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6月21日

 金曜日。午後10時に仕事場に戻ったら、体育会系後輩ともう一人の後輩が飲みに行く相談をしていた。いやな予感が的中して「行きませんか」と体育会系後輩に誘われてしまう。

 「軽く切り上げられるところへ行きますから」ともう一人の後輩。絶対、そんなことあり得ないと思いつつ、仕方がないから付き合うことにした。財布を見たら、お札が1枚も入っていなかったので、コンビニ行ってお金を下ろす。下ろした諭吉さんたちが、すぐにアルコールに変わってしまうと思うと、少々ブルーになった。

 雨の中を傘さして富山駅方面へ歩き、11時前に桜町の焼き肉屋へ。3人で容赦なく食って飲む。クッパとかも平らげて、おなかぱんぱん。何となく、終了モードの空気が漂っていたところで、体育会系後輩が「酒、お代わりよいですか」。

 お酒飲むにしたって、つまみないじゃん、おなかいっぱいだから、何も頼めないよ、と正論を吐いたら「たれとか、味噌とかがあります」と食い散らかしたお皿たちを指さした。そこまでして飲みたいメンタリティーはよく理解できない。

 分かったから、ととりあえずそのお店は出て、近くのショットバーへ。僕は相変わらずギネスとかコロナとかビールを。だって土曜日は仕事なんだもん。体育会系後輩はバーボンのロックを頼んだ。それを3口ぐらいで飲んでしまうから、ちょっとついて行けない。

 2時間ばかり飲んで、ようやく店を出ることに。やれやれ、と帰ろうと思ったら背後から生ぬるい殺気が。「カラオケ行きましょう」。

 そのまま振り返らずに、走って逃げちゃおうかしら、と思ったが、本気で走ったら絶対に負ける。元ラガーマンのタックルを受けたら、体ががたがたになってしまうかもしれない…。

 そんな恐怖を感じたので、仕方なくついて行くことにした。途中、何度か逃走を試みるも、気配を察知されて見つかってしまう。荒町まで引きずるように連行されて、カラオケへ。

 5時の閉店時間。支払い済ませて外に出たら明るかった。梅雨入り後の湿気を含んだ風に当たりながら、「昼まで寝てるしかないな」と覚悟を決めたのであった。

6月20日

 デミオのスタッドレスタイヤ。溝がなくなってしまい、もうスタッドレスとしては機能しなさそうなので、そのまま夏も付けてはきつぶすことにした。雨の日は正直いって危ない。

 大山町へ向かう田んぼ道のシケインをいつも攻めているせいか、右フロントのショルダーがなくなってきてしまった。このままではいかん、とローテーションすることに。ついでに、各タイヤとも空気圧を3キロまで詰め込んでやった。燃費でも稼いでみようと。

 本来の指定は2キロだから、5割増しになった計算。車高が高くなり、タイヤも真ん中が膨らんで、見た目からして変わった。

 走り出してみると、やっぱり路面の段差がダイレクトに伝わって、ごつごつと乗り心地が悪い。が、びっくりするぐらい転がる。ハンドリングも明らかに変化。真ん中が膨らんだ状態だから、ステアを切ったときの当たる面がかなり変わっているんだろう、かなりクイックになり、若干グリップも上がった気がする。コーナーで切り込んでいったとき、以前はアンダーが出た舵角でも、きゅっと曲げる力が発生する感じ。

 が、やっぱりぱんぱんだと、グリップの範囲を超えたときの滑り出しが早いように思われる。雨の日なんて、けっこう怖い。タイヤと対話しながら走る自信がない人には正直、お薦めしない。

6月17日

 タイヤチェンジャーの使い方を教えてもらった。

 サーキットでタイヤを使っていると、均一に減っていかずにどうしてもショルダー部分が先に摩耗してしまう。半分ぐらい減ったところで裏組みをすれば、これまで内側だったところが外側に来るので、丸っこくなったショルダーが元通りの角張ったショルダーに復活するのだ。これで、裏組みも新品タイヤの導入も、思ったが吉日、すぐに自分でできるようになった。

