8月29日

 「明日の夜、暇かな…」

と昨日の夕方、仕事場で声をかけられた。振り向くと、相手はおじさまである。というか、あなたは僕の所属する部署とは違うけれど、仕事場の部長さんじゃないですか。

 「いや、暇じゃなければ良いのだけれど…」

とのことだが、部長とは社内では人事権を持っているような役職である。そんな人間が、「暇じゃなければ良い」と言ったところで、それは「暇じゃないと言ってみろ。分かっているんだろうな!」という恫喝のニュアンスが含まれているので普通の神経ならば反抗できるわけないのである。しかし、僕はロードスターに湯水のごとくガソリン代とパーツ代をつぎ込むような普通の神経でない人間なのだから、もしその言葉に反感を覚えたら「冗談じゃない」と反発するに決まっていたのである。

 しかし、その用事というのが突拍子もなかった。「まったくの私用だから申し訳ないんだけれど」とう前置きの後に、「バンドの練習をするからお前が歌え」というのである。この部長、ビートルズバンドでギターを弾いているのだ。誘う表情は、社内の部長の顔でなく、一人物、無邪気に笑う青年のようなものだった。これはすでに年の差や社内での身分の差を超越しているお誘いである。二つ返事で了解した。

 いつも使っているパソコンの壁紙がビートルズのアルバムを12枚並べた図柄であるので、このビートルズバンド一員の部長の目に留まるのは時間の問題であった。確か、名古屋に赴任して早々に「ビートルズファンなの」と声をかけられた記憶がある。ま、一応複線はあったのだ。それが、いくら練習用の「当て馬」とは言え、お誘いを受けることになろうとは、人生は分からないものである。

 ビートルズの曲は知っているけれど、カラオケ以外で歌ったことはない。ま、ロードスターでドライブに行くと、ビートルズで大声で歌いながら運転していることが多いから、たぶん歌えないことはないのだけれど、生バンドでの演奏と、カラオケの歌とは大きな違いがある。

 それでも、せっかく誘ってくれたのだから義務を果たすしかあるまい。ビートルズの有名な歌ばかり10数曲、がなって帰ってきた。うまい下手はこの際置いておくとして、ストレスの解消になったことは確かである。

 20曲ぐらい歌ったので、明日、声が出るか心配である。

8月28日

 最近、バスやタクシーに乗ることが多い。松本では考えられなかった事態である。

 他人の運転する車に乗る、という状況ならば、必然的にその運転がうまいか下手かを判断することになる。別に意識してずっと運転を注意しているわけではないけれど、クラッチを踏んだ瞬間、ギアをつないだ瞬間、ブレーキを踏んだ瞬間、発進の瞬間、と否応なしに「ああ、なかなかうまいな」「へたくそだな」と考えてしまう。もう条件反射の域に達しているから病気なのかも知れない。

 ギアチェンジやブレーキの踏み方が荒い人の何と多いことか! 僕は一人で運転しているときこそ、急ブレーキも踏むし、少々の急ハンドル、急加速はするけれど、助手席に人が乗ったら、ほんとうに生卵を載せているようなイメージで、そおっと運転する。加減速、右左折で、助手席の人の首が少しでも「カクン」とするのが気に入らないのだ。これは、そおっと乗せざるを得ない状況がこれまでもあったから、自然に身に付いた「習性」である。

 バスなんてとてもひどい。お年寄りが立っていようが、急ブレーキは踏むは、止まる瞬間にブレーキの踏む力を緩めずにものすごく揺れるは、立っている人がみんなつんのめってしまうような加速をするわで、本当に客商売なのかと疑うほど。タクシーは座っているからまだましなのだが、クラッチが減りそうなつなぎ方をしている人がかなり多い。時折、うまいな、と思うドライバーもいるのだが、人を乗せるプロなのだから、それが当たり前なのだ。

 ペダルを踏む、ハンドルを切る。車の操作はいかなる状況でも慎重にしなければならない。たとえ、それがサーキットでの限界走行であっても。

8月27日

 突然、夕方から浜松に行くことになってしまったので、新幹線に乗って行ってきた。東海道新幹線はそれこそ東京と名古屋間でびゅんびゅん走っているのだけれど、途中で止まる列車の本数が少ない。浜松に止まるひかりに乗ろうと思ったら、1分ほど遅刻してしまった。本当に秒単位で時刻表通りの新幹線はやっぱりすごい。容赦なく置いて行かれたので、30分ほど後のこだまに乗った。各駅停車である。

