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10月25日

 チェックアウト時間ぎりぎりに起きて、死にそうな体調だったので、美ヶ原温泉の温泉ホテル「翔峰」の温泉に友人Kとつかった。泊まったビジネスホテルと同じアルピコグループなので、ビジネスホテル利用客は日帰り入浴券がもらえるのだ。

 温泉ホテルの高い宿泊料を払っている人たちに紛れて、庶民のお得サービスを利用する僕たち。安い料金で翔峰に泊まったみたいで非常にお得感たっぷりだった。

 お昼の時間だったのだが、まだ胃が動いていない感じだったので、そば屋に行く。友人Kがうまかったという国道254号沿いのドライブインのような民芸風そば屋へ。地元産雑キノコをつかったきのこそばをいただく。手打ちのそばがおいしかった。

 普通なら、ここで別れて、それぞれ東京と富山を目指すはずなのだが、なぜか美ヶ原ドライブを強行。紅葉の美しい美鈴湖から林道を駆け上がって武石峠から武石村へ。東信側には分厚い雲がかかっていて、峠付近で綿菓子のような雲の中に入ってほとんど視界がない中をヘッドライトを点灯して走った。さすがに標高2000メートル近くだと、開幌状態はかなり寒かったけれども、ヒーターをがんがん効かせてやせ我慢。我慢して乗るのがオープンカー乗りの美学だ。

 友人Kが走ったことがないという千曲ビューラインへ。この広域農道は佐久まで他のルートより距離を走らないといけないとは思うのだが、爽快な道をひたすら走って信号もないので、気分的にはあっという間に佐久に到着する感じ。リンゴ畑ではたわたにリンゴがぶら下がっていた。

 千曲ビューライン終点のコンビニで止まって、隣のTURUYAでお買い物。リンゴを買って雑キノコの煮たのを買って、野沢菜を買ってと、下手なおみやげ屋さんよりも充実した買い物ができる。

 そこから、再び下道で富山を目指そうと思ったのだが、定額1000円の誘惑に負けて佐久インターから高速に乗る。上越手前で渋滞にはまった以外は順調に富山に戻ることができた。

10月24日

 松本時代に同業他社で働いていた友人Kと、今も同業他社で働いているT氏とで飲もうということになり、松本に集合。何はともあれ、松本に集まろうと思わせるものがある街だ。

 富山を出たのが午後1時すぎ。国道沿いのおみやげ屋さんでホタルイカの素干しを買っていく。富山に来たら、ます寿司も昆布も日本酒もいらない。とにかく、ホタルイカの素干しを見つけて買ってほしい。ライターでよくあぶってから食べるのが必須条件だ。そのうまさにやられるだろう。

 いつも通り、国道158号から松本へ向かう。安房トンネルに差し掛かり、高速道路が1000円なのに、トンネル代750円を払うのがばかばかしくて、旧安房峠を抜ける。紅葉がちょうど良い時期を迎えていて、それはそれは素晴らしい景色だった。が、写真を撮ることも仕事の一つなはずな僕は、車を降りることもなくびゅーんと素通りして長野へと抜ける。

 いやな予感はしていたのだが、途中のトンネルで渋滞。たぶん、不慣れな大型車が入り込んできて、観光バスとトンネル内ですれ違うことができずに立ち往生しているのだ。止まったのがちょうどトンネルの真ん中で、開幌状態な僕にはけっこうキツイ状態だった。20分ぐらい、まったく動かずぼーっとしていた。

 到着したのが5時半ごろ。駅前のアルピコグループなビジネスホテルでKと落ち合い、チェックインして、千歳橋(せんざいばし)でTと集合。

 どこに行こうか、と聞かれたので迷わず「またぎ」と答えた。名前のごとく、猟師さんがお店をやっていて美ヶ原で打ってきたイノシシの鍋を食べさせてくれる。キノコ鍋かイノシシ鍋が食べたい。

