日常

2月8日

 「飲んだくれてしまった」などと、深酒して失敗したことを痛く反省したような素振りを見せて置いて、ここを読んだ人や、周りの人は「今回こそ懲りただろう」などと思ったに違いないのに、夜になると、そんなことはコロリと忘れて、いつものショットバーへの階段を上がっている僕は、「救いようがない」と言われても仕方がないかもしれない。

 たった4日で再び、職場の人とともに、いつもの席で、いつものバーボンが注がれたグラスを傾けていた。いや違った。かぱかぱ飲んでいた。そんなに上品じゃない。

 11時ぐらいに仕事場を出て、「今日はこれくらいにしておきます」などと、前とほとんど変わらないくらい飲んじゃったくせにいかにも平然を装い、千鳥足がばれないように床の木目を見ながら歩き、それでもドアに肩が当たったりつまずいたり、とにかく、なっていない姿で店を出たのが午前2時。なぜか飽きたらずに、中華料理屋に入り、ラーメンをすすった。餃子も食べた。頼んだ青島ビールは口に合わなかった。

 朝、気が付いたら、ストーブの前で転がっていた。

2月7日

 松本地区で高騰を続けていたガソリン代が少し下がった。レギュラー106円/Lから、103円/Lと3円ほど。セルフだと98円というところもあった。

 松本地区よりさらに高かった諏訪地区は現在、松本地区より少々安くなっているようである。我がロードスターに入れるハイオクは、116円といったところか。少し下がったとはいえ、依然としてまだ高い水準ではある。

 でも、ガソリンの値段って本当に業者側の都合で決まるようである。僕が松本に来た3年ちょっと前、高いところでレギュラーが96円ぐらいだった。名古屋で90円ちょっとだったから、内陸の土地で考えれば、妥当なところかな、と思ったのである。

 ところが、もう少し前は、レギュラー110円ぐらいだったらしい。なぜ下がったかと言えば、ダイエー系のセルフ給油所ができたから。これで、がくっと下がったらしい。

 安くなっていたガソリン代も、ほんの1カ月ぐらいの間に、100円、103円、106円と目まぐるしく高くなっていった。これが2年ぐらい続いたのかな。この値上げも、怪しい裏の話し合いがあったのではないか、と勘ぐってしまう。だって、峠の向こう側だと、松本より交通が不便な場所でも102円ぐらいだったから。無印のスタンドが安いところを見ると、組合の拘束でもあるんだろうか。

 今回、円安もあることだし、このまま安くなっていくかは疑問である。たとえ数年後にガソリンが高騰したとしても、ドライブだけはやめられないんだろうけれど。

2月6日

 信州大に「まぶた切り裂きジャック」が存在する。

 なぜか信州大の先生のところに遊びに行き、コピーを取っていた先生の背後から声をかけた。振り向いたその顔、いや目が、腫れぼったくて異様だった。思わず「うわ、先生眠そう。徹夜明けですか」と少々大きな声で叫んでしまった。

 「いや、違うんだよ。まぶたを手術したんだよ」と先生。なるほど、徹夜で腫れたというよりは、傷が治りかけの時の浮腫のような状態だった。二重まぶたが、ぶ厚くなった感じで少々、目つきが怖い。

 説明を聞くと、こういうことだった。まぶたを吊り上げている挙筋という筋肉は、中高年になると長年の疲れがたまって伸びてしまい、以前にくらべ目の開き具合が小さくなってしまうという。このため体が反射的にしっかり開けようと、額の筋肉を緊張させる。結果、ぎょろりとした目つきになるという。

 この筋肉の緊張状態が続くと、自律神経が狂ってしまう。これが、目の疲れや肩こり、不眠につながるのだという。徹夜を連続したり、眠いときに目をこすったりするといけないのだそう。

 年末の先生の状態がそうだった。僕と2、3日前に会ったばかりなのに、会ったことをすっかり忘れてしまっていたのだ。そのときは、「先生疲れすぎですよ。もっと休みましょう」といたわりの言葉をかけておいた。

 ここで現れたのが、例の「ジャック」こと、形成外科の先生である。教授会で「人と会ったことをすっかり忘れていてショックを受けた」という話をしたら、隣に座っていた「ジャック」がにやりと笑い、「先生、まぶたを切りましょう」。(一部脚色)

