日常

勤務時間

 「休みなのになぜか…」で始まる日記をよく書いていた覚えがある。平日に割り振られた休みは休みではなく、普通に仕事をして半休になればいい方。そんな働き方をしていた。そもそも、相手に振り回される職業なので、勤務時間なんてあってないようなもの。目の前に出現した課題は片っ端から片づけていって、結果休めればいいよね、というのが10年ぐらい前までは当たり前だった。

 ところが働き方改革で様相が変わった。書類送検されてはかなわんわい、とばかりに現場への改革の強制が進み、夜や休みに呼び出すことはもちろん、連絡することもご法度とされるようになってきた。以前からは想像できないぐらい、若手は休めるようになった。

 たぶん、良いことなんだろうけれど、一方で仕事ってそんなものじゃないだろうと思う僕がいる。僕の仕事の場合、量をこなせば間違いなく質も上がっていくし、持ち場に赴任して一定期間集中してエネルギーを投入すれば、今度は情報が向こうから入ってくるようになる。1年で持ち場替えということもざらなので、うかうかしていたらなんの成果もないまま次の持ち場への配転されてしまう。

 ここで言っているのは強制されてやる仕事ではなく、自発的にやる仕事なのがポイントで、与えられた条件の中で脳みそをフル回転させて成果を求めて動いた結果、超過勤務ならしょうがないと思う。働き方改革が、若手の成長の機会を奪っているとしたら、本末転倒しているんじゃないだろうか。相手からしたら、こちらの休みの都合で担当者がころころ変わるわけで、仕事の責任を持つ、という意味でも好ましい状況じゃない。

 「勤務時間の記録ってどこまで正確に書けばいいんですかね」と新人に聞かれ、本当なら「そんなの適当に書いておいて、仕事しまくればいいんだ」と言いたいところなんだけれど、管理職になると口が裂けてもそんなことは言えない。かなり婉曲な言葉遣いでどう働くのかは結局、人それぞれなんだよ、という意味のことを伝えたが、伝わったかどうか。

万博

 予想はしていたけれど、やっぱりひどい状況だった。

 大阪・関西万博へ行ってきた。鉄道で夢洲駅に行き東ゲートから入るよりも、シャトルバスを利用して西ゲートから入った方が混雑を避けられる、とのことだったので堺のパークアンドライド駐車場を予約。伊賀からは1時間半もかからない。上記の写真は僕が撮った万博の西ゲートの写真だが、大きな間違いがあります。

 夏休み中の連休ということで相当混雑しているんだろうな、という予想はやはり当たり、会場のキャパを超えた人数が入場している感じだった。スマホでパビリオンの予約を取ろうにも、空き枠が出たと思ったら次の瞬間に埋まっているような状態で、長い列に並ぶしかない。あきらめて並ぼうと行説の最後尾に行くのだが、スタッフに「もう並べません」と止められる始末。行列が通路をふさぐほどになると、並ばせるのを止めているようだった。おそらく、近くで様子をうかがっていて再開したら並べばいいんだろうけれども、そこから1時間ぐらいは並ばないといけない感じだし、あきらめて次のパビリオンへ行くもやっぱり並べもしない。強風と雨だったのだが、そんなことはものともせず、皆さん気合を入れて並んでいる感じだったので、もともと人混みが嫌いな僕はすぐに帰りたくなった。

 子どもの前で「帰る」とわがままを言うわけにもいかず、コモンズ(共同館)を中心に回ることに。娘が公式スタンプ帳をもらってスタンプを集めていたので、各国が集うコモンズはスタンプを集めるには最適。特にコモンズでもらえる重ねスタンプは秀逸だった。ただ、展示物を見ているのか、スタンプを集めているのかよくわからない状態で、ぐるぐるとコモンズ巡りをしていたらタイムアップになってしまった。展示品は千差万別で、中にはメールでデータをやり取りしただけだろうな、と思われるような安易な展示のブースもあった。

 ウクライナのブースは行っておかねばならないだろうと、1時間ぐらい並んだ。ご想像通り、今繰り広げられている戦争について考えさせる内容で、見せ方とコンテンツが練られてさすが。戦時下でいろいろ個人への制限があるのだろうけれど、主張していた価値観は今のアメリカよりもリベラルな感じであった。いや、西欧からの支援や同情を集めるためのプロパガンダなのかも。

 すいているときにもう一度行ってじっくり巡りたいと強く思うのだが、おそらくできないのだろうな。

凸凹タイヤ

 「タイヤどうする?」とロードスターの納車前に富山の車屋さんから聞かれ、少し考えて「そのままでいいです」と答えたのがいけなかった。夏の前だし、しばらくサーキットに行く予定も立ちそうにないから、とりあえず名古屋までの道のりが走れればいい、と。

