ドライブ

5月8日

 ロードスター乗りなのに、そういえば娘を助手席に乗せたことがなかった、と急な思いつきで実家に置いてあるロードスターのところに行き、チャイルドシートを載せ替えて2歳3カ月の娘を無理矢理助手席に乗っけた。

 暑かったので、町内1周でとどめた。走行中は助手席では固まっていたものの、乗った後には「ロードスター乗った」と笑顔の娘。

 うちの娘、特殊能力を持っている。街ゆく車の車種を言い当てるのだ。もちろん、親が「あれは〜」と教えたのだが、ちゃんと覚えているのって素直にすごいと思う。だって、世の中の女子って、セダンもバンもワゴンも、まったく区別がつかないじゃないですか。

 車を運転していると「プリウス〜」「アクア〜」とチャイルドシートの上から声を上げる娘。よく走っている車の名前を叫ぶことが多いのは仕方がないところ。「ヴィッツ」も分かるのだけれど、初代から最新までモデルに関係なく分かるところは正直すごい、と思う。

 けっこうメーカーのマークを覚えていて、ベンツ、アウディなんかはディーラーがあると指さして叫んでいる。なぜか日産車については「にっさんきゅーぶー」「にっさんまーちー」とメーカー名を含めて叫ぶ。

 いちばん好きな車ははたらく車。高速道路で爆走営業ワゴン車に抜かれるたびに「プロボックス〜」とうれしそうに声を上げるし、四角い車が来ると「ハイエース〜」と叫ぶ。NV350とかボンゴとかタウンエースを見ても「ハイエース〜」と叫ぶのはご愛敬。

プロボックス〜ハイエース〜

 子どもって「天才だ!」って思わせるような瞬間を見せるんだけれど、物心ついたときには全部忘れちゃんだろうなあ。

8月19日

雅号が復活! お盆前に富山に取りに行き、意味もなく開幌して運転しまくっている。

2010年3月に、富山から本社のある名古屋に異動で戻って、一番の変化は給料。ちょうど車遊びに回せていた余裕が丸ごとなくなった感じで給料が下がってしまった。富山にいた時よりよっぽど仕事しているのだが、会社組織って理不尽なものである。

2011年2月で車検が切れた雅号。当時、クーマックカップに出るかどうか迷っていたので、とりあえず参戦したら維持する余裕はないことは分かっていたので、車検は更新しないことにした。富山の車屋さんに放置(いつもお世話になっています!)したまま1年半がすぎ、レースにも出ないし、いつまでも置いておくのは大変迷惑なので車検を捕ることにしたのだ。

今回、手を入れたのは、主に排気系とボディ。

排気系は、マツダスピードのエキマニ(マキシムOEM)のフランジ部分の溶接が割れてしまって限界だったので、中古部品屋で15000円で買ってきたHKSのたこ足に交換。んが、これが失敗で、蛇腹部分が壊れていたらしく、蛇腹を交換してもらって、着脱しまくって、工賃がたくさんかかった。ま、新しい部品を買うのにお金を回すよりも、工賃としてロードスター屋さんに支払った方が良いかと思って、クレーム(さすがに性能にかかわる不具合を表示しないで販売するのはひどいよね)は付けないことにした。

触媒はマルハのスポーツ触媒があるので、ノーマルから交換し、マフラーはRS
Factory STAGE
の2寸管ハーフSplを装着! 以前、ノーマルエンジン+ノーマルマフラーで乗ったけれども、やっぱり盛り上がりに欠けるわけで、ロードスターに乗るわくわく感を演出するためには、最低限の装備かと。

ボディは、自分で補修していまいちなフロントバンパーと、磨きすぎて下地が出てしまったボンネットフード、トランクリッドをぴかぴかのネオグリーンに塗装してもらって装着してもらった。

1カ月の給料を注ぎ込んで最低限、手に入れたいところをなおした雅号。これが最高!

