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5月3日

 抜き出した腰下を観察したら、今のエンジンのオイルだだ漏れの原因が即、分かってしまったので、いても立ってもいられず、オイルクーラーの取り付け部分を再組み付けした。もうこれで、漏れはないはずだ。

 オイルを抜いたので、ホームセンターで買ってくる。BPのバービスプラスを選んだ。部分合成油の10W-40である。BPのオイルって使ったことがないので、どんなフィールか楽しみである。

 こうやって書いていると、実に簡単に作業が済んだように思えるかも知れないが、オイルクーラーの配管はシリンダーブロックのオイルフィルターを取り付ける場所についている。フィルター交換をした人なら分かると思うけれど、インマニが上にあって手の入れにくい、とんでもない場所なのである。車屋さんは下側から手を入れて何とかするのだろうが、リフトのない環境なので、迷わずインマニを取り外した。ということは、ガソリン漏れるは冷却水を抜かねばならぬは、と大変なのである。

 こんな作業を仕事の合間にやった。いや、車いじりの間に仕事もやった。

5月2日

 朝、6時前に気が付く。オイルだだ漏れのロードスターのエンジンに火を入れ、出発する。朝はまだ寒いので革ジャンを着込む。急いでいるので、幌は閉めたままだ。

 向かったのは霧ヶ峰高原である。諏訪の某氏が東京に引っ越してしまう前に隠れ家に宿泊しているので、仕事が始まる前に一緒に走ることにしたのだ。待ち合わせは6時半。ちょっと間に合いそうもない。

 松本市入山辺から三城方面に駆け上がり、今年から無料になったよもぎこば林道を経て、同じく無料になったビーナスラインに至る。まだまだ花が咲く季節ではないためか、道にはほとんど車がおらず、快調に飛ばす。松本の平らでちょうどよい燃調に合わせたのに、標高1500mでは11台前半を示す。ノーマル燃調だと、9とか8ぐらいまで濃くなるかも知れない。空気が薄いとGTウイングも効きが悪いんだろうか。

証拠写真

証拠写真
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証拠写真

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 霧ヶ峰に至ると諏訪の某氏とすれ違い、合流する。時計を見ると6時40分。少々遅れたが、ぎりぎり間に合ったことにしておこう。車を走らせたり、写真を撮ったり、歩いたりしながら過ごし、8時前に解散する。オイルをチェックしたら果たしてレベルゲージに少し付く程度にまで減っていた。車を止めている場所にくっきりオイル染みができるぐらいの漏れ方なのだから、数十分の全開走行でかなり減ったに違いない。オイルをたれこぼし、環境を破壊しながら走っていることに罪悪感を感じる。早く締め付けないと。

 オイルを足して、帰りもいいペースで帰った。ただ帰るのではつまらないので、台上の駐車場を目指す。駐車場に到着した途端、駆け下りて、写真を撮ってすぐに走り去ったから、同じ駐車場にいた人たちはかなり怪しく感じたに違いない。

 ここで異変に気付く。いや、異変じゃなくミスだ。燃料計の針が「E」にぴったりと張り付いている。出発したときには半分より少し少ないくらいだったのに、山を駆け上がったため、ほとんど空っぽになってしまった。やばい、と思って走っていると、果たして、がくん、と燃料の噴射が一時的に止まったかのようにエンジンが息付きをした。標高2000m付近にJAFも来てくれないだろうし、ピンチである。すぐ止まるかと思ったら、普通にエンジンが回っているので、焦る気持ちを抑えつつ、省燃費運転に努める。

 下り坂に差し掛かると、またエンジンがストールしそうになった。やはりおかしい。ガソリンがないに違いない、と考え苦肉の策に出た。必殺、エンジン停止である。キーをひねってエンジンを止めたら、重ステなのでハンドルは大丈夫なのだが、ブレーキの利きが悪くなった。急な下り坂だし危ない。インマニの負圧さえあれば、利くようになるはずなので、キーをOFFにしたまま、ギアを入れ、エンジンブレーキを使う。ブレーキも利くようになった。

 タコメーターも油圧計も、水温計も「0」になったままひたすら惰性で転がっていく。燃焼していなくても、排気音はするし、水温はそれほど下がっていかない。試しにアクセルを踏んだら、排気音が変わった。燃焼していなくても、音が変わるんだねえ。