 「ジャック」が勧めたのが、ゆるんだ筋肉の一部を縫い縮め、もとに戻してしまう方法だ。二重の人は、線に沿ってメスを入れるらしい。目が開けやすくなって、いままで緊張していた筋肉がゆるみ、神経の不調が解消される。結果、眠りやすくなり、肩こりもなくなるという。

 先生は僕と会ったことを忘れていたことによほどショックを受けたらしい。「ジャック」曰く、「先生、それは危ない状態ですよ」。年末、勧められるまま、手術をしてもらった。

 すると、効果が表れた。冷たかった手足が温かくなり、不眠の症状が解消されていつでも寝られるようになった。ものを考えるときも「くよくよ」していたのが、「目の前にあることからやっていこう」と前向きになったそうである。フットワークが軽くなった。気分に余裕が出てきて、仕事をさぼり気味にもなったとか。ある日、ふと空を見上げたら、青い空が「きれいだな」と久しぶりに思った。

 デメリットもある。2、3日は物が二重に見えたし、因果関係は分からないけれど、手がしびれる症状が出た。そして何より、顔が変わってしまった。ある生徒曰く「先生、ゼニガメみたい」。

 プライドも傷つけられた。「ジャック」に脳の血流を測定されて、自律神経の不調からか「前頭葉に血が来ていない」と言われた。「お前はアホだ」と言われたようなものである。「目つきが悪い」と言われるし、生徒からは、は虫類に分類される始末。おまけに、テレビ放送の公開講座が近く控えていて、ゼニガメ顔のまま出演しなくてはならない。「これが直れば満足なんだがね」と先生。休みの間に直ると言われたのに、1カ月直っていない。

 「ジャック」はあらゆる人にまぶたを切るよう勧めているらしい。霊が障っているからすべての病気は発生する、と誰にでも除霊を勧める、怪しげな霊媒師のごとく。誘いを受けたのは、「教授」としては、ゼニガメ先生が第1号だったという。

 この先生の脳の血流を測定した20代の研修医は、「なぜこの検査を受けるのか」と聞いてきた。先生は、「ジャック」から聞いていた理論を話しはじめた。「先生もそうだったんですか」と研修医が、にやりと不敵に笑う。

 研修医のまぶたにも、手術跡があったそうである。

2月5日

 飲んだくれてしまったのが、いけなかった。

 諏訪の某氏と走りに行ったのが日曜日。夕方、別れて何となく仕事場に寄り、独り寂しく仕事をしていた職場の人を冷やかし、午後8時すぎまでうだうだと過ごしていたら、そりゃあ、飲みに行くに決まっている。

 いつものショットバーで軽く1杯。そのつもりが、ビールが1本、2本、3本。いつの間にか出されていたバーボンに、移行してしまったのは運命のいたずらだったのかも知れない。

 「飲み過ぎ」。マスターにボトルを取り上げられて気が付いてみると、午前2時ぐらいだったか。あまり覚えていない。途中、ストレートで飲んでいたバーボンに火を付けたら、熱でグラスが割れちゃった覚えがある。ようするに、ロクデナシな飲み方をしていたと思われる。

 じゃ、また、とショットバーの階段を下りていて気が付いた。マフラーを置いてきてしまった。藤壺技研の逸品を…、じゃなくて、首に巻く方である。これを忘れるなんて、ちょっと酔いすぎだぞ、と引き返し、マフラー忘れました、とマスターに断って手に取り、首に巻いた。

 その後、なぜか職場の人と鬼ごっこをしていた。追いかけてきたから、走って逃げた。職場の人曰く、「逃げたから追いかけた」。理由は飲み代の分担割合と行ったところか。覚えがない。とにかく、振り向いたら、必死で追いかけてくる姿が見えたから、こっちも必死で逃げた。酔漢2人が松本の駅前大通りを全速力で走っている姿は異様だったに違いない。

 翌朝、案の定、前日の服装のまま、コートを着たまま布団にいた。どうやって帰ってきたのかあまり記憶が定かじゃない。ふと気が付くと、首に巻いていたマフラーがない! タクシーに忘れたか? それとも、一度立ち寄った仕事場? 走っていたときに落ちたのか? 全然分からない。

 この2日間、走ったと思われる道(記憶がない)をたどったり、タクシー会社に電話をかけまくったり、交番に行ったり。さんざん手を尽くしたけれど、どこにもない。馬鹿なことをしていてなくしてしまったから、とっても落ち込んでいるのである。

