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5月18日

 新型インフルエンザでニュースは大変な騒ぎになっている。騒ぎすぎ、という声もあるかもしれないが、仕方がないかな、という感じもある。

 国内では冬の季節性インフルエンザに毎年1500万人ぐらいが感染し、お年寄りを中心に死者が1万5000人出ている。壮健な成人ならば、39度の高熱が出ても2、3日寝ていれば回復するけれど、体力がなくなっているお年寄りには致命的。肺炎などを併発して亡くなってしまう人がいる。老人ホームなんかで集団発生した場合などは、何人も亡くなってしまうような悲惨な結果になることもしばしば。乳幼児もインフルエンザ脳症などで死んでしまうことがある。

 今回の新型インフルエンザは症状的には季節性インフルエンザと大差はないらしい。体力がある成人ならば、タミフルという薬もあるので、それほど恐れることはない。が、健康な成人では大丈夫でも、お年寄りや赤ちゃんとか、呼吸器の病気や糖尿病などで持病がある人にとっては命取りになってしまうかもしれない。さらに、季節性と違うのは、免疫がないので広がりやすく、重症化もしやすいかもしれないところ。せめてワクチンが行き渡るまで国内侵入がなければ良いな、と思っていたけれど、現実はそんなに甘いものじゃなかった。インフルエンザは学校や幼稚園が感染拡大装置になってしまうので、休校措置も対応としてはやむを得ないところ。

 「熱もあまり出ないぐらい軽い症状みたいだからから大丈夫」などと、軽い気持ちでいて感染し、自分は大した症状がなかったとしても、無責任にまきちらしたウイルスで他人の命が奪われるのかもしれないのだ。

 せき、くしゃみは遠慮しながらしましょう。

5月17日

 氷見でいろいろ遊んで、神通川上流方面へ転進していたときのこと。北陸道・小杉インターから国道359号に向かう道を走っていた。この道、走ったことがある人なら分かると思うけれど、クルマ好きなら何となくやんちゃに走ってみたくなる感じの道なのだ。デミオで走っていたとき、直線区間で爆音シビックがぬふわキロぐらいで抜いていったこともある。

 軽自動車で走っていたので、道幅をきっちり使ってなるべくスムーズに走行する感じで走る。雨だったので路面はウエット。まもなく国道359号というぐらいのワインディングな上り坂に差し掛かったところで、対向車線(下り側)にけっこうなスピードの赤いランエボが。絶妙なスリップアングルでヘアピンカーブを曲がっていき「おお、うまいじゃん」という思いと「けっこう交通量のある道でそんな走りするなよ」という思いが一瞬交錯する。

 すれ違ってドアミラーで見ていると、軽くスキール音を鳴らしながら、そのままイン側にスライドしていき、スピンモードに入っていくランエボ。うまいんじゃなくて、オーバースピードで進入して思いがけず4輪ドリフトになってしまい、そのままハンドル操作やアクセルコントロールでつじつまを合わせれば何も起こらないのに、びっくらこいてアクセルを抜いてしまってイン巻きして、そのままスピンモードに入っていったらしい。

 こっち側の車線にまではみ出して止まったのかは定かではなかったけれど、もし、こちらがあと100メートル手前を走っていたとしたら。ヘアピンカーブの対向車線からこちらのラインをふさぐ形でランエボが横向きに滑ってきたことになり、避けようがなかったかもしれない。

 タイヤの限界付近の運転は、サーキットか山奥で(笑)。

5月16日

 昨日の夜は、高岡・伏木神社のけんか山祭り。山車と書いて「やま」と呼んだり「だし」と呼んだり。松本市里山辺では「おふね」と呼んでいて、山の真ん中なのにふねだなんてなかなかおもしろかった。

 これは、愛知県岩倉市の山車(だし)。夜になるとちょうちんで飾るのは同じだが、主役として競うのは最上部のからくり人形。いくつもからくりが用意されていて、源平合戦で「那須与一」が扇を矢で射る様子など、優雅なからくりが競演される。

