10月24日

 午前5時半はまだ暗い。しかし、市場は活動の最盛期を迎えて、暴走軽トラやフォークリフトが忙しく走り回る。暗いから、下手をすると本当にひかれてしまいそうである。明るかったときには「大丈夫だろう」と割と平気で歩いていたのだが、暗い時分になると、命の危険を感じる。前に止めてある軽トラにおっさんが乗り込んだと思ったら、疾風のようなエンジン始動と、稲妻のようなギアさばきで、突然こっちに向かってバックしてくることもあるから、気が抜けない。

 どうやら、海がしけているらしい。お魚の入荷が少なく、いつもと風景が違う。うずたかく積み上げられた発泡スチロールの箱の高さが、低いのだ。自然相手だから天候に左右されるのは当たり前なのだが、目に見えた形にんなると、実感を伴う。今は満月に近い暦だ。満月の夜はやはり月明かりがあるので、漁り火にお魚が寄ってこないらしい。満月前後の1週間はやはり漁獲が明らかに減るのだという。

 しばらくすると朝日が差し込んでくる。先ほどまで降っていた雨はすっかりやんで青い空が広がる。手やカメラに付いたワカサギの鱗がきらりと光る。なかなか落ちないんだ、これが。

10月23日

 昨日はボスと飲んだ。今日は同じ職場の人と飲んだ。2日連続、飲み歩いたのはどれくらいぶりなんだろう。

 飲むのは楽しくて良いのだけれど、明日は午前4時半に起きなければならない。現時点で4時間半後よりも短いぐらいなのだが、独り酒を喰らってこんな馬鹿げた文章を書いているのだ。

 とにかく眠い…zz。

10月22日

 新栄で仕事があったので、仕事場から歩いて行くことにした。最近、おなかの出っ張り具合が深刻な状況に陥りつつあるから、少しでも運動することが必要なのである。

 てくてくと、名古屋の道を歩いていく。新しい街に引っ越してきたら歩くかオープンで走るに限る。街の表情を知ってこそ、住んでいる場所に愛着がもてるのだ。

 秋の日差しはとっても穏やかで気温もそれほど高くないから、スーツの上着を着ていてちょうど良いくらい。ときどき、キンモクセイの香りが漂ってきたりして、すっかり秋の風情が漂っている。もうしばらくしたら、冬と呼ばれる季節になるんだろう。松本に住んでいたものとすれば、名古屋の冬は冬のうちに入らない。

 歩くときに邪魔に思うのが眼鏡だ。微妙にずりおちてきたのを上げるのが面倒くさい。外してみた。ど近眼なので、眼鏡を外すと1メートルぐらい先までしか見えずにあとはぼやけてしまう。10年ちょっと前に眼鏡を着け始めてから、10分以上かけないで歩いたことはないと思うのだが、今日は外したまま、何も見えないまま、20分以上歩いてみた。

 はっきり見えない、ということはそこら辺に張ってある怪しげな広告の文句も読めないし、たとえ、とっても良さそうなおねいちゃんとすれ違ったとしてもまったく目を向けることもない。眼鏡を外していると、まったく煩悩から離れてしまうので不思議なものである。

 でもかなり視野が狭いらしく、セントラルパークを横断していたら、すぐ横にテレビ塔があったのに気が付いて驚いた。この間完成したばかりのオアシスなんとかというへんてこな建造物も、巨大な輪郭が分かるぐらいで、細かいところはよく分からない。人が倒れていてもそのまま踏んづけてしまいそうな勢いだから、デンジャラスな人間だ。

 仕事があるので再び眼鏡をかけたら、とっても度が強く感じた。景色もゆがんで見える。目が回る。頭痛がし出した。

 夜まで違和感は収まらず。頭も痛い。どうやら、あまり慣れないことはしない方が良いらしい。

10月21日

 またもや、知多半島で仕事があったのでロードスターで向かう。なぜだか知多半島へ行くことが多い。

 次の仕事場へ行く途中、時間があったので名東区の「ハイエース」というホームセンターに寄る。高校生時代にフナ釣りの道具やえさをかった場所。懐かしいなと思いつつ、ぬかりなくカー用品売り場をのぞく。

 すると、すばらしい品揃え。パーツクリーナーの安売りがうれしい。クレのブレークリーン2本498円を2セット買う。オイルコーナーにも、クスコのLSD用オイルなんかが置いてあって、少しマニアックな品がちょいちょいと置いてある。

