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10月11日

 デミオのフロントタイヤがかなり減ってきたのでローテーションすることにする。ロードスターだと普通に乗っている限り前後の減り方は同じぐらいで、激しく走ったりすると、タイヤの内側が片減りするから仕方なくローテーションするぐらい。

 3月に買ってきたときはスタッドレスタイヤがついていて、夏タイヤに付け替えるときに、減りの少ない方を前に付けた覚えがあるので、やっぱりFFは前が減りやすい。とはいえ、半年で1万キロちょっと走っていることを考えれば妥当なところか。

 実家から持ってきてある3トンのジャッキでぐわっと上げれば、前後のタイヤが同時にあがるから便利だ。安物電動インパクトを駆使して、20分もあれば作業は完了。あと1万キロぐらいはもつかしら。

10月4日

 岩倉の小学校の体育館で写真を撮ることになった。体育館の撮影で困るのが暗いわりには速い動きをとらえなければならないこと。バレーボールやバスケットボールの試合だと、フラッシュをたくわけにもいかず、感度をよくして、アンダー気味でも良いからなるべくシャッタースピードを上げてやるしかない。それでもやっぱりぶれ気味の絵になるし、そもそも普段からISO800や1600のフィルムを持っているわけではない。

 フィルム時代はほとんどあきらめていたのだが、いまはデジカメである。いつでも気の向くまま、ISOを切り替えてやればよい。雨が降りそうな天気で暗い場所がさらに暗かったのだが、1600に設定すると満足行くぐらいのシャッタースピードで撮影できた。ISOを上げたときに問題になるのが、写真に粒状感が出てくること。フィルム時代は800でもちょっとトリミングして拡大するとつぶつぶした画面で気になった。んが、デジカメは800にしたぐらいでは全然ノイズは気にならない。

 さすがに1600では、ちょっと目立つだろう、、と思ったのだが、ノートパソコンで拡大してみてびっくり。ほとんど問題がない画面で拍子抜けした。すごいぞ20D。間違いなくデジカメの方が撮影の幅が広がる。

10月3日

 江南市の小折町というところに行く用事があったから、ついでに寄り道をすることにした。マナティレーシングである。

 昔はFJとかF4とかレーシングカーを作っていたみたいだけれど、最近はサスペンションアームとか市販車のチューニングカーの製作に軸足があるみたい。ロードスターのフルピロの足回りは、雑誌なんかでみた人も多いだろう。

 で、近くを走ったのだが、一度通り過ぎてしまった。戻ってきて、みてみると、目立つ看板もあるわけではなく、小さな町工場といったたたずまいだった。寄る用事はないから、そのまま通り過ぎた。

10月2日

 「あれのお披露目だから来てよ」と、布袋のおっちゃんから電話があったから出かけていく。

 「おもしろいものがある」と、布袋のおっちゃんの紹介で、とあるお医者さんのガレージで鉄の台車を見せられたのは2か月ぐらい前。なんでも、お祭りのために山車を造っているのだという。ほとんどお医者さんのお金で作っているようなものだから、高さ7、8メートルの仏壇のように輝く立派な山車は無理なのだが、お祭りの復活のためにおもしろいことをやっているな、と感動したのである。

 その山車が完成した。鉄の台車の上に地元の大工がヒノキでさらに台を作り、さらにその上に毎年担いでいた御神輿を、担ぎ棒を外して載せた。高さ3.7メートルで、岩倉の8メートルの山車に比べたらかわいい感じなのだが、やっぱり山車である。なかなか堂々としたものだった。

 なんでも、年々祭りに参加できる大人が少なくなってきて、御神輿を担ぐのに必要な8人も確保できなくなったらしい。「一回みじめな思いをしてもらおう」とお医者さんは昨年、担げなくなったのだからと、御神輿をリアカーに載せて神社まで運ばせた。他の町会はきちんと担いできているのに、一町会だけリアカーなんだから、相当恥ずかしい思いをしたに違いない。

