11月12日

 仕事をちゃちゃっと切り上げて、配偶者とともに午後6時に矢場町の味仙に向かう。友人ののらくら農園さんと集合して、中華料理を喰らいまくる。台湾ラーメンの辛さは知っていたが、麻婆豆腐もあんなにスパイシーだとは思わなかった。

のらくら農園

 上前津のライブハウスにて、アコースティックのイベントを見るのだ。目当てはやっぱり風博士。5バンド中4バンド目。1バンド目の途中から入ったけれども、若い人たちの演奏は技術云々より元気がもらえて良かった。

風博士

 風博士のギター演奏とさわやかな歌声は、やっぱりこの日のバンドの中では別格で、演奏を始めれば彼独特の世界へと連れて行かれる感じ。すべての雑念が消えて世界に埋没する感じになって、すごくいやされる。

 本当は、一緒に深夜まで飲み食いしたかったけれども、土曜日は早朝から東京へ行かねばならないので、後ろ髪を引かれながらお別れして帰った。

11月11日

 サラリーマンが徒党を組んで経営者側に圧力をかける団体で、「ボーナスくれくれ」委員になったので、おじいさん方と交渉に臨む。

 こんな時代になって、以前のような水準でボーナスをもらえる会社なんてほとんどないわけで、うちの社でも例外はなく、やっぱり低い数字。それでも、もらえるだけ感謝しなければならないか。

 そんな思いは心に封印し、やっぱり働くものの代表として交渉しているわけだから「半期の労働実績からすればもう少し出すべきだ」などとやりあうわけ。

 本当は「あと何年会社があるか不安だ! あんたたちはもらえるだけもらって逃げ切ってずるい!」と大声で叫びたい気持ちなのだけれど。

11月10日

 岐阜の調理師学校でがんばっているという生徒に会いに行く。なんでも、学校の正面にあるアパートに住み、近所の寿司屋で働きながら学んでいるんだとか。今時の若者には珍しいタイプ。

 岐阜の下呂方面にある旅館の長男だそうで、調理師のお父さんの背中を見て育ち、跡を継ぐというわけでもないのだけれど、お客さんに「おいしかったよ」と言われる仕事が良いと、進路を決めたそう。1年のころから、研修扱いで寿司屋で働き、学費とアパート代の半分ぐらいは自分で稼いでいるという。

 「友だちは女の子とカラオケ行って遊んでいるんでしょう」とかまをかけたらやっぱりその通り「行ってますね」と彼。「遊びたくないの?」と聞いたら「全然」と答えていた。調理をするのも食べるのも好きで、体型にもそれが現れている感じではあるのだが、好きなことに全力投球している姿がすがすがしかった。

 最初は掃除や配膳など下働きばかりだったけれども、最近は料理もちょくちょくやらせてもらっているという。調理学校の地区コンクールで勝って、全国大会へ行くぐらいの腕前になった。まだ握らせてはもらっていないけれど、今月末にフランスに1週間ほど行って学んで来るので、それまでに特訓するのだとか。

 下校で校舎からぞろぞろ出てきた連中を見ると、やっぱり今時の高校生で、だらだらした感じ。漫然と、授業を聞いていた3年と、下積みをしながら学んでいた3年。この差はとてつもなく大きい。

11月9日

 部内の連絡ミスのあおりを受けて、締め切り日に仕事のインプットとアウトプットをこなさなければいけない羽目になり、午前4時半に起きて、東海北陸道にて富山県氷見市へ。午前9時からの仕事に間に合うように走る。とりあえず、城端サービスエリアで時間調整の仮眠をして、頃合いを見て出発すると、ジャスト9時に到着。時間の読みはかなりの精度。

 大雨で撮影はできないかと焦ったものの、雲の切れ間の5分で何とか絵を作り、午前中かけてお話を聞く。氷見市博物館にも足を運ぶ。博物館ってわくわくする。氷見は定置網の歴史など、独特の風土の解説もしてあって、なかなか良い。

