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1月7日

 エンジンをオーバーホールした雅久号。が、シフトアップ後にマフラーからぽんと白煙が出る。目立ってエンジンオイルが減るわけでもないし、サーキット以外ではスポーツ触媒が付いているから、白煙は出ない。

 シフトアップ時に白煙が出ているということは、まず間違いなく、バルブシールの組み付け不良だ。インマニが正圧のときは問題ないのだが、シフトアップでアクセルを抜いて負圧になったとき、ヘッド内のオイルをバルブガイドから吸ってしまう。

 以前、エンジンを組んだときにも、同じような失敗をやらかしたので、やっつけ仕事的に急いでヘッドを組んだ今回も、バルブシールだけはしっかり組み付けた。どれぐらいしっかり組んだかと言えば、真っ直ぐ取り付けるためにこれでもかと押しつけた。

 「バルブシールなんて、きゅぽって感じで軽く入るだろ」とおおとろ氏。どうやら、念入りにやったつもりになっていたのがいけなかったらしい。

 バルブシールの不良かどうかは正直分からないけれど、白煙が出るのは間違いないわけで、バルブガイドをチェックする意味でもヘッドを降ろしてみることに。吸気管を外して、エアクリボックスを外して、エキマニを外して、インマニ外して…。淡々と作業するのみ。

 4スロのエンジンルームに慣れてしまっているので、いろいろとまどうことも。意外に配線が各所にしっかり固定されていて、うっとうしい。インマニを固定するボルトで1本だけどうやっても工具が届かないなあ、と手探りしながら考えていたら、インマニステーが付いていることに気がついた。元祖雅号では、かなり以前に初めて油温計を付けたときに、センサーを取り付けるブロックのじゃまになるというので外してあったから、改めて付いていると新鮮に感じる。

 ヘッドカバーを開けて、ウオーターポンプのプーリーを外し、タイミングベルトのカバーを外す。1番目の気筒の上死点を出して、タイミングベルトをゆるめる。カムプーリーも外して、ついでにカムシャフトも車上で外してしまう。ちょっとでも軽くするために。ヘッドを持ち上げた途端、腰がぎくって来たらいやだ。

 HLAも外して、ヘッドボルトを外し、えいっと持ち上げたら意外と軽かった。

 バルブを外してみる。バルブを抜くときにバルブシールとのあたり方や抜けるときの手応えを感じてみて、不具合がありそうかどうかをチェックしたのだが、正直言って良く分からなかった。きちんと付いているように見えた。

 とりあえず、バルブをペーパーで磨いて作業は終了。サンエスできれいにして、再び組み付ける。なんだか、不毛な作業だ。

1月5日

 「みんな来るよ」と誘われて、仕事もそこそこにおおとろ亭へ。あけましておめでとうのあいさつもそこそこにぷしゅっとビールを開けて、いろいろな談義をさかなに飲みまくって、午前2時前ぐらいに意識を失った。

 起きたら完全な二日酔っぱらい。ふらふらとつなぎに着替えて、工場へ向かったら雪かきをしていたので参戦する。

 力仕事になるとひ弱な体の馬力不足を実感してしまうが、それ以上に、二日酔っぱらいをした自分を反省した。スコップをふるえばふるうほど、頭がふらふらしてきて、力が入らない。なにくそと雪をかきまくるが、体がだるいのではかどらない。

 一輪車で水路に雪を捨てながら、もし今日再び大雪が降ったら、またこの作業をやるんだな、とふと思った。おおとろ母上曰く、「雪が降るたびやるの。だから忍耐強くなるんよ」。

 言葉では分かったつもりになっていた県民性だが、スコップをふるいながら、「勤勉で忍耐強い」を、何となく実感した。

1月3日

 新年あけましておめでとうございます。

新年あけましておめでとうございます。

 正月を実家で過ごして、2日に富山に帰ってきた。しばらく下道で走って、関インターから東海北陸道。5時すぎに飛騨清見を出て通勤割引を最大限活用する方針で。

 郡上八幡までは調子よく走ったのだが、その先で突然の渋滞。そろそろ路面に雪が残り出したから仕方がないかな、と思っていたら、除雪車がのろのろと作業をしていた。

 仕方がないな、と思い後ろをのろのろついて行く。大和インターで除雪車が道を譲ってくれたのだが、少し走ったら再び渋滞。なんだろうと、思ったのだが、すぐ理由を理解した。