 「どん底を味わってもらって、改めてやる気を出してもらおう」と、今年はその御神輿を改造して山車にした。鉄の台車には、鋳物の鉄ホイールに、堅いゴムを巻いた特性のタイヤがついている。台車は、立派な金の刺繍がしてある幕で覆われているから、鉄だとはわからない。タイヤのおかげで子供2、3人でも押せば転がるが、ステアリングがついている訳ではないから、曲がり角では大人が数人で山車を持ち上げて曲げてやる必要がある。やっぱり、みんなで苦労して力を合わせる場面がないとお祭りにはならない。

 こうした試みから人と人との絆が固くなり、地域が再生していくきっかけになるんだろう。将来は子供にお囃子も覚えさせたいという。新しく生み出したお祭りがどんなふうに成長していくか、楽しみである。

 お披露目が終わった山車は解体されて再びお医者さんのガレージへ。僕の目は、終始同じガレージ内に止まっていたモーガンに注がれていたのは秘密である。

10月1日

 秋の花火が江南であったので、初めて20Dで撮影。デジタル一眼レフの場合でも、フィルムと同じような撮り方になるのだが、一つ気を付けなければならないのが、シャッターを開けたままにしておくと、画面にノイズが乗ってくることである。同じ会社のカメラマンの同期に電話して聞くと、「1分ぐらいが限界では」とのこと。

 そういえば、リモートレリーズをまだ買っていなかったので、カメラのキタムラに行くとちゃんと在庫してあった。バルブ撮影、と言って、シャッターボタンを押している間中、シャッターが開いている状態にしておくモードで撮影するのだが、カメラ本体のシャッターボタンに長時間触れていると、どうしても体からカメラに振動が伝わって、絵がぶれてしまう。これを避けるために、使うのがリモートレリーズ。シャッターボタンの有線リモコンと考えればわかりやすい。

 撮影するのは木曽川近くにある「すいとぴあ江南」という場所で開かれる江南市民花火大会。あまり協賛金が集まらなくて、打ち上げる数が少ないため、市民から音楽をリクエストしてもらって、音楽のリズムに合わせて打ち上げをする、ちょっと変わった大会である。市の職員にごり押しして、すいとぴあ江南の展望タワーと花火を重ねることができる近くの企業のビルの屋上の撮影ポイントを押さえる。

 20Dを仕事場に放置してあった三脚に固定して、構図を決める。縦位置。ISOは100で。絞りは11ぐらいか。ここら辺の数値をいい加減にすると、すべての花火が白っぽく写ってきれいな写真にはならない。

 基本的にリモコンボタンで押している間に打ち上がった花火が画面に写る。だが、1発だけ写っていても迫力が足りない寂しい写真になるので、しばらく開いておいて、1コマに何発かを重ねて撮影する。大きな花火大会だと、打ち上げ場所が何カ所かあって、うまいこと重ねられるのだが、小さな花火大会だと、打ち上げ場所がほとんど1カ所で同じ場所で花火が開くことが多い。すると、何発重ねても同じ場所で重なってしまうので1発の花火に見えてしまうから迫力がなかなか出ない。今日の花火大会もそんな感じ。

 何発かを重ねようとするときに、シャッターを開けっ放しにすると、この写真の場合だと手前のタワーが明るいので、開く時間が長くなれば長くなるほど白くなり、夜空も白っぽくなっていく。それでも何発かを重ねたければ、開く時間を長くするしかない。こういうときに使う秘技が「黒い下敷き」である。シャッターを開きっぱなしにしておいて、1発花火を写し込んだら、シャッターはそのままに、レンズの前を黒い下敷きで覆う。こうすれば余分な光は入らないから、比較的長い時間シャッターを開いておくことができ、重ねる花火を多くすることができる。別に下敷きでなくても黒いうちわでも良いのだけれど。

 それにしても、打ち上げる花火の数が少ない。少なすぎる。しかも、同じ場所で同じような花火を打ち上げることが多く、写真にならない。スターマインになると、突然豪快に打ち上げるので、花火がたくさん重なって真っ白になってしまい、写真にはならない。

