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3月30日

 予定通り、大阪に異動する同業他社の人から、インプレッサを購入することになった。16万キロ近い98年式のデミオと別れて、00年式9万キロのオートマインプワゴンに乗り換えるのだ。

 同業他社の人は今日、お昼に部屋から荷物を出して、サンダーバードで大阪へ。その前に、車を受け取ることになった。

 とりあえず、代金の準備。県庁1階のATMから10万円を引き出して、我が社の社名入り封筒に入れ、太いペンででっかい文字で「御餞別」と書く。自分の名前も書いて、裏にはちゃんと「一〇〇,〇〇〇−」と金額を記入する。

 県庁のたまり場で、背中合わせに座っていて、地元勢には人員的にかなわないので、なんとなく負け犬談義をしていた仲なので、異動するとけっこう寂しい。が、異動はこの業界の常、「がんばってよい仕事をして」と送り出すのだ。

 県庁に顔を出したので、用意していた封筒を渡す。果たして、00年式のインプレッサが10万円で安いのか高いのか良く分からないけれど、知っている人から買うという安心感と、餞別の意味もあるからあまり詳細な値踏みはしないのだ。

 任意保険が本人運転しかかかっていないとのことだったので、僕が無保険状態で運転しなくても済むようにT.O.R.F.に積載車で引き取ってもらうことにする。積載車に載せたまま運輸支局に運んで名義をかえ、デミオの車検が切れる5月下旬に車検を取って、次期支援戦闘機に就任予定。

T.O.R.F.

3月29日

 首や手がブローしたけれど、タイム的には体がすっかり疲れる感じまで追い込めなかったので体力はまあまあ残っていた。夕方、鈴鹿を後にして、そのまま鈴鹿インターから伊勢湾岸道、東名、名神、東海北陸道、北陸道と通って帰ろうと思った。ETCが付いているから1000円なのだ。

 が、第二名神の開通で込むようになってしまった東名阪道。案の定、鈴鹿インター付近で渋滞している。渋滞にはまりたくもなかったので、国道23号へ。揖斐川と長良川の堤防道路で岐阜を目指した。湾岸道を通るよりかなり近いし、堤防道路で交差点もあまりないので、高速道路並みの時間で移動ができる。

 国道23号に向かう道中、首の違和感が気持ち悪かった。岐阜羽島インターから名神に乗り、東海北陸道、北陸道と走った。土日1000円が始まったから渋滞しているかとも思ったけれど、交通量がちょっと多いかな、という程度ですいすいっと移動。富山インターから降りたらやっぱり1000円。なんだかんだと言われている割引制度だけれど、高速料金が安くなるのは正直ありがたい。

 実家にも寄らずにそそくさと帰ってきたのは、同業他社の送別会があったから。途中参加して、ビールを少し飲んで、お金だけ払って2次会はパス。家に帰って素直に寝た。

 明けた日曜日、首はやはり筋が痛いし、踏ん張ったため足のすねの横があざになって、ついでにひじも同じ感じで痛みがする。腕はぱんぱんで、握力もない。これはちょっと鍛えないとまずいな、と思う。

 仕事の日なのだが、あまり仕事をしなくても良い感じだったので、午後からおおとろ亭へ。大画面でF1グランプリ開幕戦を観戦した。オーバーテークの機会を増やすとしてエアロがかっこ悪くなったけれど、エアロとKERSの効果が出て、本当にあちこちでポジションの奪い合いが起こっておもしろかった。今シーズンの展開に期待。

 ホンダ関連会社に勤める人が微妙に多く集うおおとろ亭。「撤退しなければ良かったのに」とため息交じりにつぶやきたくなる気持ちは痛いほど伝わってきた。

3月28日

 5年ぶりのFJ1600はとっても怖くて、やはり予想通り、惨敗した。

 レンタルしたFJ1600は、かつてのマイマシンと同じ東京R&D製のFV/2K。今日は鈴鹿・西コースのフォーミュラ枠が6枠もある。天気にも恵まれて本当に文句のない状態で乗ることができた。

