3月18日

 朝から軽自動車で出勤。とりあえず、ガソリンを給油する。ガソリンスタンドに車列があるわけでもなく、給油量を制限されるわけでもなく、至って平穏だ。満タン給油をした。

 コンビニでは、唯一、単一と単二の乾電池が売り切れているだけで、カップ麺も弁当も総菜も、普通に並んでいる。入荷不足を告げる張り紙や募金を呼び掛けるアナウンスがあって、中部地方でも地震の影響があるんだな、と分かるぐらい。近くのスーパーに出かけると、カップ麺や水の販売個数を制限するとする張り紙が。おかげで、棚が空っぽになることはなく、至って平穏。物があふれていて、いいのだろうかと思う。

 車用品屋さんの「ジェームス」へ。携帯充電関連の機器やDC-ACインバーターも普通に在庫。お隣のイオンに行くと、スーパー部分で米が売り切れ。水の棚も在庫は少なめだったがまだ買えそうな雰囲気。おむつを大量買いしている女性がいたが、メモを手にしていたので、ママ友から頼まれてまとめ買いしているんだろう。

 レトルトカレーが人気で棚がけっこう空いていた。原発災害が続いているからか、とろろ昆布や韓国海苔が売り切れていた。

 電化製品コーナーでは節電のため、テレビが消されていた。夜は看板の電気を落としているところも。が、60Hz地域は電気が足りているので、本来、節電に意味はない。節電は悪いことじゃないけれども、「節電で浮いた電気代分を義援金として被災地へ送ります」ぐらいのことをしないと、ただのパフォーマンスだし、どさくさに紛れてコストカットをしているだけになってしまう。

 水曜日に神戸へ行った。まったくもって日常の風景だった。ただ、新幹線はビジネスマンよりも家族連れ、特に子ども連れが多く、家族を迎えに来ていたおじいさん、おばあさんの姿も。たぶん、関東方面から親戚を頼って関西方面へ行く人たちだと思う。

 余震が広い範囲で頻発していたり、別の場所で地震が起こったり。さらに原子力災害なんて正しく理解できる人の方が少ないに違いないので、こんな反応も仕方がないかもしれない。

 トヨタや関連会社の工場は止まっているみたいだし、外食屋さんに行くとやっぱり客が減っているといって嘆いていた。けれども、少なくとも60Hz地域では生活に大きな支障が出ていないことは確か。

 日常生活が送れる地域で「自粛」を強調しすぎると、経済活動が縮小してしまう。被災地のために何ができるかを常に考えつつ、復興のエンジンとして普通の暮らしを続けていこうと心に誓う。

3月11日

 同じフロアーにテレビが数十台ある感じの仕事場。だいたいはNHKが流れていて、午後3時前に、緊急地震速報が流れる。あわてて多くの人がテレビの前に集まる。東北地方で強い揺れとの情報。NHKでは国会中継が流れていて、そのうちに、国会議員たちが上を見上げ出す。「ああ、東京も揺れているんだ」と眺めているうちに、足下がゆらゆらっと揺れ出した。

 東北の地震で、名古屋も揺れるのかよ!と驚く。そんなにきつい揺れではないのだけれども、船に乗っているようなゆらりゆらりとした揺れが、とにかく長く続いた。これはただことじゃない、とテレビを見ているうち、津波の映像が流れ出す。茶色い濁流が生き物のように広がっていく姿は、映画のようだったけれども、現実の映像で、しかもあの中に多くの人がのみ込まれているのかもしれない、と思うと目を背けたくなった。

 何もできないもどかしさを感じながら、みなさんの無事を祈る。

3月9日

 フェースブックに下記の投稿をした。言いたいのは「遠慮せずに↑の広告をクリックしてくださいね(はあと)」ということだ(笑)。

 2011年2月28日 振込1 グ−グルインク 10,476円

 匿名で10年前からやっている某クルマ馬鹿サイトにGoogleの広告を張ってみたのが1年半前。特段、「クリックしてください」とはアピールしなかったけれども、ちょこっとずつクリックされて得た広告料が積み上がっていき、支払いの区切りになる1万円に到達。先日、振り込まれていた。

