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12月31日

 昼過ぎにデミオに乗って実家へ。アパートの近くでます寿司買って国道41号で南下し、神岡でホルモン買って東海北陸自動車道。飛騨は雪が降っていたけれど、路面はウエットで問題なし。格闘技や紅白を見ながら、大晦日ということで、締めくくりの「日常」を書いてみる。

 一言で言えば、思いっきりレースをした1年だった。

 正月から雅久号のヘッドオーバーホールをして、ブッシュ交換も。3月には間瀬に2回出掛け、4月にも1回間瀬で練習。その後のおわらの走行会でセッティングを煮詰めようと思ったら、走行開始10分でクラッシュ。新品バンパーを真っ二つにする。

 5月はクーマックカップ第1戦。トップチェッカーももらって2位と滑り出しは上々。すぐにSTAGE走行会があって参加。軽井沢ミーティングも雅久号で参加。

 7月も2回間瀬。クーリングシステムなどをテストし、万全の状態で7月末の第2戦。暑さの中のレースは想像以上に過酷だったが、再び2位を確保した。

 夏から秋にかけては選挙があって忙しかったが、第2戦で手負いになった雅久号を直しつつ、熟成を進める。11月2日のSTAGE走行会で調整して、9日の最終戦。13秒台のバトルを繰り広げて、3位。年間総合2位を確保した。

 こうやって簡単に振り返るだけでも、間瀬に行きまくっていたことが分かる。どのレースでも必ず事前に出掛けて、セッティングを取ってから本番に臨んだ。予選の最初から全開のタイムアタックができるように準備したのが、安定した成績を残した一つの要因だと思う。いつもレースのことを考えていて、枠の中でどうやったら速く走れるかをずっと考えてきたから。どうせレースやるなら本気で車作って練習して、言い訳をなくして走らないとおもしろくない。

 締めくくりは金魚決戦。夜のバトルで腹筋を鍛えて帰ってきた。

 雅久号はまだまだやり残したこともいろいろあり、僕のドライビングにしたって、タイムはそこそこ出るようになったけれど、まだまだレースでバトルをするような腕や、いろいろ引き出しを作って、すべてを駆使しながらバトルするような奥深さはない。

 来年のクーマックカップは、ロードスターにかせられていたハンデがなくなる。助手席とハードトップはなくてOK。タイヤも15インチOK。ニューネオバを試すことができる。

 これで、車づくりにしても、ドライビングにしてもチャレンジが増えたのだが、やっぱり今年みたいに燃えない。なぜかって、ホッピーレーシング2台が走らないって言ってるんだもん。やっぱりレースだからライバルがいてはじめてバトルが成立するわけで、ライバルのいないレースってやりがいが256分の1ぐらいになってしまう。

 正直、年間3戦とはいえ、車の整備とサーキット走行で休日はほとんどつぶれてしまう感じになる。やっぱりクーマックカップって全開で合計3時間走るわけだから、車の消耗もそれなりに激しい。それだけの時間を一つのことに費やすのって、モチベーションが必要。「ライバルがいる」ってことで気持ちが支えられていた気がする。

 ま、レースなんて、走れるときに本気でやらないと次はないと思った方が良い。同じレベルのロードスターが何台も間瀬に集まってよーいどんで走ってレベルの高いバトルを繰り広げたなんて、本当に奇跡的なシチュエーションだったんだと思う。レースのやりがい1024倍。そういうところに身を置けただけでも今年は良い1年だった。

 来年は、レースはちょこっと力を抜いて、元祖雅号を復活させ、あちこちロングツーリングに出掛ける所存。

12月28日

 金曜日は同業他社の人たちと宴会。みなさん、僕より若い人たちばかりなんだよね。ついて行けないところもあるけれど、スペイン料理の店でビールとワイン、シャンパンを立て続けに飲んで総曲輪のいつものバーに出掛けたは良いが、すでにかなり酔っぱらっていたのでカウンターに突っ伏して気がついたら午前4時だった。

 土曜日は名古屋で我が社のおじさんたちが結成しているビートルズバンドのライブだったから、出掛ける。午後6時ぐらいから始まるだろうと思ってゆっくりしていた。電話で確認してみたら、午後4時から始まって、ビートルズバンドは午後5時すぎからだという。急いで実家に車を置いて新栄のライブハウスに出掛けたら、なんとか後半部分の演奏に間に合うことができた。