 ゆっくり見て回りたい気持ちを抑えて、そのままカントリーレストハウス二上へ。火曜日は定休日だったけれども、「営業してますよ」とマスター。ぶりおこしのような悪天候で外出する気も失せていたみたい。つけ麺を食べてコーヒーをいれてもらって、気合いを入れて文章を書く。夕方には終了。何とか締め切りに間に合った。

カントリーレストハウス二上

 夜はマスターとともに、国道8号沿いのカシミールへ。カレーにナンを喰らって、新湊の塩分がきつい温泉につかって深夜に帰宅した。

10月31日

 気がついたら全然書いていない。どんな10月だったか思いながらメモを。

9日
 仕事で福島県に行かねばならなかった。東北かあ、遠いなといつも通りネットで乗り換え情報なんかを調べていたのだけれど、3連休なこともあって、帰りに富山に寄りたい気分。「福島から東京へ戻って、さらに3時間半かあ」と気が重くなる。朝から仕事をしなくてはならないことを考えると、前泊も必要だ。

 まてよ、と考える。福島と言えば、新潟の隣じゃないですか。新潟と言えば、毎週通っていた間瀬サーキットがある。良く考えると、間瀬サーキットから新潟まで1時間、そこからまた1時間半ぐらいの距離じゃんね、思ったら妙に近く感じてしまい、ロードスターで出かけてみた。

 間瀬まで400キロで、そこからまた230キロぐらいある感じ。早めに寝て、夜中に起き出して出発する。大雨が降っていてかなり焦ったけれども、米山で給油しただけで走りきり、なんとか間に合って朝から仕事をする。

 その日のうちに帰るつもりが、翌日も働くことになって、ホテルを取って宿泊。10日の午後、ようやく富山へ向かう。おおとろ亭にて、F1日本GPを観戦して、なぜか富山にいた配偶者と合流して、ロードスターを置いて名古屋に戻った。

11日
 イタリア旅行に行くのに貸してもらっていたスーツケースを返しに、春日井の某所へ。旅で撮影したビデオをテレビに映しながら報告しおみやげを渡す。その後、実家に行って、やっぱりビデオをテレビに映しながら報告し、おみやげを渡す。

12日
 応援で、後輩が長野から名古屋に来ているというので名古屋の桜通沿いの居酒屋で迎撃飲み会。集合時間に集まっても、半分しか人が来ていない、というのはいつものこと。ビールをかぱかぱ空けているうちに集合した、と思ったらラストオーダーの時間。近くのバーに移動したら、地元の食材にこだわったメニューが多数あって、けっこう当たりなお店だった。

15日
 ちりめんじゃこの原料の片口イワシの稚魚が季節外れの豊漁だ、というので、知多半島の先端の漁港へ。水揚げしている場面の写真なぞを撮影して話を聞く。帰りがけに知多半島道路のパーキングエリアにて昼飯。けっこう地元の食材を生かした料理がたくさんあって、がんばっているなあ、と感心する。

16日
 朝5時に起きて日比野の中央卸売市場へ。早朝のここに来るのはもう5年ぶりぐらい。ハマチやヤリイカなぞの写真を撮影する。市場の魚屋さんに「これ持って行け」とパック詰めのスクランブルエッグを大量にもらう。

 午前中ちょこっとだけ仕事をして、午後3時40分の名古屋駅発の高速バスに乗って富山へ。キャリングバッグに、大量のスクランブルエッグを詰めて。富山インター近くのアピタまで迎えに来てもらって、ビールを買っておおとろ亭になだれ込み、17日の走行会の準備なぞをする。その後、アルコールを大量に摂取して、意識を失う。

17日
 朝のろのろと起き出して、おわらサーキットへ。年に1度のTORF主催、走行会付きバーベキュー大会。間瀬を走りすぎて疲れていたので、タイムアタックするモチベーションはなかったのだけれども、雅久号にてタイムで負けっぱなしなので最後はムキになって走る。タイムアタックの時間は陽がかげってタイムを出すには最適なコンディションだったのだけれども、無実のオレンジボールや赤旗にじゃまをされて更新できず、駄目夫が決定。ETC割引が利用できる時間帯にロードスターに乗り込み、名古屋に戻る。