 それにしても、けっこう怖い作業。バルブコアを外すとき、圧力がかかった空気が飛び出してくるから、失敗したらコアが飛んできて刺さりそう。ビードを落とすのも、ホイールを割ってしまいそう。ビードをホイールにはめるとき、うっかり巻き込んでビードをすぱっと切っちゃいそう。まだ3本分しかやっていないから、慎重にやって慣れていくしかない。

 それにしても、タイヤの減り方やほかのタイヤとの違いなどなど、観察しているうちに分かってくることもある。車を作る過程で足も全ばらししているので、形状やどう動くかが分かって、車載映像を見ながら、サスがどう機能しているからこういう挙動が出て、それをどうセッティングしょうか、という方向性も分かるようになってきた。ま、正しい方向を教えてくれる人がいるからなんだけれど。

 第1戦やSTAGE走行会のときよりも、よくなっていると思う。まずは、間瀬に出掛けなければ。

6月15日

 「お祭りに行くよ」とのことで、滑川の旧町内の神社であったお祭りへ。富山の山王祭りは、鈴鹿観戦で行くことができなかったので、富山のお祭りの雰囲気を感じる良い機会になった。

 尾張のお祭りならいろいろ巡ったので知っているが、北陸側のお祭りは初めて。歩き始める前から生ジョッキ3杯は飲んでいたので、良い加減に酔っぱらっていたのだが、夜店で売っているお菓子の種類とか、射的屋とか、パチンコとか、やっぱり雰囲気が違うなと感じた。どちらかというと、こちらの方が古き良き雰囲気が残っている。

 ダーツゲームをやってみるも、手元も危ない酔っぱらいなのでさんざんな結果。ビニール製のぬんちゃくが当たったので、ちゅうとろ君と「闘い」をする。酔っぱらいはぼこぼこに打ちのめされてぐったり、ちゅうとろ君は1日の疲れのピークが来てぐっすり。

6月11日

 業務で使っているソフトの恒例のバージョンアップ。会社から新しいパソコンを配布されると、まずオリジナルHDDを抜き取って初期状態を保存しておき、容量の大きなHDDに取り替えてから使用を始める。激しく、私的使用をしていて、アンチウイルスソフトですら会社指定のものを使っていない(ウイルスが飛んでくると会社に報告しやがるから)。ばれたら、怒られるかもしれないので、バージョンアップで会社の担当者にパソコンを渡す前に、オリジナルHDDを差して業務用データだけ最近のやつを放り込んで渡すのだ。うん、かなり悪質な手口だな。

 私的流用がばれるというよりは、バージョンアップ作業でHDDを丸ごと上書きされることもあるので、大量のデータを保護する意味合いの方が強いかも。HDDの調子が悪くなっても自分で対応できる。

 で、バージョンアップの通告があったので、富山市内のパソコンショップを巡ってノート用HDDを物色。ネットで買うよりもかなり高かったけれど、時間があまりなかったし、たまには地元のお店で買わないとね、ということで160GBのものを。今使っているのは120GBだから40GB増えると思っていた。S-ATAのHDDでも上位互換で使えるかも、と思ったのだが、識者に聞くと「端子の形が違うだろ」とのこと。で、同じ容量でも少し高い従来のものを購入。ネットで買うより3000円ぐらい高いか。1.5倍高いお金を払って地元で買う安心感を買う感じ。

 オリジナルHDDをバージョンアップしてもらい、新しく買ったHDDにコピーしようと今使っているHDDを外したら、、、。型番も含め、新しく買ったHDDとまったく同じものだった…。しかも、USB経由で外付けする部品の調子が悪く、なかなかコピーがうまくいかないうちに、仕事場にバージョンアップ用のCDが置いてあることに気がつく。今、使っているHDDのソフトをそのまま自分でバージョンアップできてしまって、新しく買ったHDDが完全に不要になってしまった。

 宙に浮いたHDD、どう使おうか…。次のバージョンアップまで寝かしておくか。

6月9日

 松本時代、職場で「飲みに行こうぜ光線」を発して、松本駅前のショットバー「バッカス」で死ぬほど飲んだ同じ会社の人が、メールで「飲みに行くよ」光線を発してきた。松本時代が6年前、僕は名古屋、江南、富山と異動になった。相手は松本から紀伊長島、刈谷とお互い、えらい距離を引っ越ししまくっている。

