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9月15日

 そういえば、雅久号をRS Factory Stageで買ってきてからちょうど1年ぐらいになる。陸運局にナンバーを取りに行って、その日のうちに内装をばらし、エンジン降ろしてオーバーホールして、ロールバー組んだりして10月中旬の走行会でシェイクダウンしていたんだから、いつ仕事したんだ、というぐらいの勢いで車いじりをしていたんだと今更ながら実感する。3戦を戦ったけれど、まだまだ納得行く走りやレース展開ができない。だから、おもしろいんだけれど。

RS Factory Stage

 あと1年で車検か。とりあえず、レース用マフラーでは車検は通らないな。それ以外はあまり手をかけなくても車検を通るところがNゼロレースの手軽なところか。

 クーマック第2戦で手負いとなった雅久号を仕上げる。右フロントのアーム類総取り替えにブレーキ整備、ごにょごにょなどなど。

 とりあえず、足回りなどは走れる状態になった。ボディー修正が一部進行中だけれど、バンパーと左ミラーだけ仮付けしてしまえば、走れる状態。トー調整だけしてもらって、ノーマルバンパーをボルト2個にナット2個にタイラップ2本で固定し、ナンバーを付けて、屋根も外して、こにぃと2人で走りに行く。

 とりあえず、裏の山道へ。びゅーんと走りたいところだったが、稲刈りシーズンなのでおとなしめに。助手席に人を乗せて、トランクにはジャッキやらウマやらが満載状態なのだが、すっごく気持ちが良かった。フィーリングも良く、早くサーキットで走りたいところ。

 が、9月はもう休みがない気がする。10月もたぶん1日も休めない感じ。無理矢理予定を開けて1回ぐらいなら走ることができるか。

 でも、次の総理の出方次第で、レースに出場できなくなる状況は変わらない。

9月9日

 月曜日夕方に選挙対策の会議が名古屋であるというので、仕方がないから東海北陸道で名古屋に向かう。JRのしらさぎで行けば、道中、ビール飲んでいようが関係ないので楽なのだが、午前中に仕事をしてから午後3時の会議に行かねばならないので、デミオをぶっ飛ばして行くのだ。

 正午前に出て、名古屋本社に2時台に到着。知り合いに顔を出してから6階の会議室へ。

 会議っていつも疑問に思うのだけれど、こうやって情報伝達がいろいろな手段で活発にできる時代に、わざわざ遠くから集まって開く価値があるんだろうか。資料を配って電話1本くれれば良い内容だし、いまはネットもあるのだから、ネット上で活字で議論を交わした方がよっぽど内容が深まると思う。まあ、顔を合わしてコミュニケーションを図って結束を深めて一緒に仕事を進めるという尊さ、大切さはあるのだけれど、今回の会議では実務的な連絡のみ。結束もしないでばらばらに仕事をやっつけるのがこれまでの慣習なので、まったく価値を感じない。細かい内容抜きにして「がんばろ〜、おーっ」と気勢を上げた方がよっぽど会議を開いた意味があると思う。

 なんだか良く分からない感じの会議を終えて、実家へ。親とたまたま嫁が実家に用事があったために、戻ってきた兄と4人でご飯を食べる。兄が結婚した後には親子4人そろってご飯を食べることもなかったから、けっこう新鮮で懐かしい感じ。水入らずでご飯を食べた。富山インターで下りたらETC深夜割引が適用されるような時間を見計らって帰る。

 開けた火曜日、普通に寝たのに体がだるくて仕方がない。1日往復500キロちょっとの走行で、どうも体がへこたれたらしい。やはり、みそじーずになると、体力的に以前のようにはいかないみたい。

9月8日

 「総選挙、11月9日か」、なーんて新聞の見出しを見て、心を痛めている今日この頃。いぢめ、としか思えない選挙の日程に、落ち込むのを通り越して、放心状態。今、なんのために日々生きていると思っているのだ。

 11月9日は、クーマックカップ耐久レース最終戦の日だ。僕の仕事で選挙は、最大の仕事の一つだ。両方、一度にある、といわれたら、僕は仕事を選ぶしかない。まじめとは言えないけれど、そこそこ怒られない程度には働いているから、レースに出ることができることは忘れてはいけない。自己実現、という意味でも、どちらかというとレースよりも仕事が僕の中でウエイトが大きいのだから、選挙があるなら涙をのんでレースを欠場するしかない。