 結局、良い感じの写真はあまり撮れなかったので、形だけ良いカットを選んで提出しておく。形が好きなカットはこれなんだけれど、色がない。

9月30日

 自宅1階の仕事場に置いてあるデスクトップパソコンの調子がおかしい。1階で仕事することは少ないし、仕事に使うパソコンじゃないからなくても困らないのだが、音楽をかけたり、CDを焼いたりできない。なにより、メイン機が壊れたときのバックアップとしてはきちんと動く状態にしておきたい。

 一番調子が悪いのはディスプレー。11年前にPC9821As2と一緒に買った飯山電機のMF-8615だ。それまでPC8801MA用に買ったNEC
PC-KD855の14インチモニターしか知らなかった。ドットピッチ0.41mmだとか0.39mmだとかいうのがモニターの美しさの指標だったような気がする。それまで640×200とか640×400ドット、512色中16色の世界しか知らなかったのに、Windows3.1で突然1024×764、256色の世界が映し出されて感動したものだ。

 ところが、11年の使用でフォーカスが甘くなってきて、さらに時代はブラウン管から液晶ディスプレーの時代に移行、どうひいき目に見てもきれいな画面とは言えなくなった。さらに悪いことに、長年の酷使により、パソコンに接続する側のコネクターの根元が断線。突然画面が真っ赤になったり、真っ黄色になったりする。

 多くのディスプレーはケーブルが付け替えできるようになっているのだが、このモニターは廉価版のためか、本体から直接ケーブルが出ていて、付け替えができない。画面がおかしくなるたびにコネクターの付け根を正常に戻るまでいじって、だましだまし使っていたのである。

 1年ぐらい前にそんな状態にがまんできなくなって、電子部品屋でコネクターの部分だけ買ってきて、自分で配線を半田付けしたら、調子が良くなったのだが、いい加減に半田付けしてあるものだから最近になって再び断線。オリジナルのコネクタ部分を捨てちゃったものだから、配線の仕方も分からなくなった。試しに、本体側を分解してみて、別のケーブルに交換できないかと調べてみるが、見たこともないコネクターが使われていたり、直接本体に半田付けしてある部分もあったりして、自分では修理は不可能とあきらめた。

 仕方なく、画面が真っ黄色状態で使っていた。真っ黄色でもCDを入れれば自動で演奏が始まるからCDプレイヤーとしてなら問題なく使える。が、追い打ちをかけたのがHDDの故障。BIOSが40GBのメインハードディスクを認識しなくなった。認識することもあるのだが、起動の途中に止まってしまったり、起動したと思ったらフリーズしていたりとだんだんおかしくなり、最近では認識すらしない状態。原因を調べようにも、ディスプレーが真っ黄色なので、BIOSの設定画面すらよく見えない。いらいらが募ったので、HDDとディスプレーはあきらめることにして、近くのヤマダ電機に走る。

 なぜか、江南にできたばかりのこのヤマダ電機は、中古品が充実している。ノートパソコンあたりはちょっと高くて買う気はしないのだが、中古の液晶モニターがいくつか置いてあるのである。

 どこかの企業にリースされていたらしいモニター。富士通やIBM製が中心。その中でDELLのモニターがアナログとデジタルの2系統の入力を備えているし、デザイン的にも良さそうである。17000円ちょっと。ハードディスクはメルコとかの箱入りしか置いていない。80GBで1万円ぐらい。80GBもいらない。

 もう少し安いのはないかと、一宮のGOODWILLへ。ここはバルク品が豊富にある。値段表を見てびっくり。80GBでも6500円ぐらい。ちょっと昔のフロッピーディスクドライブの値段だ。40GBでも値段はそれほど変わらないから、SEAGATEの80GBをチョイス。ここにも中古のディスプレーがいくつかあり、値段も1万円前半と安かったが、アナログ入力しかなかったので、DELLのモニターを買うことに決定。合わせて24000円程度。月3万円のお小遣いなので、けっこう厳しい出費。

 同じく中古で売っていたデジタル出力対応のビデオカードを買っていこうかと思ったのだが、アナログでどれくらいの画質で映るのか試してからにしようと思い、帰っておもむろにHDDとディスプレーを接続。BIOSの初期画面が出た瞬間にそのきれいさに感動した。これなら別にデジタルで入力しなくても十分きれい。