 ところが、長年放置していた耐久号に付けていたホイールとタイヤをそのまま付けたため、空気圧が低いまま放置されていたタイヤにクセがついていた。当たり前である。車屋さんからもそう言われたのだが「空気圧を多めに入れてしばらく走ればましになるだろう」と甘く考えていた。

 が、が、が、とタイヤが1回転するたびに振動がある。4本あるわけだから、それぞれのタイミングで振動し、クルマの中はものすごいバイブレーション。国道41号から飛騨清見まで走るころには体力を使い果たしてグロッキーになった。高速道路で少しスピードを上げるとちょっとましになったけれども、振動の周波数が上がっただけなので根本的な解決ではない。タイヤが発熱してバーストしないかしら、と思って途中、パーキングエリアで止めて触れてみたが、発熱はそれほどでもなかった。

 車検と取って以来、給油以外にロードスターを動かしていないのは、そういう事情もある。さて、面倒なことになった。タイヤ交換のため富山までまたがたがた走るのもおっくうだし、ホイール外してバモスに積んでタイヤを替えてもらうのも手間である。

 そうか、タイヤが付いた中古ホイールセットを買えばいいんだ、と都合のいい思考をするのがクルマ馬鹿というもの。ヤフオクを眺めて14インチのホイールの出物を待っていたりする。

原体験2

 小学3年の長男が「ミニ四駆をやりたい」と言い出したのがめちゃくちゃうれしかった。親の影響で一緒にF1を見るぐらいのクルマ好きに育ったので、あとは何か手を動かすことに熱中してほしい。

 すぐにコジマに買いに行き、一緒に組み立てた。自分で組み立てられるかという心配をよそに、説明書を見てテキパキと組み上げた。グリスの塗りつけやビスやナットの締め付けなど、肝と思われる部分を教えた。

 ミニ四駆をいじったのは初めてだったのだが、奥が深い。ローラーにグリスを塗るだけでコーナースピードが上がるし、モーターを変えればすぐに速くなるのだが、コースアウトしてしまう。コースアウトしないようにスポンジのブレーキやマスダンパーをセットアップする必要がある。

 軸受けはボールベアリングにアップグレードでき、コーナーの肝となるローラーもベアリング入りのものが複数ある。組み合わせは無限大で、ミニ四駆の雑誌に載ったクルマの写真を見ても、創意工夫がみられる。

 単身赴任なので、土日しか遊ぶ時間がなく、他の用事も土日に詰め込むからなかなかミニ四駆に時間をさけないのがつらいところ。オーバルコースを買い、ひと通りやり方を教えているものの、平日はほったらかしにしてあるようだ。

 スマホを使ったタイム計測の方法を教え、ノートに改良ポイントやそのとき使ったバッテリー番号を記録するのだ、と少々前のめりになって教えたのがいけなかったかもしれない。ジャンプ台を作ってどれだけ飛距離が出るのか、とか壊すまで自由に遊ばせるのが先だったかも。

 どこまでのめり込むかは分からないが、彼の原体験の一つになればいいなと思う。

ネット活動再開

 特にきっかけがあったわけではない。ほとんど思い付きで、ネット活動を再開してみることにした。あ、仕事が暇なんだな。いま、三重県伊賀市で単身赴任をしている。職住一体で、仕事が終わると2階のねぐらに戻るという不健全な生活をしている。

 ネット関連のスキルを高めようかなと思い立った。25年前のホームページ時代から、ブログ時代、SNS時代と経験してきたのだけれど、仕事や家庭で時間を費やしているうち、それらの世界から疎遠になってしまった。ネット普及期に趣味の世界を発信したことが、自分の人生を豊かにした実感がある。この10年(いや15年か)放置状態だったわけだが、何か始めてみることで何か得られることがあることを期待して。

 改めて始めてみたのが、独自ドメインの取得で、@niftyのホームページサービスから離れてさくらインターネットのホスティングサービスを契約し、独自ドメインを取得した。SNS全盛時代に、いまさらホームページかよ、という突っ込みがあるに違いない。フローな情報の流れが主流になった今の時代、ページに定着する行為の意味はまだあるに違いないと信じて。

5月8日

 ロードスター乗りなのに、そういえば娘を助手席に乗せたことがなかった、と急な思いつきで実家に置いてあるロードスターのところに行き、チャイルドシートを載せ替えて2歳3カ月の娘を無理矢理助手席に乗っけた。

