日常

1月22日

 雪国、長野へなぜか出掛けたら、雨が降っていた。真っ白な世界を想像していたのだが、路肩にさえ残っていなかった。1月の光景としては異常かも知れない。用事を済ませて、同業他社の先輩と、同じ社の先輩と3人でそばを食べた。つゆにとろろを入れてたべるざるそば。信州に来てもあまりそばとは出合わずになかなか食べに行く気はしなかったのだが、ここのはなかなかうまかった。

 明日は大阪で散財する予定。

1月21日

 朝から雨。妙な天気だと思っていたら、全国的に雨だったのね。松本では昼過ぎからみぞれ混じりになり、激しい雪となった。やわらかく、重い雪質で、大量に降ってきたと思ったらやんだ。降った先から雪が解けだして、地面がものすごいことになっている。名古屋の大雪みたいだ。

 いつもの山道にも積もっているだろうけれど、この雪質だと遊ぶには危ないと思われる。家で大人しくしていよう。

1月18日

 仕事を抱えていて、他のことに手が回らない状態、というのを「忙しい」と言うのだろうか?

 別に、確固たるノルマがあって、ずっと手を動かしていなければならないわけでもなく、時間もある。ただ単に、「書く気が起こらない」という理由だけで更新が滞っている。「待っている人もいるだろから、書かなければいけないな」と思いつつ、半月以上もほったらかし状態。

 いつからいつまでが勤務時間なのかよく分からない仕事なのがいけないのだろうか。とにかく、抱えている仕事が邪魔で他のことにはなかなか手が回らなかった。これは「忙しい」のだろうか。生活自体はだらだらしているんだけれど。

 自分でわざわざ作った仕事もようやく終わる目処が付いた。エンジンは、快調に回っている。もし、エンジンが回らなかったら、公開の場でここまで偉そうにいろいろ書いておいて、ばつが悪いに違いない、ページごとネット上から消え失せようか、などと馬鹿げたことも考えていたけれど、今のところ杞憂で済んでいる。

 もう少し、お待ちを…。

1月16日

 松本唯一の自動車専門工具屋さんから、2割引セールのメールが届いたので仕事をさぼって行ってきた。もう車を組み立ててしまったから、当面は追加の工具はいらないのだが、車の下に潜っていて、とっても欲しい物があったのだ。それは、ギアレンチである。

 ラチェットだと分厚すぎて入らないすき間のねじはそれほどあるわけでもないけれど、数カ所あるだけでとっても時間が掛かる。寝っ転がりながらメガネでちまちまやるのは、不器用でもあるし、頭に血が上っているしで、脳みその血管がぶち切れそうになるのだ。

 ギアレンチは、メガネの形で、ラチェット機構が付いているもの。とっても便利なはずだ。これを目当てに工具屋を襲撃する。

 いろいろ探してみるが、SIGNETのGEARWRENCHセットが目に付いた。メガネタイプではなく、コンビネーションレンチなのだが、10、12、13、14、17ミリの5本と小物が付いて、特価で4500円程度。安いけれど、ぴかぴかのメッキ仕上げで、KTCの工具を使っている者としては、まばゆいばかりの輝きである。ギアの動作も軽快な音がして気持ちがいい。買うしかあるまい。

 その他にも衝動買いしようと、店内をうろつく。Kokenのロングソケット1つと、KTCブランドのVISE GRIPが2000円に値引きされていたので、思わず手に取り、さらにギアレンチが増えた分、まとめておくものを一つと思い、USAGのレンチホルダー(650円)を選んだ。

 特価品が2つあって気が引けたものの、ダメで元々、怪しい眼光で「2割引ってメールが来たから、足を運んだんだよ」と言い放ったら、「このSIGNETのレンチセットだけはちょっと…」と最初とまどった店員さんだったが「ま、いいでしょう」と2割引いてくれた。言ってみるものだ。

 ちなみに、2割引セールはメールが届いた人のみ。松本近郊の人は、登録してみると得するかも。

1月14日

 なぜか、韓国料理について偉い先生の講演を聞いて勉強してきた。身近な食べ物が韓国から伝わった文化だったんだなあ、と感心した。

 肉を直火であぶる「焼き肉」は、昔の日本にはなかった料理法だったらしい。確かに、日本は昔、とり肉かうさぎぐらいしか食べなかったんだよなあ、と今さら思い出す。焼き肉が一般になったのも戦後だとか。それがいま、外食産業のトップ。すごい勢いで席巻している。キムチも梅干しを抑えて、漬け物の中でトップの消費量に上り詰めているという。

