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1月27日

 2月29日の鈴鹿クラブマンレースの第一戦に出るためには、どの日に練習すればよいのか、とあれこれ考えてきた。とりあえず、鈴鹿本コースに出る前に、南コースでまともに走れるよう練習するのが、鈴鹿のオキテらしい。2月上旬には練習を済ませておきたいところなのだが、あいにく鈴鹿サーキットは1月下旬から2月5日までの間、改修工事でお休みなのである。南コースの2月のスケジュールを見てみると、フォーミュラで走れる枠は僕の仕事の都合も考えると19日までない。これはこまった。

 南コースをどれだけ走ったら本コースを走って良いという目安の時間があるらしいのだが、タイムが出ていればこの限りでもないらしい。それでも19日に初走行していたのでは、10日後のレース出場となるため、無謀なことになる。第一戦はあきらめるか。

 簡単に引き下がるのもシャクなので、最後のあがき、2月4日に開かれるオリーブボール走行会に飛び入りで参加することにした。正午から午後1時までの昼休みの時間を開放してもらい、貸し切り状態で走るのだ。まだ車はできていないから、レース屋さんの斡旋でレンタルする。メンテ料もレンタル料も1日単位でかかってくるから、本当なら最低3枠ぐらい走らないと割高になってしまうのだが、時間が迫っているので、仕方がないだろう。

 とりあえず、一から練習が必要なのか、そこそこ走れるのか、乗ってみなければ分からない。

1月26日

 まだ調子が悪かったので、昼過ぎまで家でごろごろすごす。もちろん無断だ。で、仕事場に出ておもむろに仕事に取りかかったのだが、頭痛のためあまりはかどらない。だらだらしているうちに、午後11時。なんのために遅く出たのか分からない一日であった。

1月25日

 鈴鹿が寒かったのがいけないのかもしれない。土曜夜、ご飯を食べに出かけたら、前菜を食べた時点で胃が受け付けなかった。かぜが胃腸に来たらしい。料理店にとっても迷惑をかけて、退散。家に戻って布団に入り、ゲリラ活動と対決する。が、こっちは有効な手段はなにもなく、トイレに駆け込むだけの数時間であった。

 寝てりゃ治ると思って1日ごろごろしていたが、ゲリラ活動自体は収まってきたものの、頭痛が治らない。熱はない。せっかくの休日、ホームページの更新をすることもなく寝てすごしてしまった。 

1月24日

 朝から鈴鹿サーキットへ。鈴鹿サーキットを走るために必要なSMSC会員になるため。簡単な講習を受けて、晴れてライセンス関係がそろった。それにしてもお金がかかる。でも、国内格式のレースであれば、入場料金を取られないとのことなので、なかなか使いではありそうである。

 昼からオリーブボールへ。マキシムOEMのマツダスピードエキマニが割れて、室内が臭かったので修理してもらった。大阪の某氏とともにちゃちゃっと外して溶接してもらう。臭いのが直るぐらいで大した変化はないだろうと高をくくっていたら大きな間違いで、アクセル開き始めに出ていた気持ちが悪いフィールがなくなったばかりか、全域でエンジンがスムーズに回るようになった。上から見たより、裏側の割れ方の方がひどかったから、かなり排気効率に悪影響を与えていたとみられる。これで触媒ごにょごにょと二寸管を付けたら、すげえパワーになりそう。

1月23日

 市場で食券濫用して、ウニ丼を食べた。魚屋さんが奮発して、刺し身をおけてくれた。鮮やかな赤のマグロ中落ち。貧しい気分になる社員食堂しか経験したことがない僕にとっては、市場の昼メシが一番楽しみかもしれない。食券もらってメシを食べたら幸せなのだから、なんて安上がりなんだろう。車遊びって、なんて金がかかるんだろう、という話を魚屋さんとしながらそんなことを思った。