 日曜日は、雅久号の修理。第2戦でぶつけてどうも変形してしまった右フロントのサスペンションの丸ごと交換と、シビックに勝つためにセッティングごにょごにょ。ブレーキもメンテナンス。普段なら、気合いを入れながら、整備を進めるのだが、ちょこっと作業をやるごとにため息をつく。「出られないんだろう」という思いを抱えたままでは、モチベーションがわかない。

 それにしても、こんな偶然ってないぐらい、ピンポイントな選挙日程になってしまった。おわらサーキットのT.O.R.F.走行会が10月19日。この日は富山県知事選挙の投開票日だったりする。

 そもそも、党利党略に走る自民党がいけないのだ。普通の神経なら、新しく総理になれば、景気対策やら消費者庁やら、重要な審議事項がある臨時国会の最初の方で解散するって国民にもうしわけなくてできないと思う。

 自民党の戦略はこうだ。5人ぐらいがぽこぽこ総裁選に立候補するけれど、だれもがアソウさんが勝つと思っている。しゃんしゃんの総裁選挙では、話題にならないから、結構名前が通ったいろんな人に出てもらって、けんけんがくがくの議論をしたふりをする。ちょっとこの情勢だとアソウさん、危ういよ、なんて情報をマスコミにリークしてみたりして、火にガソリンを注ぎ込むような感じで自民党の話題を盛り上げる。

 で、散々、テレビの放送枠をめいっぱい使って自民党を宣伝したあげく、アソウ総裁の下、今回立候補した人全員を閣僚にした内閣をつくって支持率を60%ぐらいに持って行く。支持率が高くなれば、にんまり、そのまま解散してその勢いを総選挙の得票に結びつけようという算段なのだ。

 国民を馬鹿にしているとはこのことなんだけれど、小泉さんが仕組んだ郵政選挙がシナリオ通りに行ったから、たぶん、あれほど強烈な勝ち方はしないけれど、政権交代は防げるかもしれない。自民党の人たちはギリギリ勝って殊勝な顔しながら「厳しい結果だが国民の支持を得られた」なーんてしゃべりながらも、仮面の下ではあっかんべーしているのだ。

 とりあえず声を上げて、臨時国会の冒頭で解散、なんて暴挙はやめさせよう。なぜなら、僕がレースに出られるがかかっているのだ。僕にとっては、国民生活や政権交代なんかより、レースに出られるかどうかが大切なのだ。

9月2日

 10年勤めたから表彰してやる、ってことで、昨日は金沢本社へ行くことに。普段、県庁にいるので、車で行くより歩いて富山駅行って、特急乗った方が楽なので、午後2時すぎぐらいに富山の街を歩く。

 富山駅がとっても込んでいたのでなんだろう、と思ったが、おわら風の盆に行く人たちの群れだった。JRで八尾まで行けるのだが、到着した人たちをいったん改札から出して整理券を配ってからまた乗せる、ということをやっているもんだから、込んでいるみたい。混乱防止か。

 しらさぎに乗って30分ちょいで到着。本社は香林坊でちょっと距離はあるけれど、歩いていくことに。

 路地っぽい道を好んで歩く。細い曲がった路地に古い建物がところどころ残っていて、なかなか趣がある。富山は、空襲でとことん徹底的に、焼き払われてしまったから、古い建物って残っていない。当時、最新のコンクリート建築だった西町・大和と県庁、電気ビルだけ。市街地の99.5%が焼けたっていうんだから壮絶だ。

 金沢は都市だったにもかかわらず戦災がなかったから路地とかそのまま。やっぱり街の味が違うよね。

 松本時代のボスが、今は金沢の次ボスをやっているので顔を出す。お互い、10も歳を取ったってことだよねえ、と思うと感慨もなかなか。狂ったように走った松本にいた時間よりも、ほかの場所で働いた時間の方が長いことに気づいた。

 30分だけのセレモニーに出て、金一封をもらう(雅久号修理代だな)。再び歩いて金沢駅へ。サンダーバードですぐ富山、5時には県庁に戻った。

 体育会系後輩の生ぬるい殺気に負けて、沖縄料理屋へ出掛けようかと思った午後9時すぎ、信じられない一報が。辞任会見ってどういうことよとパニクっていたら、本当にテレビで生中継が始まった。

 次の首相が突然、解散ってことにしたら、選挙は11月。クーマック最終戦がやばい。

8月26日

 先週土曜日は、チームT.O.R.F.のクーマック耐久第2戦の打ち上げ。おおとろ亭ガレージにて集まり、喰いまくって飲みまくって第3戦への鋭気とチームワークを養うのだ。