 路面につもった雪が凍って固まって、車輪で削られてぼこぼこの路面。どかんばかんと乗り越えなければならないから、飛ばせるはずがない。1時間以上は渋滞でのろのろと走る。反対車線も渋滞していたから、排ガス臭くて頭がくらくら。ひるがの高原のインターでほとんどの車が脱落していった(たぶんトイレだ)から、一気に道がすいたので、ようやくぶっ飛ばせた。

 グリップ感を確かめながら、できる範囲で走っていたのだが、どうやら後ろの車の方が速い。こっちもむきになって、危険かなと思うぐらいまでスピードを出したら、雪のわだちにはまって一車線分左にぶっ飛んだので、びびって道を譲った。

 卯の花街道では、登りは快調だったのだけれど、下りにさしかかって身が凍り付く。路面に雪はなかったのだけれど、真っ黒のアイスバーン。ブレーキにふれただけでABSが効くぐらいの低ミュー路面で、気づかないで突っ込んだカーブで死ぬかと思った。

 アイスバーンは数河峠を越えた後まで。緊張のドライビングが続いた。5年ぐらいたったスタッドレスなのだが、やっぱり新調した方が良いかしら。

12月31日

 一年前の今日はたしか、元祖雅号のFreedomセッティングにいそしんでいた。そして、江南の事務所兼自宅で独り年越し。ひたすらビール飲んで、寝正月。

 どんなに忙しかろうが、大晦日は家族とともにごちそうを囲んでお酒を飲んで、そばも食べたりして年越しをするのが一つの行事だったのだが、独り大量に酒を飲んで呆然と過ごしていた年越しだった。ま、終わりの始まりだったのだから仕方がない。

 いろいろな後始末を終えて(まだ終わっていない部分もあるが)呆然としていたのが今年の前半だった。ま、統一地方選があったから、単純に仕事で忙しかったというのも一つあるけれど。そういえば、3月に国府宮のはだか祭りにふんどし締めて繰り出していったっけ。

 ゴールデンウイークあたりから、車いじりが盛んに。間瀬耐久レースも絡めて、連休4日間を富山で過ごして幌を交換したりした。まさか、このときは8月から富山に住むことになるなどとは夢にも思っていなかったのだが。

 6月には鈴鹿へ。徐々に走りへの情熱がふつふつとわきだした。マレーシアのFreedom仲間に会いに東京まで下道を走っていったこともあったなあ。8月に異動してからはまさしく雅久号を完成させるため、車三昧の日々。無事11月に間瀬耐久レースに出場した。それ以降はちょっと仕事も忙しくなったけれど、おわらサーキットへも1度出かけてタイムが出たので良い形で1年の走りを締めくくることができる。負けたのがくやしいけれど、来年は勝ってやる。

 1つ終わって1つ再スタートを切った1年。来年は助走が必要ないから、富山の仲間とともに最初から全力で走りまくる所存。

12月30日

 やらねばならない仕事があるのだが、もう年末気分だし、大してモチベーションもわかないので、漫画なんかを読みながら、だらだらと2日間を過ごしてしまった。仕事そっちのけで漫画に熱中。ま、締め切りまでに出せば良いだけの話で、正月休みの間に提出すれば良いのだから、焦ることはない。

 本当は今日中に仕事を片付けてから帰省したかったのだけれど、実家で片付けることにして、名古屋に向かう。午後6時半から学生時代の友人と忘年会があったから。

 国道41号を飛騨市まで走り、卯の花街道を通って飛騨清見から東海北陸自動車道というのがいつものコース。晴れていれば3時間ぐらいで到着するのだけれど、外を見ればみぞれが降っている。間違いなく、標高が上がれば雪が大量に降っているわけで、いつもよりかなり時間がかかることは分かっていたのだが、だらだらと過ごし、午後4時すぎに家を出る。

 案の定、大沢野を抜けたあたりで本格的な雪。雪っていろいろな状態があって、雪と雨が半々ぐらいのシャーベット状が一番危ない。固体だか液体だか分からないような状態のものがタイヤにからみついて、激しくハンドルを取られる。いや、ハンドルを取られるというような生やさしいものではなくて、車ごと左右へ振られてしまう。