 こちらは伏木のやま。ぶつかっているところは人込みで撮影できなかった。岩倉の山車と違うのは、けんか山の名の通り、祭りの醍醐味は夜、ちょうちんで飾ったやま同士をぶつけ合う「かっちゃ」
。昼は豪華な飾り付けがしてあるのだが、夜になると400個ほどのちょうちんと取り付けて衣替え。やま本体はぶつけ合うために頑丈な感じで作ってあり、前側にある付け長手はまさしくぶつけ合うために使うためにごっつくできている。半面、提灯をぶら下げる骨組みは竹で軽くできていて、戦闘のために合理的な構造になっているのだ。

 時間になるとかっちゃがある沿道は人垣になってしまい、1時間ぐらい前から場所取りをしていないと、前では見られない。それでも、陣太鼓が鳴る中、勢いを付けてやま同士が「ばかーん」とぶつかり合うのは迫力満点。提灯全部が一斉に振り回され、何かが飛び散る。6町の山車があり、交代でかっちゃをやっていく。相性があるみたいで、不発ばかり繰り返す町同士もあれば、地響きがするぐらい豪快に「どしーん」と当たる町同士もあって、やっぱり音がでかいと沿道からの歓声というか、悲鳴も大きくなって興奮する。

 祭りって良いよ。

5月12日

 平日休みを取って、出掛けたのは、旧大山町にあるVEGAというアートスペース。

VEGA

 大山町がアートなまちづくりをしていたなんてまったく知らなくて、福沢地区コミュニティーセンターとか、小見地区コミュニティーセンターとか、ものすごくデザインが素晴らしい公共施設があって、さらには、いつも通っているおおとろ亭から歩いていける大庄地区コミュニティーセンターもその影響を受けていて、アートな空間になっているらしい。

 VEGAを訪れて触発されたのは、富山のどこにでもある納屋がアートスペースになるうること、そして、日ごろ何気なく触れているものだって、ちょっと工夫すればアートになってしまうということ。それこそ、新聞紙だって、気概によってはアートに成りうるのだ。

 ここの主がものすごいパワーの持ち主で、夕方に言ったにもかかわらず、2時間もあれこれさまざまな話をしてくれた。富山の美しいものを教えてもらいに、今度は仕事で訪ねてみよう。

5月11日

 忌野清志郎の追悼番組をNHKでやっていた。NHKが追悼するあたりに、なんとなく微妙な思いを抱く今日この頃。

 忌野さんの歌詞は、文字に起こすと別のことを歌っているのだけれど、歌を聴いている限りは放送禁止な印象を受けてしまうところに、その妙がある。「こんな夜にはっしゃできないなんて〜」とか「Timerが切れてきた〜」なんて、なかなか大声で歌うことはできない。放送禁止ぎりぎりなんだけれど、表現の自由と照らし合わせて放任みたいな、ぎりぎりさ。その悪い感じがとてつもなく魅力なんだけれど。

 で、80年代にそういうぎりぎりさがラジオ局に嫌われて、あるラジオ局ネットが、ザ・タイマーズの曲を何曲か放送禁止にしたことがあった。それに対する批判として、生放送の番組で、ザ・タイマーズとして出演し、事前のリハーサルではやらなかった曲をやっちゃった。「腐ったラジオ」とか「○△■×野郎」などと放送禁止の言葉を交えて、放送事故上等!の意気込みでぶち上げちゃった。

 そういうことをやった人だ、ということは知っていたのだけれど、さすがにその場面を見たことはなかった。

 最近は良い時代でネットで昔の録画を見られる。検索してみると、あるではないですか。ザ・タイマーズのやばい録画映像。

 「何が27局ネットだ! ざまあ見やがれ!」と叫んだのはとっても格好良くて胸のすく思い。んが、今の時代、放送事故承知の捨て身のこういたパフォーマンスができるのかどうかと考えて、ちょっと暗澹たる気持ちになった。

 映像を見る限り、清志郎が予定とは違った曲をやり始めたのを目の当たりにして司会が「やばい」と反応する表情は映し出されたのだけれど、なにか予定調和な感じもあって「行っちゃえ!やっちゃえ!」という雰囲気が伝わってくる。演奏の終了時におわびをしていたけれど、「あらー」なんて言葉も聞こえてきて、おわびの言葉も通り一遍でアリバイ作りな感じ。くるっと後ろ向いてあっかんべーしている感じ。こういう取り計らいってすっごく粋。

