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7月14日

 仕事を抜け出して、名古屋・日比野へ。中央市場の魚屋さんに食材をもらいにいく。

 前の職場での付き合いだが、その後もおつきあいが続いている。で、今の職場で8月に大量異動が発生したので、送別会パート1と銘打って魚屋さんに食材をもらって、仕事場で酒盛りをすることにする。

 本当は、仕事中に無断で自分の持ち場を離れることは御法度で、離れているときに事件でもあれば大変なことになるのだが、事情が事情だけにだれからも文句は言われない。

 午前2時ぐらいから出てきているはずの魚屋さんが午後4時前にまだ仕事をしている。仕事しすぎ。事務机の隣にトロ箱が2箱。「仕事場で食べるからごみのでない簡単なやつね!」という注文通り、山ほどの加工済み冷凍ウナギにマグロの固まりに大量のホタテにあたためるだけの焼き鳥にお魚ジャーキーに、もずく1キロにと、一目見て食べきれないことが分かる量が用意されていた。

 ついこの間見てに来たというフォーミュラニッポンの話を聞いたりと、マニアックな話にしばらく興じて大急ぎで一宮へ。仕事を片づけないと酒盛りに加われない。

 仕事をちゃちゃっと片づけて、といきたいところだが、さぼっていたこともあって午後8時ぐらいに飲み始める。予想していたとおり、いくら食べても減らない感じの食材に、ありがたさも感じながら酔っぱらっていく。

 夜、カラオケへ。仕事場のソファで夜を明かした。

7月12日

 江南市の古知野の商店街の中にある、市の国際交流協会の拠点に出かける。

 古知野の商店街は昔はたいそうにぎわったらしい。周辺にある紡績工場で働く女工さんたちが集まる場所で、歩いていると他人の肩がぶつかってくるほどだったという。が、そんなのは40年ぐらい前までの話で、全国の他の商店街と同じく車社会化とそれに合わせた郊外の大型店によって客足が途絶えて、とっても寂しい地帯になってしまった。ちょっと西側にバイパス道路ができ、そちらに新しいお店がたくさん建ったから、江南で買い物をするにしてもそちらへ行く人がほとんどで、もしかしたら、江南市に住んでいても、駅の近くに昔からの商店街があることすら知らない人が多いかもしれない。

 で、6月にジャニーズの嵐が主演する映画の撮影が古知野の中の新町という商店街であった。「黄色い涙」という昔のドラマのリメークで、昭和30年代の高度成長期の若者たちを題材にしているらしい。東京・阿佐谷の商店街が舞台なのだが、レトロな趣のある商店街、ということで古知野の新町商店街の一角が、映画のメーンの舞台となる定食屋のロケ地に選ばれた。撮影中は、どこから聞いてきたのか、多くの若い女性が詰めかけて、狭い商店街は大混乱。それでも、若い女性がたむろする街並みを見て、半世紀前はこんな感じでにぎわったんだなあ、と感慨深く感じた。

 だが、ようするに昭和30年代が再現できる、ということは、その時代から進歩がなかったということで、商売をやっている人にとってそれは名誉なのかどうか。この際、そんな話は置いておくにしても、映画のロケ地になり、来春に公開されるのだから、それを最大限に生かして街づくりに取り込んでしまえばよい。レトロな街ということで映画監督が評価したのだから、映画を機にレトロ路線で売る街にすれば良いのだ。

 だが、当事者の商店主さんたちとお話しても、そんなアイデアはもっていないらしかった。8月の七夕まつりに合わせて映画撮影中の風景を紹介する写真展をメーンのロケ地で開くぐらいで、その後は、その場所を寄り合い所のような場所にする、というぐらい。まったくもって発展性がない。商店街が寂れてしまったのも、さもありなんである。

 まったく違った話になってしまったのだが、その寂れた商店街の一角に、市内に住む外国人が集まって助けあっている「ふくらの家」という場所がある。国際交流協会がコーディネートして、マカオから大学生がホームステイに来たということで、ウエルカムパーティーに顔を出す。ちらし寿司をたべたり、デザートの杏仁豆腐を食べたり、なんだか協会の一員にもなったかのようなずうずうしさでしばらく過ごした。