 ライブ終了後はおじさんたちと午前3時ぐらいまで飲んで、酔っぱらいなものだから、ラーメンを食べたくなって、広小路通りをさまよっていたら、実家と逆の名古屋駅方面に歩いていて、伏見まで来ちゃったことに気がついて、あわてて戻る。再び栄を通って新栄、千種、今池、などを通ったものの、やっているラーメン屋を見つけることができなかったので、池下でコンビニに入ってカップラーメンを買ってタクシー拾って帰って、午前4時に実家に帰って食べた。

 日曜日は魚屋さんから電話がかかってきたので、日比野の名古屋中央卸売市場へ。午後1時ぐらいからコーヒーを飲んで、車やらギターやら、マニアックな話に興じる。おみやげにサケフィレーなぞをもらった。刺身10人前ぐらいの大きさ。

 せっかく、日比野まで出てきたので、帰りは大須に寄ることにする。年の瀬とあって、縁日みたいな感じでいろいろな屋台が出ていて、多くの人でごった返していた。不景気どこ吹く風って感じで元気いっぱい。富山の総曲輪通りと比べてみて思うのは、大須はテイクアウトして気軽に食べることができる食べ物屋さんがそこら中にあるということ。ラーメン食べたければ「すがきや」が昼すぎだって営業しているし、おなかが減っても困ることがない。総曲輪って、服屋さんばっかりで、食べるところといったらにぎわい横町とかもあるけれど、あまりない。人が集まったら何をしたいのか、ということを考えて、もうちょっといろいろな業種のお店が出ると、もっともっとおもしろくなると思うのだけれど。

 なぜ、大須に寄ったかと言えば、ブルーレイレコーダーを買うためである。といっても、僕のアパートにはワンセグしかないから、実家の親にあげようかと。母親がフィギュアスケートの浅田真央に入れ込んでいて、VHSでビデオコレクションしているぐらいなので、せっかく去年に大画面テレビを買ったのだから、録画装置も大画面対応にしてあげようかなと。

 実家の大画面テレビはSONY製だったから、レコーダーもSONYにしようと決める。電気店をぐるぐる回ったが、ブルーレイレコーダーも種類が多すぎて訳が分からない。店員にいろいろ話を聞くと、高い機種はカメラとつないでディスクに保存したり、録画した番組をPSPとかに転送したりする機能が多く付いているという。還暦前後の親が使うのだからしゃれた機能はいらないので、いちばんベーシックなシリーズに決める。

 数店回ったら、箱から出しただけの展示品を安く売っているお店を発見。BZD-T75が84800円だったので、現金で購入した。ビデオ端子しか付いていなかったので、HDMIケーブルをおまけしてくれた。実家に戻って据え付けた。HDMI端子とアンテナの配線ぐらいだから、簡単なもの。

 それにしても、最近のビデオって楽なんだねえ。番組表を受信して、ぽちっとするだけで予約できちゃう。日曜夜の、フィギュアスケート全日本選手権のエキシビジョンもワンタッチで録画。うちの親でも簡単操作。

 プレステ3とか、ブルーレイレコーダーを購入しているわりにはうちのアパートにはテレビがパソコンと携帯のワンセグしかない。そろそろまともなテレビ買おうかしら。

12月25日

 ちょっと前からラジオから流れるのはクリスマスソングばっかり。街にはイルミネーションも点灯して、なんだかうんざりした気分。そもそも、宗教的な日なのだから、やっぱり無信心の人がクリスマスで騒いでいてはだめだろう、なにがイブだ、などと、毎年のごとく、鮮度が落ちたサバのような目をしながらぶつぶつ独りごちし、この閉塞感はなんだ、と分析してみたら、クリスマスに恋人とらぶらぶ、なんておおっぴらにやっていられる年齢は世間体からみたら過ぎつつあり、本来ならば我が子のプレゼントの心配をし始めなければならない雰囲気が漂い始める「みそじーず」なのが原因の一つかもしれない、とふと思ったのだけれど、もともと世間体なんて気にしないで車遊びをしている僕なのであるから、そんなこと関係ないや、ゴーイングマイウエイだ、我が道を行けなどと勘違いから発生した空元気に元気づけられて、しばらくしたらやっぱりそれは空元気であって深刻な現実は直視せねばならない、と反動で、淡麗飲みながら明石家サンタでも見ていようとダウン気味になっていたら、携帯電話が鳴って「ケーキ食べに来ない?」とお姉さんから誘われたので、ぶつぶつと考えていたことはすべて忘れてしっぽ振っておおとろ亭に出掛け、上機嫌でシャンパンを開けてチキンとケーキを食べた。そしてビールを大量に摂取し、意識を失う。