1月22日

 たくさんスケジュールが入っているので、今日は車で動くことにする。本当はマイカー使用は禁止されており、公共交通機関で動かねばならないのだが、仕事をこなさねばならぬので、仕方がない。

 午前5時すぎに家を出て、まずは市場へ。辺りはまだ暗い。-10度を下回る松本にいたから、名古屋の冬なんてへっちゃらだと思っていたのだが、やっぱり氷点下になるとつらい。寒いものは寒いということを実感。市場にて、初物のホタルイカをもらってしまった。

 一度仕事場に寄って仕事をまとめ、次に向かったのは知多半島。爆発事故のあった新日鉄の工場のすぐ近く。なぜか畑に用事があった。伊勢湾の向こう側にある鈴鹿山脈の雪化粧した稜線がくっきりと見えた。寒さを視界でも実感。

 火力発電所やら溶鉱炉やらがある土地だったので、少しは暖かくても良さそうなものなのに、と思ったが、寒風がびゅうびゅう吹きまくってシャレにならないほど寒い。ビニールハウスの中に逃げ込む。

 そして、なぜかこれから旬を迎えるフキを食べ、緑区にて用事があったので、ロードスターで向かう。再び仕事場に戻ってから、すぐにまた出て、今度は砂田橋。名古屋市の隅から隅まで走った気がする。

 夜は、掲示板に書き込みをしてくださった方と、新栄で飲み会。朝せしめたホタルイカを持ち込む。車談義に花が咲いた。

1月20日

 「トレーニングした方が良いよ」とある方からアドバイスされた。それは、十分承知している。鈴鹿南コースをフォーミュラEnjoyで1時間ぶっ通しで走っただけで、体のあちこちがけっこう痛くなった。FJはさらに体に厳しいに決まっているので、ここ数年アルコール漬けで、なまくら〜んになってしまった僕の体だと、やっぱり持ちこたえられないに違いない。

 ところが、仕事もレースもというとなかなか時間がない。ちょっと仕事がたまれば午前様だってあるし、東京に行ったり、あちこち移動すれば家に帰ってからトレーニングやランニングをしよう、という気力すら起こらない。

 だが、やっぱりちょっとは体を鍛えないといけない。だから、日常の中で負荷を掛けることにした。寝不足で体調が悪いときはできないけれど、通勤や移動の時、走るのである。

 身なりはスーツにダッフルコート。黒い革のサラリーマンシューズを履いている。肩にはパソコンが入った重いカバンがかけられている。そんな状態で、だああぁぁぁぁ、と駆けるのである。とにかく、階段があれば駆け上がる。地下鉄の長い階段も一気に。いや、体力がないから、地上近くまで来たら、ぜいぜいいいながら、姿勢だけは走っていても、のろいのだが。新幹線のホームだろうが、エスカレータは使わず駆け上がる。

 仕事をさぼってやる趣味の街歩きも今日からできるだけ駆け足にすることにした。さすがに厚着して革靴だから、本気で走ったら危ないので、できるだけ。インターバルの方が長いかもしれないが、やらないよりはマシだろう。

 夕方、覚王山のふもとで仕事だったので、広小路通りをさっそく走り出した。ポケットに入ったものがちゃりちゃりなり、サラリーマンシューズはぱかぱか音を立てる。覚王山の坂を駆け上がり、頂上の日泰寺参道に至ったら、一休み。再び駆けだして、池下。本の三洋堂があるので、思わず寄って車本をあさってしまった。

 今度は錦通りに移り、だああぁぁぁと走り出す。後ろから異様な物音と気配がするためか、通行人が振り返る。振り返った人のすぐ横をだだだだだ、とすり抜けて走る走る。で、また体力が続かなくて、早足歩きに戻る。今池を越え、千種に至ったら、ちくさ正文館があったので、思わず寄って車本をあさってしまった。

 再び外に出て、駆けだした。いくらインターバルの方が長いとはいえ、厚着をして荷物を抱えたまま走っているので、新栄を越えて、東新町に来たところで、さすがに疲れてきた。思わす、手を上げてタクシーを拾ってしまう。