 だいぶ、街中の地図があやふやになっていたのだが、何とかたどり着くと、韓国料理屋さんに変わっていた。2年ぐらい前にやめたのだそう(ioi)。仕方がないので、なんでもあるでしょうと、しづかに行く。キノコやセロリやネギを大量に食べてビールも大量に摂取。松本に来たのなら、絶対に外せないのが「いつものショットバー」こと駅前のバッカスだ。が、まだ時間が早かったので、ビールバーに出掛けて、ギネスなどを大量摂取する。

 かなり意識がやばかったのだが、バッカスへ。マスターはやっぱり覚えていてくれて、以前と変わらない歓待をしてくれた。で、やっぱりアルコールを大量摂取して、いつしか意識を失い、店を出る前に起こされて、千鳥足でホテルにたどり着いて、服だけ着替えて、ベッドに倒れ込み、意識を失ったのであった。

10月22日

 Windows7の発売日。ベータ版から使い続けていて、けっこう調子が良い。10カ月無料で使い続けていたこともあり、発売されたらちゃんとお金を払って買おうかと思っていた。「どうせ、製品版が発売されたらインストールし直すから」と環境構築もそこそこで終わっていることもある。

 上冨居のパソコンの館に夜行くと、やはりWindows7コーナーができていて、いろんなバージョンが並んでいた。どれにするか悩む。Vistaも持っているけれど、アップグレード版を買うと、もしかしたらVistaから上書きインストールしかできないんじゃないだろうか、とか、あれこれ疑問がわいてくるから。

 親切な店員さんが、いろいろ教えてくれた。アップグレード版はやはりVistaが入っていないとだめ? とか。インストールの途中でVistaのディスクを入れればOKでは? クリーンインストールはできないのか? と聞くとどうもだめらしいとのこと。

 で、さらに頭を悩ますのが32ビット版と64ビット版が併存していて、パソコンのスペック的にはそろそろ64ビット版に移行する時期を迎えていることだ。64ビット版で動作しないプログラムがある場合、「XPモード」なる仮想モードが用意されていて、結構快適に使えるのだとか。XPモードはProfessionalかUltimateにしか装備されていないという。すると、やはりProfessional以上を買うか…。

 悩ましいのが、フロッピードライブと抱き合わせで、自作PC向けのDSP版が結構安く売っていること。けれども、一度インストールした後、新しいパソコンを組み立てたとして「今のパソコンの部品をどれか新しいパソコンに使わないと、インストールできない」などと言う。

 すると、一番クリアーなUltimateの製品版を新たに買うのがベストなのだが、4万円超えの価格。OSに4万か、とすっごく悩む。

 今後のこともあるし、Ultimateを買ってしまえ!と清水の舞台から飛び降りる気持ちでレジへ。すると、前に精算していた人で売り切れになったんだと。

 盛り上がっていた気持ちが一気に萎えて、「予約できますよ」との店員の声も右から左に耳の中を通過し、とぼとぼと店を出る。

 車を運転していて、もう1度考えてみる。今のデスクトップパソコンでやっていることと言えば、地デジを見て音楽を聴いて、ネットで遊ぶぐらいのことだ。ProfessionalやUltimateに実装されている機能は実は使わない。じゃあ、HomePlemiumでOKじゃんね、と考えが変わった。今のパソコンを更新する時期が来て、64ビット版やXPモードが必要になったとして、必要になったときにまた考え直しても遅くはない。もしかするとOSがインストールされているパソコンを購入する可能性もあるし、どうせサービスパックとか大幅なマイナーチェンジもあるはず。

 そう、思い出すとやっぱりお金を出すのがばかばかしくなったので、布瀬町の100満ボルトでHomePlemiumのアップグレード版を購入。14000円ぐらい。

 とりあえずDVDディスクからブートして、インストールしてみる。Vistaのディスクを求められることもなく、Vistaのプロダクトキーの入力も求められることもなく、何事もなかったかのようにインストールが終了。もしかすると、Windows.oldフォルダに入っていたVistaを認識したのかもしれないが、あっけなくインストールが終わった。