 張り付けた当初は物珍しさから、一気に1000円分ぐらいのクリックがあったけれども、その後は1週間に数十円程度積み上がっていくペースだった。クリックするようアピールをしなかったし、クルマ趣味サイトという特殊な内容なので、表示される広告のバリエーションが少なかったことも伸び悩んだ原因の一つだと思う。とはいえ、僕のサイトはこのネット時代、半年で3000円余りを稼げるんだということは分かった。最近は放置気味なので、やり方さえ工夫すれば、半年で1万円ぐらい稼げそうな感触だ。

 htmlにタグを埋め込んだだけで、1万円ももらえたのだから感謝、という思いと、せっかく無料で情報を発信している自己満足感を崩してまで広告を張ってあげたのに、それっぽっちかという思いと半々ぐらい。ちなみに、この間に10万アクセスぐらいだったから、10万アクセスごとに1万円支払われるというのが、ざっくりとした計算だ。

 片手間でやっているサイトで稼げるのは「これっぽっち」だ。本気でネットだけで食っていこうと思ったら、1カ月に300万とか400万アクセスを集める記事をがんがん書けば何とかなるかもしれない。アフィリエイトやらも取り入れて、ものが売れたらいくら入る、みたいな広告をごてごて張るともう少し稼げるのかも。

 純粋に自分でhtmlエディタで構成したサイトだからこうやって自由に広告を張ることができるのであって、注目が集まりやすいブログサイトで記事を書いていたら、記事から生まれる果実はすべてサイトに持って行かれてしまうことになる。ネットの片隅で勝手にやっているサイトで月300万アクセスとかは「途方もない」数字で、たぶん、テレビなんかを通じて有名にならない限りは到達できない。ネットで食うということは、つまりそういうことだ。

3月2日

 2月17日をもって、実はこのサイト「ガレージ雅」を立ち上げて10年が経過した。

 10年ですよ! 今から10歳も若かったんだと、そんなときから素人で何も知らなかったくせに本気で車いじりを始めてしまっていたんだと、改めて自分は「馬鹿だなあ」としみじみ感じる今日この頃。

 1997年にH4年Vスペシャル(3万キロ走行)を購入し、事故車も含めてあと3台のロードスターを購入(3台中2台は運転していないw)して、20数万キロを走ったけれど、いい車に出会ってよかったなあ、というのが感想。普通に生活していたら、絶対できなかったであろう経験もできたし、絶対に出会うことのなかったたくさんの人に出会うことができた。

 このホームページが縁になって、富山とのつながりができたけれども、まさか自分が富山に異動になるとは想像だにしなかった。富山生まれの配偶者もロードスターつながりから知り合ったわけで、まさに人生が変わっちゃったわけだ。そういう意味では、ネット時代の象徴というか、可能性を体をもって体験した感じ。まあ、稼業はネット時代に一番やられてしまっている業界なわけで、そう考えるとかなり微妙な立場だなあ。

 ホームページデザインは、10年前からほとんど変えていない。当時まだ普及したてのスタイルシートを使って、リンクなのに下線が表示されないようにしたりとか、工夫をした覚えはある。たぶん、最新の技術を使うともっとスタイリッシュになるとは思うのだけれども、1度作った「型」を続ける価値というか、継続の大切さを重視した。

 当時はホームページを作るしか情報発信の手段がなかったけれども、mixiやみんカラが出てきて、明らかにネット上の注目が移り変わっていった。でも、やはり流行があって、たぶん、今は注目を集めているそんなサイトからも注目が移り変わって行くであろう。

 でもね、ネット世界がどう変わろうとも、自分のハードディスクに記録してあるデータをネットに上げるというスタンスは変えないでおこうと思っている今日この頃。

2月20日

Photo by ロンリーマン

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 カニパーティーやるよ、というお知らせを見て、今年初めておおとろ亭に出かける。積もっている雪を見て「今年ってそんなに雪降っていないねえ」と冗談を言ったら本気で怒られた。

 カニパーティーよりも、とりあえず、今年の活動について考えをまとめようと雅号で出かけた。雅号はこのサイトにも書いている97年から乗っているロードスター。もう1つが耐久レースを走った雅久号ね。

 レースに出るには金と時間がかかる。出たことで得られるものとのバランスはどうか。集まった人といろいろ話をしたけれども結論は出なかった。

 間瀬以外で走ってみて、ロードスターの中でどれくらいのポジションにあるのか、知りたいという欲求がある。間瀬でやり残したことをやり尽くしてみたいという気持ちもある。とりあえず、2月25日をもって車検が切れる雅号はTORFに残して(いつもお世話になっています!)富山駅から東京出張に出かけた。とりあえず、乗れるロードスターは雅久号1台になった。