 キムチなど、韓国料理に欠かせない唐辛子は、文献によると、日本から伝わったという。古来から使っているように思えるけれど、根付いたのはここ300年といったところらしい。韓国料理が辛くなって、まだそれほど時代が流れていないという。意外な気がする。

 韓国でははしを使っているものだと思っていたら、さじの文化だそう。基本的にさじで物を食べて、水気のないものだけはしを使う。そういえば、クッパや、石焼きピビンバはさじを使うことを前提としている。さじを使うから、器は机に置くようにできていて、大きく重い。日本みたいにお茶碗を持ってはしでかき込んだりしないらしい。机の高さも、日本は器を持つから低めにできていて、韓国だと胸のあたりの高さらしい。

 韓国ではおかわりをしない。古くは残す文化だったらしい。「食べきれないくらいいただきました」という感謝を表しているのだそう。今では廃れつつあるけれど、お年寄りはまだこだわっているらしい。

 ワールドカップを共催する隣の国なのに、知らないことが多かった。国が違えば事情も違う。「やはり実感しなくちゃ、勉強した意味がないよね」と、講演会の会場で出されたチャンジャやチヂミ、韓国のり、うるち米でつくった餅を牛骨スープで煮込んだ「トック」、キムチなどを、腹一杯食べたことは言うまでもない。

1月13日

 浴びるほど飲んで、次の日の朝、「もうお酒は飲まない」とぐるぐると地球の自転を体全体で感じながら後悔するのであるが、あたりが暗くなり出した頃になると、再びビールが飲みたくなる、という、何とも馬鹿げた生活を送っている。

 ところが、1週間前の飲み過ぎは、これまでの飲み過ぎよりひどかったらしい。「もうお酒は飲まない」が1週間継続している。肝臓がやられているのかも知れない。

 実家に帰って、夕食時、ワインを1杯、もらった。ワインなんて、2人でワインを飲ませる店に行って、赤白ボトル2本、さらにグラスワイン数杯にシャンパンまで飲んで、会計の時に2万円と言われて、そのとき初めてどれだけ馬鹿げた飲み方をしたのか気付いたときでさえ、翌日はケロリとしていたのに。このときは、一口含んだだけであまり飲む気になれず、それでももったいないから飲み干したら、頭がグラグラして頭痛を覚えた。

 昨日はビール。コップ一杯で、ごちそうさま。それ以上、飲む気にもなれず、やはり頭が少し痛くなった。ビールなんて先月、独りで2リッター飲んじゃったのに。

 神様がくれた休肝日。しばらく、控えめだね。

1月10日

 年末からアフガニスタンのカブールに行っていた人が帰ってきたので、会いに行った。というより、ジムニーで松本駅に迎えに行き、そのまま家に乗せていってあげた。

 NGOを設立して、支援活動の下見としてパキスタンのペシャワルに行き、状況が良くなっていったので入国して首都カブールまで行ったという。ペシャワル→カブールへの道は、車で1泊の距離。イタリア人のジャーナリストらが、強盗に射殺された場所である。昼だったら大丈夫なのだとか。でも、あまりの悪路に、乗っていったトヨタ車のドラシャが折れて、2時間足止めを喰らい、冷や冷やしたらしい。

 マスコミの報道によると、現地は悲惨な状況に思える。山岳の砂漠地帯が延々と続く映像ばかり流れるから、そう思うのも無理はないかも。けれども、ビデオで見せてもらったところによると、山岳地帯は映像通りの砂漠に悪路なのだが、その間の盆地は、青々としていて、非常に豊かな大地が広がっている。カブールに住んでいる人たちの表情は明るく、市場には大勢の人たちと、物であふれかえっている。人々はお金がないけれど、食料は安く買えるので食べるに困ることはないらしい。確かにお金は持っていないけれど、映像を見る限り、けっこう豊かな暮らしをしている。

