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3月5日

 新しい職場(とはいえ、以前いたことがある部署なんだけれど)に初出勤。最初の日なんてどうせ仕事にならないに決まっているわけで、ただ顔見せだけの出勤みたいなもの。のほほんと出かけることにする。

 家から名鉄犬山線の西春駅まで歩いて5分もかからないぐらい。上小田井駅から地下鉄・鶴舞線に乗って会社へ。ドアツードアで30分弱という感じ。2つの路線を乗り継ぐから初乗り料金を2回取られる、と思ったら、ちゃんと割引されていて感心した。

 仕事場で社内LANにパソコンをつなげようとしたらつながらない…。LAN以外にもいろいろ設定が必要な感じなのだが、こういうときに困るのが、会社から貸与されたパソコンを激しく私物化しているということ。何せ、「ガレージ雅」を書いているDreamweaver(8年ぐらい前のバージョン)も、勝手にインストールしているし、ウィルスソフトも勝手に入れ替えちゃっている。いまさら、会社の技術者に見せられない私物化パソコンになってしまっているのだ。

 こういうこともあろうかと、対策を講じてある。パソコンを貸与されたとき、そっくりそのまま別のハードディスクにコピーしてそちらを運用し、オリジナルは保管してあるのだ。だから、ソフトウエアのバージョンアップで会社に渡すときや更新で返すときはオリジナルのハードディスクに入れ替え、つい最近の仕事データやメールデータなどをコピーする「偽装」をして差し出すことにしている。

 あいにく、そこまで用意周到ではなかったので、昼前に会社を抜け出して1度帰宅。オリジナルハードディスクなどを持ち出して、再び会社へ。

 めでたく社内LANにもつながるようになり、ようやく仕事の準備が完了した感じ。夜は、職場のボスに誘われて、円頓寺商店街方面の飲み屋でビールをがぶ飲みする。

3月4日

 目の前のものは全部段ボール箱に詰め込んだ。不要なものを捨て、整理しながら箱に詰めるとかなりの時間がかかるのだが、手当たり次第箱詰めしていくだけならばそんなに時間はかからない。例え中身がゴミ箱みたいだったとしても、テープで梱包しちゃうから引っ越し業者のお兄さんたちに中身を見られることもない。ビールを飲みながらかなり適当に詰め込んで、いつしか意識を失う。2時間だけ睡眠をとった。

 3月1日。0123な業者が来て、入り口などを養生し、家具などを運び去っていった。引っ越し業者というと、汗臭い感じのお兄さんが無愛想に振る舞うイメージだったのだが、教育が行き届いているのか、かなりさわやかなイメージ。2時間半で手際よく作業を終わらせてトラックは出て行った。

 仕事場に顔を出して、1日で所属が変わっているはずだから、「元」ボスと飯を喰らいに行く。自分ができることは人ができて当たり前、やっていなかったらこっぴどくしかるタイプの今では珍しいかもしれない人で、敬遠する人も多いのだが、僕は昨年夏の大変な時期を一緒に乗り切ったから親近感はある。気になっていたお店の「銀鱗」でちょっと高めの天ぷらランチをおごってもらう。報告だけしなければいけないことがあった。

 仕事場でほかの人たちにあいさつをして、TORFへ。雅久号をいじろうと思ったのだが、眠すぎて力が入らない。麻雀で午前様になった後に引っ越しをしてはだめらしい。また一つ賢くなったが、うとうとしていたら夕方になった。

 翌日朝には引っ越し業者が新しい住み処の西春に来るので、行かねばならぬ。ふらふらだったけれど、荷物満載のインプレッサで高速を走って尾張旭の実家へ行き、意識を失う。

 3月2日。午前10時に業者が来る。朝、起きたら睡眠時間はけっこう取ったはずなのに、体がだるい。やっぱり麻雀後に引っ越しをしてはだめらしい。

 仲介業者からの説明もそこそこに、鍵を受け取ってアパートへ。すでにトラックが到着していた。てきぱきと荷物が搬入されて、昼には終了。あとはひたすら片付けのみ。どうしても、足りないものが出てくるから、上小田井のワンダーシティーに出掛けたら、馬鹿でっかくなっていてびっくりした。

