8月19日

 最新型だとずっと思っていたMy携帯が、最近調子が悪くなったので大須で買い換えた。酔っぱらって友達と小競り合いして、ストライカーである彼からももにボレーシュートを喰らったら、僕の大腿骨の身代わりになって割れ(素足だったからすごいキック力だ)、穴が開いてしまっており、水が入ったら一発で壊れてしまいそうだったことと、こちらからの声は向こうに伝わっているのだが、相手の声が聞こえなく、斜め45度の角度から渾身の空手チョップを喰らわせてようやく使えるようになる状態だった。よく見れば、塗装もあちこちはがれてみすぼらしい。それほど使わないから問題ないや、と思っていたら、どうも経費節減で会社から支給されている携帯が廃止されるらしい。仕事の電話をMy携帯で受けなければならなくなるので、相手の声が聞こえなくて用件を聞き直さなければならないような故障を抱えているとまずかったのだ。

 型番はN207だ。液晶で漢字が表示できるという強者だ。カタカナだと一発で読めないから便利になったよね、と思って3年近くその最新型を使っていた。

 ところが、携帯売り場でモックアップを見てがく然とした。なんと、カラー表示対応なのである。しかも、桁数が異常に多いし、65536色TFT液晶だ。おまけにインターネットも閲覧可能で、インターネットを経由したメール送信にまで対応しているという。恐ろしい時代になったもんだ。

 冗談はここまでにして、今までiモードの必要性をまったく感じていなかったのだが、あまりにも携帯メールの普及めざましく、出先でいろいろな情報にアクセスできると便利なこともあり、ついに入ってしまった。携帯の種類は良く知らなかったのだが、折りたたみが欲しかったので、並んでいる機種の中で一番小さなものを買った。胸のポケットにすっきり入るのがよろしい。たぶん、みなさんが買う定番商品なんだろう。

 さて、さっそく携帯で我がサイトを見てみた。まったくまともに表示されない。レイアウト最優先でテーブルを多用しているので当たり前か。それぞれのページの分量が半端じゃなく多いから、我がサイトは携帯で見るのには適していない。しかし、掲示板は携帯にしっかり対応していた。これで、出張中にでもしっかりレスができることが判明した。これだけでも買ったかいがあるってなもんだ。

 個人的にやりとりするメールはとても携帯でちまちま送るような行数じゃないから、メインはパソコンのメールになるけれど、簡単な打ち合わせなんかには携帯の方が便利。月、いくらぐらいかかるんだろう。

 たとえば、「日常」だけ、携帯対応版も作ったら、その労力に見合うぐらいの需要はあるんだろうか。

8月18日

 土曜日、富山のサーキットに行ってきた。富山の車屋さんが新足回りをテストする、という情報があったので、行き当たりばったり行ってみたのだ。何しろ、慣れない環境に突入してしまい、自覚はなくても疲労がたまっているかもしれず、寝過ごしてしまう可能性が高かったので、富山の関係者に事前予告はしなかった。ごめんなさい>関係者。

 午前5時に何とか目が覚めて、やはり走れるぞ、と思うと多少体がだるくてもきびきびと動いてしまった。東名阪大森インターから清洲東まで行き、国道22号で名神一宮インターへ。東海北陸自動車道に乗り、北上する。地図も積んでいないし、岐阜の地理もあまり詳しくなかったので、荘川インターで下りてしまった。終点の清見インターで下りれば、かなり近かったのだが。

 国道をぶっ飛ばし、清見インターをすぎて、古川へ向かう峠道を走る。長野県では考えられないような良い道。2、3キロあるトンネルもざらにある。ツーリングには少し不満だけれど、目的地に早く行くためには良い道である。国道41号に合流し、国道360号経由で再び41号へ。大沢野から八尾へ向かい、サーキットに到着。6時前に出て、8時半すぎに着いたから、2時間半ちょっと。高速を使うから、松本から行くのと大きくは違わない。下道だととっても遠いけれど。

 やはり夏はサーキットを走るもんじゃない。体は何とか耐えることができても、車が音を上げてしまう。1周目を軽く流して2周目から本気で、3周目あたりには水温が100度近くなり、4周で100度を超える。5周目では水温が105度前後。タイヤも怪しくなってきて、ピットに入ることになる。5周走って30分休憩の繰り返し。今の仕様では水温が上がりやすくなっているせいもあるけれど、ぜんぜん走ることができない。タイムもさっぱりである。ま、タイムが出ないのは腕によるところが多いのだろうけれど。