 何の変哲もないマフラーだけれど、かけがえのない、大事な物なのでした。

2月2日

 家にUFJカードの利用明細が送られてきた。親会社の東海銀行が三和銀行と合併してUFJ銀行という、耳慣れない名前に変わってしまったので、子会社のミリオンカードの名前も変わってしまったのだ。

 ミリオンカードに加入したのは、NiftyServeの会費を引き落とすためだった。今から何年前のことだ? クレジットカードというと、現金がなくても物が買えてしまい、そのうち、カード破産に至るという、近視眼的なわけのわからない誤解を持っているので、あまり利用はしていない。

 それでも、ISPには2カ所入っているし、海外旅行に行ったときには重宝した。最近、高速料金がいとも簡単に払えてしまうことが判明し、利用額が増えている。

 いつものディーラーに行ったら、「カード作りなよ」と勧誘された。スーツを作ったから味を占めているわけではないと思うけれど、とにかく声を掛けられた。マツダのm’sカードである。ポイントを貯めると、新車や部品を買うときにキャッシュバックされるのだそうな。新車は買う予定はないけれど、部品は買うだろうから、意味があると言えば意味がある。

 それに引き替え、ミリオンことUFJカードは、何の特典ももらったことがない。ただ、作ったときに東海銀行を利用していたという理由で作っただけ。

 ノルマもあるみたいだし、大変ですね、と書類に銀行印を押したのだった。

2月1日

 朝起きたら、頭皮が痛かった。毛布のすき間から入ってくる冷気が耐え難く、体をくねらせるものの、余計に冷気が入ってきて、ぶるぶる震える始末。体感温度では、最低気温が−10度ぐらいまで下がっている感じである。部屋の中で氷点下前後か。こんな日は、布団から出てストーブを付けるのがとてもつらい。夕刊によると果たして、−11.2度だったらしい。

 なぜかロードスターで長野に行って来た。高速道路を文字通り高速に走るためにはジムニーでは役不足。恐ろしくくっきり見える北アルプスを横目に、走っていたら、あっという間に長野に到着。ジムニーでは遠かった長野が近く思えてきた。

 松本市内に比べて、雪が少ない。この季節は長野だったら、路肩に雪の壁ができていても良さそうなものなのだが。用事が済んだら、とんぼ返り。抜けきったショックでは高速道路はとても怖い。乗り心地が悪い。

 早く、足回りが届かないかな。

 

1月30日

 実家で暇だったので、久しぶりにロードスターを洗うことにした。最近、時間が取れればエンジン関係の作業をしていたから、まともに洗車した覚えがない。平成4年2月登録で、ちょうど10年選手となった。塗装面は、水滴が乾いた後やら、傷やらでひどい状態。とりあえず、カーシャンプーとは別に、水垢クリーナーをかけようと、実家近くのホームセンターで買ってきた。

 まずは、洗車場に行って、ボディーのほこりを吹き飛ばしてくる。家に戻り、ささっとカーシャンプーで洗う。その後、水垢クリーナーを塗った。ワックスみたいなもの。実際にワックス効果もあるらしい。

 塗ったクリーナーをボロボロになったTシャツで拭いてみると、あら不思議! あれほど悩まされた水滴後のまだら模様やら、虫が激突死したとみられるシミ、猫ちゃんが上で寝っ転がって付いたシミやらが、ほとんど目立たないくらいまで落ちた。これはいい。

 水垢クリーナーだけで十分輝いてきれいなのだが、少し目立つ傷をコンパウンドでこすって、ごまかした。その後は、シュアラスターを塗る。このワックスはにおいがいい。

 洗う前は、捨てられる寸前のポンコツ車に見えていたのだが、ワックスを掛けたらなかなかの艶が出た。エンジンのオーバーホールが終わったことだし、後は足回りを交換して、上質な乗り味になれば、まだまだ10年は行けそうである。

 光った愛車に満足して、家の中で晩飯を喰らうなどしていて、帰る時間となった。玄関をがらりと開けて、体中が凍り付いた。雨が降っていたのである。

 みぞれ交じりの中央道を走った我がロードスター。融雪剤によって、再び見るも無惨なポンコツ車に成り下がったのである。

1月27日

夜に入って雪が降り出してきた。松本にしては強い降り。午後11時に仕事を終え、ロードスターに乗り換えて走りに行ったのは、当然である。ガソリンがなかったから給油もする。