 クリスマス当日は飲み過ぎで午前9時前にようやく起床。外を見ると明るかったので、出勤前に雅久号をいじることにする。ブレーキはオーバーホールしなくてはならないし、足回りもごにょごにょといじる必要があるから。

 ジャッキアップしてタイヤを外したぐらいで雨が降ってきたけれど、ぱらぱらと小雨な感じだったので、濡れながらも作業を続行。タイヤハウスの中に頭を突っ込んでいればあまり濡れない、と強がりを言いながら、足回りとブレーキを外す。

 結局、1時間半ぐらいかかって足回りとブレーキ回りをすべて外した。時間がかかるのは素人だから仕方がないということで。

 本来なら雨が降って来れば作業をあきらめるのだけれど、今は冬。ここは富山。いつ、車が雪に埋もれるか分からないので、できるうちに作業をしてしまう、というのが吉なのだ。

 手を洗ってスーツに着替えて出勤。11時半ぐらいに県庁にたどり着いたけれど、何食わぬ顔でパソコンに向かっているが、その手は洗いきれないオイルで真っ黒だったりする。

12月23日

 でろでろアイドリングに、がらがら歯打ち音が気に入らない元祖雅号。ノーマルフライホイールで少しは(歯打ち音ぐらいは)改善されると思うが、やってみることが1つ。バルブタイミングの変更である。

 安易にオーバーラップを減らす方向にすれば安定すると思っていたのだが、ノーマルバルタイ(メーカー推奨値)に近づけたら、負圧も出てものすごく安定した。たぶん、吸気115度、排気110度ぐらい。説明書が付いていなかったのでメーカー推奨値がいくつか分からないのだが、スライドカムプーリーの真ん中付近ということで、たぶん。

 歯打ち音もなくなり、でろでろ感もほぼゼロ。排気ガスも昔懐かしい、ロードスターのノーマル臭に近い。いまの車からすればやっぱり臭いけれど。まったくもって、ノーマルチックになって一安心。オイル食いが問題ないレベルならば、しばらくこのままで乗っていられるのだが、果たしてどうでしょうか。

 やっぱり、メーカーもあれこれ考えてカムプロフィールを考えているのだと、実感する今日この頃。

12月22日

 富山の街にもようやく雪が本格的に降ってきた感じ。もう12月下旬なのだから、当たり前といえば、当たり前。

 去年、日本海側の冬を初体験して、太陽の出なさ加減にうんざりしていた。しかし、今年は「太平洋側かよ」というぐらい晴天の日が多かった。去年はお昼を過ぎるとすでに夕方の雰囲気になって、おまけに雷までなって夕方ぐらいには仕事をする気も失せていたのだが、今年はなにせ明るい。立山もとっても近くに見える感じ。

 立山って曇りだったり、かすみがかかっていたりして、あまり見えないことが多いのだが、今年の冬は何度もくっきりと見えて、かえってありがたみがない。富山の市街地から神通川沿いに出たとき、突然立山連峰が目に飛び込んでくるとハッとして感動すら覚えるのだけれど、毎日見えているとあまり感動がなくなる。

 ようやく富山らしい冬になったねえ、という日に限って休みで、しかも午前中はまだ雨が降っていなかったのに、今日中に出さねばならない仕事があって、なぜかおおとろ亭にてうんうんとうなりながら仕事をこなす。悲劇的にはかどらなくて午後遅くまでかかってようやく仕上げた。雨も降っていたし、さあ、車いじりだ、という感じじゃない雰囲気。