 最後にテスト車両を運転させてもらった。13k11kのバネにSタイヤ! Sタイヤのドライブは初めてだったので、期待満々である。

 一言で言い表せば、「別世界」。考えられないスピード、横Gでコーナーを曲がってゆく。コーナーによっては、ブレーキがいらないんじゃないかと思うぐらい、ハンドル操作だけでぎゅっと向きが変わる。クリップまでまだまだ距離があるのに、アクセルが全開にできてしまう。根本的に走り方を変えないと対応できない。エンジンが「当たり」のNBであったこともあり、「速えええぇぇぇ」と叫びながら走っていたら、やはりタイムも自己ベストより1秒以上も速かった。

 自分でいろいろ試行錯誤してようやく出したタイムも、速い車に乗ったらあっという間に塗り替えちゃった。セッティングがきちんととれた足回りにSを履けば、恐ろしい世界が待っている。ま、結局はタイムはお金がモノを言う世界なのかも知れない。速いぞ欲しいぞNB+Sタイヤ。

 無論、へたくそな僕はまだまだ相棒のNA6CE+ラジアルで走り込むのである。

8月16日

 仕事をさぼって夕方、名古屋の大須に向かった。中部地方では一番大きな電気街である。

 まともに歩いたのは何年かぶりなのだが、大変な変貌ぶりに驚いた。パソコンショップは戦国時代で、中小のショップが乱立している。怪しげなパーツ屋やら、同人誌系のショップやら、中古ソフト屋やら、雰囲気は小秋葉原である。あそこまで異常じゃないけれど。

 マイコンテックやコムロード、、中京パソコン、パソコン系にめっぽう強い本屋「三洋堂シグマ」など、老舗はきちんと残っていた。考えてみると、10年以上前から営業しているのだから、この激動の時代の中、良くやっている。九十九電機は秋葉原が本店か。DOS/VパラダイスやらTWOTOPやら、秋葉原発祥のショップが数多くなった。

 名古屋の地元で発展したショップと言ったらやはりグッドウイルである。昔は大須の界隈だけで小さな店舗ばかり10店舗ぐらいあったのだが、今は統廃合が進んでいるらしい。5年ばかり前に大きな5階建てぐらいの情報百貨店というビルを造ったのだが、ほんの少し奥まって場所が悪いからか、ゲームソフト館に変わっていた。その代わり、現在のメインストリートと言える場所に、どぎつい看板をビル全体に張り付けたような、趣味の悪い建物ができていた。半地下にカフェのようなスペースが設けてあって、奥にステージが設けてある。2階は普通にパソコンやらデジカメやらを売っている。3Dシネマなんかもあって、ちょっとしたアミューズメントパーク。パソコンショップも人集めのためにいろいろ考えるもんだ。

 また、紛らわしい名前なのだが「アメヨコビル」という小さな家電屋さんを集積したビルがある。第1と第2があり、4年ぐらい前まではご時世に乗ってパソコンショップが増えていった。第1アメヨコはあまり変わっていないようだったが、第2アメヨコでパソコン店が減っていた。代わりにプラモやらモデルガンやらを売るホビーショップが入っていたり、イベントスペースになっていたりと様変わりしていた。ま、ぐるりと一回りしたけれど、大須の商店街一帯が、寺やお稲荷さん関係のアダルトな街から、若向けの街へと加速度的に変わりつつあるので、パソコンばかり売っているよりはこの方が儲かるかもしれない。まあ、このビルの1階にあるICや配線を所狭しと並べた電子パーツ屋はまだまだ健在だったから、昔ながらのちょっと怪しげな雰囲気は残っているのだが。

 名古屋では名高い質屋の「コメ兵(こめひょう)」もパワーアップして、広大な売り場面積を誇っていた。中古品のカメラを物色するも、まったくお得じゃない。新品で買った方が補償が付いているので得なくらいである。

