未分類

12月16日

 おおとろ亭のリビングにて目を覚ます。木曜日に3時間睡眠で名古屋から富山に戻った後、金曜は宿直だったので、あっという間に撃沈してしまった。

 とりあえず、デミオのサーモスタットの修理をしなければ。ラジエーターのアッパーホースの、エンジン側の付け根にあると思われるので、ばらす。デミオはロードスターと同じB型エンジンだが、ヘッドがシングルカム(でも16バルブ)で形がけっこう違う上、横置きなので素人だとけっこうとまどう。

 デスビがじゃまだったので、さくっと外す。水回りのホースは、14万キロ近く使っているものなので、間違っても外してはいけない。パンクするまで使うのです。ホースはいじらずにサーモスタットのカバーを外してサーモスタットとご対面。案の定、固着して半開きの状態だった。

 工場やガレージをうろうろとあさって、適当なサーモスタットを探すも、出てくるのはローテンプサーモばかり。ヒーターが効かずに寒いから修理しているのに、ローテンプを入れたら意味がない。

 これ使って良いよ、とのことだったので、NBの中古B6エンジンから摘出することに。ロードスターは本当に外しやすい場所にある。さくっと外して見比べると、けっこう大きさが違う。NBのB6のやつが一回り大きい。

 一瞬、水路に当たって入らないかと思ったが、ピンポイントでぴったりとはまる場所があったので装着。それにしても、B型エンジンの水回りのガスケットって本当にやっかい。きれいにはがれてくれないからスクレーパーで根気よく掃除をする。傷がついて水が漏れると面倒なので、薄く液体ガスケットを塗って取り付けて完了。

 水を入れてエンジンをかけ、きちんとサーモスタットが動くかをチェック。いつまでたってもアッパーホースが温かくならないから「固着か」と焦ったが、スロットルをあけて回転を上げたら、しばらくして一気にお湯が循環し始めた。ばっちり。

 一度、水をすべて抜き、もったいないから、抜いてあったクーラントを再び注入しようと思ったら「普通は替えるだろ」とオオミチさんに突っ込まれた。工場にあった缶から勝手にクーラントを取り出してきて、ラジエーターに注ぎ込む。

 水温計がど真ん中まで上がるようになり、きちんとヒーターが効くようになった。当たり前のことなんだが、なんだかうれしい。

12月14日

 先週、土日の名古屋行きで気を遣ったのは水温。

 雅久号のエンジンにはサーモスタットが入っていない。レースで走る目的なら基本的にいらないでしょう、と外して最終戦も戦った。冷えすぎるときにはガムテープをラジエーターに張って調節するのだ。

 が、行き帰り自走の雅久号。冬の高速道路では明らかにオーバークールとなってしまう。けっこうな面積をふさいであったのだが、高速に乗った途端にぐんぐんと水温が低下。50度を切るぐらいまで冷えてしまうので、あわててサービスエリアに駐車。追加してぺたぺた。再び、走り出すも、あまり変わりない感じで、再びサービスエリアへ。まだ、オーバークール。こんな感じで、サービスエリアごとに止まる感じで間瀬にたどり着いた。帰りは面倒だったから、新聞紙をつっこんでやったらちょうど良かった。

 今回の名古屋行きで、ちょちょいとサーモスタットを入れようかとも思ったのだが、見あたらなかったので、時間もないことだし、おおとろ亭ガレージに転がっていた淡麗の段ボールをつっこんでラジエーターの8割方をふさいで出発。下道区間は調子が良かったのだが、高速道路に乗った途端にぐんぐんと水温が下がっていく。

 なにせ、飛騨清見インターから東海北陸道に乗ると、すぐに標高1000メートル以上を走ることになる。午前中とはいえ、気温は3、4度しかないので、冷えて当たり前。気がつくと、70度台前半まで水温が落ち込んでいた。

 あんまり低い温度で走っていると、気になるのがエンジンの摩耗。温度が低い分、パーツのクリアランスが広がっているわけで、エンジンにとって良い状態とはいえない。レースで走って摩耗していく分には別にいいのだが、街乗りの状態でエンジンに悪い状態で走るのは精神衛生上良くない。

 かといってサービスエリアに止めてガムテを張るのも面倒なので、4速とか3速で走って80度ぐらいをキープした。ヒーターを付けるとその分、水温が冷えてしまうので、付けないまま、ぶるぶるとふるえながら走る羽目に。