19日
 午前中から岐阜県中津川市の加子母地区へ。トマト農家を訪ねる。就農した経緯などを詳しく。帰りがけに販売用じゃなく、自家消費用の珍しい品種のトマトをもらう。

20日
 朝から電話番をして、昼過ぎに三重県桑名市になってしまった長島町へ。学生時代からの友人宅へ。イチゴ農家に転職したので、その様子を見に。これも仕事のうち。ログハウスづくりを手伝う。

21日
 朝から新幹線に乗り込み、東京へ。四ッ谷近くにてお仕事。割と早く終わったので、このまま帰るのはもったいないと、浅草周辺を歩いてみた。スカイツリーがかなり巨大に見えた。たぶん10キロぐらいは歩いた。

22日
 ネット専業の生命保険会社の社長さんからお話を聞く。親族が生命保険会社に勤めているので付き合いで加入しているけれど、コストを考えたら、こっちの保険会社の方がいいなあ、と正直思う。

23日
 鈴鹿のスーパーFJ参戦中のDさんに誘われて、配偶者とロードスターんてひるがの高原のカフェるりはへ。元スーパー7乗りのマスターが経営するカフェで、珍しい車が集まってくるという。やっぱり珍しい車が来た。ジャガーのオープン。V12サウンドを轟かせて去っていった。

 午前中をカフェなどで過ごして、牧歌の里へ。散歩してコスモスなぞを見て過ごす。標高1000m程度だとまだ紅葉していなかったので、もっと標高を上げようと、平湯方面へ向かう。旧国道158号の安房峠のちょっと下あたりの標高が見頃だった。携帯にて適当に宿を探して、引っかかった穂高温泉郷の常念坊という宿へ。到着すると「え〜、今日の今日予約して来たんですか」と驚きの声を上げられた。いや、楽天トラベルで検索したら出たんですけれども。1部屋空いていて、ご飯部屋として確保してあったのを片付けてくれて宿泊できた。

24日
 温泉に浸かってビールを飲んで、意識を失い、目覚めたらまた再び温泉へ向かう。穂高温泉郷からほど近い、中房温泉。登山口に近い場所で標高1500m弱。ちょうど紅葉の標高帯で、露天風呂からの眺めが最高だった。

 穂高神社へ行って、そば屋に入り、白鳥が集まってくる犀川の御宝田遊水池へ行って、長峰山から安曇野を眺めて、とまあ、べたなコースをたどったらすでに夕方。松本の市街地へ行き、まるもにてコーヒーを飲む。

 帰ろうと思ったら長野自動車道は塩尻で10キロの渋滞だわ、中央道は瑞浪インターあたりから40キロ渋滞だわと大変な感じだったので、塩尻に向かうたんぼ道を走って国道19号に乗り、恵那まで道を走って渋滞が解消した後の高速に乗って帰宅した。

29日
 東京へ出張。八丁堀近くのマンションにて、イケメンな感じの料理人とあれこれ会話する。

 渋谷に向かって、出会い系サイト運営会社なぞを襲撃してみる。予想では秘書代行会社なんかのいわゆる架空オフィスがあるんだろうと思っていたら、ちゃんとしたIT企業な感じの事務所になっていたのが予想外。ちゃんと実態がある会社にアポなしで襲撃するのも気が引けたので退散する。

 配偶者からメールにて緊急指令が入り、渋谷西武にあるピエール・エルメ・パリにてマカロンを6個購入。保冷剤が2時間だというのでそそくさと品川から新幹線に乗って帰宅する。

30日
 昼すぎまで惰眠をむさぼる。午後から、一宮の住宅展みたいな会場へ。ハウスメーカーの住宅展示とは違って、建築家たちのネットワークの説明会みたいな感じだった。いや、住宅を買うつもりはまったくないのだけれども。

