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8月23日

 信州日帰りドライブでかなりダメージを受けた体を引きずりつつ、毎週行くことになった市場へ向かった。

 仕事を終えて、最上階でメシを喰らう。仲買業者の入ったビルの食堂なので、なかなか良いメシが食える。今日は、和牛のたたきであったので、喜んで喰らう。

 さて喰らおうと、テーブルに着く。食堂に置いてあるテレビではニュースがやっていた。ぱちんと箸を割って、さあ食べよう、と思った瞬間、「国内5頭目のBSE(狂牛病)が発見された問題で…」というニュースが。まさに箸にたたきの牛肉をつまんであんぐりと口を開けていたそのときであったので、一瞬フリーズしてしまった。

 そんなこと気にしていたら、何も食べられなくなる、と若干のためらいの後すべて平らげて、やはりうまかったのである。異常プリオンごとき、僕の胃液で消化してやるのだ。不幸にも脳みそがスポンジ化してしまったらそのときだ。もしかすると、若干スポンジ化しかけたときの方が頭が良くなるかもしれない。

 さんざん喰らってきたポテトチップスだって最近になって発がん物質が含まれている、という説が出てきたのであるし、喰らうという行為をするには覚悟するしかないのである。

8月22日

 しばらく来ないかもしれない、などという思いを抱き、後ろ髪を引かれつつ去ったはずなのに。

 信州に行ってしまった。しかも仕事で。やはりこの時期の信州は格別であるので、行きたくて仕方がなかったから、仕事を作って行くことにした。塩尻と長野に用事を作ったのである。本当は電車で行かないといけないのだが、ロードスターで向かうことにする。9時の約束であるので、かなりマージンを取って、5時すぎに開幌状態にして出発した。秋めいた気候の日の出直後の空気は気持ちがよい。

 尾張旭から多治見に抜ける道の途中、田んぼ道をショートカットしようと思ったら、道を青空色デミオがふさいでいた。T字路になっており、ブレーキをかけ損ねて直進し、ドアンダーを出して水路の土手に車体を落としていた。強引にバックしようとして、辺りはタイヤスモークが充満している。

 運転手はおねえさんであった。だから、というわけではないけれど、放置するわけにもいかず、ロードスターを止めて、「押しますか」と申し出る。とりあえず、車に乗ってもらい、ドアンダーのまま切れたままになっているステアリングを元に戻してもらってバックさせる。助手席のドアを勝手に開けて、Bピラーを肩で押す。2、3度思いっきり押したら素直に脱出した。

 こんな場合、陳腐な物語であれば、

 「お名前は…」

 「名乗るほどのものじゃございません」

などと、頭蓋骨の裏がかゆくなってくるようなセリフとともに愛が芽生えるのかも知れないが、現実は甘くない。約束の時間があるのだから、邪魔であった車がどけばさっさと出発するしかないのである。「それじゃ」という言葉を残してロードスターに乗り込み立ち去る。

 多治見から中央道へ。少々時間が早かったので伊那インターで下り、国道153号で塩尻に向かう。9時、レタス畑が広がる洗馬という地域に到達した。松本に4年間いたけれど、この地域はあまり来たことがなかったので、ちょうどよい機会であった。

 名古屋でさえ秋のような涼しさであるのだから、松本ではまぎれもない秋の気候であった。北アルプスの稜線は早朝から湧いて出てきた雲に隠れて見えないけれど、空気の透明度が高くて白馬の方まで見えそうなほどであった。

 仕事を終え、奈良井川の堤防に沿って松本に向かう。ちょいと用事をすませて、行ったのはかつてのホームコース。一往復だけして、長野に向かう。

 せっかくだからと、近くの松本インターではなく、麻績インターに向かって筑北の風景を楽しむ。なかなか良いコースである。7月には「次はいつ来るのだろうか」と深刻そうなため息をつきながら走ったものだが、1カ月で再び戻ってきてしまった。感慨もへったくれもない。

