7月26日

 「暇だ、何とかしろ!」

と、飲みのおさそいが知人からの電話があった。僕は今日も仕事の片づけがあって不本意ながら出勤していた。ちょうと抜けだし時であったので、良いタイミングであったのだが、あいにくロードスターが路上駐車したままである。お酒を飲んだら、不安な路上駐車を継続し、日曜日の明日にわざわざ車だけ取りに外出することを強制されてしまう。それは、避けたい。

 お酒を飲まないで暇をつぶす。車がネックとなっているのだから、その車でツーリングに出かければよい。「秋みたいに爽やかな空気だから、開幌で走ると気持ちよいよ」ともちかけた。午後7時すぎに誘われて、ツーリングにご招待するのも僕ぐらいしかいないだろう。仕事を切り上げて、エンジンをかけたら、とんでもなくうるさく、乗り心地の悪い、人を乗せることができるような車ではないことを思い出した。

 やばい。車好きでもない人間を、がたぴしゆれて、吸排気音がとってもうるさい車にしばらく乗せたら、怒ってしまうんじゃないかしら。ちと後悔しつつ、仕方がないので待ち合わせ場所の栄に向かう。

 助手席に乗せて、なるべくアクセルを開けないよう、路面のひどい段差はさけるよう、細心の注意を払って走行した。走りながら、行き先を検討する。とりあえず名古屋高速を名古屋西めがけて突っ走る。

 すると、遠くにナガシマスパーランドの花火がきれいに見えた。花火に誘われて東名阪に乗る。ちょうど良い時間に長島を通過し、思いがけず花火を楽しむことができた。なんとなく、奈良へ。

 名阪国道を西へ。天理で下りて、奈良公園へ。暗がりの中、鹿が思い思いに芝生を食べていた。夜はてっきり寝ていると思ったのだが、元気に起きて、えさ食べていた。あまり近づくと、角でざっくりやられそうなので、距離を置いて鹿を観察した。が、深夜の10時すぎだから、神社仏閣はすべて営業終了している。どこへ行く宛もないのでそのまま京都へ。むちゃくちゃだ。

 7月末だとは思えないほど、冷え込んで、薄着でオープンだと少し寒い。ヒーターをがんがんかけて走った。京都に到着したって、どこに行く宛もない。なんとなく嵐山に到着したら、渡月橋の回りはアベック(死語か?)ばかりであった。別にすることもないから、そのまま立ち去って、柄の悪い繁華街の渋滞にはまりつつ、国道1号から大津へ。

 琵琶湖の湖岸道路をひたすら北上。昼ならば、左手に湖面が広がっていて爽快かもしれないが、夜は真っ暗な水面に街の光が反射するだけで不気味なだけであった。

 米原から高速。名古屋に戻る。すでに時間は午前4時。

 アクセルをほとんど開けずに、2、3000回転ぐらいでずっと走行していたから、すこぶる燃費が良かった。メーター読み389.4kmで30リットル給油。僕のクルマはファイナルが4.1でメーターが5%狂っているから、だいたい409kmで30Lの給油。ということは、燃費は13.6km/Lである。踏まなきゃどんなクルマも燃費が良い。

7月25日

 名古屋コーチンを喰らった。

 地鶏の中では秋田の比内鶏、鹿児島の薩摩鶏と並び、日本の3大地鶏とされている。いわば、地鶏の元祖であり、最近の地鶏ブームでさまざまな地方から新たな地鶏が生まれつつあるが、それは新しくつくったものであって、ルーツではないのである。

 名古屋コーチンは特に認定条件が厳しい。100%純系の血統でないと名古屋コーチンとは銘打てない。多くの地鶏は生産性の問題からブロイラーとの50%の合いの子だったりする。さらに、愛知県畜産総合センター種鶏場から供給された種鶏を、名古屋周辺地域で生産しないと商標が使えない。センターは愛知県内しか種鶏を供給しないので、名古屋コーチンと銘打って販売されていれば(本物なら)本当に名古屋周辺で生産されたものなのである。もっとも名古屋での生産よりも、尾張地方と三河地方での生産が多いのだが。

 明治時代に尾張藩の元藩士が「武士の商法」の一環として手がけて、もともといた鶏と、中国の鶏を掛け合わせてつくったのだという。昭和30年ごろまでは、今の岩倉市を中心に、どこの農家も副業でコーチンを飼育していたのだが、欧米から肉用としてブロイラー、卵用として白色レグホンが輸入されて、大きくなるまでが短いので一気に養鶏場を席巻、一時は名古屋コーチンもいなくなる危機に瀕したのである。