 これからの江南市を考えると、老若男女に外人が集うこの場所がとっても重要な場所になっていく気がする。が、行政も商店主たちもそのことに気が付いていないみたい。

7月11日

 現在の休みは不定休。月に8日ぐらいもらえるのだが、他の人の休みと仕事との兼ね合いで、土日をきちんと休むという休み方はできない。上司が勝手に割り振る。休みたい日を伝えておけば平日でも何とか休めるという利点がある半面、あとは勝手に割り振られるので平日が休みになることもしばしば。平日にもらったって仕事は発生するわけで、だいたいあちらこちら用事をしに走り回ることになる。

 で、今日も突然の休み。ちょちょいと仕事をして、夕方から時間が空いたのでロードスターでドライブである。

 雨がぱらつく天気なので開幌はできないが、セッティングが取れてフィールが良くなったエンジンでうほほいと出かける。住んでいる江南市は真っ平らで走るのにつまらない場所だが、北に向けて走れば10分で木曽川を渡り、岐阜県に入る。すぐさま丘陵地帯になって、絶好のドライブ道が広がっている。

 空燃比計の調子も良いので、フィードバックを入れて、学習させながら走る。4スロDジェトロ制御では標高が変わるシチュエーションで学習させることは考えられないが、スロポジ制御では誤差に目をつむればOK。4スロDジェ制御のジレンマは、説明するのがなかなか難しい。

 県道を関市に至る前に西方面へ。地図を見て走っているわけじゃないから、どこをどう走ったのかは説明できない。いつしか、国道418号へ。山の中の集落を縫うようにして走ると、今は本巣市になった根尾村へ。福井へ抜ける国道も、藤橋村へ通じる県道も災害で通行止めらしいので、すごすごと国道157号を岐阜方面へ。残念、と言いたいところだが、通じてなくて良かったのかもしれない。通じていたら、福井から富山経由で帰っていたかもしれない。

 いろんなところをうろうろ走り、大垣から安八、羽島と通って一宮へ。一宮に入る前に異変に気づく。水温が100度近く、油温も90度ぐらい。いくら熱くても渋滞でも、水温95度、油温90度はなかなか超えないので、なにかが起こったことは分かる。あれこれ考えて結論、サーモスタットハウジングの電動ファンのスイッチが壊れたに違いない。エアコンを付ければ、もう一つのファンが回るので問題なし。

 無事帰宅。それにしても、直し直し乗っていると、古い車に乗っているんだという実感がわいてくる。

7月8日

 充実した連休を過ごす予定が、まったくやることがなくなってしまったので、とりあえず洗車。それと、バルクヘッド右端の「大穴」をふさぐ作業をする。

 ハーネスの通り道を利用して、水温、油温、負圧計の配線、配管を通してあるのだが、作業してもらった工場が、開けた穴をふさぐ作業をしていないので、エンジンルームと室内がストレートにつながっている形になっているのである。エンジンルームのにおいが入ってきて室内が臭い。どうも、4スロに使っちゃったグリスのにおいが臭いじゃないかとも思う。ツーリングに行くと不快なことこの上ないので、穴をふさいでみる。

 ホームセンターに水回り売り場に売っていたパッキンに使えるというゴムシートを買ってきてあった。はさみを使って適当な大きさに切り、ハーネスや配線などが通る穴を上から見た感じで適当に切る。あてがってみると、けっこううまくはまった。両面テープや黒色のガムテープできちんと張ってできあがり。

 物足りなかったので木曽川沿いとひとっ走り。んが、相変わらずにおったのである。次はシフト回りか。

7月6日

 仕事場で侵入社員たちとの飲み会があったのだが、僕はたまたま夜勤に当たっていたため、一宮の仕事場でお留守番。ま、目のキラキラした若い人たちを見ると、ぎとぎとした自分に嫌気がさしてくるから、ちょうど良かったのかもしれない。