 富山県境ぐらいまで、そんな状態の雪だったので、かなり緊張して走った。岐阜県内に入ると雪の強さが弱かったので、イージードライブ。年末だからか、大雪で山の方向へ向かう道だからかは分からないけれど、交通量が少なかったので、雪道だけれどほぼ、いつものペースで走りきる。

 神岡を抜けて数河高原に向かう前にシェルスタンドに寄って給油。けっこう奥地のスタンドなのだが、なぜか冗談みたいに価格が安い。富山市内でレギュラーが安いところで151円/リットルなのだけれど、ここは137円/リットル。怪しい品質なのかもしれない。とりあえず、雅久号にレギュラーを給油して、その後におわらサーキットを200周走っても、エンジンがつぶれなかったので、たぶん大丈夫だと思う。

 給油を終え、数河高原へ。標高がだんだん上がるにつれ、雪も本降りになってきた。大雪をヘッドライトが照らすものだから、20メートルぐらい先までしか見えない。ガードレールの反射材や街灯を頼りにできる限りアクセルを踏む。

 路面は平らなパウダースノー。デミオでいろいろ挙動を試してみる。FF車は、コーナリング中は我慢しなければならないことが何となく分かった。アクセルで向きが変えられるFR、ラブ。それにしても、本当にロードスターで走っていないことが悔やまれるぐらい良い状態の積雪路面だった。松本時代にも、その年一番の積雪のときに、喜んで山へ走りに行ったものだ。2回目、3回目ともなると、路肩の古い雪やらなにやらで、路面の状態が悪くなるから。

 卯の花街道へ。ここもものすごい振り方。けれども、わだちがすくないのでかえって走りやすかった。タイトなコーナーはサイドブレーキを引きまくりながらクリア。

 飛騨清見インターから高速へ。徐々に標高が上がっていく、ひるがの高原までは危険を感じるほどの雪の降り方だった。雪がヘッドライトに照らされて前が見えないから、道路のどのあたりを走っているのかが時々分からなくなる。

 ひるがの高原を抜けて、除雪車が走った直後の状態の良い道を快調なペースでとばしていたら、高鷲インターでスキー客の渋滞に遭遇。郡上八幡までのろのろペースを強いられて時間をロスした。

 車で飲み屋に直接乗り付けて、仕方がないからウーロン茶で乾杯。終電の時間までわいわい騒いだ。

12月27日

 カラオケが終わって、日常のアップも終わって、さあ寝ようという段になってあることに気がついた! 可燃ゴミ収集は、27日が年内最終日である! 冷蔵庫の中で勝手に腐りかけた野菜や果物がゴミ箱に突っ込んであった。いちおう、ふたが付いたゴミ箱なのだが、次の収集日であろう1月7日まで放置したら(我が地区は月曜と木曜の回収)、さすがに悪臭を放つようになるに違いない。

 半分寝かかっていた脳みそに気合いを入れて、デミオに乗り込って300メートルほど先のアパートに帰り(忘年会だったけれど、一滴も飲んでない)、ゴミ袋を縛って、収集場所に置いて、そして仕事場のベッドにもぐって意識を失った。

 庶務のおばちゃんが来るから午前9時までには起きなければならぬ。3時間睡眠でふらふらだったけれど、何とか起き出して、着替えておばちゃんを待ちかまえる。9時すぎにおばちゃんが出勤して来たのと入れ替わりに仕事場を去って家に帰って1時間ぐらい寝る。シャワーを浴びて、再び活動。みそじーずにはなかなか体力的に厳しい状況だけれど、この峠を無事越せば正月休みだからがんばる。

 なぜか北陸新幹線の建設場面を撮影しなければならなかったので、滑川から魚津と走っていくが、なかなか撮影ポイントがない。新幹線予定地を縫うように、2時間ぐらいさまよって、結局、黒部まで行って納得いく撮影ポイントを発見。納得いく絵をつくることができた。

 帰りは北陸道で。次の仕事までにしばらく時間がある。立山で下りて、向かったのは車屋さん。到着したら、ちゅうとろ君が片方の補助輪を外して特訓していたので、スパルタ教員として参加する。5歳になったばかりの子どもとしては足のトルクも申し分なく、こつをつかめばいつでも補助輪なんか必要もない感じなのだが、なんとなく「びびり」なところもあるので両側の補助輪を外すところまでは行かなかった。残念。

