日常

8月21日

 飲み過ぎた。仕事場の人たちと安居酒屋で軽くメシを喰らい、行きつけのショットバーでスコッチストレート。がばがば飲んで、再び居酒屋に行き、生ビール2杯目を飲んだ辺りで、記憶が途切れている。どうやって仕事場に戻ったのか分からない。

 朝は9時に起床。ジムニーの中だった。仕事場の駐車場。勢いで運転しなくて良かった。

 家に帰り、睡眠の質が悪かったらしく再びぶっ倒れた。午前中は仕事にならず。午後も思考がはっきりしない。ふらふらしていたら1日が終わってしまった。

 台風が直撃しそうな感じ。夜遅くまで、警戒しなければ。

8月20日

 仕事をさぼってデジカメを物色に行った。一番見ておきたかったのはカシオのQV4000。400万画素のCCDに、光学3倍ズーム、マニュアルでさまざまな設定ができ、単三電池で動く。いま、デジカメに求めている、だいたいの機能を備えている。

 某電気屋で手に取ってみた。第一印象は「でかすぎる」。電源が入らなかったので、動作の具合は分からなかったのだが、コンパクトカメラにしてはでかい筐体が気になって、購入には至らなかった。

 やはり、コンパクトさは重要なポイント。一眼レフとともに持ち歩くことがあるので、小さくて、普段から無意識に持ち歩ける大きさのデジカメが欲しい。そうなると、やはりキヤノンのIXY300が気になる。値段も5万円後半。手に入れたい衝動に駆られたものの、いまいち踏み出せなかった。

 こう考えると、Coolpix700は、単焦点のレンズが少々不安な以外はなかなか良いデジカメだと思う。ゴミさえ写らなければ、まだまだ使えるのに。

 腰下の分解までにはまともなデジカメが欲しいのだけど…。会社から支給されないかしら。 

8月18日

 何となく、秋めいた1日。こんな日は仕事をさぼって、ロードスターの屋根を開け放ち、山道を軽やかに走り抜けてさわやかな空気を思いっきり吸いたいのだが、仕事場に張り付けの刑にされてしまったので、かなわず。

 せめて、夜勤をさぼってビアガーデンに行こう。

8月17日

 ビールは注ぐ人によって味が変わる。

 そんな話を偶然に喫茶店で会った庭師から聞いた。注ぐ人の人柄や態度、生き方のようなものが味に出るのだという。まじめに話すものだから聞き入ってしまった。

 居酒屋のママ。心を込めて客にビールを注ぐ店ははやるが、ぞんざいな注ぎ方をするような店は客足が途絶えてつぶれるのだ、という。そんなものかな、と思いつつ、味にどう現れるのかを聞いてみた。

 まじめな態度で注ぐの者は、やはりビールがキリッとうまいのだそう。逆に、軽い気持ちだったり、普段からいい加減な性格の人が注いだビールは軽い味がしてまずい、という。微妙な話ではある。

 この庭師、昨日、一緒に飲んだ学生に「惨敗」した。学生の就職が決まった祝いに、学生と学生の先生に当たる人とともに飲み、先生から、ビールの味が確かに変わる、という話を聞いた。半信半疑で自分の注いだビールを飲み、次に学生のビールを飲んで、驚いた。「確かに、学生の注いだビールがうまい」。人生にまじめに向かい合っている、そんな味だったという。

 逆に自分の注いだビールは「オレの軽い性格、そっくり」。人生の年輪はあまり関係がない。「そのとき、その時点での注いだ人の人間性が現れる」とも。

 確かに注ぐ人によってビールの味は変わる。今度飲むときから試してみよう。けれども、人の人生を推し量るような微妙なテイスティング。いわば、「人生のきき酒」。まだまだ青い僕には、当分、微妙な違いは分かりそうにもない。 

8月16日

休み中に、2つの盆踊りに繰り出した。夏、男は黙って、盆踊り。

祖父母は愛知の長野県境、「奥三河」と呼ばれる地域に住んでいる。奥三河と言えば、設楽あたりを指すらしいが、祖父母の住んでいるところはそれよりさらに奥の「奥奥三河」と言える地域である。この地域と、長野の天竜峡周辺とは国道151号でつながり、ほぼ同じ文化圏。この地域に伝わる盆踊りは、起源が鎌倉時代の「踊り念仏」にさかのぼるとされていて、屋台の上に三味線や太鼓が陣取り、盆唄をその場で歌う生演奏。情緒がある。

14日夜には、長野県阿南町の「新野の盆踊り」に初めて出掛けた。小さなころから、祖父母の家へ夏に行くたびに、にぎやかさを聞かされ「いつかは新野で踊りたい」という思いを抱いていた。長年温めていた思いを、ようやく果たすことができたのである。

