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4月19日

 富山から間瀬に走りに行くとなると、午前5時台には出発していかねばならない。みそじーずになれば睡眠をきちんと取らないと体力的にふらふらなのであって、10代のときみたいに寝なくてもフルパワーを出せた時代は遠い過去なのである。ちゃんと寝ないとほんとに人間失格なぐらいにだめだめなのだし、その上に仕事上夜型生活を強いられるので午前中は体全体が眠っている状態。

 これではいくらお金を使っても速くならないので、生活改善をしていくしかない。まずは、朝きちんとご飯を食べる。

 いつも寝坊@二日酔い→朝ご飯食べてられない→エンジンかからない→ついでに仕事忙しくて昼ご飯も食べられない→一日中、体がスリープ状態→起きてきたころに飲み出す→夜中までフルパワー→始めに戻る、、、という悪循環が日常的になってしまったので、まずは朝ご飯を食べるという目標を立てる。寝坊していたら食べる余裕がないので、そこから改善。

 で、最近は朝ご飯を作るようになってきた。ご飯、味噌汁、目玉焼きに納豆。味噌汁の具は野菜とかだと腐らせてしまうのでそのものずばり「味噌汁の具」という乾燥した具を調達。ご飯なんて、無洗米ならば寝る前に炊飯器に米入れて水入れてスイッチぽんで炊きたてが食べられる。余ったら冷凍。

 仕事で日付が変わるぐらいまで働いてしまうと、やっぱり寝坊モードに入ってしまうのだが、自然に朝に目が覚めることも。ちょっと前まであり得ない現象である。

 朝ご飯を作り出すと、昼ご飯とか夜ご飯も作りたくなるわけで、この前は朝ご飯を食べ損ねたので、お昼に帰ってきてお昼ご飯を作、、、ろうと思ったらご飯がなかったのでちゃちゃっと冷凍庫からトマトソースを取り出し、パスタをゆでてトマトパスタ。保温鍋なんかも調達してきちゃったりして、この前はカレーライスを作ったら、やっぱり4人前ぐらいできてしまって夜、朝、夕方とカレーを喰らう羽目になった。さすがに、遅い時間にカレーを腹一杯食べた後の朝イチカレーは気分が悪くなった。

 で、これを書いているのは実は日曜日の午前4時すぎに朝ご飯を食べながらだったりする。これから間瀬に練習に行くのだが、ビール飲んで早めに寝たらえらく早い時間に目が覚めた。寝ようと思っても寝られない。遠足前の子どもの気分。

 一発勝負でタイムが出せるようになりたい。

4月17日

 滑川駅前にあるショッピングセンターに仕事で出掛ける。スーパー社長に会うのが目的。スーパー巡りが趣味の僕なので、社長に会う前に店内をぐるぐる回って視察。さすが滑川だけあって、ホタルイカが激安で売っているのはさすが。今年は豊漁らしい。

 ブリの子どものフクラギが丸ごと山積みで置いてあって、おばちゃんが山を崩しつつ物色していた。自分でさばいて食べるのが当たり前だからこその売り方。富山市内のスーパーでも丸ごと買えるけれど、ここまで当たり前には置いてない。ここら辺は漁港の街の文化を感じる。イオンみたいな馬鹿でっかい売り場のスーパーは回るだけでくたびれるけれど、買い回るにはちょうど良い大きさのスーパーで、それぞれの食品には食べ方だとか選び方の情報がきちんと提示してあって好印象だった。

 ここの社長さん、10数年前は東京・吉祥寺で輸入雑貨店を開いていたのだという。父親の願いもあって滑川に戻ってきて、最近になってようやくこだわりの取り組みをあれこれできるようになったのだとか。最近は、レジ袋有料化のために奔走し、4月1日に県内の主要スーパーで有料化にこぎつけた。悲願を達成し、最近は燃え尽き気味というので、まだまだですよ、元気を出してくださいよ、と励ました。

 人口3万の都市だとなかなか厳しいことも多いと思うけれど、こだわりを持った元気な人が地域でばんばん活躍してほしい。

4月15日

 暇そうな1日だったので、休みにすることに。が、懸案事項を抱えているので、午後からちょびっとだけ婦中町で仕事。その後、やっぱり工場に出掛けて、スーツの上着を脱いでつなぎを着て、作業である。これまで雅久号のホイールは借り物だったのだが、ようやく自前のホイールに付け替えることができた。これまでのホイールはオオミチチームのスペアに回すべ。レースではライバルと接触、バーストすることだってある。やっぱりスペアがあると心強いから。

