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6月25日

 松本にいたときに一緒に仕事をしていた人が飲むためにわざわざ紀伊長島から一宮に出てきた。松本時代は、ほとんど毎晩、目から「飲みに行こうぜ」光線を発してきて、それにやられていつも一緒に飲みに出ていた人である。凍えるような日にも、夏の暑い日にも、ひたすら松本のいつものショットバーでアホみたいに飲みまくった半ば「戦友」のような人であるので、夜勤で日付が変わるぐらいまでは仕事場にいなければならなかったのだが、電話で呼ばれてしっぽ振って抜け出たのは言うまでもない。

 一宮で仕事をしていたことがある人なので、5人ぐらいで飲む。ビールをがぶ飲みし、2次会はカラオケへ。歌いまくって飲み食いしまくって、気が付いたら午前1時。夜勤が終わる時間帯となっていた。

 仕事場に戻ってソファに倒れ込み、意識を失う。気が付いたら、すでに明るかった。

6月24日

 いつの時代も、先端を走っているのは商工業者の人たちかもしれない。

 ここ10年、まったく行政の活動がなかったかのような町、江南市で、商工業者が暴れ始めた。財政が悪化し、市民への負担が増えていく中、28人いる市議会議員はまず負担を求める前に自ら範を示すべきだということで、半分の14人にしちゃえ、と、なかなか正しく、それでも乱暴な意見を突きつけ、ぜんぜん議員定数を減らす動きがないものだから、署名を集めて直接請求という手続きに打って出た。

 有権者数の50分の1の署名を集めて提出すれば、議案を提出することができるのが直接請求。議案を提出したところで、自らの仕事を奪われることになる議員は否決するに決まっている。決まっているのだがそれでもまったく妥協せずに「半分に減らないと意味がない」と突っ走るところが、経営者の本能なんだろう。

 議員を半分に減らせば3億3400万円使っている議会費を半額とまではいかないけれど、かなり減らすことが可能だ。仮に1億円ちょっと浮いたとしたら、国や県のお金ももらって3億円の事業をすることができるから、お金がない市にとってはかなり大きい。んが、狙いはそこばかりじゃない。

 市議会議員は江南市の代表なのだが、実態は自分が地盤とする地域の人たちから票をもらって、地域の代表の意味合いが強い。地域の代表と言えば聞こえがよいが、次の選挙でも当選するように、いかに地元の人たちの要望を市政に反映させることができるかを考えているだけなのである。ようするに「あそこの道を直せ」「あそこに公民館を早く作れ」ということを聞いて実現しようとがんばっているだけなのである。

 議員を半分にしてしまえば、地域からの票だけじゃなく、市全体から支持を受けないと当選しない。すると、細かい地域のことばかりでなく、全体のことも考えて働くようになるでしょう、というのが本当の狙い。

 半分になることはないにしろ、危機的状況にも気づかず、のほほんと過ごしてきた人たちに喝を入れる意味はあるんだろう。

6月23日

 名古屋市のすぐ北、来年3月に北名古屋市になる師勝町というところに、歴史民俗資料館という面白い場所がある。

 一歩足を踏み入れると、そこは昭和30年代。ホーロー製の看板やら郵便ポストやらバイクの「陸王」やら、駄菓子やらタイル張りのショーケースやら、これでもかというぐらい古いものが置いてある。

 最近でこそ、名古屋周辺には「昭和食堂」や「飯場」といったなつかしさを売り物にする居酒屋が増えてきたが、ここは10年以上前から「新しい日本の原風景」のコンセプトでものを集めているから迫力が違う。昭和30年代の駄菓子屋を再現しようと思ったら、3軒ぐらいは開店できるらしい。

 さすがに僕からしたら昭和30年代のものは初めて見るものばかり。それなのに、見ると懐かしさを感じてしまうのはなぜだろう。確かに、洗練されてはいないかもしれないが、温かみがあるデザイン。生活がちょうど電化されはじめた時代なので、メカヲタクにとっては初期の簡単な構造の家電製品を見るのも楽しい。

 愛知万博では、サツキとメイの家が人気らしい。子どもにとってはアニメに出てきた家がそのまま再現されているのが楽しく、大人にとってはとなりのトトロの時代背景である昭和30年代当時の生活を思い出すことができるのが懐かしく楽しいらしい。だが、1日800人しか入れないのでほとんどの人は入ることができない。

 「懐かしさ」を感じたいなら、こちらもお薦め。万博に来たとき、名古屋空港あたりに車を置いておき、帰りがけに寄っていくのにちょうど良い場所にある。

6月22日

 それはそれはバカでっかい火事だった。

 昨晩家に帰り、ご飯を食べてのんびりしようと思っていたら携帯電話が鳴る。江南と一宮で火事が起き、どうも危険物みたいだから、行ってくれ、とのことだった。仕方がないから雨の中、デミオに乗って出かける。