新しい排気系は下のトルクが充実して、運転しやすいの一言。住宅地などで低い回転数でアクセルを踏まずに走ればまったく迷惑がかからないし、ちょっと郊外に出てエンジン回転を上げると、スポーツカーらしい音がする(触媒を変えているから、ノーマル触媒よりは少し音が大きいかもしれない)。

乗り心地とハンドリングが両立した足回りも最高! と思ったら、これもSTAGEさんのスーパーチョコバナナじゃんね。完全にSTAGEさんの術中にはまっている雅であった。工場に落ちていた14インチのディレッツアD2を付けたから、どうもケース剛性が高いらしくてばたばたはするけれども。

エアコンもガスを入れたら何とか冷えるようになったし、だいぶ普通の車になった。

2月18日

夜、雪が降った。日付が変わる頃、どうやらうっすらと積もり始めた様子。これは山はすでに5センチほど積もっているに違いない、と仕事場の人とともにいつもの山道へ行った。

山に近づくにつれ、激しい降りとなって、みるみる積もっていく感じであった。これはいいぞと、意気込むものの、ふもとのヘアピン直後の坂であえなくストップ。雪質を見ると、上れそうな感じなのだが、人1人分の重量増が響いているのかも知れない。助手席に人を乗せているときに無理をしたくはないので、すごすごと引き返した。

仕事場の人と別れて、こんこんと降る雪の中を走っていたら、やはり上りたくなった。もう一度、トライするとぎりぎりで上っていく。やはり、効かないスタッドレスに重量増はいけない。

雪道でいつものように練習。上ってきたのはS14、インプレッサ、セフィーロ。それぞれが別々に上がってきたから危なくはない。一時は、新雪を独り占めして走っていた。

数十分走って、下りの右コーナーで道幅をいっぱいに使ってリアを流そうとしたら、リアが思いの外速く流れていった。カウンターを当てて、アクセルをゆるめるものの、下り坂のためか、いつまでたってもリアが流れていく。ツーっと斜め前に滑ったまま、いつものように収束していかない。左側から近づくガードレール。ちょっと前までなら、この時点で思考停止して動けなくなったと思うが、今ではじたばたできるようになった。カウンターステアを少しずつ戻っていったら、リアの流れも収束していった。ぎりぎりのところでスライドが収束。左側から小さな雪煙が上がった。心臓がばくばく。

やはり効かないスタッドレスで遊ぶのは危ない。走っているうちに、グリップ力が変わってきたような気がするのだが、気のせいだろうか。

2月15日

 天気が良かったので、開幌状態にして走りに行った。仕事をさぼってではなく、休みだったからである。ディーラーの店長はマスクをして、鼻をかみまくっていた。すでに花粉の季節に突入している。幼い頃はアレルギー性鼻炎で病院通いをしたものだけれど、近年は目に少々異物感があるだけで何ともない。どうやら治っちゃったらしい。体質が変わったのかしら。

 空気が澄んで、北アルプスが近く見える。お世話になった人に動いているうちに車を見せておこうと、群馬を目指す。

 さすがに朝冷え込んだとあって、晴れていても風が冷たい。巻き込んだ風が後ろから左耳に当たって痛い。ダッフルコートのフードを被りたくなる誘惑に駆られるものの、わざわざ屋根を開けて、寒い思いをして、なぜかフードを被って震えているのはやはりおかしな人物に見えてしまう。すべてのオープンカー乗りがおかしな人だと思われるのもしゃくなので、極めて涼しげな顔で乗らなければならない。我慢はするが、我慢を悟られてはいけない。

 浅間山がくっきりと近く見えて美しい。噴煙以外の雲はかかっていない。北アルプスの壁のような急峻さ、険しさはなく、火山特有のなだらかな形をしている。すそ野が広い。

 登坂車線でトラックをぶち抜いて、トンネルへ。下りの連続ヘアピンをリズム良く駆け抜けていく。スタッドレスタイヤが腰砕けになるぎりぎりの領域だから、それほど飛ばしているわけではない。それにしても乗り心地が悪い。早く足回りよ、来い。