 OSなどを入れて使えるようにするまでがまた面倒くさい。んが、モニターが変わってくっきり映るようになっただけで、なにやら別のパソコンみたい。再び愛着がわいてきた。

9月29日

 この前話していた生ごみ処理機ができたんですよ、と、江南のとある中小企業の社長のおっちゃんがいうので見に行くことにした。

 江南市の中小企業でつくる工業振興の集まりがあるのだが、市から補助金をもらっているのに毎年、集まって飲み食いするぐらいしか実績がなかったらしい。ま、行政がつくっている協議会なんて実態はだいたいこんなもので、よくある話である。このおっちゃんが3年前に会長となったとき、こんなことじゃいけないと、みんなで何かものづくりをしようということになった。

 ときは、環境をテーマにした愛・地球博が盛り上がりはじめたころ。江南市はごみ減量57(こーなん)運動という、一人一日57グラムのごみを減らそうという運動をしている。家庭でごみを減らすのにもっとも効果的なのが生ごみ。環境万博も開かれることだし、家庭用の生ごみ処理機を作ろう、という話で決定した。

 ごみ処理場などに視察に行って研究を重ね、バイオ式という方式の生ごみ処理機をつくることにした。微生物の力で生ごみを分解するため、1年半はメンテナンスフリー。機械の構造も簡単で、おっちゃんの工場でも内部の部品は作れるだろうという目算はあったに違いない。

 が、製品にするには、外観も大切。プラスチック製のガワを製作するためには、金型などを作らないといけない。その道のプロも江南市にいるのだが、この人が概算すると、ガワをつくるのに5000万円。しかも、10万個単位で製品を作らないと売りやすい価格にはならないという。

 しょうがないから、とすでに生ごみ処理機を作っている企業からOEMで部品を調達することにした。主要メーカー製のものはほとんどが中国製。それでは意味がないということで、国内メーカーを探し、一日あたりの処理量が1キロほどの少し大型のものを選定。すべての部品を買ったら江南製じゃないからと、生ごみをかき混ぜるステンレス製の部品はおっちゃんの工場で内製することにした。

 と、これだけの話があったのだが「生ごみ処理機をつくってるんですよ」という話を聞いたのが6月ぐらい。一から製品を作るのだからしばらくかかるんだろう、と思っていたら、すでに製品がある、ということで、半信半疑、見に行ったら本当に売れる製品があったのでびっくり。ほとんどOEMながらこのおっちゃんの仕事の速さと情熱に感心したのである。

 高さ40センチぐらいのふたつきバケツ、といった感じ。名前は「エコ」に江南をからめて「エコーナン」なんだと。べたべたで恥ずかしくなるような名前だが、なんとなく頭に残る絶妙なネーミングだ。

 とりあえず販売するための製品を作ったという位置づけで、将来は、すべての部品を地元でつくるのが目標。いまはこのおっちゃんが突っ走って製品を作っちゃった形だが、もし、地元企業の技術を集めて一つの製品ができたら、それはそれはすごいことだと思う。「環境の市」などとうたっているが、かけ声だけで実効性の疑わしいことばかりやっている江南市の、ジマンの一つになることは間違いない。

9月27日

 西春町の築73年のみそ蔵で、日本の芸術家16人と、はるばるドイツからやってきた芸術家17人が集まってなにやら怪しげな交流展を開いていた。芸術家、といっても、美術大学卒業したての若者揃いである。

 都市空間を舞台に作品を展開する、というテーマのためか、作品の内容は変わったものばかり。美術展といえば、絵や彫刻がずらずらと並んでいる雰囲気だが、そんな作品はあまりない。たとえば、、、

 マンション8階の通路に双眼鏡がたくさん置いてある。そこから見える風景の中に「仕掛け人」である作者がどこかにいる。双眼鏡で探してくださいという趣向。ドイツの女性が、西春駅そばのマンションの屋上でひらひらするスカーフを首に巻きながら立っていた。ひらひら具合から伺うに、かなり風が強いらしい。肉眼で見ると、自殺志願者みたいでとっても怖いのだが、双眼鏡でのぞいてびっくり。なんと、作者もこちらを双眼鏡でうかがっているのである。それが作品。