 燃えていたのは廃タイヤ。数本が燃えているだけなら小さな消火器でいとも簡単に消せるのだが、数万本積み上げられた山が燃えているとなると話は別。夜なのに、黒々とした煙が立ち上っているのが見えるぐらいの派手な燃え方をしていた。

 現場に着くと、さらに派手だった。EOS20Dをぶら下げて走り、近づくと、火柱が立っていた。熱気を感じながら、とりあえず、現場を一周する。とりあえず、廃タイヤを扱っている産廃業者の敷地内だけで燃えている格好だったので一安心。それでも、近くに家があって延焼しないか冷や冷やものである。

 写真を撮ろうと草むらをかき分けて火に近づこうとしたら、水路にはまった。左足のひざまでが浸かったのだが、そこに流れていたのはお湯だった。

 火は収まるどころかどんどんでかくなっていったので、これは朝まで消えないなと覚悟を決める。果たして、翌日の正午まで鎮火とはならなかった。火を前に帰るわけにもいかないから、結局徹夜。次の日も普通に仕事。

 タイヤは火勢が弱まったと見えても、くすぶり続けて、気を抜いていると再び大きく燃え出す。消防もポンプ車がフル稼働で水をかけるが、内側が燃えているのでなかなか消えない。で、活躍したのが、このタイヤ屋の重機である。火を出した責任感からか、重機で火のすぐそばまで行って、タイヤを掘り起こしていた。そのパワーに圧倒。日ごろの作業とはまったく違って、ただの破壊行為だったので、操縦していた人もかなりストレス解消になったに違いない。重機は良いね。

6月21日

 楽しみにしていたアメリカGPだったが、あまりの事態に言葉を失う。他のサーキットのすべてのコーナーは問題ないのだが、インディアナポリスのターン13だけはNG。10周以上は走ってくれるな。見方を変えれば、そこまで追い込んだ世界で戦っているということだ。それがレース。

6月20日

 月に1度か2度の「お祭り」の、しかも当番になったから、仕方なく朝6時に家を出た。

 今住んでいる江南市では、ごみの分別がやたらと細かい。週2回の可燃ごみの日に捨てられるのは、生ごみ程度で、包装紙や、トイレットペーパーのロール、紙箱などは「雑紙」として資源回収に出さねばならない。商品のパッケージなどビニールやプラスチック類もひとまとめにして資源回収に。このほか、空き缶や空き瓶、不燃ごみ、牛乳パック、発泡スチロールの食品トレー、段ボールなどなど、すべて分類して捨てなければならない。

 これぐらいなら、普通の分別なのだろうけれど、江南の場合は、捨て方に問題がある。資源ごみはすべて、各地区にあるごみステーションに持っていき、さらにごみを袋から出して用意してあるかごに分けて入れなければならない。食品に直に触れていたような包装なんかは一度洗ってはあるものの、何となく生ごみ臭い。それを袋から取り出して、すでに同じようなごみが満タンに入っていればそれを押しつぶしてから入れなければならない。いくら自分で出したごみで自分に責任があるとはいえ、さわやかな朝が台無しである。

 毎週あるのなら良いが、月に2度だけ。5月なんかは月に1度しかなかった。くそまじめに分別していると、1カ月ためるとかなりの量になる。それを手では一度に持っていけないからデミオの後部座席に満載して持っていく。

 いつもは捨てているだけだったが、今回は当番だから朝6時から1時間、ほかの人のゴミ捨てを見守っていなければならない。F1アメリカGPをライブで見ようと思っていたのだが、泣く泣く録画にしておき、朝早く起きてごみステーションへ。

 特段、何をするわけでもないから、ほかの人たちが何を捨てるのかを見ているしかない。空き缶のところに立っていれば、みなさん何を飲んでいるかが分かる。ガラガラと捨てた空き缶が、キリンクラシックラガーだったりすると、なかなか経済状況の良い家庭であり、僕なんかはガラガラと淡麗の空き缶を捨てる。またある人はドラフトワンを捨てる。酎ハイを捨てる人も。なんとなく生活が透けて見えてしまう。ある家庭からは古いミニコンポが捨てられたのだが、どこからともなく現れたおじさんが、軽トラに載せて持ち去っていった。

 ずっと見ていて分かったのだが、子どもがいるような家庭でも、僕の家よりごみが少ないところが多い。どういうことかと言えば、たぶん分別しなければいけないようなごみでも、可燃ごみとして捨ててしまっているんだろう。名古屋市に4カ月だけ住んでいたが、可燃ごみの収集と同じようにして資源ごみの収集もあり、資源ごみ用の袋にいれてごみ捨て場に置いておけばそのまま持っていってくれるから、とても楽だったし、きちんと分別もできていた。子どもがいる家庭なら、それなりの量となり、2人暮らしとは歴然と差が出る。