 仲間が集まるとあれば、我がチームのスポンサーである魚屋さんにお願いして、お魚を送ってもらうのである。ちょっと前にお願いしたときには「今年のサンマはうまい」という話を聞いていて、じゃあ、サンマパーティーでも、と思っていたのだが、燃油高のアピールでサンマ休漁があった影響で、ウナギの蒲焼きに切り替える話になったのだが、届いてみたら、サンマもウナギも入っていた。サンマ23匹、ウナギ30匹分、スモークサーモン1キロ、ウナギのたれ1リットルというとんでもない量。「市場サイズ」だからとのことだが、受け取った側は唖然とするしかない。

魚屋さん

 とりあえず、盛大な煙が上がるサンマから食い始める。氷詰めされてお刺身でも食べられるクオリティーのサンマをばんばん炭火で焼いていく。表面が焦げだして脂が下に落ち出すと、ぼうぼうと盛大に煙が上がる。ガレージ中に煙がこもって前が見えないぐらい。真っ黒に焼きあがったサンマたちは、それこそピラニアのごとく群がる野郎どもにあっという間に骨にされていったのであった。脂たっぷりだがくどくなく、本当にうまい。

 焼き上がるまでにもサーモンやら枝豆やらホタテやらがじゃんじゃん出されて、ビールもじゃんじゃん飲んで宴もたけなわ。ドライバーはマッサGOGOのじょう以外はそろっていて、サポート関係者やら20人ぐらいがいたと思うのだが、いくら食べたって、ちょっとやそっとで減る量じゃないから遠慮がいらない。

 が、あまりの大量のサンマに、ウナギ蒲焼きに移行するころにはみなさんのおなかが一杯に。煙が出るサンマもかなり減ったことだし、おおとろ亭内に引き上げて、さらにアルコールを摂取する。

 レースの体制なんかについて話し合うという名目だったのだが、レースの話はそっちのけで飲みまくっていつの間にやら意識を失っていた夕べなのであった。

8月21日

 最近、狂ったようにラーメンを喰らいまくっている。この2カ月で50杯食べている感じなペース。富山のラーメンを制覇しようと気合いを入れている最中につぶれてしまったお店もあったりして(おおとろ亭からけっこう近いSASUKEだ)、背中を押されて喰いまくっている今日この頃。いや、おなかが減ってくるとラーメンが食べたくなってしまうから、依存症というか中毒に近い。体に悪い。

 お盆の食っちゃ寝でなんとなくウエスト回りがやばい感じがしたのだが、体重を量っているとやっぱりこの1年保ってきた体重から1、2キロ多くてやばい感じ。耐久レースでは雅久号をグラム単位で軽くしようといつも考えているのに、ドライバーがぶくぶく太っては何ともならぬ。カロリーを抑えないとこのまま膨らんでいってしまうので、節制しなくては。んが、昨日は我慢できなくなって、まるたかやのシナチクめんを油かす満載で食べてしまった。今日はラーメンは我慢した。

 ビールを飲みまくる夜ぐらいは軽く済ませようと、昨日今日とヘルシー野菜メニューにしてみた。小ネギとミョウガを大量に載せた冷や奴をメーンに、昨日はおおとろ亭にて教えてもらったオクラ出汁醤油マヨネーズ。今日は、昼もろくに食べていなかったからおなかがすいていたので、奮発して、ゆでアスパラマヨネーズに焼きなす冷や奴。まったくもって油脂分(マヨネーズ以外)がないメニューなので物足りない気がするけれどおなかいっぱいだから、なんとかやり過ごせそうな感じな寝る前の僕。

 今日の支離滅裂な日常は、要するに、富山ブラックは許せない、という話だな。

8月17日

 初年度登録から10年が経過し、15万キロ近くを走ったデミ夫君。あちこちちょっとずつがたが出始めている。

 最近壊れたのは、右後ろドアのキーレス。作動させても、「ういーん」という音だけして、ドアロックが動かない。アクチュエーターのモーターが空回りしている感じで、たぶんギアが欠けたんだろう。

 実家ですることもないから分解してみることに。工具がなにもないので、実家の引き出しをあさったら、車載工具についてくるプラスドライバーを発見。ドア内張の分解から、アクチュエーターの取り出しまですべてこれ1本でOKだった。