 金曜日に電車で来るとのこと。午後5時半ごろに「富山駅に着いた」と電話が来たけれど、仕事が終わってなかったからしばし放置。ちゃちゃっと片付けて、車を家に置いてから富山駅前まで歩いていく。

 8年前に出張で1週間ほど富山に来たことがあるらしく、そのとき毎日通ったという居酒屋に行く。カウンター席だけで、商売っけのない大将とおかみさんが切り盛りしているお店。金曜日なのに、若干客が少なくないか、と思ったが、駅前で8年続けているんだから、そこそこ儲かっているんだろう。

 たっぷりビールを飲んで総曲輪のショットバーへ。何度か言ったから、すでに顔を覚えてもらっている。そしたらマスター「この前、車ですれ違いましたよ」とのこと。どこで?と聞くと「大山町で」と。は? もしかして、お住まいは車屋さん周辺? と聞くと「善名です」とピンポイントなところにお住まいだった。僕だって、県庁と自宅の次に善名にいる時間が多いのだから、車ですれ違うこともあるよね。

 盛り上がってしこたま飲んで、なぜかファミリーマートへ寄ってビール6本にチキンナゲットにスナック菓子に、と買い込んだらしい。あまり覚えていない。僕のアパートになだれ込んで、気がついたら、翌朝であった。

 翌日の土曜日も仕事。セリカが愛車なくらい、車好きなので、雅久号を見せる。軽くしただけでとんでもなく速くなることや、レースカーの雰囲気を味わってもらった。

 午後から仕事があったので、昼過ぎに富山駅へ送ってお別れ。飲みに来るだけで富山に電車に来るとは、やっぱりすごい人だなと思った。

6月2日

 午前中から市場へ。魚屋さんにスポンサーフィーをもらうのだ。

 前日に一緒に鈴鹿に観戦に行ったとき、家族向けに車エビをもらった。名古屋人にエビを渡せばもちろんえびふりゃぁにするに決まっていて、日曜日夜は家族みんなで、「ぅみゃぁ、ぅみゃぁ」とわしわしエビフライを食べた(まだまだ土地になじんでいないらしく「んまいちゃ」という言葉は出なかった)。冷凍エビなのだけれど、やっぱりプロからもらう食材ってふた味ぐらい違う。

 で、もらった食材はサーモン。サーモンというと、サーモン色の切り身とか刺身とかを思い浮かべるが、大きめのトロ箱を開けると丸ごと1本! 5月上旬にももらってたぶん、おおとろ亭の冷凍庫にはまだ半分ぐらい残っていると思うのだが、追加で1本。おおとろ亭に集う人々、がんばって食べてください。

 用事があったのでそそくさと栄に行き、ある人にあいさつ。手ぶらは失礼なので三越の地下で菓子の詰め合わせを買っていった。5分ほど会話してお礼を言って戻る。

 この2年近く、懸案だったことにこれで区切りが付いた。

 思えば、2年前の軽井沢ミーティングへ、放置してあったロードスターの車検を取って行ったのも、トラブルの前触れの1つだったとも言える。その車検は今年の軽井沢の日に切れた。

 ロードスターは走れなくなったが、僕は前に進むときを迎えた。そんな、富山の日々。

6月1日

 鈴鹿クラブマンレースへ。なんと、参戦5年目のDさんが雨のフルコースでポールポジション! 2位を1.5秒も引き離す快走だった。Dさんは、晴れと雨の区別が付いていなかったみたい。ドライと同じタイミングでコーナーリングしてしまい、挙動を乱しながらも曲がっちゃったという。予選トップというのは、どれだけ難しいかが何となく分かるだけに、すごさを実感する。

 前にはマーシャルカーだけ。ミハエル・シューマッハもここからスタートを切ったんだ、と思うとぞくぞくっと寒気がするぐらいの感動を覚える。それにしてもトップってこんなに前からスタートするんだと、歩いてみて改めて実感した。僕なんか、160メートルぐらい後ろからの眺めしか見たことがない。

 FJ1600はいまのところ、今年までのレースで幕を閉じることになっている。鈴鹿はコース改修のため、今年のこの後のレースはすべて西コース。期待するのはもちろん、FJ1600最後の鈴鹿フルコースで表彰台だ。

