3月13日

 今日はとても良い日だ。

 夕方、たまたま自宅近くの資源物置き場におじさんが古新聞を置いているのが目に入った。明日は、回収の日らしい。

 月に1度、回収日があるはずなのだが、市の連絡が町会経由でしか来ないから、当然、町会に入っていない僕のところへは届かない。回収日が分からずに、古新聞がたまりにたまって危険な状態に至っていたのである。危険と言っても崩れそう、というぐらいだけれど。

 より、危険だったのは、ビールの缶が、それこそ山のようにたまっちゃったからである。大きなビニール袋の口が閉じられないくらいほど。こんな光景を見られたら、すべての人が僕のことをアル中、と思ってしまう。いや、本当にアル中なのか。

 さっそく、ジムニーを玄関に横付けし、古新聞の束をどんどん積み込む。他の荷物があるので、1度では積みきれない。一度、古新聞を捨て、再び玄関に横付けし、残りの新聞を積んだ後、ビールの箱を束ねて放り込み、さらに、空き缶を2つの袋に分けて積み込む。

 資源物置き場に行くと、おばあさんが一輪車に新聞紙を積んで歩いていた。人前で異常な量の空き缶、それもビールの空き缶を捨てるわけには行くまい。そのまま素通りして、ぐるりと回って自分の駐車場で待機。心の中で100数えてから再び走り出したら、空荷になった一輪車を押すおばあさんの姿が。タイミングばっちりである。

 ところが、今度は若い主婦が手に新聞紙の束をさげて歩いているのを発見した。やばい、とすぐ隣の駐車場にジムニーを突っ込み、主婦がこちらを見ないように祈りながら小さくなって待つ。ジムニーを見れば、当然、荷台に満載されたビールの空き缶が目にはいるからである。

 バックミラーで主婦が去るのを確認し、バックでジムニーを資源物置き場に横付けした。夕方なので交通量が多い。人が荷台を見ないように祈りながら、しばらく運転席で待機。交通がなくなったところで、ジムニーを飛び出し、さっと荷台から空き缶が入った袋を取り出して捨てる。後は、知らん顔して新聞を捨てるだけだ。

 新聞紙とビールの箱の束を捨ててようやく、大仕事が終了。よく見たら、置かれている新聞の束の実に半分ほどが僕の置いた物だった。

 すっきりして、うきうき気分なのである。

3月11日

 昨日は鈴鹿山脈の入道ヶ岳へ友人と上った。標高906m。いつも行く美鈴湖ぐらいの標高だから、軽いな、と甘く見ていた。この前上ったのは標高2857mの常念岳だ。

 のんびりした山登りで、ナガシマスパーランドがある長島町の友人宅に午前8時に集合。四日市まで東名阪で走り、菰野町でコンビニに寄り、宮妻峡ヒュッテというところまで車で行こうとしたら、途中の道が工事中。手前に車を置く羽目になり、20分ほど時間をロスする。

 風が吹くと少々寒いものの、天気に恵まれ、とても気分がいい。ひたすら林道を歩くこと30分ほど。水沢峠へ至る登山道口に到着。

 鈴鹿山脈は伊勢に近いこともあり、あちこちに歴史を感じられる場所がある。途中には奇岩「仏岩」があり、ここは天照大神降臨の地とされているらしい。そのわりには一般に知られていないのが怪しいところであるけれど。麓の神社の宮司が独り、強弁しているのかも知れない。

 少々の急斜面を、ぼちぼちと歩いていく。途中、石で組まれた窯の後が無数、存在する。窯は天井部分が崩れ落ち、石垣のように朽ち果ててしまっていた。昔、炭を焼いた窯らしい。茶碗のかけらも落ちていたから、掘っ建て小屋を建てて、焼き上がるまでそこで生活したと思われる。こうしたところにも歴史が感じられる。