 夜、再び富山へ。インプレッサはTORFの代車として余生を送る。重さの割に小さなエンジンで遅かったけれども、走りは良かった。

 おおとろ亭にてビールをたくさん飲んで意識を失う。

 3月3日、4日。また北名古屋へとんぼ返りして引っ越し作業の続き。ダンボールを開いて出して時々買い物。なぜか、富山の仕事をこなす。夜になってネットがつながった。

 とりあえず、寝られるようにはなったけれども、まだ部屋がぐちゃぐちゃ。

2月28日

 3月1日午前9時に引っ越し業者が来るのに。荷物が全然片付いていないのに。昼間にボンネットを置きにTORFへ向かい、雅久号をいじって、夜は送別麻雀のお誘いにしっぽ降って出掛けて、午前3時まで打っていて、やばいな、片付けは終わらないな、とビールを飲みながら途方に暮れている午前5時すぎ。あと、4時間もしないうちに、引っ越し業者がやって来る。どうしよう。まあ、初めて、富山での麻雀に勝ったから良いとしよう。ビールをもう1缶開ける。

 いくら何でもやばいので、引っ越し作業の続きをするとする。ルーター類を片付けてしまうので、富山の回線からのネットはこれにておしまい。

2月26日

 とりあえず、富山での仕事納め。この土日に荷造りをして、3月1日に荷物出し、2日に荷物入れ。名古屋での本格始動は8日ぐらいからだけれど、5日には顔を出すと思われる。

 2年半、県庁の一角の同じ場所で仕事を続けてきたけれど、今日でおさらば。この業界ならではの変な組織ともおさらば。

 とりあえず、サンルームにあるロードスターのボンネットはTORFに運ばなきゃならん。

2月24日

 名古屋のホテルを出て、ETC割引を活用して富山へ。高速代がもったいないから、飛騨清見で降りて、国道41号で富山に向かう。富山の平野にたどり着いても太平洋側と同じ快晴だったからうれしくなった。立山も、かすんではいたけれど、とてもきれい。雰囲気はすでに春だ。

 引越し業者が下見。名古屋から富山に戻ることと、引越し準備という完璧なアリバイを作っておいて、仕事をしたくないから髪の毛を処理しに行った。中央通りの中教院にある髪切り屋さんで富山で毎月1回ペースで通ったから計30回は顔を出したはずなので、今回が最後かと思うと感慨深い。

 インプレッサを置いて行くので印鑑証明を取りに市役所へ。ついでに異動届も。市民カードも返却。さて、荷造りをしなければ。

2月23日

 土曜日。午前中に神社に行き、昼に親を富山に呼んで、夜食事を食べる。同席者も。どんなシチュエーションかはご想像にお任せする。

 日曜日。金沢に買い物に行き、夕方は八尾の山奥の陶芸家の元に。器を大人買いする。芸術家を応援しようと思えば、やはり作品を買うのが一番だ。

 月曜日。後任の人に引き継ぎのメモを書いて、夜は歓送迎会。高岡のボスと飲みまくって大変なことになった。

 本日。仕事はほぼやる気なし。午前中は県議会に出没して、午後から名古屋。伏見で鶏のコラーゲン鍋を食べて、栄のイギリス屋で2次会。軽く飲んで、ホテルにてくだらない文章を執筆する。明日は昼に引越し業者が下見に来るからやっぱり仕事をしない。

2月19日

 富山で最後とでも言うべき仕事を終えて、ビールを飲んでまったりとしている午前3時前。例年2人でやっている仕事を1人でやったからそれなりに疲れた。富山での仕事はずっとこんな感じで徒労感が大きい。

 先週の日曜日に次に住むアパートを探しに行った。知り合いがいることや家賃が安いことから、名古屋市ではなくて、北隣の北名古屋市(べたな名だ)のアパートを確保。引っ越しに向けた準備が着々と進んでいる。実は、一宮インターが近くて富山までのアクセスが良いからというのが本当のところなんだけれど。