 暑かったので、町内1周でとどめた。走行中は助手席では固まっていたものの、乗った後には「ロードスター乗った」と笑顔の娘。

 うちの娘、特殊能力を持っている。街ゆく車の車種を言い当てるのだ。もちろん、親が「あれは〜」と教えたのだが、ちゃんと覚えているのって素直にすごいと思う。だって、世の中の女子って、セダンもバンもワゴンも、まったく区別がつかないじゃないですか。

 車を運転していると「プリウス〜」「アクア〜」とチャイルドシートの上から声を上げる娘。よく走っている車の名前を叫ぶことが多いのは仕方がないところ。「ヴィッツ」も分かるのだけれど、初代から最新までモデルに関係なく分かるところは正直すごい、と思う。

 けっこうメーカーのマークを覚えていて、ベンツ、アウディなんかはディーラーがあると指さして叫んでいる。なぜか日産車については「にっさんきゅーぶー」「にっさんまーちー」とメーカー名を含めて叫ぶ。

 いちばん好きな車ははたらく車。高速道路で爆走営業ワゴン車に抜かれるたびに「プロボックス〜」とうれしそうに声を上げるし、四角い車が来ると「ハイエース〜」と叫ぶ。NV350とかボンゴとかタウンエースを見ても「ハイエース〜」と叫ぶのはご愛敬。

プロボックス〜ハイエース〜

 子どもって「天才だ!」って思わせるような瞬間を見せるんだけれど、物心ついたときには全部忘れちゃんだろうなあ。

3月31日

 この世に発生した日だ! でも問答無用で仕事だ!

 11日前の奥さんの誕生日は、今年も例年通り忘れてた。

 せっかくの日だから、夜は自宅でのんびりすごそうと思っていたら、なぜか強制的にナゴヤドームに行かねばならなくなった。おっさんたちと、ビール片手に面白くもない話をするという、苦痛の時間だ。

 年齢の十の位が変わり、何となく人生の折り返しのような気分になってくる。もっと短いかもしれないし、だいぶ長いかもしれないのに、勝手なもんだ。家を建てるし、いろいろ節目の年になることは確か。

 例年、進歩していないことを確認する日だったのだが、今日はうれしかったことが一つ。厳密には昨日なのだが、帰宅すると、2月に2歳になったばかりの娘が「はっぴばーすでー とおちゃん」と歌ってくれた。

3月11日

 早いもので東日本大震災から5年。地震の発生時刻に合わせて犠牲者に黙祷を捧げよう。

 2月下旬から、ゲリラ活動が活発化。おなかは緩い方だったので、僕にとってはそれほど珍しいことではないのだが、今回は発熱が伴った。39度近くまで熱が出ると、人間、かなりつらい。

 2月最後の土日は、トイレ数十回or寝てるのどちらかだった。医者は、抗菌剤だけ出してくれたけれど、それだけなので症状が収まっていくのを待つしかない。ま、これが本来なんだろうけれど、熱&腹痛なので、てっとり早く苦痛を取ってくれる薬でも処方してほしかった。

 ようやく、動き出すことができたのが火曜日ぐらいで、週の後半は平熱に戻ってかなり体調も回復したのだが、金曜日深夜に再び同様の発熱が。土曜に仕事を入れていたのだけれど、あわててキャンセルする。

 土曜午前までなら、かかりつけの医者にも行けたのだが、だるくて寝ているうちにいつの間にか午後。夜にかけて寝ていても回復するどころか、熱が上がってしまったので、もしかして、インフルも合併していたらやばい、と思い、土曜夜に、奥さんに救急センターに連れて行ってもらう。

 当番だったのは、研修医の若い先生で、ひと通り丁寧に診察してくれて、インフルは陰性、熱冷ましの点滴を打ってくれたまでは良かったのだが、「正直原因が分からないのでCTを撮りますか?」と聞かれて肝を冷やした。1月中旬に人間ドックで胸部のCTを撮影したばかり。さすがに連続は気が引けるし、CTを撮ったところで何か分かるものでもなさそうなので、「あ、いや、そこまでは…」と抵抗してみる。

 点滴が終わったころに再び、研修医の先生が顔を出し、「けっこう混んできていまして…。CT撮るか、入院するか、家で様子を見るかです」とよく分からない選択肢を出されたので、「家で様子をみます」と行って逃げ帰ってきた。

 点滴を打って滝のような汗を流したらだいぶ楽になり、日曜日には平熱近くまで戻った。月曜日には土気色の顔して出勤したものの、仕事にはならないわね。

 まだ何となく、体調が戻っていない。糖質&アルコール制限で体重を絞っている最中だったのだが、激しいゲリラ活動によってさらに3キロぐらい落ちてしまった。寝込んで減ったので、鏡を見ると何となくやつれて老けた感じ。サーキットのタイムは伸びるかもしれないけれど、1周もしないうちに体力がきれそうな、そんなふらふらな今日この頃。