 あまりにも細分化させてさらに月に2回しか集めず、しかもごみを近所のみなさんに見える形で捨てさせる江南の方式は、きちっとやっているように見えても、リサイクル率なんかで比較したら名古屋市を下回っている気がして仕方がない。名古屋市でやっていたのと同じぐらいの分別をすると、2人暮らしなのに資源ごみ排出量番付で上位に載ってしまうのが現状。住民に負担を求めているわりには実効性が薄い。なんなんだこれは。

6月19日

 子どもがザリガニ釣りと田植えを体験するというイベントが岩倉市で開かれていた。

 ザリガニならば、実家から歩いていけるところにため池があり、そこにあった水槽のような施設に釣り糸をたれていれば、いくらでも釣れた。実家の前にはかつて幅、深さとも1.5メートルぐらいのどぶ川があり、目を凝らせばアメリカザリガニがのっしのっし歩いていた。カメや蛇なんかもいて、そんな溝の中に平気で足を踏み入れて、じゃぶじゃぶ遊んでいると、いつの間にかくるぶしのあたりに吸い付いたヒルに血を吸われたもんだ。

 愛知の平野部だと、もうそうやって水場で遊べるような場所も少なくなったらしい。昔はいくらでも自然の中で遊んだもんだが、今は、自然と触れあえる場を用意しないといけない時代だという。やっぱり子どもは自然の中で遊ぶ体験もしないと心のバランスを欠いてしまうからと、40年前のちびっ子ががんばっていろいろとお膳立てしている。田んぼの中でいきいきとしているのをみると、どちらがちびっ子なのか分からなくなるぐらいである。

 ふと思い返してみると、無断で田んぼの中に入って、泥の中を歩き回った記憶があるぐらいで苗を植えたことがないような気がする。偉そうに先輩面している場合ではなかった。

6月18日

 一宮の高校生が中古パソコンショップを始めたというのでのぞいてみた。

 商業高校の生徒が、リース会社から譲り受けた中古パソコンを掃除してハードディスクをきちんと消して、売るという代物。2万円も出せばコンパクト設計の一体型パソコンやノートパソコンが買えてしまう。CPUは300MHz程度。ネットを使う分にはまったく問題ない。ノートパソコンにはCOMポートが付いていたから、Freedomをいじるにはちょうど良いくらいである。もちろん、バージョン1の方だけれど。

 自分の使っているパソコンも気が付いたら3年近く同じものである。まったく不具合を感じないどころか、EOS20Dと今のパソコンがセットになれば、僕の仕事ではまったく完成された道具でこれ以上のものは必要ない。

 みながこぞってパソコンを買い換えるようなブレークスルーはいつ訪れるんだろうか。

6月17日

 ブルキナファソ、と聞いて国の名前と分かる人はなかなかいないかもしれない。

 西アフリカのガーナの北あたりにある国なのだが、僕も名前を知ったの最近である。なぜ、知ったかと言えば、愛知万博が関係する。万博を開催している愛知県では、万博に参加する各国をおもてなししようと、1自治体に1つか2つぐらい国を割り振ってある。フレンドシップ事業といって、万博でその国を紹介するイベントを開くときなんかは、おもてなしする自治体は大勢の人間を送り込んで、盛り上げるのだ。

 僕の住んでいる江南市の相手国がブルキナファソ。まったくどんな国なのだか思い浮かびもしない。たぶん、日本で思い浮かぶ人はほとんどいないに違いない。そんな国の人たちがやってきた。当日まで本当に来るのか分からなかったのは、さすがアフリカである。電車の時間が1分ずれても怒り出す日本人の方がおかしいのかもしれない。

 万博でのイベントも終わり、一行は江南市へやってきた。現地の踊りを舞ったのだが、その動き、そのリズムはやっぱり日本人がもっているものとまったく違うのだなと実感した次第。

6月16日

 いくら自分の給料には関係ない原稿とはいえ、締め切りを一週間近くすぎているのはさすがに気が引けて、今日も休みをつぶして朝からひたすら書いていた。ひたすら書いていた、というとがりがりずっとやっているような雰囲気だが、気が散りまくってネットサーフィンしてフリーセルをやってと、まったく集中のない状態なのだから自分でもあきれてしまう。

 まあ、長い文章を書こうとすれば、行き当たりばったりではまとまったものが書けるはずもなく、構想というものが必要になる。文章が得意な左脳人間であれば、設計図のようなものを書いてあらよという間に書き上げてしまうのだろうが、あいにく僕は右脳人間なので、言葉で論理を組み立てる、というよりはイメージが醸成されるまで、ほかごとでもやって待つしかないのだ。

 苦労して原稿用紙8枚ほどの原稿をつづる。昼過ぎには書き終えて、メールにて送信。心の奥底に引っかかっていた仕事をようやく終えて、すっきりした気分だ。