 すっかり年末シフトとなったテレビで映画を見て、家に帰って、ビールをがぶ飲みして、これから意識を失うところなのだ。

12月26日

 二日酔いで体がだるいな、と思っていたのだが、どうも様子がおかしい。午後すぎになっても夕方になっても、頭が少し痛いし、思考もはっきりしない。これはもしかしてと思い始めたころに寒気がしてきた。風邪だ。

 いつもはのどから兆候が現れるのだが、今回は体のだるさだったみたい。何となく仕事をこなし、夜の忘年会に臨む。とりあえず、宿直が当たっていたので、アルコールは控えることに。ほっとウーロン茶などを飲みながら、ひたすら飯だけ食べて体のだるさに耐えていた。

 1次会がお開きになり、2次会へ。みんなでカラオケに行くという。せっかくの機会だから付き合うことに。

 元気の良い連中ばかりなので、気がついたら午前4時を回っていた。風邪を治すにも睡眠不足じゃあ、なんともならないな、と分かっているけれど、寝る前にこんな文章を書いている僕がいたりする。

12月24日

 振り替え休日だが問答無用でお仕事。がらんとした県庁内の一室(でも同業他社は3人もいる。仕事熱心な人たちだ)で、ちょっとできた時間にくだらない文章でも書いてみる。

 と、ここまで書いて気がついた。同業他社の人が電話で「クリスマスなのにすみません」と話したから。

 クリスマスイブじゃねえか…。

 とここまで書いたら既視感(デジャブ)におそわれた。あっと思い、2002年の日常を読み返してみると

 年内には金曜日に東京に行く以外は、すでに仕事らしい仕事がない、というか年内に仕事らしい仕事をするつもりがないので、かなり余裕たっぷりに過ごしている。だから、Freedomネタ更新2連発目! ネタの大盤振る舞いなのだが、今日、更新作業をしていて気が付いたことが一つ。

 年内には金曜日に東京に行く以外は、すでに仕事らしい仕事がない、というか年内に仕事らしい仕事をするつもりがないので、かなり余裕たっぷりに過ごしている。だから、Freedomネタ更新2連発目! ネタの大盤振る舞いなのだが、今日、更新作業をしていて気が付いたことが一つ。

 クリスマスイブ、じゃねえか…。

 クリスマスイブ、じゃねえか…。

 車野郎、すなわち、「Car is my life!」というか「Car is my wife!」と言い切ってしまえるぐらい危ない領域に達してしまった、「ヲタク」青年、すなわちギャルギャルにまったくもてない代表格の男である僕が、いくらクリスマスイブのことに対し、「キリスト教信者でもないのにクリスマスを祝うなんて、ただ商業主義に踊らされているだけじゃねえか。けっ」とすこぶる正しく吐き捨てようが、やはり、世の中のアベック(死語?)は一緒に過ごしていて温かい気持ちになっている厳然たる事実が存在するのである。いくら僕がクリスマスを祝って除夜の鐘を突いて、初詣に行くような3つの宗教を渡り歩く節操のない国民性を攻撃する、まったくの「正論」を吐こうが、世の中はそんなことにお構いなく、ハッピーであって、吐いた正論はただのひがみであって、ジェラシーであると断罪されるのがオチだから、やはり僕はただのロンリーな車野郎なのかもしれない。

 車野郎、すなわち、「Car is my life!」というか「Car is my wife!」と言い切ってしまえるぐらい危ない領域に達してしまった、「ヲタク」青年、すなわちギャルギャルにまったくもてない代表格の男である僕が、いくらクリスマスイブのことに対し、「キリスト教信者でもないのにクリスマスを祝うなんて、ただ商業主義に踊らされているだけじゃねえか。けっ」とすこぶる正しく吐き捨てようが、やはり、世の中のアベック(死語?)は一緒に過ごしていて温かい気持ちになっている厳然たる事実が存在するのである。いくら僕がクリスマスを祝って除夜の鐘を突いて、初詣に行くような3つの宗教を渡り歩く節操のない国民性を攻撃する、まったくの「正論」を吐こうが、世の中はそんなことにお構いなく、ハッピーであって、吐いた正論はただのひがみであって、ジェラシーであると断罪されるのがオチだから、やはり僕はただのロンリーな車野郎なのかもしれない。