 午前8時の走行開始。前日も休みをとって、実家に止まって、午前5時には起きて朝ご飯をちゃんと食べ、万全の体調で鈴鹿に向かう。

 シートの位置を合わせて、いよいよコースイン。西コースのピットからコースに出て130R。ショートカットを抜けてデグナー2つを抜け、ヘアピンへ。200Rを走ってスプーンで、1周。もうね、走り出した瞬間に滅茶苦茶怖いの。首から上がむきだしで細い4本のタイヤだけに頼って時速200キロの世界。本当に冗談抜きで「僕には無理、帰ろう」とピットインしようと思ったぐらい。

 けれども、メンテしてくれているのはスパルタレース屋さん、怖じ気づいてピットインしたら、スパナとかで殴られそう(最近は人が変わったように丸くなったけれど、僕の中のイメージでは5年前のスパルタのままなのだ)なので、とりあえず、できる範囲でコースを走る。ストレートなんか、前を見ているよりミラーを見ている方が長いぐらいで、130Rなんて「一時停止するんじゃねぇ!」と怒られそうなぐらいのスピード。だってできないんだから仕方がない。「なんで、こんな怖いこと好き好んでやりに来ているんだろうと」疑問にすら思う。

 例えると、ロードスターNゼロ車両で1周1分20秒ぐらいで走っているぐらいの情けなさ。で、終わり10分前ぐらいに130Rのライン取りをミスってふくらんでしまい、アスファルトからタイヤが外れた途端にリアが滑って、驚いてアクセルを抜いたものだからイン側に巻いてしまってスピン。とりあえずフルブレーキをするも、時速150キロぐらいでぐるぐる回りながらコースを右から左へ滑っていって、コースアウト。だんだん壁が迫ってきてやばい!と思ったら、敷いてある砂利でブレーキがかかって1メートル手前で止まって助かった。

 1枠目で車を壊して走れなくなるところだった。たぶん、コースに平行する形で回ったので、慣れた人ならブレーキを解除して何とかアスファルトにとどまれたと思う、そんな回り方。

 エンジンを掛けようとしたけれど、かぶっているようで、マフラーから大きな火炎を吹いていたのでどうせ砂利に埋まっていて抜けられないとあきらめて、シートベルトを外して安全なところに逃げる。チェッカーが出て、トラックにクレーンで引き上げてもらってピットに帰った。コースアウトするとFJがちりとり状態になって、砂利をたくさん載せてしまう。苦労して掃除をするレース屋さん。ご迷惑を掛けました。

 2枠目。はっきり言って、スピードが速くて怖いし、怖じ気づいて走るモチベーションは低いけれど、せっかく来たのだからちゃんと走る。とりあえずスピードを上げていかなければならない。ブレーキバランスがフロント寄りになっているということで、コースイン1周だけしてピットイン。ローター温度を測ってOKだ、ということで再び走りだす。

 こちらがのろのろ走っているのに、F4とかS-FJとかが容赦なく後ろから追い上げてくる。本当に、ミラーを見ている時間が半分ぐらい。速ければ勝手に抜いていくんだろうから気にしなければ良いのだけれど、後ろばかり気にして調子が出ない。

 それでも、ちょっとずつスピードを上げていったら、ショートカットのブレーキングで突然リアがぐらついて、エンジン回転がすとんと落ちる。2回目に同じ現象が起こったときは思わずスピン。デグナーとかヘアピンの挙動を見ても、これはブレーキバランスが後ろ過ぎるんでしょう、とピットイン。ブレーキバランサーの調整をして、再びコースイン。1枠目から3秒ぐらいは上がったか。

 3枠目。怖いばかりでもなくなり、スピードにも慣れてきて、ちょこっと楽しさも出てきた。相変わらず、攻めることはできないけれど、ショートカットとかヘアピンでリアステアがどう出るかを試してみる。あちこちでミスをしたけれど、5年ぶりのFV/2Kは以前より「乗りやすい」と思った。以前は「あっ」と思ったら即スピン、コースアウトしていたぐらい速い挙動が出ていたけれど、今回の車はカウンターを当てればコース内にとどまることはできる。リアの横流れがきちんと伝わってくる。

 が、たぶん、そんな乗りやすさは、かなり低いレベルで乗っているからだろう。「そんなタイムで走っていると、タイヤが温まらないからかえって危ない。ブレーキやコーナーを詰めるのはまだ怖いんだから、とりあえずアクセルを全開にしろ」とレース屋さん。