 上り坂や平地に差し掛かると、キーをひねってエンジンに火を入れてやる。下り坂に差し掛かったら、再びキーをOFFにする。

 それにしても、燃料計を見てみると、あと数十キロぐらい走れそうな位置にある。燃料切れになるときは、前兆があってから間もなくエンジン停止するらしいし、どうやら様子がおかしい。とりあえず、下界まで下り、エンジンを始動して走りだすと、普通に走るものの、ときどき燃料が噴射されなかったように、がくがくっとエンジンが息付きする。タイヤが鳴くほどのエンジンブレーキがかかるぐらいである。故障か。

 どうやら、スロットルポジションのセンサーが不良なのかも知れない。そう思って回転を上げ、アクセルOFFにする。空燃比計をにらみつけると、燃料の噴射が止まっていないよう。1800回転(だったか?)以上回っていて、アクセルOFFすれば燃料カットをするのが通常の制御。よって、スロポジセンサーの不良に決定だ。空燃比計は、トラブルシューティングにも役に立つのである。

 予備のスロポジセンサーはあったかな、などと考えながら、家に戻って車を止め、センサーを見ると、なんだか様子が違う。あるべき配線がない! あれっと思って下を見ると、オルタネーターのベルトに接触してぼろぼろになった無惨な姿の配線があった。そういえば、エンジン積み替え時に、カプラーの脱落を防ぐ金具をなくしてしまったことを思い出した。スロポジの配線がすっぽ抜けていれば、そりゃあ、エンジンもおかしくなるはずだ。

 配線は中の銅線が剥き出しになった悲惨な状態だが、断線はしていない模様。ビニールテープを巻けばなんとか復活できそうである。

 金具をなくしたのなら、きちんと配線が外れないように処理しておくべきだった。事故につながらなかったのが幸いだ。激しく反省。

5月1日

 そろそろ松本にでも行こうかね、と親が言った。洗濯物が雪崩を起こしそうなくらいたまっているし、台所も蜘蛛の巣天国になっている。すぐにでも来てもらおうか、と思ったが、そう言えば、お客さん用だった部屋に、エンジンさんが鎮座しているので、泊まる場所がないことに気づき、そういえば、寝る場所ないや、と断った。

 本当だったらエンジン組み立て部屋はきれいに片づいていたはずなのに、想定外の故障により、再び腰下がエンジンスタンドに固定された状態になって放置されている。もし、再度組むとしたら、最低オーバーサイズピストン&シリンダーボーリング。圧縮比が上がるピストンを組むとしたらヘッドをばらして、燃焼室をもう少しきれいに削り、バルブシートカットを施してやりたい。すると、15万ぐらいかかる計算である。欲を出してバルブリフターにまで手を入れちゃったりすると、計算不能な感じで費用がかかってしまう。狂ったように物欲の赴くままにしておいたので、先立つものが心細くなっている。銀行の残高を見て、そろそろ理性が頭をもたげ始めたところなのである。

 積み替えたノーマルエンジンは、いい感じで回っている。安いレギュラーでそれほど不足のないパワー(それでも前のエンジンよりは確実に一回り遅いけれど)が出ているから、不満はない。そもそも、前のエンジンが求めるがままにアクセルを踏むと、ちょっと怖かったし。その一方でエンジン積み替えができる恵まれた環境がある。

 物欲と理性が我が頭脳の中でずっと綱引きをしている状態なのである。

4月30日

 松本まで戻る道中で、燃調を合わせた。自作エンジンで作ったマップを元にしたら、意外とずれが少なく、ちょちょいのちょいで完成。ここは、エアフロを使用するLジェトロのいいところかもしれない。ROMチューン作業自体は簡単なのだが、雨の高速道路で全開走行を何度も繰り返したので、命がけである。危ないスピードでは走っていないけれど。

 エアフロが全開になるとみられる7000回転以上の高回転でかなり濃い状態だった。たぶん、この領域になると空気流量が多少変わっても、エアフロは開きっぱなしで信号としてはそれほど変わっていないだろうから、燃調がずれたのはそのままハイカムの吸入量とノーマルカムの吸入量の違いだろう。燃料を削った分だけ、パワーも出ていないんだろうな、と思うと、ノーマルエンジンであることが、何となく寂しい。