 なかなか難しい命題。大人がやる遊びだから、正解はないし、自分がどう納得するかって話なんだけれどもね。

2月17日

 亡くなる方向が確実だったクーマック耐久が突然、今年もやることになったそうだ。ロードスターでも戦える絶妙なレギュレーションがあったから参戦していたわけで、別の枠組みの耐久レースになるなら、まったく興味はなかった。だから、今年は間瀬で走るとは思っていなかった。それなのに、今シーズンは3戦。どうせなら、2010年シリーズの3戦目を開催してもらえれば、一生懸命戦って白黒付けられたのに。ま、分はこちらの方が悪かったんだろうけれども、何となく引っかかりを感じながら両方とも1位!と言っているよりは、精一杯戦って2位の方が気持ちが良い。

 突然、やる、と言われても、車につぎ込んでいたモチベーションと時間を、だいぶ仕事の方に振っていただけに、なんだか不意打ちを食らった感じ。「本当にやるのー?」みたいな。

 しかも、最強ライバルシビックチームが2台で参戦してくる、という情報も。丸3年、耐久に使ってきた雅久号のエンジンをオーバーホールするとして、だいたい見込めるタイムって読める。エンジンだけの伸びしろはコンマ5秒以内だ(笑)。あとはセッティングでもう少し伸ばせるかもしれないけれども、この2年間、ライバルのエラーを拾って勝ってきただけに、2位はなんとか取れても1位を取れる気はしないなあ。

 今の枠組みでやれることが見えているだけに、やっぱり「本当にやるのー?」って感じのモチベーション。デフだけ入れて、鈴鹿とか別のサーキットでも攻めて遊ぼうかと考えていただけに、また同じコースをぐるぐるするのは「いまさら感」が強い。1時間のスプリントレース3本を走るレースだから、コストもそれなりにかかるからなおさら。

 富山に行って、カニでも食べながら考えることにしよう。

2月15日

 お昼から新幹線に乗って東京へ。新宿へ行き、先日歩いて探し回った怪しい会社へ行く。法務局で登記が取れなかったのだが、カタカナではなくてローマ字で登記していたから出てこなかったというお粗末な顛末。再び新宿区富久町某所へ出かける。先日、歩き回ったから地図を見なくてもたどり着くことができた。案の定、表札には怪しい会社の名前なんて書いていなくて、大家さんに聞いてみると、代表取締役の名で3階の部屋を貸しているらしい。おそるおそるその部屋の呼び鈴を鳴らしたのだけれども返事はない。登記を取るためだけに借りている部屋なのだろうか。

 午後5時から国会議事堂方面で仕事だったので、地下鉄の駅に向けて歩き出す。東京だからそのうち地下鉄の駅があるに違いない、とずかずか歩き出したのだが、なかなかなくて、中央線にさしかかってしまった。いつの間にか、丸の内線をまたいでしまっていたらしい。信濃町駅にたどり着いたが、JRに乗って地下鉄に乗り換えるとお金がかかるなあ、と思ってスルー。赤坂御用地と神宮球場の間を歩いて、青山一丁目へ。もうここまで歩いたら、永田町はもう少し、と思い青山通りをずかずか歩き出した。赤坂の丘の上に向かって、高そうなお店が立ち並ぶ円通寺坂から山王日枝神社方面へ。ここら辺は溜池山王の名の通り、昔ため池だったみたいで、永田町方面へ結構な坂を上らねばならない。

 国会議事堂横の建物で2時間ほどで用事を済ませて、やっぱり歩き出した。外堀通りを虎ノ門方面へ歩き、西新橋方面へ折れて、お腹がすいたからつけ麺屋を探して、三田製麺所に入る。固めの太麺に濃厚なつけ汁。王道を行く感じだった。

 新橋駅から京浜東北線で品川へ行き、新幹線で名古屋へ。8時前まで新橋で過ごしていて、10時すぎには名古屋に到着してしまう。

2月13日

 なかなか日記更新をしないのは、仕事が立て込んでいるから。仕事でも文章を書いているので、休息の時間にまたぱちぱち打つ気力がなかなかわかないの。

 12月の割れた右側の親知らず抜歯に続き、左側の親知らずも抜歯した。1月29日のことだ。

 僕の親知らずは、斜めに生えるタイプだったらしい。人によっては水平方向に生えるタイプもあるみたい。12月の割れた親知らずの抜歯では、割れたのがちょうど下側だったので、斜めに生えていても隣の歯が干渉することもなく、すんなり抜くことができた。ちなみに、抜歯はペンチみたいな器具でぎゅっと引っ張ってやるものだと思っていたのだが、歯と歯の間に器具を押し込んで脱臼させて取り除くみたい。引っ張るのではなくて押す感じ。