 スプーンの立ち上がりから西コースストレートを130Rまで全開にするのはまあ、何とかできる。が、デグナー立ち上がりからヘアピンにかけてとか、さらには、200R、通称マッチャンコーナー全開は、正直、しゃれにならない。気を抜いたらそのまま高速でアウトに膨らんでクラッシュし、死んでしまいそう。

 それでもタイヤが温まってくると、「無理」と思っていた全開も、できてしまうのだ。ヘアピン前の右コーナーも、ちょこっと勇気を出して、ぐいっとステアリングを切ると、きれいにラインをトレースすることができた。200Rも、「どこか飛んでいってしまう」という感じではなくなって、全開でも理想のラインを描くことができる。たぶん、こういう車で快感なのはこういう200Rとか130Rを攻めることなんだろうと思うけれど、ここら辺で異変を感じ始める。首だ。

 1、2本目で面食らって、疲れがどっと出ているところにFJ本来のグリップが出だしたら、首が横Gで持って行かれてしまう。特に200R後半は歯を食いしばって相当気合いを入れないと前を向けない。そんな状態だからスプーンを攻めるどころではなくて、結果、ストレートのスピードも伸びない。130Rは元々遅いと、全体的に遅くなってしまう。

 1度疲れ出すと、デグナー2個目とかでも首に来るようになってしまい、コースを攻めるどころの話ではなくなってしまう。

 5年前、「ガラスの首」だったことを忘れていたわけではないけれど、甘く考えていた。FJに最初に乗るとき、南コースで車に慣れるのだけれど、2速の立ち上がりで首が前に向けられなかった。やばいと思ったので、素人ながらも首を鍛えて本コースに臨んだら、南コースよりは首への負担が小さい気がしていたのだ。今から思えば、何回か南コースで首を鍛えて本コースに臨み、遅いスピードから何回か走って徐々にスピードが上がっていったので、首も自動的に慣れていただけだったのだ。まったくトレーニングもせずに臨んだ自分の考えの甘さを反省する。

 午前中、3本終わって、タイムは「こんなものか」という程度で、午後3本で何とか1秒ずつぐらいは上げていこうと思うも、首を始め、握力とか腕の力とかもかなり使っているので、すでに体はぼろぼろ。午後の走行までの1時間半、デミオ(こうなることを予想してロードスターではなくデミオで鈴鹿入りしたのだ)の中で横になって特に首の回復を待つことにする。

 4本目。横になっていたので疲れは大丈夫で、気合いを入れて乗り込む。スピードに慣れたとはいえ、130Rとか200Rとかは本当に怖い。それでも何とか気持ちを保って、タイヤを温めたのだけれど、その先がやっぱり一緒。グリップが上がってくると首を持っていかれてしまい、「その先」の世界を体験することができない。Nゼロロードスターで間瀬1分17秒にようやく入ったぐらいのレベルなのに、攻めようにも体がすでに付いてこない。

 結局、3本目のタイムと同じような感じで淡々と続いてしまい「これは、今日は無理そうだ」と思う。5本目は、すでに首がブロー状態で、集中力も欠いてミスも連発するわ、何よりもスピードを上げていけない。途中、ピットインして気持ちを入れ替えて見るも、すでに攻めるモチベーションがないので危ないから戻った。

 6本目は、このまま走ってもタイムを上げるのは無理だと判断。キャンセルする。夕方で路面温度が下がってくるし、タイヤも温まらない中、散漫な集中力で走ったら、車を壊したり、けがをしかねないと真剣に思った。

 タイヤを温めてグリップの限界で走って、その車本来の挙動とか、その先のドライビングが見えてくるのに、スタートラインですでに首がブロー。「FJに乗った」というよりは「体験した」というレベルで終了。5年のブランク、というよりも5年分、おっさんになったことも敗因の一つか。5年前、若気の至りながらも若い走りをしていたんだと、当時の自分に感心する。

 レース屋さん曰く「ラインは合っていた」とのこと。5年前はラインで滅茶苦茶だめだしされた覚えがあるから、事前の学習が一応は役だったみたい。ただ、スピードが足りない。