 けれども数年後には「ブロイラーではかしわの味が違う。コーチンの方がこくがある」と、良さが再認識され、再びコーチンの肉の需要が高まったのだが、さて、県の試験場に300羽ほどしか残っていない。しかも、当時のコーチンは卵を多く産むように改良されいたから、ブロイラーなんかに比べると体が小さい。こまった、ということであちこち探していたら、富山県に残っていたのだという。かけ合わせて、今のコーチンが復活した。ブロイラーが50、60日で出荷されるのに対し、コーチンは150日ぐらいかかるのだから、それだけコストがかかっている。儲けようと思ったら、つくることができない鶏だという。

 そんな地鶏をたらふく食らったのである。刺し身に串焼きに、この地方では「ひきづり」と呼ばれるすき焼きで。

 刺し身は、鶏肉を食べているという感じが本当にしなかった。高級なお魚の刺し身を楽しんでいる感じ。串も、皮がたいそう脂っこい外見なのだが、いざ口にしてみると、意外とあっさりしていてうまい。

 牛のすき焼きであれば、肉をちょちょいと食べるともうお腹がいっぱいになるのだが、コーチンは大量に肉を喰らってもお腹にもたれない。しょう油と砂糖だけで薄味なのだが、肉の味だけでどんどん食べられる。素晴らしいのが肉から出たスープで、脂でぎらぎら光っているのだが、あっさり。白菜やらネギやらが季節はずれの野菜であるのが残念だったが、エキスをたっぷり吸い込んで、玉ネギの甘味、ゴボウの風味にコーチンのこくがミックスされた絶妙な味であった。

 やっぱり、本当にうまい鍋は野菜が主役になるのである。イノシシ鍋然り、キノコ鍋然り。

7月23日

 ばっきばきに肩を凝って目が覚めた。さすがに、300キロ以上のツーリングの翌日に北九州まで往復したのだから、ちと疲れが出たのだろう。

 疲れていようが問答無用で出勤しなければならないこともあるのが、しがないサラリーマンの悲しいところで、10時に東海市の某所にたどり着く。2時間ほど居眠りして、仕事場へ。疲れから仕事もはかどらず、零時前に帰宅。

 明日は5時半に起きなければならない。はあ。

7月22日

 昨日の人から見たらハードなツーリング後にもかかわらず、今日は北九州に行かねばならなかった。しかも、明日は午前中には東海市に行かねばならないので、とんぼ返りしなくてはならなかった。

 のぞみで名古屋から小倉まで3時間ぐらい。往復で8時間ぐらいか。ロードスターで佐久から6時間かけて走って帰ってくることを考えたら、車中でほかごとをやっていればよいのだから、なんて事はなかった。

7月21日

 松本のいつものショットバーでいつの間にか酔いつぶれていた。飲みまくってふらふらの状態で寺からタクシーで移動して駅隣のホテルにチェックインし、再び抜け出してショットバーにいってしまった。マスター曰く「来たときからかなり酔っていたのに無茶しすぎ」。回りを見回すと、すでにだれもいない。隣に化け猫が座っていなかったのが残念であるが、松本にいた当時は毎週そうだったように酔いつぶれてしまったらしい。朝、待ち合わせをしているのに、これでは睡眠不足確定である。

 ふらふらとホテルの部屋に戻り、意識を失う。朝、問答無用で携帯電話が僕の意識を覚醒させる。「はい、起きま〜っしゅ」と答えて、そのまま寝てしまい、1時間後にはっと目を覚まして慌ててチェックアウトして、待ち合わせ場所にした松本時代のホームコースに向かう。すでに、埼玉の某氏は到着していた。

 美鈴湖を中心とした林道と市道をなんども往復しながら、走りについてあれこれやりとりする。2時間半ばかりぐるぐると同じ場所を行ったり来たりしていたから、釣りに来ていた人たちは、さぞかし不審だったに違いない。

 朝は雨模様だったのが、晴れてきたのでツーリングに行くことにする。国道143号を上田へ。丸子に抜けて、千曲ビューライン。東信地方は梅雨空の合間に青空がのぞき、直射日光が差す様子はもう盛夏であった。かなり厳しい日差しだったのだが、開幌を貫き通す。御牧原の台地の畑には、トウモロコシが実って夏を実感させる。日差しは強いが吹き抜ける風はさわやか。信州って素晴らしい。

 佐久で分かれて、帰路に就く。どこから帰ろうか悩んでいたら「麦草を通れば?」と言われた。八千穂村と茅野市を結ぶのが麦草峠なのだが、標高2100メートルである。通常は観光で通る道であり、普通の人間なら帰宅途中にそんな峠道を通ることはない。