 鈴鹿から引き上げるときに帰りのことも考えて、ほとんどラジエーターをふさぐぐらいの勢いでガムテぺたぺた。平地を走っているときは調子が良かったのだが、標高があがって気温が0度前後に下がったら、やっぱりオーバークール。ラジエーターを風が抜けなくても、ある程度は放熱しちゃうらしい。やっぱりヒーターが使えなくてぶるぶるふるえながら富山に戻る。

 で、木曜日は名古屋の本社で会議があったので、朝からデミオで出発。今度は水温の心配もなく、ヒーターでぬくぬくと移動できるはず。

 が、様子がおかしい。国道41号を走っている状態で、純正水温計の針の位置がちょっと下気味。高速に乗ったら、ほとんど始動直後の場所まで下がってしまった。ヒーターを入れても冷たい風が。どうも、サーモスタットが固着しちゃったらしい。

 行きはまだ気温が高かったので気にならなかったのだが、今朝帰ってきたとき、飛騨清見周辺は雪。サーモスタットも決定的に壊れたみたいで、水温計は一番下を指したまま動かない。ヒーターを付けても冷風が出るのみ。ぶるぶるふるえながら富山に戻る。

 まさか、デミオでも同じ目に遭うとは思わなかった。 

12月9日

 朝、東郷町の魚屋さん宅に寄って、伊勢湾岸道、東名阪で鈴鹿入り。

 午前11時からF4の日本一決定戦を観戦。サーキット単位だと台数が少ないけれど日本一決定戦なので22台のエントリー。ずらりとグリッドに並ぶ光景はなかなか壮観。

 F4のスタート直後に虹がかかっていた。虹がかかる、ということは向こうは天気がちょっと悪いわけで、西コース方面に雨がぱらついているかもしれない、ということでもある。天気が崩れないことを祈る。

 FJのスタートは午後3時。それまではほかのレースを見たりしてひたすら待ち時間。レース屋さんからいろいろ情報を仕入れる。

 FJ1600はスバルEA71エンジンの在庫が尽きてしまったので、フィット1500ccのエンジンを使ったスーパーFJに切り替わる。今は、両方ともレースが開催されていて、スーパーFJは11台が出走していた。来年は、さらに増えるに違いない。FJ1600は残念ながら正式な選手権としては来年いっぱいで幕を閉じると思われる。レースの開催はその後もあるかもしれないとのこと。

 いま、FJ1600は中古価格50〜70万で手に入るみたい。「おまえも走るか」と誘われるが、さすがに今の仕事をこなしつつ、富山から鈴鹿まで往復してレースはできないので、断る。仕事も大事だし。以前なら、1台200万前後だったので、来年1年ならレースがある今が本当の意味で底値かもしれない。興味がある人がいたらレース屋さんを紹介します。伊藤大輔がマカオで3位になったときにメンテした人。

 そのマカオの笑えない話を聞いた。表彰台ということでお祝いのパーティーがホテルを貸し切って開催された。レース屋さんも「マカオで成績を残すということはこういうことか」と、葉巻とかも吸っちゃって、どんちゃん騒ぎの翌日、ホテルをチェックアウトしようとしたら、費用請求が。「おれが払うのか」と目が点になったという。他の人はもう帰っちゃって、だれもいない。250万円をかぶったという。おそろしや。ちなみに葉巻は1本2万円だったそうな。

 他人にスリップを使わせたのに自分は使えなかったDさんは不本意の予選。グリッド上で魚屋さんが「表彰台上がったら伊勢エビだぞ!」と気っぷの良い約束をしていた。たぶん、集中力10%アップぐらいの効果はあったに違いない。

 レースはといえば、スタート直後から1台1台と抜いてナイスレースを展開していったDさんだったが、中盤になってタイヤのたれか、徐々に先頭グループから離れてしまう。6位までの先頭グループはスリップを駆使して団子になっていったのに対し、そこに加われなかったDさんはやや置いていかれる形になった。で、8位。本人にとっては不本意な結果とはいえ、僕から見るとやっぱり立派。予選にしても決勝にしても、いかに他車との間合いを取って、スリップストリームを有効に使うか、使われないようにするか、その駆け引きの重要性がとってもわかったおもしろいレースでした。

 魚屋さんを送って、実家に戻り、すぐ帰ることに。NEOVAはきっぱなしの雅久号で雪に降られたら大変なことになってしまう。飛騨清見から飛騨市方面へ抜ける卯の花街道で雪に降られたものの、融雪剤のおかげで路面はウエット状態だった。もう2時間遅かったら、もしかすると雪が路面を覆っていたかも。