 一宮の本町商店街近くにて、最近できた若者向けカフェで一宮ブレンドを飲む。お店の雰囲気も、コーヒーの味もなかなか。晩ご飯は自宅近くの串揚げ屋さんにて。ビールを大量摂取してしまい、家に帰ってくるなり、意識を失う。

31日
 午前中から、自宅近くのコーヒー屋さん、あうらへ。仕事みたいなことをしてみる。自宅にいてもまったく手に付かないのに、カフェのような場所に行くとはかどるのが不思議。

 夕方からは稲沢の親族の家へ。旅行のおみやげを渡しに行く。お茶菓子として、上小田井の洋菓子やREGNIE(レニエ)にてケーキを買い込む。ビデオを写してイタリア人のいい加減さを語ってお茶を飲み、晩ご飯をごちそうになって帰宅した。ビールをがぶ飲みしたこともあって、家に帰ってきてすぐに意識を失う。

10月5日

 ローマからナポリへ移動しようと、ローマ・テルミニ駅にて切符を購入。窓口は長蛇の列なので並ぶ気にはならない。英語も片言だし。ということで、豊富に並んでいる自動券売機にて購入する。ガイドブックを事前に読んでいて操作方法はばっちり。だったはずなのだが、2人分を購入する方法が分からない。全席指定なので、2人分を別々に購入すると席がばらばらになっちゃう。

 途中まで操作しては1からやり直してを繰り返し、機械も変えてみる。だが、できない。う〜む、どうしようか、と試行錯誤を繰り返していたら、後ろからでっかい黒人のおじさんが「違う違う」という感じで、声をかけてきて、1から操作をしてくれた。「ナポリに行きたいんだろ?」って感じで手際よく画面をタッチ。2人分のチケット購入の操作を教えてくれた。

 ああ、あれだな、と最初から分かっていた。親切に教えてくれるのだが、終わるとチップを要求されるのだ。そういう人がいますよ、ガイドブックにちゃんと書いてある。

 が、本当に助かったからこちらからチップを渡すことにした。財布から2ユーロコインを取り出して手渡すと、さも当然と手を出してきた。お互い合意の上だから何となくお互い気持ちが良い。購入したチケットは5分後発だったから、何番ホームから出るかも教えてくれ「早く早く」と送り出してくれた。おかげで、サレルノからローマまでのチケットは自分でさくっと購入できた。

 働いたんだから対価を、裕福なんだからおこぼれを、そんな文化が根付いている。

 チップ文化は日本人だとなかなか自然には出せずに煩わしいかもれいないが、何日か過ごしてこれはこれで良い文化だと思った。チップを見込んで飲食店のボーイさんとかは給料が低く抑えられているということで、それはあまり良くないかなあとは思う。たぶん、日本人は出さない人も多くて、カード払いしようとすると「サービス料は含まれておりません」と念を押される(見た目や振る舞いで日本人と分かるみたい)のも鬱陶しくはある。けれども、いかに気持ちよく接待しようかと工夫する余地が大きくあると思った。不快に思うことがあったら出さなければ良いし、多めに出すと「Grazie
Mille(グラッツィエ・ミッレ)」と本当に喜んでくれる。お金が間に介在してはいるけれど、人間同士のつきあいがあるというか。

 日本に帰ってきて、翌日の朝食を買おうとコンビニに入った。「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」。数百円の買い物をしただけなのに、実に気持ちが良い。マニュアルに従っているから、予想を裏切ることがないし、全国一律のサービスを受けられる。確かに気持ちが良いしチップをいくらにするか考えなくても良いけれども、人と人のぶつかり合いみたいなものは皆無。味気ない。

 多くの大衆的なお店の店員さんはアルバイトで非正規で、マニュアルがあるからだれでも良いよ、みたいな風潮がある。

 そういうお店に慣れきっている僕と言えばたぶん、イタリア人から見たらとっても無表情で何を考えているのか分からなかったに違いない。それは、僕がイタリア語をまったく理解できないからでも、ほとんど英語の単語単位でしか話せないからでもないと思う。お店の人との掛け合い自体に慣れていないのだ。