 すると、日付が変わるころになって電話がかかってきた。何次会だか知らないが上司が、今から来い、という。呼んでくれるなら、ごはんがたくさんあるときに呼んでくれれば良いのに。まだ食べていないから腹ぺこだ。ごはんがないところに、だれが行くものか。

 無視していたら、2度目の電話。仕事をしているから、と嘘を付いて引き延ばしていたら、もう1回電話がかかってきて「なめとるのか」。酔っぱらいにはかなわない。恨まれてもつまらないから、のこのこと出かけていく。

 すでに飲みモードに入っている場にいくとやっかいだ。駆けつけ3杯で飲まされるものが、ビールかウイスキーのロックかの差になる。「ボトルキープしたらまずかった」という滅茶苦茶な理由で、そのウイスキーをがばがば飲まされる。

 なにがなんだか分からないまま、カラオケへなだれ込む。夜が早い一宮、1時間で追い出され、ぐちゃぐちゃに酔っぱらった上司を放置しておいて、後輩と3次会へ。そこも15分でラストオーダーを告げられ、仕方なく、本町商店街のショットバーへ。4時ぐらいまで飲んでいたらしいのだが、酔うと時計を見なくなる習性があるので良く覚えていない。

7月5日

 お誘いがあったので、お役所のお偉いさんたちと飲み会へ。

 公務員の人たちと飲むと、いつも不思議に思うのだが、昼間のまじめくさった顔が一転、飲むとゆるんで下ネタ連発になるのはなぜなんだろう。公を担うストレスか。ま、僕が飲んだ人たちがたまたまそうだったんだろう。

 袋だたきのように飲まされて2次会へ。3次会へも行ったらしいのだが、良く覚えていない。記憶が飛ぶほど飲んでもきちんと家に帰っているのは不思議なもんだ。

7月4日

 スロポジ制御でのセッティングが取れてきてとてもスムーズに回るようになったエンジン。ちょこっとだけバルタイを変えてみたくなった。4連Dジェで回していたら、バルタイをいじってしまうとセッティングが大幅に狂うのだが、スロポジ制御なら誤差の範囲内。自由自在に変えてしまってOKで、違いも分かりやすい。

 4連スロットルにしたとき、カムはin272度ex288度の街乗り用を選択。んが、バルブタイミングは、一般的な数値とちと違う。吸気側と排気側の中心角の数値の差がものすごいついている。どうして、そうなっているかと言えば、特に吸気側の数値が「良い」ということを聞いたぐらいで、あまり根拠はないのだが、普通に回るのでそのままにしてある。

 ロードスターではしばらくサーキットを走らないだろうと2年ぐらい前にノーマルマフラーにして、排気側が閉じるタイミングを進めてあった。2寸管時代には、暴走族よりやかましいんじゃないかしら、と心配になるぐらいの音量(エンジンの仕様で音は大幅に変わるので。ノーマルエンジン+αな仕様ならほどよい音量かと)で、4500回転から明らかに段付き加速して、速い半面、言ってしまえば乗りにくい仕様だったのだが、マフラーとバルタイをいじったおかげで、なにより静かになり、アイドリングも安定し、3000回転ぐらいのトルクも厚くなって乗りやすくなった。もちろん、排気系だけで2割弱はパワーダウンしている。

 だが、カムが設計された意図とはかなり違う使い方をしているかもしれないわけなので、いろいろ試してみたくなったわけである。とりあえず、交換したばかりのVベルトは伸びて張りが弱くなっていたので増し締めをする。

 排気側を以前の中心角に戻す。とはいっても、きちっと計測するのは面倒なので目分量。いちおうスライドカムプーリーの目盛りを参考にいじる。

 すると、以前よりも増して乗りやすくなった。アイドリング時の負圧も高め。素晴らしい!と思ったが、よくよく考えると逆に回してしまったみたい。よりオーバーラップが少なくなったのだから、アイドルは安定するに決まっている。