12月8日

 僕を富山に飛ばした元上司がリーダーを務めるバンドが毎年開いているライブに行くことに。ビートルズバンドなので、ジョン・レノンの命日に毎年ライブを開いている。とりあえず、いろいろなことがあったので、みんなが心配しているといけないから、顔を出す。これ重要。

 名古屋に行くのであれば、まっさGoGoのスポンサーである魚屋さん(スポンサー料は魚)にレースカーを見せに行っちゃおう、ということで、朝から雅久号に乗って名古屋に向かう。

 昼すぎに名古屋に着いて、名古屋市中央卸売市場の定食屋でパワーランチ。普通はビジネスの相手同士とランチを食べることを指すらしいのだが、魚屋さんと僕の間では、馬鹿みたいに大量に喰らうことを指す。刺身の盛り合わせにでっかいエビフライ、ウナギの長焼きに貝汁などなど、うまいものを大量に摂取。ごちそうさまです。

 で、事務所にてマニアックな車談義。あれこれ話しているうちに、夕方。話題が鈴鹿話になり、またFJドライバーのDさんの応援に行きたいね、という話に。Dさんに電話をかけたら「いま、予選が終わって帰るところ」。明日が決勝という。

 それなら、明日は雅久号に乗って鈴鹿に行こうと即時決定。すでに暗くなるような時間だったのであわてて実家に戻り、地下鉄で東区泉のビートルズ・ライブハウスへ。この日は、昼にもライブをこなし、おじさんたちばかりなもんだから、もうへろへろな感じだったのだが、演奏のうまさではなく、ステージのうまさがあるバンドなので楽しく聴けた。

 沖縄料理屋で飯と酒と焼酎を喰らって地下鉄にて帰宅。

12月5日

 二日連続の生ぬるい殺気に負けて、総曲輪の何となくおしゃれな居酒屋へ元ラガーマンと向かう。

 完全に場違いな感じではあったのだが、食事はなかなかのもの。ビールをたくさん。閉店の時間なって後輩「次、行きましょう」。

 引きずられるように地下のショットバーへ。ワインを飲みたいというので、どうせがぶ飲みするからボトル1本オーダー。やっぱり足りなくてグラスワインをがぶがぶ。

 完全に飲み過ぎ。失敗。

12月4日

 夜、仕事場で座っていて、生ぬるい殺気を後ろから感じて、はっと振り向くと、後輩が立っていた。

 「行きませんか」と一言。飲みへの誘いである。

 とにかく飲むのが好きな2年目の後輩。元ラガーマンなので、とにかく良く飲む。何となくこちらも同じペースで飲むから、食事が終わるころには相当酔っぱらっている。で、後輩から出てくる言葉が「次、行きましょう」。

 「もう無理」と正直思うのだが、いつもなんとなく付き合ってしまう。で、気がついたら桜木町の怪しげな店で寝ていたことも。

 と、一緒に飲みに行くとだいたい失敗しているので、まず「今日はどうしよう…」と言葉を濁したり、目線をそらして無視してみたりするようになった。後輩も先輩を立てて「じゃあ、今日は帰りますか」といったん話が終わる。が、あきらめが悪い後輩は、帰るまで隙あらば生ぬるい殺気を投げかけ続けてくるので、かなり手強い。強い意思で望まないと負けてしまう。いや、けっこう負けている。

 冷え込んだ上に雨だったので、意を決して断る。それに、昨日トマトソースを作ったから食べなきゃならないのだ。

 昨日と同じトマトパスタを作るのでは飽きてしまうから、野菜をぶち込んだスープを作ってみることに。ブロッコリーとか丸ごとぶち込んだら、大量のスープが完成。うまかったが一人では食べきれない。

 ということで、3日連続、トマト風味の食事が続くのであった。

12月2日

 なぜか、サッカーJFLのYKKAPの最終試合に出かけることに。

 富山県内にはJFLのアローズ北陸とYKKAPの2チームがあり、来年から統合して「カターレ富山」になることに。今年をもってJFLのチームとしては2チームが消滅する。本当の意味で最終試合なのだ。

 曇りで風が吹きすさぶサッカーグラウンドべりで選手たちの写真を撮る。サッカーは撮ったことがないから初体験。これがなかなか難しかった。

 肝心の試合と言えば、開始4分で流通経済大学に得点を入れられ、そのまま負けてしまう。試合後のセレモニーで「最後に良い試合を見せてもらった」と関係者が持ち上げていたけれど、ラインぎわで寒さに震えながらカメラを持ってつぶさに試合を見た僕からすると、何となく物足りなかった。