 どっかの商店街で「今日からチップ制!」と宣言して実験したらどうだろうか。定価を1割ぐらい下げて、ついでに店員さんの人件費も1割下げて。コスト削減とか利益率だとか、そんな数字だけじゃない、新しいサービスが生まれると思うのだけれど。

10月4日

 トラブルもなくイタリアから帰国。上記画像は、別にフェラーリ工場を訪れたわけではなくて、フェラーリショップに飾ってあった10年前のF1のV10エンジン。ローマに計5泊、ナポリに2泊、ソレント近郊に1泊。ネット上にあふれているような旅行記をだらだら書いても仕方がないので、気がついたことをメモ風に。

●いつでもどこでもネット環境
 いつでもどこでもネットにつなぎたいのは日本人かアメリカ人ぐらいじゃないか、と思っていたが、空港はもちろんのこと、イタリア国内でもホテルや公共のWifi環境がかなり整えられてる印象だった。

 空港でパソコンを広げている姿は当たり前になっていたし、日本ではiPhoneが独り勝ちのスマートフォンも、イタリア国内ではサムソンあたりが広告をばんばん出していて、普通に商店街の中の電機屋で売られていたし、「スマートフォンどう?」なんて客引きにもあった。iPadもけっこう見かけたなあ。空港で列に並んでいたたぶんアメリカ人のおばちゃんが、iPadの活字に釘付けになっていたのが印象に残った。せっかく旅行に来ているのに、なんだかなあ、と思ってしまった。

 今回の旅では、奥さんの携帯電話を通話可能にしていた以外は一切、何も持って行かなかったので、10日間ぐらいネット不通な環境だった。「ネットで調べたい」と思ったことも何回もあったのだが、なければ工夫したり、人に聞いたりして何とかしてしまうわけで、もしかすると、ネット環境って工夫や未知の人とのコミュニケーション機会を奪っているのかもしれないな、と思った。

●イタリアの公共トイレ
 大用と小用が分かれているのは高級な場所のトイレで、ほとんどが女子トイレみたいに個室に分かれて、洋式トイレが据え付けられていた。手洗い場なんかも個室にあるトイレが多いのは、まあ便利かもしれないが、なんと便座がないのがデフォルト

便座がないのがデフォルト

 イタリア・フィウミチーノ空港に降り立ち、空の長旅で何となく大をもよおしたので、鉄道駅でトイレを探して入ると、便座がなくて臨死体験。小用兼用なんで、他人のおしっこで汚れている上に、トイレのドアの鍵が壊れていて、さすがにそこではできないと、空港まで引き返して事なきを得た。こんなひどいのはここだけか、と思ったら、公共施設にあるトイレはだいたいこんな感じ。汚いのがいやな人は、Bar(バール)なんかに入って借りた方が良いかも。

●キヤノン独り勝ち
 デジイチことデジタル一眼レフカメラの普及率がものすごかった。特に、中国人観光客の9割はでっかいデジイチを持っていて、巨大な交換レンズをカメラバッグに何本も入れてベストを着てと「おまえはカメラマンかっ!」と突っ込みを入れたくなる人が本当に多かった。たぶん、中国で海外旅行できる人たちはひとつかみの富裕層で、今はデジイチがステータスシンボルなんだろう。おしゃれな感じに着飾った若いお姉さん方はたいてい、デジイチをぶら下げてぱしゃぱしゃ撮りながら歩いていたし、中にはおばちゃんたちの一行の全員がデジイチを持っていて、「撮影旅行?」と勘ぐったほど。撮影旅行にしてはみんな派手でひらひらした服を着ていたから、たぶん、金持ちツアーなんだろう。