 で、左側の親知らずは虫歯にはなっていたのだけれども、まだ形がきちんとあるので、隣の歯に干渉してそのまま抜けない。ということで、歯を分割することに。丸のこみたいな形の道具ではなくて、ポート研磨に使う超硬バーの、超細い版みないなダイヤモンドバーでカットするのだ。

 歯医者が気を利かせて、麻酔前に笑気ガスを吸わせてくれた。甘いにおいのするガスで、シューっと吸っているうちに、だんだんと酔っぱらったみたいになってくる。酔っぱらうと、気が大きくなって細かいことが気にならなく、陽気になると思うのだけれども、まったく同じ感じ。ガスを吸い続けて、なんとなくくらくらするって感じになってくると、何となく陽気で可笑しくなってくる。これから始まる悲劇的な場面を前に、ふふふ、とにやけているのはだいぶ不思議な光景ではある。「はい、効きましたね」と歯医者さんが、すかさずぶすっと麻酔を注射する。痛くないわけじゃないけれども、あまり気にならない、みたいな。ガスが止まるとあっという間にさめるのも新鮮。

 右側みたいにすんなりと抜いてくれるものと期待していたのだが、どうも様子が違う。2分割にして取り除いて終了、ではなく、分割してまた分割してさらに分割、みたいな感じ。どうも、歯根が3つ又になっていて、クレーンゲームのクレーンのようにぎゅっと握った感じになっていたので、苦労したみたい。まな板の上のコイ状態のまま、脳みそに近い場所で、がんがんと切削する振動が伝わるので、けっこう怖い。麻酔の時間を除いて30分ぐらいかかって取り除かれた歯は、ばらばらになっていた。

 それでも、普通の歯科なら歯茎を切開して取り除くと思うのだが、頭が少しだけ出ていたぐらいの歯を、カットするだけで取っちゃったのだから、手品みたいだった。かなり腕が良い歯医者で幸運だった。

 で、右側と同じように今回もそれほど後を引くこともないのかな、と楽観的に考えていたのだが、ちょっと違った。土曜日に抜いて、日曜日の休みを1日置いて、月曜日から仕事、と思っていたのだが、抜いた場所が腫れて熱っぽくて風邪を引いたときみたいに体調が悪い感じでなかなか仕事に集中できない。火曜日も、力が入らない感じ。水曜、木曜は痛みで仕事に集中できない感じ。金曜日も痛みが気になる、みたいな感じ。どうも、親知らずが押していた隣の歯も、圧力から解放されてかなり自由を謳歌していたみたいで、歯の根っこの部分がけっこう痛んだ。早めにロキソニンを飲んでしのぐ。

 おまけに困ったのが、口が開かないのだ。人差し指の先しか入らないぐらい口が開かないから、ご飯がいつものように食べられない。朝ご飯なんて、いつもはご飯におかずを載せてかき込む感じなのだが、口が開かないから少しずつしか食べられない。少量を素早く運ぶピッチ走法みたいな食べ方でしのぐしかなかった。食べた後は、傷口をぐりぐり動かした形になるので、抜いたところが腫れて痛くなって憂鬱になる感じ。

 1週間たった土曜日も痛みはあったのだけれども、だいぶ楽になった。そして、半月以上たった今は口は指2本分開くようになったけれども、まだ完調じゃない感じ。でもだいぶ、日常生活に戻った感じ。

 だいぶ、口内環境改善は進んでいるのだが、まだ道半ばで治療が一段落するまでにはまだまだ時間がかかりそうなのだ。

2月6日

 金曜日。六本木ヒルズで午前中にお仕事だったので、朝イチで新幹線に乗る。品川で山手線に乗り換えて、恵比寿から六本木。30分ぐらい余裕を見て出発したら、本当に30分前に到着するすごさ。

 六本木ヒルズのオフィス棟のインテリジェントな感じが肌に合わない。あるネット企業のロビーは東京には贅沢なぐらいのだだっ広い真っ白なスペースに、白いソファがいくつか置いてあるだけで、大きな画面で幾何学模様がうねうねと動いている、20年ぐらい前の近未来な感じのデザインだった。会議室に通されて、1時間ぐらいお仕事をして終了。