 何よりも、パソコンの中古パーツを扱う店が大幅に増えているのに驚いた。さらに、その値段の高さに驚いた。はっきり言って、価値の変動の激しいパソコン業界で、中古屋をやるほどハイリスクなことはない、と思っていたから、ちゃんとやっていけるのか不思議に思った。デスクトップのパソコンを作るとして、すべて新品でパーツをそろえたって、1、2万円しか変わらないぐらいの差しか付いていない。デジカメに至ってはCCDの性能とコンパクトさとスピードが日進月歩で上がっているのだから、3万円以上の値段が付いていたら買う気など起こらないのに、そんなものばかりがごろごろしている。人気の高いIXYDIGTALに至っては最新型の新品とそれほど変わらない値段なのである。多くの店がそのうち大損をするとみた。生鮮食品を扱うように右から左にものを動かさなければ、儲かるわけがないのである。在庫としておいた途端、価値の減少が始まる。

 大須の商店街は、お寺とパソコンショップと高齢者とオタクがごった返していたヘンテコな街から、若向けの街として生まれ変われつつあった。おもしろい街になっていきそうである。

8月15日

 まだ異動したてなのに、無理矢理仕事を早めに切り上げて、奥三河に向かった。お盆で親戚が集まっているので、晩飯だけ食べに行ったのだ。もちろん、明日は仕事である。

 片道70キロちょっとのワインディングロード。天気が悪く、雨と雷の中を猛スピードで走っていく。さすがに雨の時よりはペースが落ちるし、無理がきかないので少々緊張する。丁寧に車の向きを変え、いかに早くアクセルを全開にできるかを考えながら走る。

 午後6時に尾張旭に帰宅。出発時に給油して、計1時間45分かかって午後8時前に到着した。なるべく裏道を使ったのだが、時期が時期だけに、道が込んでいる。

 みなさんと夕飯を喰らった後、向かうのはやはり盆踊り。翌日の体力を削ろうが、ボンダンスである。歌を叫びながら踊り狂う。帰ってきたら日付が変わっていた。

 松本にもボンダンスがある。「松本ぼんぼん」という20年ちょっと前に強引に作った踊りだ。

 これが大嫌いで、4年間松本にいて、たぶん5回チャンスがあったのだが一回も見に行かなかった。これは僕の誇りである。

 新しく踊りを作って名物にすることは異論がない。しかし、歌がアニメソングなのだ。情緒、というものがない。CMソング、とまでおとしめてもよいかもしれない。ヤマダ電機の宣伝ソングのような、しょうもない歌なのである。やはり、ボンダンスには情緒は必要だ。

 さらに、松本には「ぼんぼん」という風習がある。女の子の風習で、8月の最初の週ぐらいに、小学生ぐらいの女の子がきれいな浴衣を着てちょうちんを下げて、哀愁ただよう「盆歌」を歌いながら街を練り歩くのだ。江戸時代以前に始まり、昔は全国にあったという風習も、松本以外に数カ所しか残っていない、貴重な伝統なのである。それを冒涜するような「松本ぼんぼん」は、気に入らなかった。

 こんなくだらないことを書いているうちに、明日は午前10時までに仕事場に行かねばならないことを思い出した。すると、午前6時前には起きなければならないのか。

 睡眠時間が5時間ちょっとしかないことに今ごろ気づいて、狼狽した次第である。

8月14日

 世間はお盆の休みらしいのだが、そんなことはまったく関係なく仕事である。しかし、世間は休みであるので、仕事は若干しにくい。

 今日は、不老町という名前のごとく、若者ばかりが集まるはずの場所へ出かけた。この時期はゴーストタウンのようになってしまうのだが。そこへ行って、こんなお盆の時期にもかかわらず、どこにも行かずに暇をしている人と会い、さまざまな話を聞いた。喫茶店に入り、実に3時間半もあれこれ話していた。仕事をやる上で、hとっても参考になるというか、方向性を指し示してくれる人である。

 両親は実家に戻っているので、家に帰ってもご飯が置いていない。だから、というわけでもないのだが、仕事場の人とメシを喰らいに行った。アルコールが入るのは言うまでもない。

 そうこううっかりしているうちに、ダイエットすらすることなく、横幅がどんどん広がっていってしまうのかも知れない。

8月13日

 なぜか週に1、2度、名古屋市の中央卸売市場に行くことになってしまった。

 今日は2回目なのである。朝7時前に到着すると、活気のあること! お盆休み前ということもあって、ものすごいにぎわいであった。野菜を満載した軽自動車がびゅんびゅん行き交い、標識を付けた帽子をかぶったおっちゃんやにいちゃんたちが、早足であちこち歩き回る。うっかりしていると、軽自動車かフォークリフトにひき殺されそうな勢いである。