 長野で用事をすませて、再び松本へ。せっかくだから、良くしてくれた人たちに顔を出して、いつも一緒に酒を喰らっていた松本の仕事場の人と韓国料理を食べて、帰宅。

 総走行距離は550キロぐらいか。明日も朝から仕事である。今の残っている体力から考えると、電車で行った方が良かったかも。

8月21日

 松本の仕事場にデジカメの画像を満載したコンパクトフラッシュを忘れていたのが郵送で届いた。引っ越しの様子が写っていて、ちょっとおもしろかったのでご紹介をば。

 引っ越しで一番悩ませたのは、大量の車とパソコン雑誌に、新聞紙であった。雑誌も束にしたら10束近く。新聞は、何と3年半分!もたまっていたのだ。異常な量をため込んでしまって、反省することしきりなのだが、ずぼらをしたのではなくてスクラップをしようと思って取っておいたのである。ま、スクラップをさぼったのだから、結局はずぼらなのだけれど。

 きちっと束ねてあるからそれほど大変な作業ではなかったのだが、古紙回収業者に持ち込もうと、手放す前日のジムニーをこき使ってすべてを積み込んだ。あまりにも圧倒的な量で笑える図あったので、デジカメに収めておいたのだ。そのおかしな光景はこれだ!

 いや、本当に反省をしてしまった。後部座席を折りたたんで荷台にしてあるから、奥行きは1メートルほどある。高さも1メートルぐらいあるから、ものすごい量である。

 これだけで驚いてはいけない。荷台だけでは積みきれなかったのである。仕方なく、助手席に積み上げた。

 なんとかミラーの視界は確保したが、危ないことこの上ない。少しでも急な動きをすると、新聞紙が僕の方に雪崩を起こしそうで、古紙回収業者までの道のりは、かなり背筋が寒くなった。

 結局、新聞紙はただで引き取ってくれたものの、雑誌は1キロ5円かかるという。新聞紙をおろしておいて車重ごと量り、雑誌を下ろしたら差し引き100キロ! 500円取られてしまった。

 ちりもつもれば山となる、というけれど、新聞紙も1日1部ためていくと3年半で、ジムニーいっぱいの量になってしまうのだ。自分の愚かしさに反省することしきり。

 なんだか懐かしくなったので、明日は仕事を作って松本に行くのだ。

8月20日

 仕事で岐阜の各務ヶ原へ行って来た。名鉄の飛行場前、という駅で降りた。航空自衛隊の基地があるのである。

 今日はこの地方には珍しく、とてもさわやかで、松本の夏のようであった。空も晴れ渡り、いつもこんな調子の空気だったら言うことないのにと思いながら道を歩いていると、突然の轟音が響き渡った。

 自衛隊のF15であることはすぐ分かった。特徴のある高音の後、ジェット機特有の空気を切り裂く爆音が突然聞こえるから、他の飛行機と聞き分けられるのだ。松本周辺だと、ジェット機は松本空港を発着するMD87しか低空飛行しない。航空路はたくさんあるみたいなのだが、いずれもとても高いところを飛んでいて、音は聞こえない。長野県のあちこちで米軍のジェット機が高圧電線をくぐるような低空飛行をする、という噂は聞いたことがあるが、自分の目で見たことはない。久しぶりに戦闘機の轟音を聞いた気がした。

 大きく右にロールして、旋回していた。そのまま向こうに飛んでいくと、かすかな音だけを残して辺りは静かになる。

 立ち止まって見送って、そのまま少し歩いたら再び爆音が。見上げるも音の方が後から聞こえるから、音の方向とは少しずれた場所を飛んでいる。さっきよりも速度を上げたらしく、うるさい。飛び去ったと思ったら再び飛んできて、4、5回ぐらいぐるぐる回っていた。はっきり言ってあのやかましさは公害である。周りの家はちゃんと二重窓にしているんだろうか。