 アマチュアだって、スポーツで一生懸命やっている姿は感動を与えるもの。最終試合でチームがなくなってしまうためか、試合に対するモチベーションが低いんじゃないかと思うこともしばしば。集中力が足りない感じ。もともとJFLの中では強いチームなので、ただ気が散っていただけなのかしら。

 監督も試合後にしきりにそこら辺を話していて「チームには何かが足りないと最後まで思っていた」と明かしていた。企業チームで社員として雇われているから「不安がない」という。Jリーグでサッカーをやっているプロであれば、結果を残さなければ次の年の契約が取れないどころか、シーズン途中で契約解除なわけで、そこら辺が姿勢に現れてしまうのだという。監督はJリーグでも指導していたような人だから、サッカーに取り組む姿勢への温度差を終始感じていたのかもしれない。

 「本当にまじめなチームというのが印象で、まじめすぎて友達のサッカーをやっている」と監督。「右へ蹴るといったら、右へ。左へといえば左へ。最近は、意外性も出てきたのでようやくチームらしくなってきた」。フェイントを交えて相手をだますぐらいの意識がないといけない。勝負の世界なのだから、そこまで勝ちにこだわらないといけない、ということなんだろう。

 目をF1に向ければ、シューマッハですら、モナコで1番時計を確認してコース内に車を止めるようなあざとさを見せる。新人・ハミルトンも、予選のときにライバルに対して妨害ぎりぎりのプレッシャーを与えるぐらいのことはする。だから、勝てる。プロの世界の勝負、というところはそこまでするものだ。ルールの範囲内でね。

 物足りなさは、もしかすると、そういうところにもあったのかも。ま、TPOがあって、アマチュアだけれど、サッカーのJFLというリーグについては、そこまでやらないと優勝まではできない、ということだろう。

 スポーツとどうつきあうのか、という姿勢の問題でもある。これは、FJを降りてから痛烈に感じた。「勝ちたい」と頭では思っていながら、勝てるまで上り詰める覚悟はたぶんなかった。さすがに、その程度の覚悟であのレースは勝てない。今から思えば、どうせやるなら、もっとゆっくり楽しめば良かったのだ。

 間瀬の耐久レースは、とことん楽しむためにやっている。勝負も大事だけど、過程が大事。いくら速くても、馬が合わない人と走りたくない。もちろん、トップを目指すのは変わりないけどね。

12月1日

 前日に突然、宿直だと言いつけられた。毎週土曜日と言えば、おおとろ亭にて宴会なわけで、土曜日は宿直にしてもらいたくないのだが、サラリーマンの悲哀、上司から言われれば、仕方がないから働く。

 隙があれば、遊びに行ってしまうのだけれど、今日は微妙に仕事が入って隙がちょっぴりしかない。往復に使う時間を考えると、遊びに行くのも現実的じゃないので、仕方がないから仕事場で時間をつぶす。

 富山の街についていろいろ調べることに。松川、いたち川が神通川の旧河道だったということは知っていたが、もっとマニアックな情報を集める。

 車で走ってみて「古い街道かも」と思っていた道路。南富山駅から大沢野方面へ走る県道なのだが、30年ぐらい前まで線路だったことが分かった。どうりでその県道を走っていて「裏側感」があったわけだ。

 路面電車の場合、電車は文字通り路面を走って街中を結んでいるのであって、車窓を流れる風景は街の表側ばかり。逆に、鉄道は駅と駅を結ぶものであって、途中はどちらかと言えば街の「裏側」を走る。路面電車は表通りの玄関側が見えるのに対し、鉄道は路地側や庭側が見える、とでも表現すれば良いか。

 これは富山のライトレールに乗ってみれば良く分かることで、富山駅北側からしばらくは表側なのに対し、旧富山港線区間に入った途端に裏側となる。まあ、一個人の主観で言っているのにすぎないのだけれど。

 国道41号と平行に走って大沢野に向かっている県道は何となく裏側な風景だった。高山と結ぶ昔の街道だった場所ともちょっと違うな、と感じていたから、昔は線路だった道路、ということを知って、妙に納得してしまったのである。

 かつての射水線についても知識を得た。富山新港の開港に伴い、高岡まで結んでいた鉄軌道が分断されてしまった。今では万葉線区間でしか残っていない。富山北大橋から先の道路って変だな、と感じていたので、かつては線路が走っていた地域だと知れば、「変」も納得できる。