 夜になって雨が雪に変わった。雪、というよりはアラレのような粒が、ざあざあと降ってくるので、あまりロマンチックじゃない。富山の雪って、危険を感じる降り方をする。

12月20日

 金曜日にも仕事を激しくさぼり、今日も仕事をさぼって工場へ。不動になっている我が愛車を早く動くようにしなければ迷惑だ。

 バルタイを測るのが面倒で、「このまま組んじゃっても大丈夫だよね」とお伺いを立てるも「ヘッド面研してない?」の一言で企みが瓦解した。確かに、ぽん付けすればメーカー推奨値のバルブタイミングになると思うのだが、面研してあればそれがずれてしまう。やっぱり現状値がどれくらいかを知っておかないと、今後セッティングをするときにも基本が分からないからやっぱり計測した方がベターかなと思ってがちゃがちゃっと測定器具をセットした。意外に難しい。

 排気側はぽん付けで112度あたり。これは最初から狙っていたぐらいのバルタイだったので、調整せず。吸気側の計測に移って困った。最大リフトの時期がクランク角で20度余りある感じ。やっぱりメーカーも、バルブをいかに開いていようかと知恵を絞ってそういうカム山の形に設計しているんだろうと思った。

 で、困った。なぜかと言えば、プーリーに分度器を張って計測する正統な方式ではなく、プーリーの外周を計測して100度の位置、110度の位置といった感じでヤスリで印を付ける方式で、バルタイ調整をしているから。吸気側は100度から5度刻みで115度まで印を付けてあったのだが、20度ちょっと最大リフトとなれば、狙った中心角118度ぐらいのバルタイだと、最大リフトから再び閉じ始めるときはまったく印がないところになってしまう。ま、そんなに数値にこだわっているわけじゃないから、目分量で大体110度後半のところに中心角が来ていると思われる感じのところに調整しておいた。

 本当は、カム山が左右対称じゃない可能性も考えて、1mmリフトのところのクランク角を読んでその真ん中を中心角とするんだろうけれど、分度器付けるのも面倒だし、数値マニアでもないから、大体合っていればOK。生ガスが出ていそうだとか、アイドリングがか弱いだとか、そういう現象から判断してバルタイをずらせば良いと思うのだけれど。

 ヘッドカバーを取り付けて、点火コイルを付けて、クラセン、ウオーターポンププーリー、ベルト2本などなど順番を追って組み上げていく。配線、配管も大体、組み終えて後はスロットルポジションセンサーとISCVの配線のみ。

 とりあえず、Dジェトロで回すのだから、スロポジもISCVも動いていなかろうがエンジンはかかるはずだと、ラジエーターに水を入れてクランキング。案の定、きゅきゅきゅきゅん、ぼぼぼ、ぼうん、ぼぼぼ、ぷすん、とちゃんと回っている感じの挙動を示した。バルタイがずれていたり、配線がおかしかったりすると初爆がない。たぶん大丈夫そう。

 AE101のスロポジとISCVは、NB6と比べて1本ずつ配線が多い。それぞれ、不要な配線が1本あり、正しく配線する必要があったのだが、文献調べて正しい配線を確信してから組むのは面倒だったので、フィーリングで配線する。

 NB6のカプラーはあったので、調べてもらって線の色でアースとか電源とか信号とかを把握し、とりあえず、もともとAE101のセンサーに付いていたカプラーに差し込んでみる。とりあえずスロポジを配線してエンジンをかけると、アクセル開度で数字が変わるので、どうも合っているっぽい。っぽいというのは、全閉レベルとか全開レベルとかをきちんと合わさないとまともな数字が出てくれないから。でも、DジェだからアイドルONさえ検出してくれればあとはあまり必要ない。

 次はISCV。アースはたぶんここって感じで信号線を差し込もうとしたら火花が出た…。あわててキーをOFFに。適当に差してエンジンを回してみると、やっぱり動いているっぽい。

 はたから見ていたO氏曰く「そんないい加減なのかい!」。プライベーターは勢いと勘と失敗で成長していくのだ。

 とりあえず、回るようになったエンジン。ノーマルチックに回るかと思ったら、やっぱりハイカムなので、少しでろでろする。でろでろはいいにしても、ミッションの歯打ち音ががらがらと消えないのが気に入らない。ノーマルフライホイールでも入れるか。たまたまオークションで見つけたのが9mmリフトのカムだから、8.5mmよりはでろでろするかも。

