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7月7日

 七夕だ。子どもだったころ以来、七夕行事なんて無縁だったのだが、いま住んでいる地域だと7月下旬から8月上旬にかけて七夕祭りが盛大に開かれる。機織りに励んでいた織姫にちなんで、繊維業が日本の成長を支えていた時代に一気に広まったお祭りである。ここら辺には旗織り機を「ガチャ」と動かすたびに万のお金が儲かる「ガチャマン」なんて言葉が残っているくらいだから、1年に1度のお祭りは、それはそれは派手だったに違いない。

 一宮であればまだしも、江南では七夕まつりをやる意義すら失われつつあるかもしれない。高級カーテンでは日本でも有数な産地なのだが、それをする人はほとんどいない。産業として勢いがある、ということはまったくなく、有名インテリア企業の言うなりになって働くしかない、というのが実情みたい。ことしの江南七夕まつりは8月5日から。やり続ける意義があるまつりなのか、この目で見てみたい。

7月6日

 いま住んでいる江南市というところは、本当に道に迷う土地で、3月に来て4カ月がすぎ、すでに100回以上は迷っている気がする。会う人だれもがそう言うので、僕が方向音痴、というよりは、迷いやすい土地、と言い切ってしまって間違いない。

 最初は本当に焦った。どう考えてもつながらない道がつながっていて、「江南市は四次元空間があって空間がねじれているんだ」と本気で思ったほどである。よくよく地図を見ると、道が素直に東西南北を向いておらず、さらにまっすぐでなく交差点ごとに微妙に曲がっているから、ということが分かる。

 最初は本当に困った。一宮に行こうと適当に走り出したら、いつの間にか木曽川の堤防に上っていた、ということはしょっちゅうである。真っ平らな土地で、信州のように身近に山が見えないから自分がどの位置にいるのかは覚えない限り分からない。勘で走ると絶対に迷う。

 江南は犬山を頂点とした木曽川の扇状地にあり、昔の水の流れに沿ってすべては犬山方面めがけて道ができているから曲がりくねっている、という話しも聞く。そんな昔の道の形がいまだに残っている、というのはいかに行政がさぼってきて新しい道をつくってこなかったか、ということでもあると思うのだが、かえってこの時代にはこの曲がりくねった道も味があって良いかもしれない。

7月5日

 8年前の今日、ロードスターが僕のものになった。当時、松本に行く前の実家住まいで、歩いていけるところにアンフィニのディーラーがあったので、そこを通じて買ったのだ。条件に合う中古車を探していたら、該当する車が尾西市のディーラーにある、ということで、当時乗り回していたスバル・レックスの660ccエンジンをフル回転させて見に行き試乗した。欲しさ満点のこの態度じゃ、ディーラーもあまり値引きはしなかったに違いない。ま、欲しかったのだから仕方がない。1992年式NA6CEVスペシャルで5年落ち。込み込みで145万円ぐらいだった。

 若造がなぜ買えたかと言えば、原付で事故に巻き込まれて得た不労(不良?)所得があったからである。アルバイトの貯金を足せばなんとかなった。

 6月下旬に頼み、整備や登録手続きを経て、納車されることになったのが7月5日の午後であった。この日は、火星探査機のマーズ・パスファインダーが火星に着陸し、昼すぎから生中継で火星から送られて来つつある画像がテレビに映し出されていた。興奮を覚えながらテレビにかじりついていたのだが、時間となってあっさりとテレビから離れてディーラーに向かったのである。

 ディーラー前にすでに置いてあった我がロードスター。もううれしくてうれしくて仕方がなかった。幌をどう開けるのかを聞き、がばっと開けて走り出し、一度家に帰ってすぐにドライブに出かけた。走行メーターは30200km。レックスに比べてその快適さと運動性能の高さに驚き、不自然にきびきび動く足回りも、当時はただ新鮮に思った。あっという間に100kmほど加算され、異常なペースで距離が伸びていった。

 で、8年の間にこの車がなければできなかった経験、出会えなかった人たちは数え切れない。まさか、家の中でエンジンを持ち込んで加工し、積み替えちゃうなんて、この当時は夢にも思わなかった。エアクリーナーやプラグやプラグコードを変えて、わかりやしないのに、「エンジンが吹けるようになったかも」と独り、嬉々と喜んでいたものである。あ、マイクロロンも入れたことがあります。高かったが、効果は分からなかった。

