暑いです。異常です。夜でも大量のアブラゼミがじいじい鳴いています。
バスと地下鉄で通勤するという、馬鹿げたライフスタイルになってしまった。基本的に人混みは嫌いである。それが好んで人混みの中に突入する格好になってしまい、2日目にしてすでにストレス満タン。肩が凝って仕方がない。
松本の生活が懐かしい…。
暑いです。異常です。夜でも大量のアブラゼミがじいじい鳴いています。
バスと地下鉄で通勤するという、馬鹿げたライフスタイルになってしまった。基本的に人混みは嫌いである。それが好んで人混みの中に突入する格好になってしまい、2日目にしてすでにストレス満タン。肩が凝って仕方がない。
松本の生活が懐かしい…。
早朝、先輩と奥さんに送られながら、ハードトップ仕様の我がロードスターに乗り込んだ。信州ともお別れである。
掃除機やほうき、スリッパなど、家財道具と車道具満載のロードスターを駆り、いつもの山道を走り納め。速い走り方ではないかもしれないけれど、どのコーナーでもリアを流して走る。走り慣れた道でないと、できないことだから。
ひたすら腕を磨いたこの道ともお別れである。家を出て10分で恵まれた道があったことに感謝。この道がなかったら、ここまで車で人生を踏み外すこともなかったかもしれない。
思いっきり走ってそのまま三才山トンネルを抜け、佐久へ。千曲ビューラインなら、来年の軽井沢へ向かうときに走るかしら、などと感慨深くさまざまな道路を走る。ハードトップなのが残念でならない。
清里に出て八ヶ岳道路を通り、富士見高原を抜け、諏訪、高遠、伊那へ抜け、駒ヶ根。高速ならいつでも乗れる、と思い、広域農道を通って飯田に向かったら、そのまま国道153号と愛知万博予定地近くを経由して自宅に着いてしまった。諏訪から4時間。
明日から地下鉄で名古屋中心部へ通わなければならぬ。気が重い。
ここ数年、出歩くときはいつも4つのキーと一番小さなマグライト、十徳ナイフのようなアクセサリーを一つにたばねて、じゃらじゃら言わせながら持ち歩いていたのである。
うちわけは、ロードスターのキー、ジムニーのキー、松本の自宅のカギに仕事場のカギ。今朝まではこの4つを持っていたのだが、いまはロードスターの一つだけ。取り出して一つしかないことに気が付き、なんだか寂しくなってしまった。
ジムニーは富山の知り合いの元へもらわれていった。平成元年車だから値段など付くわけもないのだが、残っている車検代ぐらいにはなった。それでも、ぼろぼろの車を喜んで引き取ってくれるのだから、良い乗り手が現れて良かったのである。
4年間住んだ家も、最後、内装の直しを相談して、カギを渡してしまった。ハードにヘッドを削った部屋は、整備工場のような景観と、においであったのだが、いろいろ片付けて、ビニールシートをめくったらちゃんと畳のにおいがして感動した。シートを敷いてあったから、部屋はそれほど汚れてはいない。ただ、外した腰下を置いた場所の畳にオイル染みができていたけれど、どんな行いでそうなったかは大家さんは知るよしもないだろう。
仲介人と大家さんの感想は「きれいに使っていましたね」とのこと。片付け前の写真を見せたら、2人とも卒倒するに違いない。
家は畳やふすま、障子、壁紙の張り替えなど、リフォームで莫大なお金がかかる。自己負担分もかなりのお金に上ってしまったけれど、エンジン積み替えができたのも、この家のおかげだったのだから、仕方がないこととしよう。
4年間使った仕事場も、今日で最後。仕事場のカギや、借りていたデジカメなどを置いて、おさらばである。
今日は、仕事場の人の家に泊めてもらい、明日、ドライブでもしてから愛知県尾張旭市の実家へ向かう。5日から、向こうで出勤。異次元な暑さの名古屋でスーツを着て、地下鉄通勤となってしまう。なんだか、急に生活が変わってしまうな。
気が張っているときは何とかからだが動いてしまうもので、深酒をしたのに、きちんと午前8時前に起きることができた。部屋の片づけをして、9時すぎ、B6エンジン1基分を積み込んだジムニーで名古屋へ向け出発する。