 RC版との違いは壁紙ぐらいでまったく代わり映えがない。ぼちぼち環境づくりをしていこう。

10月21日

 持ち場が暇な感じなので、休みを取って金沢へ。富山で街遊びをしたい、と思ったらやはり金沢がお手軽だし味もあってよろし。

 尾張町に気になるイタリアンレストランがあったので、ランチを。建物自体が趣味を精一杯表現している感じのお店で、例え富山のイタリアンで同じレベルのランチが食べられるとしても、こういう雰囲気のあるお店はなかなかないなあ、と関心する。さすが金沢。

 ロードスターは無くなっていても困らないので、施錠もしないでお店近くのコインパーキングに放置。そのまま街歩きに出掛ける。武蔵町の雑貨屋へ寄って、香林坊付近を通り、21世紀美術館へ。「未完の横尾忠則」展を見る。

 さーっと見て街歩きを継続するつもりだったのだけれど、さーっと見るような作品じゃなかったので、じっくり見入ってしまった。「君のものは僕のもの、僕のものは僕のもの」というジャイアニズムなサブタイトルを見ただけで、もうやられちゃう感じ。

 ひらめき、みたいなものをそのままカンバスにたたきつけちゃう感じの人なんだな、というのがじっくり鑑賞した感想。「未完の」とは、ある意味「やっつけ」なのだ。完成させる、系統立てるようなつもりなんて、最初からさらさらないのだ。大量に作品を制作して、「後は任せたよ」みたいな。天才だな。

 再びてくてく歩いて竪町とか片町とか。ぐるりと回って車に戻って、山側環状から富山に戻る。

10月19日

 18日はT.O.R.F.の10回目の走行会。雅久号は飾っておいて、運営側で汗を流して日頃のご恩に報いようと張り切っていたら、参加者としてエントリーされていた。旗振りはサーキットがやってくれるし、運営する手もありそうだったので、フルに走行してしまった。

 いつもだと、5、6周してはセッティングという感じで走るのだが、15分、20分と時間が区切れられて、走り終わった後はいろいろお手伝いすることがあるので、セッティングはあきらめて、ただ、わーい、という感じでサルみたいに走った。

 朝はあいにくのウエットで、雨のおわらはまるで雪道を走っているみたいにグリップしないのだが、それはそれで普段はできない感じの操作を試せて楽しい。コースアウト=バンパー&アンダーパネル破壊という結果になりやすいコースなので、安全運転を。午後からは晴れてタイムアタックができた。

 オレンジ号と乗り比べ。同じロードスターなのに2台の性格が大きく違うことに今さらながら驚く。足が違うし、ナンバーなしのオレンジ号は軽い、ということもある。デフも入っていて、185ネオバながらすっごく速い。ただ、やはりなじんだ車の方がぎりぎりのドライビングではしっくりくる。

 走行中は一切タイムを見ずに、表彰式前に確認するとすっごく遅かった。目標より1秒遅い感じ。ビスカスデフが義務づけられる間瀬耐久では、いかにリアのトラクションを少しでも稼ぐのか、というセッティングにしなくてはならないのだけれど、車高バランスの関係で、いつもより前に進んでいなかったみたい。

 自らの遅さにずっこけた感じだけれど、思う存分走って楽しかったから良いのだ。

10月16日

 県庁のとある部屋でNHKを見ていたら、佐藤琢磨の特集が。原点の鈴鹿を訪ねるという内容で、レーシングスクールの恩師を訪ねていた。

 当時の面接官の人が出ていて、その人が連れて行きたい、と訪問した場所はたぶん、西コースにあるSRS-Jのガレージ。そこで出迎えたのは、何とFJでお世話になったレース屋さんのM田さん。当時、メンテを担当していたということで、佐藤琢磨が使っていた車を用意して出迎えていた。

 「おまえは常に前に前に向かっていったからな。ぜひ降りることなく、また乗ってほしい」とアドバイスする姿はとってもかっこいい人に見えた。普段会うと普通のおじさんなんだけれど。いや、ガレージやピットにいるとやはりオーラがあるし、コックピットに座っていると絶対的存在になるんだけれどね。そうだとは知っていたけれど、佐藤琢磨に親しげにアドバイスするのを見ていると、やはりすごい人なんだなあと思う。