 なにを書いているのか、良く分からなくなっちゃったけれど、書いてしまったからこのままアップすることにしよう。分かるように書く必要もない。所詮、僕の覚え書きに過ぎないのだから。

11月30日

 月末日なのに、明日が休みかどうかも分からないようないい加減な職場。勤務表では休みになっていたので、ちょっと県政は忙しそうな感じではあったのだけれど、強引に休んでやることにした。

 罪悪感がちょこっとあったのだが、朝に電話が。「悪いけど、この土日は出番にしてくれる?」と上司。そういう可能性もあるだろうからと強引に休んだのが正解。3連休も期待していたのだが。ま、仕方がないので、OFFモードでだらだらと過ごしたら夕方になってしまった。

 いろいろ買わなければいけないものがあるので、のろのろと外出することに。たまには夕食ぐらい作るか、とまずはスーパー巡りをすることにした。

 富山のスーパーは競争がものすごい。もともとうまいものを食ってきた県民を満足させなければいけない上に、店舗も過剰気味だから価格競争も激しい。チェーンごとに特徴があって、品揃えも微妙に違ったりするから、富山に来てから、スーパー巡りが趣味だったりする。

 大阪屋と新鮮市場、バローを巡ってみた。大阪屋と新鮮市場はたぶん、富山発祥のスーパーチェーン。バローは岐阜県発祥だから、ちょっと雰囲気が違う。

 回ってみて改めて思うけれど、富山のスーパーの中では大阪屋が抜きんでている。何よりも価格が安い。その上、刺身の品揃えもすごい。さらには、総菜コーナーが圧巻だ。品数の豊富さと安さ。おかずを作るのがちょっと面倒かしら、と思わせてしまうぐらいの迫力がある。

 3軒目のバローでがまんできなくなって、刺身の盛り合わせとバイ貝刺身を買ってしまった。大量のビールを摂取する僕としては、これだけでおなかが一杯なぐらい。料理を作るモチベーションは萎えてしまって、野菜が足りないからと、ブロッコリーを買ってペペロンチーノ風味にして、わしわしと食べることに。

 雅久号のシリンダーヘッドの部品の洗浄をするために買ってあった灯油が、暖房に使い始めて枯渇してしまったので、帰りにガソリンスタンドへ。寄ってみてびっくり、行列ができている。そういえば、12月に入ったら再び石油製品が値上げされるんだっけ。富山市内の普通のガソリンスタンドでは、レギュラーで148円程度。明日から155円ぐらいになると思われる。確かに、月が変わる前にガソリンを入れておこうという気になるのは理解できる。

 でも、今日中に30リットル給油したとして、節約できるのは200円ぐらい。ガソリンを入れるためにわざわざ車に乗ってエンジンをかけて、行列に並ぶ際もアイドリングしっぱなしだったとするならば、1リットルぐらいはガソリンを消費してしまうわけで、並ぶのに時間も使うことを考えると、あまり賢い行動ではないな、と一人、ポリタンクに灯油を注ぎ込みながら考えてしまったのであった。

11月26日

 耐久レースにスターレットで参戦している群馬のじょう氏がおわらサーキットで走るというので、宿直明けでそそくさと荷物をまとめ、八尾に向かう。

 じょう氏のロードスターは、T.O.Racing Factory製作のぽん付けターボ、快適街乗り仕様。こう表現すると、お気楽に造った車のようだが、インタークーラーがきちんと付いているのに、エアコン、パワステまで装着してある。普通ならスペースがきつくてエアコンを外したりするが、なんとコンデンサを下回り、アンダーカバー部分に取り付けてスペース問題をクリア。ものすごい造り込みがしてある。重いには違いないのだが、そこはターボパワーとリア225のADVAN048でカバー。

 到着したときには走行の真っ最中。タイムのモニターをのぞくと52秒台でやる気満々仕様のインプレッサなど、激速車種を1秒近く上回っていた。耐久号で走ると57秒台が限界と思われる。1周1キロの曲がりくねったミニサーキットで5秒差。快適仕様とは思えぬタイムである。

 雅久号も持ち込まれたので、フィーリングをコメントしてもらう。ミニサーキットで重ステに小径ステアリングはちょっと疲れるものの、軽くて楽しい、どうにでも走らせることができる、とのことだった。僕も10月に乗ったときはそう思った。これが間瀬ではまた違う感じになるのが、難しいところ。

 お昼休みまでいて、仕事に向かう。スーツ姿にでかいカメラを抱えて、パドックをうろうろしていたので怪しさ満点だったことは間違いない。