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3月11日

 仕事でリニアモーターカーを見学してきた。多くの人は知らないだろうけれど、来年3月から愛知万博というイベントが長久手、瀬戸という場所で開かれる。名古屋駅から地下鉄で藤ヶ丘駅まで行き、そこで乗り換えて会場まで連れて行ってくれるのが、リニアモーターカーである。会場まで高架で結ばれているのだが、なにやら工事が始まったと思ったらあっという間に高架が立ってしまった。さすが、国家プロジェクトと感心したほどだ。

 リニアモータカーというと、山梨に実験線があるJRが開発中のものを思い浮かべるが、こちらのものは仕組みがかなり異なる。超電導で500km/h出るあちらと違い、こちらは常電導で100km/hほどだ。超と常でどう違うのかは文系人間な僕では簡単には説明できないので、おいておく。

 HSSTと呼ばれる常電導式の仕組みは簡単で、モノレールのようにレールを抱え込んだ車両の、レールの下側に電磁石が付いている。その電磁石の磁力で上にあるレールにくっつこうとする力で車体が浮上するのだ。ギャップセンサーで8ミリほどの距離を保つように電磁石の力を制御するのだという。推進力は普通のモーターを平たく伸ばしたリニアモーターで得る。

 実は9年ほど前にHSSTに試乗したことがある。名古屋市南区の大江という場所に実験線があるのだ。実験なので、万博で使われる車両よりは小さかった覚えがある。車両に乗って、浮上する瞬間を体験したのだけれど、体感できないぐらいのものだった。走行は浮いているだけあって、ウルトラスムーズ。

 余談だが4年ほど前には山梨の実験線にも乗ったことがある。時速450キロほど出したみたいだけれど、ほとんどがトンネルの中なので景色が流れていくのは見えなかったのだが、ものすごいスピードで移動している実感だけはあった。あっという間に450キロに到達したと思ったらすぐに減速して物足りなかった覚えがある。かなり減速したな、と思って速度表示を見たら、まだ290キロぐらい出ていてびっくりした。

 話がずれてしまったが、長久手町に行ったのである。ちょっと前まで愛知青少年公園と呼ばれていた場所に常電導式の「リニモ」の車庫があった。子どもの頃から親しんだ地域だったのだが、万博会場となってしまって、あちこちがはげ山状態。長久手や瀬戸の街も万博特需であちこちで開発が進んでいる。地形が変わるほど掘り返して、開発しまくっているのだから、どう考えても環境がテーマの万博とは思えない。いや、乱開発した悪い例を展示して開発のむなしさを体感できる博覧会なのか。それを前面に打ち出すのなら、少しはやる意義があるのだが。

 整備中のリニモを見ているとき、ちょうど電磁石のスイッチを入れたらしく、浮き上がるのが見えた。乗っていると分からないが、外から見るとやっぱりけっこう浮き上がっていることが分かる。ちょっと感動。

 それにしても、ここまで大規模な開発になるのだとは思わなかった。子どものころ遊び回った青少年公園の面影がほどんどなくなってしまったのを残念に思った一日だった。

3月9日

 土曜日、日曜日に備えてどうしてもロードスターの洗車しなければならなかったけれど、体中筋肉痛、体力も時間も温存したかったので、ガソリンスタンドの洗車を初体験した。

 せっかくだから手で洗うやつにしてもらおうかと思ったが、料金が高いことと時間がかかるのが嫌だったので1500円で洗車機に放り込むタイプを選択する。洗う前のロードスターは、しばらく洗っていなかった水垢と、高速道路の不凍剤でどろどろに汚れている状態。乗っている本人ですら、気分が暗くなるほどの汚れ具合であった。

 ハイオク満タンと洗車を指示して店舗内で待機。15分ほどで完了する。自分でやるとワックスも含めて一時間以上はかかるから、とっても楽である。

 あまり期待していなかったのだけれど、しつこくこびりついた汚れ以外は綺麗に落ち、さらにワックスもまあまあかかってさらに、タイヤワックスまでかけてあった。心配していたボディーの傷も見あたらなかった。ぴかぴかである。

 心配していたのが、高圧の水がかかるから、ぼろ幌から浸水して室内がぐちょぐちょにならないか、ということだったが、問題なし。1500円という安さと、自分の手を汚さない手軽さは、もしかしたら病みつきになるかも。