 疲れることは分かり切っていたが、次にいつ走れるかも分からない。3連休の最後の日で茅野側が込んでいることが予想されたが、誘惑に負けて麦草を選択する。

 ところが、貸し切り状態であった。午後3時すぎなので、観光客はほとんど下山してしまったらしい。新エンジンの強力なトルクで急斜面でもぐいぐいと加速し、転がり落ちるように茅野に至る。途中、ブレーキがフェード気味になったが、しばらく冷やしたらまた聞くようになった。どうも外気圧補正がまだうまく動いていないようで、回転数と負荷によってはいまいちな領域もあったのだが、おおきな問題になるほどではなかった。

 茅野から国道152号で高遠。長谷村から駒ヶ根。天竜川の東側の車1台通るのがやっとで対向車もいないマイナーな県道を駆け抜けて飯田へ。飯田からはさすがに高速を使った。が、多治見まで2500円もかかるのが納得できない。恵那山トンネルが高すぎるのかしら。

 午後3時に佐久を出て、途中本屋で30分ぐらいつぶして家に到着したのが午後9時前。距離感が麻痺してしまっているから、それほど大変でもなかった。

7月20日

 なぜか朝6時に目が覚めてしまった。昨夜はホールで麻雀セットが引っ張り出されてきて、メンツに巻き込まれたらまずい、とトイレへ行くふりをしてそろりと抜けだし、自分の部屋の布団の上に倒れ込んだのである。時間は覚えていないが、けっこう早い時間に寝たんだろう。

 車雑誌を読んだりしながら時間をつぶし、ころあいを見てホールに顔を出す。すかさずコーヒーがでてくるのがうれしい。踊り場湿原を見渡すと、薄日が差すぐらいの天気であった。予報では、この三連休は雨模様だったのだが、梅雨の時期の予報はあてにならない。

 某氏が起き出してきたので、朝飯を喰らって白樺湖畔にある別荘に向かう。上り側の車線では、すでにあちこちからやってきた観光客の車がずらりと並んでいた。高原なのに排ガスを垂れ流すのはひどいな、と思ったのだが、自分の車だって騒音&排ガス垂れ流しのエゴエゴカーなのだから、人のことは言えない。

 別荘は林の中にあって薄暗くてじめじめしているのがいまいちだが、ちょこっと手を入れてやれば良い具合の宴会場所になりそうな場所であった。こんなところが使えるなんてうらやましい。ちょいとメンテナンスをして宿に戻る。ビーナスラインは渋滞しているから、一度下山して別ルートで上った。

 ビーナスラインは八島湿原でひどい渋滞になって車が進まないことは分かり切っていることだったので、諏訪側に下りて、高速で塩尻北まで。ディーラーに寄って、最近なにも買っていないのに、アイスコーヒーをがぶ飲みして、しゃべっていた。迷惑な客だ。

 泊まるホテルに車を置いて、バスで浅間温泉のある寺へ。小難しい話を聞き、夜は寺で大量のお酒を飲んでへべれけに酔っぱらった。

7月19日

 長野での仕事ができたので、ついでに翌日に松本で仕事することにして、この3連休を遊び通すことにした。都合の良いことに、東京の某氏がこの3連休を霧ヶ峰ですごす、ということだったので、その宿に潜り込むことに。19日に霧ヶ峰泊、20日には松本のいつものショットバーで飲み明かし、21日は信州変態ツーリングに出る、という遊び三昧の日々なのに、会社から見たら連休中2日間も労働している優秀社員ぶり! 今月だってまだ1日しか休みを取っていないことになっているのだが、大阪で遊んできたり、ビートルズバンドのライブに行ったりと、これでもかというぐらい遊んでいる。あ、それでも連休があけたら、北九州に行ってとんぼ返りしなくちゃならない。

 朝7時にロードスターで出発する。会社からは電車賃しか出ないので、高速を使って長野に行ってしまっては、大変な赤字である。だから、中津川から松本までは国道19号の下道を走ることにした。3時間半で松本に到着。時間がなかったので豊科から高速に乗って長野へ。ついに幌に穴が開いてしまったので心配していた雨もほとんど降らなかった。

 オリンピック施設であるビックハットでは信州環境フェアがやっていた。環境に優しいエコエコ技術を展示している場所に、触媒は付いているけれど生ガスを少し多めに吐き出して環境にはちょっと優しくないエゴエゴな車を乗りつけてしまった。フェア自体には用はなかったのだが。