 おわらサーキットのKさんがやってきて、26日のロードスターカップの相談をしていた。

おわらサーキット

 1周1キロのおわらサーキット。最近、経営が間瀬サーキットに代わって「ミニ間瀬」のキャッチフレーズで一生懸命売り出している。前の経営者もそれなりにがんばっていたのだけれど、なかなか走る車は増えなかった。そこで、サーキットをやめて墓地にするという計画が立ち上がったのだけれど、それは何とか阻止されて、今日に至る。

 で、経営が一新されてから、おわらサーキットもいろいろ変わってきた。縁石が改修されて、1秒近くタイムが速くなったし、何よりもホームページが充実して、何をやっているのかが分かりやすくなった。入場料500円を取るようになったのは、マイナスだけれど。

 で、がんばるようになったおわらサーキットが今年新しく企画したのが、雑誌Road&Sterとタイアップした走行会の「Road&Sterカップ」である。なぜか、おわらサーキットのタイムランキングの上位にロードスターがいる。それに、けっこう、ロードスターのお客ってリピーターとして何度もおわらを走る。だったら、イベントを企画しよう。ロードスターのお客を今以上に増やそうということで、定番の競技会として今後育てて行こうとロードスターオンリーの走行会として企画されたのだ!

Road&Sterカップ

 ロードスターに乗っている人ってけっこういろいろな方向性があるから、走る人だけで集めるのではなくて、ドレコンも開いて、ギャラリーも含めて幅広くロードスター乗りを集めたいのだという。ミーティングと走行会が一体になったイベントとして考えてもらえれば良いかもしれない。

 Road&Sterの編集部も訪れて当日取材するのだって。マイナーなロードスターに注目してもらうのってとってもうれしいことじゃないか! イベントを成功させて、定着させていくには、やっぱり北陸のロードスター乗りの参加が必要なのだ。いや、太平洋側のロードスター乗りも大いに歓迎するよ。

 僕も雅久号で参加します。詳細については、Road&Sterカップのホームページにアクセスしてください。参加費12000円とちょっと高めだけれど、午前中2時間と午後に15分×2本を走ることができる。ビジターとしては安い設定なのかな?

 みんなでロードスターのイベントとして育てていけたら、と期待しているのだ。

4月8日

 富山県のスーパーでは今月からレジ袋が1枚5円になった。

 配るのがもったいなくなった、のではなくて、地球温暖化防止のために少しでも廃棄物を減らそうという試み。全体の家庭ゴミの量からいったら、レジ袋の量なんてたかがしれているけれど、レジ袋を使わないという他人から見える行動を広げることによって、エコ心を広げていこうという試みである。スーパー単位や市単位ではすでにやっているところがあるけれど、県単位でやっちゃったのは富山県が一番最初だったりする。ま、先にやっていたところはあるわけで、微妙な違いでしかないのだけれど。県ががんばって話をまとめたのはグッジョブだと思う。富山県ってまだお役所に対するリスペクトが残っている土地と感じるのだが、そんな風土が今回の有料化をまとめられた原動力の一つになったのかもしれない。

 富山県って女性の就業率が高くて、スーパーでは豪華総菜がてんこ盛りに売っていて、それがけっこう安かったりするものだから、はっきり言って人口110万の県にしては過当競争気味。スーパーによってはレジ袋を断るとポイントを付けていたお店もあって、たぶん、レジ袋を有料にしようという話は渡りに船だったところも多いはず。裏話は置いておいて、お客が減るかもしれない取り組みを、せーので一斉にはじめたのだからエライ。(せーのでやればお客が減らないとも言う)

 前置きが長くなったが、有料化が始まったから僕もマイバッグを使い始めてみた。レジ袋って生ゴミが出たときなんかは欠かせないアイテムなのだけれど、仕事で経緯を追って書いてしまっているものだから、さすがに大きな顔で1枚5円を払うわけにはいかなくなった。

 二酸化炭素削減が目的ならば、間瀬耐久に1回でなければそれだけでレジ袋を節約しているのがばかばかしくなるぐらいの量になるに違いないのだけれど、そういう話をし出すと、いつまでたっても二酸化炭素の排出量は変わっていかないので、趣味と生活は違うと割り切って偽善者ぶって、マイバッグ。

 が、マイバッグを持っていないことに気がついた。使い古したレジ袋をポケットに入れて買い物をするのも貧乏たらしいので、なにか袋がないか、探し回る。県庁の仕事場の机の中をあさっていて、発見。北陸新幹線対策連絡協議会の配ったモスグリーンの「はやくできるといいね北陸新幹線」の白文字とキャラクターがプリントされたマイバッグ。