2月11日

 今年4回目のスキー。野沢温泉の泊まりがけスキーを2回と数えているから、正確には4日目のスキーだ。

 妙高高原の妙高杉ノ原スキー場。雪質は一度雨が降ったような感じのザラメ&アイスバーンといった感じ。これが、今までで一番滑って、それほど急斜面なコースではないのだが、スピードが上がって怖かった。平らなところでは、ストックだけで前に進む感じだったので楽だったけれども。

 先日、高岡駅地下で営業を始めたつけ麺屋「まるかん」(月、木、金営業!)に食べに行ったとき、スキーのインストラクターもやっているというマスターから「スキーは車のサスペンションに例えると、説明しやすい!」というアドバイスを受けていて、僕はようやくキャスターが適正化したところだな、というイメージを得ていた。斜面に対して直角に立つ、という基本がなんとなくわかった感じ。言葉だけで聞いたイメージをどれだけ実践できるか、と挑んだ今回のスキーだったけれど、結果から言えば、惨敗といった感じ。

つけ麺屋「まるかん」

 最大でも中級という斜面もあって、何の躊躇もなく滑ることができるのだけれども、「決まった」という感じは全然つかめない。外から見たら下手丸出しだよな、という感じの姿勢がいろいろ試してみても最後まで直らなかった気がする。

 スクールでも申し込んで、1度、ちゃんと習った方が早いのかな、と思った次第。

 午後になって雪がひどくなってきて、斜面にだんだんと雪が積もって雪質が柔らかくなった。雪質が柔らかくなった感じ。が、中途半端な降り方だったので、ところどころアイスバーンがむき出しで、いきなり板がすっぽ抜けて、左右の足で違う方向を目指して転んだことも。いよいよ雪がひどいので、4時前に切り上げて、ちょっと時間が早かったので、富山でご飯を食べることにして、雪の高速を走る。富山がけっこうひどくて、朝が早くて意識が飛びそうだし、車も飛びそうだしと、苦労してようやく午後6時半すぎに帰ってきたら、不吉な電話が。

 急な事件発生、ということで、突然仕事をすることに。締め切りに間に合わないかも、とスキーウエアのまま仕事に行って、10時すぎになんとか仕事を終えたら、上司が気を利かせて夕ご飯に焼き鳥を買ってくれた。じゃあ、ビールは飲むでしょうと、焼き鳥ビールをしていたら、気がついたら日付が変わっていた。

 ふらふらだったので、家に戻ってふとんに倒れ込んで意識を失った。

2月10日

 突然ですが、名古屋に行くことになりました! 3月から。

名古屋に行くことになりました! 

 もともといた部署へ出戻り。10月下旬にそんなような情報を察知していたので、びっくりはしないけれども、決定までは動けないわけで、決まったとなるとばたばたと忙しくなる。忙しい時期でもあるから。

 2007年8月に富山に来たときから、いるのは3年がマックスだと思っていた。なので、間瀬耐久レースに勝つためにはフル参戦で2シーズンできれば良いところ。その時間で、勝つためにはとりあえず、最初の年の最終戦は出なくてはならないわけで、富山に来て速攻ですたげさんからVスペシャルを買って仕事をさぼって雅久号を仕上げて参戦したのであった。

すたげさん

 レースって参戦するからには目標は勝利に置かないと意味がない。最初は心構えが悪くておおとろ監督に本気で怒られたこともあったけれど、何とか日々どうやったら速くなれるかを考えて、車を作って走らせて、ベストの状態でレースに臨んできたつもり。耐久レースは他の2人と一緒に走る競技なので、ドライバーたちの休みと間瀬の走行枠がなかなか合わなくて毎回、ドライバー的にも車的にも微妙に準備不足だったことは否めないのだけれども、まあ、与えられた条件の中でやれることはやり切ったと思う。

 結果、フル参戦2シーズン目で年間チャンプを獲得。速さではライバルチームに大きく遅れを取ってしまったけれども、運もあって結果を残すことができた。3ヒート走りきってポイントが上回った方が勝ち、なのだから、間違いなく勝ちなんだけれども、まだやり残した感はたっぷりある。まあ、例えトップの速さだったとしても、やり残した感はあるに違いない。それが、モータースポーツだし、最初から見えていたら、やる意味もない。

