未分類

6月15日

 職場の上司たちが集まった会議が開かれた。遠くからはるばる来た人たちをそのまま帰すような業界じゃない。当然、飲み会になだれ込み、行きたくもないのに付き合わされ、しょうがないからつまらない宴席で座っていた。

 おっさんたちが悪いのはかつての自分の武功話をひけらかすことだ。ひけらかすだけなら良いのだが、同じことを繰り返して話してそれについて意見を求めるようになると迷惑この上ない。はは、すごいですねえ、と適当に愛想笑いで応じているのだが、ちょっとでも気に入らないことがあると「最近の若いもんは」という決まり文句で攻撃されてしまう。

 そんな大人たちがいけないのは、かつては自分たちも年上から「最近の若いもんは」と言われていたことを忘れていることだ。ようするに、どの時代でもおじさんたちは若い者を攻撃するものであり、特段、最近の若者が劣っているわけでも新人類なわけでもなんでもない。たぶん、1000年前も、この殺し文句は使われていたに違いない。

 若かろうが年を食っていようが、だめな人はだめだし、良い人は良い。若い人間に絡んで虚栄心を満足させているような大人は、もちろんだめ人間に分類されるのはいうまでもない。

6月14日

 「昼飯を食っていけ」と岩倉市のとあるおっちゃんに誘われたので、しっぽ振って顔を出した。文具屋さんのおっちゃんなのだが、店の奥にある台所に行くと、すでにハマチやタイのお刺身が切ってあり、肉野菜炒めを作っている最中であった。まさに男の料理といった感じの豪快さで、鍋にしょうゆをぶち込んで片栗粉を入れて、手でかき混ぜて、どうするんだろうと見ていたら、肉野菜炒めにぶっかけてかき混ぜていた。すると普通の野菜炒めが突然、中華風に変化。おお、すごい、とその技に思わず見とれてしまった。

 刺身と中華風肉野菜炒めと刺身とごはんという豪華なご飯が並ぶ食卓を8人ほどで囲んで喰らった。豪快な男の料理は大ざっぱだが、すこぶるうまい。

6月13日

 連休をもらったのだが、頼まれた原稿を書かねばならなかったので、家に引きこもる。仕事以外ではなかなか原稿を書かないので、気合いを入れて書こうと思ったのだが、気合いが空回りして呆然としていたら一日が終わった。

 そして、重大なことに気が付いた。一番、気合いを入れて書いているのは、このホームページかもしれない。

6月9日

 朝から木曽川に行き、アユの放流を見に行った。

 長靴じゃ長さが足りないので、太ももまですっぽり覆うやつを借りる。そのまま上着を着れば火事現場に行ける本格的なやつだ。

 滑りやすい岩の上で、転びそうになりながらじゃぶじゃぶ川に入る。EOS20Dを担いでいるからこけたら大変だ。25万円を水につけるぐらいなら、喜んでスーツを犠牲にしてカメラを助ける。

 10センチちょっとの小振りなアユだが、1万匹となるとただごとじゃない。青ビニールシートで即席水路をつくりトラックに積んだいけすから大量の水とともにアユを放流。どざざざあ、と大迫力だ。水流の真ん中に立っている僕の足の先にかつかつとアユが当たる。けなげに上流に向かって泳ぐアユもいたのはやはり習性か。

 習性と言えば、石の下に隠れる習性もあるらしく、だれかの足の下に隠れちゃったアユが、あわれ踏みつぶされていた。合掌。

 一匹30円ぐらいのアユが、木曽川ではぐくまれてお盆頃に20センチほどになると1000円以上にもなるらしい。

6月7日

 御神木が江南と一宮に来た。

 20年に一回、伊勢神宮の建物を建て替える式年遷宮という行事がある。次は2013年らしいのだが、すでにその準備が進んでいるのだから、気の長い話しだ。

 で、建て替える建物の中の、ご神体を納める場所がこの御神木で作られるという。なんだかよく分からないが、木曽谷で切り出されたヒノキが御神木と呼ばれ、中津川、犬山、江南を通って、一宮の真清田神社で一泊するという。町はけっこう大きな騒ぎになっていた。