 20年前はまだ、こういうお茶目な「放送事故」が「まー、まー」と言っていれば許された時代だったのかもしれない。

 今なら、訂正放送だの、検証番組だの損害賠償だのとなんだかしらんの問題になってしまう可能性がありあり。最近、テレビをはじめとするマスコミが「お利口さん」になっちゃって、「正しいこと」しか言えない風潮になっているんではないか、ということにものすごく不安を感じている。お利口さんもいれば不良もいるのが社会なわけで、不良が喜ぶ感じの放送や論調があったって良いと思うのだ。

 国が放送免許更新を振りかざして何となく規制みたいになっていたり、名誉毀損の損害賠償でマスコミの負けが多くなってきたりといろいろな状況はあるけれど、そうした表面的なことだけでなく、自ら「お利口さん」と思っている人がお利口だと思うニュースを発信している割合が多くなって、画一的になって来てるんじゃないかと、清志郎さんの映像を見ながら、ちょこっと不安に感じる今日この頃。でも、NHKが「キング・オブ・ロック」として放送するんだから、まだ捨てたものじゃないか。

5月10日

 土曜日夜からおおとろ亭で3日の耐久レースの反省会と、風間塾の検証。風間さんが雅久号を運転しているのを外から撮った映像はあるが、車載映像は見ていない。早く見せろ!と催促されたので、仕方ないなあ、と公開する。

 最初に助手席に乗ってもらい、次に運転してもらうのだけれど、参加者のドライビングスキルを的確に見ていて、それに応じた実践をしてくれる。助手席に乗った迫力は車載映像では半分も記録されていないけれど、それでもステアリングさばきやアクセルの踏み加減などなど、おわらをホームコースにしている人間なら「なんじゃそりゃ!」という操作の繰り返し。3周回ってもらったけれど、毎週違う走り方を披露してくれた。

 最初のコース説明の際は、「ブレーキをクリップ付近まで残して」という話をしたのだが、それはブレーキを残して曲がるというドライビングの基本を説明していただけで、自らはクリップのかなり手前からがんがんアクセルを踏んで車を曲げていた。車によって違うと思うけれど、FR車はやっぱりそんな曲がり方になるんだよねえ、と妙に納得する。「みんなドライビングを1からやり直しだね」という結論で一致。

 その後は、耐久レースの反省会。ことしからチームマッサGOGOに加わったドライバー、べいべが集中砲火を浴びる(笑)。ドライバー交代した直後のラップタイムの問題や周回遅れを抜くときのタイム悪化などなど。それはそれは、何も知らない人がその場にいたら、いたたまれなくなるぐらい体育会系な空間だったのだけれど、日常と離れた場でお金を払ってまでレースをしているのだから、思ったことは率直に言い合うのがドライビングを始め、いろいろなスキルの向上につながるのだ。僕も他人の良いところは素直に認めてほめるし、悪いところは容赦なく指摘されてへこむ。

 レースを通じて成長したところが、案外、実生活にも生きてくるものだ。単なる仲良しクラブじゃないし、お金が目的で集まっているプロでもないから、日ごろ集まって飲んだくれての濃い付き合いがないと、なかなか一緒にレースなんてできない。

 ハイペースで飲んでいていつしか意識を失い、1人床に転がっていた。

 日曜日は雅久号の整備。レースと風間塾で使ったディレッツァはショルダーが終わっていたので裏履きして、復活。ショルダーの終わり方なんかも、従来のタイヤっぽい。08ネオバはショルダーよりも真ん中の2本の縦線部分が斜めに削れるという珍しい摩耗の仕方をする。空気圧の設定がまだ甘いのかも。

 サスペンション回りを清掃しつつ、ボルトのゆるみなどがないかチェック。ブレーキパッドは昨年最終戦とその間のサーキット走行、3日の第1戦、風間塾を走ってもなお十分残っている。風間さんも「このブレーキ良いぞ」とほめた逸品。ENDLESSのNA6CE向けレース用特注品で、値段がびっくりするぐらい張るのだけれど、これだけ使えれば結果安いパッドと言うことができる。また買おう。

 シフトの上側からギアオイルが漏れて汚れているので、シフトレバーをばらしてオイルを少し抜いて元に戻し、整備完了。いつでもサーキット行けるぜ。

5月9日

 富山のこの時期は冬に続いてうまい季節だ。冬はブリをはじめ、魚がなんでもおいしい。冬に続く春は、ホタルイカやシロエビがとても安く出回って、気軽に季節感を感じることができる。