 今現在200500km。車検切れ。

7月4日

 一眼レフデジカメとネットプリントで写真が相当身近になった。

 フィルム一眼レフのF90で仕事をしていたときは、現像はするけれど、ネガをそのまま機械で読み込んで送信するだけ。何千枚撮ったか分からないが、プリントしたのは数えるほどだった。ロードスターのイベントを写真に撮って、それをみんなに配ろうとしたら、いちいちフィルムスキャナーに通してデジタルデータ化する作業が手間で大変。時間はかかるはどうしても色合いが悪くて修正が必要だったり、トリミングが必要だったりと、膨大な時間を費やす必要があった。プリントして配るのはさらに大変で、ネガケースに入れて光にかざし、プリントしたいコマを探し出して、印を付けなければならないし、トリミングだって指示するのが大変。とにかく、配布やプリントは手間がかかって仕方がなかった。ま、フィルム現像ができる環境があったので、一般の人とはちと違うのだが。

 が、EOS20Dを買って環境が一変。「写真が欲しい」と言われたら、これまでごちゃごちゃしたネガの中からその1コマを探しだし、ネガケースに入れてカメラ屋に行ってプリントしてもらわなければならなかったのが、デジカメデータであれば、ネット経由でプリントを注文してもらい、依頼者に直接カメラ屋へ取りに行ってもらいお金も払ってもらえばよいからまったく後腐れも手間もなくなった。

 最近、自分と兄の結婚式があって膨大な量の写真を扱うことが多いのだが、デジカメデータばかりでかなり楽だ。フィルムならば、膨大なコマの中から焼き増しをしたいコマに印を付けてそれをカメラ屋に持っていき、プリントができたらまた取りに行く、という手間が必要だ。が、今はネット経由でデータを送信しておき、プリント完了のメールが届いたら取りに行くだけ。ああ、簡単。極楽である。これが自前のプリンタでプリントするんだったら、手間がかかるのであまりプリントしないに違いない。Lサイズで1枚30円。消耗品代や手間代、画質の差を比べれば、それほど高いとは思わない。

 良いよ、デジカメ。デジタル化。

7月3日

 一宮の仕事場で夜勤をしていたら、「ウウー」とサイレンがなったので、何事かと思ったら、仕事場から北300メートルのローソンで、コンビニ強盗があったらしい。

 コンビニ強盗はありふれてきてしまったので、それほどたいしたことにも思わなくなった(病的だ)のだが、いつも飯を買っていた場所なので、少し驚いた。けが人が出なかったのが不幸中の幸いか。

 金の回りが悪いためか、世の中が荒れてきた。常に警戒していなければならない時代になってしまったのだな、と寂しさを覚えながら、実感した。

7月1日

 愛知県の知多半島の先の方にできた「美浜サーキット」から手紙が届いた。レンタルカートの売り込みで、ただ券が何枚か。同封のパンフレットとチラシを見る限り、なかなか面白そうなコースである。

 ミニサーキットとしてのフルコースは全長1200メートル。レンタルカートコースは700メートル。カートを借りると平日4周1500円。休日は4周2000円。ちと高い気がする。ミニサーキットは平日50分で4000円。休日は6000円。こちらはこんなところか。ま、ロードスターが車検切れのありさまだから、サーキットで走ることなんて、もうあるまい。

 でもなぜ、こんなダイレクトメールが届いたんだろう、と考えてみる。あ、レンタルカートの会員になっていたからか。

6月30日

 マウンテンバイクのような自転車で、急斜面や岩場のコースを攻めるバイクトライアルという競技がある。江南市に国内ランク3位のすごい選手がいて、なぜか会うことになった。7月下旬からイギリス、アンドラ、チェコの3カ国で試合をしてくるという。工場ラインを設計する仕事をなげうって、プロとして活動する志の高い人である。江南市の某所に自転車を持ってきてもらい、せせらぎの中にある石の上を攻めてもらう。

 自転車にまたがったままで静止するのが僕のあこがれなのだが、なかなかバランスが難しい。そこはプロ、ぴたっと静止し、そこから前輪を持ち上げてウイリーの状態になり、そのままジャンプして石から石をぴょんぴょんと飛ぶ。曲芸の域である。

 「あそこからも飛べますよ」と指さしたのは、高さ1.5メートルほどもある石製のモニュメント。さすがに自転車に乗ったままはそこには登れないが、先に人が登って、僕が自転車を手渡し、モニュメントの上で自転車にまたがる。そんな高い不安定な場所で自転車にまたがる神経がしれないが、なにしろ相手はプロであるから、そんなこと朝飯前なんだろう。

 で、そこから飛び降りる。かなりの衝撃のはずだが、うまく殺して何事もなく着地した。もうパチパチと拍手するしかない。

 すごいのだが、競技だけでは食っていけないから、自転車屋でアルバイトしつつ、遠征費用を自分でためている状態。こういう志の高い人を江南の市民が支えてあげる必要があると思うのだが。今度、商工会議所の会頭さんでもたぶらかそう。