 最低限、首をしっかりしてから乗らないと、これ以上、攻めることはできないなと思う。何回か走れば徐々に慣れていくことだとは思うけれど、とりあえず、ロードスターのレースもあるから何回も乗ることは考えていないので、ここで終了。不思議と悔しさはなくて、特に対策もせずに乗ればこんなものかとあっさりと受け入れている。

3月27日

 休みをもらって毛髪を処理してデミオで名古屋近郊の実家へ。明日は早朝から鈴鹿サーキット入りして、FJ1600に乗ってくるのだ。

 FJ1600に乗りかけたのは5年前。あっという間に大量のお金を使って貯金が尽きて、家庭の事情もあって辞めてしまった。まあ、本当のところを言えば金策に走ったり、借金をしたりとやせ我慢、無理してまで続ける自信も度胸もなかったというところなのだけれど。それでも、新生活のスタートには同じようなお金がかかったから、人が生きていくためにはやっぱりお金が必要なのです。

 走りをやめてまで始めた生活が崩壊し、なんだかんだと過ごしていたら、なぜか富山に行け!という指令が出て、当初の予想通り車三昧で過ぎたこの1年半。間瀬耐久参戦でかなりドラテクも身についたし、車のセッティングについても知識が深まった。貯金ばかり貯まっても仕方がないので、と今回、やっぱり僕には無理な世界だったということを実感するためにFJ1600に乗るのだ。

 昨年、鈴鹿FJ1600の2位になったDさんから極秘映像をもらって予習はした。あとはトラックで自分の実力を発揮するだけ。この1週間ぐらい、ずっと緊張している自分がいて、やっぱり、FJって自分の中では特別なんだと再認識する。

 良い緊張感を感じている。仕事も10年も続けていると、何となくマンネリ気味になってくるので、そうした生活に変化をもたらすという意味でも、モータースポーツは良い刺激になる。で、今から予想するに、すごくへこんで富山に帰ることになると思う。

 それはそれで良いのだ。

3月26日

 「先輩、ちょっと話が…」と、普段は県警を回っている後輩が、県庁に来たのでタダナラヌことがあったんだろうということはすぐ察しが付いた。結婚する、というのであれば別に仕事が終わってからでも良い話で、急に「話がある」というのであれば、その理由はただ一つ。辞めるってことだろう。

 人のいないところに移動して話を聞く。やっぱり、辞めるということで、ネット関係の会社(有名どころ)に転職するのだという。なんか、突然休んで東京に行ったりしていたものだから、何かはあるんだろうと思っていたけれど、面接をしていたということか。

 5月からということで、4月は有給めいっぱい使って休む、ということになるんだろう。昨年8月から1月まで1人少ない状態で何となく余裕のない状態だったけれど、再び8月まではそんな状態になりそうな予感。

 嫌な上司が来たり、人が減ったり、選挙があったりと、なかなか車遊びに集中できない日々となりそうだ。

3月25日

 今日は原稿いらん、なんて言われたもので、それじゃあ遊びに行くしかあるまいと、そそくさと県庁を抜け出して、ロードスターに乗り込む。夕方から突然フリーになることなんてなかなかない。天候はいまいちだけれど、何となく空が明るくなりかけていた。

 県道を上市町方面へ。山側に向かうが、何となく行き止まりっぽい感じになったので引き返す。富山は松本と同じなんだけれど、北アルプスがどーんと突然壁になっているので、中腹の気持ちよいワインディングロードは少ない。

 仕方がないから広域農道を走るも、なんだか天候が荒れてきた。雨ならば良いのだけれど、黒部市に差し掛かるころにはざあざあと雪になっていた。気温が高いから路面が滑るような状況にはならないだろうとは思ったけれど、安全を取って海沿いを西に向かう。

 降っていたのは滑川までで、水橋に至るころにはすでに雨になっていた。四方まで行くと雨も降っていない。では、ということで、そのまま海沿いの道を新湊、伏木方面へ。

 開幌にはできなかったけれど、良い気分転換になった。4月になったら、時間を見つけて信州でも走ってこよう。

3月24日

 4月から、職場のボスになんだかいやな感じの人が来ることになった。細かく仕事のあら探しはするのだけれど、本質はつかんでいない感じの人。管理職として送られてくるのだが、たぶん、まだ自分が現場の最前線に立っている気分で、あーだこーだと直接電話をしてくる感じの人。彼の着任前からげっそり。