 いま、長野新幹線が長野市まで走っているが、本当は糸魚川、富山、金沢を通って大阪まで走る新幹線として構想されているのだ。いまは金沢まで造ることが決まっていて、開通は平成26年。その新幹線計画を前に進めるために、お金を使っていろいろなグッズを造って啓発する。その啓発用のグッズが机に入っていたというわけ。

 だれも使っていないであろうださいマイバッグをるんるん気分で使っているのだ。

4月7日

 富山市内ではこの土日、桜が満開。市中心部ではちんどんコンクールなんて催しもあって、かなりの人出があったようだが、そんなのもお構いなしに2日間、つなぎを着て車の下に潜っていた。いろいろ初歩的な失敗したけれど、まあここでは置いておく。

 ここまで良い気候だと、ロードスターを開幌状態にして走りたくなるが、ツーリング用の車などない。旧雅号は任意保険を雅久号に移してしまったから乗れないのだ。乗っても排ガス臭いし、半年以上乗っていないからぎくしゃくするに違いない。雅久号に慣れてしまった今、重いしハンドルでかいし、シートが分厚いしで違和感だらけなのかな。とりあえず、4連スロットルエンジンはそのうち降ろす予定。6月に車検が切れてしまうので、再び車検切れで放置してしまう予感。でもエンジンないまま、放置したらそれこそレース用のスペアボディになっちゃうなあ。手を入れようと思うと、レストアに近いぐらい手を入れることになる。レースだけでいろいろ手がかかるのに、無理な話か。

 あれこれドライビングの情報を仕入れて、たぶん今はパニック中。走りに行きたいけれど、なんだかんだで行けない。

 つらつらと答えもでない問いかけを繰り返す日々。

4月4日

 ここ2日で一気に桜が開花し、松川べりの桜も満開寸前に。県庁に行こうと思ったら、松川沿いの道路が渋滞しててびっくり。普段はそれほど歩行者のない川沿いも、散歩に来た人たちであふれかえっていた。やっぱり、日本人はみんな、桜が大好きなんだねえ。薄暗くて雪と闘う冬を乗り切ってきたからこそ、富山の人たちにとっては桜の下の散歩は格別な喜びなのかもしれない。

 陽気に誘われて僕も松川べりを歩いた。気温が下がったこともあって、太陽がちょうど気持ちよくぽかぽかさせてくれて散歩するには良い気候。松川の遊覧船もにぎわっていた。今日はこんな感じ↓。

 多くの人たちが歩いていた松川べりだが、県庁や市役所のある場所を含めて、昔は神通川だったってことは、やっぱり富山県人だったらみな知っている基礎知識なのだろうか。僕は、昭和初期の時代に壮大でダイナミックなまちづくりが繰り広げられたこの話を知って、富山ってすごい土地だと感心したものである。富山のまちづくりはライトレールに始まったわけではないのだ。

 県外の人のために簡単に書いちゃおう。Googleなんかで地図を見ながら読むとわかりやすいかも。

 今でこそ、大沢野あたりから一直線に流れている神通川(県外の人が聞くとイタイイタイ病を思い浮かべるよね)だが、昔は今の県庁の真西あたりで東に折れて、富山城の北側を通って富山駅をぐるりと巻くように蛇行していた。松川といたち川は旧神通川の名残。富山城は神通川を背にし、流れを防御に利用していた。

 県庁の真西に「舟橋」という地名があるが、昔は神通川に鎖でつないだ小船をずらりと並べて川を渡る場所だったのだ。蛇行しているものだから、大水が出るとすぐに町が水浸しになるのが悩みの種だった。

 そこで、対策に乗り出したのがオランダ人技師のデレーケ。この人は、常願寺川も治めてくれた富山県というか日本の河川の恩人だ。この人の発案で、蛇行している部分を一直線にショートカットすべく、今の神通川が流れている場所に浅く細い溝を掘った。いきなり水が枯れたら困ることも起こるので、洪水が起こったときだけその溝に流れるようにして、自然の水の力で溝が広がって河道が一直線になるよう仕組んだのである。

 溝ができたのが明治36年で、神通川一直線に流れるようになってきたのが大正に入ってから、というから気の長い工事である。

 で、きちんと堤防も作って蛇行していた部分は完全に干上がり「廃川地(はいせんち)」と呼ばれる荒地に。昔川だったところだから、へこんでいるし、岩がごろごろしているしで、依然と橋を渡らねばならないぐらいで、利用方法はない。