6月29日

 夜、もしかして、と思いロードスターの車検証を見ると、ちょうど今日で車検が切れることが判明。明日までだと思っていたのに。

 ま、車検を通そうとしてもお金もないし仕方がない。普段の足はデミオに乗っ取られてしまっているので、ロードスターの出る幕がない今日この頃だから、どうしても車検を通さねばという危機感もない。Freedomとかカムとか4連スロットルとかをヤフオクで売れば車検代が出るかもしれないが、それじゃあ不動車になって車検自体が通らない。

 どうしたらいいかいろいろ考えたが、ま、いいやと放置決定。任意保険代と自動車税代がもったいないから、一時抹消でもしようかしら。

6月28日

 兄貴にもらった新婚旅行土産のオーストラリアコーヒー。さっそく飲んだのだが、なんとなくおかしい。挽いてある豆なのだが、挽き方がかなり細かい。家の近くのコーヒー豆屋で挽いてもらうと、細かく砕いたぐらいのつぶつぶなのだが、オーストラリアコーヒーは徹底的にすりつぶして粉々になっているどころか、ふわふわぐらいまで挽いてあるのである。

 なんかおいしそうじゃないし、余分な味まで出ている気がするし、オーストラリアコーヒーは変だよ、という話を、コーヒー豆屋さんにしたら、コーヒー屋さん「海外のおみやげのコーヒーはそんな挽き方が多い」と語り始め、妙に納得できる答えを教えてもらえたのである。

 それは水の違い。日本が軟水なのに対して、海外は硬水のところが多い。硬水と軟水を比べると、軟水の方がよくコーヒーが出るらしい。だから軟水で入れるなら、つぶつぶ程度まで挽いてさっと湯を通せば良く、硬水だと良く挽いた上に、時間をかけて湯を通さないとなかなか濃く出ないという。

 それが道具の差にもなっている。日本のカリタのドリッパーには穴が3つあいていて、そこから湯が落ちる。ドイツ製のメリタ(紛らわしい)のドリッパーだと穴は1つ。より湯が落ちるのに時間かかるようになっている。コーヒーミルも、カリタは砕くようなカッターで、メリタはすぱっと切る感じのカッター。

 道具の違いがあることは分かっていたのだが、そこには水の違いがあった。道具一つでも奥深い。

6月27日

 30年ぐらい前、尾張地方は繊維産業で大変なにぎわいを見せていたらしい。江南市もその例に漏れず、グンゼやシキボウの工場を中心にとっても盛っていて、中心部の古知野の町なんかはかなりにぎやかだったらしい。んが、今は見る影もなく、商店街はシャッター街になり、昼間でもだれもいないゴーストタウンのようになってしまった。日本全国、大都市以外の商店街はどこでも同じ状況なのだが、一つ、古知野の町が違うのは、行政の支援がほとんどなく、放置されてしまったことだろう。

 買い物ならジャスコやイトーヨーカドーに行けば良いと、若ければそう思うのだが、年を食うとそんなわけにもいかない。まず車を運転して行かねばならないし、食品を買うにもだだっ広い売り場を回るだけでも歩き疲れてしまう。家のすぐ近くにある商店で、顔見知りからものを買った方が本当は便利だし、じじばばが増えるこれからの時代、地元の商店街ってかなり重要になってくるはずなのである。

 んが、古知野の町は衰退しきってしまった。どうもここ数年のうちに、名古屋から電車で20分の立地を生かして、シャッターが閉まったお店なんかはぶっ壊し、マンションが何軒も立つような気がする。そうなれば最後、古知野という町があった、という記憶だけが残って後にはひょろ長いマンションが林立するだけである。

 商店街が衰退した契機の一つがやっぱり、ジャスコやイトーヨーカドーのような郊外型の大型店ができたからである。で、江南の場合は、アピタができてからかなり地元の商店街の景気が悪くなったらしい。今でこそ、小ぢんまりとして中途半端な大きさのアピタなのだが、与えた影響は大きかった。

 で、25日に、シキボウの工場跡地に、バカでっかいアピタ江南西店がオープンした。中に入っている本屋やCD屋や服屋や食品、レストラン街は、間違いなく江南市でトップクラスの売り場があるお店で、あるおっちゃんなんかは「もうこれで商店街も壊滅だわ」と尾張弁で話していた。ま、全国どこの街でもこれと似たような状況だ。

 で、テープカットには満面の笑みで市長が出ていたらしい。出るのは良いけれど、もう少し街のことを考えるべきだ。