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3月30日

 タダナラヌことがあったので、木曜の夜から愛知県の東三河の山奥行っていた。中央道飯田インターから国道151号に乗ったのだが、新野というところで通行止め。迂回路に回らされた。

 国道でさえ、すれ違いが難しい個所もあるというのに、その迂回路なんだからどんな道かは想像を絶する。ガードレールが途切れているところもあり、もし落ちちゃったら、何日も発見されないかもしれない。崖から岩が落ちてきそうで冷や冷やである。

 むろん、路面はでこぼこ。正に洗濯板。信州を走っていると、こんな道ばかりだから、車高はあまり下げられない。僕にとってロードスターはあくまで「ツーリング車」。こういった道でも疲れない足回りがツーリング仕様に求められる、と独り勝手に思っているので、8K6Kの今のバネでも少し固いくらい。バネの固さのわりには乗り心地はいいと思うのだけれど。さすがにサーキット「も」走ることができる車にしようとすると、我慢しなくてはならないことが出てくる。

 3時間ばかしの睡眠をとり、親父の車に乗って、豊橋に行く。とんぼ返り。夜は小牧に行き、小牧から松本に出勤した。

 大雨が降っていたので、松本スペシャルROMのまま平地を走った。アクセルを踏んでも空燃比計は13.8あたりを指す。あまり踏まずにフィードバック領域の範囲で走っていれば問題ないのだけれど。

 セッティングもしていないのに、5万円もするセンサーをどんどん劣化させているな。

3月28日

 なぜか信州大学の中を歩いていたら、あるロードスターが目に留まった。目をひいたのがちらりとシートからうかがえた内装色。ほとんど白に近いベージュ。

 外装は普通だから、もしかして、と思って近づくと、果たしてウインカーの下にエンブレム。TOKYO LIMITED。

 野田ナンバーだから千葉の人なのか。激レアな車が身近にあった。

3月27日

 ダイドーのミニカー企画。ロードスターがあるとなれば、やらねばなるまい、と買い続けているのだが、何缶買っても出てこない。スカイライン3台、プレリュード3台、117クーペ2台、パジェロ、2000GT、スバル360と、NSX。買えども買えども出てこないので、さらに怒れてきて、箱買いしてやろうか、と思っていたら、職場の人から携帯に電話。「ロードスター出たよ」。3缶目だったらしい。10缶買えば出てくる確率のはずなのに、なぜ僕にだけ巡り合わせが悪いんだろう。

 この企画、なかなかの好評のようで、松本のコンビニでもデミダスコーヒーだけ棚から消え失せているところもある。箱ごと買う人も多くいるらしい。120円でおまけの楽しさが付いてくるから、なかなかよろしい。

 そのうち、「ロードスター50台集めた」とか、そんな自慢になってくるんだろう。Yahoo!のオークションでも「ロードスター赤青300円」とか並んでいる。

 赤青そろうまでは買い続けるしかない。しかし、なぜ僕だけ出ないんだろう。

 改造されるのを恐れているんだな。

3月26日

 ジムニーに再び息付きの症状が出てきた。

 3000回転前後のターボのブーストがかかり出すあたりで、回転が上がっていかないときがある。がくがくっとエンジンが揺れ、しばらくして回転が上がると一気に回る。3000回転以下はトルクが薄くて事実上使えない領域なので、ブーストが掛かる直前でのこの息付きは致命的である。右折や合流で、2、3秒加速しないこともある。危ういタイミングだった場合は、必死にステアリングを握って体を前後に揺すっちゃう。進め、進め、と。

 1年前にも同じ症状が出て、他の用事のついでに車屋に持っていったら、オイルが汚れている、とのことだった。まだ2000キロちょっとしか使っていないのでおかしいな、と思ったが、ついでに点火プラグも交換してもらったら、症状は収まった。

 最近、再び息付くのである。とってもイライラする。オイル交換をしばらくしていなかったからだろうと独り合点して、仕事場指定のシェルのスタンドで1リットル1500円の高級品を入れてもらった。どうせ人の金だ。シェルと言えばフェラーリ。なんだか速くなりそうだぞ。

 ところが、症状は収まらない。がくがく、がスムーズになったような気がするが気のせいだ。ほとんど変わっていない。

 どこがおかしいのか。勘ではプラグコードを疑っているのだが。

3月25日

 先日、松本であった山火事。全国ニュースでも流れるほどの注目を浴びたが何を隠そう、あの火事は我がホームコースであるいつもの山道の山全体がもえちゃった形なのだ。

 ふもとで燃えていた火事も、台風のような突風にあおられ、あっという間に飛び火していき、上へ上へと進んでいった。美鈴湖や浅間カントリー付近にまで火が行ったという情報を得て、一番心配だったのが、どれだけの面積が焼けてしまったか、ではなく、いつもの山道がどうなっているかだったのである。