 知恵を絞って考えられたのが、運河を掘って、その土で廃川地を埋めてしまおうというアイデア。そして掘られたのが富岩運河だ。洪水対策をした上、工場を立地するための運河づくりと、川を埋めて広大な土地づくりまでしてしまったのだから一石三鳥なのだ。

 全国初の都心区画整理事業が昭和5年から始まり、4年間で終了。県庁がその新しい土地に完成したのが昭和10年。地図上を追うと松川といたち川そばの道の形で神通川の河川敷だった場所が分かる。県庁をはじめ、市役所や電気ビルのほか高校や赤十字病院などなどまちづくりに欠かせない施設がずらりと並んでいるのが分かるはずだ。

 廃線寸前だった富山港線をライトレールに生まれ変わらせた最近のまちづくりにも感動したが、こういう「ウルトラC」ができる素地は、富山大空襲後の復興も含めて、脈々と受け継がれてきたのだ。

4月3日

 ガソリンの税金がいきなり25円安くなり、富山市内でもレギュラー150円前後から128円ぐらいに下がった。暫定税率期限切れ。ガソリンが安くなるのは車野郎としてはけっこううれしいものなのだが、はっきり言って、今回の値下げは政治家たちの怠慢というか、無責任さの表れであって、結局、つけを払わされるのは僕ら一般ピーポーだと思う。

 今回のガソリン値下げは民主党のパフォーマンス、人気取りに過ぎない。

 確かに「暫定」が際限なく続けられたのは政治の怠慢というか、取れるところから取ってしまおうとだらだらと惰性で続けてきた政治のつけなことは間違いない。税金に消費税がさらにかかるような税体系はやめて、もっとシンプルにすべきだと思う。が、少なくとも日本の地方の経済は暫定税率を当てにして回っていたのであって、突然ぷつりと無責任にやめてしまうなんて、大人のやることとは思えない。

 こう書くと、無駄遣いを肯定するのかと怒られてしまいそうなのだが、そうじゃない。道路特定財源って、都会と地方の格差をなくす所得の再配分の仕組みになっていたところがある。基幹産業がない地方で、土建屋に税金が回ってくることで、経済が回って発展してきた。たぶん、そんなことは20年は前にやめていなければならなかったのだけれど、一度はじめたことはなかなかやめられないのが日本の行政の特徴。仕組みだけが一人歩きし、最近ではお金があるから計画を立てたような道路もある。

 ガソリン税のあり方は良くなかったけれど、それをぷつんとなくしたらどうなるか。現在進行形で進んでいるけれど、ガソリンスタンドはただでさえギリギリのコストで競争しているのに、逆ざやで売らねばならないし、造りかけ道路は工事が中止された。忘れてはいけないのは、恩恵を受ける消費者の裏に、ガソリンスタンドや工事現場で働いていた一般ピーポーがいることである。理不尽な理由で職を失うかもしれない。風が吹けば桶屋が儲かる、ということわざもあるように、今回のガソリン値下げが思わぬところで問題を引き起こすかもしれない。実際、つぶれる土建屋だって出てくるんじゃないかなあ。ちょっと考えただけで迷惑がかかる人たちが多くいそうであるのなら、ぎりぎりのところで譲歩して迷惑がかからないようにするが政治じゃないのか。

 なんだか、ここ最近の民主党の振る舞いって手に入れたおもちゃをご機嫌に振り回す子どものようにしか見えない。参院選は地方で「一度はやらせてみても良いのでは」と票が入ったけれど、ガソリンの値段が下がったからって素直に支持に回るほど、有権者って馬鹿ではないと思う。少なくとも、富山では勝てないな。

3月31日

 2日連続お泊まり(迷惑)のおおとろ亭にてMOTOGPを観戦していて、ロッシが2位につけて食らいついていけば勝てるかも! というところで記憶が途切れ、気がついたらすでに番組は終了していた。再び、プシュっと淡麗を開けてアルコールを摂取しながらパソコンを開いてネットにて順位を確認しようとしたら、思わず「あっ」と声を上げてしまった。

 この世に発生した日になっていた…。

 みそじーずになると別にハッピーでも何ともなくなり、むしろ無関心になってくるのであるが、ジャスト日付が変わった瞬間だったので、ちょっとびっくりした。セレモニーがあるわけでもなく、そそくさと就寝して朝を迎える。

 日中はフツーに仕事をして、フツーに午後10時半に帰宅。ま、せっかくだからと、このままビールを飲んで寝るのではなく、久々に飯でも作って喰らうことに。もやしニラ玉でも作るべ。

 いつも158円のニラが98円だったので「やっすーい」と心躍ったのだが、1袋29円のもやしを買おうと思ったら、もやしが一切合切売り切れていた。かごに入ったニラ一束をいくらにらんでも、もやしと炒める以外の料理が思い浮かばなかったので、素直に棚に返す。

