11月13日

 気が付いたら風呂桶につかっていた。手足がしわしわ。慌てて風呂から出て、時間を見たら4時半だった。何時に入ったかまったく記憶がないので、何時間つかっていたかも定かではない。

 仕事場のボスのお金で飲んでしまおうと企んで、居酒屋へ行き、「軽く」飲むつもりだったのだが、生ビールの後、二合とっくりが次々と空っぽになっていった。最低5本は開けたので、2人で1升は軽く飲んだに違いない。そのまま家に帰って、風呂に入って意識を失ったらしい。溺死しなくて良かった。

 1時間後には起き出して、市場へ向かう。兄貴の車に便乗し、藤ヶ丘から栄へ。ずっと寝ていた。栄から名城線に乗り換えて、金山で名港行きに乗り換える。ちょっと時間が早かったので金山のホームのベンチに座ってもう一寝入りしたら、一瞬にして30分が経過していた。

 仕事場に上がっても酒臭い、と言われた。反省。

11月12日

 FCSS専用車載パソコンにお薦めのThinkpad535にWindows95。水没や盗難の危険がある車載パソコンにはあまり高級なものは使わない方がよい。それに最近のパソコンはCOMポートが付いてないものがほとんどだ。535ならタマ数も多くオークションで数千円で買えるからいくらでも買い直しがきく。さすがに、ログの解析などは重荷なので、普段使っているパソコンでやる。

 飛騨の知り合いが535を購入し、OSをインストールする作業を依頼された。ハードディスクを摘出して僕の535につなぎ、丸ごとコピーするだけだから、非常に簡単な作業。ハードディスクが6GBと大きなものが付いていたから、FAT16で3つのパーティションに分ける作業が必要となったのが面倒だったぐらい。売られていたときにWindows95がインストールされていたものだから、ライセンスの問題は大丈夫でしょう。

 キーボードが不良だったらしく、変な挙動をしたが、僕の解体535から移植したら普通に動くようになった。いろいろいたずらをして、出勤途中にコンビニに寄り、宅急便で発送して任務完了。

 各地に知り合いが出来ると、宅急便が大活躍。車のパーツやお礼の品々、オークション落札物などなど、よく使うようになった。コンビニで手軽に出せるのが大変便利である。

 普通に送っていては面白くないから、いつも品名のところにいたずらをする。すべて「怪しい」を付けてしまう。受け取ったときの相手の困惑の表情を思い浮かべていつも一人、くふふと笑っているのである。こっちだって、伝票に書き込んでいるわけだから、コンビニ店員に渡すときは少しどきどきする。「おや?」っと気づく人もいるのだが、だいたいは素通りしてしまう。

 「怪しい部品」「怪しい食品」「怪しい書籍」「怪しい写真」などなど、さまざまなものを送った。ま、中に入っているのが足回りだったり、エンジンパーツだったりするので、あながち間違いではない。

 昨夜、「パソコンどうなっている?」と電話が入った。できあがって発送した旨を伝えると「変なこと書くのは勘弁してくれよ! 宅急便の兄ちゃんに本気で笑われたんだからな!」とのこと。おお、やっぱり気づいてもらっていたのか。

 でも手遅れだった。今回の荷物にも書いちゃった。

 「怪しいパソコン」

11月10日

 ただいま、50キロで1リットル消費のペース。冷却水である。継ぎ足して水温、油温さえチェックしていれば、問題ないのだが、精神安定上は良くない。すでに真水に近い状態だ。水温計がちょっと変な挙動をしたとき、確認するとちょうどリザーバータンクが空っぽといった感じ。

 これだけ漏れていれば、どこから出ているのか一目瞭然だと思うのだが、パッと見ではなかなかどうして分からないのだ。一本、怪しいホースを取り替えないといけないのだが、ふらっとディーラーに行く時間もない。

 クーラントが薄まって、変な臭いもしなくなったので、減る以外はなんの支障もなく、だんだんと慣れてしまっている僕。オイルだってこまめに確認しているのだから、一項目増えただけ。

11月9日

 サラリーマンの悲哀で、この土日も会社に出てきて仕事せざるをえない状況に追い込まれてしまった。

 今日は明け方まで拘束されるにもかかわらず、やらねばならない仕事があったので投票してから、昼過ぎに仕事場に顔を出す。あまりやる気にもならないから、Yahoo!ゲームのブロキシーなんかをやっていたら、本格的に時間が過ぎ、結局ゆっくりでてもそう変わらない結果となってしまった。不毛な日曜日だ。

 ただいま午後7時現在、投票率があまり上がっていないみたいで、このまま自民党の政権が続くことが確実みたい。皆が行けば政権が変わるが、行く気も起こさない、というところが病的なところである。ま、何が健全で何が病気なのかの境界線も怪しくなってきた今日この頃なのだけれど。