 なぜか、このときと同じ状況にいる自分が不思議だ。

 ちなみに2001年のクリスマスイブ。

 世間がお祭り気分で華やいでいるときに出勤。どうせ休んでいてもなんの予定も入らないから、仕事をしていた方が気が紛れる、とも言える。ハードに車をいじった若者の、悲しい末路を暗示している気がする。

 世間がお祭り気分で華やいでいるときに出勤。どうせ休んでいてもなんの予定も入らないから、仕事をしていた方が気が紛れる、とも言える。ハードに車をいじった若者の、悲しい末路を暗示している気がする。

 クリスマスで騒いで、大晦日に除夜の鐘を付いた直後に、初詣に行く。何の矛盾も考えずに、ただお祭り騒ぎしている国民性が最近まで嫌いだった。だから、今日みたいな日に、街中で幸せそうに手をつないで歩いているカップルを見かけたりすると、わぁ、と叫んで走って間に割って入り、突然の蛮声にひるんだ2人の間で「馬鹿馬鹿しいからやめろ!」と奇声を上げ、どんどんと地団駄を踏んでやりたい気分になったものである。いや、これはただのひがみか。

 クリスマスで騒いで、大晦日に除夜の鐘を付いた直後に、初詣に行く。何の矛盾も考えずに、ただお祭り騒ぎしている国民性が最近まで嫌いだった。だから、今日みたいな日に、街中で幸せそうに手をつないで歩いているカップルを見かけたりすると、わぁ、と叫んで走って間に割って入り、突然の蛮声にひるんだ2人の間で「馬鹿馬鹿しいからやめろ!」と奇声を上げ、どんどんと地団駄を踏んでやりたい気分になったものである。いや、これはただのひがみか。

 無宗教ならかまわないのだが、これだけの短期間に3つもまたいで騒いでいるのは閉口していた。ま、世間が騒いでいるときに、うつむき加減に、無邪気だねえ、と両手を挙げながらニヒルにつぶやいている人間はいやな奴だけれど。

 無宗教ならかまわないのだが、これだけの短期間に3つもまたいで騒いでいるのは閉口していた。ま、世間が騒いでいるときに、うつむき加減に、無邪気だねえ、と両手を挙げながらニヒルにつぶやいている人間はいやな奴だけれど。

 最近、ふとしたことから、これが日本人の感覚なんだな、と思うようになった。昔の人は北アルプスだとか、御嶽山だとか、ぶっとい大木だとか、巨大な岩だとかを「神」としてあがめていたんだな、と。自然全体が神でたくさんの神がいることが普通だったのだから、仏様がきてもキリスト様が来ても神の一つに組み込んじゃったのね。そう思ったら、さまざまな宗教の節目に騒いでいるにも悪くはないかな、と思い始めた。ホントに、つい最近。

 最近、ふとしたことから、これが日本人の感覚なんだな、と思うようになった。昔の人は北アルプスだとか、御嶽山だとか、ぶっとい大木だとか、巨大な岩だとかを「神」としてあがめていたんだな、と。自然全体が神でたくさんの神がいることが普通だったのだから、仏様がきてもキリスト様が来ても神の一つに組み込んじゃったのね。そう思ったら、さまざまな宗教の節目に騒いでいるにも悪くはないかな、と思い始めた。ホントに、つい最近。

 しかし、クリスマスだけは、騒いでいるのが許せないのである。なぜならば、ただひがんでいるからである。こんなことを言っておいて、来年あたり、無邪気に騒いでいたりして。

 しかし、クリスマスだけは、騒いでいるのが許せないのである。なぜならば、ただひがんでいるからである。こんなことを言っておいて、来年あたり、無邪気に騒いでいたりして。

 ハードに車いじりしている限り、無理か。

 ハードに車いじりしている限り、無理か。

 なみだが出るほど悲しい20代半ばのクリスマスを過ごしていたらしい。30代になっちゃった今も、変わらない状況も涙を誘うカモ。

 

 2002年の今日、ちゅうとろ君が誕生した。その子と今、グランツーリスモで競争したり、自転車に乗って追いかけっこをしている。子どもの成長は早いもんだ。

 ということで、素直に5歳の誕生日を祝福しよう!