 用事をすませたら今度は特急を使って1時間半かけて愛知県を縦断し、岡崎に向かった。F15であればあっという間に到達する距離なのに。

8月19日

 最新型だとずっと思っていたMy携帯が、最近調子が悪くなったので大須で買い換えた。酔っぱらって友達と小競り合いして、ストライカーである彼からももにボレーシュートを喰らったら、僕の大腿骨の身代わりになって割れ(素足だったからすごいキック力だ)、穴が開いてしまっており、水が入ったら一発で壊れてしまいそうだったことと、こちらからの声は向こうに伝わっているのだが、相手の声が聞こえなく、斜め45度の角度から渾身の空手チョップを喰らわせてようやく使えるようになる状態だった。よく見れば、塗装もあちこちはがれてみすぼらしい。それほど使わないから問題ないや、と思っていたら、どうも経費節減で会社から支給されている携帯が廃止されるらしい。仕事の電話をMy携帯で受けなければならなくなるので、相手の声が聞こえなくて用件を聞き直さなければならないような故障を抱えているとまずかったのだ。

 型番はN207だ。液晶で漢字が表示できるという強者だ。カタカナだと一発で読めないから便利になったよね、と思って3年近くその最新型を使っていた。

 ところが、携帯売り場でモックアップを見てがく然とした。なんと、カラー表示対応なのである。しかも、桁数が異常に多いし、65536色TFT液晶だ。おまけにインターネットも閲覧可能で、インターネットを経由したメール送信にまで対応しているという。恐ろしい時代になったもんだ。

 冗談はここまでにして、今までiモードの必要性をまったく感じていなかったのだが、あまりにも携帯メールの普及めざましく、出先でいろいろな情報にアクセスできると便利なこともあり、ついに入ってしまった。携帯の種類は良く知らなかったのだが、折りたたみが欲しかったので、並んでいる機種の中で一番小さなものを買った。胸のポケットにすっきり入るのがよろしい。たぶん、みなさんが買う定番商品なんだろう。

 さて、さっそく携帯で我がサイトを見てみた。まったくまともに表示されない。レイアウト最優先でテーブルを多用しているので当たり前か。それぞれのページの分量が半端じゃなく多いから、我がサイトは携帯で見るのには適していない。しかし、掲示板は携帯にしっかり対応していた。これで、出張中にでもしっかりレスができることが判明した。これだけでも買ったかいがあるってなもんだ。

 個人的にやりとりするメールはとても携帯でちまちま送るような行数じゃないから、メインはパソコンのメールになるけれど、簡単な打ち合わせなんかには携帯の方が便利。月、いくらぐらいかかるんだろう。

 たとえば、「日常」だけ、携帯対応版も作ったら、その労力に見合うぐらいの需要はあるんだろうか。

8月18日

 土曜日、富山のサーキットに行ってきた。富山の車屋さんが新足回りをテストする、という情報があったので、行き当たりばったり行ってみたのだ。何しろ、慣れない環境に突入してしまい、自覚はなくても疲労がたまっているかもしれず、寝過ごしてしまう可能性が高かったので、富山の関係者に事前予告はしなかった。ごめんなさい>関係者。

 午前5時に何とか目が覚めて、やはり走れるぞ、と思うと多少体がだるくてもきびきびと動いてしまった。東名阪大森インターから清洲東まで行き、国道22号で名神一宮インターへ。東海北陸自動車道に乗り、北上する。地図も積んでいないし、岐阜の地理もあまり詳しくなかったので、荘川インターで下りてしまった。終点の清見インターで下りれば、かなり近かったのだが。

 国道をぶっ飛ばし、清見インターをすぎて、古川へ向かう峠道を走る。長野県では考えられないような良い道。2、3キロあるトンネルもざらにある。ツーリングには少し不満だけれど、目的地に早く行くためには良い道である。国道41号に合流し、国道360号経由で再び41号へ。大沢野から八尾へ向かい、サーキットに到着。6時前に出て、8時半すぎに着いたから、2時間半ちょっと。高速を使うから、松本から行くのと大きくは違わない。下道だととっても遠いけれど。