 たぶん、慣れていない角度でシグナルを見たためだろう、一瞬ためらいがあって完璧なスタートではなかった。2番手で1コーナーに進入。7番手からジャンプアップしてきたFJの匠にもかわされ3番手。ここから、3台でトップ集団になって差しつ差されつに持って行けるか、これからだ、という4周目で、スプーン進入で後ろの車がDさんの左リアに追突。レースを失ってしまった。ここからがおもしろい、というところだったので非常に残念。これがレースだという言葉で片付けるには、ちょっと納得のいかない結末ではあった。頭を次のレースに切り替えるしかない。

 レース屋さんに今、FV2Kがあるとのこと。レンタルで乗る人はいるものの、普段は動いていない状態。「どうだ、走らないか」と誘われる。本気で迷っちゃう自分もいたりする。実は富山からだと間瀬と鈴鹿ってそんなに距離が違わない。鈴鹿がちょっと遠いぐらいか。朝、いかに体調を整えて間瀬サーキット入りするか、という訓練は今のところ成功しているので、鈴鹿までの距離は問題にはならない。今の方が、4年前よりはいろいろ試せそうな気がする。

 昨年から始まったスーパーFJも、今回のレースで10台しか出走しておらず、かなり微妙な台数。一方、FJは23台。まだまだ盛り上がっている。レース村の中でも、来年以降の方針は固まっていないみたい。

 近くで見てるとやりたくなっちゃうのは間瀬も鈴鹿も同じ。とりあえず今は7月末にある耐久第2戦のことだけを考えていよう。

5月26日

 ミーティング会場とショッピングモールを歩き回った上に、ハードなドライブをこなしてF1観戦してから就寝という、みそじーずにとってはかなり体力的にキツイ2日間を過ごしたのだが、今日は問答無用でお仕事。まあ、社会人ならばみんな同じなんだけれどね。一緒に帰ってきたロンリーマン氏はちゃっかり有給を取っていたらしい。

 体のだるさはあったが、気分的には上々。お昼に、仕事で富山大の学生たちの話を聞く。「若いっていいねえ」ってな感じで、元気までもらった気がする。

 そういえば、宿直だったことを思い出した。自分でローテを組んでいるのなら、ミーティングの翌日ぐらい権限を駆使して別の後輩に振っておけば良かったのだが、後の祭り。だるさが紛れないかしらと、つらつら日常を書く深夜の仕事場なのであった。

5月25日

 バレーのせいでF1放送が45分も繰り下がってる…。起きていられるか。

 耐久レースで一緒に走っている群馬のじょう氏のおうちに泊めてもらうことにして、雅久号で下道で行くことに。信州のワインディングロードが待っているのに、高速なんかで行ってられない。朝きちんと起きて、T.O.R.Fにある雅久号を洗車してから出発。午前8時ぐらい。

 国道41、471、158号で松本入り、というのはたぶんだれでも同じ。国道158号の波田町に入るまでは、信号も少ないので時間が読める道。ただ、この時期は観光バスが連なって走っていると、のろのろな流れになってしまうので注意が必要。実際、引っかかってしまった。

 国道158号を松本の市街地まで突入してしまうと、かなり時間をロスするので、新島々駅付近から必殺たんぼ道を通る。びゅーんと7、8キロをワープして新村あたりで今度は梓川の堤防道路へ。ラーラ松本横をびゅーんと走って国道19号を横切り、松本トンネル方面へ。通行料100円をけちって、トンネル手前で右折し、松本市街へ。

 6年前まで住んでいた街がどう変わったかを見ようとぐるりと1周回ってみた。ああ、懐かしい。変わったところもちょくちょくあるけれど、あまり変わらない。

 街の中を歩こうかとも思ったが、時間がなくなってしまうので、女鳥羽川沿いを走ってかつてのすみかへ。平屋の古くてぼろい借り上げ社宅だったが、3部屋あったうちの2部屋をエンジン製作部屋にしてしまい、庭先に鉄パイプを組んだ3脚を立ててエンジンを載せ替えたあの家だ。玄関前に自転車が置いてあるところを見ると、住人がいるらしい。6年前の部屋がどうだったかを知ったら卒倒するだろう。

