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8月28日

 瞬間湯沸かし器な上司の下で、怒られまくっている今日この頃。まあ、僕がミスをするからいけないのであって、ミスを正してくれ、いさめてくれる上司というのはとてもありがたい存在なんかも知れない。10年前には、仕事上、あれこれうるさい人がけっこういたのだが、最近の上司というものは人当たりが良く、指導する、という面では物足りない。

 そんなにミスがある方じゃないのだけれど、休みもなく、毎日、一杯一杯で仕事をこなしているから、どうも頭が回転していないみたい。間違いない!とチェックした仕事なのに、間違いがある、と指摘されて、それが本当だったから、深刻にとらえている今日この頃。頭が膿んでるのだから、膿んでるなりにきちっとちゃんと気持ちを新たにして仕事を確認する作業が必要なのである。

8月27日

 選挙も終盤戦を迎えて、人材不足の中、何とか乗り切れそうなところまでこぎ着けた。1カ月間で休みが打ち上げをやった1日だけってどうよ、と思いつつも、まあ、仕方がないのでいくらこなしてもなくならない仕事を淡々とこなす。

 悲劇的なのは、選挙が終わった後の方が忙しいかもしれないことだったりする。適当にさぼって、最終戦に向けてクルマを造るべ。

8月12日

 16日に長岡の助っ人ドライバーT氏がお盆にある耐久打ち上げに参戦するというので、我がチームのスポンサーでもある名古屋の魚屋さんに「バーベキューやるからなんか、送ってちょ」と依頼する。「OK」というとても気持ちが良い二つ返事が帰ってきて、何が届くのかをどきどきと待つ今日この頃。

長岡の助っ人ドライバーT氏

 んが、実は打ち上げに出られるのかどうかも不透明な僕がいたりする。選挙に異動を重ねた会社のせいでなんだか最高に忙しい毎日。下働きをして、中間管理職的な働きもして、というなんだかとってもあわただしい日々。ある仕事を片付けても、次にやる仕事が山積みになっている状態。7月の最後の土曜日以来、休んでいない。

 ひどい仕打ちを会社から受けているけれど、まあ、だまって、しのいでいこう。はたらいているおかげで、ロードスターを所有できてレースにも出られるのだから。

8月8日

 富山で駆け出しの2人がそれぞれ、最初の宿直を迎えた。初々しくって、ああ、10年前は僕もこんな感じだったなあ、とふてぶてしい日頃の僕を反省する。

 駆け出し後輩1人目が7日に最初の宿直を勤めるとき、午後9時ぐらいに「ご飯食べた?」と聞いたら案の定、「食べてません」という返事だったので、「じゃあ、お好み焼き食べよう」と勝手に僕が買い出しに行って、お好み焼き粉や豚肉、キャベツ、焼きそばなどを買い込み、ぐちゃぐちゃと生地を練ってホットプレートで焼いた。けっこういい加減に作ったお好み焼きだったけれど、上手にできてちゃんとお好み焼きの味がした。大好評。

 で、8日は駆け出し後輩2人目が最初の宿直。1人目の最初の宿直でご飯を作ってあげたのに、2人目はスルーするとなんか差を付けてしまったみたいになるので、「肉喰うか?」と声を掛ける。「喰らいたい」というので、2日連続でホットプレートが活躍する。

 買い出しに出掛けたら、焼き肉用牛肉がすべて国産だった。オージービーフをわしわし食べれば良いと思っていたので、ちょっとあてが外れた。どうしようか、と思ったら、オージービーフのステーキ用肉が1枚498円だったので2枚購入。焼き肉用国産牛は高いので1パックにとどめ、豚肉2パックにホルモン2パック、野菜大量に買い込んで戻る。

 オージービーフのステーキはそれほどおいしくないに決まっているのだけれど、「今からこれを焼きます!」と、両手に2枚のステーキ用肉をでろんと持つと「うわあ、そんなお肉を焼くんですか!」と後輩どものテンションは最高潮に。野菜を切っている間に後輩に肉を焼いてもらったが、やっぱりオージーな物足りなさだったけれど、「お肉を食べているのだ」という雰囲気は盛り上がったので1000円でした演出にしては大成功であった。

 新入り2人の後輩の心にアットホームな仕事場の雰囲気をつくることの大切さ、さえ伝われば良いかな、と思い、自腹切って食べさせている今日このごろ。飲み屋で食べさせるよりは大幅に安いという事実は、この場では伝えずに伏せておく。

8月7日

 仕事で撮った写真で失敗。演説している人なんだけれど、アップで撮った写真がみんな目を閉じてる。撮影時は使うつもりじゃなかったので、けっこういい加減にぱしゃぱしゃしてた。

 2人並べるので写真がないわけにはいけない。なので、引いて撮った写真からトリミングしてしのぐことに。「ピンぼけみたいににじんでしまうな、仕方がないな」と思いつつ、表情があるカットをトリミング。普段から「M」サイズで撮っているので、3168×2112ピクセルの横位置の写真から、528×821の縦位置の写真へとトリミング。あーあ、ピンぼけ写真、申し訳ない。