 ただ一つ、確実なことが言えるのは、今日は明け方に帰るのに、明日は昼前から知多半島で仕事しなければならない、無慈悲な現実が控えている、ということだ。

11月8日

 Freedomをいじるために車に積んでいるThinkpad535を水没させてしまった。冷却水を補充するために積んでいたペットボトルの口の閉め方が悪かったらしく、いつの間にか助手席が池になっていた。Vスペシートだから、余計に水がたまる。やばい、とすかさずお池にはまっていた535を救出して、ぶんぶんと思いっきり振ってタオルでふき、乾かしてから電源を入れたが、スイッチを押してもうんともすんとも言わない。電源がやられてしまったようだ。

 同じThinkpad535を雨漏りで水没させてしまったこともあるから、同じことを2度繰り返してしまったことになる。こちらは1996年にあり金はたいて、当時2万はしていた16MBの増設メモリーとともに、35万ぐらいで買ったものだから、壊してしまったときはかなりショックだった。

 が、Yahoo!で1万ほどで買うことができることを知り、買い直したのが今回水没したモノ。もうちょっと出せば、そこそこ速い機種が買えたのだが、あえてこれを選んだ。Pentium133MHzといまのパソコンと比べたらとっても遅いのだけれど、当時のWindows95で使うとこれがすこぶる調子がよい。FCSSなんて速いパソコンを使ったところで、9600bpsと10年も前の速度でFreedomと通信しているのだから、意味がないのである。

 特質すべきがレジュームの早さで、ふたを閉じると3秒で寝て、開けると3秒ほどで復帰する。しかも、FCSSをバッチモードにしてFreedomと通信させた状態でレジュームさせると、次に復帰させたとき、そのままFCSSが動作するのだ。FCSSは起動した後、Freedomと通信する時間が鬱陶しいだけに、これはかなり使える。電源OFFからWindows95を起動しても、OS自体がとても軽くできているから、今の最新パソコンで2000やXPを起動するよりも早い。DOSにはかなわないが。

 2回目に壊して、今度こそ、今3万円ちょっとで買えるThinpad240でも買おうかしら、とも思った。が、ちょっと待てよ、と以前に壊した535を取り出してみてACアダプターと接続し、電源を入れると、LEDが一度光り、次にハードディスクのLEDが光ってそのままの状態で固まる。電源は入るが、次のBIOSとかマザーボードがやられているっぽい。

 ぴん、とひらめいて、35万で買った535をばらし始める。ハードディスクを外し、キーボードを外し、液晶を外して、筐体から基盤を取り出し、MWAVEという名前のDSPボードを外す。モデムと音源とを1つのチップでまかなうという当時としては優れた仕組みだったのだが、モデムと音源を別々に搭載した方が安く小さくできたようで、姿を消したものだ。

 次にマザーボードと電源、シリアル、パラレル、ディスプレイの各ポートが一体となったボードを取り外す。

 で、今回水没させた535も同じようにばらし始め、電源ボードを入れ替えてから、再び元に戻していく。とりあえず、マザーボードと電源をドッキングしたところで電源ON。ぴかっとLEDが光った。おお、生き返ったっぽい。

 急いで元に戻してハードディスクを差したら、何事もなかったかのように動くようになった。思わずガッツポーズが出る。

 あとにはばらばらになった535一台が残った。35万で買ったのに、と思うとちょっと切ない。

11月7日

 仕事が忙しいときほど、ほかごとをやりたくなるもので、しこしこと外気圧補正のことを書いたりしてしまった。最初、簡単に書くつもりだったのだが、やっぱり簡単に書いただけではよく分からない文章になってしまうので、あれこれ付け加えていったらどんどん肥大化し、なにやらFreedomの制御について半分ぐらいは書いてしまった感さえある。

 昨日の夜に書き出して、ビール腹が悲惨な状態になってきたので、お湯割り安焼酎を飲んでいたら、いつの間にか眠ってしまい、再び午前4時半ぐらい起き出して書き始め、そのまま出勤してしまったから、今日一日は眠くて仕事にならなかった。

 それでも、懸案だった外気圧補正を締めくくることができてホッとしている。まだFreedomについて理解できていないうちから書き始めてしまったので、理解が進むまで、書けなくなってしまっていたのだ。途中、エンジンの仕様も派手に変わってしまったのが、より深い理解に繋がった。

 それでも、理系の知識がある人からすれば、突っ込みどころ満載の文章だと思う。間違っていようが、これでお金取っているわけじゃないから、別に良いのだけれど。「おかしいよ」っと指摘があると、自分の知識と経験が広がり、うれしいのだが、あの文章自体、フリーダー以外には意味不明だろうから、たぶん指摘しようにも読んでさえいないに違いない。