 やはり夏はサーキットを走るもんじゃない。体は何とか耐えることができても、車が音を上げてしまう。1周目を軽く流して2周目から本気で、3周目あたりには水温が100度近くなり、4周で100度を超える。5周目では水温が105度前後。タイヤも怪しくなってきて、ピットに入ることになる。5周走って30分休憩の繰り返し。今の仕様では水温が上がりやすくなっているせいもあるけれど、ぜんぜん走ることができない。タイムもさっぱりである。ま、タイムが出ないのは腕によるところが多いのだろうけれど。

 最後にテスト車両を運転させてもらった。13k11kのバネにSタイヤ! Sタイヤのドライブは初めてだったので、期待満々である。

 一言で言い表せば、「別世界」。考えられないスピード、横Gでコーナーを曲がってゆく。コーナーによっては、ブレーキがいらないんじゃないかと思うぐらい、ハンドル操作だけでぎゅっと向きが変わる。クリップまでまだまだ距離があるのに、アクセルが全開にできてしまう。根本的に走り方を変えないと対応できない。エンジンが「当たり」のNBであったこともあり、「速えええぇぇぇ」と叫びながら走っていたら、やはりタイムも自己ベストより1秒以上も速かった。

 自分でいろいろ試行錯誤してようやく出したタイムも、速い車に乗ったらあっという間に塗り替えちゃった。セッティングがきちんととれた足回りにSを履けば、恐ろしい世界が待っている。ま、結局はタイムはお金がモノを言う世界なのかも知れない。速いぞ欲しいぞNB+Sタイヤ。

 無論、へたくそな僕はまだまだ相棒のNA6CE+ラジアルで走り込むのである。

8月16日

 仕事をさぼって夕方、名古屋の大須に向かった。中部地方では一番大きな電気街である。

 まともに歩いたのは何年かぶりなのだが、大変な変貌ぶりに驚いた。パソコンショップは戦国時代で、中小のショップが乱立している。怪しげなパーツ屋やら、同人誌系のショップやら、中古ソフト屋やら、雰囲気は小秋葉原である。あそこまで異常じゃないけれど。

 マイコンテックやコムロード、、中京パソコン、パソコン系にめっぽう強い本屋「三洋堂シグマ」など、老舗はきちんと残っていた。考えてみると、10年以上前から営業しているのだから、この激動の時代の中、良くやっている。九十九電機は秋葉原が本店か。DOS/VパラダイスやらTWOTOPやら、秋葉原発祥のショップが数多くなった。

 名古屋の地元で発展したショップと言ったらやはりグッドウイルである。昔は大須の界隈だけで小さな店舗ばかり10店舗ぐらいあったのだが、今は統廃合が進んでいるらしい。5年ばかり前に大きな5階建てぐらいの情報百貨店というビルを造ったのだが、ほんの少し奥まって場所が悪いからか、ゲームソフト館に変わっていた。その代わり、現在のメインストリートと言える場所に、どぎつい看板をビル全体に張り付けたような、趣味の悪い建物ができていた。半地下にカフェのようなスペースが設けてあって、奥にステージが設けてある。2階は普通にパソコンやらデジカメやらを売っている。3Dシネマなんかもあって、ちょっとしたアミューズメントパーク。パソコンショップも人集めのためにいろいろ考えるもんだ。

 また、紛らわしい名前なのだが「アメヨコビル」という小さな家電屋さんを集積したビルがある。第1と第2があり、4年ぐらい前まではご時世に乗ってパソコンショップが増えていった。第1アメヨコはあまり変わっていないようだったが、第2アメヨコでパソコン店が減っていた。代わりにプラモやらモデルガンやらを売るホビーショップが入っていたり、イベントスペースになっていたりと様変わりしていた。ま、ぐるりと一回りしたけれど、大須の商店街一帯が、寺やお稲荷さん関係のアダルトな街から、若向けの街へと加速度的に変わりつつあるので、パソコンばかり売っているよりはこの方が儲かるかもしれない。まあ、このビルの1階にあるICや配線を所狭しと並べた電子パーツ屋はまだまだ健在だったから、昔ながらのちょっと怪しげな雰囲気は残っているのだが。