 やってみて、驚いた。十分使えるくっきりさ。出力する媒体ではそれほどの画素数はいらないので、大きく張らなければこれで十分なデータ量。

 トリミングに耐えるフルサイズのセンサーということもあるけれど、たぶん、レンズが良いんだな、とEF24-105mm F4L IS USMの実力に素直に感動した。写真は道具ではないと常々思っているけれど、道具で救われることもある。

7月29日

 マッサの代わりがシューマッハかよ! と思わずつぶやいてしまった。

 F2レースでクラッシュしたマシンから外れたタイヤがコース内に進入してきて、不運にもヘンリー・サーティースの頭に直撃して死亡した事故は衝撃的で痛ましかった。FJで走ったこともあるので、リアルに怖いと思った。F1のクラッシュでもたびたびドライバの頭が危ないシーンはあったけれど、死亡事故は起きていない。何か起きるたびに「何か対策する必要があるんじゃね?」という声が出たが、そのまま来て起きてしまった今回の事故。

 で、その次のF1の予選中、フェリペ・マッサの顔にブラウンGPのマシンから外れたバネが直撃。命に別状はなかったけれど、数レースは欠場する結果になってしまった。普通に走っていてバネが外れて転がっていくのもどうかと思うが、とにかく、時速300キロ以上も出るF1、いや、フォーミュラという競技全体で、頭がヘルメットだけでむきだしになっているのは危ないのではという議論が一気に高まった。セナが死んでしまったときも、前日にも死亡事故が起こったので、こういう事故って偶然ながら重なることが多い。セナが死んでF1の安全対策が次々と取られたように、今回もなにか対策が取られることになるのだろうか。(よく考えたらセナが亡くなった週にバリチェロも病院送りになっていたので、15年も隔てて2つの問題提起に絡む人もスゴイ)

 F1のコックピットの前にちょこっとある風切り用の透明な板をでっかくするとか、戦闘機のキャノピーみたいにするとか。前に板を設けただけではマッサの事故は防げても、横や斜め上から飛んできたタイヤは防げない。キャノピーみたいなものを設けると、今度はクラッシュしたときに速やかに救助できない。どうなるにしても、かっちょ良くなるよう希望。

 驚異的な回復をしているマッサだが、頭蓋骨骨折もあるから、しばらくは出場できない。で、タイヤが外れてしまったミスのペナルティーで次戦で出場停止処分になってしまったルノーからアロンソが乗るだとか、いろいろなウワサが巻き起こり、それはそれでおもしろい話題だったのだが、結論がミハエル・シューマッハの復帰。ドライバーとして適しているかどうかは別として、話題としては最強だ。FIAもスーパーライセンス即発行みたいな。ドキュメンタリーも撮影させて放映権料でもうけるフェラーリとか。

 これで馬鹿みたいに速かったらどうしよう、と焦るキミ・ライコネン。やっぱりシューマッハの前でゴールできないバリチェロ。

7月28日

 「弱冠、19歳! 川村かおりのオールナイトニッポーン!」

 深夜ラジオから聞こえた破裂音系の底抜けに明るい声がまだ鮮明に耳に残っている。

 中学3年生の冬、深夜放送を聞くブームが訪れた。THE ALFEEの坂崎幸之助のNoru-Soruを聞いてビートルズにどっぷりはまったし、デーモン小暮や大槻ケンヂのオールナイトニッポンも良く聞いた。土曜日、松任谷由実のオールナイトニッポンが午前3時に終わると、悲しいかな、名古屋のCBCでは演歌全開の「歌うヘッドライト」が始まってしまったのだが、AMのループアンテナをカーテンレールの上に置いて、1242kHzに合わせると、深夜になったこともあって東京の電波が入って第2部の川村かおりのオールナイトニッポンが聞こえてきたのだ。

 オールナイトニッポンの川村かおりはとにかく底抜けに明るいキャラクターで、「15の夜」に聞いていた僕からすると、少し年上のロシアのハーフで男っぽいお姉さんがラジオで暴れているのがとても楽しかった。ロシア語講座とか、サケ茶漬けにミルクを掛けたり、キムチご飯にドンパッチを載せたりと、リスナーから寄せられた意外な食べ物の組み合わせを体当たりで試す「食はクリエイティブだ」のコーナーとか。ほとんど忘れかけていたことが次々と思い出される。陽気に笑っていたお姉さんというイメージしかない。番組が終わるころには外が明るくなっていた。

 弱冠19歳が20歳になるときには、日本とロシア、どちらかの国籍にしなくてはならない、ということで結局日本を選んだといった話が出るなど、結構シリアスな内容だったことも思い出す。明るくしゃべる裏に、国籍の問題などで屈折した、陰のようなものがちらりと見えるところが、若い男子としてはたまらなかったのかもしれない。

