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1月16日

 市場の食堂で食事。天丼を選ぶ。もう一枚食券を追加して、マグロの刺身も食べることにした。食券濫用である。魚屋さんと食べたのだが、魚屋さん、刺身を見て曰く、「プロがこんな刺身を食べるなんて、トホホ」とのことだった。とはいえ、普通の社員食堂と比べたらやっぱり豪華絢爛なメニューには違いない。

 鈴鹿で撮ってきた写真を見せながら、レース話で盛り上がる。鈴鹿まで応援に行くから早くレースしろ、とのことであった。たぶん、4月になる。

 帰り道、本屋に寄ったらロードスター本やらCARBOYやらオートワークスやらが並んでいたのでまとめ買いしてしまった。お金が必要になるのに、本に金をつぎ込む癖は直っていない。買ってろくに読んでいない本がほとんどだったりするのだが。

 土曜は雪が降るとのことだったので、家に帰ってからタイヤをスタッドレスに交換した。

1月15日

 ちょっとした頭痛を感じながら、午前6時に起床。大量に飲んだわりにはあまり二日酔いになっていないところを見ると、最近飲んでいないから肝臓の機能が健全化したのかもしれない。

 ロードスターで市場に向かう。ちょちょいと仕事をして、仕事場に戻って雑務をこなしつつ、用意してあった「Racing雅」をアップロード。決意してからまだ1カ月もたっていないのだが、すでに300万以上振り込んで車も発注してしまったし、今度の日曜日にはAライセンスの講習を受けに兵庫のセントラルサーキットまで行くのだ。立ち止まっている暇はない。

 でも、仕事が忙しかったりする。なんだかんだこなしていたら、あっという間に午後11時。そして、これを書いているのが午前5時。起きてから23時間活動していることになる。早く寝なければ。

1月14日

 新年会の名目で夜、飲みに行った。カニとフグを食べに行ったはずだったのだが、行ったお店はただの今風の居酒屋。カニはロシアから輸入した身がやせたものを薄っぺらく切って七輪で焼いたら、蒸発してしまうような身、ふぐ鍋は、ふぐを食べることすらかなわなかった。フグとカニを食べるといって、今風のお店を選んだのが悪かったかもしれない。やっぱり、古くからある専門店で、飲み代別で一人5000円ぐらい出さないと、うまいものって食べられないんじゃないだろうか。

 ビールを一杯飲んだ。実に半月ぶりのビールだ。その後は熱燗をがぶ飲み。せっかくアルコールを控えていたのに、元の木阿弥になってしまった。

1月13日

 午後に高蔵公園近くの病院で仕事だったので向かう。簡単に仕事を片づけて、大津通り沿いの場所だったので、北に向かって歩き出した。しばらく歩けば、パソコン街、大須がある。

 風が強くてかなり寒かったが、ちょっとペースを上げて歩けばぽかぽかしてくる。しばらく歩くと金山。手羽先が売り物らしい居酒屋「山ちゃん」が何軒もあって閉口する。ここ1年でかなり増えたようだが、そんなに儲かって居るんだろうか。創業者なのだか知らないが、同じ人物のイラストはなかなかうまくできていて、一度見たら忘れないから、まちのあちこちにあると、かえって逆効果だと思うのだが。

 東別院を通り越して、名古屋高速をくぐり、大須へ。パソコンショップに寄って、無線LANのPCカードを購入。3000円弱。安くなったものだ。

1月12日

 朝から鈴鹿サーキットへ。9番ゲートから入場したら、1800円も取られた。入るだけなのに異常に高い。

 知り合いの練習走行だったので、見学に出かけた。フォーミュラEnjoyなのだが、FJ1600やF4、フォーミュラトヨタも一緒に走っていて、メインストレートの壁越しに見ていると、迫力がある。デジカメで走っているところを撮影していたのだが、シャッターを押してからのタイムラグがありすぎて、なかなか難しい。オートフォーカスは殺してマニュアルにしないとまず撮影は不可能だ。ストレートを立ち上がってくる車をファインダーでのぞき、車の動きとともに体を回転させて、勘でシャッターを切って3枚に1枚が成功するぐらい。

 車でサーキット内を移動して、S字や逆バンクあたりにも行く。なにしろ、ここからあと倍以上コースがあるのだから、改めてサーキットの広さを感じる。

1月10日

 新しくWEBページを立ち上げるので、最近は仕事も手に付かず(あ、いつものことか)、もんもんと考え込んでいた。文章だったらいくらでも書けるのだが、デザイン面で苦労する。ずっと公開し続けるものだけあって、少しぐらいは凝ったものにしなければ、という強迫観念があるのだ。何を隠そう、この「ガレージ雅」は、トップページのデザインは始まった当初から変えていない。途中、Freedomを始めたときに一部手直ししたぐらい。あまり、ころころ変えるのが好きじゃない性格なのだ。移り変わっていく興奮より、いつまでも変わらない安心感が好きなのかも知れない。

 で、デザインなのだが、センスがあるわけじゃないから、本当に苦労する。うんうんうなって手直し、手直し。それでも、やっぱり基本になるのはこのサイトだからあまり代わり映えがしないかもしれない。ま、別のページである、ということが瞬時に分かれば良いのだけれど。いや、別ページとはいえ、同一人物がやっているのだから、運営はここと一体となってやることになる。