 棚の一角が目に飛び込んできた。アメリカのオイル「バルボリン(Valvoline)」の直輸入バージョンが大量に置いてあった。ターボ用、オールシーズン用、レーシング用と3種類ラインナップがあるのに、すべて1本(1リットル弱)が398円なのが笑える。一応ポルシェなんかにも使うオイルだから品質には問題ないだろうと、レーシング用のオイルを4本買う。20W-50というなんだか変な粘度である。ジムカーナの前にオイル交換してみよう。QUAKER
STATEがすこぶる調子がよいので、米国産オイルは僕の中ではかなりポイントが高いのだ。

 バルボリンはアメリカのレースを見ると、よくロゴを目にする。たぶん、向こうでは一般的なものなのだろう。ちょいちょいっとWebで検索すると、同じオイルが1リットル2000円の値が付いていた。この値段の差がどこから生まれるのかは知らない。まさか、バッタものというわけでもないだろう。アメリカではオイルを始め、自動車用品はこちらの感覚では激安で売られているらしいから、輸入ルートによっては現地価格で仕入れられるのかもしれない。

 ロードスターとは相性が悪いという噂も聞いたことがあるこのオイル。エンジンが軽いとかパワー感云々より、HLAから音がするかどうかが僕の「良いオイル」判断基準なので、とってもいい加減なのである。

10月20日

 フロントブレーキが、きぃきぃうるさい。もしかしたらパッドがなくなっているのかもしれない、と思って、さっそくジャッキアップ。タイヤを外してみたら、やはり、残り少ない。次のパッドを考えなければ。

 軽井沢ミーティングで買った「RS factory STAGE」製のパッドだ。前後合わせて13500円のパッド。とってもリーゾナブル。いつも走っているミニサーキットなら、まったく不足を感じなかった。お店曰く、間瀬サーキット1分14秒台ぐらいの走りなら対応可能、ということだったので、ラジアルを付けている分には、最適のパッドかもしれない。

RS factory STAGE

 5カ月弱でなくなってしまった。4月上旬にエンジンを交換したときが135000キロぐらいの走行で、今が150000キロ近いので、だいたい1万キロちょっと使ったことになる。やはり、ミニサーキットを連続して走っていると、減りが早い。

 車をいじるときに何が一番いやだったかといえば、ジャッキアップをすることなのである。2000円ぐらいで買った油圧フロアージャッキだと、高さがあるので、そのままメンバー下まで押し込むことができない。車載ジャッキで片側を上げて置いて、突っ込む必要があるのだ。

 しかも、この油圧ジャッキ。長年の使用で剛性が落ちているからか、ジャッキアップをすると、ゆがんでしまう。持ち上げた車が左右どちらかに傾いてしまうので、なるべくメンバーの中央に当てようと、いろいろ試行錯誤しなければならない。

 ある程度持ち上げると、やはり剛性がないから、車が落ちそうで怖いのだ。ウマを当てて徐々にのばしながらじわりじわりとジャッキアップすることになる。

 こんな状況を打開しようと、アストロで買ってきたのがこれだ!

 3トン!のフロアージャッキだ。1カ月ぐらい前にジャッキを物色しにアストロへ行ったら、店のお兄さんが「今日まで安いよ。最後の一つだよ」と、タイミング良く勧めて来たので、考えなしの反射であっという間に買ってしまった。2.5トンのものより安かった。

 低く作ってあるので、今の車高なら、そのまま突っ込むことができる! もう少し低くしても、板を用意してタイヤの下に敷けば大丈夫だろう。

 これがとっても楽ちんで、皿が大きいから、車体が傾くこともないし、いい加減に突っ込んでもそのままジャッキアップ可能だ。タイヤ交換程度なら、ウマも必要ないだろう(危ないか?)。持ち運ぶのに少々重いが、1メートルぐらいの棒で、がしがしジャッキアップしていくのは快感。まったく不安なく持ち上げることができる。

 これがあるから、会社から帰ってから車の下にも潜る気になるのだ。一気に40センチ以上上がるから、前後2回のジャッキアップで寝板での作業が可能になる。安全性も大幅に向上。素晴らしい。

 作業場所は道路に面している。いつも宙に浮いている我がロードスターを見て、近所の人は不審に思っているに違いない。

10月18日

 酔っぱらっている。本格的に。

 名古屋に来てからとんと飲む機会が減った気がする。松本は、仕事場の人が飲み仲間で、いつものショットバーへ週に1回は最低通っていた気がするのだが、最近はあまり飲みに行かない。嫌われているのかもしれない。

 で、昨日は、家に帰ってもメシが用意されていない状況だったので、ただメシを食ってやろうとボスを誘い出した。日本酒を浴びるほど。今日は、今やっている仕事の慰労会のようなものだった。