 で、騒ぎが起きればかり出されるのが僕の仕事で、休みだったにもかかわらず、問答無用で仕事が割り振られた。江南の古知野神社に来たのを確認。長さ10メートルほどの丸太3本。何の変哲もない。

 夕方から一宮に行くことに。一宮では、「お木曳き」という行事が企画された。御神木に縄をつけて、みんなで引っ張って真清田神社まで運ぼうというものだ。とはいえ、御神木をトラックから降ろすわけにはいかず、トラックに縄をつけて形だけ引っ張るというものだ。形だけなんだが、それに8000人もの人が参加するとなると、大変な騒ぎとなる。

 御旅所という場所から、本町のアーケードを通って、真清田神社に至るまでの1.5キロを一緒に歩く。なにせ100メートルの縄2本に2000人の人がさわって、一緒に歩くんだから、大変な騒ぎ。僕はといえば、カメラにパソコンを持ち歩き、歩きながら仕事をする。この慌ただしさはなんだ。

 最近は閑散としている本町のアーケードも、自由に歩けないほどのにぎわいになった。最近では見られない珍しい光景に、やっぱり尾張一宮という名前通り、真清田さんでもっている街なんだな、と実感した。 

6月6日

 万博の話を書いていなかった。

 愛知県で万博をやっている。とはいえ、騒いでいるのはこの地方だけで、中部以外に住んでいる人は、「ああ、そんなことがあったよね」ぐらいのことに違いない。

 万博とはかれこれ10年以上前からのつきあいになる。瀬戸の里山「海上の森」を大規模開発する当初の計画を「ぶちこわす」とつぶやいている人間を何人も見た。実は、海上の森の近くには、4駆で走るには絶好のクロカンコースがあり、4駆ブームだった当時は、よく兄とランクル60で林道を荒らし回ったもんだ。

 万博会場として開発された愛知青少年公園は、実家から近く、自転車で行けるような距離だったから子どものころから親しんだ。ロードスターが納車された当日には、万博のアクセス道路であるグリーンロードをぶっ飛ばした。そんな場所をぶちこわしての博覧会である。「本当にできるのか」と思っていたら、期日通りきっちり始まった。1年半ぐらい前、久しぶりにグリーンロードを走ったとき、対面通行だった道が片側2車線となって立派なトンネルも開通していたのにはびっくりした。当時の面影もまったくないぐらい開発し尽くされた青少年公園跡地をみて寂しく思ったものである。

 で、なぜか4月中旬、仕事で2週間、万博会場に通うことになったのである。

 さすが国家プロジェクト、と思わせるのがグローバルループだ。舟の甲板みたいなデッキが会場をぐるりと1周を巡っている。その長さ2.6キロ。丘陵地で万博をやること自体が初めてみたいで、このご時世だとバリアフリー化は絶対やらねばならないから、高いところのレベルに合わせて地面を作っちゃった感じ。

 開場直前の西ゲート付近。雨の直後だからデッキがしめっている。奥の山には桜が咲いている。桜の時期にこんな場所で監禁されたような生活を送っていた(涙)。

 すげえ構造物なのだが、晴天の日は日光を遮るものがなく、さらに照り返しもあってあっという間に丸コゲになる。人に優しいようであって、実は人に優しくない感じ。夜に歩くと、地面の正面がデッキの隙間から漏れてみえて、実はとても高い場所にいることが分かってとても怖い。板が抜けて落ちたら、間違いなく死んじゃう。

 仕事で行ったので、人気のあるトヨタ館なんかは入れてもらえない。企業館で入ったのはJR東海の超伝導リニア館だが、こちらも山梨の実験線で実物に乗って時速450キロを体験したことがあるので、そうたいした感動はなかった。

 外国館は個人的には好きだ。時間があいたとき、展示の一つ一つをじっくり見た。時間をあまり気にしなくて良いからできる芸当で、通り抜けるだけだと、背景にあるテーマもよく分からないまま終わってしまうだろう。国によって力の入り方がまったく違うので、どの国の館に入ったかでかなり印象が変わると思う。イタリア館はGOODである。

