未分類

2月6日

 とっても行きたいと思った「ロドまつ」に行けなかった。だって、朝4時まで麻雀打ったし(やはり負けた)、大雪で富山が埋まっていたから、無理! けれども、知人がこのイベントでサーキットに初挑戦したようだったので、アドバイスを記した。それが下記の通り。

ロドまつ

 

まさ 雪で埋もれていて、行けませんでしたわ。だったら、ブレーキでもオーバーホールしようかと思ったら、車が雪で埋まっていたので、無理。ぶるぶるふるえながら、自分で組んだチューニングエンジンをばらしていました。

 走りは、最初から最後までブレーキングです。まずはね、どかんとブレーキ踏んで、ロックさせて煙りあげながら止まる。それを覚えたら、今度は煙が上がらないように調整して止まる。それができたら、すでに中級者ですぜ!

まさ アクセルもね、それなりに大事でね。車を運転する多くの人が、例えば時速60キロで走ろうと思ったら、アクセルを踏んで、離して、踏んで、離してを繰り返すんです。で、離すときにはぱっと乱暴に離すの。

 どんなときでもアクセルをそっと踏む。そっと離す。一定のスピードで走るときはアクセル開度は一定。それができたら、すでに中級者ですぜ!

2月5日

 つぶやいていたら仕事にならないね。

masa_na6ce: 小沢さんの問題をめぐるA紙の伝え方がすごかった。検察側がどう見込みを持って捜査にあたり、どうして小沢さんまで伸びることができなかったか、つぶさに書いてある。逆に言えばそれだけ。
2010年2月5日、10:40:46

masa_na6ce: M紙は検察の強大な権力の行使のあり方をちょこっと批判しているのと比べると「?」が付く。Y紙は小沢さんまで伸びられなかったという事実が淡々と書いてある。
2010年2月5日、10:44:12

masa_na6ce: たぶんA紙は相当この問題で力を入れていて人もつぎ込んだし、他紙を先行していたんだろう(マスコミの基準で)。で、これまでの集大成を時系列に整理して載せた、と。そこまで食い込んで検察側の意図を書けちゃうのはスゴイ、といえばスゴイ。
2010年2月5日、10:46:58

masa_na6ce: けれども、小沢さんの権力が強大ならば、検察も強大。「国策捜査」と揶揄されたみたいに、そのときどきをときめいている人たちを社会的に殺してきた歴史を見れば、検察側にも釘をさす記事がほしいところ。
2010年2月5日、10:49:27

masa_na6ce: 結局ね、検察は社会部だし、民主党は政治部だしとセクショナリズムがあってなかなかバランスの取れた記事ってできにくい。普段は社内でお互いが競い合っている面もあるので、なかなか一致協力して見識のある紙面にしよう、とはなかなかならない。日々の締め切りもあるし。
2010年2月5日、10:55:01

masa_na6ce: それに、小沢担当であればそれこそ1日中付いて回るし、検察担当ならば、夜討ち朝駆けをしていて、仕事のほとんどの時間を接する形になる。マスコミの記者はだいたいが、担当しているところに甘くなる傾向がある。悩みとか内幕を知っているし、一緒にご飯とか食べていたら仲良くなるじゃん。
2010年2月5日、10:57:27

masa_na6ce: どちらかと言えば仲良くなっておこぼれ頂戴、という下心があるから、なおさらのこと甘くなる。厳しいことを書くと「出入り禁止」も喰らうから、手なずけられている面も。
2010年2月5日、10:59:14

masa_na6ce: 政権交代で記者会見のオープン化が進んで、フリーのジャーナリストでも国の中枢にアクセスできるようになってきた。これまでできなかったのか、といえば、記者クラブという壁があってアクセスできなかったのね。大臣クラスに単独インタビューとか、クラブの了承がなければできなかった。
2010年2月5日、11:02:36

masa_na6ce: それこそ、twitterで記者会見の内容がリアルタイムで出るような時代になると、マスコミの優位性の一角は崩れることになる。
2010年2月5日、11:06:24

masa_na6ce: 時間はちょっとかかるけれど、今は国とか県レベルであれば、トップが記者会見すると内容が公開されるから便利な時代になった。
2010年2月5日、11:08:20