 とにかく、足の動きが気に入らなかったらその都度、ショックの減衰変更をかけたし、バネやそのほかもろもろのパーツは必要なら投入した。タイヤはバンバン使い捨てた。とにかく、お金は使うことにして、制約ではなくした。こんなこと書くと、トロフィーをお金で買っているみたいで嫌な感じに受け取られるかもしれないけれど、モータースポーツはそういうところがある。金を出せないやつが悪い、みたいな。それは、鈴鹿のFJ参戦で嫌と言うほど実感した。ただ、お金を掛けたからといって、速くなれるわけでも勝てるわけでもないけれど。

 少なくとも、トップの速さでもうまさでもなかったので、カップをいただけたのは勝負運と結論づけるしかないけれども、とにかく参戦して結果が出たことは良かった。15インチにGTウイングにと、2009年シーズンの枠組みで完璧に車をつくり切れていなかったのでやり残した感はとてもある。今の車の悪いところをなくすべく、バランスを最適化したとして、ライバルチームのタイムには届かないと思うから、勝負するにはナンバーを切るしかないな、なんて思ってみたり。

 車検が通る仕様で自走して参戦するのがNゼロだと思うし、事実それで勝ったのが、格好良いなあ、と自己陶酔してみる。

 と、こうつらつら書いてくると、名古屋に引っ越しして、いよいよ車遊びからは卒業か、と思われるかもしれないが、それは間違い。名古屋から富山って、家の近くのコンビニに缶コーヒーを買いに行く程度の距離にしか感じない。ま、工場まで20分だったのが3時間に離れるけれども、その分、早く寝て早起きすれば良いだけ。

 2010年シーズンの間瀬耐久に参戦しようかどうか、まだ迷っているところ。車のメンテをある程度してくれるドライバー、募集中(笑)。

2月7日

 土曜日。雪よかし(除雪)しようかと工場に来たら、「水路に水が流れてないから無理」とのこと。確かに、雪を捨てる場所がないと、あっという間に限界が来てしまう。なので、あきらめて下ろしてあったチューニングエンジンをばらすことに。

 インパクトレンチを使いながらばらばらとばらしていく。リッター1000キロのオイル消費があって下ろしたエンジン。予想では腰下がかなりやばい状態なんじゃないかな、と思ったのだが、それほどひどい状態じゃない。というか、まだまだ使えそうな状態だった。

 オイルが下がっている形跡もそんなにないのだけれど、排気側のバルブにオイルが付いていたところを見ると、どうも下がっているっぽい。

 ピストンを見ると、どうも、2番、3番がヘッドとかすかに接触していたっぽい。どうしても真ん中の方が振れが出やすいから高回転まで回したときにでも、当たったんでしょう。最後に回したときにも、工場への到着寸前でぶん回したから痕跡が残ったのかも。

 何が問題かっていうと、当たっていた場所的には副燃焼室ができちゃう感じだったこと。「なんで?」って思うほど点火時期が進められなかったのはここにあるのかもしれない。マーレーのピストンと比べてみたら、やっぱりマーレーの方が良い形をしていた。圧縮を上げたいのかもしれないけれど、やりすぎ。粘土で調べたんだけれど、経験がないのでそこまで分からなかった。

 夜はもつ鍋をさくっと作って食べてビールを大いに飲んで意識を失う。

 日曜日。朝、のろのろ起き出して、水路に水が流れているようだったので、黙々と雪よかし。本当にね、暖かければ消えるものをわざわざスコップでどけている意味が良く分からないのだが、そんなことを考えていても仕方がないので、筋トレと思って黙々と進める。そこそこきれいになった。

 で、ようやく雅久号が動くようになったので、工場に入れてブレーキを外す。ばらして洗浄して、リフトに上げたついでに足回りをいじって完了。終わったころにはすでに真っ暗で、気温もたぶん氷点下。よかし残した雪がばりばりと凍っていた。

 で、前日に引き続き、ビールを大量摂取して、こんなくだらない文章を書いて、今、意識を失う寸前。