 これまでミーティングに出かけるときは、出かける前の日に時間をつくって洗車して、ぴかぴかにして出かけていた。が、道中でかなり汚れてしまうので、徒労に感じていた。が、会場近くのスタンドで洗ってもらえば、ぴかぴかで会場入りができる。車野郎の作法として正しいかは疑問だが、前日に時間をとらなきゃ、と暗い気分になるくらいなら、やってもらった方が早いし、結果安い。

 それでも、洗車を機械にやってもらうことが、ちょっと心に引っかかる。車野郎の倒錯したところだろう。

3月8日

 南コースを走った後とは打って変わって体はそれほど痛くはない。疲労も軽い。本コースが体に優しいわけじゃない。僕が話にならないほど遅く走っていただけなのである。サーキット見学のバスでコースをぐるりと回ったのと、なんら変わりがない。

 とりあえず、首を鍛えないと。

3月7日

 いよいよ本コースデビュー。これまで体験したことがない速度域での走行。シビアなFJ。どうなるのか、想像も付かない。

 午前6時起床。思ったよりも体の疲れは回復していた。金曜日にばててしまった原因の一つは、メシをあまり食べていなかったことがあるのではないかと思い、おにぎりをたくさん食べる。名古屋インター近くのコスモで20リットル携行缶にガソリンを買い、名古屋インターから東名阪に乗ろうとしたら、東名に乗ってしまった。引き返すわけにも行かず、春日井で降りて勝川から東名阪へ。

 途中から雪がちらついてきた。橋が凍っているほどの悪天候だ。8時前に鈴鹿西コースパドックに到着。すでに、総監督や見学の方が来ていた。ときどき雪がちらつく天候。

 自分の車が運ばれてくる。20000円分の走行券を買い、Dさんにコースの様子を教えてもらう。ちょっとした緊張が気持ちよい。

 いよいよ、走行開始。Dさんの後ろについて走っていくことにする。ゲートをくぐってコース内へ。10台ぐらいずつコースに入っていく。

 「コースインでも2速でもリアが空転するから気を付けて」とのDさんの言葉の通り、リアタイヤの空転を感じつつ、バックストレートを加速していく。すぐ130R。タイヤが冷え切っているから慎重に曲がり、加速していったら、Dさんの車が急激に近づいてきた。西コースのショットカット。右ヘアピンが控えていたのである。予測していなかったので、パニックブレーキになり、ロックしたまましばらく滑走。なんとか追突は回避したものの、曲げることができない速度でショートカットに進入。まだフルブレーキしているから、車も曲がらない。ショートカット直後においてあるパイロンが近づいてくる。止まらない。ブレーキをゆるめて何とか車を曲げて車をすき間に放り込み、事なきを得た。いや、タイヤにフラットスポットを作ってしまったから、事なきではなかった。

 気を取り直して、縁石またいでコースに戻る。ついていくはずのDさんは先へ行ってしまいもういない。2速での加速は強烈だ。あっという間に3速、4速でデグナー進入。後ろから来る車は先に行かせて慎重に走る。いや、先に行かせるまでもなく抜かれていく。ヘアピンもブレーキが少し遅れたが、車速が出ていないので大丈夫。200Rにむけて上り坂を加速する。

 200Rは上りながらゆるく右に曲がっているのだけれど、ぐんぐん加速していくからだんだん恐怖が増してくる。さすがに最初は全開にできない。そして、スプーンに向かって少しの間ストレートがあるのだが、登り切った後下っているので、車速が出ていることもあり、どこでブレーキを踏めばよいのか分からない。スプーンもどこのラインを走るのか見当が付かない。

 バックストレートに入る。まだ様子見だからそんなに回転は上げない。4速6000回転ちょっとから、ついに5速。怖いけれど、いちおう全開にする。風景が一気に流れていく。ピットが右手にあったはずだが、そんなところを見ている余裕がない。130Rがぐんぐん近づく。やばいと思ってブレーキを踏み、車を曲げようとしたら、リアが流れてスピン。やばいと思ってクラッチ切り&フルブレーキ。芝生の上を滑って後ろ向きになり、そのまま回転しながら滑走して再び前向きになって舗装の上で停止した。エンジンは止まっている。