12月23日

 体力ばてばてで、金曜日夜に飛行機で富山に帰ってこようかと思ったのだが、羽田空港に行くには40分ぐらいはかかる。ばたばたっと出発すれば何とか、間に合ったとは思うのだけれど、ばたばたと行ったあげくに間に合わなかったのではホテル探しとかでかえって疲れるだけ。8時すぎに東京駅から新幹線に乗れば、新潟経由で戻ることはできたのだけれど、3時間以上電車に乗ったらかえって疲れを増幅させてしまう。なので、おとなしく宿取って泊まって帰ることにした。

 愛宕山のホテルに泊まり、朝目覚める。とりあえず、一刻も早く帰りたいと思った前日よりは体力もちょっと回復した。今日中に帰れば良いので、朝一番で帰るのはもったいないと思い、東京の街を徘徊することにした。

 何となく、浅草に行きたくなったので、地下鉄で浅草へ。土曜日だったためか、ものすごい観光客でごった返していた。ああ、浅草ってすっごく歩行者でにぎわっているけれど、観光地なんだな、ということがよく分かった。商店街に客が集まっているのではなくて、観光客が群がっているというこの現実。空洞化に悩む多くの地方都市にはまったく参考にならない商店街ではある。

 一つ、東京の街が分かったと満足して羽田から富山に戻ったのは午後4時ごろ。戻って分かったが、やっぱり富山の方が落ち着く。大都市嫌い。

 やりのこした仕事をこなしたら、午後7時ぐらい。土曜日は毎週おおとろ亭で宴会の予定なのだが、体力的にきつく、寝たかったので家に帰ってビールを大量に摂取して意識を失った。

 朝起きて、昼起きて、おおとろ亭へ。元祖雅号のシフトレバーが、雅久号に奪われて不動車になっていたので、とりあえず動く状態にする。来年も走る耐久レースのドライバーがおわらサーキットに走りに行くとのことなので、一緒に走りに行くことに。今年のおわら走り納めだ。

 考えてみると今年のサーキットは4回目。無心に走ることができたのは今回が初めての気がする。耐久ドライバーに軽くタイムで負けてしまったが、10月のときより1秒上がったのでよしとしよう。

 家に帰って麻婆なすを作って、ビールを大量に摂取して意識を失った。

12月19日

 午前5時すぎに起きて朝一番の飛行機にて、富山空港から羽田へ。富山県の幹部のお供って感じで。東京国際フォーラムでちょびっと仕事をして、ご褒美にお昼ご飯をもらう。なかなかおいしい弁当だとご機嫌で平らげたのだが、1つ4000円と聞いてちょっと引いた。

 午後は少し時間があったので、松本時代の元同業他社で現在デンジャラスタウンのNKにて花屋さんの店長を務める友達と会う。軽くお茶でもしようかとも思ったのだが、なぜか入ったのはステーキ屋。4000円の弁当に続き、サーロインステーキ200gを平らげる。

 夕方、東京本社にて打合会。まだ口の中が肉くさいぐらいなのに、弁当が出てきた。上司を前に残すのも気が引けるので、全部平らげる。

 午後10時すぎに歩いて財務省入り。大蔵官僚からレクチャーを受ける。深夜3時まで延々と続くレクチャー。群がる人々。なんだか、完全に世間の常識とずれた光景だが、彼らにとっては普通のことなんだろう。官庁の中の官庁と呼ばれる財務省の、キャリアなのだから、よっぽど威張っているのかと思ったのだが、見下す感じもなくとっても丁寧に対応してくれてびっくりした。尋常じゃない構造の脳みそを持っているんだなってことだけはいやと言うほど思い知らされた。

 愛宕山のホテルにて3時間ぐらい寝て、本社に上がってぼちぼちと仕事。お昼ご飯を食べて、午後3時すぎに国土交通省へ。5センチぐらいある分厚い資料をもらう。寝不足の頭に数百ページの紙の束はちときつい。うろうろと省内を回った後、都道府県会館を回って再び本社。

 なんとか、仕事を片付けてくだらないことを書いている次第。頭はすでに眠っているのだが、これから銀座で飲み会だったりして。