松本で1月に降る雪にしては少し湿って重い。こんな雪はとびっきり滑りやすい。いつもの山道へ行ったら、一番最初のヘアピンで失速して上らなくなった。すでに亀の子になる寸前まで雪が積もっていたので、上は走れないだろうと、あきらめた。帰宅したのではなく、平を走ることにしたのである。雪はたっぷり降っている。

松本平の西部なら、人家も少なく、思いっきり遊べるかも、と向かう。広い交差点で滑らせて遊ぼうかな、と思うものの、対向車がいたり、すでに雪で埋まって縁石の位置が分からなかったりして、なかなかできない。ただの雪道ドライブ。

松本空港近くの工業団地で遊ぼうか、と思ったら、煌々と電気がついている会社が多くて、果たせず。もう少し西の、なぜか田舎に立っている大型ショッピングセンターの広大な駐車場で遊ぼうかな、とも思ったけれど、セコムに取り囲まれたらやばいので、あきらめる。

ただ走っているうちに、雪が猛烈な勢いで降ってくる。雪は「こんこん」と降るものだが、このときは「ざあざあ」降っていた。ヘッドライトが雪に当たって先が見にくく、10メートルぐらい先しか分からない。

ストレスがたまったまま、あちこち走り回るものの、安心して遊べそうな場所って意外と少ない。銀世界になると、縁石や出っ張り、くぼみがまったく判別できなくなるので、あまり知らない道では遊ぶことができない。

仕方なく、自宅近くの勝手を知っている道を走ることにする。松本旧市街地から豊科町に向かう国道や、文化会館の回り。激走するわけにもいかず、終始欲求不満。

すでに時は午前2時となり、「ざあざあ」降る雪は弱まる気配を見せない。徐々に景色は雪国となっていく。身の危険を感じる。交通量の少ない道路では、そろそろロードスターの車高以上の積雪になり始めている。

仕方なく、欲求不満のまま帰宅。メーター読みで80キロ走ったらしい。空転していることが多いから、あてにならないけれど。家の駐車場では案の定、お腹をするぐらいの積雪だった。定位置の寸前でスタックした。

朝起きたら、まさしく一帯は雪国。

 ロードスター(手前)とジムニー。44センチ降ったらしい。除雪設備のない松本では、これだけ降ると街の機能が停止してしまう。ジムニーはこんな積雪でも走ってしまうから頼もしい。でも、出口でスタックしてしまい、隣のお兄さんの力を借りた。

 仕事場で雪かき。自分の駐車場を雪かき。手が上がらない。

1月26日

長期休業していた焼鳥屋が最近、再び営業を始めたので、職場の人とともに行くことにした。松本市の緑町というところにある、狭くて、少々汚くて、元気なマスターがいる、「正しい」焼鳥屋である。マスターは「長年がんばってきました。リフレッシュしてきます」と張り紙して、旅行に出ていたのだ。3カ月ぐらいだろうか。

金曜日であったこともあり、お店は満員。長期休暇で客が離れてしまうのでは、と心配していたのだが、この正しい焼鳥屋を慕う常連客はものすごく多いらしい。以前と全く変わらない様子であった。

冬なのにビールをかぱかぱと飲み、ハツ、砂肝、レバー。どて煮も頼んで、少々狭いけれど、居心地が良い。語らい、ビールを飲んだ。

最近、本格的に飲んでいなかったので、火がついてしまった。前日、ちんたらと仕事していたら朝になってしまったので眠かったのだが、いつものショットバーに行くことにする。が、金曜はやはり人が多い。満員であった。

同じビルの下の階の、少々広い店に、元気のいいおばちゃんが切り盛りしている、こちらもなかなか正しい居酒屋で、時間をつぶす。やはりビールを飲むのである。鱈の煮物がうまい。

すぐ上の階へ電話したら、すでに空いたという。いつものカウンターに座り、頼んだのはやはりハイネケン。いろいろ飲んでいたら、さすがにいつもより回るのが早く、眠くなったのでギブアップ。大人しくタクシーで帰った。

現在、松本は本格的な雪。走りたいな。

1月22日

 雪国、長野へなぜか出掛けたら、雨が降っていた。真っ白な世界を想像していたのだが、路肩にさえ残っていなかった。1月の光景としては異常かも知れない。用事を済ませて、同業他社の先輩と、同じ社の先輩と3人でそばを食べた。つゆにとろろを入れてたべるざるそば。信州に来てもあまりそばとは出合わずになかなか食べに行く気はしなかったのだが、ここのはなかなかうまかった。

 明日は大阪で散財する予定。