 とりあえず、不動車ではなくなり、敷地内を動かせるようになったのでよしとする。

12月16日

 午後から激しく仕事をさぼって、工場に出掛けてスーツ姿でシム調整。WAKOSの組み付けペーストがいつの間にかワイシャツに付いてしまった。シミが取れるかしら。

 元祖雅号のエンジンを「大人の理由」で普通のエンジンにすることになり、日曜日から作業を始めた。サーキット走行は雅久号があるので、元祖雅号は完全なるツーリング用に。吸気272度、排気288度のカムを、256度のカムに交換する。ほぼノーマルカムになって4連スロットルもいらないので、転がっていたNB6のインマニに交換。アクセルワイヤーが合わなかったので、転がっていたNB8からワイヤーを取りはずし(てもらって)取り替える。

 圧縮比が若干高いかな、と思うがくたびれたエンジンで圧縮も抜けているし、Freedomで点火時期をどうとでも調整できるので大丈夫だろうと判断。ハイオクも安くなったし。

 同じTODA製のカムで、ベースサークルは同じはずだからぽん付けできるだろうと、シム調整もしないで、バルブタイミング調整もしないで組み込もうと思ったのだが、「それはないだろう」という突っ込みを受けて仕方なく、シックネスゲージを買ってきてスキマを測る。排気側はすべて許容範囲のスキマでびっくり。吸気側は6カ所のスキマが狭くてこれじゃちょっとやばいということになって、マイクロメーターでインナーシムの厚さ測定。測定値を紙に書き出し、入れ替えたりして4つが要調整となった。

 ある自動車メーカーのインナーシムがそのまま使えるという情報を持っていたので、品番を伝えて発注してもらったら、「納期は来年2月以降」との回答。仕方がないので、転がっていたインナーシムヘッドのカムを外してシムをもらい、厚さを測って使えそうなものをオイルストーンで削る。

 かしかしかしっとオイルストーンで削ってもいっこうに厚みが変わらない。面倒くさい、と5年前はグラインダーで「どぅりゃぁ」と削ったのだが、かなり斜めに削れてしまったのをそのまま組んだ反省があったので、どうしようかとも思ったが、やっぱりオイルストーンは時間がかかりすぎるので、600番のペーパーでがしがし削る。

 マイクロメーターで中心のほか、周りの厚さも測って斜めに削れていないかを調べながら慎重に削る。ちょこっと斜めな感じのシムも、削り方で真っ直ぐな感じになる。

 がしがしっと削ってこれでよし、とカムをセットしてスキマを測ると、てんでばらばらのスキマになっていた。メーカー在庫が品切れで良かった。測定値を書き写したり、シムをセットしたりするときに間違えたらしい。10本のボルトを外したり付けたりしなくちゃならないから面倒くさい。

 再び2つのシムをヤスリで削る。ちゃんと1500番でなめらかにしてからセット。ほんの少しまだ狭い感じのところもあったが、大丈夫でしょうとシム調整終了。

 すでに夕方になっていたのであわてて県庁に戻る。何事もなかったかのように仕事を提出して、パソコンに向かってまじめに仕事をしている雰囲気で、こんなくだらない文章を書いていたりして。

 オイル食いもあるエンジンなので、どうせならレギュラーでも回るのを1基つくろうかとも考えたが、そこまで無理することもないかと、カムとスロットル交換だけにとどめた。その時間を足回りリフレッシュに回そうかと。あちこち痛んで、今富山にいる間にきちんとしておかないと、捨てるだけになってしまう気がする。次、どこかに飛ばされたら、もしかしたら車遊びができないかもしれないから、今のうちに思いっきりやり尽くしておくのだ。

12月12日

 下位に沈んで良いところがなかった金魚決戦。だけど、僕はこれで良いと思っている。悔いが残ると言えば、車の状態からは目標の30秒台に入りそうだったのに、限られた走行時間の中でそれが達成できなかったことか。