 午後は、消費者被害の片棒を担いだ得体の知れない会社について、実態があるかどうかの調査。新宿区の大久保駅近くにある法務局出張所に出かけて会社の登記簿を取って見るも「不存在」だと。頭に来たので、住所地をくまなく歩いて探してみることに。新宿区富久町にあると、得たいの知れない会社の得たいの知れない人が話していたので、富久町をぐるぐる歩くのだ。

 翌日も東京でお仕事なので、この日は宿泊が決まっていた。午後いっぱい時間があるので、大久保から歩いて富久町へ行く。携帯でナビさせたら3キロ弱だった。新大久保方面へ行き、韓流で元気な町を見物しながら歩く。妙に活気があって楽しい町だった。

 大久保二丁目で右に曲がって、適当に左に曲がり、東京医大方面へ。お腹が減ったので、「玄古」というお店で玄古つけ麺を食する。普通においしいけれども、普通盛りを頼んだら200グラムとつけ麺にしては少ない感じだったので、大盛りにしておけば良かったと激しく後悔する。

 つけ麺を食べ終わり、いよいよ富久町にさしかかったので、ぐるぐるととにかく歩き回ったけれども、大部分は住宅街。靖国通り沿いにはオフィスビルなんかもあるけれど、目当ての得体の知れない会社の名はどこにもない。2時間ぐらい歩いて、得たいが知れないだけに、やっぱりこの界隈には存在しないんじゃないかという確信を強めて、新宿3丁目方面へ。

 夜は、友人Kとその仲間と飲もうという話になっていたので、新宿駅へ行く。ところが、急な仕事が入ったので、どこか落ち着いてパソコンに迎える場所を探さなくてはいけなくなった。駅東のスタバは妙に込んでいたので、駅西に行くとマクドナルドを発見。ホットコーヒーとポテトだけ頼んで3階に行き、パソコンを広げて電話でやりとりしながら2時間ぐらい過ごす。

 友人Kと合流し、友人Kの友人とも合流して、安居酒屋でビールをがぶ飲みする。2次会は友人Kと2人で。都庁横のホテルまで何とか歩いて、ふらふらとベッドに倒れて意識を失う。

 土曜日。午後2時から、神田で仕事だった。チェックアウトは午前11時だったので、ぎりぎりまで粘って仕事をし、午前11時すぎにホテルを出る。

 次の仕事までは3時間。特にすることもないから、せっかく東京に来ているということで、神田まで歩くことにした。

 最初、適当に歩き出したら方向を間違えたらしく、途中で修正しながら歩く、歩く。靖国通りに出て、昨日歩き回った富久町を通り、市ヶ谷の防衛省前を通り、本当ならば九段下を通っていくと近いのだけれども、飯田橋辺りの、中央線が走っている風景が風情があったので、そのまま水道橋方面へ歩く。死亡事故のあった某遊園地の横を通って、ようやく遠回りしていることに気がつき、南へ曲がって白山通り。ここまでで、8キロぐらい歩いたのか。

 すでに目的地は近くなっていて、お昼の込む時間から外れたちょうど良い時間になってきたので、ぱっと目に飛び込んできた大熊製麺に入って、つけ麺を喰らう。出し割りまで頼んで、おいしくいただいた。2日連続つけ麺だが、やっぱりまるかんじゃないと満足できないみたい。

まるかん

 神田周辺を歩いて、仕事場所へ。2時間ほど仕事をして、どうせなら東京駅まで歩いてしまおうということで、大手町辺りを歩いて東京駅へ。

 新宿から東京駅まで歩いたことになるけれども、やっぱり新宿界隈よりも、神田周辺の方が歴史があって趣があって、首都っぽいなと思った次第。スーパー金持ちじゃないとなかなかまともな住宅に住めない地域ではあるけれども。

 新幹線に乗って名古屋へ。歩いて新宿から神田まで行った時間よりも早く名古屋に到着した。

1月31日

 今月もあれこれ追われているうちに最終日。なかなか更新する余裕がない。この1月をメモ風に。

1月10日(月)