 もちろん、欧米の人も一眼レフを持っていたけれど、コンパクトカメラ派の方が圧倒的だった。

 気になるシェアはキヤノンが圧倒。Nikonが2に対し、キヤノン8ってぐらい(感覚値)。コンパクトカメラだとそれ以上にキヤノンかなあ。

 そういう僕はデジイチを持って行くと、どうしても仕事を思い出してしまうので、コンパクトカメラを持って行った。小さな三脚を持って行けば、簡単に記念撮影ができるから。旅行の写真って風景だけだとつまらないので。

 車載映像用に買ったカシオのEX880は壊れかけているし、自由度が少ないしであまり持って行く気がしなかったので、大須へ出かけて物色。リコーのGX200の液晶ファインダー付きが中古で売っていたので衝動買いをしてしまった。

 あまりスペックは知らずに買ったのだけれどもこのカメラ、こだわりがあるだけあって、スナップ写真を撮るだけなら十分。というか一眼レフよりも良いと思う。明るい屋外とかで露出がいまいちなこともあるのだけれど、簡単に露出補正ができるし、手ぶれ補正もかなりのもの。8分の1とか4分の1とかでシャッターを切っても何とかなる。さすがに2分の1とかだと何枚か取って1枚ぐらいはなんとか見られる絵って感じ。広角側も24ミリあって、教会だとか屋内の撮影に威力を発揮した。長く愛用できそうだ。

 ちなみにリコーのカメラは1台も見なかった。販売力の差か。

●ロードスター4台
 ロードスターは時々見かける程度。NA型1台にNB型3台、NC型1台を見かけた。オープンカー率はかなり低い感じ。

 新しいFIATの500がけっこうな人気でローマの街に似合っていた。さらに似合っていたのがSMARTで、ずらりと縦列駐車が続くローマの街角で、バイクと同じように横向きに駐車している姿がキュート。日本車はトヨタのビッツ(YARIS)がナンバーワンで、FIATとかスマート並みの普及。日産のマーチ(MICRA)がそれに次ぐ感じ。RAV4も意外に良くみたし、ダイハツもテリオスや軽ががんばっていた。ホンダ車はかなり存在感が薄い感じ。「フィットかな?」と思ったらトヨタの小型車だったり。

 車はへこんでいるのがデフォルトで、細かい傷なんかを気にしていたらたぶん車に乗れない感じ。板金屋さんは商売あがったり。自分で同系色を塗ったり、折れたバックミラーをテープでぐるぐる巻きにして付けていたりと、かなりイタリアンな修復が多かった。

●攻める運転
 ソレント近郊のサンタ・アガタからアマルフィに向かって海岸線沿いの曲がりくねった道をバスにて移動。「パラヒリャッ」と派手なラッパの警笛を轟かせながら現れたバスはすでにすし詰め状態。何とか乗り込んで運転手横に陣取る。このバスの運転が荒い。いや、とても上手なんだけれど、乗客にお構いなくヘアピンカーブを攻めるので、乗客は右に左にと振られるのを手すりなんかにしがみついて耐えないといけない。

 このバス運転手に限らず、攻める人が多い。ちょこっと直線があれば、びゅんびゅんとバイクや車が抜いていく。それもブラインドコーナーが先にあってもおかまいなく抜いていくのは驚いた。対向車も心得ていて、普通に避けるから大丈夫なんだろうけれど。

 その代わり、歩行者には優しく、道路を突然横断しても、減速して渡らせてくれる。クラクションを鳴らされることもない。というか、信号もあまりないから、車が続いていても渡り始めないと、ずっと待っている羽目になってしまうから、仕方なく渡る感じ。走ってくる車をにらみつけながらためらうことなく渡り始める歩行者には感心した。なかなか慣れるものじゃないから、そういう人の後に付いて横断するとうまくいく。

9月17日

 レースが近づくにつれて、何となく高まる緊張感。徐々に仕事に手が着かなくなる中、何とか仕事は片付けた。明日、富山入りして車を整備して間瀬に向かっておっかけっこするだけ。車載映像を見比べたりしたいんだけれど、さすがに会社では難しい。