 名古屋では名高い質屋の「コメ兵(こめひょう)」もパワーアップして、広大な売り場面積を誇っていた。中古品のカメラを物色するも、まったくお得じゃない。新品で買った方が補償が付いているので得なくらいである。

 何よりも、パソコンの中古パーツを扱う店が大幅に増えているのに驚いた。さらに、その値段の高さに驚いた。はっきり言って、価値の変動の激しいパソコン業界で、中古屋をやるほどハイリスクなことはない、と思っていたから、ちゃんとやっていけるのか不思議に思った。デスクトップのパソコンを作るとして、すべて新品でパーツをそろえたって、1、2万円しか変わらないぐらいの差しか付いていない。デジカメに至ってはCCDの性能とコンパクトさとスピードが日進月歩で上がっているのだから、3万円以上の値段が付いていたら買う気など起こらないのに、そんなものばかりがごろごろしている。人気の高いIXYDIGTALに至っては最新型の新品とそれほど変わらない値段なのである。多くの店がそのうち大損をするとみた。生鮮食品を扱うように右から左にものを動かさなければ、儲かるわけがないのである。在庫としておいた途端、価値の減少が始まる。

 大須の商店街は、お寺とパソコンショップと高齢者とオタクがごった返していたヘンテコな街から、若向けの街として生まれ変われつつあった。おもしろい街になっていきそうである。

8月15日

 まだ異動したてなのに、無理矢理仕事を早めに切り上げて、奥三河に向かった。お盆で親戚が集まっているので、晩飯だけ食べに行ったのだ。もちろん、明日は仕事である。

 片道70キロちょっとのワインディングロード。天気が悪く、雨と雷の中を猛スピードで走っていく。さすがに雨の時よりはペースが落ちるし、無理がきかないので少々緊張する。丁寧に車の向きを変え、いかに早くアクセルを全開にできるかを考えながら走る。

 午後6時に尾張旭に帰宅。出発時に給油して、計1時間45分かかって午後8時前に到着した。なるべく裏道を使ったのだが、時期が時期だけに、道が込んでいる。

 みなさんと夕飯を喰らった後、向かうのはやはり盆踊り。翌日の体力を削ろうが、ボンダンスである。歌を叫びながら踊り狂う。帰ってきたら日付が変わっていた。

 松本にもボンダンスがある。「松本ぼんぼん」という20年ちょっと前に強引に作った踊りだ。

 これが大嫌いで、4年間松本にいて、たぶん5回チャンスがあったのだが一回も見に行かなかった。これは僕の誇りである。

 新しく踊りを作って名物にすることは異論がない。しかし、歌がアニメソングなのだ。情緒、というものがない。CMソング、とまでおとしめてもよいかもしれない。ヤマダ電機の宣伝ソングのような、しょうもない歌なのである。やはり、ボンダンスには情緒は必要だ。

 さらに、松本には「ぼんぼん」という風習がある。女の子の風習で、8月の最初の週ぐらいに、小学生ぐらいの女の子がきれいな浴衣を着てちょうちんを下げて、哀愁ただよう「盆歌」を歌いながら街を練り歩くのだ。江戸時代以前に始まり、昔は全国にあったという風習も、松本以外に数カ所しか残っていない、貴重な伝統なのである。それを冒涜するような「松本ぼんぼん」は、気に入らなかった。