 仕事途中に割り込んで、2時間ぐらい会話をしていた。どうやら、バルタイでもう少しエンジンのふけが良くなりそうなことが分かった。

 ということで、明日は再びカムと対面。

2月12日

 夜から朝にかけて雪、という予報だった。勢力を増した寒気が流れ込んでくるこの時期の正しい降り方である。このようなときは、北アルプスに阻まれて、それほどの量は降らないけれど、よく冷えた粉雪が数センチ積もる。湿った雪よりも滑りにくく、ロードスターで遊ぶにはちょうどよい塩梅なのだ。

 午後11時ぐらいから、ちらりちらりと降り始めた。この分だと、少し積もるかなと思う。しかし、遊べるほどまで積もるかどうかは分からない。

 午前1時。外を見たら、1センチぐらい積もっていた。きっと山の上ならもう少し積もっていて、ちょうど遊べるぐらいになっているだろうな、と思う。しかし、午前1時。よい子は寝る時間である。少しうるさい車のエンジンをかけて外出する、なんて言語道断である。翌日はもちろん、出勤。よい子は外で遊んじゃあ、いけない。

 しかし、僕は庭でエンジンを積み替えるような、立派な悪い子であるから、よい子の決まりを守っても、いまさら仕方がないのである。フロントガラスや幌に薄く積もった雪を払い、エンジンをスタート。暖機するわけにも行かないので、2速1200回転ぐらいで、のろのろと走っていく。

 果たして、量は少ないものの、極上の雪質であった。くたびれたスタッドレスタイヤなのに、少しきつい坂でもぐんぐん上っていく。路面には1台上っていった跡があるから、だれか1台、上にいるんだろう。

 遊びやすい場所で、セフィーロとすれ違った。のろのろ走って相手の様子をうかがっていたら、後ろでアクセルターンをして、どうやら付いてくる様子。別に大したことするわけでもないのに、と思うがそれでも少し張り切って、少々きついヘアピンを豪快に回ろうとしたら、あっけなくスピン。格好悪い。仕方なく、戻ってセフィーロと離れる。遠吠えしながら情けなくその場を離れていく負け犬のごとく。

 路面のわきと中央には除雪車が押しのけた雪が積もっているから、使える道幅は狭い。その狭いコースに沿って、リアを流す練習をする。

 再びセフィーロと合流。また付いてきた。今度はスピンしないように、慎重にリアを流す。なぜかセフィーロがバックミラーから消えた。

 Uターンして戻ってきたら、いない。どうやら、帰ったらしい。1台きりの貸し切り状態で遊んでいたら、銀S14シルビアが上がってきた。ばりばりの走り屋仕様で、音が少々うるさい。すれ違ったとき、「ぶおんぶおんぶおん」と、ものすごい爆音を出しながらストレートでリアを流していた。タイヤは空転しっぱなしに違いない。何を練習しているんだろう。

 リアを流していると、ステアリングが自動的にカウンターを当てる方向に回っていることに気が付いた。パワステを外したし、アライメントで車の進んでいる方向にステアリングは切れていくようになっているから当たり前だが、改めて気が付くと感動する。路面抵抗の少ない雪道でしかリアを流さないからあまり、意識していなかったのだ。こんな初歩的なことに驚いているぐらいレベルが低いのである。

 それならハンドルから手を離していれば楽ちんだ、と手を離したら、そのままスピンした。そんな甘いものではなかった。

 下り坂で思った以上に速くリアが流れてあせることしばしば。焦ることなくカウンターを当てれば何とかなるものだ。

 小一時間堪能して帰宅。燃費極悪。

2月9日

 諏訪の某氏と再び走りに行った。

 今日は八ヶ岳山麓である。雪のちらつく長野道に乗り、中央道を経て小淵沢へ。少し腹が減っていたので諏訪湖サービスエリアに寄ったら「ダチョウの串焼き」があった。特産品として伊那谷あたりで繁殖させていることは知っていたが、こんな身近な場所で売っていたとは。1本買う。見た目は鳥と言うよりは豚肉か。食べてみると、ささみに独特のくさみをほんの少し加えた感じ。「うまい」ということでもなかった。