 で、実はレースのほかに、大きな懸案があったりする。23日から10月3日まで、イタリアに行ってくるのだ。

 実はイタリアフリークな僕。さかのぼれば、2005年の愛知万博だ。多くの人は忘却の彼方だろうイベント。名古屋オリンピック誘致失敗に始まる開催の経緯は、もろに高度成長時代の幻想を引きずっているのに、「環境」をテーマにして何となくうさんくさいイベントになってしまった。そんなイベントにイタリアは本物の文化財「踊るサテュロス」を持って来てくれる力の入れようで、さらに感激したのが文化講座みたいなのを開いていたことだ。

 そこで、スローフード発祥の地として、第一人者がオリーブオイルについて語ったセミナーを見学したのだけれども、イタリア料理の奥深さに触れることができ、それ以来、自分でもパスタを作るようになったりして、イタリアびいきになったというわけ。

 で、いつかは現地に行って本物のイタリア料理を食べたいと思っていた。もしかしたら自分で作ったパスタの方がおいしいかもしれないけれども、それはそれで現地に行ったからこそ分かることだ。

 普段仕事があったり、休みがあれば富山に行っていたりと、まったく旅行慣れしていないので、どうしたらよいのかしばし悩む。せっかく行くならば、せわしなく都市を移動して「見たつもり」になるより、ローマ辺りに数日間滞在して、狂ったように歩き回りたい。が、そんなツアーはない。

 良く分からないから、友人のいとこが旅行会社に勤めているというので、連絡してみる。ローマに滞在して、せっかくだから、愛知万博で感動させてくれたシェフのレストランに行ってみたい、と注文を付けた。レストランに近い主要都市のナポリにも宿泊、とも。

 が、出てきた回答はなんとなく残念な内容だった上、お願いした日があまりにも旅行日程に迫っていたので、飛行機が取れなかったとのこと。前後1日ずつ短縮した日程になってしまっていた。さらに、レストランの予約までは取ってくれないんだって。

 う〜む、使えないなあと思いつつ、ネットで調べてみる。まず飛行機を調べてみると、楽天にてキャセイパシフィック便が希望の日程で押えられた。ぎりぎり3席余っているだけだったけれども、やればできるんじゃん。

 次はレストラン。調べてみると、南イタリアでは超有名なレストランらしく、たぶん値段も相当張るだろうことが分かったのだが、まあ、せっかく行くんだし、ということでネット予約してみた。英語で予約受け付けました、って返信が届いたから、たぶん大丈夫なはず。ついでに宿泊もしよう。2人で宿泊400ユーロ…。食事代は出てないから分からない。

超有名なレストラン

 結局、旅行会社にはローマとナポリのホテルの予約だけ任せた。本当ならば、空港まで迎えに来てくれたり、レストランまで案内してくれるガイドを雇うところなんだろうけれども、かなりお値段も張りそうなので、行き当たりばったりで行ってみる。「地球の歩き方」があれば大丈夫でしょう。イタリア語どころか、英語も話せないんですが。

 実は出国まで1週間を切っていたりして、準備をしなければならないのだけれど、やっぱりクーマックカップのことで頭がいっぱいなので、イタリアそっちのけで間瀬サーキットを思い浮かべて脳内イメージトレーニングに励んでいる僕なのであった。

9月13日

 9月19日(日)は間瀬サーキットにて、クーマック杯Nゼロ耐久レースが開かれます!(応援してね)

9月19日(日)は間瀬サーキットにて、クーマック杯Nゼロ耐久レースが開かれます!