ここの盆踊りは、三味線や太鼓は使わず、盆唄だけで踊る。国の重要無形民俗文化財にも指定されている。「商店街の端から端まで何重にも踊りの輪ができ、1回り1時間はかかる」と聞いていた。期待を胸に会場へ歩くが、高原中に響き渡っていると想像していた盆唄が聞こえて来ない。会場に着くと、やぐらを囲んでいるのは百人ほどだけだったので、いささか拍子抜けした。

それでも「高い山」「十六」「おさま甚句」など、愛知県側でも踊られている唄が聞こえると、勝手に体が動き出す。最近作られたものとは違い、数百年続いてきた素朴な踊り。参加者も唄を歌いながら、ゆったりと踊る。昔は1000人は踊ったという会場は寂しくはなったが、踊り手に多少の増減はあっても、今後も伝承されて行くであろう力強さを感じた。

15日夜は、愛知県津具村というところであった盆踊り。こちらは、三味線、笛、太鼓の生演奏付き。こちらの盆踊り、新野とは様子が全く違う。人がたくさんいることもさることながら、踊り子の年齢層が、10〜20代が中心なのだ。こんな山奥の村に、よくもまあ、こんなに若者がいて、集まったものだ、と感心する。運営も若者が握っていて、この分なら、ここ数年は盛り上がりそうな勢い。

こちらで踊って楽しいのは、「チョイナ節」というテンポのよい踊り。最初はのんびりとしたテンポで、数十分踊るうちにテンポが上がり、しまいには駆けないと追いつかないほどまで早くなる。ゆっくりとウオームアップしてだんだんと興奮して行き、最後、上り詰めてトランス状態で踊り狂うのが楽しいのだ。

けれども、以前来たときと踊りの様子が違う。若者がやっているだけあって、「踊り」というよりは「ダンス」になっているのだ。やたらめったら、叫び、腕を振り、飛び跳ねる。テンポアップしてきたときの狂いようといったら、一緒に踊っていても興ざめする。普段パラパラを踊っている連中が盆ダンスにやってきたんじゃないか、と思う。ノリは「盆パラ」。付いて行けない。

新野は寂しくなったけれど、正しい盆踊り。真に楽しむならこちらかな。

8月10日

 なぜか、花火大会の写真を撮ることになった。どこかで使われる写真なのだから、気合を入れて撮らねばならない。

 三脚で固定したF90にレリーズを付けて、バルブで撮影する。カメラにボタンの付いたコードを付けて、ボタンを押している間、シャッターが開いている、という寸法だ。

 これがとっても難しかった。想像ではたくさんの鮮やかな大輪が写っているはずなのだが、どのコマもいまいち。どうやら、花火の色を鮮やかに写すには、絞りをもう少し絞らなければならなかったらしい。どの写真も、白っぽい写真で、あまり美しくない。

 気合を入れてがんばったのに失敗する、って、やはり、ダメージがでかい。

8月9日

 12日から15日まで4連休をもらった。松本に来て、正式に4連休をもらったのは初めてのような気がする。頼むから、何ごともないように。

 名古屋に帰省するつもり。ようやく暑さがゆるみ始めた松本から、夏真っ盛りの名古屋にわざわざ行くのもどうかと思うけれど、お盆なんだから里帰り、という固定観念にとらわれているので、実家に戻るのである。どこかに出掛けても人ばかりだし。

 ところで、ロードスター、片道200キロをちゃんと走れるんだろうか? オイルを食う量は変動があって、あまりきちんと計算できない。最近、白煙が目に付くようになったし、ひどくなっていることも考えられる。高速道路でエンジンが焼き付いたら洒落にならない。

 とりあえず、一定の負荷をかけ続ける高速道路ではあまりオイルは減らない気がするのでロードスターで帰省しよう。ジムニーじゃ疲れる。

8月8日

 高校野球が開幕した。長野からは松本にある塚原青雲高校という一般の人にとっては聞き慣れない学校が出場した。実に35年ぶり2回目の出場。

 この学校、いろいろな意味でドラマチック。

 まず、野球部。来年で廃部の可能性が高かったのだ。今だって17人しか部員がいない。2年前、県外から実力のある選手を引っ張ってくる受け皿となっていた体育科がなくなった。今、レギュラーでがんばっているのは大阪出身者がほとんど。甲子園出場は里帰りみたいなものだったりする。県外者を受け入れていた寮が廃止されることもあって、もう強い選手を引っ張ってくることはかなわない。しかも、2年生がいない。1年生が4人ぐらいだったか。この時点で来年の県大会は惨憺たる結果であることが目に見えている。だから「最後のチャレンジ」と部員の結束は固かった。

