日常

1月4日

 水から風呂を沸かし、てっきり沸いたものだと思って、ざんぶ、と一気に飛び込んだら、次の瞬間「ごめんなさい!」と、意味不明な叫びとともに、飛び上がった。風呂水の上だけはお湯だったけれど、下が冷水だった。30分沸かした後に、20分も沸かしたのに、まだ全然足りなかったらしい。

 ぶるぶる震えながら、風呂をかき混ぜたら、均一に水になった。こんな低い温度の水に入ったら、心臓がばくばくいって止まってしまいそう。仕方なく、風呂桶の上にしゃがみ、再び湯を沸かすことにする。お湯の蛇口もひねってぶち込む。裸のまま風呂桶の上にしゃがみ、沸くのを待っている姿は、間違っても他の人に見られたくない。

 体全体で震えながら、沸くのを待てども、なかなかすぐに沸くものでもない。風呂の中の温度は、吐いた息が白いくらいだから10度前後と思われる。気化熱で体温がどんどん奪われながらも、真っ裸で、ひたすら待った。

 耐えきれなくなって、蛇口から出たお湯を、頭からかぶったら、あっという間に冷めてしまって、かえって寒さを助長した。心臓がどきどきするくらいの寒さを味わったとき、ようやく上澄みだけはお湯になってきたので、たまらず飛び込んだ。下の方は水だけれど、何とかしのぐことができるもんだ。

 松本の冬には、こういったサバイバルが日常的に繰り広げられるのです。

1月1日

 新年あけましておめでとうございます。

 ローソンで買ってきた天ぷらそばを後輩とともにすすり、ただでさえわびしい年越しの情景をさらに悲惨なものにしながら紅白歌合戦を見て、年を越した。いいんだ。もう、慣れているのさ。

兄貴がスノボで白馬に来るというので、松本から仕事場のパジェロで乗せていくことになった。一緒に昼飯を食べる場所があるかしら、と思っていたらたくさんの店が開いていた。元日ぐらい、ゆっくり休もうよ。

元日なのにイタリアンな昼飯を食べて、高瀬川沿いを北上。大町市に至ると雪が降ってきた。圧雪になるほどでもないので、それほど恐れることはない。

兄貴を降ろし、帰途に就く。往復100キロぐらいか。午後4時前に戻ったからといって、家でのんびりすることはない。世間がいくら元日でのほほんとしていようと、慣らし運転が待っているのである。

ロードスターに乗り込み、三才山トンネルを抜け、広域農道「千曲川ビューライン」を走って、佐久方面へ。再び折り返して、和田峠を通り、下諏訪、岡谷、塩尻を通ってかえってきた。ロードスターだけで200キロ弱走ったか。これでようやく、目標の1500キロを走ったのである。1週間でこの距離を走った。変態だ。

夜は世間並みにおせち料理を食べて過ごした。兄貴が家から持ってきてくれたのだ。煮物や数の子、酢の物にもち。実に正しい食卓だ。こんなものを食べていると、当然、ビールが飲みたくなるわけで、今年こそはお酒をひかえよう、と自分で持っていた決意を、すでに破ってしまったのである。

なんだか、新年を暗示しているような…。

12月31日

 世間では大晦日らしいのだが、問答無用で出勤である。ここ4年間、仕事場もしくは、仕事中に年越ししている気がする。ただれた生活だ。

 こんな日にやる仕事など全然ないわけで、午前中は洗濯をしながら、ゆっくり風呂に入っていた。午後は、引き続きロードスターの慣らし。暗くなってからの走行も合わせると今日は130キロぐらい走ったかな。

 仕事場にいようが暇なものは暇なので、WEBをがしがし書いていた。できあがったので、アップしたところ、異変に気付く。どうやら、前回のページを上書き&上書きアップしてしまったらしい。ハードディスク内を探すものの、どこにも見あたらない。

 これは、困った。1ページ書くだけでかなりのエネルギーがいるのに、同じ物なんて書く気がしない。高岡の某氏に速攻で電話。キャッシュファイルが残っていないかを調べてもらった。

 どうやら、キャッシュは残っていない。別ルート。帰省中の諏訪の某氏と東京の某氏に電話する。大晦日なのに迷惑な話だ。2人とも探してくれる、とのこと。大いに期待して待っていたら、ほとんど同時にメールで送られてきた。

 やっぱり持つべきものは仲間だね。お礼に諏訪の某氏にはショットバーのお酒を、東京の某氏にはシリンダーヘッドをあげよう(今のエンジンにトラブルがなければね)。

 

 いろんなページを巡回していたら、この1年を振り返る書き込みが多かったからちと書き足して振り返っておこう。

 一言で言うと、エンジンをいじっていた1年だった。1月に中古のエンジンを購入し、ばらして、ついにヘッドだけ載ったのが6月。その後、12月にはフルオーバーホールをして積み替えが成功した。最初、まったくエンジン内部のことを知らなくて、ぶっつけ本番、とりあえずばらしてみたら、何とかなった。やはり、ばらしてみることから始まるらしい。あとは、いつでもアドバイスを受けられる温かい人たちがいると、素晴らしい。この1年でプロだけで4人ぐらいから聞けるようになった。