 去年までは年3回シリーズだったのだが、今年はなぜか2回のみ。2回だけ開催でもシリーズ。「2回でシリーズ?」という声が噴出しようがシリーズ(笑)。

 レースレポートを書いていないけれども、完敗したレースのレポートなんてだれも書きたくないよねっ。いや、本当は、書きたかったのだけれども、レース後に保護者が配偶者になったりした変化があったりして、忙しかったのだ。

 富山に飛ばされて異動して、雅久号をとりあえず作って参戦したのが2007年最終戦。2008年シリーズは長岡ロードスター軍団(2台)が参戦していて、タイムで1秒以上速いシビックは置いておき(遅いのになぜかハンデもあったしねー)、ロードスター同士がやりあっていたシーズン。2009年シリーズは、長岡勢が抜けてしまって、当初は激しくモチベーションを失ったけれども、ハンデがなくなったこともあって、シビック勢とやりあうスピードが引き出せるようになって、超強力スペシャル助っ人ドライバーのT氏をチームに引き入れたこともあって、後半は超燃えた。おかげさまで、ロードスターで年間チャンプをもらえました。幸運もあったけれど。

飛ばされて遅いのになぜかハンデもあったしねー超強力スペシャル助っ人ドライバーのT氏

 で、今年のモチベーションの源は、新たにドライバーK氏を迎えたこと。昨年まで同じレースをTORFスターレットで走っていて、1300ccの非力だけれども軽いマシンを操ってロードスターですらぶち抜く腕の持ち主だ。テクニックもさることながら、車載映像などからドライバーの欠点や車の動きを分析する能力はぴかいち。というか、車載映像さえ見ていれば、徹夜で出勤しても平気な感じの、ある意味超人。10歳ぐらい年上だけれど、それを感じさせないエネルギー。そのK氏のノウハウと腕をぱくりまくるのだ。

 で、レース上の目標は、シリーズでぶっちぎりの速さを見せる「スノコKEW μ ADVAN Vtiシビック」とバトルをすることだ。2008年シーズンの最終戦で出現したときには、なんでそんなに速いのか、意味が分からなかったのだが、速いのには裏付けされた腕であったり、何度もサーキットに足を運んだ車づくりがあることが徐々に分かってきて、目標となった。

 第1戦前に名古屋に転勤したハンデはあったけれども、毎週のように富山と間瀬に通ってセッティング&練習に励んだ。万全で臨んだ第1戦だが、結果は全ヒートでスノコシビックの後塵を拝してしまった。こちらのペースに合わせてペースを決める余裕の走りで、リーダーはたぶん居眠りしながら走っていたに違いない(笑)。

 で、人間、同じことを2度続けるのは芸がないわけで、第1戦後に戦闘力の向上に着手した。といっても、エンジンとかには手を付けられないわけで、できることと言えば軽量化。本当に時間をかけて、必要な部品まで外してグラム単位で削っていった。といっても、すでにサーキット走行以外で不要な部品はほとんど外してしまっていたわけで、本当に微妙な差かもしれない。あとは、ラジエーターを交換したりとか、部品をマイナーチェンジ。

 で、8月8日、真夏に始めたシェイクダウン。足回りのセッティングをあれこれ。高い気温もあって、タイムが伸び悩んだものの、とがった方向性にしたら、K氏が目標に近いタイムを出してくれた。

 これが悩みの始まりで、K氏以外の2人(僕とべいべね)のドライバーの腕では、そのとがった特性の車を上手に乗りこなせない。なにせ、ノーマルエンジンなのに、1分12秒台の戦いになってきた。ホームストレートで150キロオーバー、裏ストレートでも150キロぐらい出てしまう(そのスピードでブレーキ遅らせてZコーナーに進入すると臨死体験できるよ笑)。縁石に乗りすぎるだとか、コーナー出口でちょっとカウンターを当てたとか、些細なミスでコンマ3秒とかを失うぐらいシビアな世界になってきた。

僕とべいべねそのスピードでブレーキ遅らせてZコーナーに進入すると臨死体験できるよ笑

 8月28日、9月5日、9月11日とテスト走行をして、出した結論は保守的な方向。予選や第1ヒートを走って、太刀打ちできないようであれば、とがった方向にするという選択肢が増えたことは確か。

 昨日、オイル全交換して足回りのセットをして、タイヤを新品にしてと、レース準備をした。8月8日に新品を入れたネオバは、猛暑の4回の走行であと1割ぐらいしか残ってない。

 時間と金を使ってできるところまではやった。あとは、楽しくレースするだけだ。