 土曜日に、見に行くことにした。いつものペースで走るわけにもいけない。いつものペースでコーナーを抜けた途端、ホースを持った消防士が道の真ん中に立っているのが目に入ったとしたら、我が人生はそこで終わってしまう。何よりも、前を走るのはパトカー。ぶち抜くわけにもいかず、左右を伺いながらゆっくりと走る。

 ゴルフ場入り口付近から、道路脇が黒こげになっている場所があった。ヘアピンを2つ抜け、南側の斜面になった途端、つんと火事独特のにおいが鼻を突いた。松林。木全体が燃えているわけではなく、下草が焼けて根のあたりが黒く焦げた程度。木は枯れないと思われる。途中の道では、消防車が一台止まって、枯れ草をめくった上で、まだくすぶっているところを念入りに消火していた。

 火元へ下る方向の谷では、谷に沿って猛烈に火が上がってきた跡がある。さすがにここでは木の根ばかりでなく、幹の中程まで葉が焼けていた。一番、やけ方がひどかったのは、まだ植林したばかりの斜面。1メートルほどの高さの木が全焼していた。また、植林し直さなければならない。

 コースの半分ほどの長さの沿道が焼けている感じ。土日となれば出現するライダーたちもさすがにこの日は走っていなかった。道路自体に被害はないので、ほとぼりが冷めれば再び走ることができるかな。

3月24日

 東京あたりでは桜がすでに葉桜になりつつある、というのに、松本は冬に逆戻りしたような寒さ。それなのに、午後11時に仕事が飛び込みやがった。

 仕方なくジムニーに乗ろうとすると、うっすらと雪化粧。松本の市街地でも雪が舞ったらしい。なぜか制服を着た人がうじゃうじゃいるスーパーの前に張られた黄色いテープの近くで、カメラをぶら下げながら立ちつくしていた。数日前なら、風もやわらかくて春のにおいがしていたのに、こんな日に限って刺すように冷たい。

 私事ながら、やらねばならないことをやっていたら、いつしか時計の短針が下の方を指す時間になっていた。帰宅して寝る。今日は休みなのだが、飛び込んだ仕事の後始末をしなくてはならない。

 夕方、諏訪の某氏とブツを交換するために、ロードスターを開幌状態にして走り出す。塩尻峠の気温は0度だった。せっかく空燃比計が付いているのだから、高いところを走って燃調がどうなるのかを見てみたい。霧ヶ峰に進路を取る。

 スキーシーズンも終わりかけたこの時期、暗くなった高原に向かう車は皆無。路面は乾燥状態。凍っていないか注意しながら、快調に走る。

 霧ヶ峰にたどり着くと、燃調は諏訪より1濃くなっていた。海面でぴったりと燃調を合わせて、標高600mの松本に来ると、全体に0.9くらい濃くなる。それだけ空気が薄い、ということである。松本の平らではあまりフルスロットルをする機会もないので、少し薄くして、山を駆け上っているときにちょうどよい燃調になるようにしてあった。だから、標高700mの諏訪でちょうど良い燃調だった。

 それが、霧ヶ峰に行ったら、また全体に1濃くなった。霧ヶ峰はだいたい標高1500m前後。ということは標高が700〜800m高くなるごとに空燃比は1ぐらいずつ濃くなっていくことになる。

 そのままビーナスラインで一番標高の高い2000m付近に行けばさらに1近く濃くなることになる。もし、ノーマルのまま燃調を絞らないで上がったら、空燃比計は8台を指すこともあるかもしれない。まあ、標高2000mで本気で走る人は一部だろうから、それほど問題にならないのだろうけれど。

 空気の濃さ、は日ごろあまり意識をしない。無料化になったビーナスラインを白樺湖方面にひた走り、そんなことを考えながら走っていたら、吹き込む風もどことなく軽く感じられる。しかし、下界で0度なんだから、標高1500mでは−5度以下に違いない。グローブをして走っていても、指の先が痛い。耳がちぎれそうになったので、コートのフードを被った。

 寒いから屋根を閉めるという発想は起きなかったのかしら。 

3月23日

 朝、山々に目を向けたら、重くどんよりとした雲がたれ込めていた。雪雲かな、と思いつつ、最近は陽気が続いていたので、降ることはないだろう、と思っていた。

 ところが午前中、松本平の西部にいたら、雪が舞いだして、強い風もあって吹雪のようになった。東部の市街地に戻ったら、降っていなく日が差すぐらいの天気。山沿いと平らではこれだけ違う。