2月22日

 仕事を中抜けして、名古屋駅前の某銀行へ。家を建てるための土地の決済で。いよいよローンレンジャーである。

 売り主とあちら側の仲介業者もわざわざ足を運び、目の前で振り込み関係の書類に記載、捺印してローンの実行と振り込みを待つ。今回、新たに取り引きを始める地方銀行なので、残高0円の銀行通帳を担当の銀行員に渡し「ローンが実行されました」という経過報告だけ聞いたのだが、手元に戻ってきた通帳には、大金が入っていた、という記録のみ記載されて終わり。札束を目の当たりにしたわけでもなく、まったく実感がない。

 現在、間取りを検討中で、夏頃に起工、年明けに引っ越しの予定。残念ながら家付きガレージではなく、車庫はない(ioi)。

2月18日

糖質制限ダイエットで知られた作家が62歳で急逝し、糖質制限との因果関係を疑うような質の悪い記事が出回っている。長年、正しいと考えられてきた常識を否定する考え方だけに、「効果ある派」と「体に悪い派」で議論が真っ二つに分かれているから、「それみたことか」という記事はいかにも書きやすい。検証もなく、イメージだけで作文してしまうのはいかにも危険だ。

なんでこんなことを書いているか、といえば、この冬、11月以降に7キロぐらい痩せた一つの原因が、糖質制限にあると考えているから。でも、正直言って、いくつも思い当たることがあるので、「これで痩せた!」とまでは言えない。

内視鏡検査の体験のつもりで、12月に人間ドックを予約していた。会社の健康診断もサボっていたので、まとめて検査してもらう狙いもあった。で、お酒を控えてみた。成人になって以降、飲まない日が例外というぐらい、継続的にアルコールを摂取してきた(まさに中毒だ)のだが、最近、血液検査の数値も悪くなってきたので、人間ドックに向けて「血液検査の偽装工作」を始めたのだ。

家で一人で飲む酒をやめてみた。やはり落ち着かないので、ハーブティーをがぶ飲みして気を紛らわす。夜、寝られないのが飲酒の動機の一つだったのだが、「寝られなくてもいいや」と思うことにした。読書が進む進む。つきあいのお酒、実家で親父と飲む酒はこれまで通り。仕事の都合で人間ドックは1月に先送りになり、2カ月ほどそういう生活をしていると体も慣れてくるようで、人間ドックが終わった今も、一人ではなるべく飲まないようにしている(飲むときもある)。これだけでも体重に変化が起きそうだ。

昨年8月に異動があり、変速付きのママチャリを買って自転車通勤を始めてみた。藤が丘から丸の内まで、片道12キロ。さすがに、毎日だと体力がもたないので、週に2、3回ほどにしている。最初はふらふらになったけれど、特に苦もなく走りきれるようになり、時間も早くなった。どうしても重たいギアでスピードを上げがちだったのを、軽いギアでピッチを上げて走ると快調になった。これも、減量につながりそう。

そして、もっとも大きいと考えているのが糖質制限。細かいことは書かないけれど、米、小麦、芋類、大豆以外の豆類、砂糖などの糖質をなるべく食べないようにする。とはいえ、朝ご飯は出されるパンやご飯は普通に食べているし、人とご飯を食べるときには「糖質制限中なんで…」と残すようなことはせずに、普通に食べている。いわゆる「プチ糖質制限」だ。

お昼ご飯で、うどんやラーメン、コンビニのおにぎりと野菜ジュース、というようなことはなくなった。おなかがすいたときのランチは、ガストに行ってチキンステーキダブルを単品で頼んで豆腐サラダを付けたり、すき家の牛丼ライトを食べたり。晩ご飯は、この季節に多い鍋料理であれば、糖質を外しやすかった。

制限でストレスをためることもないぐらい、軽い気持ちでやっていたのだが、体重がぐんぐん減っていった。おなか回りがぱんぱんで、ホックを破壊してしまったズボンも、いまやぶかぶかでウエストに拳が2つ入る。

大好きなビールとパスタも糖質に含まれてしまうのがつらいところだが、1杯だけ飲んでハイボールにし、パスタは全粒粉のものを買ってきて調理したりと工夫している。

春先までにもう少し減らして、シーズンインとしたい。雅久号は、ついにヘッドライト撤去をしてしまったので、オーバーハング部分の10キロが軽くなっている。これだけでも激変しそうだが、さらに、ドライバー自身も軽量化して、タイムアップを狙ってしまおうと企んでいる。