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2月26日

 仕事中にホームセンターやカーショップを回りまくり、暗くなったころに颯爽と帰宅して、庭で足回りの交換をしていたら、軽自動車がずかずかと家の玄関までやってきた。少し奥まったところの家だから、普通の神経なら車を乗り入れないはず。自分の車は庭にまで入れちゃっているくせに、隣の家の大学生かな、鬱陶しいな、と思っていたら、「雅さん(仮名)」と、男が僕の名前を呼んだ。

 首から掛かった名札が目に入り、もしやと思ったら、男が切り出した。「私、NHKのものですけれど。今日訪問した理由を、単刀直入に言うとですね、受信料を払ってほしいんです」。うっすらと笑みを浮かべながら、それでも目はちょっと真剣な、そんな複雑な表情で、男が言い放った。

 ついに来た、と思った。ほとんど家にいないものだから、集金に来ていたかもしれないけれど、集金屋さんに出くわしたことはないのだ。いや、松本に来て数カ月のころ、今から3年ちょっと前に一度来たが、家にはテレビがない、と追い返した。本当になかったのだ。

 親が家に遊びに来たときにテレビを持ち込んでから3年ほど。その間、NHKの受信料は払うことがなかった。請求されないのだから、払う必要もない。

 あくまでも腰は低く、丁重な言葉遣いではあるが、少々行き過ぎな感じ。ずかずかとやってくる態度がちょっと気に入らなかったので、振り込み用紙を置いていってください、とだけ返事をした。用紙だけもらって払わなければいい。「いやいやいや、方法には2通りありまして、今ここで1395円を払っていただくか、もう一つは、銀行から引き落としをする手続きをしていただくことになるんですよ」と男。やけにハイテンションで、声がやたらめったらでかい。

 汚れた手でポケットから財布を取り出すのもいやだったので、ほとんど家にいないんですけれど、それでも払うの?と、切り返す。理由にはなっていないのだが、払うにしても次の機会にしてもらいたかった。テレビは見ているし、NHKを見る比率が高いので、今度は「持っていない」とは言えない。

 「いや、いないのはよく分かっていますよ。私もよく近くに来るんですが、何度来てもいないですからね。それにね、以前も来ましたけれど、ちょうど雅さん、そのときは引っ越しした直後でしたよね。2年ぐらい前でしたか」

 なんと、以前追っ払った男だったのだ。しかも、昔のことをはっきり覚えてやがる。良く覚えていますね、と感心したら、「私もこの道のプロですからね。へっへっ」と、上目遣いの妖しい眼光で僕をにらみつける。

 「いま取り込んでいるし、後日振り込めばいいでしょ。用紙だけ置いてってください」。男の目が再び妖しく光る。「いや、別に雅さんのことを言っているわけではないんですがね、用紙だけ置いていっても、若い人の中にはね、やっぱり払わない人がいるんですよ。ですから、今ここで払っていただくか、振り込み手続きをですね…、云々」。向こうのペースにはめられそうだったので、今本当に忙しいんですよ、と、むなしく抵抗してみる。

 「いやね、今ここで私が言っているのは、雅さんに2年分を一度に払ってくれ、という、そんな話じゃないんです。ただ私は、3月分以降を…、あとどれくらいここにいらっしゃるんですか。半年ですか。だったら、3月以降の分をね、半年だけ払ってもらいたいんです」

 声が異常にでかい。まるで玄関先で借金取りに怒鳴られているような雰囲気である。振り込みだとか、手続きだとか、払わないだとかいう単語が、ご近所さんに聞こえては、これは良い事態とは言えない。「あの人、どうも借金取りに追われているのよ」などと誤解された陰口をたたかれそうである。いや、誤解されなくても「あの人、NHKの受信料すら払っていないのよ」と正しい陰口をたたかれても、それはやっぱり不名誉なことである。こうやって、僕がご近所さんに気を遣っている瞬間も、男の集金トークは止まらない。

  「こうしましょう。話をですね、1億人いる国民の平等な負担という…」

 負けた、と思った。さすが集金の専門家である。払わない連中をいかに払わせるかでメシを食っているのだから、そんなやすやすと引き返すわけもない。なによりも、玄関先で、こうも大声でしゃべりまくられては、本当に近所から心配されてしまう。

 いかに早く帰ってもらうかに作戦を切り替えた。じゃ、1395円払います、と答えたら、「そうですか、申し訳ないんですけれど、認めがぽんと一つ、いるので」と抜け目なく要求してくる。顔を見るものいやだったので、すぐさま印鑑を取りに家の中に入ろうとすると、「書くのに平らな場所がいるんですけれど、中に入れてもらっていい?」と男。入れたくもなかったし、何よりも足回りの梱包やらエンジンパーツやら新聞紙やらで、えらく汚かったので、向こうでやってください、と足回りをばらしている最中の物干場に案内した。照明も付きっぱなしだ。

