日常

10月9日

治部坂から出勤した7日の夕方、大学時代の先輩から突然電話が入った。この先輩、先輩のくせして今年ようやく社会人1年生である。あまり先輩だと思っていなかったりする。東京で始まった生活の息苦しさから解放されようと、レンタカーを借りて戸隠まで来ていたのだった。もちろん「泊めてくれ」とのことである。

前日にも午前3時まで飲んでいたこともあり、かなり眠かったのだが、わざわざ松本に来ているのだから仕方がない。泊めてあげることにして、一緒にメシを喰らいに行く。お店でキノコ鍋を食べさせてあげようと思っていたら、日曜日だったので、扱っているお店がことごとく休みであった。居酒屋に入り、キノコ入りの湯豆腐を喰らう。ビールを1本。日本酒を1杯。ラストオーダーとなってしまったので、行きつけのショットバーに向かう。最近、車関係以外はいかにさえない生活かを話していると、満員だった店内がいつの間にか3人になっていた。

タクシーの中で空爆開始を知る。なぜかとばっちりを受けて、翌日はふらふらな足取りで出勤である。

1日中頭がスッキリしなかった。なぜかな、と思ったら、喉が痛くていつもより体がだるいことに気が付く。どうから風邪を引きかかっているらしかった。午後10時ぐらいに家に帰ったら、スーツ姿のまま意識を失う。

変な寝方をしたものの、長く寝ただけあって、どうやら直ったらしい。風呂に入り、再びスーツを着て出勤した。

昔より無理できなくなったような気がするな…。

10月5日

今日は転職する友人Kを励ます会。なにわ料理の店で、たらふくうまい飯を喰らい、ビールを飲んだ。2次会は我が家に来てテレビを見ながらビールを飲んだりしてさわぎ、たったさっき、お開きになったところである。

その飲み会に来た友人の中にスープラに乗っているやつがいるので、飲み会の前に試乗した。5速、3LのNAのやつ。シートを調整したら電動式だった。これだけで何キロ重くなるか、考えただけで青ざめる。

さすが3Lもあるだけあり、トルクがものすごい。5速1400回転でもアクセルを踏めばちゃんと加速していく。2速で5000回転ぐらいまわすと、なかなかいい加速をする。

でも、やはり全体が重いのは否めない。ハンドルはクイックなのだが、パワステなどでうまい具合に味付けをしたんだな、というフィール。ロードスターのように、ドライバーを中心に、ひらりと向きを変えるような軽快さはない。

そのスープラで皆が我が家に来たので、ロードスターと並ぶことになった。その大きさといったら、完全に一回り違う。僕はロードスターのコンパクトさの方が好き。

でも、さすが6気筒、エンジンの回転フィールはやはり良かったのであった。

10月4日

 頭が痛い、気分が悪い。

 昨夜、仕事場でビールを飲みながらキノコ鍋を喰らい、物足りなかったので先輩とともに行きつけのショットバーに行った。何を飲んでもどんなつまみでも1つ500円と、とても明朗会計でお値打ち。大量に飲んでも1人5000円も飲めないので、安心して飲んでいられる。

 ここのマスターはとてもいい人で、しょっちゅう2人で来て大量に飲んで帰っていくので、懐具合を心配したのだろう。先輩はストレートのハーパーばかり、かぱかぱ飲んでいるだけだし、先日、「ボトル入れましょうよ」と誘ってきた。マスター曰く「でたらめに飲むんだから…。こっちの方がお得だから、ぜひ入れてくれ」。ショットバーなのに、ボトルキープ。変だが、とても得した気分。

 しかし、先輩はがんとして聞き入れない。「そんなことしてもらわなくても、いい。安く飲ませてもらっているんだし」と。マスターも譲らず、「入れろ」「入れない」の攻防が続く。仕方がないので、先輩が昏睡状態に陥ったところで僕が金を払って、ハーパーをキープすることにした。後で「キープしたのか」と怒られてしまったけれど。

 昨日は、キープしたお酒をメインに飲むことにした。他のバーボンも試しながら、仕事のことなどで語り合う。ストレート用のおちょこのような小さなグラスをいったい何杯空けたことだろう。来たときには満員だった店内がいつしか、2人だけになっていた。