 それが今の僕の走りに対するスタンス。

 さかのぼること5年前の筑波決戦。初参加だった前年はぱっとしないタイムだったので、せっかく走るのだからと気合いを入れていった。ノーマルエンジンからボアアップ、4連、ハイカムエンジンに(壊れたこともあるけれど)。タイヤは15インチ旧ネオバから15インチ048に。足回りはちょこっとレートアップして12K10Kにしたけれど、それほど変化はない。

筑波決戦

 で、突然6秒以上のタイムアップで上位に。コースから出て車から降りたとき、足ががくがくと震えるぐらいだったから今から思えばけっこうがんばって走っていたんだとは思う。が、最初に思ったのが「つまんないな」ってことだった。

 車が速いだけでドライバーが速いんじゃない、と。大好きな車でぶんぶん走るんなら、やはり腕で速くなりたいと思った。

 そこから急転直下、鈴鹿FJ1600参戦ということになって、再び急転直下、家庭の事情でやめる状況になり、逆ギレ状態で走りから遠ざかっていて、昨年8月に富山に異動になって再び走り始めた。そして選んだのが間瀬耐久参戦。枠内の中で車を作って同じ条件で勝負できることもあったし、ノーマルNA6CEでどこまでできるのかも興味があった。そしてつくったのが雅久号。エアコン、パワステ、幌、内装を撤去して足回りとマフラーを交換しただけ。付けたのはロールバーと4点式ベルトと水温計とLAPSHOT。

 昨シーズン最終戦から4戦出場して、間違いなく走りが速くなった。路面にタイヤがどうグリップして、それを伝えるバネとショックがどうなってと前よりも走りが分かるようになった。今の僕には絶対的なタイムはあまり重要じゃなくて、手持ちの道具からどう引き出すか。タイムは結果、出たという感じ。

 チューニングを否定しているんじゃなくて、どこに喜びを覚えるかということだと思う。雅久号だってけっこうお金遣っているし。結局は自己満足の世界で、どこにお金を掛けるかだと思う。

 枠の中でどうがんばるかを追求したい。で、来年の枠を何にしようか、今シーズンを終えて考え中。

12月10日

 金魚決戦の余韻に浸るまもなく、翌日は鈴鹿サーキットへ。伊勢湾岸道ができたのでけっこう近い。

 FJ1600に出場しているDさんの今シーズンラストランを応援に。シーズン序盤は調子が上がらなかったのだが、何かが吹っ切れたらしく、第4戦から3連続で表彰台に上っていたのだ。あとは頂点に立つのみ!ということで、期待を胸に鈴鹿西コースへ。

 そういえば、西コースのパドックに入ったのって久しぶり。東コースかフルコースのときばかりに応援していたんだな、と改めて思う。

 クラブマンレースのパンフレットを見て、Dさんが年間ポイントランキング3位に付けていることを知る。年間チャンプは「FJの猛者」な方がすでに決めていて、2位とは1ポイント差、3位に3人が付けて4人が競るというものすごい熾烈な2位争いが繰り広げられていた。

 予選では4位。朝はパドックが凍っているほど路面温度が低く、タイヤが暖まらなくて苦労したそう。イエローフラッグが振られていたり、1台抜いたりして、いまいちな周回がベストタイムだったので「だめだぁ」というのが感想だったらしいのだが、結果が出てみれば4位だったという。ウエットはもとより、グリップが低い状態だと抜群に速い。

 いつものように、グリッド上で握手して気合いを入れて、コースの外から見守る。11周で争われるレース。スタートでちょっと遅れて5番手になったDさん、だが前の車のミスがあって4位を奪取。昨年はこういう展開になると、トップ集団からじりじりと離されていく展開が多かったのだが、今年は違う。ぴったりと前の車に付いていき、トップが2番手を引き離しにかかったところで、130Rで見事に刺した。今しかない、というタイミングで。

 3番手となって前にはFJ猛者の年間チャンプ。前回のレースでは一時トップを走っていたものの、舌を巻くようなレース展開のうまさで猛者に抜かれ、2位になっている。この展開なら、猛者にトップを料理してもらい、その後で前回レースの決着を付けることができそうだ。