 素人のエンジンチューンには「気合」が必要だ。その「気合」を保つために、このページを作ったら、いままでなかった仲間ができた。想像していた以上の副産物。この輪のおかげで、充実した日々が始まった。

 来年は、この輪を大切にしつつ広げて行けたらいいな、と思う。

 お世話になった方々、ありがとうございました。来年も、どうぞよろしくお願いします。

12月25日

 宗教にまつわる日本人の感覚について、学校の先輩に同じような話をしたら、面白い話がメールで届いた。この人、三重のカトリック系の学校の先生である。以下引用。

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 某カトリック系私学に勤めているI氏は、本業が神主。 傍目からは、明らかに矛盾しているように見える。彼の息子が思春期を迎えたとき、 父親のその生き様に疑問を抱いたのは当然だった。

 「親父よ、その極端な2足のわらじに疑問や矛盾を感じないのか」と。

 父親はその時、軽くこう答えたそうな。

 「そんなもん、神さんみたい何でも一緒やわさ。」

 なにしろ8,000,000いるんですから、神さん。 8,000,001になったって、それは誤差の範囲。

 ちなみにこの神主氏、 毎年、神社でつく鏡餅を上司である神父の住む修道院に届けるそうで、神父は神父で喜んで食ってるそうです。

 上出の某カトリック校には、 本業真宗僧侶という人もいます。

 カオスの時代なのです。

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 以上。馬鹿馬鹿しくていいね。休みだったので一日中作業していた。久しぶりに排気音聞いたぜ。

12月24日

 世間がお祭り気分で華やいでいるときに出勤。どうせ休んでいてもなんの予定も入らないから、仕事をしていた方が気が紛れる、とも言える。ハードに車をいじった若者の、悲しい末路を暗示している気がする。

 クリスマスで騒いで、大晦日に除夜の鐘を付いた直後に、初詣に行く。何の矛盾も考えずに、ただお祭り騒ぎしている国民性が最近まで嫌いだった。だから、今日みたいな日に、街中で幸せそうに手をつないで歩いているカップルを見かけたりすると、わぁ、と叫んで走って間に割って入り、突然の蛮声にひるんだ2人の間で「馬鹿馬鹿しいからやめろ!」と奇声を上げ、どんどんと地団駄を踏んでやりたい気分になったものである。いや、これはただのひがみか。

 無宗教ならかまわないのだが、これだけの短期間に3つもまたいで騒いでいるのは閉口していた。ま、世間が騒いでいるときに、うつむき加減に、無邪気だねえ、と両手を挙げながらニヒルにつぶやいている人間はいやな奴だけれど。

 最近、ふとしたことから、これが日本人の感覚なんだな、と思うようになった。昔の人は北アルプスだとか、御嶽山だとか、ぶっとい大木だとか、巨大な岩だとかを「神」としてあがめていたんだな、と。自然全体が神でたくさんの神がいることが普通だったのだから、仏様がきてもキリスト様が来ても神の一つに組み込んじゃったのね。そう思ったら、さまざまな宗教の節目に騒いでいるにも悪くはないかな、と思い始めた。ホントに、つい最近。

 しかし、クリスマスだけは、騒いでいるのが許せないのである。なぜならば、ただひがんでいるからである。こんなことを言っておいて、来年あたり、無邪気に騒いでいたりして。

 ハードに車いじりしている限り、無理か。

12月22日

 雪の中、諏訪から来た某氏の目当てはいつものショットバーで飲むことであった。朝から飯を喰らっていないことに気が付いたので、とりあえず何か食べに行こうと松本の街中をうろうろ歩き、適当なお店を探して歩くものの、どこも満員の状態。さすが忘年会シーズンだ。

 地元のものを食べさせてくれる店に行ったら、カウンター席が空いていた。この店に来たら、食わねばならぬものは猪鍋である。猪は松本から一番近い山の美ヶ原産である。店にはマスターが狩ってきたときの写真や道具が飾ってある。新鮮なのだ。

 その猪鍋やら鹿刺やらを頼みビールを飲む。猪鍋は一押しの食い物。気に入ってもらったようで何よりだった。猪鍋は僕のおごりで食べてもらい、いつものショットバーへ。もちろん体で払ってもらう。

 極寒の部屋に泊まってもらい、昼前から強制労働に従事させる。車をいじる人の助力のおかげで作業がはかどり、エンジンが車に載った。年内には火が入るかな。

12月21日

松本にしてはちょっと早めの雪が降った。この時期、降水があれば必ず雪にはなるのだが、降水自体が少ない松本。朝方に降っていても午後から晴れて、積雪の半分ぐらいが消えるのがこの時期のはず。