 この時期なら降ってもおかしくはないのだが、すっかり春めいていたので少し違和感。安房トンネルはしばらく抜けられそうにない。

3月21日

 夢の中でヘリがたくさん飛んでいた。飛び去ったと思ったらまたやってきて着陸し、再び飛び去る。どうやら、サイレンも鳴っているらしかった。イライラが募って、わあ、と叫んだら、目が覚めた。

 本当にヘリが近くを飛んでいるらしい。消防車のサイレンがいつまでも鳴りやまない。なんだか家の近くがただならぬ状況である。だが、体が動かない。昨日のサーキット120周により、体が睡眠を要求してストライキを起こしたらしい。意志に反して、しばらく布団で横になっているしかなかった。

 疲労困憊でビールを飲み、倒れ込むように布団に突っ伏して、意識を失ったのだ。外ではヘリの音とサイレン。めりめり言う体を強引に動かし、外に出てみると浅間温泉の方で白い煙が立ち上っていた。大きな山林火災である。どんどん火の手が広がっているらしい。いつもの山道が台無しにならないか、心配である。ヘリは、火を消すために家の近くの貯水池から、水をくみ出していた。

 なぜか、休みなのに浅間温泉街を一日、うろうろと歩き回った。体がけむり臭い。火は美鈴湖近くにまで達したらしい。しばらく、いつもの山道は走ることができないかしら。

3月20日

 さすがに寝ずに長時間車を走らせるのは気が引けたので、2時間だけ、寝た。ちゃんと起きられたのは、仕事でなくて、遊びに行くからだろう。

 ロードスターが凍っていた。鍵穴にキーがささらない状態。けっこう、昨晩は冷えたんだな、と思いつつ、天気もいいことだし、軽装、開幌状態で走り出したのである。実に、軽率な行為だった。

 鼻歌交じりに安房トンネルへ向かう国道158号を走る。少々肌寒いぐらいが気持ちいい。るんるん気分で走っていると、沢渡(さわんど)あたりから、日陰部分が凍り始めていた。タイヤはFM901。ウエットで強さを発揮するタイヤも、さすがに凍った路面は苦手である。

 大丈夫だろう、と高をくくって走っていたら、突然、全面氷結の路面に変わった。太平洋岸で降る水分を多分に含んだ雪がどんと降って、そのまま凍ったような感じ。氷の厚さ2センチほど。いまさら引き返すわけにも行かず、ずんずんと夏タイヤで進んでいった。

 国道158号の長野県側はトンネルが多い。これが幸いして、なんとか進むことができた。トンネル内は凍っていない。安房トンネル付近は急勾配。もしトンネルがなくて凍った路面が数キロ続いていたら、登ることがまず、できない。

 安房トンネルを抜けてからも、ひたすら氷結路面。もう、涙目になって、べそをかきながらのろのろと車を動かすしかない。

 ウエットが強いFM901だからだったのかは知らないが、絶望的に思われた上り坂でも失速せずに、のろのろと登っていった。少し時間に遅れたものの、車を壊すことなく、無事到着することができたのである。

 1周1分のサーキットで120周ぐらい。目標は達したものの、後半の走りでタイムが出なかったのが残念。エンジンは強烈なラッシュ音が出た以外は8000回転シフトで問題なく回っていました。

3月19日

 明日は、富山のミニサーキットへ、新エンジン&新足回りのテストに出掛けるのである。ところが、同業他社の人の歓送迎会の予定が入ってしまった。親父とともに常念岳へ3人で登った仲なので、行かないわけにはいくまい。

 ちゃちゃっと切り上げて、午後9時には帰宅して寝てしまおうと考えていた。けれども、強者揃いの飲み会である。隙を見つけて帰ろう、という考えが甘かったのである。

 午後10時すぎに1次会が終わって、なぜか同業他社の先輩と握手。これがいけなかった。そのまま2次会になだれ込む羽目になってしまったのである。水割りをちびちび飲み、カラオケ。正しい飲み会の末、午後11時半にこの店を出た。

 当然、人数が少なくなっているのである。ここにいる以上、3次会を拒む、というのは不可能なことだ。そのまま、その先輩の行きつけの店になだれ込んだのである。

 いくらセーブしながら飲む、といっても、ここまでのだらだらと飲んでいれば、当然、ほろ酔い気分になるのである。深夜。いつものショットバーが近いな、という邪念がちらりと頭をかすめたら、理性がアルコールでマヒしている以上、足は勝手に向かってしまうのである。

 たった独りでいつものショットバーに行ってしまい、1時間ぐらい座って結局2杯飲んでしまった。あさ、早く起きねばならない。

 仕方なく、家に帰って風呂に入り、そのまま出掛けることにする。国道41号の道の駅でロードスターの、ほとんどリクライニングしない運転席で仮眠をとり、そのままサーキットに向かうのだ。たぶん、暑くてすぐ起きるだろう。

 自己嫌悪。