人を設立してしまい、今年2月に退社すると同時に、介護事業者の認可を得た。

 「独立してもやっていけると思った」と、ケロリと話すのだが、なかなか普通の人にはできない。独立に当たっては、介護会社の顧客をもらっていったそうだから、したたかではあるのだけれど、それでも、NPO法人だからねえ。どう考えても、稼ぎがありそうにない。

 設立以来、ヘルパー派遣などの介護保険事業をやったり、介護保険では認められていない事業もやったりしながら、来月から「託老所」と呼ばれている場所を設立してしまうのである。けっこうこの地域では先進的な取り組みをしているのだけれど、「自分だったらこうしてほしい、と思うことをやるだけです」と、きっぱり。

 自分の信じた道に突き進むその姿に、正直、しびれました。5、60代で人生の酸いも甘いも味わった人なら、いかにもありそうな話だけれど、20代。同じ世代として、ため息が出てしまう。

 仕事場の些細なことで、この世が終わったような騒ぎをしているような僕が、とってもちっぽけに思えました。

11月28日

 12月1日に新エンジンを積み込もうと思っていたものの、仕事が入ったり、付き合いが入ったりで、不可能となった。せっかく、車好きが集まるのに、絶好なチャンスを一つ見送ることになっちゃった。

 正直言うと、体力も限界。日、月と2日連続のハードな作業後に、午前3時までヘッド組み立て。さらに、翌日仕事で遠出したから、昨日は家に帰るなり、ストーブの前で意識不明となってしまった。昏睡すること2時間ほど。

 急ぎすぎて、致命的なエラーを犯してもつまらない。現在、ヘッドは組み上がった状態だけれど、腰下がクランクを組み付けただけ。1日まで作業は中断になるかな。

 それに、インマニ&スロットルと、オルタネーター、スターターが今手元にない。加工とオーバーホールに出してしまったのだ。

 今の車がそろそろ10年。ちゃんと組み上がれば、あと10年そのまま乗れるな。

11月27日

 仕事で、美麻村というところに行った。松本から、40キロぐらい北に行った、山間の村である。そこで、仙人のような暮らしをしている人と会うために。

 長野五輪のときに整備された高瀬川沿いの通称「オリンピック道路」を北上する。長野県北部は五輪開発に伴う道路が多い。松本は高速道路が整備された以外には、こういった恩恵はほとんどなかったのだけれど。

 途中の温度計は3度を示していた。大町市内に入ると、ちらりちらりと雪が。山道を登り、美麻村の中心部(ものすごい田舎!)に行ったときには、雪が本降り。辺りは銀世界であった。気温はそれほど低くないので、路面はただ濡れた状態。けれども、コーナーの先は凍っていないかと不安になりながら、慎重に運転する。ジムニーだから、いくら飛ばしたところで知れているけれど。

 明日になって晴れると、北アルプス山はすっかり雪化粧しているんだろう。明日の予想最低気温はマイナス4度。

 すっかり冬。

11月26日

 昨日と今日は連休であった。昨日の夕方に腰下を降ろして、今日はばらばらにした腰下を家の中にしまい込んで、スロットルとインマニを拡大加工すべく、クロネコに持ち込んだ。また、オルタネーターとセルモーターをオーバーホールしてもらおうとディーラーに依頼し、さらに、コンロッドを削り(重量が10g以上違っていてめちゃくちゃ大変でした)、ピストンにリセス加工をして、バルブを磨き、ヘッドを組み立てちゃった。夜に仕事があって、一度外に出て、午後11時すぎからヘッドを組み立て始め、カムスプロケットまで組んで午前3時に終わった。明日仕事だというのに。HLAを分解したので、現在すべてのバルブが開いている状態。一度始めちゃうと、なかなか終われない性格なんです。

 現在午前4時近く。早く寝なきゃ。 

11月25日

 ロードスターに潜っての作業が終了したので、友人Kに電話した。

 「今日休み?」

 ちょうど休みであった。「今すぐ来てくれない? 軍手は用意するから」

 友人Kは逃れられない、とあきらめている様子。「いま、ちょっと離れたところにいるから、待っていろ」。意外と早くやってきた。

 エンジンを吊るため、4メートルの足場用鉄パイプを立てる。ちょっと1人ではできない作業だ。3メートル以上の高さにチェーンブロックを吊るさなくてはならないのに、持ち合わせの脚立は1メートルほど。届かない。ジムニーのスタッドレスタイヤを4つ重ねて、その上に脚立を置いて、その上に立ってみたら、僕の身長では届かなかった。僕より背の高い友人K、見事にチェーンブロックをフックにかけてくれた。

 ボルトに鎖を通し、エンジンを吊る。ミッションとの連結がなかなか外れなくて、往生した。30分くらいあれこれやっている間、従順にも待つ友人K。何とか外すことができ、腰下を運ぶのも手伝ってもらった。電話1本で来てくれる。やはり、持つべきものは友達である。お礼に夜、ファミレスの「バーミヤン」でごちそうした。12月1日に松本駅隣で開店するホテルに転職した友人K。研修の話で盛り上がる。

 午後9時半に帰り、軒下で腰下の分解。何と、ピストンだけで5gの差があった! しかも、1番と4番。どうりで高回転での振動が多かったわけだ。

11月24日

 スーツを作ってもらうため、ディーラーに行った。店長にはエンジン製作でアドバイスを何回ももらい、電子ばかりまで借りているので、恩返しである。「2着買って」との要望には、金がないから応えられなかったけれど。

 着るものにはまったくこだわりがない。生地を選ぶだけで困ってしまう。幸い、2本のズボンが付くコースでは選択の余地があまりなかったから、店員のお姉さんとあれこれ話しながら決めた。決め手は、業者の「若い人はこれでしょ」という言葉。やはり、プロの言葉には弱い。「あ、そうなんですか」。これで決まりである。

 形はシングル。ボタンは3つ。聞かれたとき「一番流行っているやつで」と答えちゃった。寸法取りは就職祝いに作ってもらったスーツを着ていったので話が早かった。「このスーツは、ここがこの寸法ですから、同じにしますか」と聞かれるので「はい」と答えるだけである。

 できあがりは1カ月後。ボーナスが出ていると思われるので、何とか支払いができそうである。

 たまにはオーダーメイドもいいね。仮縫いがないけど。