時速90kmでしか巡航できないジムニーだと、高速道路に乗るメリットが少ない。松本から名古屋に向かう場合、木曽谷を抜ける国道19号という信号があまりない国道があるのでなおさらである。
国道をとろとろと走り、名古屋へ向かう。気温は30度を超えているがさわやか信州の空気を窓から取り入れていればそれほど暑さは苦にならない。青い空と木曽川のコントラスト。森から出るマイナスイオンを浴びながらのドライブ。ジムニーとのお別れツーリングでもある。
そんな快適ドライブも中津川に出ると、状況が一変する。森から出たとたん、空気の質が変わり、凶暴な熱風が容赦なく吹き付けてくる。エアコンを付けても効くわけないのでただひたすら耐えるしかない。
それでも高速に乗ってごまかすことができた。多治見インターで下り、愛岐道路を通って、実家のある尾張旭へ。市街地に入ると、さらに強烈な灼熱地獄が待っていた。正直、4年間の松本暮らしでこちらの暑さを忘れていた。松本も気温は35度近くまでは上るのであまり変わらないや、となめていた。湿気を多めに含んだ空気は重く、まとわりつくように体温を上昇させ、体全体から汗が噴き出てくる。
アブラゼミの鳴き声の応酬。松本ではアブラゼミはほとんどいない。ついでに蚊もいない。夜中に窓を開け放して寝ていても刺されることはない。
銀行口座の準備とスーツ2着を購入して、地下鉄で名古屋中心部へ。錦三で飲みに突入し、カラオケへと正しく進む。11時すぎに外に出たら、あまりの蒸し暑さと人の多さにめまいがした。零時すぎに家に帰ってきたら、まだアブラゼミが鳴いていた。狂った世界である。
4日には愛する松本ともお別れである。
昼間はくそ暑い家の中で引っ越し準備し、夜は送別されるために飲み歩くという、過密スケジュールでふらふら。走る時間もなく、このままでは死んでしまう。
いろいろやらねばいけないことだらけなのだ。一番の課題は、エンジン加工部屋に転がっているさまざまながらくたの処理だった。クラッチやノーマルの吸気配管、フライホイール2枚に、ブレーキなどなど。たくさんの不要な部品をどう片付けるか。それに頭を悩ませたのである。
たくさんのがらくたを前に、手っ取り早く思い浮かんだのは「山間の林道に捨ててしまおう」。しかし、最近は不法投棄は厳しく取り締まり、逮捕者も出ているようだから、やはり手を出せない。いや、自分勝手な行いの始末を信州の環境を汚して付けてしまっては、一生の汚点となるに決まっている。
しょうがないから、ジムニーにがらくたを積んで、松本市内の産廃処理場に持ち込んだ。事前に電話で聞くと、鉄なら1立方メートルで13000円。コンクリートや木くずなど、さまざまながらくたが集まると18000円とのこと。
もしかしたら、万単位でお金がかかってしまうのか、とどきどきして産廃処理場に行くと、担当者はメジャーでジムニーの荷台に積んであるがらくたの寸法を測り「0.3立方メートル」としてくれた。Vスペシャルの内装も含まれていたから、けっこう複雑なゴミ捨てであるのに、鉄扱いにしてくれたので、結局4095円ですんだ。ゴミを捨てるだけでこの値段は高いに違いないけれど、変態的な趣味の総決算であるのだから仕方がないだろう。
親を動員して家の中まで片付けた。新聞紙3年半分の処理に困ったけれど、ジムニーで古紙処理業者に運ぶしかないのかな。
明日は名古屋に行かねばならぬ。ジムニーにシリンダーヘッドと腰下を積んで行くことになる。実は今も大量に飲んで帰ってきたばかり。いつになったら、ゆっくり休めることやら
金曜日、さっさと松本に帰ろうと思っていたのに、いつの間にか麻雀に突入していた。さくっと負けて、勝ち逃げはかなわず。午後11時前に長野の仕事場に戻ったら、戦場のような忙しさであった。蚊帳の外の僕は傍観しているしかない。
さすがに、そのままさようならして帰る雰囲気ではないので、お手伝いのまねごとをしていたら、そのまま飲み会へ突入。午前4時ごろ、長野の仕事場のソファーで意識を失う。
土曜日も仕事であったので、ジムニーをぶっ飛ばして松本に戻る。ぶっ飛ばしても時速90キロ。
すでに仕事はほとんどする必要はないので、ジムニーの整備でお世話になった車屋さんにあいさつに行く。そして、いつものディーラーへ注文してあった12Kと10Kのバネとバンプラバーを受け取りに行くと、新型デミオが置いてあった。
