7月4日

 飲んだくれてばかりいて、ここの更新がお留守になってしまった。カウンターが1でも上がっているのに気が付くと、罪悪感にさいなまれてしまうのである。

 飲んだくれている間に、長野県知事の田中康夫を取り巻く情勢が緊迫の度合いを深めている。全国版ニュースでも取り上げられているから、知っている人も多いと思うが、明日にも県議会から不信任決議をたたきつけられる公算が大きいのである。

 知事の権限は大きい。なんと言っても、1兆にも上る県の予算をにぎっているのである。田中康夫がいやだ、と言えばコンクリートのダムは造ることができない。予算が執行されないからだ。さらに、人事も握っている。知事の気に入らない県職員は、簡単に出先機関に飛ばしてしまえる。

 だからといって、好き放題できる訳じゃない。すべてに「説明責任」が求められ、やることすべてにチェックを受ける。チェックを担当するのが、今回不信任をたたきつける県議さんたちだ。田中康夫がやりたいことは「議案」として議会に提出し、議会で可決してもらわなければならない。保守系の人が多い県議と知事とは、ことあるごとに対立し、文字通り「犬猿の仲」なのである。

 今開かれている県議会では、田中康夫がつくった「ダム検討委員会」の1年ちょっとの話し合いに基づき、2つのダムの建設中止を決めた。今の日本は国のお金で道路や建物を造って地方を潤わす仕組みだから、ダム中止は痛い。それに、治水が悪いとされる地域が放置される結果となってしまう。第一、ダム前提に川を改修しているから、もう一度やり直す結果となり、えらく時間とお金がかかってしまう。

 そして議会では知事vs県議のバトルが繰り広げられたのである。県議が言うことも筋は通っているものだから、田中康夫は防戦一方。逆切れして、答弁とは関係ない自分の考えを、勝手にとうとうと述べてしまった。さらに、議長が「やめなさい」と言っているのに、延々と答弁と続けてしまった。サッカーで言えば、審判のホイッスルにもかかわらず、ボールを離さずに1人だけでプレーしちゃったのと同じ。レッドカードものである。

 県議会の保守系が集まる集団「県政会」は、もともと「けしからん」と思っていたから、ついに堪忍袋の緒が切れた。文字通りレッドカードを意味する「不信任決議案」を提出することに決めたのである。共産党と社民党をのぞく人たちが賛成する見込みだから、明日、ほぼ可決する予定。ちなみに知事不信任決議案の可決は、岐阜県であっただけで、今回が2回目の「珍事」である。

 不信任されちゃった田中康夫には2つの道が残されている。知事をそのまま辞めるか、議会を解散するか。これを10日以内に決める。議会が解散されたら議員さんを選挙で選び直す必要がある。たぶん、同じようなメンツが集まるから、選挙後に再び「不信任決議案」が提出されることになる。すると、田中康夫は無条件で知事を辞めないといけないのだ。もっとも、知事を辞めても再び選挙に出られる。

 4つのケースが考えられる。田中康夫がそのまま知事を「や〜めた」と言って東京に帰るのが1のケース。これはたぶんない。2つ目が、議会解散で県議選をやった後に、再び不信任案が出されて知事選をやるケース。これが、もっとも普通か。3つ目は、議会を解散した後に知事も辞めてダブル選挙をやるケース。理屈っぽい田中康夫にはありそうだ。「県民の信を問う」とかいかにも言いそう。

 4つ目が、知事が辞職して、知事選だけをやるケース。「けんかをしているのに、片方の知事だけが辞めるわけない」と思う人が多いかもしれないが、これも大いにあり得るのである。

 対立候補が明らかではない現状では、知事選をやっても田中康夫が再選される可能性は十分ある。それに、田中康夫を応援している「脱ダム」な人たちには「田中派」の県議をつくろうという動きがある。本当なら県議選は来年4月の予定だったから、準備不足に決まっている。すぐに県議選をやってしまえば現職が有利に決まっているから、いま県議選をやりたくはない。

 知事選だけやって、田中康夫が勝つとどうなるのか。再び県民から選ばれた知事に県議は逆らえなくなってしまう。結果的に、「脱ダム」に県民は賛成した、ということになるからだ。

 個人的にはこれが、もっとも恐ろしい。田中康夫の独裁政治。考えただけでも鳥肌が立つ。さすがに、県議たちも県議選のダブル選挙に打って出るのかな。長野県のためにはその方が良いな。死ぬほど忙しくなるけれど。