 今は高原野菜のシーズンだ。積み上げられた段ボール箱を見ると信州産の野菜の何と多いこと! 4日に野辺山あたりを走ったとき、一面のレタス畑の中を、かごにレタスを満載したFORDの巨大なトラクターが走り、集荷場でそのままトラックに積み込んでいた。あそこで採れたレタスたちが、遠く離れた名古屋の市場の冷蔵庫の中に眠っているのだ。秋が近づくと、塩尻の洗馬のレタスが出回るんだろう。その他にも伊那谷のアスパラガスやシメジなども大量に並んでいた。

 仕事を終わらせて、10時まで市場で時間をつぶす必要があったので、食堂に入ってネギトロ丼を喰らった。750円だが、大量のネギトロが入っており、朝飯と言うよりは晩飯、という雰囲気である。市場だけにお得でうまい。

 お昼も市場で市場関係者と食べた。控えめに食べようと、うな丼を選んだら、市場関係者が「これも食べろ(名古屋弁でこれも食べやあ)」と長さ25センチはあろうかという巨大エビフライ(名古屋弁でえびふりゃあ)が2匹入った、豪快なお皿を僕のお盆の上に置いた。心の中で「ちょいとあなた、朝もたくさん食べたのにこんなに食べられないよ!」(名古屋弁でおみゃーさん、こんなにぎょーさん食えすか!)と思うも、そんな失礼なことは言えないのでにこにこして食べた。昼飯、と言うよりは晩飯、という雰囲気である。

 市場関係者曰く「エビなんてダイオキシンがたくさん入っているんだよ」と親切に教えてくれる。東南アジアのどこか産だと思う。泥の中にすんでいるだけに、一番影響を受けやすいのだとか。「うなぎはどうなの? これたぶん中国産ですよね」と聞くと「ダイオキシンは大丈夫だと思うけれど、水銀だね!」と教えてくれた。「エビフライやウナギを食べてコロッと死んだ人はいない!」と自分に言い聞かせてぱくつくものの、やはり市場だけにうまいのでご機嫌に平らげてしまった。

 だから午後ははち切れんばかりのお腹を抱えて仕事。「今日は晩飯を抜くぞ」と心に誓う。

 夜になり、兄から「メシ食べたか」と電話が入る。せっかくの機会だから一緒に食べに行くことに。行った先は、何の因果か鮮魚を食べさせる店である。再び魚関係。見るのも嫌だと思ったのだが、これがいけすからたもですくい上げて、すぐさばいたとっても上等な刺身ばかり。文字通り角が立っている刺身なので、喜んで喰らってしまった。

 だから、今日は朝から魚関係の晩飯を3回食べてしまったのである。体重のことは考えるまい。

8月12日

 引っ越しの作業が終わらない。

 松本の家で荷物をまとめてみて驚いた。独りで住んでいるのに、その荷物の何と多いことか。本やパソコン類や衣類や車パーツ。そのほか雑多なものが詰まった段ボールが予想外の量積み上がって、ショックを受けた。

 車パーツは、まず洗車道具、ケミカル類で1箱。4連スロットルも1箱。フリーダムや空燃比計、その他少々高級なもので1箱。ピストンやコンロッドなどエンジンの内部パーツで1箱。雑多なものを詰め込んで2箱ぐらいになった。これだけで6箱になっちゃうから、馬鹿にならない。

 こんな荷物が3部屋に分散されて置かれてあったから、それほど多いとは思わなかったが、実家の1部屋にまとめられるとかなりの迫力である。ずぼらして、どの箱に何が入っているのかをろくに書いておかなかったから、必要なものを引っ張り出そうにも、積み上がった箱を前に、途方に暮れるしかない。

 当然、荷物の山を何とかしろという圧力が家族からかかる。とりあえず、自分用にあてがわれている6畳の部屋の整理から取りかかることにした。

 ところが、これが松本の家とまったく同じ状況なのである。狂ったような量のパソコン雑誌が積み上げられ、物置の中はソフトウエアの空き箱やら雑誌の付録についてきたCD-ROMやらで埋まっている。当然、4年以上も前のソフトだから、今となってはがらくた同然である。がしがし捨てていくことにした。