どういうわけか、今日は15センチぐらい積もった。明日、エンジンを積もうと思ったのにこの有様。雪かきやらないと、作業ができないんですけれど…。車の下に潜る作業は雪が解けないうちにやった方がいいかも。

諏訪の某氏はこの雪の中、遊びに来るという。ジムニーだったら楽勝で移動できるけれど、ロードスターだとねえ。感心します。

4年前に100年ぶりと言われる大雪が降った。100センチぐらいの積雪があったらしい。ところが、同じ規模の大雪が去年にも降っている。このときは松本で一晩64センチ積もった。このときはなぜか、ロードスターで名古屋にいて、遭難しそうになりながら8時間かけて帰ってきた。

どうやら、松本でも少々の雪が降ることを覚悟しなくてはいけないらしい。気候が変わりつつあるのかも知れない。

12月20日

 気が付いたら、いつものショットバーのマスターが僕を揺り起こしていた。「送っていくから帰りましょ」と誘われ、思考能力がはがれ落ちていたので言われるままにのろのろと付いていき、すでに店前に置かれていた車の助手席に乗り込んだ。酔いつぶれて、マスターに自宅まで送ってもらうなんて、実に正しい飲んだくれである。

 マスターが帰る時間だったのだから、かなり遅い時間だったに違いない。でも酔っぱらうと時計を見なくなるから何時だったのかはまったく分からない。

 同業他社の人の水戸への転勤が決まり、その送別会だったのである。なぜか市のエライ人らも加わり、2次会でいつものショットバーになだれ込んだ。一次会でもビールにワインを浴びたのだが、さらに飲んだ。みなさん、次々と帰っていき、エライ人に「一緒にタクシー乗っていくか」と誘われたのだが、かなり遠回りになってしまうので、さすがに遠慮して「まだ飲んでます」と言ったのが運の尽き。見事につぶれてしまった。

 いったい、どれだけ寝てたんだろう。

12月17日

 友人たちの忘年会に誘われて、穂高町の高台にある貸別荘でしこたま飲んできた。

 薫製作りにチャレンジしたらしく、スモークチーズやらタマゴやら、肉やらがたくさん燻されていた。なかなかいける。ビールにワインにシャンパンに、と飲み、冗談で買っていったアルコール96度のスピリタスをコップにあけて、火を付けたらかなり豪快な炎が。吹いても消えないくらい。

 皿でフタをしてようやく炎を消し少し温かくなったスピリタスを2、3口含んだら、我がシングルタスクの脳みそに不正なエラーが発生し、シャットダウンした。

 朝起きて、2日酔いの頭をシャキッとさせうと、−5度ぐらいと思われる外に出たら、薫製されたまま放置されていた豚肉が、固体になっていた。凶器になりそうなぐらい。高台とはいえ、まだ12月なのに激しく寒い。

 朝、高台から下ると、すっかり雪をいただいた常念岳が真横に。得した気分。そのままジムニーを板金に出した。勉強代払わなきゃ。

12月13日

 「車にはねられました」

 と、職場の後輩から連絡が入った。情報はそれだけ。たぶん、救急車にでも乗り込む前に1本電話を入れたんだろう。困った奴だ。

 松本広域消防局に電話する。と同時に、目の前を救急車が走っていった。職場の同僚が事故に遭った旨を話し、現場を教えてもらう。仕事場から300mほど東へ行った辺りの、交差点だ。歩いていてはねられたらしい。

 路上駐車してあったジムニーに乗り込み、アクセルターンをしたい気分なのだが、非力なので大人しくUターン。30秒で救急車とパトカー、はねたとみられるRX7が目に飛び込んできた。交通整理をしているお巡りさんの真横に車を止め、救急車に飛び込む。顔にけがをしていたものの、普通に話していた。なんだ、軽いじゃないか。大丈夫か、と声を掛けたら、やっぱり少し朦朧とした表情だった。どうやら、宙を舞って顔から落ちたらしい。正しいはねられ方である。

 救急車に付いていきます、と救急隊員に言ったら「交通違反になるからダメ」。ケチ。

 ジムニーを駆って近くの病院に着くと、レントゲン室にぶち込まれるところだった。15分ぐらいで出てきて、処置室へ。顔に絆創膏、足に湿布を張って出てきた。ジムニーの助手席に乗せ、走る。ただでさえ乗り心地の悪い車なのに、バンピーな松本の路面。打った頭がゆさゆさと揺れて、少々気の毒に思った。

 青信号で横断歩道を渡っていたら、突然宙に舞ったらしい。車が近づいている、ということすら気が付かなかったのだから、少々ぼんやりしていたんだろう。右折のRX7の餌食になっちゃった。軽いけがだから、4輪ドリフト状態ではなかったことが推測できる。普通に走っていて、右折中に人をはねるなんて、ひどいドライバーだね。

 先生も走るこの季節。落ち着いて運転しましょう。