 それにしても、人のパネルを取り付けておきながら、狂ったようにあちこち走り回るのは気が引けるのである。数日後に再び名古屋へ行く予定が…。

4月29日

 連休なので、名古屋で友達と会うことに。飯田インターで下りて、南信州の山深い道をオープンで駆け抜けた。天竜峡の新緑が本当に美しい。

 ファミレスあたりで晩飯でも喰らうのかと思っていたら、居酒屋で会うことになった。酒を減らそうとしているのに、状況が許さないのは、やはり、自業自得と言うべきなのだろうか。

4月28日

 なぜか松本市立博物館で開かれている中国・北京の故宮博物院に収められている宝物の展覧会に出掛けた。

 故宮の宝物は、数年前台湾に行ったときに見たことがある。戦争当時、国民党が宝物を持って台湾に渡ったので、多くが台湾にもあるのだ。「偽物が多い」とも言われているようだが、巨大な博物館は、端から端まで歩くだけで疲れるほど。陶磁器から玉、ガラス細工などなど、素人目で見てもとても高価そうな宝物がケースに収められて、これでもか、という具合に展示されていた。所蔵の宝物は一生かかっても全部見られないらしい。

 中でも圧巻だったのは象牙細工だ。その繊細な細工に驚いたのはもちろんなのだが、どうやって作ったのか分からないものがあった。象牙が球の形に削られ、表面に目を細めても細かくて見えないくらいのさまざまな彫刻が彫ってあるのだが、それが何と透かし彫りなのである。球形の透かし彫りだけなら驚かないのだが、何と、透かし彫りの象牙の球の中に、同じように透かし彫りされた象牙の球が入っているのだ! しかも、その球が二十六層になっている、と言えば、ぶっ倒れるしかない。しかも、球はつないだ跡がなく、1つの象牙から削りだし、くり抜いたらしいというから、考えただけで卒倒ものである。いったい、どうやって作ったのかは不明らしいのだが、とっても細い彫刻刀を透かし彫りの間から差し入れてちまちまと彫っていったのであろうか。1度の人生では完成できないような代物であった。

 こんな恐ろしいものがごろごろしているのだから、昔の中国の皇帝は今で言う「お金持ち」という言葉から想像できるものを凌駕している。

 こうやって、なんだか得たいの知れない巨大なものに、だまされたような、そんな訳の分からない原体験があるので、この展示はそれほど感動はしなかった。確かに皇后が着けていた王冠は、これでもか、というくらいに宝石がちりばめられていて、大したお宝なのであるが、想像の範囲内なのである。二十六層の象牙細工のように馬鹿げたものはなかった。

 やはり、国外に持ち出せないものこそ、お宝なのである。北京の本家故宮にも行ってみたい。すげえ建物だしね。

4月27日

 世間はゴールデンウイークに突入しているらしい。しかし、そんなことはまったく関係なく、今日も仕事である。いい天気なのでむらむらとさぼり魔の性がふつふつと体のそこからわき上がり、気が付くとロードスターに乗っていつもの山道を走っていた。

 人様のGTウイング&カナード付きで走りに行くのは、かなり人道に反してさすがに気が引けたのだが、いつも走っているコースだからこそ、効果が分かるというもの。ノーマルエンジンも意外に良い調子なので、1年間ほどの眠りから覚めたばかりで寝ぼけているかもしれないエンジンにフルスロットルをくれる。

 正直、山道ではそれほど効果がない、と思っていた。ところが、コーナリング中にふと「効いているのか?」と思うコーナーが何カ所かあった。そろそろ来るか来るかと思っていた姿勢の破たんが来ない。ちょっとオーバースピードでラインを外してしまうか、と思っていたのに、思うラインをなぞっていく。

 これがウイングの効果なのかはちょっと分からない。後端部にちょっと重量のあるウイングを付けていて、ほんのちょっと重量バランスが変わっているのかも知れない(トランクには工具が満載だからあまり関係ないか)。

 高速走行しているときは効くのは分かるとして、どれくらいの速度、コーナーで効き目が現れるんでしょう。

4月26日

 そういえば、1カ月ほど更新が滞っている。本当ならばエンジンセッティング編とでも称してバルタイを変えるとどうエンジン特性が変わるのかや、空燃比計を使ったセッティングでどうエンジンの回り方が変わったか、といった内容を書いていたはずなのだが、予想外のオイル食いでエンジンを載せ変えちゃったので僕自身、途方に暮れている状態である。