 引っ張り出しては捨て、引っ張り出しては捨てを繰り返しているのだがいっこうに終わらない。4年前に松本に引っ越したときに掃除もせずに放置していったから、それまで過ごしてきた10年ぐらいの歴史が詰まっている。歴史、と言えば格好がつくが、多くが今となってはゴミだ。こんなに大量のものを自分の部屋に詰め込んでいたんだなあ、と感心してしまった。

 結局、片付けるつもりが部屋をどろどろに汚すだけの結果になってしまった。部屋の至る所にゴミの山が散在し、寝る場所もない。昨日は、仕方がないから、ゴミの山をほかの場所に移すという、不毛な作業をして、ようやく寝床をつくった。

 もちろん、段ボールの山はちっとも低くならない。高価なフルコンや空燃比計も、その中に埋もれている。いつになったら、我が愛車に取り付けることができるんだろう。

8月11日

 昨日、昔からの腐れ縁のある2人が、地元でやる花火を見に行かないか、と誘ってきた。そういえば、毎年10日は松本でも花火大会である。そうであったな、と松本を懐かしく思いながら、歩いて見に行った。

 尾張旭の矢田川河川敷で開かれる花火大会は、僕が物心ついたことからあるから、もうかなりの歴史を持っていることになる。人口がそれほどなく、大企業が何社もあるわけでもないのに、なぜ花火大会が始まったのかは定かではないけれど、町から市に昇格したときに、名古屋のベッドタウンながら、市としての連帯感を生みだそうとでも考えたのだろう。盆踊りにも「尾張旭音頭」というのがある。どこの新興都市にも同じようなものが存在するに違いない。

 花火打ち上げ場所から1キロばかり西側は、標高100mぐらいの小高い丘になっていて、昔は鬱蒼とした森だったらしいが、今は住宅が覆い尽くしている。その丘の東端から、この花火を見物するとすこぶる具合がよろしい。花火がちょうど真横に見える格好となるからだ。見上げる必要がないので姿勢が楽、という邪道な理由である。さらに、瀬戸街道沿いの街並みの夜景が広がり、なかなかよい景観である。美ヶ原標高2000mから望む、北アルプス夕景と松本平の街の明かりとは比べるべくもないが。

 花火大会が終わり、友人の1人があるところに提出する文章についてアドバイスしてほしい、というのでファミレスへ。午後11時すぎまでかかってあれこれと文章を練っていた。

 我慢できなかったので、ロードスターのハードトップを取っ払って、友人を乗せて爆走ドライブへ。三河方面へ向け、100キロちょっと、思う存分走った。帰り道、猿投グリーンロードという有料道路を通ったら、トヨタのWillVSの軍団が駐車場に止まっていた。Will軍団なんて初めて。なんだか鉄兜の群れが走っている感じである。さすがに最近の車、エンジンは強力に違いないから、この道ではかなわない。ベタ踏みで走ったら時速180キロは出そうである。こんなところで走っていて、おもしろいのかしら。

 さすがに8月も10日をすぎると、夜は秋めいてくる。スズムシの鳴き声が聞こえ始めた。

8月8日

 半月に及んだ阿鼻叫喚な酒池肉林(この場合の肉は食品)の生活にもそろそろ終止符が打てそう。ロードスターの運転すらあまりしていない。もともとない腕がさらになまってしまう。

 飲んだビールはどれくらいに上るんだろう。リットル単位じゃない、10リットル単位で飲んだ。50リットルまではいかないと思うが、同じようなものだ。

 家の前に放置したままのロードスターに出発を見送ってもらい、歩いてバス停に向かい、地下鉄で名古屋市中心部に通う毎日。仕事中にもかかわらず、昼間からハードに車をいじっていた松本の生活とは天と地の差である。

 別にいじれなくてもいいから、運転がしたい。

8月7日

 連日、我が体温よりも気温の方が高いらしい。信じられないくらいの気温の上、これに湿度まで加わっているからたまったもんじゃない。今日も、うろうろと栄周辺を歩いていたら、汗が吹き出してきた。走ったらぽたぽたとしたたるぐらい汗をかいた。パンツもぐっちょりである。

 配属されたと思ったら、他の部署にレンタルされた。なぜか夏目漱石の「坊っちやん」をそれこそ、穴の開くぐらいの勢いで読む毎日。本も我が境遇も訳が分からない。