 小淵沢のコンビニで、某氏のNBと落ち合い、開幌状態にして無料化された八ヶ岳道路を走る。路面は乾燥状態だが、所々、雪解けの水で湿っていて、車間が狭いと、塩カル入りの飛沫がフロントガラスにかかるので、少し離れて走る。標高が高いため、気温は−5度くらい。ヒーター全開、こたつ気分で気持ちいいのだが、巻き込む風で耳が痛い。仕方なく、コートのフードを被った。フードを被りながらオープンで運転している姿は、異様だったに違いない。いや、哀れみを買ったのか。

 清里へ出て、国道から細い道に入ったら、長野県に入った途端に除雪されていなくて引き返さざるをえなかった。田中康夫が予算を削ったせいだろうか。山梨県民の税金が無駄になっているんですけれど…。

 煮えたぎるラーメンを食べて、佐久から白樺湖経由で帰ることにした。日が傾いたので、さすがに閉幌である。望月から蓼科山に向かって駆け上がる。女神湖が氷上サーキットに変身していた。アウディーのテストコースらしい。とっても走りたい。滑りっぱなしで走れそうだ。

 標高1500m付近の雪は踏んだときの音が違う。きゅきゅっと高い音がするのだ。松本では、1月はこういう雪しか降らなかったはずなのに、湿った平地のような雪が降る。

 気候が少し、おかしい。

2月4日

諏訪の某氏と、霧ヶ峰へ遊びに行った。高原のペンションでどこまでも真っ白な平原を眺めながら、お洒落にコーヒーを飲むのだ。

標高1500メートル地点だから、もちろん、道は圧雪状態である。99年に買ってすでに3シーズン目に突入しているミシュランのマキシアイスでは、少々不安である。

スタッドレスタイヤを買った時点での目的は、雪道を走るのではなくて、実家までの往復で乗る高速道路のチェーン規制をかいくぐるためだけだった。だから、ディーラーのアドバイザーには「高速道路で走っていても安定していてなるべく減らないものを。雪道の性能は無視して良いです」と注文したら、ミシュランを勧められたのである。確かに、スタッドレスにしては乾燥路でもしっかりとしているし、あまり減らないので満足である。けれども、やはり雪道の性能は、他のスタッドレスタイヤより少々劣るようであった。

スタッドレスタイヤの効きが甘いと、何が困るかと言えば、発進と上り坂である。3シーズン目を迎えた上、新エンジンとなってがんがん走っちゃっているので、最近の雪道では、かなり怖い思いをしていた。なんでもない場所で、スタックしてしまうのである。ある程度の勾配があり、湿って滑りやすい道だと、タイヤが車体を推進させる力より、重力の方が大きくなって、だんだん速度が落ちていき、止まってしまう。車速が落ちたからとアクセルを踏めば、豪快に雪を跳ね上げながらタイヤが空転するだけなので、前に進みたいのにアクセルをゆるめるという訳の分からない状態となる。

不安は的中して、案の定、霧ヶ峰高原へ向かう裏道は勾配がきつくて、上り初めから300メートルぐらいで止まってしまった。止まれば、再び前に進むことはほぼ不可能なので、Uターンするしかない。仕方なく、きれいに除雪されている観光道路へ向かう。

観光道路は、冷や冷やする場所が何度かあったけれど、問題なく上ることができた。ちょうど良い具合の圧雪と、コーナーの曲がり具合だったので、車を滑らせる練習をしながら上がる。上から観光バスが下ってこようとも、ひたすらリアを流す。前を走っていた諏訪の某氏は後ろの車の不審な挙動に気付いたらしく、デジカメで写真を撮っていた。器用な人だ。

標高が上がれば、雪がだんだんと締まってきて、それほど滑らなくなってくる。一面が銀世界の霧ヶ峰高原に到達し、ビーナスラインと合流する地点から、少し外れた場所にあるペンションへ。湿原を見渡すことができる、いい場所だった。この時期だと一面の雪だけれど。

赤ちゃんを背負ったお母さんが入れてくれたコーヒーを飲み、豊かな時間を過ごす。「こんな雪深い場所で冬でも営業していて、お客は来るんですか」と聞いたら「ええ、物好きがときどき来るんですよ」。どうやら、僕らは物好きらしい。