 なかなか良い登山道だ。何が良いか、と言えば人がいない。定番になりすぎた感のある北アルプスは、人だらけだ。難所では渋滞が発生する。登山は生活の煩わしさから逃れるのが目的の一つなのに、ひたすら人に気を遣わなければならない。

 登山道も、あまり踏み固められておらず、所々ルートを探さなければならないところも。北アルプスは整備されすぎて、石の階段ととんとんと上がって行くだけのところがある。所々砂で滑って歩きにくいものの、奥地へ入ってきた、という充実感はある。登りづらい。NikonF90に縦位置グリップを付け、フラッシュのSB-28をブラケットを介して取り付けた、重量1キロを超えていると思われるものを肩からぶら下げていたからである。撮影担当の悲哀、ぼちぼち歩く皆を残して、独り駆け出して先回りし、歩いてくる場面をフィルムに収めなければならない。自分が最初に未踏の地に立っているのに、そう主張することができない川口探検隊のカメラマンの悲哀に通じるだろう。

 水沢峠へ到着。ここはすでにかなりの標高がある。目指す入道ヶ岳のなだらかな山頂がほぼ真横に見える。反対側を見れば、鎌ヶ岳。岩がむき出して斜度のきつい、なかなかの山容を誇っている。

 尾根づたいに入道ヶ岳を目指す。せっかく登ったのに、かなりくだらなければならない。しかも、ピークがたくさんあるので、登ったり下りたり。

 砂が崩れてできた奇妙な地形や仏岩、重ね岩など、見所はたくさん。なにより、人がいなくて、自分たちだけで山を独り占めにできるのが良い。

 やせた尾根で、左右どちらにバランスを崩しても、数十メートルの滑落が待っている。左肩に重量物をぶらさげていると、いちいち姿勢を考えながら歩く必要がある。カメラを岩にぶつけないように。

 一度、かなり下って、今度はきつい岩場の斜面を登ると、アセビの木が生い茂ってくる。北アルプスは標高2000メートルを越えれば植物がまばらとなるが、標高が低いと、樹林帯を突っ切ることになる。視界が開けると、なだらかな山頂は目の前。椿大神社の奥宮で、中高年の団体登山と出会う。昼食を一緒にと誘われたが、山頂で食べることにしていたので丁寧に断る。「若い人たちのエネルギーを奪おうと思っていたのに」とおばさんパワー炸裂の言葉をちょうだいした。

 笹が黄色く枯れた幻想的な斜面を登ると、鳥居とともに一気に伊勢平野が目の前に広がる。残念ながら春霞のためちょうど伊勢湾のあたりまでしか視界がなかった。山国に住んでいると、一直線に伸びる水平線にあこがれるのである。北アルプスでは見られない眺望である。霞んでさえいなかったら、最高だったのに。

 昼食。コーヒーをわかしてもらって飲む。一気に下山して、長島温泉の「なばなの里」で露天風呂。うだうだと過ごして帰宅が午前零時前。

 午前7時に起きて、松本へ出勤したので、今日一日仕事にならなかった。

3月9日

 すっかり春めいた一日。抜けるように青い空で風も冷たくなく、ぽかぽか陽気となった。北アルプスは少し春霞がかかっていたものの、雪をかむった嶺峰がくっきりと青空に映えていた。こんな日に、開幌状態のロードスターに乗らなかったとしたら、人として間違っている。

 仕事にもかかわらず、虎視眈々とドライブに行く隙を狙っていたのだが、なかなか時間が見つからずに、ついに行くことができなかった。人生のうちの数パーセントを無駄にした気分である。

 夕方、仕事を切り上げて、ロードスターのオイル交換。オイルフィルターはトヨタの4AG用を持参していかないと行けない。しかも、交換工賃1000円。WAKOS4CT3.6リットルと合わせて8200円。高すぎる。EXCRUISEという半合成?のオイルを仕入れてもらうよう、強く要望しておいたのだが、実現の可能性は薄そう。2100円で交換していたころが懐かしい。

 その後、軽く名古屋近郊に来ちゃった。こんなことをしているから、あっという間に距離が増えていくのである。

3月8日

 オイル交換の時期が来た。新エンジンになって、4回目となる。

 昨年末に動き出して、すでに6000kmも走っちゃった。実家から富山に行ったりしているから距離が伸びてしまう。富山も2回目だし、実家は新エンジンで何度帰ったんだろう?