 そういう人の下で車に乗るチャンスは得たのだが、あっという間に財布がガス欠になってあきらめて今日に至る。間瀬耐久では勝ったけれど、今年3月に乗ったFJはまったく歯が立たずにレーシングスピードにすら持って行けなかった。慣れの問題ではあるけれど、やっていることはこれぐらい隔たりがある。慣れてレースに出るためにはそれなりのマネーと時間が必要なわけで。

 テレビを見ながら2人がすごく遠い世界の人に見えた。

10月15日

 630キロあまり走った先日のツーリング。なんとか1タンクで走り切れるかな、と思ったのだけれど、深夜だったことやスタンドのない地帯を走っていたこともあって、ひるがの高原で10リットルぐらい給油した。富山に戻ってきて給油して、計算すると燃費はジャスト、リッター14キロだった。

 NA6CEのタンク容量は45リットルだから、リッター14キロで計算すると航続距離は630キロ。実際にはタンクは45リットルよりちょこっと多いはずなので、走りきれるかぎりぎりの線だった。

 ここまで読みが当たるのも、耐久レースの給油量でしのぎを削っているからこそ。メーターを見て「あと何リットル」がだいたい分かる。残り何リットルかが分かるからといって「それで?」と問われてしまえば別にレース以外で役に立つことはあまりないのだけれど。

 それにしても、特に省燃費運転に心がけなくてもリッター14キロってなかなか良い成績。Freedomなどのフルコンでセッティングを取らないと、なかなか達成できない数字かと思う。

10月13日

 月曜日。先日、ロードスターの助手席側の窓を動かしていたら、がこん、という音がして動かなくなった。上下にスイッチを入れても、がこがこ言うだけでたぶんワイヤー切れだ。大体が、窓が開いているときに壊れるものだから、困ったことになる。運の悪いことに大型台風襲来の前だったものだから、やばい、と思って、怪力で窓を引っ張り上げて、なんとか全閉状態にした。

 そのワイヤーの張り替え。午後から工場を閉めていたのだけれど、無理を言って開けてもらい、在庫のパワーウインドーのワイヤをもらって、指示を受けながらワイヤ交換。たぶん、僕が自分でやったら半日仕事だったけれど、指示通りやって、難しいところはやってもらったので、30分ぐらいで終了。ありがたい。

 火曜日。平日だったけれど、何とか休めそうな雰囲気だったので、朝からツーリングに出掛ける。開幌状態にしたら、曇りだったので寒いぐらいだったけれど、ヒーターを全開にしてこたつ気分で国道41号を南下。神岡から安房トンネルへ。先週走った道を通り抜けて、信州へ。やはり上高地の紅葉の季節だからか、平日にもかかわらずかなり込み合っていた。

 田んぼ道を走って松本へ。曇りの予報だったけれど、松本はからりと晴れていて、太陽の光線を浴びるとぽかぽか気持ちが良かった。ブエナビスタ近くの洋食やでランチを食べ、移転した元我が仕事場を探す。駅近くの線路沿いに立派なビルが立っていてびっくり。僕の時代は埋橋の汚い借家ビルだったのだけれど。

 山麓線を走って塩尻へ。塩尻から国道20号。込む諏訪を避けて岡谷からは高速で諏訪インターへ。国道299号のメルヘン街道。麦草峠に行き、さてどちらへ行こうと考えた。

 佐久側に抜けると、上信越道に乗って北陸道から帰るコース。いつも走っているコースだから何となく物足りない。ふと、10月に飯田に異動になった同じ会社の人の顔が思い浮かんだので電話。夜勤だけれど、晩飯ぐらい食べられる、ということだったので同じ道を引き返して、杖突峠。国道152号を高遠方面に走り、長谷村方面に激走し、駒ヶ根に抜ける道から転がるように下って天竜川沿いの道を走り、国道153号で飯田へ。

 イタリアンのお店で食事をして午後10時に別れる。飯田インターから名古屋方面へ。東海環状道から東海北陸道。そのまま高速で戻るのもつまらないので、飛騨清見インターで下りて、卯の花街道を飛騨市へ。国道41号を使って戻ってきた。