 ホタルイカはやっぱりイカなので、アニサキスという寄生虫がいる場合がある。なので、生でがぶりと食べると、アニサキスが胃袋の中で暴れたりするので、通常は加熱して食べることが多い。スーパーでは「生で食べる場合ははらわたを取ってください」と注意書きをして売っている。富山の新鮮さならまだ内臓だろうけれど、他地域でホタルイカを食べる場合、アニサキスさんが内臓から移動する場合もあるらしいので要注意だ。

 で、つまつまと内蔵を取るような技術を持ち合わせていない僕は、ホタルイカが出まわれば、ボイルホタルイカを買っていた。たいてい、酢味噌が付いてくるので、本来ならワケギとか今が旬の菜の花とかを添えて食べるんだろうけれど、僕はそのままホタルイカだけばくばくと平らげる。

 最近、おおとろ亭にて、生をさっとゆでたホタルイカを食べた。これがうまいのなんの。ボイルホタルイカはゆですぎなぐらいゆでてあって、ちっちゃく縮こまっているのに対し、さっとゆでたホタルイカは色もピンクで柔らかく、噛むとジューシーで内臓の香りが口に広がる。まったく別の食い物だ。調理もお湯を沸かして30秒ぐらいゆでるだけだから、ラーメンより手軽だ(後片付けはあるけれどね)。

 パスタなんか作ったら、うまいだろうな、と妄想することしきりな今日この頃。

5月5日

 3日、間瀬耐久クーマックの第1戦。切磋琢磨していた3台のロードスターが抜けて、すっかりモチベーションが低下。それでも、一生懸命走った。上位2台のシビックにはまだまだ届かず。予選5位、1ヒート3位、2ヒート3位、3ヒート2位の総合3位だった。車をさらに仕上げてシビックに追いつきたいというモチベーションはできた。

 4日はレース疲れそのままに名古屋で飲み会。大和で日本酒の「立山」1升とホタルイカの黒作り、ますずしという「富山3点セット」を購入して差し入れ。予想以上に込んでいて、渋滞にはまって、ものすごく疲れた。せっかくおみやげで買っていった立山も「まま、どうぞ」と勧められるままに「や、どうも」なんてかぱかぱ飲んでしまい、ほとんど自分で飲んじゃった。

 午前5時半ぐらいに名古屋を出発し、雅久号に乗り換えて午前8時半におわらサーキットに到着。ドリフトで有名なレーシングドライバーの風間靖幸のなぜかグリップ塾。詳細なことは今後書くとして、まじでびっくりしたのが雅久号の同乗走行。プロってここまでやるんだということがまずびっくり。走りながらいろいろ繰り出す引き出しの多さにびっくり。おわらの8コーナーですでに3速入ってますがな。最終コーナーなんて2、3メートル前に車を出すために1速入れたよ! とにかく発生しているGフォースが段違いでしかもそれが一定して出ているからものすごく安定している。

 最近、なんとなくドライビングの次の方向性が見えなくて、「走り込む」ことの大切さを見失いかけていた。何となく「ちょっとは速いんじゃない?」なーんて思っていたりして。ところが、富士山ぐらいの高さのドライビングという頂があったとすると、自分ってまだ麓に立っているんだ、ということが良く分かった。分かったような気でいたのが、まだ標高差3776メートルもあったなんて、ということが良く分かった。

 小さいところでまとめようとしていた僕のドライビングががらがらっと壊れた瞬間でした。今日は、今までの走りをぶっ壊したところで終了。また1から走りなおすべ。

5月2日

 明日は間瀬耐久クーマックカップの2009年シーズン第1戦。最大最強ライバル、長岡勢が今年から参戦しておらず、トータルオートオオミチのオレンジ号も参戦しないので、めっきりロードスターの数が減った。レースってライバルがいないとなかなか燃えないもので、シビック勢に勝つ、というよりは雅久号が15インチと軽量化でどこまで速くなるのか、という探究心がモチベーションにつながっている。