 歓送迎会が月曜日にあったのだが、自分で組んだローテが生きて、幸いにも宿直に当たっていた。すばらしい。ほかの人が仕事を早めに終えて、いやいや会場に向かうのを見届け、るんるん気分で居残り。

 んが、平穏な時間は酔っぱらいどもに破られて、午前1時前ぐらいにどやどやっとできあがった同僚たちが仕事場に上がり込んできた。ま、彼らの仕事場なのだから、深夜に寄ろうが、文句を言う筋合いはないのだが、しらふなのに酔っぱらいの相手をするのは正直疲れる。

 寝不足の朝、その問題の4月から上司が顔を出して「頼むな」と一言。頼むから引っかき回さないでね、と心で念じつつ「はーい」と生ぬるい返事をしたのであった。

3月23日

 日曜日にちょっと外出しようとしたら、着ていく服がまったくないことに気がついた。

 富山に来る前は、平日はスーツを着て仕事。休日もいつ仕事になるか分からないので、あまり汚い格好でいられなかったから、シャツにジャケットみたいな服装。

 富山に来てからは、休日にも仕事という事態はかなり減った。土日、祝日で出勤日は、スーツを着ていると堅苦しいから、シャツにジャケットみたいな服装。

 で、完全オフの日は、私服でも良くなったのだけれど、ほとんどの休日は工場に「出勤」しているので、つなぎに上着という服装ばかり。そういう数年を過ごしているうち、完全オフの日に着る楽な服(外出できる程度の)がまったくなくなったと。

 どこかにあるとは思うのだけれど、引っ越してから服関係の荷物はあまり引っ張り出したことがないから、どんな服があるのかまったくわからない。それどころか、富山でふた冬を越しているから、かびているんじゃないだろうか。

 そこまで服が必要なかったのか、という生活だったことに今さら気付いて苦笑い。

3月22日

 木曜日。宿直勤務だったけれど、同業他社の3人の送別会だったので締め切り時間が過ぎてから、電話とファクスを転送にして、パソコンを抱えて中央道りの洋食居酒屋へ。酔っぱらうと英語でしゃべり出すちょっと怖いお姉さんや県職員らと、がやがややりながら、午前2時の閉店までいて、2次会ということで、総曲輪のいつものショットバーになだれ込んだ。いつの間にやら午前4時。何をしゃべっていたのか、記憶があやふやだ。

 宿直なのに職場にも戻らず、自宅に帰ってファクスだけチェックして意識を失う。起きたら午前8時半。やばいと、他の人が出勤する前に仕事場に戻る。休みはみなさん、出る時間が遅いので、ばれずに済んだ。

 午前10時半から富山駅南口で仕事があったのだけれど、明け方まで全開で飲んでいたので、何となく残っていそうで運転はやばい。駅での仕事ということで、路面電車で向かう。

 古い車体ががたぴし走って、信号で停車中には古いコンプレッサーの「ごごごごご」という音も鳴り出して、決して快適というわけではないけれど、街中をちょっと高い目線で移動するのってけっこう楽しい。富山駅で高岡開町400周年の「利長くん」を写真に収めて、再び路面電車へ。今度は西町へ行って、総曲輪通りの一角を撮影。無性にラーメンが食べたくなったので、にぎわい横町に行って、豚骨ラーメンを喰らう。うまい。

 歩いて国際会議場に行き、きき酒イベントに顔を出す。さすがにこの頃には完全に血中アルコールも抜けていてしらふで仕事。歩いて仕事場に戻る。

 午前中でちゃちゃっと仕事が片付いたので、午後からは工場へ「出勤」。土曜日に雅久号のおわらテストをするのだ。貸していたENKEIのRP-F1が返ってきたので、借りていたホイールに付いていたニューネオバを組み替える。

 が、RP-F1には2003年に筑波サーキットを走った048が付いていた。タイヤチェンジャーにセットして、いくらタイヤを外そうとタイヤレバーでこじっても固すぎて外れない。いや、たぶんフルパワーを掛ければ外れるのだけれど、チェンジャーが壊れそうで、素人にはちょっと怖い。素直にやってもらう。ニューネオバを外し、組み込むのはけっこう簡単だった。