 アクチュエーターを分解してみると、モーターに付いているプラスチック製の歯車(ラジコンならピニオンギア)が欠けて、モーターの軸だけ空回りしてギアに駆動がかからない状態になっていた。

 おやじのつり道具箱からアロンアルファを取ってきて、軸とギアの接着を試みる。たっぷり塗って乾かして、組み立てて、1度作動させたら見事ロックが解除されたが、2度目にはもう壊れて再びモーターが空回りしてしまった。

 僕には、運転席ドアに次いで、運転席後ろドアを開ける頻度が高い。仕事道具が入ったかばんを置くから。

 富山ならドア1枚開けっ放しにしてあっても盗まれることはないだろうけれど、仕事用のパソコンが盗まれたら最近は弁償させられてしまうので、やっぱりドアロックが動くようにしたい。

 ということで、左後ろドアのアクチュエーターを右側に移植してみることに。

 汗だくになりながら、今度は左後ろドアの分解。どうせ、アクチュエーター部分は共通部品でしょ、と高をくくっていたら、きちんと左右対称に部品が作られていた。このままでは付かない。

 仕方なく、アクチュエーターのモーターとピニオンギアだけ取り出して右側と入れ替えることに。幸い、ギアボックスは共通だったので、モーターだけ左右取り替えることができた。

 最初の予想よりも手間がかかって、やれやれと右後ろドアを組み立てて、キーレスを操作すると、がちゃ、がちゃっときちんと作動した。思ったより手間がかかったなと、自動ドアロックがなくなった左後ろドアを組み立てて終了。もう1度作動させてあることに気がついた。

 ドアロックを開けようとキーレスを操作すると、右後ろドアのロックが閉まる。逆に閉めようと操作すると、右後ろドアだけ開く。真逆の動き。ギアボックスが共通で逆回しに動かしたいんだから、モーターが逆に配線されているのは当たり前じゃんね。

 ドアロックが自動で動かなくなったのも不便だが、これはこれで、とても使えない仕様だ。

 左右でモーターが逆回転しているんだと気がつき、配線をぶっちぎってつなぎ替えて正常に動くようになった。

 あと5万キロ乗ろうと思っているのだけれど、ちょっと無理かもしれない。

8月16日

 13日から17日まで珍しく5連休。んが、13日は金沢の大ボスが富山に午後3時に来るというので休日ぶち壊わし。徹夜で仕事を片付けてばあちゃん家に行く予定だったのだが、どうせ夕方まで足止めを喰らうのだからと、昼間は仕事。休みなのか良く分からない1日を過ごす。

 大ボスは何のために来たのかというと、8月から富山の仕事場で1人、減員となってしまい、少ない人数で大変な思いをしていたのだが(世間が静かなお盆ぐらいは休める)、当然9月に補充される異動があるという予測して、1カ月の辛抱だからと仕事をしていたのが、どうも9月異動がないことが決まった。その説明に来る、と要するに不平不満のガス抜きに来たわけだ。

 1人1カ月に6回も仕事場で泊まる(翌日は普通に仕事だ)宿直が回ってくるという異常な勤務態勢であることや、まともに休みが取れなくなること、仕事に手が回らず、他社との競争で著しくクオリティーが下がることなどを理路整然と訴えたのだが、まあまあ、我慢してくれと、なんら現場を知らない感じ。大ボスはただ話を聞いてなだめるだけなのであった。ま、うちの社で富山は弱い地域なので、仕方がないことではあるけれど、おおとろ亭にてストレスを発散することもなく、日々まじめに仕事をしている後輩がかわいそうなので、言わねばならないことはすべて言っておいた。

 大ボスが去り、ちょこっと仕事をして、夕方おおとろ亭へ。お盆で届かないと思っていたプラグコードを取りに。NGKの青いコード。なんだか、チューニングエンジンみたいで格好よろしい。

 いつものように、開通した東海北陸道は通らずに、国道41号を飛騨市へ。プラグコードを交換したエンジンは、すっごく調子が良いと感じたのだが、それをさらに実感したのは国道41号と飛騨清見インターを結ぶ卯の花街道であった。

 僕のデミ夫、急な上り坂ではほとんど加速しない。軽自動車ですら追い越し不可能な感じ。これまでは車間を一度開けて、加速して追いついて抜いていたのだが、卯の花街道の急な坂道でも追い越しが可能なぐらいエンジンパワーが出ていた。いや、よみがえったということか。