 さて、どうなるのか。

7月2日

 いつもなら仕事場にはあまり寄りつかず、夕方以降に寄るだけのはずなのだが、こういうことを続けていると罰が当たるもので、昨日今日は1日中仕事場でお留守番している羽目になってしまった。

 本当に暇。ここにいる限り、さぼって走りに行くこともできない。本屋に立ち寄って車関係の雑誌を読むこともかなわぬ。

 そんなストレスを発散しに、仕事場の人と飲みに行く。罪悪感。

6月30日

 仕事の前に軽く富山のサーキットへ行った。せっかくの梅雨の晴れ間に、教えてもらえる人たちが集まる、というのだから、行かなければ罰が当たる。

 午前5時に起きて、8時すぎ、サーキット着。準備をして9時から走り始める。雨が降りそうなぐらいの曇りだったはずなのに、なぜか日差しがでるほどの好天に。あっという間に気温が上がって、汗だくの走行となった。

 結果は言うまい。どうやって走ればよいのか、何にも分からなくなっちゃった。

 富山の車屋さんでエンジンとミッションとデフのオイルを交換してもらい、気分もすっきり。あれこれ車のことを話していると、あっという間に時が過ぎる。高速で糸魚川まで走り、国道148号を小谷、白馬と走って、大町に至る。夜、大町で仕事があったのだ。

 今は、夜10時半すぎ。合間を見てこんなものをしたためている次第。今日は1時ぐらいまで仕事かな。

6月29日

 夕方、仕事を抜け出して、いつもの山道へ走りに行った。ここまでさぼっていると、さぼることへの罪悪感すら薄れて、走りに行くのは当然のこと、いや生きるための当然の権利、とさえ思えてくる。

 自転車で走っている人が多いな、と思ったら、明日は「ツールド美ヶ原」といって、松本市の浅間温泉から美ヶ原高原まで駆け上るレースが開かれるのだった。距離が30キロ弱なのに、高低差が1300mぐらいあるので、自転車だと地獄のコースに違いない。道は細く曲がりくねって、路面もうねっているため、下りで集中力を切らすと、そのまま曲がりきれずに崖から落ちる、という凄惨なコースである。自転車のブレーキはフェードしないのかしらん。

 溝にはまりこんだFCがなくなったのも、主催者側が路肩に邪魔なものがあると困るので、警察にでも頼んで撤去したのかもしれない。

 自転車がいると危ないので、しばらく待って、暗くなった頃に走り出した。例のごとく、朝からご飯を喰らうのを忘れていたので、腹ぺこでめまいがする。

 ちょっとはつかむものがあったかな。ネオバの溝が心なしか浅くなってきた気がする。 

6月28日

 ようやく新環境に移行できた。いつものことながら、とっても面倒くさい作業の連続である。

 今使っているノートパソコンは会社から配られているものなので、ときどき中身のソフトのバージョンアップを受ける。ハードディスクをそのまま丸ごと書き換えるので、データはバックアップしなくてはならない。

 ハードに私物化している僕にとってはこれが大変なのだ(誰でも同じだと思うけれど)。膨大な量のメールにデジカメの写真、ホームページデータやさまざまなソフト類。ギガ単位に及ぶデータをコピーし、初期化された設定をいちいち元に戻さなければならない。

 パソコンを本格的に使い始めた初期の頃、ちょうどDOSの時代が終わりを迎え、Windows3.1へ移行し始めた頃は、フロッピーディスクにちまちまコピーしてバックアップしていた。機種はNECのPC9821As2である(セットで40万!)。CPUは486SX(クロック33MHZ)、メモリーは5.6MB、HDDは340MB。フロッピーディスクが2台ついていた。CD-ROMドライブなんて、もちろんついていない時代である。Windowsの普及とともに、舶来のIBM互換機が「DOS/V機」という名で発売され、日本独自のPC98シリーズも斜陽の一歩手前の時代であった。メモリーは64MBまで拡張し、CPUは怪しげなCyrix5x86という100MHZのものを、はんだごても駆使して強引に取り付けた。ビデオカードも、CanopusのPowerWindow964LBという当時としては激速のものを差していた。今から考えるとパソコンも激しくチューンしていたもんだ。