 気が付いたらハーパーが空っぽ。15年もののバーボンを再びキープ。

 でたらめ、と言われても仕方がないか…。

10月3日

 転職する友人Kを励ます会を開こうと、同業他社の同期と連絡を取り合って、早速段取りを付けた。6人と人数は少ないが、のびのびと飲んでいられるメンツである。自分の会社や担当先でも開いてもらえるんだろうから、腹を割って話せる「しみじみ会」がいいだろうという趣向で、企画した。

 詳しく話を聞いてみると、友人K、かなり衝動的とも取れる、電光石火の転職だった。土曜日に新聞のちらしを見て、つい電話をかけ、翌日の日曜日に面接を受け、次の金曜日に会社に辞表を出したらしい。木曜日に一緒にメシを喰らっていたので「隠していたのはひどい」と非難したのだが、隠していたわけではなかった。日曜日の面接から連絡がなかったので、合格したかどうか分からなかったのだという。僕と別れて家に戻ると、留守電に合格の旨、吹き込まれていた。翌日、辞表。その翌日には、新しい家まで確保して、契約してきたのだという。何という行動力だ。

 その行動力を、少しでも仕事に使えば、かなり優秀だったのでは? と聞くも彼は笑うだけ。出先で会ったとき「あまりこの仕事に合っていなさそう。つらそうだな」と薄々感じていた。東京出身の彼、「実家に戻らずに、松本に腰落ち着けるのか」と聞くと「都会は嫌い」と一言。一生住んでも良いかな、と思わせる風情や人情が、この北アルプスの麓の街にはある。

 引っ越しを手伝うつもり。ヘッドを積んだり、エンジンを買うのに付き合ってもらったんだもの、おやすいご用。引っ越しなどで、いろいろ入り用になるはずだから、うまいモノをたらふく喰らわしてあげよう。

 どうするのが自分には合っているんだろうな、と物思いにふける。

10月2日

 私の携帯に電話するのはダレ?

 私用の携帯に「非通知設定」で電話がかかってきた。出ると、すぐに電話が切れた。何だろうな、と思い携帯の表示を見てみると、「着信あり」となっている。それまでに2回、同じ番号の人から電話がかかってきていた。この番号、以前に無言電話のようなものが数回かかってきてから、「着信拒否」にして置いたのだ。相手は僕の番号にかけても、電話が切れたときの音がするだけでつながることはないのだが、こちらは着信があったことが分かる。半月前にもこの番号から2回かかってきた着信履歴を見た覚えがある。

 何だろう、と思っていると、再び「着信あり」の表示が出た。再び、その電話番号からかかってきたのだ。

 着信を繰り返すこと6回。次に着信音が鳴り、「非通知設定」でかかってきた。出たら、すぐ切れてしまった。完全にいたずら電話な気がする。番号通知でつながらないものだから、着信拒否であることを察知して、非通知設定にして再びかけたんだろうか。

 この電話番号にかけてみれば、誰かが出るかも知れないのだが、別に知り合いではなさそうだし、気味が悪いし、放って置いてある。

 人の恨みを買うようなことは一切やった覚えがない。第一、私用の携帯の番号を教えるのは限られた人。仕事で携帯の番号を教える場合は、仕事用の携帯の番号を教えている。

 気の向いた番号にいたずら電話をかける、暇で馬鹿げた人間が、果たしているんだろうか? でも、番号を通知しているから、違う気もするが。

 分からぬ。

10月1日

 サーキット走行前夜の「弱体化合宿」中、同業他社の友人Kから電話が掛かってきた。松本に来てから丸3年の付き合いで、ヘッドを積むときと予備エンジンを運ぶときに手伝ってもらった人である。

 仕事をやめることになった、という。前日、一緒にメシを喰らいに行ったばかりだったので、耳を疑った。前日にはそんな気配はまったくなかったのに、あまりにも突然すぎる。今の仕事に合っていなさそうだな、とは思っていたけれど、やめるぐらいまで思い詰めていたとは思わなかった。

 松本市内に転職するので、会いたければ簡単に会えるのだが、生活のサイクルが変わってしまうので、これまで通りの付き合いとはいかない。

 車関係では友達がたくさんできて、充実しているのだけれど、仕事関係では同じ担当が1年以上続いていたり、難しい人間関係があったりして、マンネリ化と行き詰まりを感じ始めてきたおりなので、一日中仕事をやる気も出ずに、放心状態ですごした。確かに、転職して環境を一気に換えてしまうという手もあるな、と悶々と考えていた。仕事には手を付ける気にならず、サーキット報告を一生懸命書いていた。