masa_na6ce: 便利な時代にはなったけれども、記者会見っていうのは公式の場であってそこで出る発言は表向きの「建前」みたいなところがあって、本音はなかなか出にくい場なのね。OFFの場のぶら下がりで本音まで取材して、それを勘案してバランスのある記事を書いていた面がある。
2010年2月5日、11:13:03

masa_na6ce: オープン化は進めるべきだけれども、それ以外の取材は答えない、本音は言わない、ってことに事態が進むと、「建前」社会にならないか、ちょっと怖く思う。
2010年2月5日、11:15:28

masa_na6ce: 「法令に違反した」「基準に合致していなかった」とか、形式上だけで物事をとらえて、「悪い」と決めつけてしまう。不当にだますとかもうけるとか、そういう意図はさらさらないのに形式だけが一人歩きしちゃう。
2010年2月5日、11:19:58

masa_na6ce: 一時期あった食品回収騒ぎもそうだったし、今回の朝青龍の事件だって、「知人」ってどんなやつだよと思う。真実が良く分からないのに、本人も訳が分からないまま引退が決まっちゃった。
2010年2月5日、11:21:49

masa_na6ce: 社会全体でみれば損失な気がする。だいいち、品格品格というけれど、品格ある生活を送っている人がどれだけいるんだよ、と。
2010年2月5日、11:23:29

masa_na6ce: コンプライアンスなんて言葉が出てきたころから、社会が変わってきたのかも。法令とかの形式を守ることは大切だけれども、形式は往々にして時代遅れなわけで。どういう背景でそういう問題が起こったのか、実質はどんな事件だったのか、というところを一生懸命追求しないままの報道や謝罪が多い。
2010年2月5日、11:28:15

masa_na6ce: ネットで報道がリアルタイムで出ていることも影響しているかな。デスクから「おい、あちらでこんな記事が出ているぞ」と怒られてあわてた記者が、事実を確認しただけで記事化。結果、メディア全体が同じ論調になってしまう。(反省)
2010年2月5日、11:36:19

masa_na6ce: コンプライアンス社会は記者の仕事の仕方にも影響を与えていて、どちらかといえば「夜」とか「裏」の仕事こそ、特ダネを書くために必要だったのだけれども、表向きの記事を垂れ流して終わっている人が多いんじゃないかなあ。
2010年2月5日、11:39:13

1月31日

 今日は仕事なので、松本から出勤。松本から富山だと、国道158号から安房トンネルを通って神岡へ抜けるのが距離的には短い。高速だと長野道で長野へ抜け、上越から北陸道、とまるまる北アルプスを迂回する形になって距離がほぼ倍になる。

 以前ならば当然のように下道で帰ったのだけれど、今は土日高速1000円。下道で帰ると安房トンネルで750円払うことになって、なにやら訳の分からない感じになるので、時間が完全に読める高速で帰ることにする。ガソリン代は倍になるけれども、まあ、会社に負担してもらおう。

 富山の雪はほとんど解けてしまったのだが、長野もそうみたいで、ほぼ雪はない感じ。中野ぐらいから残雪が増え始めて、飯山ぐらいになると、普通に路肩の斜面が白い。そして、飯山からトンネルを抜けて妙高高原側に抜けると、突然雪国になるのだからびっくりする。上越から妙高へかけては本当に雪国って趣で、路肩にはうず高く雪の壁がある感じ。

 標高で言えば長野が高いし、日本海側ということならば富山もそう。地形なのだろうか、ちょこっとした加減でえらく雪の降り方が違うものだな、と実感する。

 びゅーんと帰って、ちょこっと時間があったのでT.O.R.F.へ寄ってゲームをやって、仕方がないから仕事をこなした。

1月30日

 初任地の松本で大変世話になった人が実に36年!の勤めを終えて退職されるというので、慰労会に顔を出した。お酒を飲むに決まっているのだから、定宿の駅前エースインに宿を取り、午後4時半からの開始のところ、ちょこっと前に松本の街に繰り出す。