なかなか格好が良い。いつものようにベタベタ触って出来具合を調べる。
外観は、ヨーロピアンな感じになった。がちゃり、とドアを開けると、サイドシルの厚さと高さが目に留まった。かなり剛性が出ていそうである。内装はちょっとプラスチックが安っぽかったけれど、これは最近の車の傾向か。やすい車なのだから仕方がない。カーステレオは一体式で社外品と交換不可なタイプ。アテンザの内装に似ている。フロントの5角形グリルのおかげで、全体的なイメージは「小アテンザ」。
エンジンルームを見る。まず目につくのは、前方吸気となって手前側に配置された樹脂製のインテークマニホールド。スロットルが少し下側にあって、各気筒へのポートは一度下に下がってから180度反転して上にあがってヘッドにドッキングする形となっており、長さを取ってトルクを稼いでいる様子。ひょろ長くたこ足のようになっているのが最近の車の特徴か。ロードスターのB6の太く短く素直な形をしているいかにもスポーティーなインマニの方が好きかも。樹脂製ならば、正面衝突をしたときにつぶれるから安全である。
そして驚愕のパーツを発見してしまった。ストラットタワーバーだ! タワーバーが標準装備されるほどマニアックな車だったのか。ハンドリングにかけるマツダの心意気を感じる。が、下回りをのぞくと、リアはリジットサスであった。当たり前か。
ストラットタワーバー
競合車種はフィットあたりになるのかな。新型デミオ、いい出来です。
せっかく長野に来ているのだから、夜は遊ばねばなるまい、と意気込んでいたのだが、長野の仕事場のボスから不吉な電話が入った。出たとたん、「仕事はいつ終わる?」という質問だから、だいたいピンとくる。いや、今やっている仕事を片付けて、その後にまだちょっとあるから8時半ぐらいですかね、と思いっきり嘘を付いたのだが、ボス曰く「メシを食いに行こう。待っているから電話ください」。長野の最後の夜が、堅苦しいものになってしまったのである。
メシを食うというのはすなわち、飲むということであるから、当然居酒屋に向かう。ほどほどにして仕事場に戻り、他の人と飲みに行こうかな、とたくらんでいたのだが、このボス、ペースはそれほど速くはないのだが、けっこう飲む飲む。付き合わないわけにはいかず、結局生ビール5杯飲んじゃった。
これだけ飲むとさすがに体がぐったりくるから、わざわざ仕事場まで歩いて戻って、飲み直そう、という気力もわかず。そのままホテルに向かい、ベッドにぶっ倒れて意識不明に陥った。
しばらく長野に遊びに来ることもなさそうなのに、せっかくの遊ぶチャンスがおつきあいで終わってしまった。不覚。
松本で送別会があったので、出張先の長野から急いで向かったのが月曜日。4年間松本にいて「一度は行ってみたい」と思っていたすき焼きの「三河屋」で開いてもらった。念願が叶って大満足である。馬刺があれほどうまいものだとは。調子に乗って馬刺や馬すき、ビールをじゃんじゃん追加していたら、予算を4万円もオーバーしたという。どうやって穴埋めするんだろう。
どうせタクシーで帰るのだから、やはりいつものショットバーに寄らねばならんだろう、と千鳥足で独り、中町と伊勢町を通ってふらふらと歩いて向かう。カウンターで「しゃっきり系」のカクテル2杯。最近、面倒くさいから銘柄の指定はしない。こんな系統の酒が飲みたい、と伝えれば、ジャストミートなお酒が出されるこんな良い飲み屋を残し、僕は松本を去らねばならない。
翌日、再び長野へ向かう。相棒でいる時間が少なくなったジムニーを駆る。たまにはのんびり走るのもよいものだ。窓から入ってくる風のすさまじい音と、F5Aの加給が効いたけたたましい音、AMラジオをボリューム最大近くまでがんがんならしてのツーリング。こんなのを車の味と言うんだろう。最近は味のない車が何と多いことか。
仕事を終えて夜、麻雀に誘われた。ときどきインターネット麻雀で遊ぶことはあるけれど、実際打つのは実に久しぶり。蒸し暑い、むさ苦しい、警官がそばにうようよいる場違いな場所で、首振りがなぜかすぐ止まってしまう困った扇風機の風に当たりながら打ち、さくっと勝った。メンツの一人と権堂に繰り出し、ジョッキビールをたらふく飲む。午前3時すぎ、ホテルのベッドに倒れ込む。