 それにしても、周りに同年代がいない。今日の飲み会なぞは、ほとんど40代以上で、僕が際だって若い。ぺーぺーだ。子ども扱い。

 仕方ないけれど。

10月17日

 一日中「三四郎」ばかり読んでいて、本当に目が痛い。頭が痛い。ディスプレーばかり眺めていると、失明しそう。

 三四郎は仕事で否応なく読まされているものの、改めてじっくり読むとこれがなかなか面白いのだ。1世紀前に書かれたとは思えない。人間の進歩が100年でほとんどないのだか、ただ僕がほかの人より1世紀遅れているのだか知らないけれど、構成や細かい描写でとても感心する箇所がたくさんある。

 物語は、まあ、恋愛小説だ。列車の中で、子持ちでダンナが中国に行ったまま帰ってこない若い女の人と偶然に向かい合わせで座ることから始まる。なぜか、行きがかりでその女と同じ宿の、しかも、同じ部屋の、さらに、同じ蚊帳の下!で寝ることになってしまった三四郎が、何も手をださなかったら「度胸がないわね」と人間以下の、ひどい言葉遣いで、最低のあしらいを受ける。奇抜な挿話だ。

 たった23歳の三四郎は、それをいつまでもだらだら引きずる。当時で言えば新しい種類の女性に出会い、好きになっちゃうのだが、田舎から東京に出てきたばかりの古い種類の人間である三四郎は、名前も知らない列車女のトラウマもあって、なかなかアタックできない。ぼやぼやしているうちに、その女の人は知らない男といつの間にか結婚してしまうという話である。滅茶苦茶だ。

 漱石さんはイギリスへ留学した経験がある、当時の一級の知識人だ。どうも東洋人として西洋人にかなりの劣等感を抱いていたらしいことが、行間からひしひしと伝わってくる。新しいタイプの女性にきりきり舞いしてこてんぱんにやられてしまう三四郎の姿は、イギリスに行ってカルチャーショックを受け、散々な目に遭った漱石に重なるのかもしれない。

 時代を感じさせる部分はたくさんある。家父長制、差別、女性蔑視表現の雨霰。当時はとってもハイカラな小説も、そこだけ見るとやはり古い。

10月16日

 気が付いたらこのサイトのアクセスカウンターが50000を超えていた。始めた当初は、カウンターが動かなかったらやめちまおうと考えて、毎日数字をチェックしていたものだけれど、さすがに最近の動き方を見ていると、「更新しなくちゃ」という気になってしまう。

 車つながりのお友達を作ろうかな、などと考えて始めたこのページ。お友達はたくさん増えた。その意味で、当初の目的は果たしたのであるが、なぜかお金が大幅に減るという副次的な効果も出た。それを別に気にしている訳じゃない。ならば、どうしてわざわざ書くのかよ、と問われれば、馬鹿さ加減を知ってもらいたいだけなのである。

 はっきり言ってやっていることはお馬鹿だ。けれども、馬鹿げたことをまじめにやることこそ、生の充実というものがある、と、最近思い始めたのは、脳みそが腐り始めた証拠なのだろうかと、空恐ろしく思う今日この頃。

10月15日

 なぜか夏目漱石の「三四郎」を読む日々が始まった。外に出てさぼることもかなわず、1日中缶詰の1週間となってしまう。これが仕事なんだから、リストラのための意味のない作業を割当たられたような気分である。

 確か、セガかどこかで、リストラをするために「隔離部屋」を使って、1日中本を読むことも許さず、じっと座ってすごさせる部署を作ったという記事を、週刊誌で読んだ覚えがある。真偽のほどは見た訳じゃないから定かではないが、もしかしたら、僕が今与えられた仕事はそれに近いことなのかもしれない、と勘ぐっていまう。

 会社のお偉い人の鶴の声で始まっているから、まさかやめさせるための作業ではなかろう、とは思うけれど、なんだか、創造性のない、機械的な作業ばかりなのである。いくら、給料をもらっているとはいえ、もう少し気の利いた仕事をしたい、と思うのは、労働をなめている若者の、少しずれた考え方なんだろう。

 とはいえ、明治時代の文章を読んでいると、なかなか面白い。今の感覚では「えっ?」と思ってしまう文章が矢継ぎ早に出てくる。まったく違った異質の文化に触れているようで、なかなか興味深い。

 まだ、最初しか読んでいないのだけれど、駅弁を買って、列車の中で食べて、その食べた殻を、窓から平気で放り投げる、という描写がある。思わず、目を疑ってしまう。活字を読みながらびっくりする、というのはなかなかないことだ。

 くだらないこの日記の、1日分になっただけでももうけ物と考えよう。