 仕事を終え、国道18号で上田に至り、立科町を抜けて白樺高原。ビーナスラインで霧ヶ峰。車山ゲレンデから上はすっかり霧で覆われていた。

 東京の某氏とともに、踊り場湿原をぐるりと一周。その後、ビール、ワイン、焼酎を飲み明かし、いつしか意識不明に。

7月18日

 「やってられねえよ。こんなに働いて売り上げを上げているのに、査定で2番だぜ? なさけねえことに2番だ。どれだけ査定で金額差が出ているかって聞いてみたら、俺の3分の1しか売り上げていない奴と10万しか違わないの。これじゃあさあ、何のために身を粉にして一生懸命働いているのか、分からなくなるよなあ。俺の弟が大学で教えているんだけどさ、こうやって言うのさ。いくらがんばり通しても、金額はそんなに大きな差になる訳じゃない。一生懸命働くことも大切だが、人生やりたいことをやって楽しくすごすことも大切だって。そうだよなあ。10万だものなあ。年に2回で20万として月に1万5000円ちょっとの差だよ。もうちょっと自分のために時間を使わないと損だよなあ。昔はA級ライセンスとってリッター100馬力を目指して組んだエンジンを積んだサニーで鈴鹿のコーナーで横転していたんだけどな。あなたも、やりたいことやっておかないと、人生あっという間よ。俺だって楽しかった学生時代がもう20年以上前だし、息子が今、その年代だ。いつ女を連れ込んできたって不思議じゃないんだよ。遊ばないといけねえ。もっとも、9時に来て5時に帰るようなやつは、プライベートを充実させることもできないだろうけどな」

 「ボーナス出たんでしょ。おごってちょ」と市場の顔なじみのおっちゃんに話しかけたら、「ま、そこに座れ」。100倍言葉が返ってきて面食らった。

7月17日

 「おい、うなぎを喰いに行くぞ」

と、職場の上司に誘われた。午後1時までぜったい席を離れることができない、仕事があり、午後3時からは東海市で仕事がある。そのきわどい時間帯にウナギを喰らうというのは、なかなかヘビーなスケジュールなのだが、富山のサーキットがホームコースであって、大阪や新潟ぐらいなら隣町ぐらいの勢いの僕のことだから、ちょちょいと時間を計算して十分、間に合うので昼メシをうなぎに決める。

 さて、ウナギ屋がどこにあるのか。最近は、ネットでいろいろな情報を取れるようにはなっているが、うまくて、今日すいている店などという便利なキーワードでは検索はできない。

 錦1丁目にあるウナギ屋を検索で探し、電話をかけたら「すいています」とのこと。さっそく職場場の4人で繰り出して、店に到着したら、錦橋のたもと、ヘルスが並ぶへんてこな場所の汚い店だった。食べてスタミナを付けてから、という合理的な考えなのかも知れない。

 ひつまぶしを茶碗によそってダシをぶっかけて食べる。時間がないのだから、かっ込んでごちそうさま。柳橋市場の中を通って名古屋駅に至り、名鉄に乗って向かったのは新日鉄名古屋工場である。

 でかい。製鉄所自体が一つの街だ。工場の中に、街中と同じ信号が設置されている。巨大なダンプカーが行き交い、煤煙のためか、路肩に植えてある木の葉や茶色く変色していた。タクシーの運転手曰く「端から端まで乗ると、メーターが2000円を超えますよ」。巨大な工場の巨大な溶鉱炉に圧延機で、ばかでかい鋼板をつくって、それがトヨタ自動車などに供給されているのだから、まさしく20世紀を象徴する場所であった。

7月16日

 ある仕事があったのを忘れていて、慌てて調べてみたら、今日の夜、神戸のポートアイランドに行く羽目になった。六甲山にこの日曜日に訪れたばかりであり、一週間前にも武庫川に行ったのだから、最近、兵庫に縁が深い。

 ちょこまかとやらねばならぬことを片づけて、2時ごろ仕事場を出て、新幹線で新神戸へ。地下鉄、ポートライナーと乗り継ぎ、仕事をする。午後6時からの仕事だと思っていったら、午後5時からだった。かなり余裕を持って行ったから良かったものの、せっかく神戸に行ったのに、無駄足になるところであった。

 ここでJornadaが活躍。録音に使った。本体のマイクで拾ったのでちょいと不安だったが、きちんと使える。さすがに512MB積んでいると、数時間は楽々録音できるみたい。

 夜遅くなると帰れないだろうと思っていた。今日は京都で祇園祭だし、もし宿が取れたら京都で一泊していこうかしら、と思ったのだが、さすがに1時間早くなったのだから、余裕で帰宅できる時間。新神戸から名古屋にとんぼ返りした。新幹線の新神戸駅は山の麓にある、というか、山に食い込んでいるのだが、ヒグラシの声がしていた。

 もう、真夏に近いのだが、この涼しさは何だろう。