 ちょうど「翼をください」のカバーを出した時期だと思うのだが、正直、まじめくさってロックを歌うから「歌は下手だなあ」と思って、CDを買ったりすることはなかった。いつしか、番組も終わり、ウオッチしつづけることもなく、その陽気な男っぽいお姉さんのイメージのまま。週刊誌のグラビアとかで「まだ活動しているんだ」と確認するぐらい。そして、ちょっと前に乳がんと闘病していることを知り、ショックを受けた。そうこうしているうちに今回の訃報だ。

 青春の一こまを彩ってくれた人がこんなに早くなくなってしまった。それにしても今年は、ダメージを受ける訃報が多い。

7月27日

 8月1日付で異動があるので、その歓送迎会。若いけれど、2、3年富山で仕事してきてそれなりに地元の事情も分かった人たちが抜けて、代わりに富山のことも仕事のこともまったく分からない駆け出しの人が入ってくる。新富町の居酒屋で、ずらりとそんな若い人たちが並んだのを見て、これから8月30日までにごりごり仕事しなければならないのに、ちょっと難しいなとブルーな気分になる。別に彼らが悪いのではなくて、会社が悪いのだけれど。ちょっとは考えて異動してくれ、と思うのだけれど、勢力分布的にこうなってしまうのは仕方がないことかな、とも思う。

 ボスがいて、下に中間管理な人がいて、10年選手の僕がいて、あとは駆け出しばかり。仕事を始める人たちが、それなりに仕事ができるようになるまで面倒を見なくてはならなくて、僕がやれば10分で片付いてしまうようなものも、彼らにお願いして、数時間もかけて処理してきてもらって、それを僕がうんうんと悩んだり問い合わせたりしながらようやく仕事を提出できるので、手間的には2倍も3倍もかかってしまう。それが、この選挙でクソ忙しいときというか、気ぜわしいときに重なってしまったので、あら大変というところ。

 ま、やれることをやるだけなんだけれどね。

7月26日

 「土曜日にエンジン慣らしの旅で富山に行きたい」と掲示板に書き込んだのは、愛知のモーテック使いのちゃけぞえ氏。なんだかんだとやることはあるけれど、時間は取れると思ったので「来られ〜」と返答。

 てっきり東海北陸道から来るのかと思ったら、北陸道経由だった。つーか、相棒として乗せてきた人が滋賀の人だし。誰もがそのレベルに感動する富山の回転寿司で食べさせてあげようと思っていたら「もう喰っちまいました」だと。ごちそうを食べ損ねたね。

 東海地方のロードスター乗りであれば説明もいらないが、彼のクルマはBPにターボを付けてどっかーんとパワーでぶっちぎる走り。水冷インタークーラーを「ボンネット閉まるの?」というスペースに詰め込んで、なおかつエアコン、パワステ付きなのは、プライベーターとしてはナイス仕事だ。先日、鈴鹿ツインであったROADSTER
CHAMPION’S CUPでは見事、チューンドクラスで優勝の実力。それが、NB2エンジンベースでターボ用のエンジンを組み、可変バルタイをぐりぐりとモーテックで制御しようというのだから、遅いわけがない。ブースト1.3キロで350馬力!なんて茶化したら「ミッションぶっ壊れるってば」と切り返す、冷静な彼。

 T.O.R.F.でオイル交換だけして「じゃあ、吹田サービスエリアに行きますから」と立ち去っていったちゃけぞえ氏。「頭おかしい!」と、そのお馬鹿ぶりをほめてあげながら、そういえば僕もエンジン組んで寝ずに1000キロ走って翌日サーキット走行したな、と思い出して、ロードスター乗りってやっぱり距離感壊れているよね、と納得した出来事なのであった。

7月23日

 何となく忙しい感じの事態となると、「たぶんあいつは忙しいだろう」ということで、電話も仕事も回って来なくなる。そんなときに限って仕事が「無風状態」になることは良くあることで、明日できることは明日やることにして、工場へと向かう。用事があるわけではなく、ただの息抜き。

 雅号に雅久号というVスペシャル2台を所有していながら、さらに銀色NA8Cを買い増ししてしまった。走行35000キロという、極上車。何てったって、オーディオとタイヤ以外はノーマル。

 普段乗り用とサーキット用の2台を持っているのだから、3台目の役目はないのだけれど、極上車が手にはいるって言うご縁もなかなかないことなので、「どう?」と聞かれて「じゃ、とりあえず」と手に入れてしまった。車検が切れているので、乗ることができないけれど、とりあえず、次のオーナーが現れるまで、ぴかぴかに掃除でもしていよう。

 外に置いてあった車を車庫に入れさせてもらう。「んびーーー」という安っぽいシートベルト警告音が懐かしい。10年以上たつ車だけれど、距離を乗っていないこともあって、まだまだ新しい車っぽいたたずまい。車内も新車っぽい臭いがする。雅号NA6CEを買ったのが平成9年6月のことで、すでに12年前のこと。当時30000キロちょっとで、Vスペの革内装は、ドアを開けたら革のにおいがしたのを思い出し、何となくタイムスリップした気になった。

 どうしよう。乗りたくなっちゃった。