 学校そのものも存続の危機に直面している。現在の在校生は110人余り。正確な数字が分からないのは、在校しているのかしていないのか、分からない生徒が多いからか。最盛期には1500人ぐらい在校していたらしいから、あまりにも衰退してしまった。原因は2年前の募集停止騒ぎ。経営が成り立たない、と募集しない考えを運営する学校法人が表明したのだ。

 教職員組合の猛反発があって、募集停止は撤回。しかし、学校として積極的に生徒募集をしなかったし、やる気のある先生がいくら中学校を回ったところで、募集停止騒ぎがあった学校。なかなか生徒は集まらなかった。

 創立者の娘に当たる現校長は、どうやら学校をやめたいと考えているふしがある。来年の募集で、一定以上生徒が集まらなければ、再来年は再び募集停止となる可能性が高いという。

 そんな厳しい状況下での甲子園出場。決勝戦、松本球場で佐久長聖を下す瞬間を見て、鳥肌が立った。松本の街は寄付やら応援団の編成やらで盛り上がっている。来年、多くの生徒が集まるかも知れない。野球部を目指して。

 学校を続けることに積極的でないように見えた校長も、田中康夫知事が松本で3日夜、懇談会を開いたとき、わざわざ会場までやってきて、甲子園まで応援に行くよう依頼していた。2年前、募集停止する、やめろの騒ぎを目の前で見た者にとっては、感慨深い光景だった。もしかしたらこの学校、これを契機に復活していくかもな、と感じた。来年は、どれだけの生徒が入学するんだろう。

 第1試合は13日。鳥取代表の八頭との対戦。戦力は五分五分か。ぜひ、勝ってほしい。

 犬猿の仲である田中知事と有賀正・松本市長とのスタンドでのバトルも見物かも。

8月7日

 職場に新人が入ってきた。これまでも新人が入ってきたことがあるのだが、兄貴と同い年の上、0.11tもあるでかいやつなので、少々遠慮してしまって、言うべきことも言えなかった。やっぱり本人にとっても、少しは他人から注意されることがあった方が幸せなわけで、内心、忸怩たる思いがあった。

 今度は僕より2つ下。やっぱり歳をとっていくんだな、としみじみと感じるとともに、何も遠慮せずに思ったことを言ってあげられる、といううれしさもある。

 少人数の職場なので、誰かが気を遣ってあげなければならない。昔なら、「恨まれ役」というのがいて、徹底的にしごくのだろうけれど、今はそんな時代じゃないし、僕もそんなことされていない。やりすぎると「やめます」なんて言われるかも知れない。

 どんな風に接してあげればいいのかなあ、と思いが巡る今日この頃。

8月6日

 原爆の日に「原爆の図」の話をば。

 今、松本に原爆の図の1部がある。原爆の図と言えば、小中学生のとき、歴史の図説をぴらぴらめくっていると、最後の方に必ず載っていて、あまりにも衝撃的な描写で、子供心に恐怖を感じ、目を背けていた図である。 

 その実物、本物が松本のある寺にある。図説に載っていた小さな写真でさえ、その迫力が伝わってくるのに、実物は、高さ2メートル、幅8メートルもある屏風絵である。対面した、ほぼすべての人が、立ちつくし、言葉を失う。ある人は、その場に座り込み、ある人は、涙する。

 原爆の図は全部で15部。この寺の住職は、毎年、埼玉の美術館から借りてきて、1部ずつ、本堂に置いて見せている。脇にはランプに灯された「原爆の火」も。全部終わるには実に、15年かかる。考えていることのスケールが違う。

 安保闘争で元気良く飛び回っていた30年ほど前、若き頃の住職は、この図の作者の丸木夫妻に出会った。どちらかと言えば破壊的な考えに縛られた活動に限界を感じ始めていたとき、絵筆で社会に強烈なメッセージを発するこの夫妻に魅力を感じた、という。普段は飄々と過ごしていながら、言うべきことを、もっとも効果的な表現で主張する姿に衝撃を受けた。

 以来、住職は自分の職業を生かした形で、メッセージを社会に発している。チェルノブイリ原発事故被災地を支援するNGOを設立したり、タイでエイズ撲滅の活動をしたり、市民団体の支援団体つくったり、永六輔を毎年呼んで勉強会を開いたり。最近では、自分の死後を設計して、生をエンジョイしよう、という面白いNPOを設立した。その多岐に渡る活動は、とても、ここには書ききれない。

 強烈な行動力の源泉は、ヒロシマを原点とする「反戦」の心。ヒロシマに確かに存在した15の光景は、毎年この時期、松本の地で無言の「反戦」を訴える。