 2件の用事があり、最初は駅前の千歳町というところであった。駅前だから繁華街であろうとは想像していたのだが、想像以上のにぎわった街であった。午後7時前だというのに、キャバレーなんかの客引きが大勢いて、面食らったけれど、僕の顔を見てしつこく誘ってくる人は皆無であった。いかにもお金持っていなさそうだから。

 2件目は早出町という駅から車で10分ぐらいのところ。地図を見て驚いたのだが、浜松って町名がえらく多い。住所を地図上で探してもなかなか見つからないぐらい。町名がたくさん残っているのは、歴史や文化が残っているということだから良いと思う。松本も狭い範囲にたくさんの旧町名が残っていたのだが、郵便局が合理化を進めたせいだろうか、中央だの大手だのに集約されてしまった。商店街の呼び名としては残っているだろうけれど、そのうち廃れて忘れ去れてしまう地名が多いと思うと寂しい気がする。

 午後9時17分のひかりに乗ったら10時半すぎに家に到着した。浜松って意外と近い。

8月26日

 衝動的に東京へ行って来た。とはいっても、仕事だったのだけれど。名古屋からならのぞみに乗れば1時間40分ぐらいである。東京も、近いもんだ。

 新宿区の目白という場所に行って来たのだけれど、電車は満員だわ、歩道もわんさか人が歩いているわで、やはり東京に対する恐怖の念を強くして帰ってきただけであった。あんな細い道をよく車がたくさん行き交いしているもんだ。

 夕方は神谷町に出て友達と飲んだ。酔っぱらってふらふらになりつつ、午後10時の最終のぞみに乗ったと思ったらもう名古屋駅であった。寝てしまえば旅の疲れもなくてよろしい。

 掲示板の書き込みを初めてiモードでやった。時間もかかるし、お金もかかる。出張しているとき以外、いいところはないね。

8月25日

 電気工作は苦手である。

 目に見えないような実感を伴わないものについては、あまり手を出したいと思わない。電気の配線なんかは最たるもので、これまでなるべく手を出さないようにしてきた。カーオーディオも追加メーターもプロにお願いしたぐらいである。オイルクーラーもそうだが、なかったものを新たに新設するのは苦手なのだ。一度付けてもらえば、大体理解できて組み直すことはできるのだが。 

 そんな人間が初めてやったのがフルコンの配線だ! エーモンの電工ペンチと端子がセットになったものを買ってきて、 バキュームセンサーと吸気温を計る水温センサーをエアフロのコネクターを利用して配線する。きちんと、机の上でイメージトレーニングしてから配線した。そして今日、炎天下で汗を垂らしながら配線をしたのである。

 水温センサーは極性がないから簡単につないでしまったのだが、バキュームセンサーが電源とアース、出力の3つがあってなかなか難しい。説明書には簡単にしか書いていなかったから、要するにつないでみるしかないのだな、と考え、壊れるのを覚悟で適当に配線したらやはり違っていた。

 まあ、かなり悪いコンディションでも使われることが想定されているようなセンサーだから、たかが5ボルトの電力が変な場所に流れようが壊れることはない、と実にいい加減な推測の元に作業をしたら、まったくその通りで、2、3通り試してようやくきちんと配線したら、問題なく動作していた。

 空燃比計との接続もやった。きちんとパソコン画面上に空燃比が表示されるようになった。

 やはり、アイドリングからして絶不調。まともに走るようになるんだろうか。

8月24日

 信州ドライブで体がぼろぼろであった。そんなときに限って、飲み会があのもので、あまり気が進まないものの、行かないとかなりひんしゅくを買いそうなので仕方なしにふらふらと居酒屋へ行った。

 しこたま飲んで3軒回り、帰ってきたのは午前3時ぐらいか。今日はたまり始めた仕事をやろうかと思っていたのだが、廃人同然まで体力が削られたので、大人しく昼まで寝て過ごした。