 万博を楽しんできたわけではない。その前提で誤解を恐れず書いちゃうと、遠くに住んでいる人に「万博に来たら」とはお薦めできない。人気パビリオンは長蛇の列、くそ暑い中並んでも数カ所しか見ることができない。4600円も払ってただ並びにくるようなものである。外国館は、各国の文化なんかが紹介されていて、楽しいところもあるのだが、ここまでテレビ番組で世界が紹介し尽くされている時代に、大きな驚きはない。1日だけの滞在なら、会場も広いし、気ばかり焦って何をみたのかよくわからないまま帰る羽目になっちゃうに違いない。周到に準備して、パビリオンの予約なんかもばっちり取っていれば話は別だが。

 通える場所に住んでいて、17500円の全期間入場券を買うなら話は別。公園としてちゃんと整備されているし、食べるものも高いが各国の料理があるので、いろいろ楽しむことができる。毎日がお祭り騒ぎで、毎回違った発見があるから楽しめるに違いない。

 わりと近くに住んでいても、そこまで気合を入れるつもりがないなら午後5時から入るのがお薦め。入場券が半額の2300円で、各パビリオンもすいてくる。これからの季節なら、夕涼みの気分で行くと、夜だけのお祭りもあって楽しいに違いない。

 という僕は、8月にまた3週間も万博会場で仕事をさせられるので、もううんざり。

6月5日

 AEDというハイテクの固まりの救命器具の講習会をのぞいた。

 日本語では、自動体外式除細動器。普段慣れないランニングをしたり、ギャンブルで大当たりしてびっくりしたとき、あふっとぶっ倒れて意識を失うことがある。そのまま死んじゃう場合の多くは、心臓に原因があり、心臓がけいれんを起こして血を送れない心室細動という病気だという。放置すると10分で死んでしまうらしい。

 心室細動を起こした心臓に正気に戻ってもらう唯一の方法が電気ショック。AEDは自動の名の通り、でっかい電極を胸に2枚張れば、勝手に心電図を取って電気ショックが必要なのかどうかを判断してくれる。「患者から離れて」などと音声で案内をするので、小学生でも使用が可能なほど簡単になっている。すごいハイテクだ。

 救急車に装備されていたぐらいだったのが、昨年から一般の人も使っても良いことになって一気に普及した。皇室の人が心室細動で亡くなったことも規制緩和を後押ししたに違いない。

 4月、愛・地球博の会場に2週間行っていた。グローバルループを歩いていると、200メートルおきぐらいにAEDが設置してあって、やたらめったら置いてあるなあと感じた。聞くと万博会場に100台設置してあるのだという。最低数十万はする高価な機械だから、なんでそんなに置くのか、裏でもうけている人でもいるのではないか、と勘ぐったりもしたのだが、やたらめったら置いてあるおかげで何人か命が救われた、という話しを聞き、やっぱり国を挙げてやっているイベントなのだから、それぐらい置きたくなる気持ちもなんとなく理解できたのであった。

 で、講習会。AEDを使ってやるのだと思ったら、AEDの訓練専門の機械であった。格好は同じだが、形が同じで音声が流れるだけのモックアップみたいなもの。講習があった市では、訓練用の機械は導入して一般の人に使い方を伝えるものの、本物のAEDを買う予定はまだないのだという。市民会館だとか、美術館だとか、人が多く集まる場所の目につく場所に置いてあってはじめてAEDの使い方を習う意味がある。講習だけ受けても使う機会がなければ意味がないよなあ、と微妙な思いで訓練を見ていた。

6月3日

 僕はたぶん20歳のおねいちゃんとはもはや話が合わないと思われる。それより10も下だと言葉すら通じないに違いない。

 小学校に行き、4年生の児童を見物する機会があった。10歳と言えば、がきんちょである。そういう意味でも別の生き物なのだが、より世代間の違いを感じるできごとがあった。

 作業している様子を写真に撮る。カメラ目線では使えないのでこっそりと撮るようにするのだが、最近のがきんちょは、カメラ慣れしていて、向けるとこっちを向いて、ピースしてにっこり笑う。そうされた時点でカメラを下げて別のグループを撮りに行くしかない。

 もっとずうずうしいのが、すきを突いて写真を撮ると、フラッシュで撮られたことに気づいたがきんちょが「もう一度撮ってぇ」とせがむことだ。知らない大人が、大きなカメラを向けているのである。僕の子ども時代なら、ちょっと特別な空気を感じ取って、緊張しながら作業を続けたんじゃないだろうか。ずうずうしいというか、そういう育てられ方をしたんだろう。