 駅前の繁華街から伊勢町へ。大名町から松本城へ、と歩きかけて、六九商店街がどうなっているかが気になって、そちらの方向へ。長野銀行のでっかいビルが建ってなんとなく新しい街になっている感じなのだけれど、僕の知っている六九商店街はアーケードがあって、音楽スタジオがあって、昭和の香りを感じる場所だったのだけれども、まったく面影がなくなっていて、ショックを受けた。

 傷心のまま、西堀方面へ。ふれあい通り?だったか、そんな優しい感じの名前が付いていて、まったくイメージチェンジしていた。いかがわしい飲み屋街だったのだけれどもメーンストリートからは少なくとも面影が見えず。ちょこっと横道にそれると、昭和どころか「大正?」という感じの通りが現れるのだけれども。僕が松本にいるとき、大火事があって、大分いかがわしい街並みの「力」が失われてしまった。

 縄手通りを歩いて、そこから路地を通って会場の松本ホテル花月へ。

 飲みまくって2次会へ。駅前で再び飲みまくって(拘束されて)ようやく駅前のバッカスへ。元上司と、本気の仕事話を繰り広げる。

 で、戻ってきてこんなくだらない日常を書いていたりして。全く内容がなくてすみませんでした。

1月28日

 JR富山港線というのが、4年ほど前まで走っていた。富山駅を起点に、神通川右岸をほぼ北進し、岩瀬浜まで結んでいた。が、車社会の到来で利用客が低迷し、儲からないから運行本数を減らし、さらに利用者が低迷するという悪循環。富山ライトレールに生まれ変わる直前は、1時間に1本の運行。

 そういう状況の中、持ち上がったのが北陸新幹線に向けた富山駅の高架化計画。JR北陸本線のほかに、高山本線と富山港線が入っている富山駅。高架化するとなると、とりあえず、今走っている線路を別の場所に移しておいて、高架橋を造らなければならない。でも、富山駅の周辺は一応都市でビルが建っている。3本の路線の仮線をつくるとなるとそれなりの土地が必要なわけで、さてどうしようか、という話になる。

 普通の人の発想ならば、1時間に1本しか走っていない路線のために高架橋みたいなでかい構造物の規模を大きくするのは馬鹿馬鹿しく感じる。「どうせ利用されていない富山港線は廃線にして、空いた土地を仮線用地にすれば?」というところに落ち着く。廃線跡はバスレーンにでもすれば良い。ごもっとも。使われていない鉄道なんて無用の長物なんだから。

 ところが、富山港線は違った。発想の大転換。富山駅が高架駅になるのだから、富山港線も富山駅接続部分は高架化、というのではなく、「駅付近だけ、路面電車にすれば?」と発想した人がいた。駅接続部分を既存の道路に沿った路面電車とすれば、駅付近の富山港線部分は空き地になる。その空き地を活用すれば北陸本線や高山本線の仮線用地をひねり出すこともできるし、富山港線向けに高架橋を造る必要もない。なんと合理的!

 富山市がJRから富山港線の施設を払い下げてもらって路面電車部分を整備するという「上下分離方式」(19日付日常見てちょうだい)で、かっこいい車体が初めて富山にお目見えした。

 これね。富山ライトレール。愛称ポートラム。市内線の古い路面電車が、ががががが、ぴしぴし、ごーっと走っていくのとは違ってほとんど無音。古い電車は段差がものすごくて、おばあさんがよっこらしょっとよじ登る感じだったのだが、低床車両なので、とことこと乗り込むことができる。

 車社会の富山で「どうせ乗る人いないだろう」と見られていたのだが、15分おき(ラッシュ時は10分)に走らせたら便利だということで予想以上の利用者を集め、「公共交通再生の見本」「車から鉄道へ」みたいな感じで喧伝された。

 話題になったものだから全国から視察が相次ぐ。我が町にも導入できないかと。しかし、多くの人が、見に来て「うちじゃあだめだ」と首を垂れて帰って行く。

 だって、富山港線がもともとあって、最後の1.1キロだけ路面電車にしただけだもの。多くの都市が都心に入るルートを路面電車にしたいわけだけれど、「既存の道路に路面電車を造ったら、余計に渋滞がひどくなる」といった理由で導入できない。