 新しいテーマで書くのだけれど、気が付いたら、新しいテーマのことにまつわる写真や資料がまったくないことに気が付いた。行き当たりばったりで決断したわけじゃないのだけれど、結果そうなってしまったということは、一度決めたらあとは実現に向けて突っ走ってしまう僕の性格の現れなのかも知れない。

1月9日

 今年に入ってはじめの市場に足を運ぶ。1週間行かなかっただけなのだが、ずいぶん久しぶりな気がする。

 いつも通り仕事を終えて、魚屋さんとともに昼ご飯。市場ビル9階の食堂に行ったのだが、魚屋さんは「こんなものしかないのか」と納得行かない様子。いくら丼が並んでいたりするのだが、食のプロだからやっぱり妥協はできないらしい。外部の人間と食べるのに、下手な物は食べさせられない、ということか。

 で、市場ビルわきにある食堂に入る。正午ということもあって、店内は満員。がやがやがちゃがちゃ騒々しい。「これが市場の食堂。ごめんね」と魚屋さん。上品な育ちじゃないから、まったく問題ない。

 ウナギ丼に刺し身に出汁巻き卵。市場の食堂だけあって、丼にはウナギたっぷり。刺し身はマグロ、イカ、サザエ、赤貝、太刀魚、甘エビ、ホタテ、サーモンなどなど品数がすごい。普通の定食屋なら、マグロにイカ、甘エビ、サーモンぐらいが盛り合わせてあるのが相場だろう。さすが市場。

 ウナギに付いてきた貝汁もうまい。出汁巻きもうまい。魚屋さんとマニアックな話題に興じながら、いつもより多めの昼メシを平らげてしまった。

1月8日

 昼メシを外に食べに行くことになり、栄へと繰り出した。うまいラーメン、ということでラーメン激戦区である本町通りに。白水(しろうず)という店がうまい、と連れて行ってもらったのだが、残念ながら午後2時をすぎており、「準備中」の看板になっていた。

 仕方がないから、超話題店である一風堂へ。あまりにも有名なところは敬遠してなかなかいかないので、話の種には良い機会だ。

 2時すぎにもかかわらず、店内は満員だったので、寒風吹きすさぶ屋外で待つことに。10分ほど待たされてようやく店内に入れてもらい、さらに10分ほど待たされた。店内は、今時のお店らしいデザイン。内装専門のコンサルタントでもいるのだろうけれど、最近のおしゃれ系のお店や居酒屋はみんな似たり寄ったりになってきた。こうなってくると、古い蔵や合掌造りの店は強みを発揮する。

 カウンターに座ってメニューを見る。博多ラーメンといえば、豚骨で白いイメージがあるので、白丸元味を肉入りで注文(800円)。それに100円を足してランチセットとして注文した。机には壺がおいてあって、高菜と辛しもやしと紅ショウガ。さっそくもやしと高菜を小皿に取って食べていたら、ご飯と餃子が出てきて、餃子を1個口に入れたときにはラーメンが出てきた。出てくるのが早いのは良い感じ。餃子は小ぶりで、まあ、普通の味だ。

 さっぱりとした口当たりが自慢のラーメンらしいが、チャーシューを増量してしまったので、2、3枚食べていたら脂がくどくて、ラーメン全体もくどく感じるようになってしまった。失敗したかも。豚骨スープは、まあ普通の味だ。クセになってまたすぐにでも来たい、とまでは思わなかった。行列が出来ていて、数十分まちなら入らないでしょう。

 何となくすごして夜は福井料理の居酒屋へ。3000円で飲み放題食べ放題のお得のお店だった。新年ということで升酒をがぶ飲み。ふと気が付いたのだが、アルコールは元日以来だった。

1月7日

 僕にとってはこれまでの人生最大の買い物をしたのだが、札束にぎるわけでもなく、ちょっとした書類を書いたこととATMの操作で完結してしまったので、別に感動もなく、淡々と終わってしまった。1万円札の束を手渡したのであるなら、緊張したのかも知れないけれど。札束は演出としては面白いが、数えるのがめんどくさい。

1月6日

 なぜか愛知芸術文化センターに用事があったので出かけてきた。伏見方面から徒歩。栄交差点を過ぎると見えてくるのが、「オアシス21」だ。バスターミナルの地上部分を公園にしてあるのだが、訳の分からないオブジェが上に載っかっている。愛知芸術文化センターとドッキングしていて、一体となって栄の街角を箱もの行政の象徴のような一角にしてしまった。

 オアシスというからには潤いを与えてくれる場所をということで作ったはずなのだが、何度見ても人工物ばかりで殺伐としていて、息苦しさを感じる。なぜ、床がガラス張りの空中庭園を造って、水まで流さなければならないのか。なにより、一角が回りの街並みとまったく連続性がない唐突な場所となってしまっている。

 これを作った人間は名古屋の街にまったく愛着なんてなかったに違いない。設計士は自らの職業的野心をそのまま形にし、コンペでこのデザインを選んだ人は、ただ形が面白いから選んだんだろう。地域への誇りだとか、愛情がまったく感じられない。ちゃんちゃらおかしい。

 芸術文化センターの中でそんなことを考えていたら、地震が起きた。