 足回りもバージョンアップ。つるしの状態からは中身も外見も違う。ちなみに、雅久号にはENDLESSのFUNCTION
X
を使っている。乗り心地とスポーツ性が両立されているし、車高もちゃんと下がるしで、つるしの状態でもほとんどの人は不満を感じないに違いない。が、やっぱりタイヤの限界でがんばって走っていると不満も出てくるもので、かなり手が加わった状態になった。間瀬耐久レース1年間の経験が注ぎ込まれた足が欲しい人は、T.O.Racing
Factory
へ(笑)。レース前には必ずセッティングを取りに行っていたし、おわらサーキットでのテストは数知れず。

ENDLESSのFUNCTION
X
T.O.Racing
Factory

 減衰も細かく指定してメーカーにオーダー。購入時に付いてくる「仕様変更無料券」が付いてこなくなるため注意が必要(購入時に券を使った形になる)で、値段も他の足回りに比べてちょっと高めだけれど、それだけの良さがあります。

 で、その開発の最先端の雅久号「FUNCTION X」エボリューションモデルとも言える足を組み立てて取り付ける。もうね、ちょっとした買い物をしに、直線を走っただけでその違いが分かるぐらいフィーリングが良くなった。これでタイムが激変するわけじゃないけれど、確実に走りの質が向上するはず。レースも楽になると思う。

 そのままおおとろ亭になだれ込んでビールを大量摂取して意識を失い、土曜日。飲み過ぎてちょこっと遅れたけれど、おわらサーキット入り。実は、間瀬に行くつもりだったので、ガソリンが20リットル以上余分に入っていたことや、足を組み替えたら車高にちょこっと変化が出て、その影響も出たりして、朝一番のタイムはいまいち。車高を調整して、がんばって走る。15インチネオバのおかげで、今までよりも明らかにコーナーリングが早いのだけれど、それがなかなかタイムに現れない。結局、朝一番のタイムと変わらない感じで終了してしまう。タイムはそろっていて乗りやすいことは間違いないのだけれど、タイムを出すというセットではないみたい。ここら辺は、経験の多い人のアドバイスでちょこっとずつ改善していくしかない。

 間瀬耐久に参戦しているスタ久号(スターレットEP82)に乗せてもらう。1300ccの排気量だけれど、その車重の軽さでロードスターをも抜いてしまう驚異の車。今まで乗ったことがない。いや、FF車でサーキットを走るのも初めて。

 何を隠そう、この日のおわらで走っていた車の中で、一番レーシーな音をとどろかせているのがこの車。音量が滅茶苦茶大きいということではなくて、音質がやる気にさせる。

 FF車ってアンダーじゃん、となめてコースインして、ステアリングを切ったら、ウルトラクイックに曲がったのでびっくり。で、もっとびっくりしたのがその剛性のなさ。ダッシュボードやステアリング、ドライバー、フロントガラス、屋根とかすべてがばらばらに動いている感じで、回転中の洗濯機の中で運転しているみたい。「ボディーが段ボールでできているのでは?」と思った。

 軽いから加速もいいし、音もとてもレーシー。ちょっと足回りが決まっていなくて立ち上がりでびょんびょん跳ねてしまうのが残念だったけれど「軽く2周回って来よう」と思っていたのが、音を始めとするレーシーさにだんだんと気合いが入ってくる。1周回ってすべて2速で回れることが分かったので、左足ブレーキ。アクセルとブレーキを交互に踏んで運転すると楽しいっす。

 タイヤのグリップなりに4周走っただけだったのだけれど、58秒台が出ていてびっくり。すっごく速いじゃん。15インチの強力グリップと非力エンジンなので、振り回す感じでは運転できない雰囲気だが、もうちょっとグリップがなくても車を振り回せるイメージで乗れるのが僕の好み。

 車を降りて「これで間瀬走るか?」と言われて「無理!!」と即答してしまった。この車で150キロも出して走るんだから、洗濯機どころか脱水機で回っているような、相当恐ろしい事態になるに違いない。でも、なぜ、ロードスターが抜けたのか、その片鱗がちょこっと分かった気がした。