 かなり狭い読者層に向かっての発信ではあるな。

11月6日

 ロードスターの冷却水激減り症状が出ているのだが、ここという場所が分からず漏れっぱなしになっている。走っているとクーラントの臭いがするので、間違いなくエンジン内部ではなく、外側に漏れているはず。そうでなかったらやばい。

 ファンが回るようになって、水温は93度を上回ることはなくなったのだが、気が付いてリザーバータンクを見ると空っぽ、という状態が続いている。2リットルペットボトルに水を用意し、補充する毎日。どこから漏れているのか、一度、下回りにでも潜ってみないと完全には分からないかもしれない。

 最悪なのがヒーターから微妙に漏れているケース。ヒーターを交換するためには、ダッシュボードを脱着しなければならない。面倒だからやらない。寒い冬になっちゃう。

 とりあえず、ラジエーターの漏れ止め液でもぶち込んでみようかしら。

11月4日

 金曜日、だらだらと仕事をしていたら、あっという間に時間が流れ、日付まで変わってしまった。同じくだらだらと仕事をしていた上司たちは、仕事場であるにもかかわらず、日本酒を飲んだりビールを飲んだり、楽しそうにやっているのだが、僕はロードスターで出勤しちゃったので飲むことができない。飲んでいるところを見せつけられるのは、非常につらい。

 翌朝は早く家を出なければならなかった。顔を出しているビートルズバンドが内海フォレストパークで開かれたさよならコンサートに出演することになっていたのだ。コンサートは午後からだから10時ぐらいに家を出れば間に合ったのだが、コンサート後の打ち上げで食べるべく、市場のおっちゃんからうまい刺し身を仕入れて行こう、という話になり、僕は車を出す係になってしまったのだ。朝8時に、仕事場のお偉いさんでもあるメンバーと市場で落ち合う約束をしてあった。

 が、起きたら8時だったので焦った。今起きたと電話したら「アホ、早く来い」と怒られた。慌てて支度をして、ロードスターは荷物が載らないからオヤジのクラウンを勝手に出して、ナゴヤバシリを駆使しながら出来町通りのバスレーンを暴走し、8時45分に日比野の市場に到着。お魚満載のトロ箱を積んで、名古屋高速から知多に向かう。

 雨が降るかもしれない予報だったのだが、素晴らしい秋晴れで、日なたにいるとちょっと暑いぐらい。コンサート前には時間があったので、ビールを飲んで芝生の上でボーっとしていたら、前日の疲れも忘れるぐらいのリラックス。良い時間をすごした。

 コンサートでは写真撮影係。フィルム2本ほど撮影。コンサートも順調に終わり、フォレストパークを後にする。ゴンドラリフトから眺める海は、夕陽に輝いて素晴らしい眺め。良い公園なのに、もう閉園。とても惜しい。

 内海駅にめり込んだすし屋で海の幸山盛りの飲み会が開かれる。例によってビールをがぶ飲み。後半になって大量の刺し身が出てきたのだが、すでに腹がいっぱいで残飯化しちゃったのが残念。隣のスナックに移動し、2次会。再びすし屋に戻って3次会をやり、取ってもらってあった旅館で意識を失う。

 何時に寝たかは覚えがないのだが、日曜日に起きたら8時半。この日は、飛騨・丹生川村で開かれる宿儺(すくな)祭りの前夜祭にご招待されていて、2時ぐらいには現地入りしなければならなかった。朝飯も食わずに慌てて知多半島道路から名古屋高速を経由して帰宅し、着替えだけ取ってそのままロードスターで出発する。

 飛騨からの直電で、紅葉を目当てにした観光客で高山周辺はすでにものすごい渋滞であることを知っていたので、国道41号で飛騨入りすることにした。が、すでに美濃加茂で大渋滞。住宅地の道や線路沿いの道などさまざまな裏道を駆使したものの、到着したのは3時前。

 飛騨大鍾乳洞がある山の中腹にある小さな鍾乳洞が、飛騨地方の伝説に出てくる「両面宿儺」という豪族にゆかりのある場所で、祭りの前にそこで法要が営まれる。9月末に丹生川で仕事をしたときに、地元の人しか入れない場所に入れてくれる、というので、顔を出す約束をしてあったのだ。

 この鍾乳洞にたどり着くのが大変だった。絶壁に設けられた階段を延々と上らねばならない。法要は3時15分で時間がぎりぎりだったから、最初走っていったらあっという間に酸欠になって貧血になってぶっ倒れた。

 なんとか5分前に鍾乳洞にたどり着いた。知多半島の先端から移動してきて、本当にぎりぎりだったのだから、自分でもあきれるぐらいの過密スケジュールである。忙しいのが仕事じゃないところは、問題があるかもしれない。