 わりと冷静にエンジンを再スタートさせる気になった。が、セルをいくら回してもかぶり気味になっていてかからない。アクセルの踏み加減をいろいろ変えて回し続けると、ぼうんとバックミラーに炎が映った。しばらく待ってから、再び回してようやくエンジンがかかる。車が来ないことを確認してコースイン。

 最初の5、6周はブレーキを踏む場所も分からず、ただうろうろと走っているだけ。後ろからFJがぐんぐんと追い付き、追い越される。F4なんかは、来たことも気が付かないうちに爆音でその存在に気づき、すでに前を走っているという状態だ。

 ヘアピンなどで何度かスピン。何が何だか分からないまま、最初の30分は終了。チェッカーを見て気が付いたのだが、どこからピットインするのか正確には知らなかった。後ろから来た車に合図して抜いてもらい、後ろを付いていった。

 2回目の走行ではDさんに「200Rは全開」と聞いていたので、タイヤが暖まってきた3周目ぐらいに調子に乗って5速全開で走ったらラインが膨らんでしまい、スプーン進入にむけてラインを取り直そうと無理をしたら、スピン、そのままコースアウトして砂利の中に埋まった。残りの20分あまり、コースの外から他の車を見ているだけだった。

 走行後、総監督から「自分が何秒だったか見ていたか」と聞かれ、「余裕がなくて見ていない」と正直に答えた。恐怖の5速全開でヘルメットにまともに当たってくる風に対抗しながら何とか前傾姿勢を取っているのだ。視線を向ける余裕などなかった。

 3、4回目は何度かのスピンもあったけれど、何とか無事に走行終了。少し遠慮しすぎたかもしれない。毎回、きっちり課題を作って攻めていかないと、せっかく高いお金を出して走っているのに、無駄になってしまう。タイムはまだ気にする段階じゃないと言われた。

 5速全開の後の130Rは、初めての者に取っては恐怖そのものだ。4速までとは世界が変わってくる。エンジン回転とともに視野が狭くなっていき、左に緑色、ピット横を通ると右にいろいろな色が出現する。ときどき、F4が軽々と抜いていく。右手にコーナーまでの距離を示す「200」「100」「50」の数字が出てくるとともに、130Rがぐんと近づく。ここが速い人が本当に速いんだろう。

 走り終わった我が愛車は、FRP製のアンダーパネルが割れていた。どこでやったのかさえ、分からない。

3月5日

 毎週金曜日にやらねばならない市場での仕事を無理矢理都合着けて、FV/2Kのシェイクダウン。8時半すぎには鈴鹿南コースに行き、9時半からの走行に備える。

 2月4日の走行があったから、走り出しはまだ何とかなった。あ、そういえば、コースイン直後にスピンしたけれど。が、タイムを詰めようとしだしたら、体の方がついてこなかった。この数年の不摂生の結果とはいえ、自分の体のなまり具合に腹が立った。本コースはまともに走ることができないんじゃないかしら。首を鍛えないといけない。写真を撮る余裕などなかった。

 車を壊すこともなく、一見無事に終了したが、自分のなかのいろいろなものが壊れちゃったシェイクダウン。諸手をあげて喜ぶようなものではなかった。が、最初からうまく行くと思っていたわけじゃないから、課題を淡々と解決していくよりほかに道はない。

 とりあえず7日、西コースを走る。130Rでちびる予定。

3月4日

 すこし寝坊して6時すぎに市場に到着。仕事をしてたらレース屋さんから電話があり、車が納車された、という。予定通り、午後から仕事さぼって鈴鹿に行き、シート合わせすることにする。

 午後1時から3時までがF3の合同テストだったので、見学することにした。ストレートエンドぎりぎりまでアクセル全開だったのにはたまげた。西コースの方にも回り込み、ヘアピンやスプーンコーナーを見学。こんなところを走るのだ、という実感がまだわかない。

 レース屋さんに行きシート合わせ。FRPのシートがちゃんとあるので、位置決めしてからシフトの位置とペダルの位置を合わせる。足を踏ん張るためのフットレストも作ってもらうことにした。