ペンションを出て、ビーナスラインの行き止まり地点まで行く。戻ろうとUターンしたら、何でもないところでスタックした。

 本当になんでもない場所で動けなくなっちゃうのである。某氏のNBに引っ張ってもらうという情けない事態になった。

 帰りはスタッドレスの効きの違いをまざまざと見せつけられた。出せる速度が違うのである。加速しない、曲がらない、止まらないの3拍子なので、十分に速度を殺してからでないと、コーナーが曲がれない。それでも、付いていこうと怖々スピードを上げたら、2段階にRがきつくなっていく左コーナーで明らかに、オーバースピードで進入してしまった。スピン覚悟のドリフトに持ち込んで曲がるほどの余裕がなかった。知らずに突っ込んだ2段階コーナーは怖い。

 普通の乾燥路なら、ロック寸前までブレーキを踏んで、十分速度が落ちたところで壁を避けるのだが、雪道は、あっという間にロックしてしまう。止まりたいのにブレーキをゆるくしか踏めない、このもどかしさ。あきらめると、雪の壁に一直線に刺さり、運が悪いと崖から落ちてしまう! 何とか曲げるのだ!と、ハンドルを切りたいのに、曲げたかったら、ハンドルを切りすぎてはいけない、このもどかしさ。じりじりと近づいてくる壁に焦りながら、必至にロック寸前でタイヤをコントロールして、ニュートラル付近のハンドル操作。苦労むなしく、ノーズ右側が雪壁に激突。派手に雪煙が上がった。降りてぶつけたあたりを見ると、無傷だった。必死で曲げようとしていたおかげで、雪壁をかすった程度で済んだのであった。あきらめちゃいけないね。

 下るにつれ、だんだんと雪が湿ってきて、滑りやすくなる。まっすぐ走っていたのに、突然車が真横を向く、という怖い状態である。

 何とか、壊さずに下りてきたのでした。雪道で遊ぶなら、効くスタッドレスは必須。

1月27日

夜に入って雪が降り出してきた。松本にしては強い降り。午後11時に仕事を終え、ロードスターに乗り換えて走りに行ったのは、当然である。ガソリンがなかったから給油もする。

松本で1月に降る雪にしては少し湿って重い。こんな雪はとびっきり滑りやすい。いつもの山道へ行ったら、一番最初のヘアピンで失速して上らなくなった。すでに亀の子になる寸前まで雪が積もっていたので、上は走れないだろうと、あきらめた。帰宅したのではなく、平を走ることにしたのである。雪はたっぷり降っている。

松本平の西部なら、人家も少なく、思いっきり遊べるかも、と向かう。広い交差点で滑らせて遊ぼうかな、と思うものの、対向車がいたり、すでに雪で埋まって縁石の位置が分からなかったりして、なかなかできない。ただの雪道ドライブ。

松本空港近くの工業団地で遊ぼうか、と思ったら、煌々と電気がついている会社が多くて、果たせず。もう少し西の、なぜか田舎に立っている大型ショッピングセンターの広大な駐車場で遊ぼうかな、とも思ったけれど、セコムに取り囲まれたらやばいので、あきらめる。

ただ走っているうちに、雪が猛烈な勢いで降ってくる。雪は「こんこん」と降るものだが、このときは「ざあざあ」降っていた。ヘッドライトが雪に当たって先が見にくく、10メートルぐらい先しか分からない。

ストレスがたまったまま、あちこち走り回るものの、安心して遊べそうな場所って意外と少ない。銀世界になると、縁石や出っ張り、くぼみがまったく判別できなくなるので、あまり知らない道では遊ぶことができない。

仕方なく、自宅近くの勝手を知っている道を走ることにする。松本旧市街地から豊科町に向かう国道や、文化会館の回り。激走するわけにもいかず、終始欲求不満。

すでに時は午前2時となり、「ざあざあ」降る雪は弱まる気配を見せない。徐々に景色は雪国となっていく。身の危険を感じる。交通量の少ない道路では、そろそろロードスターの車高以上の積雪になり始めている。

仕方なく、欲求不満のまま帰宅。メーター読みで80キロ走ったらしい。空転していることが多いから、あてにならないけれど。家の駐車場では案の定、お腹をするぐらいの積雪だった。定位置の寸前でスタックした。