 役場前で開かれた前夜祭も終わり、お祭りに招待してくれた人の家に泊めてもらう。仕事で一回顔を合わせただけなのに、泊めてもらってお風呂入れてもらって食事を食べさせてもらって、さらにビールをがぶ飲みするのだから、ものすごく厚かましい人間だ、と自分でも思う。結局、午前1時まで飲んでいた。

 3日の月曜は祭りの準備があるというので午前6時に起床。残念ながら雨だった。それでも祭りの目玉である直径6.1メートルの宿儺鍋に火が入れられる。

 ロードスターはラジエーターファンのスイッチが壊れたのを機に、冷却水がなくなるトラブルを抱えてしまった。なくなり方が尋常じゃないので、飛騨の番長に応援を要請する。ラジエーターファンのスイッチももらう。「お前、飛騨まで車直しに来たのか」とあきれられた。雨の中、お祭りの会場の真ん前に止めた車のエンジンルームに顔を突っ込んで作業をしている姿は異様だったに違いない。

 とりあえず、ファンは動くようになり、冷却水漏れもサーモスタットからウオーターポンプへ出ているパイプがパンクしたのだろう、という結論になってとりあえずは様子見をすることに。

 祭りは雨の中でも大盛況で宿儺鍋が完成した頃には千人以上が列を作っていた。会場でだらだらと過ごし、午後1時、泊めてもらったおっちゃんに挨拶して会場を後にする。夕方から名古屋で職場の同期の結婚式二次会があるのだ。

 帰りの高速でちょっとラジエーターホースに取り付けた水温計の針の動き方がおかしかったので関サービスエリアで止めたら、リザーバータンクが空っぽ。ラジエーターにも500ccぐらい継ぎ足した。すでに3リットルは継ぎ足しているので、クーラントが薄まってほとんど真水のような状態である。家に戻って再びリザーバータンクを見ると、また空っぽ。早くホースを取り替えないとやばい。

 スーツに着替えて、地下鉄で栄へ。2次会は仕事場の人が多くてちょっぴり堅苦しかったので、同期だけで3次会、4次会。例によってビールをがぶ飲み。午前3時すぎまで飲んでいた気がする。

 で、金曜夜から月曜夜まで何をやっていたかを書いたわけだが、3日連続で飲んでいたことに気が付いて自分でもあきれた。

 今朝は7時半に起床。まだアルコールが頭を駆けめぐっていた。それでも、昼過ぎに岡山に行かねばならないので、気合で起床。3日間遊びまくっていたのだから、たまには働かないといけない。

 新幹線の中で寝たらちょっぴり体力が回復したらしく、かなり体調が良くなった。岡山大病院で仕事。いつも通り、街歩きをした。大学前商店街をずっとまっすぐ。駅前の市電が走っている通り沿いの街をあちこちぐるぐる歩いた。小一時間歩けたということは、まだそれだけの体力が残っていた、ということか。

10月31日

 なんだか最近、帰るのが遅く、それでいて午前中寝ているということもできないスケジュールで、ちょいと疲れたから今日はロードスターで出勤した。ここしばらくは金曜日はロードスター出勤ばかりな気がする。

 ラジエーターファンのスイッチが壊れたままになっているので、水温が上がってもファンが回らず上がりっぱなしになってしまう。この時期なら走っていればよいが街中でしばらく信号待ちしていると、水温が徐々に上がっていき、簡単に100度を超える。気が付いたときにヒーターを付けたりエアコンを付けたりしてしのいでいるのだが、忘れているといつのまにか100度。大森の直径45mmの機械式の水温メーターは100度以上の目盛りの間隔が、それ以下よりも広くなっている。実際は105度ぐらいまでしか上がっていないのだが、針の位置が90°を超えて、ぐ〜んと上がっていくのを見ると、普段は85度ぐらいで安定していることもあって、かなり焦ってしまう。

 お昼過ぎに名古屋駅周辺の渋滞にはまっていたとき、気が付いたらそんな状態だったので、ちびりそうになった。105度をちょっと超えた気がする。慌ててヒーターを入れたら、直ちに下がり出し、さらに下げようとエアコンを付けたら、反転して上がりだしてびっくりした。エアコンが付けば、2つのファンが回っているはずなのに、一時的に水温が上がるみたい。

 仕事先近くの駐車場に止めて、パソコン画面でチェックすると、ラジエーターのアッパーホースに付けた水温計では95度ぐらいを指しているのに、ヘッド裏側にある水温センサーでは107度であった。かなりやばめ。とりあえずエンジンを止めてボンネットを開け、エンジン回りを点検すると、冷却水のリザーバータンクが空っぽだった。筑波決戦で走ったときにはちゃんと満タンだったから、2週間足らずの間になくなっちゃったことになる。やっぱり、かなり水温が高めになっているのかもしれない。これはいけない、と近くの自販機でミネラルウオーター2本を買ってきて補充して置いた。かなり贅沢な冷却水である。

 早いところスイッチを交換しなければ。