 レース後半、単独で走っていたトップが見せた隙を突いて2位集団が追いつく。当然のように猛者が料理にかかり、130Rで並んだと思ったら接触! 猛者、スピン。

 Dさんは冷静にアウト側のランオフエリアに逃れて2番手を確保。しかし、タイヤが汚れてしまうと西コースショートカット加速でスピードが乗らないらしく、トップとはわずかな差ができた。

 「よし行け!」と声援を送るも、さすがにわずかな周回で抜くには至らず2番手フィニッシュ。年間2位も確定した。強いレース展開でもぎ取った年間2位なのだから価値がある。が、本人はあくまで最終戦でトップになりたかったに違いないから、悔しさを胸に秘めているに違いない。

 見ていて、本当に手に汗を握るおもしろいレースだった。やっぱり、FJ格好良いよ。

クラブマンレースの表彰台でシャンパンファイト。手前がDさん

12月9日

 金魚決戦第2ラウンド。多くの人は昼の走行会が勝負だと思うかもしれないが、近くのペンションで繰り広げられた壮絶なバトルは中部ロードスター界の中で長く語り継がれて行くに違いない。

 コテージ借り切っての宴会。主役は宴会から参加したRジャンキーの鬼軍曹とRCファクトリーSTAGEのT氏、おりぼーさん。Rジャンキーの角さんも絡む。

RジャンキーRCファクトリーSTAGEおりぼーさん

 鬼軍曹、決戦の賞品のオイルを各方面から集めてくれたり、宴会用に鍋を作ってくれたりと恐ろしく面倒見が良い。ただ、恐ろしく体育会系。エンジンオイルも水平対向用だったり0W-20だったりと、微妙なチョイス。

恐ろしく体育会系微妙な

 コテージ入り口のテーブルに陣取って(ストーブが近くにあって暖かかったからだ)「みんなそろったら乾杯ね」という場の空気も読まずにすっかりお客様気分でぷしゅっと勝手に淡麗を開けて飲みはじめた富山勢とT氏。まったりしているところに、鬼軍曹が食器やら野菜やらを持ち込んでテーブル横のキッチンで鍋を作り始めた。みんなのために用意してきてくれたんだ〜、良い人だなと思うのもつかの間、

(ストーブが近くにあって暖かかったからだ)

 ちゃけぞえっ! おまえ、なぁ〜に座ってんだ、てめえはお客さんか!!(゚Д゚)(刻んで鍋に放り込むぞ)

ちゃけぞえっ! おまえ、なぁ〜に座ってんだ、てめえはお客さんか!!(゚Д゚)(刻んで鍋に放り込むぞ)(刻んで鍋に放り込むぞ)

 とメンチ切りながら、お客さんに交じって缶チューハイ片手に談笑していたRジャンキーの若手特攻隊長をしかりとばす鬼軍曹。もうすでにただことじゃすまない夜であることを覚悟する。

 

 晩ご飯をペンションで済ませて、再び同じテーブルに戻る鬼軍曹と富山勢。飲み直そうとベランダで冷やしてあったビールをテーブルに運ぶとき、がんっ、と1つが床に落っこちた。ありゃりゃ、そんなビール、開けたら大惨事じゃないですか。

がんっ

 満面の笑みの鬼軍曹。そのビールをT氏が戻ってくるであろう席に置く。それを知らずにご機嫌で戻ってくるT氏。机の上のビールを早く開けないかな〜とみんなが微妙な笑顔で見守っていたのだが、なかなか開けない。しばらくハイテンションでしゃべっりまくって「ビールは?」と聞くT氏。目の前にあるのはアサヒの本生ドラフトだから発砲酒。T氏はキリン一番搾りを所望している感じだったのだが、周りのみんなは「目の前にあるじゃないですか〜」と、なおも微妙な笑顔でT氏に本生ドラフトを勧める。

ビールは?