 富山の人10人に聞いたらたぶん10人とも「ここは車がないとなにもできん」と答える。車依存が平均以上に激しい県なのだ。その中で、電車に力を入れるのはとても良いことだとは思うけれど、実態以上にもてはやされている面もなくはない。

 セントラムにしても、もともとある路面電車に1キロ新たに敷いただけ。しかも単線。もともと路面電車のインフラがあったからできた芸当なのだ。「客寄せパンダ」的な時期が過ぎて、どれだけ利用されるのか。これから正念場を迎える。

 北陸新幹線が開通するのが2015年春ぐらい。そして、2、3年かけて、今度は北陸線を高架にしてようやく事業は完了する。そうして、富山駅が完全に橋上駅になったところで、ポートラムとセントラムがこんにちは、をする。そう、駅北、駅南で分断されている路面電車を駅の下をくぐってドッキングしようという構想があるのだ。

 最低でも7年後のお話なのだが、これだけめまぐるしく状況が変わる世の中、路面電車の評価はどうなっているんだろうか、と何となく心配。

1月22日

 木曜日に東京で仕事だったので、せっかく行くのであれば、職探し中の友人Kを激励しなければなるまい、と水曜日の最終の飛行機で羽田へ。7時半発の飛行機だったから8時半には到着して9時半には飲み始められると思っていたのだが、「羽田が込んでいる」という理由で飛行機は8時20分前にようやく離陸。9時20分に到着したので、新宿で落ち合ったのが10時半だった。

 ラーメンを食べて友人Kがセレクトしたゴールデン街のバー・プラスチック・モデルへ。80年代な雰囲気はホームページを見てもらうことにして、友人Kとマスターが繰り広げる意味不明な会話に耳を傾ける。

バー・プラスチック・モデル

 映画評論家・町山智浩さんがこのバーに来て、いろいろな話題で語っている様子を600人が見守っていたという。終わったのが朝5時。?????

 後でいろいろ学んでみて、こういうことか、ということが分かった。町山さんが使ったのがUstreamという仕組みで、iphoneを使って店内で語っている様子をネットにアップ。twitterを使ってライブストリーミングを始めたことを告知して、酒を飲みながらの談義を600人が見守ることになった、と。時代というものは進んでいるのだ。

 友人Kの勧めもあって、twitterのアカウントを取ってみた。ただでさえ時間がないのに、そんな時間が取られそうなものを始めたくはない、と思っていたのだが、一連の話を聞いて、とりあえずやってみなければ良く分からない、と思った。

twitterのアカウント

 で、友人Kがフォローしていた鳩山首相だとか、ジャーナリストの上杉氏とか、総務大臣とかをフォローする。町山さんも。

 今日は朝イチの飛行機で富山に戻ってきて、時間があったのでしばらく眺めていた。すると、みなさん、つぶやくつぶやく。自民党の会議の実況中継だとか。なかなかおもしろい。

 そのうち、町山さんがライブストリーミングを始めた。ちなみに、町山さんはアメリカ在住だから向こうからの放送だ。画面の向こうの町山さんは、なぜかピカチュウのレインコートを着て、酒を飲み始める。僕が見た時点で200人ぐらいが見ていたのだが、そのうちだんだんと接続する人が増えていって、300、400人となっていった。

 なぜか映像は無音で、そのうちに携帯で電話を始めた。どういうことかな、と友人Kにメールで聞いてみたら、これからTBSラジオに電話出演をするのだという。

 富山では聞こえない放送なのだが、ごにょごにょとした手順を踏んでTBSを聞いてみると果たして、町山さんが電話出演している。ネットを介しているから、音と映像が同期しているわけじゃないけれど、ラジオなのに、出演している人が生き生きと語る姿が見えるわけだ。ちなみに町山さん、電話だけなのに、身振り手振りが大きくて実に表情豊かに話している(もちろん、Ustreamを意識しているのだろうけれども)。ラジオを聞いている限り、向こう側の人の姿は想像するしかなかったわけだけれど、ネットのテクノロジーで見えちゃうわけだ。