 別の車を経験するっていうのも良い経験になる。28日は鈴鹿で別の車に乗ったりして。

3月18日

 仕事で使っているノートパソコンの、160ギガのハードディスクの残り容量が残り少なくなってきた。仕事で使うデジカメデータが2年ぐらいたまり込んでいるし、音声ファイルもたまっている。同業他社の人は、写真や音声はいちいち消しているみたいだけれど、やはり消してはいけないものを消してしまうかもしれないし、当時は意味がなくても後から意味が出てくるデータがあるかもしれないので、ハードディスクに、ほぼすべて移動している。日付を名前にしたフォルダを作ってそこに移動するだけだから、消す手間もないし、管理も楽。

 ハードディスクの空きを増やすため、古いデータをDVD-Rに移動することにした。DVDドライブを県庁に持ち込んで、仕事をしながら時間のあるときに徐々に移していく作戦。1枚焼くのに15分強。光ディスクはあまり信頼していないので、同じデータを2枚ずつ焼くのだ。

 が、なぜか知らないが焼くのに失敗。ソフトが悪いのかと思ってフリーソフトを使ってみたりするものの、一生使うことのないコースターが量産されていくだけ。こりゃ、ドライブがだめだ(再生はできるのに)と見切りを付けて、仕事の合間に上冨居のパソコンの館へ。

 ポータブルのDVDドライブを物色。安いブランドで6000円強、メルコやIOデータで8000円弱と微妙なプライス。じゃ、ブルーレイでも、と思うけれど、まだドライブもメディアもちょっと高い。

 う〜ん、と悩んでふと、ポータブルHDDコーナーが目に入った。500GBで1万5000円、320GBで1万円弱。

 HDDに300ギガぐらいのデーターが入り、DVDに1枚平均4ギガのデータを焼いたとして、75枚分だ。DVDは同じものを2枚作るから、300ギガのデータを保存しようと思うと150枚いる。50枚のDVD-Rが2500円として、150枚で7500円。2枚同じものを作るという僕の特殊な使い方だと、驚いたことにあまりコストが変わらない。

 150枚のDVDディスクとハードディスク1つなら、スペース効率もハードディスクが勝ち(2.5インチね)。たくさんのディスクの中から目的のデータを見つけ出す手間もない。

 そのうち、ハードディスクのバックアップも欲しくなるかもしれないから、コストはもう少しかかるかもしれないけれど、焼くのに失敗したり、よく壊れたりするDVD-Rに見切りを付けて、おとなしく320ギガのHDDを購入した。

 そうしたら、一定額以上を買った人は決算セールで、本日限り2000円以上の購入で1500円値引きするという訳の分からないクーポンをもらったので、16ギガのUSBフラッシュメモリも購入。3200円ぐらいで売っていたのが1700円ぐらいで購入できた。

 SSDも安くなってきたし、どのメディアでコンピュータを動かして、どのメディアにデータを保存するのか、というのが難しくなってきた。DVDはすでに時代遅れだ。

 ブルーレイももう少し早く安くしていかないと、意外と普及するころには陳腐化しているかもしれない。今回は勢いで外付け品を買ったが、HDD単体ならば500ギガが1万円を切っている。一方のブルーレイは25ギガの20枚組が5000円。はっきり言って、コスト的にはHDDの約半分でしかない。スペース効率がどちらが優れているかは、いわずもがな。

 ブルーレイはもしかすると、映画を配布するだけのメディアになってしまうかもしれない。個人レベルで映像を持ち運びたいとき、そのうちに64ギガバイトとかのUSBフラッシュメモリが出てくるだろうから、わざわざディスクに焼く必要なんかない。ま、著作権がある映像は、コピー10回までとかの制約はあるけれど。

 いや、ブロードバンドは光が当たり前になったので、映像版iチューンみたいな仕組みが出てきて、ダウンロード購入が当たり前の時代も1、2年で来るのかも。映像専用機はまた別の話だけれど、少なくともパソコンで光ディスクを使う機会ってだんだん減っていくに違いない。

 とりあえず、HDDでしのいでメディアの趨勢を見極めるのだ。