 乗り込みながら思った。「こんなことしてたら意味ないじゃん」

1月19日

 午後2時から渋谷で仕事だったので、11時24分ののぞみにて東京へ。仕事のスケジュールも立て込んでいる中、土日を使ってAライ講習に行ってしまったので忙しい。新幹線の中でパソコンを広げて、いつもならこの「日常」を書いていたり好きな本を読んでいたりするのだが、やりたくもない仕事をこなした。山手線に乗り換えて、今度は次の仕事のための資料に目を通す。とっても多忙な有能サラリーマンみたいだが、日曜日を派手に遊んだしわ寄せが来ただけなのだから、自分が悪いだけなのである。いや、新幹線の時間を使ってやればいいや、と意識して後回ししたのか。

 仕事を終えて外に出ると、目の前の首都高を、けたたましくサイレン鳴らして走っていく車や、渋谷駅上空を旋回し続けるヘリコプターでなにやら物々しい雰囲気。だが、街を歩く群衆はまったく意に介さずに足早に歩いていく。人当たりして歩きまくって疲れてしまった。

 なぜ疲れるほど歩いたか、といったら、地下鉄・銀座線を探して地下に潜ったら、半蔵門線しかなくて、おかしいなおかしいな、とあちこちうろついていたからである。地上3階に地下鉄があるなんて、教えてもらわなければ分からない。

 丸の内のビルへ行ったり、霞ヶ関のビルへ行ったりして、今は帰りの新幹線の中なのである。

1月18日

 堺の「サポーター」の家に泊めてもらい、午前5時半に起床。Aライセンス講習のため、兵庫のセントラルサーキットへ向かう。この講習会は、午前中はJAF公式のサーキットトライアルで「アリバイ」を作り、午後の実技試験でよっぽど悪いことをしなければ、Aライセンスが受けられるという優れもの。Aライセンスを取るためにはBライセンスを取り、JAFの公式戦で1度は完走しなければならない。あまり時間がない僕にとっては大変ありがたい。

 料金もなかなかお得。が、愛知在住の僕にはちょっと交通費がかかった。Bライセンスを持っていなくても、Aライまで1日で取れてしまうから、レースをやりたい人は要チェックである。

 公式のサーキットトライアルを走る場合、ロードスターだと問題が起こる。オープンカーはロールバーが必要となるのだが、鉄製であることが求められる。4点シートベルトも必要だ。さらにエンジンはノーマルが基本。僕の車だと、大幅に手を入れないと規定的に参加は不可能。

 なので、大阪在住のガス屋氏に車を貸してもらうことになった。前日泊まった上、当日も丸一日付き合わせるのだから、大変世話になったのである。持つべきものは車仲間だ。

 車検は安全面だけでそれほど厳しくなく、サーキットトライアルも、1周だけするというまさにアリバイ的なもの。講習は試験に出る個所を読み上げるだけだし、試験もテキストを見て良いし、先ほどの講習でアンダーラインを引いた辺りから出るから、落ちようがない。

 講習会ではグリッドに並んで模擬レース。さまざまな車が混走するから危なくて本気で走らないだろう、と思っていたら、スタートでシビックにぶち抜かれたので頭に来た。が、カルディナやらパジェロやら、エルグランドやらが走っているような状況だし、人の車でエンジン内部で使っている部品の事情を知っている者としてはあまり高回転まで回せない。オリーブボールの足回りは最高だったけれど、着けたこともないストリートラジアルなので、なかなか思うようには走れない。2度目の走行では、最終コーナーでぶち抜いたマセラーティーにストレートでぶち抜かれて頭に来た。

 コースアウトすることも事故をすることもなく無事講習会は終了。あとは届くのを待てば良い。FJに出場するにはあと、鈴鹿サーキットのライセンスを取るだけである。