 高校の先生だったのだけれども、思うところがあって、イチゴ農家に転身した素敵な先輩のところへ行く。「野良仕事で暮らす」決意を込めてのらくら農園と名付けて、今シーズンから生産を開始。これは応援せねばなるまい、とお世話になった人たちにイチゴを送った。「甘くておいしい」と大好評。贈答用なので、巨大。スーパーで並んでいるイチゴは、熟すちょこっと前に収穫するらしい。のらくら農園の贈答用は、畑で熟したイチゴを送るので、また別格のうまさがあるらしい。甘いイチゴを食べたい人はぜひどうぞ。

のらくら農園甘くておいしい

1月11日(火)

 夕方、新幹線にて東京へ。とあるシンポジウムに顔を出して、神田のホテルにて宿泊。おなかが減ったので神田駅周辺をうろつき、つけ麺を喰らう。可もなく不可もなく。

1月12日(水)

 霞ヶ関付近にてお仕事。仕事自体は40分ぐらいで終わって、東京駅から新幹線にて戻る。

1月14日(金)

 柄でもないのだけれど「大勢の前で話してほしい」という無茶振りを昨年春ぐらいから引き受けていて、この日は本番を間近に控えた打ち合わせ。こんな感じでお話をしたいというと、おおむねOKが出た。配偶者も合流して、新栄の富山居酒屋にて、飲む。あまり、富山な感じではなかったが、まあまあおいしい居酒屋であった。

1月15日(土)

 ある会合に顔を出しに大阪・中之島付近へ。夜はその会合の懇親会。2次会で別のグループと合流して3次会まで行ったら、久しぶりに記憶を失った。反省。

1月16日(日)

 午前中、ある会合に顔を出し、昼すぎに新幹線にて名古屋へ戻る。大阪−名古屋間なんてほんの50分程度なのだが、この日は大雪。米原あたりで自動車と同じぐらいの速度で運行したこともあって、2時間もかかった。

 配偶者には新大阪駅にて冷凍明石焼きのおみやげを買っていったのだけれど、名古屋駅で降りたら持っていないことに気づいた。時すでに遅しで、座席に置きっぱなしにしてしまったことに気づいた。明石焼きは不審物として捨てられちゃったんだろう。

1月18日(火)

 来てくれ、と言われたので名鉄にて知多半田。古い町並みが残っていて興味深い地域。

 知多半田とか、太田川とか、名鉄の河和線沿いの駅は地域が抱えてる人口を考えたらあり得ないぐらい寂れた駅前。たぶん、地域が栄えていないということではなくて、駅前の地主だった人たちが裕福で、開発するモチベーションがまったくわかないまま放置した結果だと思う。名鉄の駅ってそういう場所が多い。それこそ、名古屋という都市に30分以内でいけるロケーションなのだから、いくらでも開発余地はあるはずなのだが。

1月20日(木)

 この日が講演の本番だった。半年以上、何を語るかをぶつぶつ考え続け、12月ぐらいからパワーポイントなんぞを初めて使って話を組み立てていた。気合いを入れすぎて内容を盛り込み過ぎて、中盤が走り気味になってしまったが、何とか最低限の仕事はできたかと。話している内容でリアルタイムに聞いている人の反応が分かるので、面白い。「これは話さねば」と思っていた内容はあまり興味を持たれなくて、「客寄せパンダ」みたいな内容はやっぱり食いついてきて一生懸命聞いてもらった、みたいな。

 とにかく、しゃべるっていう技能はけっこう大変で、とても疲れた。

1月21日(金)

 富山から名古屋に異動になった同業他社の人たちの間で「富山同人会」みたいな集まりができあがっていて、時々飲んでいたのだけれども、その中心で音頭を取っていた人が東京に異動になってしまったので、この日は送別会。集合が午後9時15分ってところが、この業界の病的なところだ。

 どうせ、9時15分に行ってもだれもいないに違いないので、ゆっくり仕事をして午後10時ぐらいに会場に到着したら、ちょうど半分ぐらい集まっていた感じだった。金山の市民会館前の飲み屋で閉店までいて、2次会へ行って午前2時ぐらいにタクシーで帰った。

1月22日(土)

 東京で12時からお仕事だったので、午前10時前には家を出なくてはならない。2時まで飲んでいたので、二日酔っぱらいで大変だったのだが、なんとか新幹線に乗って、新橋の会場に12時前に到着する。

 そこから、ぶっ通しで6時まで次々変わる報告者のお話を聞き続けていた。夜は懇親会にちょこっと顔を出して、怪しい業者の事務所を突き止めに日本橋茅場町を徘徊し、歩いて日本橋のホテルにたどり着いて意識を失う。