 高速でも明らかにアクセルの付きがよい。アドバイス通り交換して良かったと実感。というか、パワーダウンで燃費が悪くなっていたはずなので、交換しない方が不経済だった。

 午後10時すぎに愛知県の奥三河にあるばあちゃん家に到着し、ビールに焼酎で午前3時ごろに意識を失う。

 14日は二日酔いの気分の悪さを感じつつ、高校野球やオリンピックを見て、ビールを飲んで意識を失う。15日に尾張旭の実家に戻って、外食してやっぱりビールを飲んで意識を失う。16日、本日はアストロで工具を買い込み、夕方は学生時代の仲間と名駅のやぎやで飲んで、帰ってきてビールを飲みながらこんなくだらない文章を書きつつ、もう少しで意識を失うところである。

8月13日

 夜、10時すぎにアパートに帰ったら、入り口で小雨が降っていた。廊下が水浸し。ただならぬ量なのでどうやら、どこかの部屋で水が噴き出しているよう。

 とりあえず、小雨をくぐり抜けて自分の部屋に戻ると、向かい側の部屋からじゃばじゃばと水の音がした。僕の部屋は3階なので、3階で出水して2階に漏れて、それがさらに1階の廊下に出ていることになる。大惨事だ。

 ドアの向こうでなにが起こっているか分からないので、とりあえず管理会社に電話。夜だったけれども、ちゃんと転送電話になっていて、会社のだれかが出た。1階廊下が水浸しになっていること、3階の部屋から水が出ていることを告げると、最初は事態が飲み込めなかったようだけれども、「そちらに行きます」とのこと。

 部屋でビールを飲んでいたら、チャイムがなった。管理会社のおっさんが鍵箱を持って「やっぱりこの部屋から出ているみたいですね」と向かいに部屋のドアを見る。チャイムを押しても返事がないから、合い鍵で入ることに。

 はっきり言って夜のアパートの1室で水がじゃばじゃば出ているのって、けっこう怖いシチュエーション。「すみません、一緒にいてもらえますか」とおっさんが言ったのは、なにか目撃してしまったときの警察対策だろう。僕も一切自分で動かずに管理会社を呼んだ後ろ暗さがあるので、後ろについて一緒に入る。

 部屋は真っ暗で、ざあざあと水の音だけしていて、非常に怖い。おっさんが「冷たっ」とつぶやきつつ中に入って電気を付けたら、洗濯機のホースがすっぽ抜けて水道水が全開で噴き出していた。よりによって留守中に抜けるとは、と同情しつつ、事件だったらお盆休みがなくなるところだったと、ほっとして部屋に戻る。

 下の部屋に住人がいるかは知らないが、自分の部屋に上から水が漏れくるって最悪のシチュエーションだな、などと思いつつ、夏はクソ暑い最上階に住んでいるささやかな幸せを感じたのであった。

8月12日

 宿直なのに、体育会系の後輩と仕事場でギョウザパーティーをしてさんざんビールを飲んで、ソファーで寝てしまい、宿直明けたら眠くてぐだぐだだったので、とりあえず仕事をさぼって家に帰って寝ていたら、お昼前に携帯電話の着信が! 寝ているような寝ていないような夢見心地な微妙な意識で反応したので、「もごもご、ますぁでふが?」ってな感じで要領を得ない返事をしたら、電話の向こうの相手から車用語が飛び出した。

 「プラグコードだよ」

 てっきり仕事の電話だと思っていたので、半分眠った頭でなにがなんだか分からなかったのだが、しゃべっているうちに声からして長岡のT氏であることが判明。ああ、ここのデミ夫の書き込みを読んで、トラブルの原因を教えてくれたのだ、と分かったのは、電話を切った後だった。

 後から電話の内容を思い出すと、ようするにプラグコードのリークで不調になっているのに、デスビにカバーをかけているのは、それは違うだろう、というまさしく正しいアドバイスであって、わざわざ電話までしてくれたのをありがたく思って、すぐにTORFに電話をして部品を取ってもらう手配をした。お盆だからたぶん、しばらく時間がかかる。

 TORFでもデスビのキャップやローターも含めて点火系を全部取っ替えたら?という話になっていたのだが、いかにコストを掛けずに20万キロ(ちなみに今は15万キロ弱)まで走るかというのがささやかな楽しみになっているので「濡れなければOKだよね」とカバーをした次第。

 「プラグコードは消耗品だよ。替えろよ。そんなに高くねーよ」とT氏。確かにさらに劣化が進んだらどこで止まるか分からなくなるような危ない自動車になるわけで、ちょっぴり反省。