 緊張感がないんだなあ、と変に思うのはただ僕がおじさんになったからだろうか。

6月2日

 古いものを守ることが、これからは大切なのだと思う。

 江南市の布袋町にその昔あった、郡役所の鬼瓦がある、という話を聞いたので、見てきた。明治17年ぐらいに建てられた建物の鬼瓦である。

 その昔、町や村では能力が低いので、郡ごとに役所が置かれていた。北尾張で言えば、丹羽郡と葉栗郡にそれぞれ県の役所が置かれて統治のためのいろいろな仕事をしていたらしい。

 たぶん、明治の政府ができて間もないころ、政府の権威を見せつけるために、かなり立派な構えの建物が建てられたんだろう。それはそれは立派な建物だったという。大正、昭和の時代となり、昭和30年まで県の事務所として使われていた。が、昭和40年ぐらいに壊されちゃったという。濃尾地震でもそれほどダメージがなかったらしいので、かなり頑丈だったんだろう。そのまま残していたら良かったのに、と非常にもったいなく思う。

 その建物の鬼瓦である。大屋根の鬼瓦でなく、正面玄関の車寄せにあった鬼瓦だったのだが、それでも幅1.5メートルもある立派なものだ。役所に勤めていた人が建物を解体した業者にお願いしてもらいうけ、そのまま30年以上、家の庭にころがしてあったという。文化財が残るときって、そんなもんだ。

 布袋はそんな立派な建物が建てられるほど重要な場所だったのだが、いまは見る影もない。が、そういう土地だったという記憶を掘り起こすことや、その記憶に誇りを持つことが、これからの時代、とても重要な意味を持つことになると思う。

6月1日

 江南の商工会議所に行ったら、中心市街地を活性化させるための会議をやっていた。TMOといって、国が5、6年前に大型のショッピングセンターの建設の規制を緩和したときに、中小企業である地方の商店街の人の不満をなだめるためにとってつけて作った制度をなんとか利用できないかと話し合った会合が開かれていた。こんなことを書いたって、多くの人はなんのことか分からないだろう。

 江南市は繊維産業が盛んだった30年ぐらい前までは大変にぎわいがあったのだが、繊維の大きな工場が縮小されてからはまったくぱっとしない。江南駅前の商店街などは空き店舗率が8割を超えて、ほぼ壊滅状態。古くからある布袋商店街も、やっぱりぱっとしない。いまや、買い物と言えば、ジャスコかアピタかイトーヨーカードーかという感じで、大都市圏以外の商店街以外はだれも行かないから、全国、どこでも同じ現象が起きている。江南なんかは、名鉄に乗って20分で名古屋駅なのだから、みんな高島屋だとか松坂屋に行ってしまうので、さらに分が悪い。

 で、会議でなにを話していたかというと、国が言い訳するためにとってつけたように作った制度をなんとか生かせないかという話し合いであった。いや、なんとか生かせないかという危機感があれば良いのだが、会議自体、国から「TMOを生かす方策を考える会議のための予算」が出ていて、それをもらったから仕方なく開いているような始末である。

 で、話し合い自体も迷走。TMOという制度自体、分かりにくいし、みなさんあきらめムードが支配している。さらに、商店街を代表する人が集まっていて、そんな人は土地をたくさん持っている人であることが多く、商店街を復活させるよりも、ぶっ壊してマンションを建ててしまった方が儲かると密かに思っているのだから、斬新なアイデアが出るわけもなく、「良いアイデアがあったら聞かせて欲しい。今日は勉強させてもらいにきました」などと、まったくやる気なしのふぬけ意見しか出なかった。こんな会議を見ていてもまったくの時間の無駄だ。

 江南の街づくりのために無制限にお金を使っていい、というならば、僕なら低床の路面電車を新しく敷く。江南駅から北へ江南短大に行き、それから西に曲がって滝高校ぐらいまでひっぱり、そこから布袋方面に向かってまた江南駅に戻る環状線だ。江南団地に行く別の路線も作っても良いかもしれない。

 こんな話はまったく実現可能性がないのだが、街づくりのとっかかりには、こんな突飛なアイデアを出し合うことが大事だと思う。