 印鑑を取ってきて、財布からお金を取り出し、コンクリートの上に置く。男は領収書に記入している最中。「ご住所は、ここは大村ですか。番地以降はないんですよね。じゃ、ここに雅さんのお名前を書いていただいて、認め印を押していただけますか」。もう逆らう元気すらない。言われるがままに汚い手で名前を書き、印鑑を押す。

 「それじゃあね、ここには3月分、と書いておきましたから。今日は2月も26日でしょ。2月分ということにすると、3月に入ってすぐまた請求書が来てしまいますから、それではもったいないですから、特別に3月から。3月分としておきます」。なんだかもう、気が狂いそうになってくる。

 領収書と、向こうの控え書類を切り取ろうとして男が失敗した。切り取り線から大きくはみ出して、びりりと領収書がやぶれてしまったのだ。いいですから、そこに置いて行ってください、といったのだが、「いや失礼しました。今すぐテープで張りますから」。冗談だろ? と思うが、男はそそくさと自分の車に戻っていった。

 もういい加減付き合っているのもいやになってきたので、再び作業に戻る。マツダスピードの車高調の分解に入ったのである。

 男が戻ってきてテープで領収書を張り始めた。気にしなくて良いですよ、と言ったら、「いや、雅さんはやさしいからいいけれど、僕だったら怒るよなあ」と、いかにもご機嫌な様子でぺたぺたとテープを張りまくる。抵抗しなくてよかった、と思った。もし、「怒るよなあ」なんてことを人にいう人間を、再び追い返したら何されるか分かったものじゃない。「今、タイヤの交換ですか」と聞いてきたので、新足回りを指さして、これを付け替えているんです、と言ったら、手をぽんぽんと上下させて「ああ、バネですか。がんばってくださいね」とだけ言い残して、ようやく引き上げていった。

 侮りがたし、NHK集金人。奴らはプロだ。

2月25日

 ターミナルケアというと、何のことか分からない人が多いに違いない。

 がんで余命幾ばくもない人たちに施す医療のことである。延命がかなわないのだから、いかに最期まで人間らしく生きられるかを考える。ホスピスという施設に入る人もいる。ホスピスなら聞いたことがある人が多いかもしれない。ホステス、と語源が一緒で「もてなし」を意味する。人生の最期をもてなす場。ホスピスを始めた医者の娘が「ホステスになる」といい出して、一瞬びっくりしたという笑い話もあった。この場合のホステスは、もちろんそこで働く看護婦さんである。

 甲府市の女医で自ら病院を開業し、ターミナルケアに取り組んでいる人の講演会があった。講演会と言うよりはトークショーか。

 末期がんだと死ぬほど痛いらしい。けれども自分では死ねない。もんどり打ってうなろうが叫ぼうが暴れようが、放置されるのが今の日本の医療の現状。最期まで苦しみ抜いて、涙を流しながら亡くなるのが普通なのである。適量のモルヒネで痛みをコントロールすると、亡くなる前日まで好きなことをして、穏やかな顔でいられるという。そんな患者たちがスライドで映し出された。

 そんな講演会に信州大病院の第一外科の先生がいるのを発見した。

 信州大学はなぜか、京都大学と並んで、国内での肝臓移植の最先端を走っているのである。ちょうど3年前、国内初の脳死移植があったとき、肝臓を担当したのがここ。脳死とは、脳みそだけ死んでいるのに、心臓が動いている状態を言う。脳みそが死ねば呼吸が止まって心臓もすぐ止まるはずなのだが、人工呼吸器の発明によって心臓が動いているのに脳みそが死んでいるので、その人が亡くなったとみなすへんてこな状況が生まれた。

 そこにいた先生はこのとき、高知県まで行って肝臓の摘出に立ち会った人である。それで助かる人が大勢いるとはいえ、まだ温かいヒトにメスを入れるのだから、普通の日本人なら嫌だと思うに違いない。いくら医者と言っても最初は躊躇すると思う。それでも回数をこなすとマヒしてくるのが人間の常。

 そこら辺のところを、信州大のお医者さんたちはどう感じているのかな、と思っていたら、その中の1人がこんな重い講演会にわざわざ足を運んで、熱心に聴いていた。手術マシーンのようにさえ感じたこともあったのだが、やはりいろいろと考え、思い悩んでいらっしゃるのである。

 講演会では「大病院のお医者さんほど人が痛んでいるのが分からない人が多い」などと、たびたび大病院批判が繰り広げられた。この移植医も一緒に笑っているのを見て、中にはちゃんと心得ている人もいるんだよ、と1人、心の中でつぶやいたのである。

12月30日

 遅ればせながら、フレッツISDNを導入した。これまで、テレホーダイでつないでいた。昼には家にいないし、インターネットを使うのはちょうど帰宅するころの午後11時以降だったので、なんの不都合もなかった。ADSLなんて、必要と思ったことすらない。ADSLやケーブル、光といった通称「ブロードバンド」を使っている人たちはいったい、どんなコンテンツで楽しんでいるんでしょう。何か面白いことがあったらすぐに導入するんだけれど。