 ストリーミング映像の横には見ている人たちのコメントがずらずらっと流れていく。そのうち、接続者は500人に達した。ラジオと言えば、マスメディアで一方通行(他のメディアよりは受け手の参加している割合が高いけれど)になりがちなメディアなのだが、リアルタイムに参加できるというか、新しいコミュニケーション(みんなつぶやいているだけだから時間の過ごし方か?)の形が目の前で展開されていた。

 もちろん、マスメディアの力で名の通って発信力が高い人だから、twitterのフォロワーも増えるということもあり、町山さんに無名の500人がぶら下がっているだけ(双方向でのやりとりは難しい)ではあるのだけれども、目からウロコというか、リアルタイムに大勢がゆるくつながるという新しいコミュニケーションの姿がそこにはあった。

 で、つぶやいてみているけれども、友達同士でつぶやき合うとしたら「ふう疲れた、今帰った」というつぶやきに「お帰り」と返信するぐらいのもの。そういう意味ではtwitterって無名の人間よりは、名の通った人の方が効果的に使えるツールなのかもしれないね。

1月19日

 富山の市街地に新しい路面電車がお目見えした。

 富山は元々市内線という路面電車が2系統走っている。富山駅を起点に、県庁前を通って富山大学を結ぶ路線と、西町という繁華街を通って南富山駅までを結ぶ路線。南富山駅へは不二越という老舗工作機械メーカーの近くを通ってつながる不二越線という、こちらは路面じゃなくて鉄道が走っていて、けっこう狭い範囲に鉄軌道が充実している。富山の人みんなが口をそろえて「車がないと生活できんちゃ」と言ってほとんど鉄道を利用しないわりには、維持できているのはすごいところだ。南富山からT.O.R.F.方面へ向かう上滝線を利用すると、距離当たりの運賃がものすごく高くてびっくりするが。

 で、新しい路面電車は2系統ある路面電車を新たに軌道を敷設して結び、環状線にした路線。持ち家志向が全国有数で高い県民性で、拡散し切った市街地となってしまった中、「コンパクトなまちづくり」を標榜する富山市長が鳴り物入りで整備した線路だ。線路は市が国の補助を受けて敷設し、運営は富山地鉄でやってくれ、という「上下分離方式」を取っていて、富山地鉄は線路の使用料を払うだけでいいから、なんとか走らすことができる。イニシャルコストの半分(半分は国)とはいえ市の税金を投入して、その後の赤字も面倒見る、ということなんだから、市長がかなり思い切らないとできない方式でもある。

 この路面電車、新幹線が来るから実現した、と言っても過言じゃない。北陸には遅ればせながら、2014年度にようやく新幹線がやってくる。新幹線を入れるためにどうしたらよいだろうね、といろいろ考えて「ウルトラC」的な発想で生まれたのが、上の写真と同じような車両が走っている富山駅北の富山ライトレールなのだが、そこら辺を書いていると長くなっちゃうのでまた後日。

1月18日

 昨日の雪かき。積雪の量は富山の市街地より圧倒的に多くて重労働なのだけれど、精神的には圧倒的に気持ちよかった。

 違いは雪が捨てられること。アパートの駐車場には雪を捨てる場所がないから、駐車場の隣の建物の壁に沿って積み上げるとか、駐車場の奧に運んで山をつくるとかするしかない。動かした雪は目の前から消えず、積み上がっていく。人力だと、積み上げてしまった場所には次の雪は積めないから次はどこら辺に積み上げようか、などと不毛なことを考えながら雪の中でうごめいている感じ。

 T.O.R.F.前には側溝があって、農業用水だから豊富な水量がある。捨てた雪がトイレに流したみたいに、どんどん消えていくのは結構快感で、作業をしただけ目の前から雪が消えていくから精神的にとってもすっきりする。まあ、いくら動いても1円にもならない不毛な作業なことには間違いないのだが。

 水の豊かな富山は県内全体が水田で、網の目のように農業用水が整備されている。田んぼに水を張る春先の水量といったら、かなりの危険を感じるぐらいで、間違っても遊んだりはできない。愛知とかだと、用水にふたや柵をしてしまえ、という話になると思うのだが、富山はそんな話すら出ないのは土地柄の違いか。至る所に凶暴な用水があるから、子どもとか大丈夫かな、と思うのだけれど、子どもが用水で流されたという話はほとんど聞かないから、ちゃんと注意しているんだろう。