そして、今日はなぜか東京に用事があったのである。出張先から出張するという、出張のはしごをしてしまった。なんだかとっても働いている人みたいなのだが、まあ、遊びのようなもんさ。朝8時半に起きたらさすがにほんの少し残ったけれど、きちんと起きられた。長野県に4年間住んでいて、最後の最後で新幹線「あさま」に乗ることができた。
なんと1時間20分で東京駅に着いてしまうのである。午前10時10分の列車に乗り、午前11時30分に着くこの衝撃。これなら、ちょいと遊びに行く気になるぐらい。松本だと、8時ちょうどのあずさに乗って旅だっても11時前にようやく到着である。このギャップ。
東京駅で友人を呼び出して昼飯をくらい、霞ヶ関へ向かう。くそ暑いかと思っていたが、どうやら今日はさわやかな日であったらしい。長野の蒸し暑さとそれほど差はなかった。それでも、官庁街で迷子になっていたら、すぐに汗だくになった。普段山を見て方向を把握している者は、ビル街ではあっという間に迷子になってしまう。
夜、同じ会社の人とラーメンを喰らい、再びあさまで長野へ。あと2日、長野で働かなければならない。早く松本に戻りたい。
引っ越しのために家の中に散らばっているクラッチやフライホイール、ピストンなどのパーツ類を処分して、いろいろ片づけなければならないのに、金曜日まで長野市への出張を命じられた。8月5日には新しい職場に出勤しなければならないのに、いつ片づければよいんだろう。滅茶苦茶だ。
ピストンやオイルパン、フライホイールなど、何となく取っておきたい気もしたのだが、どう考えても今後使いようがないので、処分場に盛って行かねばならない。フライホイールなんかは、フリスビーにしたら危ないだろうけれど、漬け物石代わりにはぴったりな気がする。けれども、どうせさびて朽ち果てていくだけだろうから、潔く捨ててしまおう。
田中康夫が去った県庁は平和そのもの。県職員は9月までの平和なひとときを、穏やかな気持ちと表情で過ごすんだろう。田中康夫と彼と仲の良いタレントが焼き肉を喰らって信州の農産物をPRするポスターがある。これは、県政私物化の象徴のようにも感じたものだったが、主なき今、きちんとはがされていた。
ほかの県知事候補の話も出てくるようになった。なかなかおもしろくなりそうなのに、名古屋に引っ越すのは敵前逃亡のようで、少し気が引ける。
愛車を手放すことになった。
手に入れたのは1998年の8月末だった。松本に来たばかりで、まだ暑いさなか、ろくにエアコンも効かない車を買ってしまったのは、運命のいたずら、としか言いようがない。初の走行は須坂市行きだったのを覚えている。長野道を走り、須坂の市街や小布施の栗畑の中を道に迷いながらもぐるぐる走り回った。
シンクロが弱く、ただ操作してやるだけでは入りが渋いミッションも、回転とアクセルの加減さえ合わしてやれば、何の引っかかりもなく入れることができた。パワーアシストのないステアリングは路面のうねりをそのまま手に伝え、まるで自分が地面を這っているような錯覚さえ覚えさせる。非力なエンジンも7000回転まできっちり回してやれば、気持ちよく走らせることができた。
そして丸4年。信州のワインディングロードを駆けめぐり、いざというときには本当に頼りになったこの愛車も、今回引っ越すのに伴い、手放さなければならぬ。さすがに実家に住むのにこの車を持って行くわけにはいけない。手足のように働いてくれた車だから、その別れは恐ろしいぐらいの寂しさを感じる。
いくらファンの多い特殊な車とはいえ、10年選手となると、車屋に売ることはできないかもしれない。お金にならないのを嘆いているわけではない。このまま解体屋、というのはあまりにも不憫なだけである。ちょっと癖のあるやつだけれど、喜んで乗ってくれる人がいるなら、こちらも安心して譲り渡すことができるのだが。
最後はぴかぴかにして車屋に持っていこう。
4年間ありがとう、マイ・スイート・ジムニー。
ジムニー