 オリーブボールに寄ってステッカーをもらって帰ったら午後6時だった。すさまじいさぼり方だが、何食わぬ顔で仕事をする。

 いよいよ明日は自分の車で走ることになる。

3月3日

 夜、カートに出かけて、FK-9という90ccのカートでスピード感に慣れようと思ったら、あばらが痛くて右コーナーがまともに攻められず、一回であきらめた。もったいない。

 すごすご帰っていたら、古くからの友人から電話。「自作パソコンが動かないからみてくれ」とのこと。夜10時すぎに迷惑な話だと思いつつ、助けを求められたら仕方がないので向かう。

 Pentium4の2.8GHzの自作パソコン。いろいろ調べてみても、どこもおかしくない。しかし、電源を入れてみても、ファンが回るだけでうんともすんとも言わない。

 BIOSの設定画面がでないだろうか、とキーボードの「DEL」キーを押しながら起動することにした。キーボードの配線の取り回しが悪かったので、一度コネクタをパソコンから抜いたその瞬間、ディスプレーに反応があって、BIOSの初期画面が出てきた。偶然にも、キーボードが原因だったらしい。

 キーボードのコネクタを調べてみると、端子が折れ曲がって中のプラスチックの部分も折れて完全に壊れていた。友人曰く「硬かったら無理矢理入れた」。怪力で破壊してしまったらしい。

 仕方がないから、キーボードを自宅に取りに行ったり、マザーボード側の不具合を修正したりしたりして直してあげた。時間はすでに午前1時。明日は、朝6時前には市場に行かねばならないのに。

3月2日

 上司から電話がかかってきた。なんだろうと思ったら「お前のパソコンがウイルスに感染している疑いがあるとして、担当者の人が来ているぞ」とのこと。さすがに、ウイルスだけは注意しているし、いちおう、ノートンのアンチウイルスを入れているから大丈夫なはずだ。おかしいな、と思いつつ、仕事場に戻ってから、担当者を呼んでチェックしてみる。

 とりあえず社内LANにはつながずに、ウイルススキャン。が、ウイルスはいない。そういえば、午前中、あやしいメールが届いていたのを思い出し、チェックしてみるものの、添付ファイルが付いていた形跡があるのだが、ファイル名だけで中身は削除されている。拡張子が「.PIF」であるところをみると、最近流行っているNetskyの残骸らしい。

 どうやら、僕のネット上で使っている個人向けアドレスめがけてウイルスが飛んできたのだが、会社のサーバーがそれを検知して上流で削除してしまったらしい。その警報かなんかが出て、担当者が僕のところに飛んできたんだろう。

 ウイルスがきても、ノートンが検知して削除しただろうし、そんな添付ファイルを実行するわけもない。悪いことには、会社指定のウイルスソフトを勝手にアンインストールして、自分で買ってきたものをインストールしちゃっていた。それが会社側にばれてしまった形になり、強制的に会社指定のウイルスソフトに書き替えられてしまった。ウイルスソフトと、ウイルス定義更新サービス料などが損になってしまった形である。

 今日も、何発か飛んできた。みなさん、ウイルスには気を付けましょう。

 

2月29日

 遊びほうけていたら、寝る時間がないことに気が付いた。今日はDさんのFJ初レースの日だ。僕は出ないけれど、レースの雰囲気を味わいに、鈴鹿に出かけることにした。

 夜半から雨が降っていたらしい。明け方の東名阪を走り、鈴鹿サーキットに至る。到着したのは午前6時前。パドックの駐車場は、まだ静けさを保っていた。リクライニングしないロードスターでは厳しいが、少しでも良いからと横になる。うつらうつらしたと思ったら、次々と積載車がやってきて、爆音シビックがばんばん空ぶかしを始める。負けるものか、とひたすら目をつむるも、空がだんだん白んできてなかなか寝付けなかった。

 いつの間にか寝たらしく、窓ガラスをこんこんたたく音で目が覚める。総監督が起こしてくれたのだ。寝ぼけていたから何時だったか覚えていないが、2時間弱寝たんだろう。

 雨のおかげで、とても寒い一日だった。完全ウエット路面でのレースで心配だったけれど、無事完走した。勝ったのはDさんが選んだウエスト04Jを駆るドライバーだった。

 夜は、なぜか名古屋市内の病院で仕事だった。午後7時から10時ぐらいまで救急外来ですごす。医者も大変な仕事だ。