 そんな現地へ、外国から寄せられた支援物資が大型トラックに積まれて運ばれていく。で、行き着くのは、カブールの市場。横流しされて、売りさばかれてしまうのだという。支援物資として届く物の方が少ないらしい。

 タリバンはあまり好かれていなかったけれど、報道で流れているような極端な圧政ではなかったらしい。人々が好きな音楽が禁止されていたのは本当らしいが。第一、タリバンが去った後でも、女性は頭からすっぽりとかぶっているブルカを着けたままだ。タリバンが去った後に脱ぎ捨てて歩く女性の映像が象徴的に流されたけれど、やらせや偏向報道だった疑いが強い。ブルカは文化なんだね。

 日本にどっと押し寄せた映像は、アメリカ経由、アメリカ寄りの映像だったのかもしれない。たぶん、解放の様子を伝えるのはアメリカ系、空爆の犠牲者はイスラム系通信社から流れてくるのだろう。日本のテレビは、カブールで1カ所だけの発信所から送信しているのが現状。現地リポーターだって、どれだけ真実を伝えているのか、怪しいものである。

 テレビや新聞で流れている情報は、本物だと思いがちだけれど、伝える側の意図によっていくらでもねじ曲げられてしまう。同じ映像でも、ナレーション次第で受ける側の印象がまったく違ってくる。

 もちろん、僕がアフガンから帰ってきた人と会ったことさえ、嘘なのかも知れないのである。

1月8日

 どうも、体調が悪い。少々、頭が痛い。まあ、昼間寝て過ごした申し訳なさに、昨日は夜仕事していたら、気が付いたら朝になり、朝ご飯に吉野家の牛鮭定食を喰らったのが悪い気もするのだが。

 すぐれない気分でいたら夕方、仕事のことでクレームがあった。良かれと思ってしたことも、相手がどうとらえるかで、迷惑を掛けてしまうことがある。自分の至らなさを反省することしきり。

1月7日

大町で仕事後、コンビニでつまみを買って、亡くなった人の逸話などを聞きながら飲み始めた。やかん直火で日本酒を温めて飲み、日本酒がなくなったので、いいちこの中瓶を開けてお湯割り。すべて飲んでしまった後、どうやらバーボンに移っていったらしい。朝、瓶を見たら、ほとんど空いていた。

もちろん、今日も仕事である。アリバイ作りだけはこなしておく。

夜、何か腹に入れなければ、と大町に行くときに買ってあったおにぎりを食べようとしたら、米粒がばらばらと崩れていった。今日の大町の最低気温は−13度ぐらいだったらしい。車の中に置かれていたおにぎりは、見事、フリーズドライ食品に生まれ変わっていた。ピラフでも作るか。

1月6日

 ヘリコプターによる山岳救助の第一人者があっけなく亡くなった。松本空港にある航空会社営業所の元所長である。

 おそらく、山岳救助では日本でもトップレベルのらつ腕をふるった人だ。北アルプスの山々を知り尽くし、警察のヘリでは行けない谷にも入り込む。ローターと岩が数十センチまで近づくぐらいまで寄せられる腕の良いパイロットと、天候を読みながら、雲が切れる一瞬の間隙を突いて現場に急行するこの人の判断力と勘で、これまで数百人以上が助けられたはずである。

 それが、今日の救助作業中に転落して亡くなった。鹿島槍ヶ岳山頂に向かう標高2000メートル付近で、雪が深すぎて動けなくなった4人の登山パーティーを救助用ネットに乗せ、自らは外側につかまったのだろう。歩くと1日かかる行程も、ヘリならものの5分である。

 ヘリポートに降りたとき、ネット内に片側のくつだけを残して、その人の姿は消えていた。あわててヘリが戻ると、現場に横たわっていたという。

 無理をしたとは考えにくい。今日、現場付近はガスが掛かっていたものの、様子を見に飛んだら、ちょうど活動できる天候になったのだろう。視界は100メートルほどだった。

 「死ぬときは、あっけないものなんだよ」。大町署で目を真っ赤にはらしながらパイロットが吐き捨てた。おそらく安全確保を第一に考える人だ。北アルプスの中で恐らく一番死と距離があった人のはずなのに。一昨年の冬にレスキュー会社を立ち上げ、これから本格的に活動する矢先の事故だった。

 あっけなく人は死ぬ。できることはただ、一生懸命生きること、か。