朝起きたら、まさしく一帯は雪国。

 ロードスター(手前)とジムニー。44センチ降ったらしい。除雪設備のない松本では、これだけ降ると街の機能が停止してしまう。ジムニーはこんな積雪でも走ってしまうから頼もしい。でも、出口でスタックしてしまい、隣のお兄さんの力を借りた。

 仕事場で雪かき。自分の駐車場を雪かき。手が上がらない。

1月23日

 買い物のためなぜか大阪へ。前日、諏訪の某氏と雰囲気のいい酒場で飲んで、早朝に起きだし、我がロードスターに乗り込み、向かった。

 往復800キロ。日帰りだから、なかなか疲れた。行きの燃費は14km/L。信州から下っていく道なのだから、燃費も良いに決まっているのだが、圧縮比を上げたエンジンはやはり効率が上がっているらしい。

 疲れたから早めに寝ようと思っていたら午前2時。倒れそう。

1月20日

 一日暇だったので、部屋の片付けだとか、頼まれごとでもこなしてすごそうかと思っていたのだが、外は天気である。最近、雪も降っていないし、信州の北部にさえ行かなければ、路面は乾いているはず。そう考えたら、いても立ってもいられなくなり、ロードスターに乗り込んだ。気軽に信州をドライブできるのも、もしかすると、もう数えるくらいしかないかも知れない。

 開幌状態でいつもの山道へ行き、美鈴湖へ。左に折れて、三才山を駆け上る。中信地区と東信地区を結ぶ三才山トンネルへ向かう国道254号は、けっこうな急坂なのだが、高回転をキープしてフルスロットルをくれると、エンジンはものすごい音を立てながら、ぐいぐいと車体を加速させる。6000回転をしばらくキープして、スロットルを全開。そして、バックミラーを注視。どうやら白い煙は出ていない。この幸せ。

 まだ、フル加速に慣れていない。フライホイールが半分の重量になり、回転落ちが早くなったことと、スロットル径を拡大してアクセルワークがシビアになっていることが合わさって、8000回転まで回してシフトアップすると、ぎくしゃくする。そのうち慣れるだろう。

 開幌状態のままトンネルに突っ込むと、ものすごい反響音と排ガス臭でめまいがしそう。ここまで快調に登ってきたのだが、軽自動車に追いついた。

 下り坂をとろとろと走り、平地に至る。5速、2000回転でアクセルに足を乗せる程度の運転だと、バランス取りしたエンジンはまったく存在感がなくなる。冬特有のキンと張りつめた重い空気。耳が少々痛いけれど、全開のヒーターで体はぽかぽかと気持ちよく、やはりオープンカーは冬の乗物だと思う。

 お気に入りのドライブコース。丸子町から千曲川ビューラインを走り、佐久に至る道だ。台地の上を走る道の回りには農地が広がり、まるで北海道でも走っているかのような錯覚を覚える場所もある。台地から谷へと下り、渓谷を渡る大橋もあって、変化に富んだ道である。薄曇りだったが、少々雪化粧した浅間山がくっきりと見える。

 こうして、自分を遠くまで運んでくれているのが、自分で加工して組み立てたエンジンなのだから、叫びたくなるような喜びを覚える。行く先々の空気のにおいを感じながら、昨日買ったばかりの音楽にのり、手先だけできまるシフトをリズミカルに操作して走っていると、本当にこの車に乗っていて良かったと感じる。この瞬間のために、この車を所有しているようなものだ。

 佐久で甲府の友達に電話したら、休みだというので、晩飯を一緒に食べることにする。清里へ進路を向け、日が落ちたので幌は閉める。さすがに氷点下だと、日没後のオープンは苦痛しか感じない。

 甲府で1人5000円取られるがうまいというしゃぶしゃぶの店に行ったら定休日。仕方なく、餃子屋に向かう。餃子6人前と、焼きそば、チャーハンを頼んで分けて食べる。餃子、4人前ぐらい平らげた。腹の中からものすごいにおいがはい上がってくる。

 結局、部屋は散らかったまま。頼まれごとはまったく進まなかった。