 刺身コーナーには、三重県産のブリやマグロが並んでいるだけでそそられない。総菜コーナーも残り物がてんこ盛りな感じで、こちらもパス。しばらく、呆然と献立を考えていて、せっかく春なのだから、春の食材を喰らうことにした。

 とりあえず、メインはボンゴレパスタ。富山県ではあまり消費されないアサリを使ったパスタね。1袋248円。2、3人分作れる量だが、残しても冷蔵庫の中で異臭を放つようになるだけなので、1回で使い切る。にんにくが切れているので、こちらは青森産の高級にんにく250円。野菜を物色したら、アスパラが外国産から国内産に切り替わっていたので、購入。太いのが3本258円。材料代だけでかなり高級なディナーになってしまった。深夜の時間帯に食べるものではないな、という疑問が頭の片隅にはあったのだけれど、せっかく料理する気になったのだから考えないようにする。

 にんにくの下ごしらえをして、バージンオイルでにんにくを焦がしてアサリを投入。ソースを作る。アスパラは、こちらもオイルで焼いて皿に盛り、半熟の目玉焼きを載せてチーズをかけて食べる。

 携帯電話カメラで撮影。本当はアサリオイルが麺と過不足なく絡み合うのが理想なのだが、ソースだけで2、3人前あるのでスープスパみたいになった。アサリの殻は調理中に外してある。外しながら食べていたらパスタが冷めてしまう。熱々のうちに食べなければ、うまさが半減してしまうから、かなりせっかちな食べ物とも言える。

 はっぴーばーすでー、いただきまーすをして気がついた。すでに日付は変わっていた。

3月30日

 いつしか、おおとろ亭の居間で寝ていたらしい。確か、ビールを大量に摂取しながらおわらと間瀬談義。間瀬千周の経験がある怪人Kさんのハイテンションについていけず、いつしか撃沈してお布団に収容されたのだと思う。

 朝になったことは、なんとなく夢心地の中で気がついていた。それでも、まだまだアルコールが頭を駆けめぐっていたので、睡眠を継続。起きるなんてまだ無理。寝る寝る寝る寝る、と念じながら横になっていたら、どっかーんと全身に衝撃が。「まっさ、起きろ」とちゅうとろ君がジャンピングタックルを仕掛けてきたのだ。

 「ぶべらっっっ!」と奇声を発してしまったのだが、起こされてすぐに起きるのも癪だし、無視して、寝る寝る寝る寝ると念じながら目をつむる。すると、再びばたばたばたっと音がして、どっかーんと。「ふぐぅっ」と奇声を発してしまったのだが、それで起きるとやっぱり癪なので、次の衝撃に備えて体に力を入れたまま寝たふり。

 「どーーんっ」と再び衝撃が走ったので、仕方がないから起きることにした。4発目を受けたら、体ががたがたになっちゃう。いや、すでに肩とかが痛いので、次の一発を受けないためにもそそくさと起きてお布団を片付けて起床した。

 つなぎを着て工場に行っていろいろ作業。勝負事なので、何をやったのかを書くのは差し控えさせていただく。筋トレにはなったかな。

3月27日

 すっかり春めいた富山市内。空はすかっと晴れて真っ青の日が多くなった。やっぱり、天気はこうでなくちゃ。

 初めての北陸の冬、暗い朝や夜のような夕方で、けっこう気分転換ができなくて滅入った。いろいろあってからこの1年ちょっと、明るく振る舞いがんばり過ぎちゃった反動もあったのかもしれないが、人に会う仕事なのに人に会いたくない(仕事で)ふさいだ気分が続き、かなりまいった。別に、仕事の量は普通ぐらいは出しているので、上司から心配されるようなこともないのだが、僕の仕事はやはり、人に会い続けていないと質が落ちてしまうのだ(がんばろうと思えばいくらでもがんばれるし、さぼろうと思えばいくらでもさぼれるとも言う)。すかっと晴れた冬が当たり前だった人間にとって、いつもの冬と違うだけでけっこう影響を受けるものらしい。

 3月半ばになってから、天気が良くなったらまた楽天的な気分が戻ってきた。休みとあれば工場で車いじりして夜は宴会(鍋パーティー&闇鍋パーティー)をやっていたから、うまく気分転換ができてこの冬は乗り切ることができた気がする。

 来年の冬はどうってことないと思う。文章で表現してしまうと、深刻な感じに読めるかもしれないが、慣れればどうってことないというぐらいのちょっとした気分の話なのだ。