 Windowsはよく壊れたから、フロッピーディスク10数枚を差し替え差し替え、数時間かけて復旧していた。今から考えるととんでもない手間をかけていたと思う。フロッピーはよく壊れて、読み出せなくなったことも多かった。Windows95がインストールされたIBMのThinkpad535を買ったとき(Pentium133Mhz、メモリー8M!、HDD1GBで35万円ぐらいした)、最初にやったことは、OSをフロッピーディスクにコピーする作業である。はやる気持ちを抑えて、2時間ぐらいフロッピーを差し替えなければならなかったのである。最初からCD-ROMでついてくる今から考えると、馬鹿げたことをやっていたものだ。

 その後は奮発してMOを買った。230MBが一気に保存できるので、復旧作業が一気に楽になった。しかし、少し前のMOは信頼性に問題があった。よくデータを飛ばしたものである。いまはCD-Rドライブ。

 最近では、膨大なデータが蓄積され、失敗が許されないので「丸ごと」バックアップをとることにしている。ハードディスクごと交換してしまうのだ。20GBの9.5mm厚HDDがなんと1万円ちょっとで買えてしまうこのありがたい時代だからこそ、できることである。SCSI接続の外付けHDDが540MBで5万円とかしていた時代が懐かしい。PC8801で遊んでいた時代は20MBで5万円。ビジネス用の340MBが100万円していたなあ。

 会社から配られた東芝のDynaBookSS3300は今となってはちょいと古い機種なので、HDDは8GBまでしか認識できない。けれども、IBMのドライブなら、IBMがただで配っているソフトを使えば、なんと強引に認識させることが可能なのだ。すごいぞIBM。

 本体裏のねじをはずしてアームレスト部分をはずせば、簡単に交換できる。3つのノート用HDDを、差し替えたり、PCカード経由で接続したりして、環境を移行。ちまちま設定をして復旧がほぼ終わった。

 大容量にするメリットは、たくさんのデータが入ることもあるけれど、読み書きの速度が上がることの方が大きい。音も静かになった。すばらしい。

 ちなみに、PC9821もThinkpadもまだまだ現役である。特にThinkpadはROMチューンに活躍中。フリーダム制御もできるかな。

6月26日

 本屋に行ったらRoad&Ster31号が売っていた。ロードスターが載っている本なら衝動買いしてしまうくせがあるので、もちろん、気が付いたらレジで精算を済ませていたのである。

 いろんなところで、この雑誌の悪評を聞くけれど、存在意義は認めたい。定期刊行されるロードスター専門誌はこれ一つしかないのだから、応援したい。

 けれども、やっぱり専門的なことはまったく書けていないのが困ったところで、チューニング関係の記事は素人の僕が読んでも間違いがたくさん見つかる。ライターの勉強不足や、企画の立て方のまずさが目立ってしまうのである。

 今回も「BPエンジンを考える」というページがあったので、これは面白そう、と思って開いてみたら、ただ単に分解に立ち会って写真を撮って並べただけの代物であった。しかも間違いだらけ。分かったことと言えば、パーツを並べた写真を通じて、B6もBPもほとんど同じ構造なんだな、ということぐらいか。B6チューンができれば、全く同じようにBPもいじれそうである。さすがに、ポートなどの加工はまた別のノウハウが必要そうだけれど。このページを読むくらいなら、このサイトを読んだ方がよっぽどましじゃないか、と思うのは思い上がり? 雑誌は有料。お金をもらって書いているプロなんだから、もう少しきっちり取材して書かないといけないと思うのだが。

 なんだか、文句ばっかり書いてしまったけれど、僕はこの雑誌の存在意義を認めているのである。きらいじゃ、ないんだよ。

 やはり、新しいパーツやチューニングの動向が分かる、というのは、一オーナーとしてありがたい。内容を鵜呑みにしない、というのは大前提であるが。

 この号では知っている人が何人か出てきている。松本のディーラーの店長も名前だけ載っていた。何と、筑波のNR-Aパーティーレースでクラス2位にちゃっかり輝いていたのだ。初めて知った。ミーティング紹介でも知っている人が何人か載っていて、にやけてしまった。

 これからは、前半部分のパーツインプレやチューニング特集よりも、後半のミーティング詳報やユーザー紹介、クラブ紹介に重きを置けば、ぐんと存在意義が増すはず。やっぱり、オーナーにとって雑誌に載るのはうれしいものだからね。もう少し、ユーザー側に重きを置いた記事を増やしてほしいものである。