 ま、ようするに去年ほどは入れ込んでいないから、その分、走りを楽しむことができそうだ。

4月30日

 昭和の日。新型インフルエンザで仕事的にはかなりやばい感じだったけれど、日本への侵入が発覚していない現状ではまだ大丈夫だろうと判断して、後輩に無理矢理宿直を押しつけて取得した休みを消化することにし、一路、京都へ。小学校の修学旅行で行ったぐらいであまり知らなかったのだが、案内してくれる人がいるのでディープな探訪をするのだ。

 ロードスターで京都市内を開幌状態でツーリング、というわけではなく、高速道路を大津インターで下りて浜大津駅横の市営駐車場に止める。京都市内へのパーク&ライドということで、電車の乗車券を見せれば1日の駐車料金が500円。ゴールデンウイークと高速道路ETC1000円で、渋滞するに決まっている京都には乗り入れず、車を乗り捨てて電車で東山に午前10時前に到着。後はひたすら歩く。

 地下鉄東西線の東山駅から平安神宮へ。朝はちょっと肌寒いぐらいの天気でほぼ快晴。さわやかな空気で、歩くには絶好の日和。

 碁盤の目の街並みは、神社やお寺だらけで、街歩き好きにはたまらない。神社やお寺も良いけれど、ちょっとした路地の古い家並みや文化を感じられるお店、実際に生活している雰囲気を見ながら、その街の成り立ちなんかに思いを巡らせるのが好き。京都はちょっと歩いただけでも、歴史文化の雨あられで、思いを巡らせる前にいろいろなものが視界に飛び込んでくるので、消化不良気味になってしまう。

 平安神宮のやたらと巨大な朱塗りの鳥居の横を通り、これまた巨大な朱色の門をくぐって境内へ。境内の広さといい、本殿のでかさといい、すでに気持ちは敗北気味。参拝しようと思ったら、前の天皇誕生日ということで昭和祭が始まった。本殿の巨大な舞台装置の中で、笙(しょう)や篳篥(ひちりき)の調べと、巫女2人が舞っている光景にしばし見とれる。

 あまり観光客が歩かないけれど、お花で飾られた気持ちの良い道を歩いて、金戒光明寺へ。道中はお寺ばかりで、しゃれたカフェや雑貨を売る店がところどころにあって「街力」を感じる。

 広い通りに出て白川通を北へ。たぶん、道路拡幅なんかも経ていて、通り沿いはいかにも再開発された感じの他の都市にもありがちな街並み。銀閣寺に向かう。

 「哲学の道」を少し歩いて銀閣寺の参道へ。土産屋が立ち並ぶ通りはどこにでもある観光地という趣で、有名どころということもあって人にあふれていた。修復中で、柱がむきだしの観音殿と箱庭のようにこぢんまりした庭を一回りし、再び哲学の道へ。

 人口の水路の京都疎水沿いの道は、有名な散策コースということもあって、ウオーキングの格好をした多くの人たちが歩いていた。道沿いに植えられた桜や紅葉は春の日差しを浴びて力一杯芽吹いていて、東山の斜面の緑が背景になって、緑色のパッチワークみたいに見えた。黄緑色、と言えば一色になってしまうけれど、日本には青緑や浅緑、鶯色、若草色などなど、たくさんの色の名前があるのもうなづける。

 哲学の道を踏破して永観堂のみかえり阿弥陀像を見て、南禅寺ではお寺と水道橋のアーチとの対比を楽しみ、知恩院に着いたころには午後4時を回っていて入れてもらえなかった。八坂神社を通り、四条通の雑踏をちょっと歩いて花見小路。建仁寺の中を通って鴨川に出て、再び四条通の雑踏に行き、箸専門店をのぞく。錦市場やら街中をぐるぐる歩いてイノダコーヒーを飲んだりして、晩ご飯を食べたころには午後9時。12時間近く京都をぐるぐるしてたぶん15キロ以上は歩いた。

 京都の東の端っこをぐるぐる回っただけなのだけれど、京都がいかに人を惹きつける街なのかということをこれでもか、というぐらい思い知らされた。たぶん、「京都を知った」と言えるようになるまでには10年ぐらいは住まねばならないな。また、別の地域をぐるぐるしよう。

 「街力」で富山は到底京都に追いつけないのであれば、立山や富山湾の景観で勝負するしかない。