 夜になって、用事があったので名古屋駅近くへ行く。都会の街を走るのはやはり大変。片側3車線も4車線もあったりするとどこを走って良いのかさえ分からない。前後左右すべてに気を使う必要がある。気を抜くとぶつけられてしまいそうだから、緊張の連続である。

 信州の山道ならこんな悩みなんかないのに。

8月23日

 信州日帰りドライブでかなりダメージを受けた体を引きずりつつ、毎週行くことになった市場へ向かった。

 仕事を終えて、最上階でメシを喰らう。仲買業者の入ったビルの食堂なので、なかなか良いメシが食える。今日は、和牛のたたきであったので、喜んで喰らう。

 さて喰らおうと、テーブルに着く。食堂に置いてあるテレビではニュースがやっていた。ぱちんと箸を割って、さあ食べよう、と思った瞬間、「国内5頭目のBSE(狂牛病)が発見された問題で…」というニュースが。まさに箸にたたきの牛肉をつまんであんぐりと口を開けていたそのときであったので、一瞬フリーズしてしまった。

 そんなこと気にしていたら、何も食べられなくなる、と若干のためらいの後すべて平らげて、やはりうまかったのである。異常プリオンごとき、僕の胃液で消化してやるのだ。不幸にも脳みそがスポンジ化してしまったらそのときだ。もしかすると、若干スポンジ化しかけたときの方が頭が良くなるかもしれない。

 さんざん喰らってきたポテトチップスだって最近になって発がん物質が含まれている、という説が出てきたのであるし、喰らうという行為をするには覚悟するしかないのである。

8月22日

 しばらく来ないかもしれない、などという思いを抱き、後ろ髪を引かれつつ去ったはずなのに。

 信州に行ってしまった。しかも仕事で。やはりこの時期の信州は格別であるので、行きたくて仕方がなかったから、仕事を作って行くことにした。塩尻と長野に用事を作ったのである。本当は電車で行かないといけないのだが、ロードスターで向かうことにする。9時の約束であるので、かなりマージンを取って、5時すぎに開幌状態にして出発した。秋めいた気候の日の出直後の空気は気持ちがよい。

 尾張旭から多治見に抜ける道の途中、田んぼ道をショートカットしようと思ったら、道を青空色デミオがふさいでいた。T字路になっており、ブレーキをかけ損ねて直進し、ドアンダーを出して水路の土手に車体を落としていた。強引にバックしようとして、辺りはタイヤスモークが充満している。

 運転手はおねえさんであった。だから、というわけではないけれど、放置するわけにもいかず、ロードスターを止めて、「押しますか」と申し出る。とりあえず、車に乗ってもらい、ドアンダーのまま切れたままになっているステアリングを元に戻してもらってバックさせる。助手席のドアを勝手に開けて、Bピラーを肩で押す。2、3度思いっきり押したら素直に脱出した。

 こんな場合、陳腐な物語であれば、

 「お名前は…」

 「名乗るほどのものじゃございません」

などと、頭蓋骨の裏がかゆくなってくるようなセリフとともに愛が芽生えるのかも知れないが、現実は甘くない。約束の時間があるのだから、邪魔であった車がどけばさっさと出発するしかないのである。「それじゃ」という言葉を残してロードスターに乗り込み立ち去る。

 多治見から中央道へ。少々時間が早かったので伊那インターで下り、国道153号で塩尻に向かう。9時、レタス畑が広がる洗馬という地域に到達した。松本に4年間いたけれど、この地域はあまり来たことがなかったので、ちょうどよい機会であった。

 名古屋でさえ秋のような涼しさであるのだから、松本ではまぎれもない秋の気候であった。北アルプスの稜線は早朝から湧いて出てきた雲に隠れて見えないけれど、空気の透明度が高くて白馬の方まで見えそうなほどであった。

 仕事を終え、奈良井川の堤防に沿って松本に向かう。ちょいと用事をすませて、行ったのはかつてのホームコース。一往復だけして、長野に向かう。

 せっかくだからと、近くの松本インターではなく、麻績インターに向かって筑北の風景を楽しむ。なかなか良いコースである。7月には「次はいつ来るのだろうか」と深刻そうなため息をつきながら走ったものだが、1カ月で再び戻ってきてしまった。感慨もへったくれもない。