 自分で作ったエンジンで6000kmも走ることができれば、もう満足。いつブローしたって、それほど悲しむことはない。一応、結果は残せたのだから。素人のやっつけ仕事でも、エンジンは回るのだ。最初、エンジンがかからなかったら、このサイトごと行方不明になろうと考えていたぐらいだし。

 最初、新エンジンが回っただけで満足だった。それが、実家まで帰ることができて満足、富山まで行くことができ、人に乗ってもらえたから満足、8000回転まで回ったから満足、とだんだんと達成したステップが上がっていった。

 そのうち、自分の作ったエンジンでサーキットを走れたから満足、とかになるといいな。

3月7日

 花粉症が国民病と言われ出したらしい。

 昔、花粉症だった。だった、というのは、今はへっちゃらだからである。それって花粉症だったの?と言われたら、もしかしたら違うかも知れないけれど、耳鼻科でアレルギー性鼻炎という病名をちょうだいした。小学1年ぐらいのことである。

 小学校低学年の頃は週に1度ぐらい午前中の授業をさぼって、大学病院の耳鼻科に通い、鼻に吸入器を突っ込んで吸入していた覚えがある。いつも鼻が詰まっている鼻垂れ小僧で、そででぬぐっちゃうものだから、そで口がものすごいことになっていた。がびがび。

 高校のころも、アレルギーは残っていた。一番記憶が残っているのは、友人の部屋に遊びに行ったら、突然目がかゆくなり、鼻水が止まらなくなったことがある。「猫がいたでしょ」と聞くと、直前に飼い始めたことを知る。猫がいた部屋に入っただけでひどい目に遭っていたのだ。

 ところが、最近はアレルギー症状が出ない。猫だらけの家に行っても平気。体質が変わったのかしら。アレルギー性鼻炎って直るのかしら。子どもの頃はことがあるごとにくしゃみをしたり、目がかゆくなったりしたから、苦しみは知っているのだ。

 また症状が出ないだろうか、と鼻水が少し出たり、目に異物感を感じたりするたびに冷や冷やしている今日この頃である。

3月6日

 仕事をさぼって、いつもの山道へ走りに行った。なんだか、仕事をさぼってばかりのような気がするのは、あまり考えないようにしておこう。

 足回りを固いものに交換してしまって、別の車のようになったらどうしよう、と不安だった。いつものコーナーが全然違って見えるのではないか、と。

 ところが走ったら全然問題がなかった。コーナーで意識してブレーキを残す必要はあるけれど、まあ、それほど変わらない。

 FM901の印象は、静か。だってぎゅーんは、コーナーごとにぎゃーぎゃー鳴いていたのだから。固いバネに変わったためか、それほどグリップが上がったという印象はなかった。グリップが強くなったわりには、その分、接地感などとして伝わってくるインフォメーションが薄いのかもしれない。コーナースピードはかなり上がっているはず。これはタイム計測しない限り、違いが分からない。

 路面は路肩の雪が解けて、ところどころ湿っている。湿ったところを踏んでも、それほど姿勢が崩れないのは、FM901の本領発揮、というところか。ウエットにはすこぶる強い。溝の切り方が良いのかしら。

 夏タイヤに戻ると、ブレーキの利きが甘いのが気になりだした。リアのブレーキディスクがレコード盤状態になっているのは、ずっと前から気が付いていた。エンジンをオーバーホールして、足回りを変えて、空燃比計を付けて、とその上にまだ投資をしたら、今度こそ人間失格と家族あたりから言われても仕方がないのだが、安全にかかわるところだけに迷う。今のままでも無理しなければ、危なくはないのだけれど。手数の一つがなくなる感じかな。