 子どもは教育が行き届いていて大丈夫でも、認知症のじいさん、ばあさんにとっては危ない場所みたいで、よく徘徊気味の人が、行方不明になった挙げ句、用水から発見されることが多い。

1月17日

 土日連休と思っていたら、日曜午前に仕事が入ったので仕方なく出勤。テキトーに処理する。改装して広々としたT.O.R.F.店内にてスーツ姿で仕事。迷惑だ。

 昼過ぎに終わってつなぎに着替え、下ろしたチューンドエンジンでもばらしてオイル喰いの原因でも調べようか、と思ったのだが、まずは「自分の車を発掘せよ」との指令が出たので、スコップ片手に雅久号へ。

 雪国で大降雪後に放置しておくとこうなる。今回の雪はさらさらふあふあの軽い雪だった。2、3日たって雪が締まったので、何とか車体は見えるが、降った直後は完全に埋まっていたに違いない。

耐久ドライバーのべいべも「出勤」してきて、自分のNBの幌部分だけを発掘していた。幌がつぶれるかもしれないから。彼の車は掘り出すことは不可能な場所にあるので、幌だけ掘り出す感じ。

 しょうがないから淡々と作業。とりあえず、ドア部分を掘ってエンジンを掛ける。エンジンがかからなかったので、バッテリーが上がったと判断、トランク部分の雪をどけてブースターケーブルをつなぎ、エンジンを始動する。始動させようとしてみたら、ギアが1速に入っていた。バッテリー上がりじゃなかったかも;

 車が出るように通路を掘って、タイヤ付近を重点的に除雪。普通の15インチネオバにビスカスデフなので、案の定少しだけ動いてスタックしてしまった。除雪してまたスタック、を何度か繰り返してようやく車を除雪してある場所まで移動し、車体に積もった雪を下ろす。

 雪の重みでナンバーが曲がる、ドアミラーが下がる、ステッカーがはがれるとちょっとした被害はある。幌でも意外に平気なものだ。

 「雪ガレージ」に収容しておしまい。

1月15日

 雪が降り続いている。

 ただいまの富山の積雪深は50センチぐらい。太平洋側でこれだけ降ったら社会機能が麻痺するだろうけれど、こちらは融雪装置や除雪体制があるので朝早く起きて雪かきと車の雪下ろしをすれば大丈夫な感じ。僕は、仕事場の1階が駐車場なので、そこに車を避難させておけばほぼ影響なし。

 大丈夫じゃないのがアパートの駐車場で、もう少し降り続くとロードスターが埋まってしまう。今ぐらいならまだ大丈夫だけれども、また同じぐらい降るとちゃんと雪を下ろしてあげないと幌がつぶれるかも。雪かきしたらまた降るという無間地獄みたいな行為なのだが、淡々とやるしかない。困るのが雪の捨て場がないことで、駐車場の片隅に積み上げるのだが、雪が解けるころには積み上げた場所だけ雪が残るというのは、なんともまあ。

 平地だからまだのんびりしていられるのだが、これが10キロ南(日本海側だと山側へ向かう)のT.O.R.F.だとだいたい倍の降雪量となる。アメダスで見ると新潟の方がひどいらしく、すたげさんとかが大変そう。

 雪が少なくなっていたのに、思い出したように昔並みに降ると困るのが行政で、たぶん、昔よりしっかり除雪しないといけないからコストがかさむ。当初予算で積んだ除雪費は使い果たして、こちらもほぼ尽きかけている財政調整基金という「貯金」を取り崩して対応するしかない。でも、最後は国が「特別交付税」という「仕送り」で面倒を見てくれるのだろうけれども。

 で、体力的には大変だけれども、うはうはなのが建設業者さん。10年前と比べて公共事業は半分になっているのに業者数は半分にはなっていない。みなさん、とても寒い思いをしていたところ、除雪という仕事が舞い込んできて、とりあえず今年1年ぐらいは乗り切るぐらい、懐は暖まるかもしれない。