 長野で用事をすませて、再び松本へ。せっかくだから、良くしてくれた人たちに顔を出して、いつも一緒に酒を喰らっていた松本の仕事場の人と韓国料理を食べて、帰宅。

 総走行距離は550キロぐらいか。明日も朝から仕事である。今の残っている体力から考えると、電車で行った方が良かったかも。

8月21日

 松本の仕事場にデジカメの画像を満載したコンパクトフラッシュを忘れていたのが郵送で届いた。引っ越しの様子が写っていて、ちょっとおもしろかったのでご紹介をば。

 引っ越しで一番悩ませたのは、大量の車とパソコン雑誌に、新聞紙であった。雑誌も束にしたら10束近く。新聞は、何と3年半分!もたまっていたのだ。異常な量をため込んでしまって、反省することしきりなのだが、ずぼらをしたのではなくてスクラップをしようと思って取っておいたのである。ま、スクラップをさぼったのだから、結局はずぼらなのだけれど。

 きちっと束ねてあるからそれほど大変な作業ではなかったのだが、古紙回収業者に持ち込もうと、手放す前日のジムニーをこき使ってすべてを積み込んだ。あまりにも圧倒的な量で笑える図あったので、デジカメに収めておいたのだ。そのおかしな光景はこれだ!

 いや、本当に反省をしてしまった。後部座席を折りたたんで荷台にしてあるから、奥行きは1メートルほどある。高さも1メートルぐらいあるから、ものすごい量である。

 これだけで驚いてはいけない。荷台だけでは積みきれなかったのである。仕方なく、助手席に積み上げた。

 なんとかミラーの視界は確保したが、危ないことこの上ない。少しでも急な動きをすると、新聞紙が僕の方に雪崩を起こしそうで、古紙回収業者までの道のりは、かなり背筋が寒くなった。

 結局、新聞紙はただで引き取ってくれたものの、雑誌は1キロ5円かかるという。新聞紙をおろしておいて車重ごと量り、雑誌を下ろしたら差し引き100キロ! 500円取られてしまった。

 ちりもつもれば山となる、というけれど、新聞紙も1日1部ためていくと3年半で、ジムニーいっぱいの量になってしまうのだ。自分の愚かしさに反省することしきり。

 なんだか懐かしくなったので、明日は仕事を作って松本に行くのだ。

8月20日

 仕事で岐阜の各務ヶ原へ行って来た。名鉄の飛行場前、という駅で降りた。航空自衛隊の基地があるのである。

 今日はこの地方には珍しく、とてもさわやかで、松本の夏のようであった。空も晴れ渡り、いつもこんな調子の空気だったら言うことないのにと思いながら道を歩いていると、突然の轟音が響き渡った。

 自衛隊のF15であることはすぐ分かった。特徴のある高音の後、ジェット機特有の空気を切り裂く爆音が突然聞こえるから、他の飛行機と聞き分けられるのだ。松本周辺だと、ジェット機は松本空港を発着するMD87しか低空飛行しない。航空路はたくさんあるみたいなのだが、いずれもとても高いところを飛んでいて、音は聞こえない。長野県のあちこちで米軍のジェット機が高圧電線をくぐるような低空飛行をする、という噂は聞いたことがあるが、自分の目で見たことはない。久しぶりに戦闘機の轟音を聞いた気がした。

 大きく右にロールして、旋回していた。そのまま向こうに飛んでいくと、かすかな音だけを残して辺りは静かになる。

 立ち止まって見送って、そのまま少し歩いたら再び爆音が。見上げるも音の方が後から聞こえるから、音の方向とは少しずれた場所を飛んでいる。さっきよりも速度を上げたらしく、うるさい。飛び去ったと思ったら再び飛んできて、4、5回ぐらいぐるぐる回っていた。はっきり言ってあのやかましさは公害である。周りの家はちゃんと二重窓にしているんだろうか。

 用事をすませたら今度は特急を使って1時間半かけて愛知県を縦断し、岡崎に向かった。F15であればあっという間に到達する距離なのに。