 T氏も空気を察した感じであったのだが、気を取り直して本生ドラフトをぷしゅっと。が、ぐずぐずぐずっと泡がちょっとだけ出て不発に終わった。時間がたって収まっちゃったみたい。思わず「収まったんだ」とつぶやいたら、横にいた鬼軍曹から強烈な殺気とメンチが送られてきた。

 ひとまず、その場は収まってロードスターの話題なんかそっちのけで馬鹿話が進行する。何かが仕組まれていたさっきの気配を覚えていたT氏、「オレ、KYだからさぁ。漢字、読めない」と訳の分からないことを叫びながらトイレに立った。廊下に消えたと思ったら「何もしないでね」と念を押しに戻るT氏。これは「何かしてね」ということだろう。

オレ、KYだからさぁ。漢字、読めない

 机にあった2本の本生ドラフトを強烈にシェイクする鬼軍曹と宝石氏(富山勢)。T氏の席にはぱんぱんに内圧が上がった本生ドラフト2本と、普通の淡麗1本が並んだ。

(富山勢)富山勢

 戻ってきて3本をのぞき込んだT氏、「これはねーな」と淡麗をわきによける。おお、素晴らしい勘じゃないですか。もう、周りの人間は笑いをこらえるのに必死。隣の席からは逃亡。そんなばればれな状況の中、本生ドラフト2本を前にして、どっちかな〜という感じで見比べるT氏。どっちもぱんぱんであるとは思っていなかったらしい。

これはねーな

 しかし、1本を手に取ってもやっぱり開けない。満面の笑みなのだが、プルトップは動かさない。そのうち、ビールに耳を当てて「音が聞こえる」と真顔で語るT氏。

音が聞こえる

 「何の音?」と周りがきょとんとする。「ほらあ」と内圧が上がった本生ドラフトを鬼軍曹の耳元に持って行くT氏。「本当?」てな感じで素直に鬼軍曹が耳を近づけた瞬間、

 「ばじゅーっっっ

ばじゅーっっっ

と圧が解き放たれた。耳どころか顔に飛沫がかかって転がり回る鬼軍曹。「血が流れる」と周りはどん引き。阿鼻叫喚とはこのことだ。

血が流れる

 「目に入った。滅茶苦茶痛い」ともだえる鬼軍曹。辺りは爆笑しながらも、次に起こる惨劇に備えて身構えているというなんだか良く分からない空気に包まれる。

「目に入った。滅茶苦茶痛い」ともだえる鬼軍曹

 そこからはビールのかけ合い。勝者なきビールかけ。何も知らない人たちを連れてきて、ビールを小刻みに振りまくりながら「妖精の声が聞こえる」だとか「エンジンが9300回転でブローして飛び出す音が聞こえる」だとか言って耳元に。角さんたちが犠牲者となる。

妖精の声が聞こえるエンジンが9300回転でブローして飛び出す音が聞こえる

 周りはジェントルに車談義を繰り広げている人たちばかりなのだが、完全に机の周りだけ浮いた感じになって、だれも近寄ってこない。腹筋どころか、ほっぺの筋肉も痛い。

 

 なんだか、兄弟みたいな掛け合いのT氏と鬼軍曹。鬼軍曹がコーラを飲んでいるのを見たT氏、良い感じに酔っぱらって壊れているものだから「おまえ、コーラ一気のみしてげっぷしないで九九を言えるか!」というのを間違えて、

 

 「コーラ一気のみしてげっぷしないで四捨五入!

コーラ一気のみしてげっぷしないで四捨五入!

と叫ぶ。ごめん、Tさん、四捨五入はどうやっても言えないわ。げっぷは我慢できてもそれは無理だわ、と爆笑の渦が巻き起こったのだが、そこで突然、話題を振られたおりぼー氏曰く、

 「俺は5を捨てる」だと。

俺は5を捨てる

 ええ〜、普通5は繰り上げるだろ、小学生でもちゃんと捨てるのは4までだろう、と爆笑どころか、おりぼー氏の男気を褒め称える声がわき起こる。そうか、オリーブボールでは3.5時間の作業をしてもらっても3時間分の請求になるんだ。それどころか5万円以下なら無料なのかなどなど、周りにいたみんなが次の作業はオリーブボールに持ち込もうと誓ったのであった。

 もうね、文章に書いていると訳の分からない酔っぱらいの掛け合いだけれど、その場にいたら本当におかしいの。1年分ぐらい笑った。

 走行会から飲み会までこんなに楽しい時間ってなかなかない。また、みんなが集まる機会があるのかどうかも分からないけれど、こんなご縁をつくっていただいた主催者とRジャンキーな方々に感謝します。

第2ラウンドの一こま