 全行程630キロぐらいのツーリング。帰ってきたら午前様。久々に思う存分走りまくった。

10月10日

 9時半からの仕事があったのに、起きたら9時10分。あわてて着替えて飛び出し、仕事場所の富岩運河環水公園へ。

 あるイベントがあり、仕事も終わってやれやれと思っていたら、関連イベントのウオークラリーに参加する耐久スターレットドライバーのさぶちゃんの姿がっ。子どもたちを連れて参加していた。次の仕事までに時間もあったし、何より公園から近い場所でもあったので、そのままウオークラリーに参戦する。

 富岩運河は由来を書くと長々と文章を書かねばならないが、富山のまちづくりにとっては重要な場所だ。産業のために造られて、ダイオキシン汚染なんかもあるのであまり良いイメージはないかもしれないが、県は徐々に水辺スペースとして整備している。そのうち、桜を植えて桜の名所にする計画も進められている。

 知識では知っていたけれど、降っていた雨がやんださわやかな空気の中、運河沿いを2キロばかり歩いたら、とっても気分が良かった。子どもたちにも気に入られたようで、がやがやと歩いてそのまま隣の親水公園のイベントでかき氷や富士宮やきそばを食べながらひとときを過ごした。

 今は運河を船が走っているので、こちらもお薦め。

10月9日

 7日夜。友人Kは四谷のラーメン屋「温州軒」へ行くとのこと。飛行機は台風の影響もなく定刻通りに到着。電車を乗り継いで、ホテルにチェックイン。少し台風の影響が出てきた国道20号を歩く。

 良い感じの居酒屋街を抜けてラーメン屋に到着。6席しかない狭いラーメン屋だが、以前は文化放送近くにあったから、出演者らが愛したラーメンらしい。なんと10日で閉店。友人Kが来たいと言った意味が良く分かった。支那そばを注文する。

 ラーメンは「昔ながら」という言葉がまさにぴったりで、あっさりしたスープに細麺でおいしくいただいた。最近は豚骨こってり系ばかり食べていたので、シンプルラーメンのすばらしさに開眼した思い。が、最初で最後の1杯だ。

 近くにビートルズパブがあったので、飲む。ビールをひたすら。オリジナルカクテル「ダコタハウス」も。子供用風邪シロップみたいな味だった。酔っぱらったころには雨がかなり強くなっていて、ずぶ濡れになりながらホテルに戻って意識を失う。

 8日朝は雨は上がっていたが、窓の外を見ると風が吹き荒れて葉っぱやらゴミやらが真横に吹っ飛んでいた。テレビは山手線の運休を伝える。地下鉄とはいえ、半端じゃない影響を受けていることは必至で、霞ヶ関まで歩いて行こうかとも思ったが、時間がたっぷりあるわけではないので、丸の内線へ。予想通り、9時すぎにもかかわらずすし詰めの車内で2駅我慢し、永田町駅から歩いて国○省へ。

 前○大臣と富山をはじめ4県の知事たちの会談があるので、東京まで足を運んだ。なぜなら、間瀬がある県の知事が新幹線建設を巡って駄々をこねているから。地元の利益のためということは良く分かるのだけれど、開業時期までずれ込ませるような聞き分けのないやり口はいかがなものか。結局、物別れに終わり、なんだか煮え切らない感じで仕事は終了。

 最終の飛行機で帰れたけれど、とんぼ返りも疲れるので朝イチで帰ることにする。当然、社内の人たちで飲もう、ということになり、赤坂の居酒屋で再びビールをがぶ飲み。7時前の飛行機なので、羽田に近い蒲田に宿を取った。コーラ色の効きそうな温泉があるなかなか良い宿なのだけれど、零時半にチェックインして「少し横になろう」とベッドに横たわると、次の瞬間、4時45分のモーニングコールが鳴った。

 8時前には富山に到着し、1日ぼんやりすごそうかと思ったが、昼前に「○原大臣新幹線認可」の一報が入り、ダム凍結の話もあってばたばたする。5時から活動しているから夕方ですでに眠い。

 しかし、同意なしで認可した、ということは○交省から正式に「ちょっとあれな知事」認定を受けたようなものだな。