 そんな僕も、ちょびっと写っていてちょっとうれしかったりして。

6月25日

 これしかない、と思っていたいつもの山道のラインが、最近各コーナーごとに何十通りも見えてきて、途方に暮れている。ブレーキを踏むところから、アクセルを入れるタイミングまで、まったくがらりと変わってしまうので、いろいろ試していたら、タイヤ1、2本じゃすまない気がしてきた。

 そんな思いを胸に、夕方、いつもの山道へいくも、路面が濡れているところもあって、思うようには走れなかった。仕方がないので、美鈴湖よりも上へ向かって走り、ウエット路面でそうっと走る練習。ウエットに弱いと聞いていたネオバだが、まったくそんなことはなかった。大雨の高速道路でわだちにはまるくらいでないと、違いは分からないか。途中、霧が濃くなってきた、いや、雲の中に突入したので引き返した。調子に乗って登り続け、突然、雷雲が目の前にあったら、とっても恐ろしい。

 そういえば、昨日まであったFCがなくなっていた。持ち主が持って帰ったのか、それとも警察が撤去したのか。ただ、ガラスの破片だけが残されているのが、少しもの悲しい。

 明日は富山でサーキット走行しようと思っていたら、どうやら雨模様。家の片付けでもしていよう。

6月24日

 2日連続で休みがお預けとなってしまった。休みまくって、平日にサーキットに行ってやる、と企んでいるのだが、なぜか状況がそれを許してくれないのである。

 腹いせに、夕方、いつもの山道へ走りに行った。新品だったはずのネオバもショルダー部分が丸くなってきて、あっという間になくなりそうな雰囲気。そんなことをかまっていたら走ることができないので、いつも通りの走りをした。と思ったらお腹がすいていて全然踏めない。昼飯が韓国製キムチ風インスタント麺(韓国あぶらそばといった感じの食い物)だけだったのだ。力が出なければスポーツ走行もできないのである。

 なぜか側溝に落ちたまま、2週間以上もオブジェになっているFCサバンナの前に、トレノハチロクが止まっていた。若そうな兄ちゃんが、FCのそばにたたずんで携帯で電話している。FCドライバーの仲間なのかな、と思うも、そのまま通りすぎる。

 下ってくると、まだハチロクが止まっていた。下りだとスピードが乗っているので止まる余裕はない。何度か通りかかっているうちに気になってきたので、ハチロクの前に車を止めて、声をかけてみた。

 兄ちゃんもFCが気になって見ていただけで、ドライバーは知らない、と言う。FCは窓ガラスが割られて、シフトノブやヘッドライトが盗まれている状態。最初はきれいな状態だったので、最近やられたんだろう。無惨な状態になっている。走っている連中の仕業ではないだろう。運転席の下に配線が転がっているのを見ると、ターボタイマーかブーストコントローラーでも盗まれているのか。

 試しにボンネットを開けてみると、エンジンルーム内はなにも取られてはいなかった。しかし、FCのボンネットって鉄だったんだねえ。えらく重い。

 何か身元が分かるものはないかと、車内をごそごそと調べた。ちょっと後ろめたい気がしたけれど、2週間も放置してある車なのだから、ドライバーにただ事ではないことが起こっているんだろう。もしかしたら、盗難車なのかも知れない。犯人が盗んだ車で遊んでいて落ちたので捨てていった、と。連絡先が分かれば、と思った。

 カード類が大量にあった。レンタル屋かガソリンスタンドのカードかと思ったので、調べてみると、いずれも消費者金融カード…。かなりの数が置かれていた。レシートもあったので、見てみるとなんだか自己破産寸前の状態じゃないのか、と思われるぐらいの額であった。1つのカードでかなりの額なのでそれが10数枚も重なると…。その他にもいろいろあったのだが、若い男の剥き出しの生活を見てしまったようで少々後悔する。

 カードから住所は割れると思うのだが、あまり関わらない方がよいようであったので、あきらめて、そのまま放置することにした。雨が降ったら車内が水浸しになる。放置されて窓ガラスを割れていたずらされるFCがかわいそうだ。