1月23日(日)

 正月に富山が荒れ模様という天気予報だったので、配偶者の親にまだあいさつをしていなかった。さすがに、新年のあいさつをしなくては不義理だろうということで、早朝の東京駅から新幹線に乗り、越後湯沢ではくたかに乗り換えて富山へ。

 元日にあまり雪がなかった越後湯沢は景色が一変して豪雪状態。上越に抜けるまでの間は一面雪景色だった。富山県内に入ると、予想したほどの雪景色でもない。高岡に到着したら、路肩に雪が積もってはいたけれど、想像したほどではなかった。どうやら、この日に晴れて一気に解けたらしい。

 先に富山入りしていた配偶者と合流して、挨拶回りなんぞをして、砺波の飲食店にて両親や祖母としゃぶしゃぶを喰らう。「仲良くなるには鍋が良いよね」という打ち合わせ通り、同じ鍋をつつき回してうち解けることができた(と思う)。

 再び挨拶回りで高岡に戻って、夜に砺波インターから自宅へ。東海北陸道の路面は凍っていなくて快適に走ることができた。夜、一宮のヤマダ電機にて、パソコンを物色。Windowsマシンを探したのだが、マックに激しく惹かれてしまう。

1月24日(月)

 約束があったので、一宮へ。一通りお話を聞いて分かれ、国道22号沿いのPC-DEPOへ行く。とりあえず、Windowsマシンも必要なので、適当に安いものがないかと物色。すると、富士通のFMVが激安な感じだったので、その場でクレジットカードで衝動買いしてしまった。

1月25日(火)

 とりあえずパソコンを買ったら最初にすべきはバックアップでしょう、としこしこDVD-Rを焼き始めるも、失敗しまくる。家にあるいろんなブランドのディスクを試してみても、一律に失敗するので、これはもしかして、DVDディスクドライブの初期不良じゃないかしら、ということで、買ったお店へGO。とりあえず、バックアップディスクの作成をしてみて、不良があるかどうかを確かめてくれるというので、お願いして、向かいにあるユニーにて時間をつぶす。

 1時間ぐらいしたところで「普通に焼けますけれど」と、困った店員さんから電話がかかってきたので「じゃあ、バックアップディスクの作成でお願いします」と作業を依頼した。このお店では5000円でバックアップディスクを作成してくれるサービスがあるのだ。

 同じマシンでお店ではエラーなくDVD-Rが焼けたということは、家に在庫していたDVDがことごとく不良在庫になっていた、ということか。3年ぐらい前に買ったものだけれども、なぜ不良になったのか理由が分からない。保管状況が悪くて、陽にでもあたって壊れたということだろうか。

 ユニーにて仕事をしながらかなり時間をつぶして、ようやく焼き上がったころには夕方になっていた。そこから初めて出社した不良社員だということは内緒にしておく。

1月27日(木)

 夕方から東京へ。弁護士会館にてお話を聞く。なんだか、風邪を引いたみたいで、寒かったので、霞ヶ関から赤坂のホテルまで行くのにタクシーを使う。ビールを大量に飲んで意識を失う。たくさん寝て、風邪を治すのだ。

1月28日(金)

 朝。そこそこ体調が回復していた。溜池山王まで歩いて、お仕事。お昼までいて、原宿まで電車に乗って、神宮前方面をうろうろうしてから、名古屋に戻る。

1月29日(土)

 歯医者。左側の親知らずの抜歯。斜めに生えていて、「そのままじゃ抜けない」と。じゃあどうするかといえば、歯をぶった切るしかない。麻酔をして、のこぎりみたいな道具で親知らずがカットされる。歯を通じて脳みそに伝わる振動はかなりのもの。根っこの形が特殊だったらしく、結局6分割ぐらいされて親知らずが抜歯された。かなり壮絶な感じだったのだけれども、歯茎を切開することはなかったので腕がよい歯医者さんだと感心する。

 家に戻って痛み止めを飲んで、おとなしく寝る。

1月30日(日)

 夜に風博士のライブがあったのだけれども、歯を抜いて熱っぽかったので寝て過ごす。

1月31日(月)

 奥歯を抜いた影響で、病人みたいに力が入らない。仕方がないから出社したけれども生気が抜けた感じで座っていたからあまり仕事にならなかった。