 ドイツの女性芸術家が、日本の女子高校生文化に興味を持った。ドイツの高校生はハイソな学校しか制服はない。が、日本の高校生のほとんどは制服を着ていて、中でも女子高校生は似たような化粧やブームがあって、個性的なようで画一的。そんな違和感を表現しようと、自ら制服に身を包む。そして、なにをしたかと言えば、本物の女子高校生を十数人連れてきて、一列に並ぶ。そして、街中をぞろぞろと同じ仕草で歩く。あるところでは、右手をおでこにあてて遠くを見るような仕草。あるところでは、ぴょんと何かを飛び越える仕草。あるところでは、白線の上をなぞるように歩く。ぞろぞろと10数人が同じようにして、ずんずんと街中を歩く。それが作品。

 ある人の作品。過去に偶然見た雲の形。ちょうど「:(コロン)」の形をしていた。畑に寝そべって空を眺め、それと同じ雲を探す。それが作品。

 日本人の男性がやったのが「明るい夜」というパフォーマンス。駅前の商店街の電灯をなるべく消し、まっくらにして、「明るい夜」という自分で書いた詩を読む。それが作品。

 ドイツ人男性のみそ蔵の高さ2メートルぐらいのみそ樽の中でエレキギターを演奏する、というのはまだわかりやすかった。

 こういうのが今の芸術のはやりなのか、と思ったが、設定したテーマのせいでこんなのが「作品」になったのかもしれない。それでも、人と人とのかかわりに価値を求めるものが多かったことは興味深かった。

 芸術というと、なにやらフツーの人間には縁遠いものに思えてしまう。絵を見ると確かに感動することもあるけれど、現代美術になってくると、どう観賞したら良いか良く分からないものがほとんど。

 芸術そのものに価値があって、芸術を極めるには、なにやら特別な世界や思考の中に身を置き、ストイックに追究していない限り、その価値が分からないし、分かる資格もない。そんな風潮が根強くあった気がする。

 んが、若手芸術家たちがやっていたのは、あくまで観賞する人の存在を前提としていた。というか、人とのかかわりそのものに価値を見いだしていたのが、新鮮だった。

 何よりも、ギャラリーという白壁の空間じゃなくて、みそ蔵という昔から存在していた人間くさい場所にわざわざ出かけていき、地域の人たちとのもめ事も承知で、なんとか交流を成功させようと努力した姿。地域を巻き込んで、そのかかわりの中で芸術を見いだそうとした姿が新しい。 

9月26日

 何となく、コスワースのページを開いたら、来期のV8F1エンジンのベンチテストの様子が映像で紹介されていた。12000回転ぐらいから徐々に回転を上げてゆき、19000回転も楽々越えて、20000回転。ゆっくりと回転を下げていき、9000回転で一定に。

 ロードスターのエンジンなんかは6000回転も回すと壊れそうな音なのだが、F1エンジンは9000回転でアイドリングって感じ。世界が違う。

 それでも17000回転ぐらいから細かな振動がかなり出ている感じだった。こんなエンジンを背負って走る感覚ってどんな感じなんだろう。

9月25日

 愛・地球博が終わった。最初は「目標の1500万人も危ういのではないか」と言われていたが、何とか2200万人入り、ちまたでは成功と言われているらしい。果たして成功なのか。

 当初、愛知万博の想定入場者数は3000万人だった。これでも、1970年の大阪の万博の半分の設定である。んが、やはり無茶だということで1500万人に改められた経緯がある。2200万人入った、と言ったって、つくば博ですら2000万人、大阪花博は2300万人が入っているのだから、この人数だけでは成功とは言い切れない。

 収支も大きな黒字になるらしい。んが、財団法人で運営している以上、利益が成功の目安になることはない。

 環境の先進技術が持ち寄られたが、前進はあったのか。万博が終わったら、再び顧みられなくなって、元の木阿弥にならないか。うかれる前にちゃんと検証していかないと、ただの大型公共事業、大手ゼネコンや広告代理店だけ儲かった、ということになりかねない。