田中康夫の独裁政権が誕生してしまったようである。
一連の流れを見ていると田中康夫の政治センスには感服するしかない。県議会の議員を挑発してあえて不信任案を出させて、失職を選んで選挙で当選する。これは、最初から彼の描いたシナリオ通りである。
170万の有権者がいる一つの県が一つの選挙区となるような知事選だとこのご時世、候補のイメージをいかに作るのかで勝負が決まる。当選のバンザイを朝日村のスキー場でやったことからも分かるように彼のメディア操作、というかいかにイメージを作り出すか、という才能は舌を巻くばかり。改革の騎手vs守旧派というイメージをマスコミを通じて見事に有権者に植え込み、取った票は80万。立候補を受け付けるときに冗談で言いふらしていたのだが、彼に勝つなら田中真紀子をつれてきて「田中対決」をさせるぐらいしか手はなかった気がする。真紀子さんが「あんな男はダメ!」と言い切ってしまえばもう少し善戦できたんじゃないかなあ。さすがに真紀子さんが今更出てくるわけがないから、ただの馬鹿話でしかないのだけれど。
いくら共産党の組織票が10万票近く転がり込んだとはいえ、得票率6割強、対立候補の倍を獲得してしまったのだから、もう県議会の皆さんは彼に何も言うことができない。「民意我にあり」の一言で、いくら文句があろうとも黙っているほか無いのである。少なくとも来年4月の統一地方選で県議が選挙で選ばれるまでは、何も言うことができない。これを独裁政治と言わずに、何と表現すればよいのか。
彼の独善的な手法のまずさは、きちんと地元新聞などを通じてウオッチしていればいくらでも知ることができ、それこそボロがぼろぼろ出てくるのだけれど、普通の人は、彼が知事としてなにをしていようがまったく利害関係もなし、知ったことではないのである。それが、ダム中止だの不信任案だの、失職だの、節目ごとにテレビや全国紙の1面社会面が騒ぐ。節目にはだいたい中央のキー局の「敏腕」記者がやってきて、まさに「改革の騎手vs守旧派」という安易な構図で、彼にまつわる問題をとらえていく。彼の思惑通りの像ができあがってゆく。
昔のように差し迫って困ったことはなく政治が何とかしなければならないことも少ないから、知事選なんて一つのエンターテイメント。有権者にマスコミを通じてイメージを植え付けた者の勝ちなのだ。
政治家として票を取る、という能力には本当に感心するけれど、長野県の行く末を考えると、これでよいのかな、という思いもある。何せ、あと2年半で任期が終わっていたのに、4年になってしまった。彼は「破壊者」だ。壊すだけ壊しておいて、何にも創り出さないのではないか、という不安がある。目新しいことをやっているように見えるけれど、彼が新しく打ち出した政策って、どこかで始まっていることの焼き直しが多いんだよね。
選挙で勝ったのだから、僕がこんな馬鹿げた独り言を書いている方が間違っているのである。何よりも有権者の判断が一番貴い。けれども、割を食うのも有権者であることを忘れちゃいけない。