 こんなくだらないことを書いているうちに、明日は午前10時までに仕事場に行かねばならないことを思い出した。すると、午前6時前には起きなければならないのか。

 睡眠時間が5時間ちょっとしかないことに今ごろ気づいて、狼狽した次第である。

8月14日

 世間はお盆の休みらしいのだが、そんなことはまったく関係なく仕事である。しかし、世間は休みであるので、仕事は若干しにくい。

 今日は、不老町という名前のごとく、若者ばかりが集まるはずの場所へ出かけた。この時期はゴーストタウンのようになってしまうのだが。そこへ行って、こんなお盆の時期にもかかわらず、どこにも行かずに暇をしている人と会い、さまざまな話を聞いた。喫茶店に入り、実に3時間半もあれこれ話していた。仕事をやる上で、hとっても参考になるというか、方向性を指し示してくれる人である。

 両親は実家に戻っているので、家に帰ってもご飯が置いていない。だから、というわけでもないのだが、仕事場の人とメシを喰らいに行った。アルコールが入るのは言うまでもない。

 そうこううっかりしているうちに、ダイエットすらすることなく、横幅がどんどん広がっていってしまうのかも知れない。

8月13日

 なぜか週に1、2度、名古屋市の中央卸売市場に行くことになってしまった。

 今日は2回目なのである。朝7時前に到着すると、活気のあること! お盆休み前ということもあって、ものすごいにぎわいであった。野菜を満載した軽自動車がびゅんびゅん行き交い、標識を付けた帽子をかぶったおっちゃんやにいちゃんたちが、早足であちこち歩き回る。うっかりしていると、軽自動車かフォークリフトにひき殺されそうな勢いである。

 今は高原野菜のシーズンだ。積み上げられた段ボール箱を見ると信州産の野菜の何と多いこと! 4日に野辺山あたりを走ったとき、一面のレタス畑の中を、かごにレタスを満載したFORDの巨大なトラクターが走り、集荷場でそのままトラックに積み込んでいた。あそこで採れたレタスたちが、遠く離れた名古屋の市場の冷蔵庫の中に眠っているのだ。秋が近づくと、塩尻の洗馬のレタスが出回るんだろう。その他にも伊那谷のアスパラガスやシメジなども大量に並んでいた。

 仕事を終わらせて、10時まで市場で時間をつぶす必要があったので、食堂に入ってネギトロ丼を喰らった。750円だが、大量のネギトロが入っており、朝飯と言うよりは晩飯、という雰囲気である。市場だけにお得でうまい。

 お昼も市場で市場関係者と食べた。控えめに食べようと、うな丼を選んだら、市場関係者が「これも食べろ(名古屋弁でこれも食べやあ)」と長さ25センチはあろうかという巨大エビフライ(名古屋弁でえびふりゃあ)が2匹入った、豪快なお皿を僕のお盆の上に置いた。心の中で「ちょいとあなた、朝もたくさん食べたのにこんなに食べられないよ!」(名古屋弁でおみゃーさん、こんなにぎょーさん食えすか!)と思うも、そんな失礼なことは言えないのでにこにこして食べた。昼飯、と言うよりは晩飯、という雰囲気である。

 市場関係者曰く「エビなんてダイオキシンがたくさん入っているんだよ」と親切に教えてくれる。東南アジアのどこか産だと思う。泥の中にすんでいるだけに、一番影響を受けやすいのだとか。「うなぎはどうなの? これたぶん中国産ですよね」と聞くと「ダイオキシンは大丈夫だと思うけれど、水銀だね!」と教えてくれた。「エビフライやウナギを食べてコロッと死んだ人はいない!」と自分に言い聞かせてぱくつくものの、やはり市場だけにうまいのでご機嫌に平らげてしまった。

 だから午後ははち切れんばかりのお腹を抱えて仕事。「今日は晩飯を抜くぞ」と心に誓う。

 夜になり、兄から「メシ食べたか」と電話が入る。せっかくの機会だから一緒に食べに行くことに。行った先は、何の因果か鮮魚を食べさせる店である。再び魚関係。見るのも嫌だと思ったのだが、これがいけすからたもですくい上げて、すぐさばいたとっても上等な刺身ばかり。文字通り角が立っている刺身なので、喜んで喰らってしまった。

 だから、今日は朝から魚関係の晩飯を3回食べてしまったのである。体重のことは考えるまい。