 気を取り直して、もう一度、セットする。明らかにアイドリングの安定が悪くなった。少し走ると、乗りづらい。いまいちである。

 ここで、吸気側が開くタイミングを遅らせてみる。一般的とされるバルタイの数値に近づける形。クランク角センサーが吸気カムに付いているB6エンジンだと、点火時期も遅れてしまうので、調整しない限りは全域でいまいちになる。

 そのまま乗ってみるが、なんだかやっぱりいまいち。点火時期を調整していないことを差し引いても、全体的にもっさりとした特性になった。高回転の切れもいまいち。いろいろセッティングし直すのも面倒なので、元通りのタイミングに戻してしまう。その状態でセッティングを進めてきたから当たり前なのだが、やっぱり調子が良い。

 結局、元通りにして終了。根気と暇がないのが欠点か。

6月25日

 4時間だけ寝て、起きたらかなりアルコールも抜けていたのでほっと安心。午前5時すぎ、出発する。

 国道41号をひたすら南下。行きにステアリングインフォメーションがまったくなくだめだめだった中古YOKOHAMA S.Driveは打って変わってなかなか運転しやすくなっていた。やっぱり、20リットルのガソリンをトランクに積んでいたのがいけなかったみたい。尻下がりになっていれば、重量バランスがくちゃくちゃになるに決まっている。

 あっという間にせせらぎ街道に到着し、2時間ほどで郡上八幡。なぜか、高速に乗ったときよりも早く着いている気がするが、気のせいだろう。

 午前7時をすぎると、交通量も増えてくるので、ぶっ飛ばすことはできない。国道156号を美濃まで走り、県道、愛岐大橋経由、江南。2時間45分で到着した。

 S.Driveは、ネオバに比べてやっぱりステアリングのインフォメーションが少ないが、一般道では支障のないレベル。さすがに、ネオバほどの安心感はないものの、タイムを削る走りをするのでなければ、S.Driveで十分だろう。乗り心地が良く、ロードノイズも少ないので、体の疲れ方も違う。耳鳴りはしなかった。

 家で一時間ほどうとうと横になって、そのまま仕事に出る。国府宮神社で田植えを見て、午後は力士が子どもと交流する場面を見た。なんだか、おなかいっぱいな一日である。

6月24日

 すでに30時間以上起きているが、いかんせん、Vベルトが切れたままでは帰ることができないので、取り寄せてもらったベルトを取り付けることにする。伸びることを見越して若干小さく作ってあるためか、なかなかはまらない。汗だくになりながら、苦戦してなんとか付けた。エンジンを掛けると問題なし。FCSSの画面で電圧を確認するとちゃんとオルタネーターが動いていることが分かる。

 翌日は仕事なのだが、このまま名古屋まで運転できるはずがないので、車屋さん家での宴会に参加し、翌日の早朝に帰ることにする。というか、車を直している段階からビールを飲んでいた。

 おつまみを食べながら、がばがばとビールを飲む。午後5時ぐらい、まだ明るいときから飲むのは快感。睡眠不足はどうすることもできず、すぐさま、意識を失ってしまった。

 8時半ごろ、再び起き出したら、多くの人が帰ったりつぶれていたり。せっかく、富山まで来て飲んでいるのだから、いろいろな人とお話をしなくては損である。お風呂に入って午前1時すぎぐらいにようやく寝た。

6月23日

 夜勤から帰り、うだうだビールを飲んでいたら日本代表の試合が始まったのでそのまま見てしまう。前半、ブラジルが得点したところでこんなものかと寝てしまった。

 耐久レース、富山の車屋さんの車に空きがあるという情報をつかむ。富山ならロードスターでぶっ飛ばせば下道3時間。乗せてもらえば、睡眠不足で寝てしまっても死ぬことはないから富山経由ルートを選択する。

 富山を午前1時に出発ということだから、余裕を見て午後9時の出発。今は午後7時半、ようやく仕事が片づいたところだ。