 5分も走ると山道に入る。「いつもの山道」を通って美鈴湖。標高2000メートルの美ヶ原まで一気に上がる。下で買った缶コーヒーを飲んでちょっと休憩して、武石峠から東信へ。丸子町の裏道から旧東部町に抜け、上信越道の東部湯の丸インター前からサンライン。湯の丸高原に向かう急だがアベレージを上げられるなかなか良い県道を駆け上り、嬬恋へ。国道144号に入って草津温泉。

 時間がありそうだったので、温泉につかってリラックス。ドライブ&高原の空気&温泉で命の洗濯、ってなかんじ。

 オオミチファミリーの予想到着時間をにらみつつ、榛名山からイニDコースを通って前橋へ。雨が土砂降りになっていて、間瀬仕様の足では怖くてまったく攻めることはできなかった。

 まったく土地勘がない上に地図がなかったので、携帯で断片な地図を調べつつ、藤岡へ向かう。小さな画面のため、断片的な情報で分かりづらかったが、国道17号の曲がり具合が納得できなかったので、前橋インターから関越自動車道。高速に乗ったのじゃなくて、側道を走った。そのうち上信越道と交わるだろうと予想して走っていたら、突然、北関東道とのジャンクションが出現して北関東道がどう走っている道かも知らないので、パニックになったが、側道を走るのをやめたら藤岡市に入っていた。富山から高速を使ってきたオオミチファミリーとほぼ同時刻に到着。いま、Googleで地図を見てみると、かなり絶妙なルートを選択したみたい。

 午前8時に出発し、午後1時半に草津の湯に到着。3時までゆっくりして、午後5時半に藤岡市に到着。そんな下道の旅。

 夕方から宴会が始まってビールを飲むうちに意識を失う。

 朝起きたら雨。「晴れる」という軽井沢マジックは今年で終わるのか。午前8時すぎに会場に到着したら、軽井沢駅前からロードスターの渋滞になっていた。駐車券を確保したおかげでけっこう良い場所に駐車。

 ぐるっと会場を一周して、富山の仲間とともにすぐにショッピングモールへ。牛丼や中華丼にもあきたので、昼食に石焼きビビンパを食す。ミーティングに来てるのに会場に半分もいない感じ。毎年のことで慣れて来ちゃったし、特に欲しいパーツとかもなくなってしまったので、なんだかぐだぐだな過ごし方。

 お昼過ぎには雨が上がって今年も軽井沢マジックは健在だった。会場でまったり過ごして、午後3時を迎える。

 行きも下道なら帰りもやっぱり下道なのだ。1人で淡々と帰ろうと思っていたら、ロンリーマン氏が「付き合う」と。ほほぉ、普通の人間ならたぶん怒っちゃうぐらいのぐねぐねな道を走っていくのだが耐えられるか!

 走りたいのは「千曲川ビューライン」という広域農道。千曲川の左岸って、御牧原という台地になっていて、この台地にある農地を縫うように、広域農道が走っているのだ。広域農道って「産地から野菜を出荷する際、少しでも時間を短くするように」という論理で作られていて、とにかく道路の規格がものすごく立派。台地になっているからと言ったって、巨大な橋をかけてつないでしまうし、とにかく真っ直ぐ走れるように造ってある。

 しかも、いくら立派な道でも、農道は地図上では目立たないように描かれるし、カーナビでも絶対にルート検索しない。地元の人しか走らない、がらがらな道が延々と続くのだから、最高なのである。お巡りさんもいないし。

 2台で会場を出て、国道18号バイパスから裏ルートを使って佐久へ抜ける。たんぼ道を走ってビューラインへ。ビューラインという名の通り、展望が良く、浅間山が美しく見える。

 丸子町からは同じルートで帰る。午後3時半に出発し、標高2000メートルへ行ってしばし休憩を取ったりして松本に到着したのが午後6時半ぐらい。午後9時前には富山に到着した。

 「地獄のしごきルート」を走ったロンリーマン氏曰く、「今回のミーティングで一番おもしろい道だった」。お互い、好き者ですなあ。

 さて、F1が始まるからここら辺にしておこう。