 しかし、車をいじるには先立つものがいる。毎月ちゃんと給料が入る今の仕事を変える気なんてさらさらない。まあ、だらだらと数カ月を過ごしつつ、来年の春か夏にはどこかへ飛ばされるんだろう。

 それまでに、エンジンだけは積み替えるべし。

9月27日

 今年初のキノコ鍋を喰らった。これを食べるためだけに信州にいてもいいと思うくらいの食い物である。山に生えている雑キノコを鍋に肉や野菜とともに放り込み、シンプルな味を付けただけ。さまざまなキノコが醸し出す香りは絶品。しこしこした歯ごたえのキノコと、キノコの香りを吸った肉、野菜。鍋から取り出すすべてのものが、魔法をかけられたようにうまくなっている。これを食ってしまうと松茸なんて、それほどうまいものでもないと思えるようになる。さらに、キノコエキスを煮詰めた汁にうどんを放り込む。名古屋近郊の生まれの人間としてはぶっといきしめんを入れたいところである。ただのうどんのはずなのに、またこれがうまく、腹が一杯だったのに、さらに食ってしまう。

 今回はコムソウというキノコだけの鍋だった。やはり旬は10月らしい。単一のキノコだけだと、香りの相乗効果のような反応は起きないが、それでもうまい。おきまりのうどんを喰らったら、動けないぐらいになった。

 キノコを煮てくれるのは塩尻にいる同じ社の人。ことし、新しいパソコンが仕事場に導入されたので「困ったときはいつでも助けに行ってあげます」と耳元でささやいておいた。これで、どっさり食べさせてくれること請け合い。

 寒く悲惨な季節になる前の、ほんのささやかな楽しみ。

9月17日

 午前4時ぐらいになぜか目が覚め、ネットを見ていたら、サイレンの音がかすかに聞こえた。電話で確認してみると、松本城の西の「西堀」という地域の飲食街で火事だという。ジムニーで出掛ける。

 我が家から4キロは離れているのに、薄明るくなった空に灰色の煙が太く空に立ち上っているのが見えた。現場に行くと、消防車やら野次馬やらがぎっしり。道路にはい回る消防のホースをまたぎながら近づくと、木造のアパートが派手に燃えていた。この地域は昔栄えた歓楽街。狭い路地のような道路が入り組み古い建物が密集する地域だ。アパートの1階にはスナックや居酒屋がひしめいている。これはまずいかな、と思った。

 派手な放水が続けられたものの、木造の建物は次々と延焼していく。周りには着の身着のまま焼け出された人や、パジャマ姿の野次馬、消防団員、警察官でごった返す。アジア系の外人がやけに多い。中には、知っている人が見あたらないからか、涙を流しながら震えている人も。警察官の一部は、放火事件であることを警戒して、野次馬たちを次々とフィルムに収める。火事独特のものが焦げた、いやなにおいが辺りに漂う。放水が柱や壁に当たる音、何かがはじける音、消防の無線で通信する音、消防署員同士が大声で指示を出し合う声など、さまざまな音声が一緒くたになって、騒々しい。ようやく煙が収まってくると、かろうじて焼け残った柱や、鉄製のテラスの骨組みが、無惨な姿で現れてくる。3時間ぐらいして、ようやく火災が鎮圧された。

 結局アパートなど10棟が焼け、3人が亡くなった。2年半前にも計9軒が全半焼した連続放火事件に遭遇したことがある。昨日まで確かにそこで営まれていた日常生活を、炎が一瞬で燃やし尽くし、人命まで奪う。火事の現場はいつ見てもむなしい。

9月15日

 常念岳。安曇野から北アルプスを見上げると、果てることなく連なる峰々の中で、その三角錐のようにとがった美しい山容がひときわ目に付く。北側の黒々とした台形、富士山を横に引き延ばしたような形から「信濃富士」とも呼ばれる有明山の不器用な雄々しさとは対照的に、女性的な美しさを持つ山である。標高2857メートル。季節ごとにさまざまに表情を変え、安曇野の四季とは切っても切り離せない。今は緑。10月下旬、頂上からうっすらと雪化粧を始める。冬のキンと張った大気の中、青空にくっきりと白い稜線が映えると、例え見慣れていても、その美しさに、つい、はっとして、見とれてしまう。