 さて、どうしたものやら。

4月25日

 自分一人でわあわあ暴れてもだえて、痛い痛いとうるさくしつこく叫んで回り、まあ、かわいそうねえ、と、周囲の人に哀れみの感情を抱かせ、病院へ行った方がいいよなどとと、本当に優しい言葉をかけてもらっておきながら、行ってしまったのである。酒場へ。アルコールを摂取してしまったのである。翌朝、アルコールがまだ駆けめぐる頭の片隅で、自分は駄目な人間だ、などと考えて、反省したつもりにはなるのだが、飲みに誘われたりすると、ケロリとそんなことは忘れて、しっぽを振って付いていってしまうのだ。もう、駄目なのかも知れない。そもそも、飲むのをやめておこう、と考えること自体が重大な間違いなのかも知れない。こうやって日々反省を繰り返しながら、それでも酒を抑えることができず、周りに迷惑と心配をかけて生きていくことになるのかしら。

 背中の痛みはどうやら、筋がつっている状態である気がする。飲みながら肝臓がやられたときの痛みを聞いたら「内側からやけどをしたような痛みがじんじんと襲う」とのことだった。我が背中は右側の背筋に力を入れると激痛が走る。くしゃみをするのが一番痛い。どうやら肝臓ではなさそうである。

 筋をつったときは確か、冷やすのではなく温めるのだったと思うので、家に転がっていた温湿布を張ったら、昨日よりは楽になった。早く楽になってもらわないと、降ろした腰下をばらすことができない。

4月24日

 土曜日に富山の車屋さんに向かった。間瀬サーキット走行会の反省会へ出席のためである。こう書くとなんだか固い行事のようだが、ようは飲んで騒ぎにいったのである。

富山の車屋さん

 背中の痛みは相変わらずで、肝臓への不安をかかえながらの参戦であったのだが、「ちょっと今日は飲めません」などと野暮なことは言えないから、背中をさすりながら、大量に飲んじゃった。いや、ただ自分が飲みたかっただけであるのだが。

 ビデオで自分が走っている姿を見た。ライン取りはまあまあ良い、とのことだったので安心する。だんだん酔いが回り、車談義に花が咲く。仲間とこうした時間をすごせるのは、本当に幸せなことだと思う。

 泊めてもらって翌日、みなさんは糸魚川へツーリングに出掛けていった。生憎の雨模様だったのが残念。僕と車屋さんが残り、おもむろに作業を始める。

 突風で倒れて凹んだボンネットや、これまでさまざまな傷が付いてきた前後バンパー、トランクを塗り直してもらうことになったのである。いくら14万キロ近く走っているとはいえ、やはり愛車はきれいに乗っていたいのである。代わりに改造中でどんがらになっている車屋さんのロードスターのパネルを貸してもらう。同じVスペ・ネオグリーンだからできる技だ。快く貸してもらえた車屋さんの心意気に感謝することしきりである。

 この車屋さんのロードスターは、近くのサーキットのあるカテゴリーで一番時計をたたき出すほどの異常な速さ。GTウイングにフロントバンパーのカナード、黄色いセンターストライプ。形だけ同じになっただけだが、なかなか誇らしい気分になるものである。午前中で付け替えて作業をお願いし、夕方から用事があったので、隣町の豊橋市に向かう。

 豊橋は富山から見ると、岐阜県をはさんだ愛知県の南端の街である。日本海側から太平洋側へ突き抜ける形。おもむろに国道41号を走り、高山へ。国道156号を走って東海北陸道飛騨清見インター。名神に至り、東名豊川インターで下りる。目的地までドアツードアで300km。近い。

 ここの道中でGTウイングの威力を知る。雨降りで路面は完全ウエット。コーナー中に感じる不安感が違う。ステアリングの手応えも違う。思わず顔がにやけてくるのである。これはすごい、と。間瀬のバックスストレートでもう少し踏んでいられる余裕ができるに違いない。ストレートスピードが若干殺がれることを考えても、1秒くらいは上がりそうである。

 日曜夜の松本までの250kmほどの高速道中はもっと感動した。完全ドライなので多少の無理が利く。走った人なら分かるだろうけれど、恵那山トンネルを抜けた後のコーナー連続区間で違いがはっきり分かる。ハンドルの手応えが違う。いつもなら接地感がなくて怖くなり、アクセルを抜いているところでがんがん踏めちゃうのである。

 ああ素晴らしきGTウイング。