 ISDN+テレホーダイで十分満足していたのだが、最近、夜にメールを書きながらそのままこたつで寝てしまうこともしばしば。気が付くと、朝8時をすぎて無意味に課金されていることが多くなった。1時間課金されると200円。これくらいならいいや、と面倒くさいし、フレッツの導入は見送っていた。

 ところが、この前は失敗してつないだまま1日放置しちゃった。数千円が無駄になった計算。これはまずいな、と思っていたところ、しつこいNTTからフレッツ勧誘のダイレクトメールが届いていた。初めて、1カ月2800円であることを知る。ISDNテレホーダイは2400円である。次の瞬間、WEB上から申し込みをしていた。

 数日後、NTTから電話があった。テレホーダイを解除するかどうかの確認。もちろん解除する。開通は28日午後だという。

 28日昼、仕事中に家に寄ったら、留守電に工事をした旨が録音されていた。さっそく、ダイヤルアップルーターの設定を変更。つながったな、とメールチェックしていたら、速達が届いた。「設定マニュアル」である。無用の長物。

 せっかく送ってもらったのに意味がないな、速達料金使わせて申し訳ないな、と思ったいたら、あることに気が付いた。サービス変更料金は2000円。速達は自分のお金で届いていたのである。

 サポートなんていらないから、まけてほしい。

11月20日

 長野出張で、夜に友達を誘って飲んだ。2時間ぐらい空き時間があったので、長野の中心街を歩いた。街を知るためとにかく歩いた。早足で2時間だから10キロ弱。

 はっきり言って、長野を見くびっていた。松本人と長野人は気質の違いから仲が悪い。明治初期のころは違う県だったし、戦前は分県論も何度か高まったらしい。高速で走っても1時間ぐらいかかるほど距離が離れているので、地域の一体感は全くない。日銀の支店や陸上自衛隊駐屯地がなぜか松本にあるのも、長野との誘致合戦で引っ張ってきたからである。戦前、高校野球決勝戦の長野商業と松商学園の勝負では、スタンドで乱闘騒ぎが起きたほど、とにかく対立甚だしい。

 生まれは尾張でも、3年以上松本に住んでいると、そんな気質がうつってしまう。だから、長野を見くびっていた。長野で1番は松本だと。商店街も松本の方が元気がいい。長野は駅近くのそごうとダイエーがつぶれるし、宇宙人田中康夫に引っかき回されているし、とんといい話がない。善光寺だって、お城にはかなうまい。

 そんな思いを抱きつつ、駅前をぐるぐる歩いた。面積が広いだけで味に欠ける街並みである。つまらん。黙々とただ歩いた。1時間ぐらい歩いて、少し北の権堂へ。ここは県内一の歓楽街。アーケード下は煌々と電気が点いていて、呼び込みの兄さんやら姉さんやらでにぎやかである。実際に歩いてみて、少し考えが変わった。まだまだ元気があるな、と。

 アーケードを抜け、善光寺の正面の道に出たら、屋台があった。さっき歩いていたときに、花火を打ち上げた音がしたから、何かの祭りだろう、と思ったら、熊手を下げて歩いている人とすれ違った。商売繁盛を祈るえびす講である。そうか、そうであったと、屋台につられて善光寺の方向に向かう。

 古くからの街並み。文芸座。屋号。横に伸びる路地。古くからの雰囲気をちゃんと守っているのは大したものだ。ついでだから善光寺の境内まで行った。お参りして、先ほど気を引かれた路地へ向かう。飾られた表通りにはない、生活のにおいを感じる。街を味わうなら、路地を歩くのが、いい。

 薄暗い路地を抜けたら、再びずらりと並ぶ屋台。一層の人混み。えびす講を営む西宮神社に近づいたらしい。たこ焼き、クレープ、焼き鳥、大阪焼き、綿菓子。正しい祭り屋台が並ぶ。いっそう人が増えてきたところで、熊手を売っている屋台がずらり。「勉強するよ!」と威勢のいい掛け声と、雑踏。ビールを片手に焼きそばを作るお姉さん。売る気があるのか分からないおじいさん。ストーブに当たりながら、商売そっちのけで談笑。正しく本物のお祭りがあった。

 それに引き替え松本は。昭和40年代、先見性と行動力があるから、再開発で通りに立ち並んでいた蔵をすべて壊して道を広げた。古い街並みは中町という蔵が並んでいるところぐらいしかない。今年終わる中央西の再開発では、無機質な街並みができちゃった。確かに、松本商人の方が、時代を読んでうまく立ち回ったけれど、失ったものも大きい。古い物が嫌いな気質だから、あまり残っていない。城下町独特の風習も忘れ去られかけている。

 やっぱり、善光寺は強かった。大型店舗がつぶれて景気が悪い悪い、とは言うけれど、それは善光寺の回りに新しくふくらんでいった街での話。善光寺回りの街並みは、景気なんてどこ吹く風、てんで問題じゃなかった。長野もやるなあ、となんだか分からない、間抜けな言葉をつぶやいた。

 その後、権堂で飲みまくりうたいまくる。