 以上の作業はハチロクのお兄ちゃんとやったので、すでにうち解けた気分である。何でも、いま20歳で3カ月前に無事故のハチロクを55万で買って走り始めたところだ、という。1度、この山道で事故をやったらしい。タイヤを見ると、左リアだけスタッドレスタイヤ。こんな状態で走っていれば、コントロールを失うことは目に見えている。スタッドレスがささくれ立っているのを見ると、駐車場かどこかでパワードリフトでもやって遊んでいるんだろう。

 ハチロクには乗ったことがない。アクセルをあおったら、なかなか良い吹けをする。「乗らせて」と言ったら、快くOKをくれた。助手席に乗ってもらって、走り出す。

 ハンドリングはいかにも軽い車の後輪駆動、というフィールできびきびとしている。素直。足回りは少し固いバネが入っているよう。ちょっと走っただけでも楽しい車であることが分かる。これで走り込めば、うまくなれるんだろう。

 ブレーキがちょっと甘く、何よりもタイヤが腐っているので、さすがに攻め込むことはできない。エンジンは、ROMやフライホイールなどをいじっている僕のロードスターの勝ち。でも、山道で走って練習する分には必要十分であると思われる。

 ロードスターに興味を示していたので、エンジンルームを見せてあげて、いかに簡単に幌が開けられるのかを見せて、オープン病を感染させるために、助手席に乗せてあげた。軽く山道を1往復。お兄さん曰く「ロードスターをなめてました」。コーナースピードだったら、負けないよ。ともかく、中古でも良いからタイヤをもう少し良いものに変えて、ブレーキを整備するようアドバイスしておいた。下手のくせに知ったかぶりで生意気だね。

 いつもの山道で4年近く走っていて、他の人に声をかけたのは初めて。車好きって、あっという間に友達になれるから、良いねえ。

 車ぶつけたらそれでもう走れなくなるんだから気を付けて、という思いを込めて、別れ際、「事故らないようにね」と言ったら、「お互いにね」と、やられちゃった。

6月23日

 松本から北へ30キロちょっと行くと、大町市がある。黒部ダムや立山黒部アルペンルートがあるといえば、ちょっとは分かる人がいるかも知れない。長野五輪で感動を生んだジャンプ台のある白馬村の南、と言った方が分かりやすいか。松本は雪国じゃないのだが、大町は雪国である。人口3万人強。安曇野の真ん中の穂高町に人口で抜かれてしまったから、寂れつつある、と言っても良いかも知れない。

 その大町市で市長選が実施されることになった。過去2回は現職が無投票で当選しているので、12年ぶりになる。何と、こんな小さな市に4人も候補が立ってしまった。現職と、環境問題シンクタンク研究員、陶芸家、元新聞記者、となんだか怪しい経歴が並ぶ。

 現職の他3候補は「現職の多選を阻止!」との狙いで出馬している。ちょっと考えれば分かることだが、候補がたくさん立てばそれだけ票が割れることになり、後援会組織がかっちりある現職が有利になるに決まっているのである。そんな自明なことはたぶん、どの候補も分かっているのであろうが、それでも出馬しちゃうところに、大町に住む人の気質が現れているのかも知れない。

 みんながお山の大将を気取りたがる。出陣式では、名ばかりで実態がないと見られる訳の分からない団体の代表がずらずらと並び、それぞれがあいさつをしなければ気が済まないから、出陣式なのか何なのか、よく分からない状態。抜きんでたリーダーシップを発揮する人がおらず、それぞれが自分の主張を勝手に言い張って団結せずに、こぢんまりとしたまとまりを作ってしまうのかも知れない。ある地元紙が社内で割れてそれぞれ他の陣営に入り込んでなにやら暗躍している、との噂もあって、かなりディープな、どろどろした気質が背景にはある。

 選挙、というのは人間模様がいろいろ見え隠れするから、観察していると案外面白いことがある。保守派の現職と、日本共産党はたいてい仲が悪い。この選挙でも、現職陣営が共産党の推す候補の中傷ビラ(内容はあながち間違いじゃないから中傷ではないかもしれないけれど)をばらまき、名指しされた方はそれに過敏に反応して、ことあるごとに反論して、もう泥仕合。機会あるごとに「謀略には負けぬ」などと怒りを剥き出しにしていたら、相手の思うつぼなのにねえ。

 期間は1週間。後半になってくると、それぞれが焦りだしていろいろな「策」を弄するようになる。さて、どんないやらしさを見せてくれるのか。