 松本へ駆け上がったため、恐ろしく濃くなった燃調を直すために、美鈴湖のほとりでROMチューン。信州を本拠地にする限り、燃調を気にしたらいけないのかもしれない。

3月5日

 3連休の最終日。愛知の実家から、富山へ行った。タイヤ交換をしに。

 8分目山のFM901をすべて込み込みで2万円、という条件を昨年12月に聞いて、付けます、と即答してしまった。車屋さんが言う8分目は、ほぼ新品に違いないと思ったから。それに、ハードに走る予定があるので、すぐなくなると思われるタイヤはできるだけ安く済ませたい。

 実家に戻る用事があるので、ついでに実家に置いてあるぎゅーんに付け替えて富山へ行こうと考えた。列島横断の形になるけれど。まだ、松本では雪が降る。夏タイヤにするのは早いのだが、まあ、雪が降ったらジムニーに乗ればいいでしょう、と考えた。この時期なら、前日に雪が降らない限り、路面に雪が残ることはない。

 そういえば、新足回りで初の夏タイヤ。元気に走ろう、と思っていたが、すぐにくじけた。溝が消えかけのタイヤに重ステ。スタッドレスの軽いステアリングに慣れてしまったので、運転を楽しむどころではなかった。

 朝10時に出て、付いたのが午後2時。高速道路の降りるインターを間違えて少し遠回りになってしまった。

 タイヤを交換して、ついでに空燃比計を取り付けてもらう。タイヤと空燃比計。どちらがついでなのかはよく分からない。

 帰りはいつも通り、安房トンネルを走ろうと思っていた。しかし、外は雨模様。標高1300メートルほどある安房トンネルには雪が降っているかも知れない。

 そう思って、平湯料金所に直電を入れた。昼から雪。路面はところどころシャーベット。夏タイヤで夜に走るのは自殺行為である。

 仕方なく、高速道路で帰宅。セッティングをしながら。大雨の高速でも、あまり不安感のないFM901は、やはりウエット性能が優秀。

3月4日

 名古屋近郊から実家へ。途中、名古屋の外れの解体パーツ屋に寄ったら、雑然とパーツが置かれている店内に、2つごろごろとデフが転がっていた。値札を見ると、FCとNA8Cのものらしい。

 ところが、どう見ても、値札が逆。ロードスターと書いてある方が大きく、FCと書いてあるデフにはパワープラントフレームとの連結部分がある。自分でも取り替えたことがあるし、お店の人が間違えたに違いない。

 FCデフこと、NA8Cデフは、ドライブシャフトとの連結部が、スプラインの差し込み式だった。これはもしかしたら、シリーズ2用の、ファイナル4.3のものかもしれない、と期待。買ってもいいかも、と思い、店員に値札が間違っていることと、何年式の解体車から外したものかを聞いた。

 店員は最初、こっちがロードスター用よ、とFCデフを指して言っていたので、いや、大きさがこちらの方が小さいし、何よりもPPFとつなぐこの部分が特徴的でしょ、と言ったら、向こうも納得した様子。気になる年式を調べてもらったら、平成7年4月登録の車のものだった。シリーズ1のファイナル4.1のものとみられる。購入は見送った。

 なぜか春日井市にあるアストロ名古屋店にも寄ろうと思うが、竜泉寺街道が込んでいたのであきらめる。ジェームスの隣を通って尾張旭に抜けた。

 やはり、松本よりも名古屋の方が空気が濃い。負圧計で一目瞭然だし、5000回転から上で、若干ノッキングが発生した。ハイオクでもノッキングが出るんだねえ。

 さっそく実家でROMを作成。5000より上を遅らせ、トルクの谷になっている4000回転付近は思い切り進める。そうしたら、4500回転で段付き加速をするようになった。

 明日は富山へ。新タイヤと空燃比計が付くのだ。