 松本に縁ができたからには、1度は登ってみたかった。3年もいながら、登山にはあまり行っていない。車馬鹿も馬鹿の一種。高いところが好きなのである。常念岳。ようやく、登山する機会が訪れた。

 親父と他社の先輩の3人で、午前6時半、登山口の一の沢を出発する。前日、あまり眠れず、実は天気予報通り、悪天候で中止になることを望んでいた。しかし、このメンバーのうち、僕をのぞく2人はかなり強い晴れ男。2人が行けば、降っている雨の方からよけていくぐらいの勢いなのだから、当然、朝から晴れ間が見えていた。第一歩を踏み出す、その前から、すでに疲労困憊。重い足取りでとぼとぼと、これからの長い道のりを一人、憂えていた。

 山登りは、慣れない者にとっては、ひたすら我慢の連続である。うつむき加減に足下を見ながら、一歩一歩、進めていくしかない。頂上に立たない限り、帰ることはできないのだ。日帰り登山で、荷物はそれほど重くはないが、歩き始めて数十分で、すでに汗だくである。ぽたぽたと落ちる汗を見ながら、歩いた。

 一の沢を、その瀬音を聞きながら、ぐんぐんと登っていく。登山道はうっそうとした暗い森林。時折、沢を歩き、ひたすら勾配を登っていく。スタートが標高1260メートル。標高差は1600メートルである。

 リーダーは他社の先輩にお願いしていた。この人、「信州の百名岩」を書けるほどのクライマーである。普段垂直の壁を登っているのだから、30度ぐらいの勾配はなんてことはない。休みもなく、ずんずんと登っていってしまう。こちらはただ、無口に付いていくしかない。途中、何度かくじけて足を止めそうになった。

 標高2450メートルの常念小屋まであと1キロというところで、さらに勾配が急になった。地図によると、1キロで標高差が500メートルあるのだから、その急さ加減が想像できる。太ももはだるく、足の付け根が悲鳴を上げる。体力は限界を通り過ぎて、倒れそう。親父と2人、休み休み上っていると、他社の先輩が「これを食え」と渡してくれたのが、1口サイズの羊羹。

 山に来ると、何でもうまい。いつも無感動に食べている、コンビニのおにぎり、カロリーメイト、スポーツドリンク。どれも、口に含むと感動する。羊羹なんて、1年に何度も食べるものでもなく、あまりうまいとも思ったことはなかった。しかし、この羊羹。得も言われぬ味である。何かやばい薬でも入っているんじゃないかしら、と思うくらい、体力が回復。足を上げて、岩を踏みしめるのが苦にならなくなった。

 常念小屋に荷物を置いて、山頂を目指す。ここからが正念場。一番の斜度である。しかし、ギアがトップに入り、ランナーズハイの状態。走りたくなるほどであった。親父が少々くたびれていたので、ゆっくり上がる。1時間ほどで山頂に着く。ここまで、5時間。

 お天気野郎2人を持ってしても、360度のパノラマは見えなかった。雲がものすごい勢いで流れてくると、一気に視界が遮られる。だが次の瞬間、雲が晴れると、遙か下方を流れる梓川が見え、屏風岩、涸沢の雪渓が一気に目に飛び込んでくる。3000メートル級の大岩塊が連なる穂高連峰の上には、綿菓子のような雲がたれ込めていて、稜線が現れない。辛抱強く待っていると、奥穂高、北穂高、大キレットまでは見えるのだが、肝心の槍ヶ岳がいつまでたっても姿を現さない。雲間から一瞬でも穂先が見えたら、と粘るも、分厚い雲に阻まれた。

 あきらめて下山。上りの苦労がなんだったのか、と思うくらい、楽々と下りてしまう。ただ、膝が笑う。常念小屋で昼飯を喰らい、しばらくのんびりする。

 そこから2時間ほどで車まで戻った。麓の温泉に入って汗を流し、ほてった体にビールを流し込む。

 この一杯のために生きてるんだ。